gameover
何かの発作が起きたのかと思った。

古河も新宿も、ここまでにしたい。すべて投げ出し終止符を打ちたい。おもしろくもあり、おかしくもあったが、所詮はこんなもの。なにが哀しくて、こんなことを続けられてきたのか、叫びだすのを抑えるのがやっとだった。周囲のものを壊さないように体を両手で押さえた。おれはもう、ほんとうに限界点を越えたのだと、そんな思いだけが閉じた両目の奥で瞬いていた。何をしてきたのか、と振り返る気にもなれず。蒼き夜は&ラスト・ワルツ/森田童子をリピートしながら、もうほんとうにいいんだよ、と思う。こんな青くさい、二十歳の小娘がつくったような歌がなぜ聴きたくなるのか、わからない。若いときには嫌いな歌い手だった。オフィスに置いてあった一枚を、ふと手に取ったのが2001年の夏の終わりだった。古河に行く気になれない。東北道を走りたくない。過ぎてしまえば、あれもまた、ただの時間だ。逃げるというのではなく、もう矛を収めてしまいたい。誰にというのでもなく、ゲームオーバーなのだと、呟きたい。もう、未練は、ない。し残したことも、なにも、ない。というより、したいことなど、はじめからなかった。そういうことに気づいてしまった、ということだ。ま、いいじゃねえか。ではなく、「もう、いいですか」だった。仕事を始めたばかりの頃、亡命イラン人のペルシャ絨毯づくりの話を聞き、最初に浮かんだコピーは「人の夢。夢の美」だったか。冷たい春の雨の降る夕、立ち去ろうとしたおれをずぶ濡れになって走ってきた青年アザリが差し出した両手に焼けたピスタチオ。受け取って常磐道を戻りながらやけどしそうなその殻を歯で割った。うまかったのかどうか、覚えていない。あれから20年。おれは一粒のピスタチオも食べたことはない。あのときに密輸でも何でもつきあってやっていれば、それはそれでおもしろかった、か。

つかれた。ただ、ただ、厭きた。
ごめん、と言いたいが、さて誰に言えばいいのか。

わからないよ。