2001年11月の記事


厭世。いまさらではあるが
しかし、
疑わしきはこれを罰する
というのは正気か。
核査察をさせないのなら攻撃も辞さない
というのは正気か。

たんたんと報じるアナウンサーは
アイボか何かか。
自ら選ぶことができるのが「職業」なら
自らやめることができるのも「職業」。
職業選択の自由は、CMコピーじやないだろう。
アハン、じゃねえだろう。

どこよりも多くの核を持つ国が
我は神なり、と言う。
あるシステムに対する抵抗をすべてテロリズムと呼ぶなら
アメリカが南米をはじめ各地の紛争地域にばらまいた
おびただしい武器弾薬はなんと呼ばれる「勢力」の手に渡ってきたのか
アフガンの武器は、タリバンの保有していた兵器は
いったいどの時代にどの国が供給したものなのか
イラク、またしかり。

ひさしぶりにニュースを読み、見ると
コトバを失う。
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四谷の一口ギョウザ屋、なかなか。
四谷のピュアに髪を切りに行く。
向かいの一口ギョウザ屋「宇明屋」で気になっていた一口ギョウザを味見。博多テムジンの親指ギョウザほどではないが、かりっとしてなかなかうまかった。食後の腹ごなしに四谷駅手前の公園を散歩。
落ち葉が音を立てて風に舞っていた。
11月の終りにしては春の宵のようにどこかなまめかしい夜だった。
湾岸経由で帰る。途中から雨。
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温度差の総チェック完了。
熟睡。昼過ぎまで。
昨夜は、へろへろのまま、夜中にこの二年間の仕事を総ざらいした。ちょうど99年秋の「ゴーギャン-楽園の懸け橋」から「唐招提寺ー鑑真と東山魁夷芸術」「彼方へ…CG2000」「tokyo LIVE」「クレッセ」「ベルサ」と主なものを見た。「水の惑星ジ・アース」の二年間でこなしていた仕事は思っていたよりも多岐にわたり、記憶していたよりもいい出来だった。
それからさらにこの十年あまりの作品集三巻も見た。けっきょく三時間あまりかけてさらにへろへろとな、しかしこのところ生じていた温度差への疑問は解消できた。
もとより温度差はあったのだ。広告業界かのときは特にそれが大きいことをあらためて確認。考えてみれば当然のこと。
しょせんはどれだけ取り繕ってみたところで、お出入りのちんどん屋だもの。卑下でも自嘲でもなく、な。
にしちゃあ、そこそこのところで勝負できてたな、それが正直な感想。
ただ、もう限界であることも見極められた。同時に突破口を用意しておくことで、バランスを保てることもわかった。
この二年で言えば福島のエキスポがその突破口になっていた。さらに広告ではないもの「鑑真」「ゴーギャン」「CGの歴史」「東京居住革命」のようにどこかにパブリックな要素のあるものは、広告の不毛を薄める役割を果たしてくれていることも。
とすれば今後のバックボーンはただ一つ「デジタルジャパネスク」。これがある。
とにかくこいつを一本でもスタートさせてしまえれば、向こう十年、ラクなもの。のはず。

熟睡の効果、か。


例の沙羅源氏の件。
懸念どおりの気配あり。
読みが外れていることを願っていたが、
なんとも言葉もない。
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書き終わった。7:30am
やっとアップした。
目標通り、朝七時半ジャスト。

これから風呂に入って、寝る。
くだらねえ夜を過ごしてしまった。

夜の十時に新しいデータなどという馬鹿げた話が飛び込んでこなければ、
とりあえず七時間前には終わっていた。

いまさらどうでもいいことだが
何が面白くて毎日電車に乗っているのだろうか、
運転手というわけでもないのにね。

いろいろ色褪せて見えた夜だった。


眠って、起きたら、
どんでん返しだ。
第2稿といこうじゃないか。
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台風一過
夜の十時あたりに季節外れの台風がオフィスを直撃。猛威をふるったが、マドラコミュニケーションズの山下みどりさんの心温まる対応のおかげで、なんとか器物の破損や倒壊を防ぐことができました。

バカであることはやはり罪悪ではなかろーか。
情熱が薄いということは生きている資格にどこか欠けているということではなかろーか。
台風一過のオフィスで朝の六時近くに、おれはそう思った。

ま、いいけども。

台本第一稿、迷走台風のごとき軌跡を描きつつ、くだらないエピローグにたどりつつある。ただいまむなしい小休止。

しかし、制作進行というのは
日本語としてどんな意味を持つものなのか
某D2Tにいちど真剣に問いただしてみたい。

ナビゲーターなしでパリダカを一人で戦っているような気分に必ず襲われるというのは、何なのだろう。
あの人たちはどうして分母からフィーをとって恥じないのか。

昔読んだジョージ秋山のマンガに銭ゲバだか阿修羅だかいうのがあったが、そんなことを思い出す秋のアホらしい夜明けが近い。

誰かがITとは中抜きのことですね、とインタビューに答えていたが、中抜きしようよ、ほんとに。

もういらねえんだよ、あんな連中。
すいません百回繰り返して変わらないというのも、ま、度胸だけは買うけどな。

クライアントがリストラしまくっているご時世に、しかしなんだって広告の世界はこんなにもバブルのままでしのげているのか、キッカイ至極だ。
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落葉、焼き芋、台本、れいの。
銀杏が音を立てて降っていると教えられ、寝ぼけた頭で撮影部に連絡。絵画館前の銀杏並木を撮ることに決定。
とりあえず台本は後に回し、外縁に向かう。
光があふれ、落ち葉を踏みしめて歩くには絶好の昼下がりだった。
ただ気温が上がったせいか、落葉はとまっており、ちよっと惜しかった。
焼き芋を買って立ち食いしながら歩いたが、まったく仕事気分とはほど遠い、のどかでおだやかな午後。
六本木に戻り、撮影部の整理が終わるあいだ、「れいの」に寄って、ブラジル。
イメージサイエンスに顔を出してキヤノンのその後の情報を、とも考えたが、今日のところは残った台本に集中することにした。
あとで渡辺にピックアップしてもらったら、立ち食いそば屋に寄って、ちくわ天そばでも食って帰るか。

今日中に、終わるだろうか。ちと不安。
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おでんとおわびと。
正気で書いているうちに猛烈に腹が空いていることに気づいた。オフィスのすみずみまで30分もかかって探検したが、何も発見できず。虚しくなって中断。
腹が空いているときには粗暴になるので注意するように指摘されているが、粗暴になりようにも渡辺くんはいない。しかたなくセブンイレブンのおでんを買って公園で食べた。昨夜までとはうって変わって寒い。
腹が満たされたら急に眠気におそわれた。
したがって、今夜はもう眠るしかねえな。
あちこちにあやまるのは面倒なので、ここをもし読まれたら、ご斟酌下さい。

一生懸命、取り組んだが、気がついたら腹がとってもすいていた。まだ頑張ろうと温かいおでんを買い食いしたら睡魔に襲われた。で、死ぬような眠気の中でこのお詫びを書いている。わけ。です。
ごめんな。
明日はきっと書き終わることでしょう。

みなさまに幸多かれと祈りつつ。



なお、わしはちくわぶを好きである。
はんぺんも。
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《ムーラン・ルージュ》★★★★★!!!
メディアージュのシネコンで《ムーラン・ルージュ》を観た。劇場で映画を観たのは数年ぶり。先週末に観そこなって気になっていたので仕事をちよっとさぼった。
二時間あまりの上映時間の三十分を過ぎたあたりから涙が止まらず。
結局クレジットロールが流れ、観客がすべていなくなるまで立ち上がれず。

映画を観て、あれほど涙が出たのははじめて。
まっすぐな話を、あれほどストレートに語りながら、その語り口の幻惑的なこと。
ともすれば興をそぐ寸前でリズムを変える鮮やかさが冒頭から最後の1カットまで。
いやクレジットからクレジットまで、息をつかせない。

とりわけ、サティーンが伯爵のもとに抱かれに行っている間、劇場で待つスタッフたちによって演じられるタンゴシーンは出色。これまでに観たどのタンゴ映画よりも、アルゼンチンタンゴの切迫した官能を見事に映像言語に置き換えていた。
このシークエンスを観るだけで2500円の価値あり。

主題歌になるのかどうかユアン・マクレガー自らが歌う《NATURE BOY》のラスト二行はこんなふうに訳されていた。

  「人がこの世で知る最高の幸せ
  それは誰かを愛し、その人から愛されること」

この中学生が書いたような歌詞を最初と最後にたっぷりと聴かされて、なお一瞬も目をはなさせることなく、引きつけきったバズ・ラーマンは、
「これぞ映画だ」と言わんばかりの演出力を披露した。
ほんとうに、ひたすら感動したよ。

思いついて最終回を観た。
劇場を出たのが十一時。
浜に降りて、きらめく月とレインボーブリッジを眺めながら夜風に吹かれてベンチからしばらく立てなかった。

難を言えば、できればラストはどんでんで
命だけは救ってほしかった。
それでは映画としての出来が半減するだろうが、生かしてやりたかった。しらけてもいいから。ばかげた感想かな。

こういう映画は基本的に一人で観ることにしたい。
あるいは深いところで共感しあえると確信をもった相手と観ることにしたい。
さらにできるだけ観客の少ない時間帯を選びたい。
もうひとつ、観る時間は夜、以外は無意味。
一人の物思いの世界に没入しきれないと、
たぶん途中で席を立つことになりかねないから。

おかげで、仕事ははかどらず。
栄養剤飲みながら奮闘しておるがどうもな。


1900年。パリ。モンマルトル。

ほんのすこしずれるが
マン・レイはモンマルトル時代を振り返り
「世界は、キャバレーだった」と言ったという。

いや、数年ぶりの劇場体験。
なんとも衝撃的だった。
少し時間をあけてもう一度観たい。


これからもう一頑張り。
ムーラン・ルージュを体験したあとてマキシオを書く。
正気でいられるかどうか。
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東京サンセットショー
秋の最後の日曜日。
春のようにおだやかなままに一日が暮れていく。
淡くかすみのかかった状態は夕方まで続いた。一休みして、お台場の日航ホテルのサンセットテラスで夕日を眺めた。
オフィスからクルマで二十分足らずのところにこんな空間ができたことが、十三号埋め立て地時代を考えると信じられない気もする。
東京にはめずらしい秋の夕。かすみと薄い雲のせいか沈んでいく夕日をたっぷり一時間以上見ていることができた。
キヤノンのプロローグのモロッコのサンセットは、こんなものじゃもえよな、とは思いながらも、今日の日没はみごとだった。日航ホテルの外縁から顔を出した夕日は、ホテルの輪郭と大井埠頭のガントリークレーンのシルエットの間の地平線のように見える真っ平らな空間に沈んでいった。
その直後、残照の空に月。

倉持さん達に撮ってもらった夢の大橋のライトの柱列を何度も歩いてみた。残照の青と紫が残った空の下、明かりの柱の列と、モノレールの明かり、レインボーブリッジのライトアップに、クリスマスイルミネーションが加わり、都市の祝祭空間としてなかなかの光景だった。
メディアージュの館内照明の蛍光灯をもう少し押さえ目にすることと、建物群の色彩計画から無機質さをもう少し減らすこと。
アクセスをクルマとゆりかもめだけではなく、海上を一工夫するだけで、空間のたたずまいが一変すると思う。
関西大震災のあった95年、都市博が中止になった前後に三菱マテリアルの撮影で空撮したときの廃虚のような世界を思い浮かべながら、どこかにそのときの挫折が色濃く残っているように感じられた。
渡辺は、昨夜、今夜と東京の秋の終わりの月を撮った。9月の台風直撃の夜からはじまった彼のコレクションもそろそろ幕引きの時期か。
これ以後は、倉持さんのキャメラワークで、本腰入れてデジタル・ジャパネスクにかかることになるだろう。

積水ハウスのマキシオの第一稿、なかなかすっきりと決まらず。ま、明日夜中にアップすればいい。
右から切り込むか、左から切り込むか、二つに一つを、決めかねている。難しいのではなく、どっちがスタイリッシュか、というだけなのだが。
妙に余裕が出てきたのだろうか。
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秋の終わりの《春霞》の一日
春のような霞が東京をおおっている。
秋の最後のおだやかな週末となった。
ゆうべは十二時頃に黄色みの強い半月よりすこし膨らんだ月が沈んでいった。


ピースが切れて、ホープを買ったが、
飽きてきた。

ピークが過ぎていく思いがある。

ほんとうのところは、
キヤノンを書き終わったこと、
須賀川が完全に終わったことを自覚できたこと、
単に時間が経過したということなのか、判別つけがたい。

ただ、嵐のようにやってきた
マジックアワーが徐々に色褪せていき
ある熱病のような感覚が失せつつあるのを
強く自覚できるようになった。

これまでのラインとはまったく異なる
水の惑星ジ・アースの二年あまりの時間の
最後のピークと自分の中の仕事への屈託とが
重なり合って、強い共鳴現象のようなものを引き起こしていた
この数日はそんなふうに思えるようになった。

このあとの取り組み方が大きく変化していくのか
いままでの延長にあるのか
予想もつかないが、焦燥や混迷が潮が引くように消えていることに気づき、
一抹のさみしさを感じる。

自分でコントロールが利かない状況という
望んでも果たせない時間があった、ということだけが
ほっとする思いと同時に愛惜を生むのか。

春のような霞の中で、覚醒していく。


これも、いいじゃないか。
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言ったそばから…
BBSを、「ま、いいじゃねえか」と変えた途端に、そういう事態が発生。まったく湯治部はスリリングでいいなあ。さてどんな結末が待ち受けているのか、まことに血の騒ぐ秋だ。
これから、サーカス団、出動。
西へ東へ、やれおかし。
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ま、いいじゃねえか。
秋も深まったことだし、大した意味もないのだが、BBSの表示タイトルを

《ま、いいじゃねえか。》

とした。ま、いいじゃねえか。
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Somos Gitanos「我こそはジプシーなり」
《The Gipsy Kings/Somos Gitanos》。タイトル曲のSomos Gitanosは、「我こそはジプシーなり」とでも訳せばいいのか。

仕切り直しとなったマキシオのことをぼんやりと考えながらジプシーの音楽を聴いていると、東京の夕暮れもなかなか味わいがある。週明けからは寒くなるらしいが、東京はまだ春のような気配。

今夜の月はどんな輝きを見せてくれるのだろうか。
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《Dead or alive 2 逃亡者》★★★★★ &
三池崇史、脱帽だ。竹内力の大根ぶりには恐れ入ったが、ああいうのはまた別なファンもいるのだろう。発想とスタイリッシュさ、抜群。それにしても暗殺の「ギャラ」を貧困地区の医療費として全額寄付し続けるヒットマンという設定に哀川翔が一皮むけたローテンポの演技でよく応えていた。エンディングは信じられないほどのつまらなさだったが、そういうところも含めて優れた作品である。あれでラストまで出来が良かったら、息苦しい。前作はそのラストの1カットだけでぶっ飛ばされたが。
キャメラワークが素晴らしかった。情感と渇きとがよくにじんだ感性の高い絵づくりは日本人離れしている。B班のカメラとの落差はご愛嬌。
「新・仁義なき戦い」は三池の監督で見たかった。
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東京星菫派、11月18日、湯治部内に誕生。
《ガーベラ》にアップロードした《月とコスモスMixTest》は真夏にF-900でテスト撮影した満月と早咲きのコスモス/逆光とを、「月の光を浴びた夜のコスモス」というイメージでミックステストをしたもの。
テストを行ったのは11月17日深夜から18日未明にかけて。納得がいったので公開した。デジタルジャパネスクのビジュアルイメージの記念すべき最初のトライとなった。かぶせた音は《revolution》。
このテストを機に、デジタルジャパネスクは《東京星菫派》の名のもとに展開することを決めた。
東京星菫派、11月18日、湯治部内に誕生。
その夜、獅子座流星群が数百年に一度の天体ショーを繰り広げた。

おくればせながら、記しておく。
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その罪を忘れないために。
14日の熊谷ロケの帰りに志賀さんから小泉さんの死がガンだったことを聞かされ、引っかかっていた。オフィスで古いデータを整理していたら彼女と会った頃のメールが見つかった。亡くなる一年あまり前のことである。このすこし後から体調を崩していったのだ。いまさらどうしてやることもできないが、強引に温泉に引っ張っていって、胸のすくようなきれいな映像を見せてやればよかったと悔やまれる。その頃は読み流していた行間に、彼女の想いがいまはよく見えている。この世にいないことだけが、悔やまれてならない。30歳。明るく聡明で美しい人だった。いまさらではあるが、果たしそこなった秋の約束が口惜しい。すまなかった。
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Subject: メールテスト OK!
Date: Thu 03 Jul 1997 12:30:08 +0900
From: yuming-k@tokyu-agc.co.jp (小泉 由稔
ハハハハ )
To: mashiko@mars.dtinet.or.jp

  小泉です。

    昨日はありがとうございました。

    
    メールテスト、OKであります!
    
    今朝、アクセスし、思いがけないお便り発見…。
    まだ、異動まもなく「小泉」の“においつけ”がままならない
    ちょっと落ち着かないスペースの中で、思わず歓声を上げ
    一人ニヤニヤしているわたくしであります。

    スエちゃんとは、よく メールで遊んでました。
   
    そんなこんなで、実は今回の仕事でお目にかかる前から
    語りべスエちゃんのおかげで、益子さんのこと、存じ上げておりました。
    ですから、
    今回ご一緒できることを、本当に嬉しくありがたく思っているのです。

    いろいろ、制約の多い仕事で申し訳なく思うことしきりなのですが、
    スエナガクよろしくお願いいたします。

    わたしは非力な存在ですが、縁あって巡り合えた仕事、そして
    お世話になる様々な人たちのことを財産だと思っています。
    そのチャンス、1つ1つが刺激であり肥やしであり、楽しみであります。

    VPづくり、ワクワクしてます。
    あの美しい映像たちに出会えたこと、そしてこれからも出会えること。
    (ホントになんだか申し訳なく思ってしまうほどです。
                ホントに涙がででしまいます…)

    皆さんにご苦労をおかけしてしまいますが
    
    四季を通して、その世界の片隅にいれることを
    
    幸せに思っています。
    
    
   
    暑い日に、なんだか あっついメール になってしまいましたが
    
    また、明日もお会いできるのでこの辺にしときます。

    それでは…。

    

              7/3  TAG   YUMI KOIZUMI
    

Date: Fri 11 Jul 1997 21:09:27 +0900
From: yuming-k@tokyu-agc.co.jp (小泉 由稔
ハハハハ )
To: mashiko@mars.dtinet.or.jp

  小泉です。

  昨日、社内打の帰りにロビーを通ったら
  「お届けもの、お預かりしてます。」と受付嬢に呼び止められました…。

  思わぬ贈り物、本当に、嬉しい限りでございます。
  
  ありがとうございました。

  直筆のサイン、もったいなくって、思わず切り取って(封筒さん、ごめんね)
  DESKで眺められるように貼ってしまいました。
  (わたしの元気の素にしようと思って…)
  ホントに嬉しかったものですから。

  このところ、職場環境が変わり改めて少々緊張感のある日々を送っている
  のですが まぁ、新しいことを始めるのは悪いことではないって
  ポジティブに捕らえています。
  「慣れ」とか「要領」とかって、いい意味で気持ちいいし、心地よいし、
  嬉しいのは確かなんだけど、たまには違う目的意識の集団の中に身を投じて
  スポンジのように吸収体制に入っている裸の自分もよいものなのかも
  しれません。

  できるだけ多くをためこんで、何かを絞り出せるようになるときは
  きっと 所詮 わたしはわたしでしかないのですから
  形なりタイミングなりに「小泉由稔」がうつっているのでしょうけど
  それがはまるか、はまらないか、良いのか悪いのか、実はそれすらも
  わからない状態なのです。

  できあがっている水たまりに、わたしの落とす滴が
  音もなく溶け込むのか、はたまた みなも揺れるのか…。

  ここは、自然体でしなやかに、でも確固たる思いをもって
  とりあえず頑張ってみよう と思っている今日この頃なのです。

  でも 流石に ふと 「元気の素」を欲してしまいます。  
  
  MILKの仲間と接しているとき とても温かく、そして熱く、
  この心地よさは言いようがありません。
  (そう、財産です。元気の素です。)

  …ついつい訳のわからない話をつづってしまいまして、ごめんなさい。

  益子さんの世界を拝見すると、何だか思いをさらけだしてしまいたく
  なりまして…。(お許しください)

  今のわたし、ホントは あの 空や海や 緑のなかで 風のにおいをいっぱい
  吸い込んで おもいっきり伸びしながら“きもちいーっ!”って叫んで
  大の字になりたい気分なのです。
  (実は、常に わたしのDNAはこんな声を発していますが…)

    そろそろ つぶやきを終わりにしないと

     あきれられてしまいますね…。

    それでは また お会いできる日を 楽しみにしながら、
    つづっているうちに元気にしてもらったことを感謝しながら、
    ペン(?)をおくことにいたします。

                ありがとうございました。

                      7/11   小泉 由稔    
 
              
Subject: そろそろ温泉に入って、骨
ハハハハ 休めしたいです。
Date: Mon 06 Oct 1997 14:16:45 +0900
From: yuming-k@tokyu-agc.co.jp (小泉 由稔
ハハハハ )
To: 益子透

お元気ですか。

先日は、お忙しいなか、ついつい睡魔に負けてしまいがちの講演におつきあい下さい
ましてありがとうございました。
(ホント途中は気を失っていました。まぶたに目でも書いておけばよかった…。)

久々に益子さん、そして皆さんにお会いできて、とても嬉しく気持ちのよいひととき
を過ごすことができました。

感謝しております。

スエちゃんより、先週ロケのスケジュールを聞きまして、めちゃくちゃお供したくて
一晩悩んでおりました。
勿論、担当営業としても参加すべきと思うタイプですので、
(例えクライアント不在でも…そして何の役にたてないとしても…)
何とか、と思っていたのですが、物理的な問題でどうしても調整がつきそうになく
とても悲しい気持ちになっております。
ましてや、これは少々動機が不純ですが、今回の仕事は特に現場の空気を感じるのが
とても楽しみで、しかもロケのあと温泉入って皆さんと過ごせるなんてとても刺激的
で(スエちゃんからもずっと前から話聞いてましたし)こんなに行きたい気持ちなの
に、貧乏営業かけもちの悲しさに、やるせないものを感じてしまいます。

仕事の方は、益子さんも、皆さんも、スエちゃんも塚さんも、みんなついていてくれ
ますから大船にのっていますが。

残念で、そして申し訳なく思ってしまいます。

いろいろ、きつい仕事で申し訳ありませんが何卒よろしくお願いいたします。

また、画面を通じて日本の四季のすばらしさを、

そして澄み切った空気を、

感じさせていただけるのを楽しみにしております。

時間がない中かなりの強行軍になることと思いますが、
どうぞ皆様お風邪など召されませんよう、
乾いた東京の空のもと、ロケのご無事をお祈りしております。

                   10/6    TAG  小泉 由稔

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乾いた東京の空のもと、ご無事を祈っております。と書いてくれたその当人が死んで3年。小泉さん、東京の空の下は、地の果てのように乾いているよ。干からびているよ。オフィスで、ことしはじめて使った加湿器がかなしい蒸気を出している。

どこかの武道に3年殺しとかいう技があるという。きみのメールはその秘技のようだ。
読み返して、言葉が、ない。
せめて、罪を忘れないために、ここにさらしておく。
ほんとうに、すまなかった。
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《ELEPHANT LOVE MEDLEY》は圧巻だ。
10番目の《ELEPHANT LOVE MEDLEY》これはシビレル。クラブDJの出来の悪いパフォーマンスと違って、計算しつくしたミックスメドレーは圧巻だ。
他に惹かれたのは12曲目の《EL TANGO ROXANNE》。これはま、こんなものかという範疇ではあるが。
先週の封切りの時に見ようと銀座に行ったが、気が変わってやめたこと、あるいは正解。こうしてサントラをじっくり聴いているとまた別のストーリーが頭の中に浮かぶ。その想像を抱えて本編を見るとどうなるのか、ちょっと興味がある。
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《LADY MARMALADE》と古代神話の祝祭空間
《MOULIN ROUGE》サントラ盤。《LADY MARMALADE》を中心に聴きはじめる。


正午に夢から覚めた。いやな気分だけが残ったが内容はきれいに忘れていた。大阪日帰りで満員の「のぞみ」で希望のないウィルスでももらったか。
マンションの前の駐車場に古事記物語のような行列が出現したのを見ておどろく。どこかの教団が持っているその駐車場は一年間一台のクルマがとめられることもなく、子供たちのキャッチボールやサッカーに使われる広場のような「空き地」だった。すぐとなりにコインパーキングがあり、その情けない風情と見比べながらいつも奇妙に感じてたが、謎が解けた。
いくつもの巨大な山車に、百人くらいの神話世界の衣装をまとった人たちが乗って、これから街を練り歩くらしい。山車のひとつに「かぐや姫」まで配置されていたのはご愛嬌か。信仰の内容はともかく、のんびりした秋の休日に、こざかしく小銭稼ぎを続けるコインパーキングの隣に彩り豊かな祝祭空間が出現したのだ。四階の窓から、楽屋裏をながめながら、のんびりした祭日気分に浸った。


夕方までに《マキシオ》の方向を固め、それからオフィスで箱書きに入る予定。だるいからどこまでできるか心もとなくはあるが。
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雑感
《ショコラ》レンタルビデオで途中まで見て飽きる。DVDを買わなくて良かった。予告編のうまさと本編とにギャップがありすぎ。腹立たしいほどつまらなかった。こういうの「おしゃれ」と思えちゃうと辛い毎日を送っていくことになるんだろうな。



外に出た。星空だった。東京で台風の後でもないのに星があんなに見えるのも珍しい。数えると数十はあった。潮時というコトバがふと浮かぶ。まさかな、と否定する。焦熱が消えている。いやくすぶりでとどまっていることに気づく。知ろうとして知ったら負けると気がついて知りたくはなし知るほかはなしと書いたのは真崎守の《死春記》だったか。神秘さ。わからなさ。底のない感じが消滅していくと何が残るのだろうか。冷えていく感覚。覚めていく感覚。コトバで飾ることの不毛さ。ここではないどこか。という幻想。疲れたか。バカげた宛のない堂々めぐりにつかまったようだ。





沙羅源氏物語の《記》を読んでいてふと感じたのだが、沙羅という人への案じ方が切迫の度を深めているように思えた。あの明るさの裏にどんな闇が潜んでいるのか。今夜は妙に気にかかる。
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虚脱
駅ビル六階のVirginに行き、1時間ほどぼんやりと眺めてまわった。15枚のCDを買う。ボサノバ中心に適当にビックアップ。
人の流れに逆らうようにオフィス。

1枚まぎれこんでいた楊興新の《絶唱》をかけてぼんやりと聴いている。春の宵のような夜には、胡弓がよく似合う。1番目の《別れ》とタイトル曲の《絶唱》がいい。

自分が思っているよりもいくらか多く疲れているようだ。ひどくだるく、街を歩いていても水の中を行くようだ。

明日は積水ハウスのマキシオにかかることになる。スイッチを切り替えて、とは思うのだが。
月がきれいだったので、渡辺に撮ってくるように頼む。すこし黄色がかったおだやかそうな月である。
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祝杯は、まだか。
池上本門寺周辺は秋の盛りだった。あちこちの軒先に落ち葉が散りかかって、気温19℃とあいまってまことにのどかで団子でも買おうかと思ったが、気を引き締め、手を合わせる。今日は中国の武林流に抱拳で拝礼。つづいて原稿15セットを境内の秋風にさらす。自分でも何をやっているのかわからぬままに企画に力がこもるようにと熱だけは入った。参門を出て渡辺に、ここは何宗か、と聴いたら笑ってた。イチロー達と待ちあわせている下丸子駅前のコロラドに向かう途中もくまなく寺社仏閣を捜したがみあたらず。簡単にプレゼンの段取りを打ち合わせ、サンドイッチで腹ごしらえ。大須賀社長と足かけ9年、3回連続アウトの話で盛り上がる。大須賀さんは店の女性にボジョレーはない?などとひときわはしゃいでいた。イチローもつい笑みがこぼれる。なんだかプレゼン前に勝ったような気分になっていた。店を出てから気づいたが、コロラドの女性は清楚で知的な美人だった。これは大須賀さんとおれだけが気づいたことだが。打合せ通り先鋒をおれが務めた。小技を用いず、一気呵成に魂をこめて読んだ。直前のユンケルが効いたか、最後まで攻め込めたと思う。続いて大須賀さんがニューヨーク案を、清水さんがオーソドックス案を。イチローの話では、後の二人のときに居眠りが出ていたというから、先陣切って飛ばしておいて正解だった。暖房のせいか室内は30℃はあったと思う。シャツが汗でぐっしょり濡れていた。書き忘れたが、おれはプレゼンでスーツとネクタイ。12年前の三菱電機の役員プレ以来の珍事。大須賀さんもイチローも目を点にしていた。
別れ際、イチローに祝勝会は中華で行こうと声をかけておいた。まず、ぶっちぎりだろう。DとHを相手に30人足らずのイメージサイエンスが、みごと勝ちきれれば、快挙。
ここまできたら、おれも勝ちきりたい。

帰りに渡辺と蓮沼のインディアンに寄り、
このあいだの大森ロケで食べそこなったカレーライスを食べた。数年ぶりだが、相変わらずの不思議なうまさがあった。

午後4時30分過ぎ、24時間続けた願かけの「茶断ち」を解除。晴れ晴れとする。
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いざ、立ちませい。
二時間ごとに目が覚めた。ホットチョコレート、ホットミルク、カルシウム錠剤と試しながら断続的に朝8時までベッドに。8時ジャスト。起きた。神経が昂ぶっているのが手に取るようにわかった。体の周りの空気が電気を帯びたようにぴりぴりしていた。お湯をはり、菩提樹の粉末を散らす。髭を剃り、髪を後ろに撫でつける。オールバックはずいぶん久しぶりのこと。飯を食い熱いコーヒーで完璧に覚醒。見直す。《砂漠緑化》のNGOグループをウエブでチェックし、モンゴル周辺の連中を見つけ参考資料1に追加。さらにエピローグ用に松居慶子の《DeepBlue》をリストアップ。ウエブのアルバム写真と10年間の消息を転記。メモページを2枚加え、表紙込みで21ページの企画書に仕上げた。
いま渡辺が大車輪でセットアップ中。ついでだから久しぶりに濃紺の綿テープで製本を頼んだ。万全。ここまでMARVIN GAYE《what's going on》をエンドレス。1時にイチローと待ちあわせているので、出がけに池上本門寺にでも寄って石段の下から願掛けしていこうと思う。このさい神でも仏でもいい。すがれるものには何でもすがる。きのう大阪を往復してしみじみ感じた。この国は色が貧しいのだ。モノが余って食うに困らず、空虚な豊かさに満ちていながら、どこまでも寒空のような思いが濃すぎる。新幹線のぞみの満員の車内を埋め尽くしたダークスーツの群れは、日経を読む奴隷の群れのようだった。見えない足かせというのがいちばん始末に困る。あの貧しさを共にしながら、どこかに風穴を開けたいと思った。プレゼンの勝ち負けはもうどうでもいいと昨日まで考えていたが、新大阪のホームで夕日を見ながらのぞみを待っているときに、ふと勝ちたくなった。

   《いちばん大切にしている人
   どうしてもやりとげたいと願う仕事
   忘れてしまいたくないすてきな時間
   めくるめくような明日への予感
   あなたという人をめぐりいろどる
   ほとんどすべてのできごと、想い、モノやコトに
   あざやかなカタチを吹き込むための力を
   私たちはイメージング・テクノロジーと呼ぶ》



こいつに日の目を見せたいと、痛烈に思った。で、願をかけた。茶断ちをしたいところだが、べつだん茶を嗜むわけでもないので、いまいちばん欲していることをしたいと感じていることを24時間、断つ、と決めた。で、現在実行中。昨夜から今にかけて、まことに修行僧のような時間の過ごし方を続けている。プレゼンが2時からだから、3時過ぎに終わって、イチローと反省会でもしているうちに4時30分になるだろう。そこでちょうど24時間。乾いて乾いて干からびそうだが、守りきれれば、おれの勝ち。満願成就となるはず。

秋と書いて「とき」。17歳の頃の秋は、今日のように胸が騒ぎ、体が踊りだすような毎日だったことを思い返している。隊列を組ん歩を進めたらで引くことを知らなかった秋があった。9月30日にジ・アースの周囲を白河の提灯祭りの一統が不退転のすり足で進んでいくのを見ながら、あの秋の頃を思いだしていた。


あと一時間で家を出る。
突破あるのみ。勝利あるのみである。



星菫派、陣を払う。
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大阪はいつもかなしい
大阪日帰り出張はひたすら眠かった。
朝9時過ぎの「のぞみ」は満席。全員ビジネスマン。正直、異様。東海道はよく平然と5人並びを続けているなといつもの淡い怒りをのみこむ。さらに車窓の風景は日本でいちばん貧困だなと再確認。こんな風景のこんな日常を苛立ちもせずに受け入れているのだから、この国が終わりかけているのもムリはない、などといささか大げさな感想か。新大阪で予定通り地下三階に直行。特製ネギ焼きを注文。3人いたのだから3種類頼んで仲よく分け合えばよかったと反省しながらたいらげた。ワゴンタクシーを選び千里へ。打合せは正味30分で終了。のんびりとおだやかで暖かな日ざしだったので紅葉を愛でながら万博跡地を散歩した、と書きたいところだが、岡本太郎の《太陽の塔》がいきなり目に飛び込んできて度肝を抜かれ散歩を中断。タクシーに飛び乗り新大阪へ。
しかし岡本太郎の塔、実物をはじめて見たか、なんという醜悪さなのか。
カタチといい使われている下品な色といい、信じがたいオブジェだった。
あんな奇っ怪な悪夢を遺してしまえたことが、横山ノックを知事に選べてしまった大阪の贅六ぶりそのものなのだろう。
新大阪に降りて、新大阪にたどりつくまでのわずか二時間余りで耳にした大阪弁と光景は、毎度のことながら気がめいるものだった。あの路線を《のぞみ》が行き交うというのは、空恐ろしい皮肉としか思えない。神戸屋で買ったパンは乾燥してやけにまずく、柿の葉ずしもうまくなかった。駅の通路に難民の群れが並んでいるのでのぞくと《豚まん》を求める行列だった。大阪はまだ焼け跡やヤミ市の世界を生きているのか。並んで食うかよ豚まん。もともと食い物を並んで食うということ自体が信じがたいのに、豚まんとはな。底しれずである。
月がきれいだと騒ぐ渡辺の声を遠くに聴きながら、おれはひたすら眠って過ごした。
相馬プロデューサーは新大阪に置いてきた。罰である。

明日のプレゼンに備え、今夜は寝てしまおう。渡辺はプリント用にわざわざキャノンの普通紙を仕入れてきた。白くツヤはあるが、インクがにじみやすい。文字を印字するにはいささか上等にすぎるのではないか。すこしそのことが気になった。
ま、彼の律義さをよしとしよう。
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快調に飛ばした。
東京駅地下の資生堂パーラーのウェイトレスは何で笑顔をつくらないのだろうか。
化粧品屋がついでにはじめた食堂で仕事していて、どうしてあんなに小難しい顔しているのか。な。
それはさておき、夕日がよかった。
勢いでキヤノンの仕上げをはじめたら乗ってきて、いままでかかった。
何しろエピローグ前に、エンディングイメージ追加したWエンディング。
けっこうパーフェクトになってきた。感じあり。

PDFにしてイチロー氏に送ったら今日はアウト。明日はのぞみで大阪へ。名古屋を通過していくことになる。停止騒動のたぬきの残り毛でも拾ってやりたいが、
それはまた別の機会としよう。
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タリバンたぬきの思惑
たぬきが新幹線を停めたと新聞に出ていた。異常な衝撃音があったので名古屋駅で調べたところ車体の下にたぬきの黒い毛が付着していたとか。
誰かを西に行かせたくないたぬき集団がいて、そのなかの一頭が決死のタリバンたぬきとして過激な行動に出たのだろうか。
むじなの森でひと夏を過ごした我が身としては、他人事ではない。
仕事に遅刻したビジネス客達は、恋人と待ちあわせに遅れた佳き人たちは、さてどんな言いわけをしたのか。
「あの、無謀なたぬきがですね…」
朝から腹を抱えたよ。

これからオフィスへ。
キヤノンの絵コンテが上がるので企画書の仕上げ。イチローに送ったら、積水ハウス/マキシオのラフ構成。明日の大阪とんぼ返りに備える。明後日はキヤノン本社でプレゼンだ。

嵐の留守に、できるだけ仕事に集中し、余力があればDJのテストバージョンに踏み込んでおきたい。いま浮かんでいるのは[フルMIX]。18日未明に試した月とコスモスが大きなヒントになった。

二時間で千を越える流星雨を体感した疲れか、夜は10時間、熟睡した。心気が澄みわたっている感じがある。
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流星群、やるじゃないの。おかげで昼寝ができそうだ。
デジタルHD-F900の調子が突然おかしくなった。SONYに連絡をとったところ、一斉に故障の連絡が入っているらしく、考えられる原因は獅子座流星群による電磁波の影響らしいとのこと。
そんなわけで現在撮影中断。
撮影部の二人と渡辺とおれの四人が残り、のんびりと連絡待ち。
今日は一睡もしていないのでまことにありがたい休憩となった。

流星群、偉い!
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流星雨、野辺山で体験。魂を奪われた。
流星群、
野辺山の先の峠でゲット。18i日夜10 時、野辺山と須賀川の天候を
最終チェック。野辺山の条件が良さそうなので中央高速に向かうが
工事渋滞で都心を抜けるのに一時間かかった。

野辺山に着く寸前から流れ星が肉眼で見え始めた。

1993年に西表島で毎晩数時間眺めたベルセウス流星群もすごかかったが
獅子座流星群には度肝を抜かれた。流星雨という呼び名通り。
文字通り、「星降る」世界に身を置いた。
二時ごろから二時間あまり、氷点下五℃まで下がった峠で
堪能しつくした。ときにアスファルトに横たわりながら
凍えるような寒さも流星の迫力に溶けた。

自然は、あらゆる想像力の境界線をやすやすと越える。

中央道を暁闇から日の出にかけひた走りロケ現場の大森に
集合時間前に着いた。あの流星群を眺めたあとて
仕事に戻るのはいささか切なくもあるが、
快晴。野辺山に比べればすでに十数度も気温は高い。

土曜、日曜と
まことに胸のすく、記憶に残る時間を過ごせた。
これで、十日は、もつだろう。萎えずにしぼまずに
十日はやりきれなくならずに過ごせるはず。
いざとなったら土曜日につないだビデオもある。
あれは今年の強力ビタミン剤。
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獅子座流星群
今夜は獅子座流星群の夜となる。
細い三日月が出ているが、
星の夜となるだろう。

うまくいけば西表島の流星群以来の
流れ星の大軍を観ることができるかもしれない。
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VR-CD第4弾は最後の楽園 ハバナ、キューバ
VRCDの第4弾はハバナ、キューバ。


    《最後の楽園 ハバナ、キューバ
     キューバはハバナの甘く、気高く、心とろかす音楽と街のざわめき。
     そしてゆるやかな時の流れを…》

昨日、出がけに繰り返し聴いていった。
《場所》の空気感をかぎりなく漂わせつつ音楽がいつのまにか開けた窓からしのびいるようにからんでいく。
いつまでマクドナルドのない国として存続できるのか知らぬが、ま、がんばっていただきたい。

パーティの途中で宮本さんに誘われ博覧会のプロデューサーたちの「解散式」に出た。催事、イベントなどのプロデューサーのほか電通の野口前次長も。この人に2年半前に企画の説明をしたのだなと振り返りながら。それ以前の5年前のスタートの頃のエピソードを聞いた。会には一月に亡くなった吉田プロデューサーのご子息も加えられており、胸にこたえる思いもあり。
いちばん盛り上がったのは例のナイトファンタジア騒動。感じていたことはみなさんまったく一緒だったようだ。あっちでこっちで思いが渦巻いていたとあらためて。
誰が事務局長にあのどんでんを持ち込んだのか、という詮索になった。下を向いて聞きながしながら、夜のみずうみのほとりでうごめいていたいくつものシルエットを思い浮かべていた。
あれは真夏の夜の夢。影だが妖しく記憶にある。

2時間あまり過ごし、別れた。
外に出るとアークの比ビルの脇にライトアップされた東京タワー。
冬の夜の東京ならではの異常なまでのきれいな遠近が狂ったような夜景を眺めあげた。

満たしていた想いが急速に冷却していくのを、
寂しさも哀しみもなく見つめていた。


知事には、あいさつの終わりに「森のひとを広げたいと思うので、そのときはご協力をよろしくお願いします」と申し上げた。「わかりました。協力しますよ」と答えられたが、さてどのあたりまで通ったのか。
いずれにせよ、小粒ながら石ひとつ置いてきた。

これから六本木。
ほんとは今日から封切りの「ムーランルージュ」を観たいのだが、
まずはイメージサイエンスで絵コンテづくり。
川名さんとは前回のキャノン以来か。
トヨタで1勝。キャノンで1敗。
さて3ゲーム目。勝つか負けるか。
川名さんとの相性、今日の仕事しだいで最初の結論となる。
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舵を、切る。
待ちわびた《言葉》がいま、届いた。

  《私たちの夢と希望が確かに存在した場所を
  実現できましたことを 大変うれしく思います》


と、あった。
これで、すべてへの扉が開いた。
サーカス団として、ながいあいだ秘していた、ほんとうに行きたい水路が、いくべき海路が、いま姿を現した気がする。

これからフォーラムに向かう。
その直前に届いたことを僥倖としたい。

舵を、切る。
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パリの売春宿「ボルデル」の音と富山のますのすし。
VRシリーズ第3弾は


   《オー・ボルデル/パリのスーヴニール》
    パリの売春宿「ボルデル」から生まれた音楽と
    空気をお届けします。
    若き鬼才ノエル・アクショテが音楽監督!

とライナーノートに。
まず二曲目の「風が私に歌ってくれた」でぶっ飛んだ。モンマルトルの売春宿の音楽シーンの再現という発想もすごいが、仕上げはさらにスタイリッシュ。

おそめの昼飯は渡辺が西武で買ってきてくれた富山の鱒寿司。いや久しぶりに食ったがシンプルで奥の深いうまさである。
北陸飛び回ってやくざな板前連中相手に贅沢な自慢料理を食わされた後で、よく口直しにこの鱒寿司や柿の葉寿司を買ってホテルで食らっていた。
賢明さんはどうしているか。今井さなえは元気だろうか。

プロローグとパート1をアップ。引き続きパート2。
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VR-CD《ブエノスアイレスの夜》
撮影部推薦のバーチャルCDシリーズ第2弾。

  《ブエノスアイレスの夜》
  タンゴの本場、ブエノスアイレスの下町の
  タンゴ・バーからタンゴの演奏はもちろん
  店の空気もまるごとお届けします。


渡辺が銀座のヤマノと渋谷のHMVで仕入れてきたので、まずタンゴ・バーから聴きだす。
いまのところ《ベンタニータ・デ・アラバル》が渋くしびれる。ヴォーカルはルイス・カルディ。
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船乗りの恋。
シャーウッド/M'axio、プロローグから全面改稿にする。
ORIENT-EXPRESSを聴いているうちに、なんだか少し怪しい気分になってきた。
たとえばコンスタンチノープルの高い尖塔の一角で、はるかな世界を眺めている姫がいる。この姫は楽しいことや面白いことが大好きなのに、外の世界に出してもらうことができない。見かねた乳母がある日、姫に不思議な筒をくれた。その筒を目に当てると、誰も見たことのない、経験したことのない遠い海の彼方の、はるかに時間を越えた場所の出来事を見ることができるのだとか。

乳母は、ある日ふらりと出かけた港で知りあった異国から来た船乗りに身を任せた。
乳母の魅力におぼれた船乗りは、南の島の王様をだまして取り上げた千里眼と呼ばれるふしぎな筒を贈ることにした。
寂しくなったら海の彼方にいる自分の姿をその千里眼で探してもらいたかったのだ。乳母は貧しく船乗りに持っていってもらえるようなものは何もなかった。だから、一生懸命に愛のことばを羊皮紙に書いた。その愛のことばを船乗りがさみしくなったときに読んでくれたらと切ない気持ちでしたためた。そして、姫の城に代々伝わってきた油で煤だらけになった古いランプを持ち出し手紙に添えた。ランプがあれば、嵐の夜にだって愛の手紙を読めて、大好きな船乗りの不安な心を鎮められるかもしれない、そんなふうに思ったから。
ても乳母も船乗りも、そのランプが後に「魔法のランプ」として世を騒がせることになることを、まったく知らなかった。
それはまた別の物語である。


と、いうような背景でプロローグを切り直す。ま、気持ちの問題ではあるが。
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舞城王太郎の「The Childish Darkness」と馳星周の「ダーク・ムーン」
これからオフィス。
明日提出用のシャーウッド構成案。

撮影は19日の大森と22日の大阪が残るのみ。22日はキャノンのプレゼンがあるし、
ファサードだけの予定なので、
ほぼ今日のうちに固めてしまうつもり。

書くのがたのしみというのも、しかしひさしぶりだな。
肩の力がすっかり脱けていることに気づいた。

舞城王太郎の「The Childish Darkness」と馳星周の「ダーク・ムーン」の両方を同時に読みだしたので、しばらくはバッグが重い。
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小泉さんの真相を二年ぶりに聞いた。
死ぬほど眠かった。北関東の晩秋はからっ風であることを忘れていた。予報がずれて快晴。撮影は順調にすすんだ。しかしひたすら眠かった。安堵と達成感というのは、それにしても疲れを引きずりだすのだとあらためて。
積水ハウスの台本、一日のばして明後日にしてもらう。今夜は眠って明日やることにする。

撮影の合間にプリントアウトを読み直す。
一晩たった感想も変わらず。これで、よし。

余韻で「オリエントエキスプレス」をリピートて流していた。同じシリーズに「アルゼンチンのタンゴ酒場」などもあるらしい。明日仕入れることに。

帰りのクルマの中で、志賀さんから東急エージェンシーの小泉さんの死因が癌だったことを知らされる。ずっとノイローゼの末の自殺かと思っていた。まだ30才だった彼女が衰弱しながらと知り、ショックだった。ご家族から見舞いを断られたわけも納得できた。見せたくなかったのだろうと思うとたまらなかった。二年になるか。

一緒に仕事ができることを心から悦んでくれた。あんなにストレートに伝えられたこともなかったな。
聡明でやさしくとてもかわいい人だった。
チョコレートのお礼をする前に入院し、
会えなくなった

牛乳協会、永谷園、ヤクルトと若いのに
立て続けにいい仕事をしていたな。
難物だった牛乳協会の理事長と一年あまりに渡るネゴシエーションぶりは、
女ながらに水際立ったあざやかさで感心させられるばかりだった。


あらためてさようなら。



書き上げることができた、ということに
おめでとうございます、と言われた。
勝つか負けるかは二の次。
納得のいく仕事をできたことを喜ばれた。

そのことをここ数年、
どこかに置き去りにしていたのだな
あらためてそう感じた。
そのことがいちばんの収穫かもしれない。
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ぽちも早起きしただろうか
暗い。眠い。寒い。

よく考えてみれば、ナイトシーン優先になったのにどうしてデイシーンの段取りのまま時間変更がないのか不思議。
何のために彼らは打合せをしたのか。
どうもD2Tは飼い主のいいなり、というのが多すぎるな。
大手というのはどこか覇気がない。

ロシアとアメリカが尻を持ったチームというのはしかし、何だ?
相手は火星人か何かか?

それにしてもアメリカ、武器押し付けて
その武器構えた相手に無差別かけて
仕損じたら 個人を狙っていないと小出しにしたうえ
小競り合いで手柄とられて つくづく見るかげもなし。
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イチロー激賞。うれしかった
イチローから電話。
一瞬、切ってしまおうと考えたが出た。

べた褒めだった。
十年ぶりの傑作だと言われた。
そりゃどーいう意味だと混ぜっ返したかったが、
ま、言わんとするところがわからぬでもない。うれしかった。寿司でもおごってやりたかった。

あのイチローが一発目で、べた褒めである。興奮が携帯を通して伝わってきた。

まだやれるよな、と言ったら
ぜんぜん、文句なしだよ、圧倒的だよ、と。
いつのまにか褒め上手になっていた。

いや、あいつとも長いけど
いちども途中でぶつからずに
いちども急かされずに
提出にたどり着いたのは三菱の第一作以来のこと。
つまり十二年前の秋。
あいつと最初に組んで三菱に勝って以来のことだ。

いや、骨の折れるねちっこいセックスをしたようで、へとへとだ。

ま、「よかったわ」と言われたわけだから
くそして寝よう。

明日は五時に起きて六時発。
熊谷ロケ。夜までに合間みてシャーウッドの台本を書き上げることになる。

復活したというより、
進化した、そんな気分だ。
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カイカン!13日午後6時書き上げた。
ついに書いた。
午後六時ジャストアップ。
取材なしでここまでたどり着ければ文句なし。
特に[オリエントエキスプレス]編については出色の出来だ。書いたのは正味三十分ながら、ゾクゾクさせられながらあふれるイメージに指がついていった。
コンスタンチノーブル中央駅からスタートし、北京、パリ郊外、パリ市内、ブルガリア、ザルツブルグの夜の疾走まで120秒。このシークエンスだけで五千でおさまるかどうか。掛け値なしに使い切ってとんとんというところか。とすればシチュエーション3というのはかなり難しいかもしれない。
なに後はしるものか。

フロリダのキーラーゴ、キーウエスト、ニューヨーク、アムステルダム、ドイツのギーセン、日本、バージニア、イギリス、タイ、ハワイのマウナケア、オーストラリアのグレートバリアリーフ…

スタイリッシュでピュアなストーリーが構築できたと実感あり。

これで失せていた自信を回復できた。
怖いもの、なしである。


勝ったら自分で演出してみたいような気がする。面倒だからやらないけど。


大乗院のご加護、一日おくれて確かに受け取った。
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弱気。
そういえば11日の夜、須賀川の二階堂神社に参ったときに、投げ入れた賽銭が桟に当たって跳ね返った。拾って奉じてきたが、
あれで少しばかりご機嫌をそこねたのかも知れない。すねちゃった。
大乗院はさすがに女だけあり、気位が高いのだ。
ご利益はきっと明日からなのだろうと思い、今夜はさみいので寝ちゃうことにした。

イチロー、すまん。
明日朝には君のデスクに力作が届いているぞ、などと大言壮語して悪かった。
反省しながら寝ますので。

もし反省の状態などをチェックされるなら、
左のメニューにある「Voices」の中にある益子透という名前の部分をクリックしてね。今夜のぼくです。

明日は、ほんとにお届けしますので、
ごめんしてください。


それにしても東北に初雪。
きのう一日だけの小春日和はなんだったのか。
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今夜の残りは[命の別名]の2番で行くぞ。
ノートブックのハードディスクがクラッシュ。やむを得ずデスクトップに移る。
渡辺は秋葉原にハードディスクの換装に。
ついでに20ギガから48ギガに変更を頼む。
ADSLになって、動画を気にせずアップするようになってから少しずつおかしくなっていた。このところひんぱんにノートンで直せないトラブルがあった。構わず使っていたが、本日、さらば。
少し焦ってはいるが、何、さきは見えた。
イチロー氏からはさっきやさしい電話。やはりほんとうの締め切りは週末。まあいい。時間があると言われれば、この高まりを逃すことになる。
PRに堕落しすぎないように[ホワッツ・ゴーイング・オン]から
中島みゆきの[命の別名]に切り替える。
ラストまで、こいつの力を借りて。


   《たやすく涙を流せるならば
    たやすく痛みもわかるだろう
    けれども人には笑顔のままで
    泣いてるときもある
    石よ樹よ水よ 僕よりも
    誰も傷つけぬものたちよ
    繰り返すあやまちを照らす 灯をかざせ
    君にも僕にも すべての人にも
    命に付く名前を「心」と呼ぶ
    名もなき君にも 名もなき僕にも》


ここで線を引いておければ、後退しても高が知れている。照れるが、これで走ろう。
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ひよどり越。駆け降りるのみである。
自宅に十本を越える電話の記録。



雨。オフィス。
さて、一気に飛ばす。
予定時間6時間。
二つのシチュエーションとファーストシチュエーションの受け。エピローグの映像部分。

気力充分。イマジネーション満杯。
あとはただ放出しつくすだけ。精を放つのみ。
ひたすら突破あるのみである。


イチロー待ってろ。
快心の笑顔にさせてやるから。
めくるめくような感動を味あわせてやるから。
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夢の跡のポチとお伽の宿とうなぎと神社と。さらば須賀川
昨年11月10日のメーリングに
「演出部は昼過ぎに大松明が出立する二階堂神社に明日の晴天を祈願」と書いた。

それから丸一年後の11月10日が今年の松明あかし。
11日、会津若松の《杏》から韋駄天走りで、全山紅葉の磐梯山を目の端にとらえつつ須賀川に戻った。夕日の博覧会跡を一望し、ジ・アースの跡地に立つ。あとかたもなし。金色の飛行機雲と沈みかけた夕日。夏の間、毎日のように見た場所よりもずいぶんと左に沈んでいく。晩秋。集いのみずうみは無残な戦災の地のようだった。ゴンドラを支えた鉄塔が寂しいシルエットとなっている、むじなの森。いちばんよく過ごしたけやきのあったあたりで会津若松の絵ロウソクに火をともす。「はかない夢と情熱が確かに存在した場所」の一節が引用された手紙二枚を、その炎にかざして灰にした。その灰をみずうみのほとりの土くれに戻した。森のひとの灰とともに、ジ・アース館の記録である外伝2《儚》について記載した文章がむじなの森の土に還った。
見届けたのは演出部と山田さんをはじめ施工スタッフにかわいがられていたという白い雑種の犬と夕日。この犬の名は《ポチ》と名付けた。
ポチと残照と黒い森と灰を残し、森を去る。気温2℃。
かじかんだ体に暖をとるために《お伽話の宿/米屋》に向かう。温泉に入らせてもらい、コーヒーをご馳走してもらう。
須賀川市内に移り、うなぎ屋に。土瓶蒸しで腹をあたため、刺し身と牡蛎フライを腹におさめてから、うな重にとりかかる。
これはじつにうまい蒲焼きだった。
座敷に寝転がって座布団枕に閉店まで粘り、外へ。
すぐ近くの二階堂神社に寄る。
参詣。二本の大木が相変わらずみごとだった。深い感謝と、ぶじに終了した礼を捧げた。
巨木に身を寄せ、愛をこめて、キス。
須賀川に、別れを告げる。

帰京。須賀川から東京まで2時間。
これまでの最短記録。

10日夕から11日深夜までの30時間。
これからを生きていくエネルギーを細胞のすみずみにしみ込ませる時間となった。
この晩秋の色彩ゆたかな二日間を、おれはきっと生涯忘れないだろう。


雨。闇。炎。夜露。たぬき。洪水。なでしこ。紅葉。磐越道。末廣の杏。夕日。ポチ。跡地。絵ロウソク。灰。漁火。暗夜。星。まつたけ。夜の巨木。疾走。
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2000.11.10の[the-earth:00119] その前夜
昨年11月10日金曜日/松明あかし前日に前乗りしたときに現地から東京宛に出したメーリングを記憶のために転載

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Date: Fri 10 Nov 2000 17:04:25
To: 水の惑星 miraite2@mail.pref.fukushima.jp>
From: 益子透
Subject: [the-earth:00119] その前夜

《屈服はいたしませぬ》
ここは奥州みちのく。
とある小さな小高い山に、突如立ちのぼる真っ赤な火の手。
火はたちまち燃え広がり、山全体が炎の海と化す。
やがて、魔物のような火の化身は晩秋の夜空を焦がし始める。
折しも、詰めかけた多くの群衆からは感嘆のどよめきがわき起こり、
と同時に割れるような拍手があたり一面にこだまする。
遠くから聞こえ来る哀愁をおびた太鼓の音色。
あまり例を見ないこの催しものの正体こそ、
日本三大火祭りのひとつ、福島県須賀川市に伝わる伝統行事
『松明あかし』なのである。
この奇祭の歴史が四百余年にも及ぶと知るとき、
何故にかくも長い年月を経ながら、今なお現存しうるのか、
そして松明あかしの原点とは何なのかという疑問がわいてくる。
落城の憂き目をみた須賀川二階堂氏の苦難を忍び、
時の犠牲者の霊を弔うために挙げられる『のろし』。
それが松明あかしなのだ、と聞いたところで、ではなぜ、
気の遠くなるような年月を『火』を絶やさずに来れたのか、
松明あかしの存続を可能にしているものは一体なんなのだろうという
更なる疑問がわいてくる。
伊達政宗の手にかかり、須賀川・二階堂氏が滅亡したのは今から
約四百年前の天正十七年(1589)十月二十六日のことである。
伊達方一万の軍勢に対し、二階堂軍勢二千五百で応戦するという、
『負け』を覚悟しての戦いであった。
にもかかわらず我が身を捨てて善戦。一時は優位にたったものの、
反撃むなしく敗れ去った。
『最後の戦い』との思いから、死闘を繰り広げた二階堂勢の戦いぶりは、
敵の大将・政宗を唸らせたという。
二階堂氏の結束の堅さ、そして時の女城主・大乗院に対する忠誠心に、
ひとかけらの偽りもなかったという所以であろうか」
         -『松明あかし』国分ヒサ著/歴史春秋社刊-

暮れなずむ須賀川の空を目の前にこのレポートを書いています。
ちょっと長かったけど須賀川市内の本屋で買った「松明あかし」の序文から。
現在十日午後四時。照明部、ライトのテスト準備中。
数十本並べられた松明の前で地元須賀川高校の応援部諸君が
明日に備えて声を張り上げてます。
その松明の彼方に秋の夕日が沈もうとしています。
町にも会場にも、明日の松明あかしへの期待が高まっているように感じます。
天下の伊達政宗に弓をひき、女だてらに一歩もひかなかった大乗院の心意気
「屈服は致しませぬ」にあやかって、明日の二十世紀最後の松明あかしが
みごとに須賀川の夜空を染めあげ、新世紀の迎え火となることを願いつつ。

P.S
演出部は昼過ぎに大松明が出立する二階堂神社に明日の晴天を祈願。
実行委員の経営する酒屋に立ちより「松明あかし」の絵馬十枚、
スタッフ差入れ用・特製地酒「松明あかし」などを入手。
これらの前準備の写真はのちほどWEBページにアップします。

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10日夜七時。須賀川が燃えた。
10日夕、思い立ち、須賀川に急行。
郡山で東北線に乗り換え須賀川に。会場までのシャトルバスに飛び乗って五老山へ。人の波に混じって進む途中の夜店で腹ごしらえ用に焼き肉を買っているときにジ・アースのアテンダント3人とばったり。挨拶もそこそこに松明あかしの丘に急ぐ。燃えていた。人をかきわけ、丘に上がる。去年の撮影地点よりやや高め正面からの焔の群れは壮観。丘を下り、最前列に。須賀川二中の応援団のそばに陣取り火の粉を浴びながら見入った。見入られた。魂を奪われるような、引きずり込まれるような圧倒的な焔。燃え落ちた松明の名残が地上で火の海をつくりだし、じっと立っていられないほど高ぶった。松明太鼓がさらに狂騒をかきたて、日本のどこにも見ることのない静謐でありながら激烈な勇猛さを秘めた奇祭が深まっていく。目の前の光景に比べれば、去年撮った映像など屁のようなもの。制約があったとはいえ、あのポジションからは、この松明あかしの秘めた本質は望むべくもなかった。たとえどんなに巨大なスクリーンだろうと3Dだろうと、あれはローポジに据えるべきだった。松明あかしの本質は、地に立って、あるいは跪いて、あるいはひれ伏して慟哭とともに、炎上する城を見上げる、それ以外にはありえない。そのことを思い知らされた。

新しく知らされたことがある。
体制に秘して、松明あかしをつづけるために、考え出した名分は「むじな狩り」だったとか。
たとえばこう考えてみる。
須賀川の民衆が智慧を絞って編み出した「むじな狩り」に名を借りた怨念はらしの奇祭「松明あかし」を成立させるために、狩りだされたことになった「むじな達」は、大挙してジ・アースのあったあたりの森に逃げていったというまことしやかな物語が付け加えられる必要があった。
それが「むじなの森」という地名で残った。

こんなふうに夢想してみた。
ジ・アースの屋上に掲げた幻の戦旗「屈服は致しませぬ」の由緒は、まことに正しいものだったのだと、思った。
2001年11月10日土曜日五老山の夜、大地は確かに燃えていた。
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エンディングメッセージ
    エピローグのコメントをこんなふうに想定してみる。
    トーンをこう決めれば、途中のナレーションのスタイルも見えるはず。


『たとえば
それはあなたがいちばん大切にしている人かもしれない。
どうしてもやりとげたいと願う仕事かもしれない。
忘れてしまいたくないすてきな思い出なのかもしれない。

過ぎていく時間。
真只中で夢中になる《いまこの瞬間》。
めくるめくような明日の予感。

あなたという人をめぐり、あなたという人をいろどる
ほとんどすべてのできごと、想い、モノやコトに
あざやかなカタチを吹き込むための力を
わたしたちはイメージング・テクノロジーと呼んでいます。


その先の明日を、あなたとともに…

わたしたちは、キャノンです』
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たぶん勝つだろう。
これから、秋の景色を求めて北へロケハンに。
ことしはじめてコートに袖を通した。
モロッコ風のターバン代わりのマフラーも用意。

一晩寝かせて読み返してみたが、キャノンは、いいものが書けつつあると思う。
120秒の一枚のシノプシスにこめたニュアンスをどの程度、すくい取ってもらえるかが、勝負か。脚本段階に持ち込めれば文句なしだが、シナハンに世界漫遊しつつ2カ月はかかることになる。中途半端な構成案のスタイルに持ち込まずペラ勝負をかけてみる。
あとは続きの2つのシチュエーションのパズルを埋めることと、コピーワークにかかっている。
この2つを、今日明日の紅葉ロケハンの間に、つかめたらと思う。

三度挑んで三度負けた。
勝つと壮語したが、そのとば口は見えた。気がする。
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なんとか
行けるところまで行けたのではないか。
あとは一日寝かせて、続きを書けばいい。
思ったよりも清潔でスタイリッシュな構成になったように感じる。
いやなりそうに、か。
《ねらい》と《スタイル》も書いたから、あとはその1の受け、その2と3、エピローグを、このスタイルで続ければいいだけ。
リンケージと因果だけ切り直せば正味一日で充分。月曜仕上で渡せるだろう。

ほっとした。
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「女仕入れてきます」と彼は言った。
オフィスに来たら、渡辺が待ちかまえていて、「カスバの女」仕入れてきます。といきなり。しかしひげ面の男二人が寝ぼけた顔で朝っぱらから「女仕入れてきます」は不穏。砂漠の夜盗じゃあるまいし。
いきりたつ渡辺をなだめ、落ち着かさせる。出走直前の競走馬状態で、狭いオフィスに二人きりだと息が詰まるから、コーヒーと牛乳でも買ってきてくれよと追い出した。走って出ていったようだが、コンビニに駆け込んで「モロッコの牛乳ねえか」などとすごんでこなけりゃいいのだが。

雨。湿度もまあまあ。
さてこれから一気に、行けるところまで行ってみる。

おっしょい!
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日出ずる国からマグレブへ曼荼羅がゆく。
モロッコ、アルジェリア、チュニジアの三国をまとめて陽の没する大地、西方=マグレブと言うらしい。日出ずる国からマグレブへ、シルクロードを遡っておれの《曼荼羅》が旅をする。
気持ち良く目が覚めるはずだな。朝8時、起きた。
本日のオフィスは朝から《カサプランカ》や《チュニジアの夜》をかけまくることになるのか。
シチュエーションのどこかをサハラあたりにするか。《ラリーとキャラバンサライとナショナルトラストボランティアチーム》がマグレブのどこかで交差=世界三極体制の暗喩にもなっている、というのはどうか。
これだと昨日までのは反故。
いいじゃねえか。どうせ袋小路でバタバタしていた。
捨てちまえ。
ゼロから書く。
プロローグは日没のマグレブの何処か。

台本の体裁をやめ、
スタイリッシュなシノプシスとと、含みを残す。
これなら夜までに旅は終わる。

むじなの森から、マグレブの地へ。
森のひとから砂漠の民へ。

まずは熱い風呂。
それからポンパドールに寄って8時に焼き上がった熱いバケットを1本。カフェオレ用のミルクも買えば、貧しく質素な仏領時代のカサブランカ気分。
こりゃいいぞ。
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いきなりモロッコ。
モロッコである。
トヨタ博物館の《映像曼荼羅》がモロッコで再生の引きあいがあるとさっき知らせが。

どうにも総敗北か、と鬱々していたが、
いきなりの朗報じやねえか。
モロッコと言えば、地の果てである。
カスバの女である。
歌詞は度忘れしたが、たしか
  《どうせカスバの夜に咲く》
とかいうあのカスバである。

頭にターバン巻いて水パイプ吸いながら
どろりと濃く甘いコーヒー。

たまらんな。
さっきまでの鬱陶しさはこれで雲散・霧消した。

須賀川のむじなの森の感傷から一気にモロッコ。こんな憂さばらしのどんでんがあるとは、夢にも思わなかった。

《カスバの女》は賢明さんが好きな歌。
フランス経由でカスバで暮らしている晴美とも再会できるだろうか。

まさかこんな話が舞い込むとは。深夜のメールも捨てたもんじゃない。

《映像曼荼羅》評判がいいとは聞いたが、
この展開は読めなかった。
二日間のマンガ騒動、これでチャラにする。
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夢の形見
Voicesに《夢の形見》のタイトルでアップ。
送られた部品をキャプチャーしたものに、その部品が配置されていたことがわかるテントの光景を追加。
声はないが、語るべきものも多かろうと考え、Voicesに載せた。

化粧品、中止と決定と連絡あり。
朝から届けられたテープを渡辺が整理していた時間もムダになった。
なんといおうか、最後はマンガになってしまったな。
ま、ムリもない。

立冬の日の珍事ということで、一件落着とする。

何より《部品》の到来が、あったじゃねえか。
それにしても昨日の夕方、出がけにBBSのタイトルを《きゃははは》にチェンジしておいたのは、けものの直感だった。
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SARAH BRIGHTMAN《EDEN》とジ・アースの部品。
釈然としないままに朝食をすませオフィスに。渡辺が青柳さんから大きなパッケージが届いてます、と「那須連峰の天然水」とプリントされた中型の段ボールを見せる。持ってみるとかなり重い。アンちゃんはなんだって天然水など送ってくれたのだろう、いくらおれが「水」の演出家だとはいえ、何も飲み水くれなくても、それにおれはヴオルビックの方が好きなのに、などといぶかしがりながら開いてみると、新聞紙でくるまれた大きな金具?のようなものが出てきた。添えられた手書きのメモを読んだら
「技術屋はこんなものに欲情してしまうのです。もらってやって下さい。ジ・アースのテント(透明部部)の支持材です。(図解があって)この為の特注品です。体力が落ちたと思ったらバーベルにちょうど良いかと思い。 それじゃ アオヤギ」
とあった。

当オフィスには考えてみたら記念の品も飾りもない。あるのは反古寸前の本だけである。映像屋と称しているのに映像関係のものはほとんどない。家庭用の陳腐なマックとテレビがあるだけである。
青柳さんが夢の跡から回収してくれたこの支持材だったという不思議な形状の部品を、当オフィス開設いらいはじめてのオブジェとして飾ることに決めた。

映像を引き受け、いつかその映像からはなれ、夏の間、心を奪われつづけることになった、あのジ・アース館そのものを支えた核心のひとつ。それがいま目の前にある。
嬉しいじゃねえか。モノに淫することはないのだとずっと自分をとらえていたが、今日から豹変。おれの生涯のコレクションとしよう。

この部品は声をもたぬ。が、撮影してそのあで姿をVoicesに載せよう。
初夏から晩夏、初秋とむじなの森の風と光と嵐と夕日と月と蝉しぐれとカエルの合唱と鈴虫の声をたっぷりと孕んで、海原をゆく帆船のようなたたずまいで、記憶にロックされた我がジ・アースは、こんな金具?で守られていたのだ。
すべてのスタッフたちに、このことを知ってもらいたい。66万人の観客は、この金具で結ばれた巨大な帆布の下で悲鳴をあげ歓声をあげていたことを。

いや、アンちゃん、痛み入ります。
何よりの褒美をもらった気がしている。

午後の企画、これでうまくいけるだろう。


音楽は
SARAH BRIGHTMAN《EDEN》で、今日は突っ走る。あとかたもなくなったはずの我らが《EDEN》の形見の品が届いたので。
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化学変化
気がついたら9時間、眠っていたことになる。一度のどが乾いて目が覚めたが水を飲んでベッドへ戻ったら、そこから5時間たっていた。
いつもだと必ずと言っていいほどタバコに火をつけマックをONにする。薄暗がりのままディスプレイの明りでメールをチェックしたりして眠れなくなっていた。深夜のディスプレイだけのライティングは捨てがたい風情で、ほんのりした窓の明りと組み合わさるときれいだなと見とれることがあったから。ここ数ヶ月で昨夜のようなパターンはたぶんはじめてのこと。それだけ眠かったのか、何かが途切れた思いになっていたのかわからぬが。

昨日の午後から今朝にかけて、自分の内部で何か化学変化が生じたような気分が濃い。この感覚がどこから来たものなのかを探る気にはなれないが、眠る前、深夜、そして目覚めたいまと続いているのをみると、受け入れるしかないな、と思う。

肩の力がすっと脱けている。
きょうのキャノンにどんな影響があるか見当もつかないが、朝食をすませてオフィスに行ったら、無心で取り組めそうな気はしている。

むなしくはあるが、これも考えてみたら芸者稼業の常。せめてうつくしきことつくして、花道で見得を切りたい。なべてこの世は、あそびじゃねえか。
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誤差感度
長岡が加わったF900を使ったドラマのオンエアを観た。同時間帯のドラマ、BS、スカパーなどをザッピングしながら比較。キレの良さ、ディティルの描写力の高さを確認。とりわけ自然絡み、オープンはよかった。ただ白い部分の扱いが難しいなと感じた。さらにデジタルHDは一昔前のアナログHDと比べてライトを拾いすぎる傾向が強いようだ。積水ハウスの撮影でも痛感したが、ディティル描写が密な分だけ、ライトはもっと控えたほうがよいのではないか。
いろいろ参考になった。

それにしても、必要だと思ったときになぜこうもスレ違うのだろう。どこかで本質的にズレていることに蓋をしてしまっているということか。温もりの誤差に、とまどいがふえるばかりだ。このあたりあるいは決定的なことになるのかもしれない。

横江の感想によると、北方は少年ジャンプの原作程度の作家だと。それに異論はないのだが、水滸伝の鬼気迫る取り組みぶりは、読まずに過去の記憶だけで論じると火傷すると思う。小説家が化けることがあることを、まさか北方あたりで知ることになるとはおれも思わなかったが。どこにあんなパトスが秘められていたのか、信じがたいほどだ。
大場さんからは、宮部の後半を読むに耐えずに放棄したと感想。彼はたしか宮部ファンだったからその気分はよくわかった。おれは宮部は嫌いである。どこかで女であることに寄りかかったぬるさがうっとうしかった。でも誘拐犯で見せた執拗なまでの物語ることへの意志は、そうしたくびきを越えている。それが驚きだった。

どうもあちこちで、誤差感度が大きくなっているようだ。そのことがとてもおもしろい。

携帯を持っていないことに気づいた。オフィスに置き忘れたようだ。忘れてきたことも、そのこと自体を忘れていたことも、なんだか不思議な気がする。つるべ落としの秋の夕暮れ、ということか。

寝不足か。気に病むことに飽きたのか。
もうなりゆきまかせでいい。
明日は明日の風が吹く、と言うじゃねえか。

書けようと書けまいと、どっちでもいい。
さすがに、あっちもこっちもうっとうしさが募ってきた。
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膝折り頭を下げた夜。
赤恥をかいた。

笑ってしまうほかにないとは思う。
笑ってはおくが、おれはあんな思いで中断せざるをえなかったのは初体験。
ばつが悪いといえばいいのか、
鳩が豆鉄砲とでもいうのか。見たこともないが。
さすがに強引に最後まで説明を続ける気にはなれず、頭をテーブルにつけるようにして下げた。
涙がこぼれるかと思った。
仕事の上で膝を屈したことは、一度もなかった。
心から頭を下げて詫びたこともなかった。
今夜、その二つをいきなり体験。

原稿はゼロ。
玉砕ではなくプレゼンは空中分解。


どこかで気分を転換できないと
こりゃ総敗北しそうだ。


今夜は、
お手上げである。
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キーラーゴ
絵コンテの打合せは30分ほどであっさり終了。3時までに仕上げてバイク便で送ると言って帰っていった。20カットあったけど、よくあんな引き受けかたができるものだな。他人事ながら感心。

昼飯は渡辺にシューマイ弁当を買ってきてもらった。
つまらない電話が一本。声というのは結構、尾を引くものだ。そのうんざりした気分を消すのに1時間あまり渡辺を相手に雑談。こちらからかけた電話だっただけに悔やむ。こんなとき用に、誰かに弾んだ声でおしゃべりをさせておいて、そいつを流すというのはどうか。
前に何かで騒音を軽減させるために別なノイズをぶつける、というのを聞いたことがある。さらに気分のいいノイズならなおいいだろうと思う。なまじ音楽をかけても効果はないようなので。

シチュエーション1の場所を[キーウェスト]ではなく[キーラーゴ]に変更。これでいくらかは乗っていけるか。さらに通しでナレーションは入れずに、3つのシチュエーションの節目に短く結語としてはどうか、と。

さて、どうなることか。
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二日間、悔いを離れる。
am6:45目が覚めた。
顔を洗い、コーヒーを淹れる。
窓を開ける。寒いが凛とした空気と光。
向かいのビルの間から太陽が昇りはじめている。

  「日の光は智慧を生む」と教えてくれた人がいた。

けさは15分、その朝の日を浴びた。外気は10℃を切っているのでちと寒くはあるが。
なに覚めた目がだんだんに脳を醒ましていくのがわかる。

書いてみようと思えた。
仕事ではなく、曲折がありながら十年を共にした、
イチローとの決算のつもりで書こうと思う。
探しあぐねていた《突破口》。
それが、イチローとの《関係の時間》だと考えれば、
弓ひきしぼり、太刀を振り回してみるのも悪くない。
一ヶ月前にこの境地を見つけていたら。

きのうの午後の電話の声の途方に暮れた気配だけを鞭として、二日間、悔いを離れてみよう。
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熊谷、紅葉。
一時間の遅刻ですんだ。
ひととおりロケハンしてからファミレスでコーヒーを飲み、関越道を目指す。
雨は上がったかみょうに蒸し暑い。

熊谷で降りると、道路脇の雑木林がすっかり色づき、落葉も目立った。
わずかな温度差で、秋が盛りである。

眠くはあるが、いい気分転換にはなっている。昼飯は何を食べるか。熊谷は何がうまいのか。制作部のセンスが問われるな。
このあいだの四食つづいたロケ弁当のまずさには腹が立ったので、今日は妥協いたしませぬ。

すっかり行楽気分だ。


幕張に行ってモーターショーでものぞいてくるのもいいな。
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小学生もどき
熊谷で気の晴れる空間を見た直後に、イチロー氏に捕まった。先手をとられておれの負け。明日と明後日の二日間で全力投入することにした。
あのイチローがどういうわけだか一ヶ月半の間、一度も催促をしてこなかった。前は一日に二度も三度も愚痴をたっぷりこめた催促をしてきた男がだ。
そのことに気づいたら、とぼけきれなかった。可能性ぎりぎりのところまで、踏んばってみようと決意。
今夜は早寝して、明日早朝から…

なんだか小学生みたいだけど。
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気の晴れる家。
というキーワードを隠しテーマとしていたが、今日の熊谷ロケハンでストーブのある吹き抜け空間を目にした瞬間、これだ、と思った。この空間が現実に撮れれば、明るさを追った方南町がより引き立ってくることを確認できた。
1枚のモノクロ写真を見たときに感じたイメージをはるかに越えていた。
1日が終わって家路をたどり、ドアを開けて疲れたため息を三つほど吐いて、足がふくらんで朝の1.5倍になった靴を腰をかがめて引きはがし、またため息をついてリビングに折れる。その目の前にあの空間が広がる。
ストーブの脇の床には愛犬が眠りこけている。その隣にはお気に入りのシンプルなイス。焔。カバンを持ったままキッチンに向かい、冷蔵庫からよく冷えた缶ビールを取り出す。上着はまだつけたままだ。リビングに戻る。カバンを床に。缶ビールを眠り込んでいた愛犬の額にそっとあてる。目を覚ましじゃれついてくる愛犬を見ながら、上着を脱ぎネクタイをゆるめる。シャツの袖をまくってイスに腰をおろす。缶ビールのフタを開ける。目を閉じて、飲み干す。
あーっと息を吐くと、目を開き、真っすぐにのびた煙突にそって顔を上げる。
夜9時。見上げた吹き抜けの天井に彼が見るのは、果たして何か。
青空。真っ青な空に真っ白な夏雲が湧いている。
気の晴れる家、のひとつの典型だと思った。大森の《アジアンリゾート》を意識したような和のしつらえもおもしろい。
シャーウッド、一皮むけた世界にいけそうだ。

満足である。
しかし、ねむい。
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中央高速0UT
30分寝すぎた。高速、予定通りの渋滞。
雨足、強い。一車線で国立まで、現在幡ヶ谷。こりゃ下に降りるしかないな。
頭かくとは言っても、はたしてどのくらいの遅刻でたどりつけるか。一時間か二時間か。

ダイヤモンドバックスの優勝。アメリカ的でいいじゃない。ヤンキースとか巨人とか、もう消滅しちゃうといいと思う。スポーツの世界に伝統とか歴史という感覚はまったく似合わない。そぐわない。スポーツの本質は《ひたすら現在的であること》以外にない。
記録は歴史とも伝統とも無縁である。
それにしても原が監督になって、松井はなぜ居残れるのか。不満の塊、仁志はどうして移籍しないのか。清原はFAしないでどこに男気があったのか。
今年は春からどこか見苦しくうっとうしい印象が濃かったが、つくづくくだらない球団なのだと思う。
日本はしかしサッカーも野球もほんとうに似合わない国なのだと思う。個人を確立できない文化がチームスポーツなど楽しめるはずがないことに、気づくべきだ。

渋滞用に三ヶ月ぶりで買ったスポーツ新聞を眺めながらにそう思った。
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宝島「このミス」2001版のベスト6
宝島の「このミス」のアンケートを送る。
今年はほとんど読んだ記憶が残らなかったが、振り返ってチェックするとそれなりになっていた。
雨。二時間は眠れるか。

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●2001年ベスト6[海外篇]

    
1「ザ・スタンド」スティーブン・キング 文藝春秋
2「パイロットの妻」アニータ・ジュリーヴ 新潮社
3「不眠症」スティーブン・キング 文藝春秋
4「アメリカン・デス・トラップ」ジェイムズ・エルロイ 文藝春秋
5「9ミリの挽歌」ロブ・ライアン 文藝春秋
6「泣きたい気分」アンナ・ガヴァルダ 新潮社
 
コメント  
待ちくたびれていただけに時間をかけて愉しんだ。
さらに「不眠症」と、キング圧倒。
「パイロットの妻」のような小説がベストセラーの
トップに来るアメリカがなぜあれほど底抜けに
単純な反応をしてしまえるのか、
あるいはエルロイを読み続けられる国民が、とも思う。
「泣きたい気分」いくつかの短編に舌をまく。
こういうのをひさしぶりに味わった。

               

●2001年ベスト6[国内篇]

     
1「水滸伝」北方謙三 集英社
2「模倣犯」宮部みゆき 小学館
3「二人のガスコン」佐藤賢一 新潮社  
4「邪魔」奥田英朗 講談社
5「波の上の魔術師」石田衣良 文芸春秋
6「煙か土か食い物」舞城王太郎 講談社

コメント   
北方がほんとうに描きたかったのはこの「志」だけで
突っ走る世界だったのではないか。
この一冊をモノにするためだけに過去があった
とも感じさせられるスゴミあり。
水滸伝をこんな角度で再構築した作家を知らない。
未完ながら畢竟の大作。
宮部の物語ることへの、執拗なまでの真摯さにも驚いた。
ベテランが一皮むいて勝負に出た新世紀、そんな感じあり。
国内の強さが目立った一年。
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六分の侠気に四分の熱。
麻布の打合せの後、立ち食いそばが食べたくなり六本木へ。麻布警察隣の立ち食い屋に。そばにコロッケとちくわとかき揚げを乗せてもらい昼飯にした。それから“れいの”に。ブラジルのオールドコーヒーを二杯。通りに面したいつもの席に座り、大きな窓から道行く人を眺めて小一時間。暮れかけた六本木通りを苛立ちもなく眺めることができた。二ヶ月前は、この喧騒に耐え難い思いが濃かった。

オフィスに戻る途中で連絡が一件。
財閥系が万人単位のリストラ敢行した上にボーダー取っ払って手を結んでも生き延びようとしているご時世に、千人程度の企業が会社ごっこやっていてとうするのか、と思う。
先頭で斬り結ぶ者のリアリティを、その汗と涙を、大本営はいつの時代も認識することはないのだ。あたりまえだろうと言われればそれまでだが、遠い話だなとは思う。
耳に入れたくはなかった。

バロン吉本が柔侠伝で《覚有情》と背中に彫らせたのは、さてどんな意味であったのか。すべてが退嬰的になっていたあの時代に向けて放たれた三文字だが、この真っ白な暗闇にこそにつかわしい。

感傷でいいじゃねえか。
センチメンタルでもいいじゃねえか。
六分の侠気に四分の熱。
それでいいじゃねえか。

さて、これから知事へのお便りを一通と、
締め切りすぎたらしい宝島のベスト6の回答を書く。
明日は五時過ぎに起きてロケハンだ。
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日と月のこと
夕べ、幕張で海風に吹かれて短い時間、月を見ていたのがたたったか。のどが痛い。
これから、アームズ。麻布に打ちあわせで顔を出すのはひさしぶり。
帰りに、れいのにでも寄ってみるか。
イチローと鉢合わせを避けつつ。


「日の光が教えてくれるものは生きて行く事の智慧
月の光が与えてくれるものは人を愛する智慧。」

太陽と月についての話を書いてくれた人がいた。
ちょっと沁みた。もうすこし聞いてみたい気もするが、これ以上の戦線拡大は手に余る。

秋はものうい。
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BRUCE SPRINGSTEENの《1975-85》とDEEP FORESTの午後
しかし、中継ごっこなどしているのなら、渡辺につきあって須賀川に行けば良かった。まったくなあ。
あっちもこっちも上天気だったというが、オフィスの中はあいもかわらず。
仕事をするつもりでオフィスに着いて《C》の資料を全部家に忘れてきたことに気づく。一人だから出るのが面倒なので籠城用にコンビニで何を買い込むかなどと考えているうちに肝心の資料の入った紙袋を持たずに出たようだ。
取りに戻る気にもなれず、須賀川の風景を思い浮かべながら、
BRUCE SPRINGSTEENの《1975-85》の3枚組CDを夕方までかけて聴く。
その間に、やけにはずんだ声の渡辺から電話があり、疑似中継のサテライト役をやらされた。

ワタシは途方に暮れながらDEEP FORESTを聴くことにする。せめて音の中で森に遊ぶぞ。
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むじなの森の「ニア」LIVE中継成功。
ほぼリアルタイムでアップロードをテスト。
須賀川の跡地にいる渡辺が山田さんのインタビューをジ・アース館跡地前で撮ったものと、会場の360℃パンをidiskに放り込んで数分後に東京のオフィスでホームページにアップ。キャプションをつけて須賀川に連絡。渡辺は現地でそれをibookで確認。

ほとんどLIVEだ。
この方法は即ロケ現場で使える。
PHSとノートブックとDVCだけでチェックでき、さらに追加で撮って欲しいものを複数の場所で同時に確認しながら注文を出せる。コストは電話代のみ。つまり数十円。

この映像は左のメニューのVoicesをクリックすると[山田健三][その夢の場所]というタイトルで見ることができる。
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笑うしかない、秋の昼。
渡辺から荒川沿いを走っていると電話があったのが1時間ほど前。
雨上がりのきれいな光だから東北道も快適だろう。
ほとんど何もなくなった須賀川を秋のやわらかい光が満たしている。
そういう光景を見るには絶好の日だったと思う。

起きてはみた。天気も上々。
さてとりかかろうと思った。
音楽をつけた。
そこに渡辺からの電話。
苦い笑いがこぼれる。

書きたくもないものを目の前にして
行きたい場所が彼方にあって
そこは光におい満ちているという。

まずい日曜だよなあ。

東京駅に向かって郡山まで行って
東北本線で須賀川までトコトコ揺られて
あの9月29日の午後のように須賀川の駅に降りる。

いろいろな出来事の重なった日だった。
初秋の午後の光が野や水田にあふれ、
コスモスとススキが線路ぎわをいろどっていた。

あの日のことをまだメモにしていないことに気づく。忘れてしまわないうちに、
あのおだやかで信じられないほど静かな時間として過ぎた夕暮れまでを記録していない。
というよりもたった今まで忘れていた。

前の座席で文庫本を読んでいた中年の男性。
左右の窓を過ぎていく、黄金色の風景。
午後の太陽と秋空。
弛緩した地方のローカル線の空気。
ひなびた路線沿いの駅。
まだ石炭が落ちていてもおかしくないような、東北の田舎の鉄道の沿線。
須賀川からのタクシーからながめたむじなの森。
夕焼け。西に沈む夕日と東に顔を出した十三夜の月。
その月を背に行き来する宙のゴンドラのシルエット。
あの夜の動揺した思いと合わせ鏡のように存在した美しい時間。それを忘れていた。
なぜ苦しい時間を記憶して、
何でもない幸福な時間がそこにあったことを忘れてしまってたのか。

いい天気ですよ、という渡辺の電波のせいで少し聞き取りにくい声を耳にして、
一気に甦った一月前の時間。

むじなの森に行きたいと、痛切に思う。
たとえ秋の感傷だとしても。
今日はその感傷の中だけで生きていたい、そんな気分がある。

こりゃ、書けねえな《C》。

9年間で3回、コンペに負けたという意味は
こういうことなんだよな。
プロローグどまり。
笑うしかない、秋の昼。


誤算ではなく、これが正解。
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会いたい人に会えない夜。氷雨がこたえる。
むじなの森の山田将軍と約四ヶ月ぶりに話した。六月の末に九州に向ったときに別れて以来だ。
ワタナベが明日、むじなの森に山田さんのインタビューを録りに行くために、確認の電話をした。
あいかわらず温かみのあるやさしい声音と話し方だった。ああいう人は、根っこが強い。川端の柳のような男なのだ。
ああ、なんだかおれも行きたくなった。
くだらねえ、拉致もねえ《C》の原稿なぞにとっつかまっていなければ、白河越えて行くものを。
声というのは凄いな。
ほんの短いやりとりなのに、この四ヶ月が一瞬で埋められたような気がするよ。

もう何にも残っていない、と言っていた。

せつないだろうな。自分でつくって自分で壊して、跡形もなくしてしまう。

《女鬼》のコピーと《外伝2》の旧バージョン/スタッフ入り、特別編、《外伝1/森のひと編》を土産に持っていってもらうことにした。

めったに思わぬことだが
今夜はワタナベがうらやましいぞ。
なんだかホモの気持ちがわかるような気がする。


だめだ。
帰って、くそして寝る。
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脈絡もなく古いCDを
ENZO ENZOの《エトランゼの吐息》、
Helen Merrillの《Love in Song》、
清家姉妹の《月下の蘭》、
DALIDAの《雨のブラッセル》と続けた。

遊びでicardをつくって自分宛に出してみる。
さて、今夜はもうお開きにして、明日に備えて早寝とするか。
明日こそ《C》、もういけるだろう。
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日暮れの雨とハワイアン。
駅まで歩いて、雨足の強さに気分が萎えた。Uターンし、オフィスに。いつも夜にうろつく公園の木々の葉がずいぶんと落ちてしまっていることに気づく。絵画館前の並木はどうなっているか、と気になった。
氷雨、本降り。いつもワタナベのクルマで動くので傘をさして街を歩くのもひさしぶりだ。
タバコを二本、ケヤキの下で灰にした。
もっとずっと小さい子供のような背丈のケヤキのそばでこんな本降りの夕にタバコを吸っていたシーンがフラッシュした。
須賀川。むじなの森。ジ・アース館の前の湖のほとり。小さなケヤキが植えられていた。

あのケヤキのそばに立ちすくんで、あるいは力つきて腰をおろし、何百本のタバコを灰にしたことか。雷。嵐。大雨。台風。夜霧。夕日。十六夜。虹。ヒグラシ。カエル。鈴虫。白い雲。青い空。風。夜のゴンドラ。森の滴と名づけられた小さな三千本の灯。提灯の灯影。小松明の群れ。焔。水。水。水。水。おれのみずの日々。

切迫。焦眉。灼熱。焦燥。奔流。激情。
鎮静することのない、静まることのないこわばった時間。その熱い塊。

混迷のピークで出あった、魂を抜き取られるような舘岩村・湯の花の月の光。

足元でふみつけられそうだった小指の先ほどの紫露草が放った夏の光。


けっきょく、街には出ずに、オフィスに。
窓を開け、氷雨を眺めながらハワイアンを聴いている。考えればおかしな組み合わせだが、意外と似合っている、ように思う。
《Somewhere Over The Rainbow/What A Wonderful World》と名づけられた不思議な趣のある曲をリピートしながら。


今日は、なんだか誰とも会いたくない。
誰の声も聴きたくない。
ワタナベは明日あたり廃虚となったむじなの森に行ってみるらしい。


こんな夕暮れもいいじゃねえか。
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冷。
出かけようと着替えたところで雨が降ってきた。氷雨。窓からぼんやりとアロマホール前の庭をながめていて気づいたが、傘の色がずいぶんカラフルだった。音楽ホールだからなのか、この頃の傾向なのか、俯瞰気味に見る傘の行き来は、シェルブールの雨傘のトップシーンのようで悪くない。

とはいえ、文字通り冷水をかけられた感もあり。秋の氷雨は煩わしい。
昼前のせっかくの高揚をさまさぬためには、さてどうするか。

気分が冷えそうだ。
出かけちまおう。
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熱。
ふと気づいたが、書いていて興奮してきて上着を脱ぎシャツを脱ぎというクセを指摘されることがしばらくなかった。
さっきはラストの1ページでTシャツ一枚になっていた。窓は全開。約4時間でA4サイズ14ページを書き飛ばしたのだから、これで回復だろう。

さて一段落したらオフィスに行って
《C》にかかるか。それとも遊びにでも行くか。
毎日が祭日のようなものだったけど、
こうなってみるとあらためて祭日気分にひたりたいようにも思う。
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《Hawaii78Live at Hank's Place》
12時7分前に送信。
他人のプランとはいえ、これでやっと久しぶりに一本のイメージを最後までつなげるという連続性に耐えられた。

今朝までの鬱陶しい気分が吹き飛んだ。

入り口から出口までを思い描くということが、こんなにも手間取ってスリリングな行為だと考えてみたこともなかったが、
なんというか長い時間セックスしていて、やっと射精できた、そんな呆然とした気分だ。クライアントには悪いが。

6月から四ヶ月、モノをまとめるということができなかったことになる。
ま、そういうことだ。

《Pure Hawaiian》の17曲目
《Hawaii78Live at Hank's Place》という男性の長いモノローグで構成されている曲がとてもよかった。
約7分の曲。長い射精ではある。
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秋の朝のPure Hawaian
目覚ましの1分前に目が覚めた。顔を洗い、そのままスタート。なんとかまとまりそうだ。あと4時間もある。睡眠2時間。悪くない。

BGMは[Pure Hawaian]。五月の名残。
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意味と無意味と
こんなものを送って、しかし何がはじまると思ったのか。見直して、ひどく虚しい気分に襲われた。あの時間の中でしか持ちえない意味を、なぜ普遍だなどと勘違いできたのか。送るべきは《森のひと》。しかしあの外伝には衝撃が皆無。あるのは弛緩しきった意味だけである。余技でやることには限りがある。そのことに気づくべきだった。何もせずとも、きっと慢心だけはしていたのだ。何をしていたのかな、おれは。涙も涸れた。
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飛べない。
エネルギーがどんどん吸い取られていくようなこの感覚はなんなのか。夜のせいなのか。書けず。鼻歌きぶんで書き飛ばしてきたはずの芸者仕事が、なぜこんなに難しく感じるのか。女にふられて月に向かって吠えまくっていると噂が流れているよ、と井口が言っていた。笑ってはみたが、これだけ仕事を放棄していりゃ、ま、そんな話がオチだろう。それもいいかなと、ふと思ってみる。少なくとも書けない理由にはなるだろう。演出だけならと引き受けた仕事も、演出プランがカタチにならない。
根底で、その気になれてない。
その気になるという感覚が遠い。
直感的にたどりつけていたはずの場所が
奈落のようにしか視えない。
だから、飛べない。


思っていたより、
ずいぶんきつい、な。
音を上げそうだ。
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Voicesに6人一気に追加。
高橋昌男 �|� 森内美津子 �|� 岡本智子 �|� 四人組 �|� 坂本定寛 �|� 角木良平 �

以上の人たちを一気に追加。
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《外伝2》特別篇/フィナーレ入り完成
《外伝2》特別篇/フィナーレ入りを渡辺が完成させた。あとは知事への手紙を書いて、これについては打ち止めとする。
あらためて29インチで観たが、感慨深いものあり。須賀川のあの森に、ジ・アース館はすでに跡形もないという。
せつなくはあるが、志は残る。
というよりも志を残すためにこそあの試みと祭りがあった。いまは、そう思う。

あてた曲は3曲。
フレディ・マーキュリーの「free love」
ミラ・バッシイの「my revolution}
ジミー・スコットの「over the rainbow」

特別篇のプロローグ4分は左の《むじなの森》のトップページにアップした。
準備の日々、オープン当日、フィナーレの夜の3つのシーンから構成してある。
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Gerbera
http://homepage.mac.com/torum_3/Gerbera/
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方針変更。
煮詰まっている。
《C》を土日にまわした。
今日は化粧品の台本を急ぎ仕上ることに変更。これならラクそうだからまとまるだろう。
外伝2の特別篇もかたずけてしまうことにした。昼からはオフィスで進めることに。


これは逃げなのだろうな。
弱気なことではありますが。
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朝日と殿戦。
7時すこしまえに目が覚めた。

5時間弱。すこしひやりとした空気が気持ちいい。アロマホールとアロマスクエアの間に太陽。まだ裸眼でも見ることができるていどの雲を従えて。

昨日の夕、目白で夕暮れの高い空をながめながら、冬の空気を感じたが、今朝の光にも秋を通りすぎて冬の気配がある。


さて、逃げられず。
ふと思いついてしまった別案だが、
けっきょくアイディア倒れなのかも知れないな。
二時間ほどかけめぐったフラッシュはかなりのものに思えたが。
あの面白さを文字に置き換えることは難しいな、朝日を見ながらそう感じた。
映像にしてしまわないと伝えようのない《イメージ》というものが稀にある。
特に1カット、1シーンではなくコンティニューが生み出す気配というものは、伝えようがないのだ。
通してから成立させる手法は、スポンサー仕事ではどうしても難しい。
いまさらながらだが。

納まりのつくのがどのあたりか、
熱い風呂にでもつかって迷いを振り切ろう。《C》の企画については、どうやら限界高度はとっくにオーバーしていたようだ。
おれの可能性は、たぶん高度3000mあたりにしかなかったようだ。《C》とはそれが相性なのだ。9年間で3回負けた、ということは、そういうことなのだ。
イチロー氏との相性ではなく《C》自体との相性。共感度の低さがすべてかも知れない。

ま、《C》に関しては戦況が見えた気がする。殿戦を見苦しくならずにすることに腐心しよう。
朝日を前に書くべきこととも思わんが。
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満月
霜月。さっき満月をながめてきた。満足である。
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