2022年08月の記事


あふれる水量、ささえる緑樹 「さくらの滝」に三つのストーリー―中―220822
 あふれる水量、ささえる緑樹 「さくらの滝」に三つのストーリー―中―220822

 「さくらの滝」では、サクラマスの遡上も熱いが、斜里川本流の水量、その豊かさにも見とれる。
 幅の決して広くはない位置ながら、滔々と流れおちる豊かな水に、ほれぼれするのだ。
 流域の平坦地には採草地が広がっているように記憶しているのであるが。

 ポイントは「川がある」。そうは悟らせない広葉樹の樹林。その豊富さにあるようだ。
 うっそうとした林宗。その多くは広葉樹で、針葉樹はみかけない。
 樹木の保水力の豊かさ。そこに尽きるのではないか。

 「森林の保水力とはどのようなことですか(森林の保水力)」。 そのようなページがあるが。
 「森林の保水力は、『地下部の土壌によって発揮される力(土壌の保水力)』と『地上部の樹木を含む全体によって発揮される力(流域の保水力)』」があります」と、書く。

 半面、28日日曜日にテレビ朝日系列のテレビで「ポツンと一軒家」の番組を見た。
 鹿児島県の一軒家訪問であったと記憶。一面にあった棚田に水はなく、田圃は畑地に転換。
 「親父が1960年ころ、杉やヒノキの針葉樹を植林して林相を換えた」。ムスコの弁。

 針葉樹で地下水が枯渇。「稲穂の国、瑞穂の地」は土色の畑地に転じていた。
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海に降下のサクラマス、陸封型のアママス 「さくらの滝」に三つのストーリー―前―220822
 海に降下のサクラマス、陸封型のアママス 「さくらの滝」に三つのストーリー―前―220822

 サケ科魚類に例外的に標準和名を2つもつ種(もしくは亜種)の一つ。
 ヤマメとサクラマスは同種にして、サクラマスは降海型の標準和名。他方、ヤマメは陸封型の標準和名とされる。

 産卵期は9~10月とされ、孵化してから満1年半で降海。
 海域の割と沿岸に近い沖合いを回遊して過ごし、さらに1年を海域で過ごして、春先の桜の咲く時期に母川回帰することが知られている。

 「サクラマスはヤマメよりも大型になり、60cmくらいになる」と。ヤマメのいる上流部まで溯上し、産卵した後、その一生に幕を閉じる。
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渡辺虎蔵商店と地域&旧渡辺家邸宅 記録で読む渡辺虎蔵商店 1n 釧路港原港区
1900年 明治33年 「渡辺虎蔵」   「棟札」(米町ふるさと館複製資料公開)
1907年 「渡辺虎蔵商店」 『釧路国便覧』(店舗紹介)
1909年  『釧路電話局 番号簿』(『新釧路市史 第4巻』)
1910年    「渡辺虎蔵」 『釧路港実業家銘鑑明細全図』
1916年 『釧路電話局 番号簿』(『新釧路市史 第4巻』)
1930年(推定)年  「渡辺紀一」  『釧路市街図』
1932年 昭和7年          『大日本職業別明細図 釧路市』
1977年 昭和52年3月 依田有康「釧路市に現存する明治期の一民家について」
『釧路市立郷土博物館々報』 第244号

 明治33年建立と目される、釧路港東港区に現存する最古の「店舗兼木造住宅」。
 佐渡国出身の渡辺虎蔵商店として海岸線の海産物一手買い付けも商いを展開。
 店舗兼住宅は秋田県出身の工匠 工藤恒吉翁の施工。のち田村艶子氏が継承したところから、「旧田村邸」の呼称が残る。
 土壁仕上げ瓦葺き屋根。通り庭吹き抜け天井の形式を伝え、正面両脇に「梲 うだつ」を模した壁が配置されている。

 渡辺虎蔵商店と地域&旧渡辺家邸宅 記録で読む渡辺虎蔵商店 1n 釧路港原港区
 平成2年かに「ふるさと創生資金」を充てて、「米町ふうさと館」として隣接地に移転。
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中心街
 脱炭素、非製造物主義、脱開発、脱成長、脱プラスチック 鉄・コンクリ・洋紙の後で・・・・-後-

 「石炭が育て、鉄道が域外をむすんで成長したマチの中心街」。
2022年8月25日の本欄に、かく記載した地方都市の中心街は「シャッター商店街」。
そう呼ばれている。釧路川河口に中核を据えた都市は、地域の南東部から北西に延びる。

「石炭が育て、鉄道が域外を」むすんだ中心街=都市の重心は、軌道交通域を超越した。
石炭は石油に置換され、鉄道が担った輸送手段は自動車に、航空機に代替された。
人口の配置も、市域の面積も「旧市街地」のそれぞれを「新市街地」が占める枠組み。

言われている都市現象。それは「中心街の空洞化」。
「産業構造の高度化」が言われ。「重厚長大」と言われたモノつくり産業のシェアが小さくなって、「軽少短薄」にして経済性の高い産業が主力となる時代に入っている。

この産業構造の枠組み変化を前に、地域は「当惑」の状態にある。
「産業構造の高度化」。それは人間一人あたりの生産能率があがり、単位あたり高額な所得額を産み出すことが期待されている。

時代がここへ来て、三つの課題を抱えるに至ったのではないか。
1)高度な技術を担う人材も、2)産業の高度化に対応した新しい投資も、3)時代の要請に対応した新業種の起業と投資の力。

1952年からの30年間。
人口が10万人から22万人近くに急膨張した時代。確かに紙幣の流入量は多かったが、地域に蓄積され.ることは貧困であった。そういうことではなかった、か。

2014年2月かに、公共図書館を新設の銀行店舗に「間借りする」案が提案された。
賛否両論の議論がおこり、マチなかは「二分の寸前」に近かった。
時に市内配布紙は、「中心街に集客する施設で図書館が移転した、集客可能な施設が『点』ではなく、『線と面』にすることが必須」と書いた。

限られた公共投資。
その投資対象の一つに、「鉄道高架橋」の案が示されている。ところで、そこの所、「鉄道当局はどう考えているのか」。
別な言葉で「JR北海道との協議結果はどこまですすんでいるのか」。

パブリックコメントで<かく書いたヒト>のもとには、「まだ返事が来ていない」。 そのように聞いている。
往年の<駅乗降客270万人>の時代は終わった。
今や根室・厚岸・網走への路線を維持する経費。それを自治体にも負担させる案が議論中。

さてさて、そこを丸抱えで「総負担」する力量が地元自治体にあるのか。
市内配布紙が記載の「(集客施設を)『点』ではなく、『線と面』にする」プログラムなり、プロジェクト。二の矢、三の矢の担い手がさきではないか。
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脱炭素、非製造物主義、脱開発、脱成長、脱プラスチック 鉄・コンクリ・洋紙の後で・・・・-中-
脱炭素、非製造物主義、脱開発、脱成長、脱プラスチック 鉄・コンクリ・洋紙の後で・・・・-中-

 東京五輪は物価高の途次に当面していた。
 終了後には相次ぐ航空事故が発生したし、物価高の加重はさらに速度を増した。
 「経済成長の踊り場」とも「典型期」とも言われる<不景気>に遭遇した。

 わがマチで、その1965年を期してのちに建設のビル。あいついで老朽化がすすむ。
 事業は撤退し、跡地は放置。所有権者は移転し、「連絡もとれない」状態という。
 建物は危険を増し、建築素材が落下の恐れも。危険防止で公共が張り巡らした柵は歩道を狭める。

石炭が育て、鉄道が域外をむすんで成長したマチの中心街。
 太陽・水・植物でモノつくりを賄ってきた時代の次に、炭素の塊=化石燃料が動力となる時代を迎えた。

 鉄筋コンクリートの建物群は、開発と成長の過程を<形>に示した製造物。モノは欲望を膨らませ、無限の可能性を示した。できないコトはない。
 黒部第四ダム=「クロヨン」を眺めるケーブルカー。鉄・コンクリ・電力の繁栄像。

 今、モノに耐用年数と老朽化の現実を<目のあたり>にしている。
 「太陽・水・植物」と違って、「化石燃料とそれが産みだした生成物」。
 それは廃墟となっても、土に還元するに途方もない時間を要するのだ。

 限られた資源を<無尽蔵>に使い、結果が地球の温度を高めている。と。
 産業革命後の気温変化。気候変動、極点付近の氷河の融解。海水温度の上昇。
 他方、サンマが遠のき、コンブに、ウニに、赤潮に。近郊漁村の身近なところで被災が具体的に。ゲリラ豪雨、台風の居座り、線状降雨帯、洪水。
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脱炭素、非製造物主義、脱開発、脱成長、脱プラスチック 鉄・コンクリ・洋紙の後で・・・・―前―
 脱炭素、非製造物主義、脱開発、脱成長、脱プラスチック 鉄・コンクリ・洋紙の後で・・・・―前―。
 
 ビルに公営住宅。
 その後は黒部第四ダムに高速道路。新幹線が開業して東京五輪。
 ビルに公営住宅は老朽化の過程をすぎて、再開発の二世、三世の推移。

 黒四のコンクリートはどれほどの耐用年数か。
 調べてみたコトがあるような気がする。
 「250年を想定」。そのように記載した見解があった。確かではない。

 そのような気がした。
 その後で、跡地はどうなるのだろうか。多分、設置者は放置するであろう。
 政府は<軍艦島>に似て、世界文化遺産の登録を主唱し、観光業者は「廃墟ツアー」を提案している。

 過疎地の観光バスは、その委託料の安さに悲鳴をあげる。
 自然保護団体は、「ギリシャの神殿」でもあるまいに、撤去して「緑化、自然への複元を目指せ!!」と。
21世紀の今、マチの中心街に残る「廃墟のビル」。公共が更地にして、土地所有権を公共のものに移管を求める向きをあるらしいが。
 脱炭素、非製造物主義、脱開発、脱成長、脱プラスチック 鉄・コンクリ・洋紙の後で・・・・―前―。
 
 ビルに公営住宅。
 その後は黒部第四ダムに高速道路。新幹線が開業して東京五輪。
 ビルに公営住宅は老朽化の過程をすぎて、再開発の二世、三世の推移。

 黒四のコンクリートはどれほどの耐用年数か。
 調べてみたコトがあるような気がする。
 「250年を想定」。そのように記載した見解があった。確かではない。

 そのような気がした。
 その後で、跡地はどうなるのだろうか。多分、設置者は放置するであろう。
 政府は<軍艦島>に似て、世界文化遺産の登録を主唱し、観光業者は「廃墟ツアー」を提案している。

 過疎地の観光バスは、その委託料の安さに悲鳴をあげる。
 自然保護団体は、「ギリシャの神殿」でもあるまいに、撤去して「緑化、自然への複元を目指せ!!」と。
21世紀の今、マチの中心街に残る「廃墟のビル」。公共が更地にして、土地所有権を公共のものに移管を求める向きをあるらしいが。
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そういうことになっているようで 中心街でたまたま見かけた場面220823
 そういうことになっているようで 中心街でたまたま見かけた場面220823

 23日午後、徒歩で中心街の橋~駅間を通過することに。路線バスを利用するには打擲が早くなりすぎる。
 三丁目にさしかっかったところで、気が付いた。左手に大きなビニール袋、右手に<火ばさみ>を手にした男性たちが数名。
 お揃いの作業服スタイルに、ひも付きネームプレートを首からかけて、胸ポケットに挿入した人たちの群。

 胸のoffice名からしてどうやら、管理機関の職員さん。
 歩道に設置の花壇まわりに目配り収集しながら、資源収集に余念なき様子。
 声もかけずにすれ違ってきた、が。

 道路管理のセクションが懸命に従事しているようで。
 「さて、ここは過日の<市民盆踊り>対象区域であったか、ナ」。
 疑問におもいながら、なぜ、この時期に。この方々が。

 「ベキ論=理想を実現しなければならないことなどを強く主張する論調」。
 それは、すまい。したとて、世に「対立」を深めるばかり。みな「善人」ばかりになると、「争い」が起きる。
 専門店の軒をつらねる地域。職住分離のさいたる地域で、経営は<地域に対する青着>を示すゆとりも失われたか。
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イメージ出来ない領域 <ことば>で提示=「小説を読む心で」『竹取物語』220823NHKETV.
 イメージ出来ない領域 <ことば>で提示=「小説を読む心で」『竹取物語』220823NHKETV.

 冒頭の入りが実に印象的。ある意味では「for ティーンズ」にふさわしい、強烈な個性であった。
 「(みんさーん)文を読んで、読んだ情景を思い浮かべてみましょう!!」。
【指南役】を命じられた木ノ下裕一(「木ノ下歌舞伎」主宰)は、そのように切り出した。

「国語の先生が立派な方だったのですねー」と回顧して。
 次に自身は「物語の一節を次々に、<絵>で表現してみようと試みました」。
 「しかし、どの絵もイメージ通りには仕上がらないのです」と続けて、この項、<むすび>に申す。
 「(そうなんだ)絵では表現でききない、ことばの世界がある」のだ、と。つまり「ことばで見せる情景」「小説を心で読む」を教わったのだ。

 話の展開で、次には「物語の範疇」の紹介があった。
 「親指姫」や「一寸法師」のような、<小さ子譚 ちいさごたん>。
『古事記』が属する<機種流離譚 きしゅりゅりたん>。ほかには「長者譚」「婚姻譚」「異常出生譚」。
『竹取物語』は<小さ子譚 ちいさごたん>。<小さ子譚>とは、「身の丈の小さな子が登場する物語」。
小指ほど小さな姿で誕生した主人公が、大人物として成長、成功する物語。 

『竹取物語』は「SF小説」。そう規定して、竹取物語には翁と姫の二つの論理が内在。
「結婚」をめぐり、「(翁は)経済的安定」、「(姫は)精神的安定」を求める。そう展開した。

「生きヅラサ」。それを抱える若者に、「読んで」が<8月の「100分で名著」の主題>だ。
 必ずや「世界の見方をかえる一冊」。
 今回は『人は何で生きるか』 『WHAT IS KIFE? 生命とは何か』「父が娘に語る経済の話』。
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内国にも「植民地域」&「本国地域」 社会経済視点で「環境的レイシズム」220819―後―
内国にも「植民地域」&「本国地域」 社会経済視点で「環境的レイシズム」220819―後―

現代社会でロシア国のウクライナ侵攻。
 どのように読み解くと良いのか、傍目ではなかなか読めてこない。
 そうした中で『AERA』の電子版で、「187票差で杉並区初の女性区長、岸本聡子さんの異色経歴 『男社会に風穴あけなきゃダメ』〈週刊朝日〉」を読んだ。

 人種差別。
 その概念は大航海時代を経過して、人種差別のシステムは域外に拡大された。
 本邦でも幕藩体制外の蝦夷地に原住のアイヌ民族が、被差別の枠組に組み込まれた。
 現代の今、同胞が「原発や軍事基地化」作られたで環境媒体の周辺で、「発展」を支えるヒズミの奈辺で呻吟する。

 原発事故に避難を強制された福島。
 USAから施政権を変換される以前から米軍基地にあえぐ沖縄は、固定化の状況にある。
 2011年3月。東日本大震災の複合被災。この時、大手電力会社の隠語で示された。
 
 原発稼働地は「植民地」。内国にも「植民地域」&「本国地域」があるのだ。
 電力会社本社所在地は「本国地域」。発電所立地地域は原発稼働地は「植民地域」。
 企業エリートの<おごり 傲慢>でもなく、「体質」のような気もするが、

 文明社会は環境に負荷をかけているのみならず、他人種はもとより同胞に向けても「分断=Division」と「差別=Discrimination」を、気が付かないところで<結果>しては、いまいか。
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内国にも「植民地域」&「本国地域」 社会経済視点で「環境的レイシズム」220819―後―
内国にも「植民地域」&「本国地域」 社会経済視点で「環境的レイシズム」220819―後―

現代社会でロシア国のウクライナ侵攻。
 どのように読み解くと良いのか、傍目ではなかなか読めてこない。
 そうした中で『AERA』の電子版で、「187票差で杉並区初の女性区長、岸本聡子さんの異色経歴 『男社会に風穴あけなきゃダメ』〈週刊朝日〉」を読んだ。

 人種差別。
 その概念は大航海時代を経過して、人種差別のシステムは域外に拡大された。
 本邦でも幕藩体制外の蝦夷地に原住のアイヌ民族が、被差別の枠組に組み込まれた。
 現代の今、同胞が「原発や軍事基地化」作られたで環境媒体の周辺で、「発展」を支えるヒズミの奈辺で呻吟する。

 原発事故に避難を強制された福島。
 USAから施政権を変換される以前から米軍基地にあえぐ沖縄は、固定化の状況にある。
 2011年3月。東日本大震災の複合被災。この時、大手電力会社の隠語で示された。
 
 原発稼働地は「植民地」。内国にも「植民地域」&「本国地域」があるのだ。
 電力会社本社所在地は「本国地域」。発電所立地地域は原発稼働地は「植民地域」。
 企業エリートの<おごり 傲慢>のような気もするが、

 文明社会は環境に負荷をかけているのみならず、他人種はもとより同胞に向けても「分断=Division」と「差別=Discrimination」を、気が付かないところで<結果>しては、いまいか。
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  内国にも「植民地域」&「本国地域」 社会経済視点で「環境的レイシズム」220819-前-
内国にも「植民地域」&「本国地域」 社会経済視点で「環境的レイシズム」220819-前-

現代社会でロシア国のウクライナ侵攻。
どのように読み解くと良いのか、傍目ではなかなか読めてこない。
そうした中で『AERA』の電子版で、「187票差で杉並区初の女性区長、岸本聡子さんの異色経歴 『男社会に風穴あけなきゃダメ』〈週刊朝日〉」を読んだ。

その「異色経歴」。
そこに、「環境NGOでの活動を通じ、『環境的レイシズム(環境的人種差別)』という概念に出会い、衝撃を受けた」と、いうのだ。その論を要約すると、
1)有色人種、女性、子どもなど経済力の弱い社会的マイノリティほど
2)原発や軍事基地化の近くに住まざるを得ない傾向が高く、
3)汚染や健康の被害も集中しやすい。
4)そればかりではなく環境問題を考える上で、
5)科学的要因に限らず政治的な力関係へ着目が重要と気づいた経験、

環境的レイシズムの、「レイシズム」=「レイシズムとは「人種差別」や「人種主義」と訳される」。
モノの本によると「1970年代から1980年代にかけて米国で発展した環境正義運動」にして、「ノースカロライナ州ウォーレン郡の有害なPCB廃棄物に対処する、キリスト教連合教会 (UCC) の人種正義委員会の前委員長であるベンジャミン・チャビスによって1982年に導入」とも、説明されている、が。

この概念。
人種差別とはいわないが、社会経済史的枠組みの中に本邦の近世後期に始まる。
近代社会を経て、現代においてもなお存在するではないか。
「同一労働同一賃金」を理念としながらも、危険個所や危険部署の危険な現場を長時間労働、低賃金で雇用しているではないか。

規制緩和で「派遣社員制度」が認められる時代になった。
海外技能実習生の投入なくして経営が立ち行かなくなる「賃金を価格形成に反映できない業種」。

若者たちは「勝ち組=正規雇用」&「負け組=非正規雇用」。その分岐点で、煩悶している。
文明社会は環境に負荷をかけているのみならず、他人種はもとより同胞に向けても「分断=Division」と「差別=Discrimination」を、気が付かないところで<結果>しては、いまいか。
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戦いは環境&文化芸術を破壊、取り返しがつかない210818
 戦いは環境&文化芸術を破壊、取り返しがつかない210818 

 「機構変動対策 揺れる先進国」と「ロの侵攻 欧州は『石炭回帰』」の見出しが大きく、道内配布紙の夕刊一面に。
 新聞リードの記載。「欧州ではロシアのウクライナ侵攻が『石炭回帰』を生み」と書き始め、「米国の二酸化炭素(CO2)規制に待ったをかけた」。
 2022年後半に欧州は「新枠組み『気候クラブ』のテコに対策を加速する絵を描くが」と続ける。

 そこの記載のオチは、「鍵となる新興国を引き込む力に欠けるのが実情だ」と、受ける。
 背景には「日本は独自の解釈で35年以降も(石炭火力発電所を)利用をつづける方針」で、そのことが「石炭回帰」を促す要因になっている、とも。
 なんといっても、ウクライナ問題を間にロシア天然ガスなどこまでのエネルギー輸入を規制する経済制裁の影響をうけている。

 戦争は環境も、文化も、芸術も破壊してきた。芸術・文化は破壊されて債権がむつかしく、環境破壊は自然の復元力に期待して、ある意味、無策ではなかった、か。
 ここへきて、人類が産業革命以来、環境を破壊してきた結果が、ジワジワどころか過激に気候変動の形で具現化している。
 そういうことではないか。別な言葉で表現するに、「これまで戦争とは物理的に環境を加配した」。今や「戦争と核はは自然閑居や芸術・文化を科学的にも破壊し、しかも取り返しができない」。

 SDGS=Sustainable Development Goalsを「持続開発な開発目標」から、「人類が存続するための目標群」と読み替える論点と知恵を傾聴しては、どうか。
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夕映え 阿寒岳を包み込む初秋220812
 夕映え 阿寒岳を包み込む初秋220812

 視線をさらに北へ。雌阿寒岳、雄阿寒岳、明瞭なのは雲の塊ながら。
 夕映えにとにも、かくにも「詩」をつくりたい。その詩人の出現がほしいのだ。
 その夕べは「シルエット」が美麗であった。

 8月18日、正午の全国ニュース。
 「サンマの水揚げ量が全国一の根室港で、今朝、サンマの水揚げがありました」
 「初日の水揚げ量としては、昨年の十分の一」「キログラム当たりの値段は、五倍になっています」。

 続けて「さっそく小売店では『サンマ一尾 300円(税×)』で売られています」。
 夕映えとサンマは関係がある、か。
 あるといえば、ある。夕映えの映える初秋、サンマの水揚げは実に初秋の風物詩。

 しかしサンマの水揚げ量は、少ない。
 気候変動でせっかくのサンマが近海に近づくことなく、遠のいている。
 初秋の夕映え、サンマの初秋。無理くりつなぐ三段論法。
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三年ぶり、風・雨・雷を凌いで20分 京洛の送り火220816
三年ぶり、風・雨・雷を凌いで20分 京洛の送り火220816

 「大」「妙法」「舟形」「鳥居形」「左大文字」。どうも、この五種と数えるらしく。
 京の東山、北山、西山に浮かびあがる"炎" .。20時を期して点火され、着火直後の勢いとともに、静かに消えてゆく"送り火"の厳粛。

 燃える炎は20分。
 しかし、そこに至る道筋は長い。割木の用意で、こちらは乾燥の妙。草刈り、火床の整備、設営。
 早朝から保管していた「割木」などを山頂に運び、夕方から点火の準備に入る。
 スタッフはそれぞれの保存会で、50人ほどの陣容。

、「左大文字」は、特別。
 午後7時頃、門前通で門火=かがり火 篝火を焚く。
 その門火を「『丈』の親火松明と手松明かり」に移して、山上の火床に点火する、と。

 起源・発祥の時期は定かではないらしい。
 慶長8=1603年の日記には記載されていた。そういうことながら。
 いつの歳も京都盆地の盂蘭盆は暑かった。特に近年は暑い。

 ここ2年の「部分点か」が、「三年ぶりの全体点火」。加えて今年は、午後7時台にはときならぬ雨、風、そして雷の追加。
 時ならぬ暑さに天変が加わるもを、モノともせず、見事に着火。営々と存続。
 祖先のために、京洛市民のために、観に洛都にもどる方のために。

 自身の都合で、やれ「中止」「休止」の声高らかの地、それとは異なるネバリ強さ。

 この季節、九段下の神社さんを参拝される政治家各位。前々日から神社宿坊に寝泊り。
 五度の食事を、いもめし、麦飯、掌の粥にみそ汁の一汁一飯、二度の<すいとん>の食事で往時をしのぶ。
 8月15日瞬時の参拝にとどめず、「戦没者の英霊とアジアの人々のため」に「深いお詫び」を申しあげる。
 そうされてはどのようなものであろうか。賢明な諸兄姉のお考えをうけたまわりたい。
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初秋、製紙工場跡夕映え 残暑の夕を締めくくる220812
 初秋、製紙工場跡夕映え 残暑の夕を締めくくる220812

 時は旧暦盂蘭盆会の盛り上がりを迎える12日、夕刻。茜の西の空は目を見張る夕映えで締めくくられた。
 西北西の空、往年の製紙工場を物語る<三基の煙突>に排気ガスは昇らない。わずかに一基からの白煙。それは今も稼働する火力発電の排気筒。
 製紙、とくに印刷用紙の製造は、「脱炭素」「非製造物主義」の前に姿を消した。新聞購読数の低迷。それだけではない印刷需要の激減による「需要蒸発」が指摘されているのだ。

 白煙を吹かぬ排気筒。
 抄紙マシーンの停機から、まもなく一年。排気ガスゼロの効果。そういうことでもないが、澄み切った西北西の空に、華麗な夕映えが出現。
 撮影した一枚からは、到底、その彩景をうかがう<よすが>も、ないが。

 同じ頃、北海道第四の流域面積を有する河口でも、美形が望めたようで。
 幣舞橋界隈のウォッチャー女性から「今日は、特別に美しい、あすが夕日のくしろ」の声が、と。
 思うに<秋色到来>を告げる、<幣舞橋の夕映え>ではなかった、か。

 このところ、夜間の降雨は日の出と共に、あがる。昼間の塵、チリ、ちりに打ち水して、太陽は煌々と昇る。
 曇った日なら温度計は摂氏22度。酷暑、猛暑の地には申しわけないが。
 環境は整えて置く、クールな気象のなかで「そろそろ目をさませ」。「他人を変えるのマチから、自身を鍛える地に」。

 立秋を過ぎ、秋の深まりを言わず語りに輝く「初秋、製紙工場跡夕映え」。むすんで置きたい。離郷のヒトに幸いあれや。
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伊藤整筆「撃墜九機は見つからなかった」 日記で綴る「1942 大日本帝国の分岐点(前編)」220813HNKG.
伊藤整筆「撃墜九機は見つからなかった」 日記で綴る「1942 大日本帝国の分岐点(前編)」220813HNKG.

時節柄、太平洋戦争の関連番組は多い。なかでも出色。そう思えるのが、新・ドキュメント太平洋戦争 「1942 大日本帝国の分岐点」の前後編。
番組制作に時間をかけている。

全国に散在する戦中期の日記。記者夫人、その連れ合いの記者当人。著名作家で知られる人物の手になる<若き日の記載>。
「戦時」に関するキーワードを収集し、「月別頻出数」の棒グラフも登場。1941年12月が出現数のピークになっている点が興味深い。

1941年12月8日の真珠湾攻撃。明けて42年、ルソウ、シンガポールの攻略と戦果が続く。
しかし同年4月には米軍の反撃が始まり、東京都の杉並、新宿の民家の上空スレスレに米軍機が通過して「帝都空襲」の片鱗を見せる。
このころ、大手新聞紙面の変節が表面化する。「大本営発表」の記事が並ぶ時代。

帝都襲撃の米軍機友軍が攻撃。新聞に「九機撃墜」との記事が。
それを読んだ伊藤整は、落下した機体を探しにそれらしき、地点を訪問。しかし、機体はみつからず。
ここぞと思う地点では、「憲兵が厳重な警戒」と。

伊藤は思う。
「成果をあげたなら、必ずその戦果があるはずだ」。
今日、8月15日は77回目のポツダム宣言受託の日。
戦争とはゲームではなく、主権者が<貧困と生命危機に当面した現実>であることを。
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技術300の伝承、青年会の継承システム 二手に分かれ競う8月16日花火220813「よみがえる新日本紀行」。
 技術300の伝承、青年会の継承システム 二手に分かれ競う8月16日花火220813「よみがえる新日本紀行」。 

 人口7000人のマチが、8月16日ばかりは5万人の人手で賑わう。
 代々つづく家柄の長男のみ、30歳までの年齢、人物見識の査定。加入を認められた青年が「荒町」&「元町」の二手に分かれる。
 互いに向後に打ち上げながら、最後は仕掛け花火の華やかさ。その後には「おわり」の花火文字。

 なんと言っても出色。
 技術300の伝承、青年会の継承システム。その根本は、次の3点か。
 「事故を起こさずに打ち上げる」
 「相手を圧倒する技術力をみせつける」。
 「花火の里にふさわしい名所を維持する人材育成」

(最後に「番組案内」)
 新日本紀行から42年、花火の里・浅川町を再訪した。
 300年以上守り継がれてきた花火は今も町の暮らしに息づいている。家の軒下に吊るされた花火の殻は古くからの魔よけ。
 この風習をもとに町の名物を発案した人は子どもの頃からの大の花火好き。冠婚葬祭に合わせた“花火の出張打ち上げ”も健在だ。お盆の花火大会は昨年はコロナ禍のため中止に。町の人たちは今年こそ伝統の夜空の彩りを楽しみたいと大会開催を待ちわびる。
 【語り】森田美由紀  https://www4.nhk.or.jp/P6876/
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花火の里
 技術300の伝承、青年会の継承システム 二手に分かれ競う8月16日花火220813「よみがえる新日本紀行」。

 福島県浅川町(ふくしまけん・あさかわまち)。
 ここは「花火の里」にふさわしい、今も継承の二つの行事が受け継がれている。
 ひとつは<乳児誕生を祝う打ち上げ花火>。そして二は8月16日、<盂蘭盆の送り火>と重ねる仕掛け花火の大会。

 その継承には代々、青年会が中核の役割を果たしてきた。
 詳細はひとまず置くとして、盂蘭盆の送り火は「からくり」と言う名の仕掛け花火を含む豪華な催事。
 この日、ムラを出た次、三男に娘たちも里帰りする。

(最後に「番組案内」)
 NHKBS4K 午後0時00分~ 午後0時38分
選「盆・花火の里~福島県・浅川町~」
 昭和54年、福島県浅川町を訪ねた新日本紀行が鮮やかな4K映像になってよみがえる。 地元青年会が二手に分かれ趣向を凝らした手作り花火を競い合う町の夏が描かれている。
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「マツブの入荷は、前年同期の半分」 自然はモノ申しているや220808『北海道新聞』夕刊
 「マツブの入荷は、前年同期の半分」 自然はモノ申しているや220808『北海道新聞』夕刊

 2022年=8トン、同21年同期=17トン。
 「すしネタや刺身に使われるマツブの入荷は、前年同期の半分ほど」。
22年8月8日付の道内配布紙夕刊が一面で、報じていた。札幌中央卸売市場での話として。

 特に日高管内。
 「(マツブ)生産地の日高管内からの入荷が少なく、同じ太平洋岸でも漁獲減に地域差があるとする」。
 (掲示図で見るとおり)釧路管内が横ばいで、日高は25%の減少と。

 ツブの漁獲量減少は道内全体全体に及ぶことで、昨年の5600トンから、今年は4600トンで1000トンの減少ということ、なのだ。
 2021年にはとうとう釧路管内が、日高管内の漁獲量を上回ることに。それほど、日高の減少が顕著なのだ・

 2021年9月、太平洋岸で発生の赤潮が要因か。
 研究機関の栽培水試の見解は「(減少への)直接の影響や、その深刻度は分かっていない」 と言うこと。
 「直接の影響」には調査に着手するし、「深刻度」については「成育中のツブ貝が多く死んでいるかどうか」にある。

 「マツブ」&「ケツブ」
 漁獲漁減少が報じられているのは、「すしネタや刺身に使われるマツブ」。
 ほかにも加工食品=珍味にむけられる「ケツブ」というのがあって、安価。
 でも、その「ケツブ」が、漁獲量は「昨年の半分以下」、しかし価格は「昨年の倍以上に上昇した」。

 「ツブ貝の成長は遅く、成育中のツブ貝が多く死んでいると水揚げ回復には相当な時間がかかる」(道立総合研究機構栽培水試=室蘭)は、見通している。
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社会人学生の一人が疑問に、思いついたはSDGS=「人類存続のための目標群」220810
 社会人学生の一人が疑問に、思いついたはSDGS=「人類存続のための目標群」220810

 浜矩子同志社大学院教授で、経済学者の浜矩子氏が雑誌『AERA』の巻頭エッセイ「eyes」に記載している、ようで。
 「もう一人の学生さんから、これまた面白い問題提起があった」。<むすび>に近いところで、かく書き起こす。

 学生、といっても社会人向け授業でということゆえ、社会人学生の発言なのだが。
 「そもそも、『持続可能な開発目標』というネーミングは果たして適切なのか」。
 疑問点として、「問うた」というのである。

 それまで自身も疑問に思っていた師匠は、思い巡らす。
 「改めて別のネーミングを考えてみた。すると頭に浮かんだのが「人類存続のための目標群」。ということなのである。
 これなら永く抱いていた、「なぜ「開発」にこだわるのか」。「『「開発』はどうしても進め続けなければいけないのか」。そこにも、<答え>を用意できるのだ、と。

 今や、地球は深刻。
 SDGS.それは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」のことだ。
 さりげなく、「開発」「成長」「責任と義務」を押しつけているの感があるも。

 浜氏は申す。
 「地球と人類の存続のためには、開発を止める必要が出てくるかもしれない」。
 「ひょっとすると、地球存続のためには人類が絶滅しないといけないか?」。

 「成長」に対しては「成熟」、「開発」に向けては「折り合い」、「富裕」の対極に「安全・安心」。
 「お金がないと暮らしに不安」が、「案ずることなく、カネがなくとも暮らしに不安がない」。その分岐点に暮らしているのでは。

 「浜矩子 SDGS  開発」https://dot.asahi.com/aera/2022080800050.html?page=1
 「浜矩子「社章化するSDGsバッジ 『持続可能な開発目標』は本当に妥当か」 220810 20:15閲覧。
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江戸・佃島と住吉講に築地本願\220809
 江戸・佃島と住吉講に築地本願\220809

江戸の下町に「住吉講 すみよしこう」。
 講は「大阪市住吉の住吉大社に参詣する者の組織した講社」。
 そういうことだから、大坂の信仰が江戸に根付いたわけだから、奇異に思うもその必要はない。

 「佃煮」=「佃島」が江戸で設定された背景と深い繋がりをもつわけで、
 どうも江戸・住吉講のリーダー&幹部たちは、大坂から移り住んだ「三十六人衆」の家柄&秩序がなお、意味を持つようで。

 佃島の佃煮は、この住吉講に詣でる参拝者の土産物として好評を博した、と。かくて全国をマーケットに存在感を示した。
 今も、量販点で手にすることのできる「加工用惣菜」。

 「佃島」と申すと隣接の埋め立て地に「月島 つきしま」というのがあり、転じて今日、「築地 つきじ」と申すようで。
 そこに「築地本願寺」があるも、こちらは石山本願寺=現 大阪城跡、京都=堀川本願寺の包括寺院。
 
 そもそも江戸の本願寺は浅草にあった、と。
 明暦の大火で消失し、代替地を築地に求めた。埋めたてと堂宇造営には「佃島の住人が中心となり」。
 そのように記載されている。家康も本願寺の「東西本願寺二分」を策するも、西本願寺の京都-大坂-江戸の思想系譜を否定しなかったか、できなかったか。

 摂津国佃村から移住の話。ここで一幕。
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江戸・佃島と佃煮 『江戸切絵図集成』に読む名物と名所220805
江戸・佃島と佃煮 『江戸切絵図集成』に読む名物と名所220805

佃島
江戸時代、摂津国佃村の漁業者を江戸に呼び寄せ、鉄砲洲の対岸に島を築かせたことに始まる。
家康が功労を認め、同道させた漁民の移住で、「三六人衆」という名の集団もある。

佃煮
1)佃島から来江の漁業者にシラウオ漁の特権を与え、
2)漁業者はシラウオを将軍家に献上。日本橋の魚市場にも出荷したほか、
3)売り物とならない小魚に海藻類を加え、醤油と砂糖で煮詰め「佃煮 つくだに」とした。

世におなじみ「佃煮」の発祥は江戸であったらしい。
『江戸切絵図集成』の解説で承知した。

「切絵図 きりえず」は
「江戸時代につくられた絵図の一種」
「特定の地域を部分的にくぎってあるもの」。
「耕地の位置や形状、秣場(まぐさば)や用水施設の位置・境界を示すのに使用」「
「大都会では、全体を1枚の絵図にした場合、取扱いに不便、あるいは詳細な内容を盛り込めないため、より便利な切絵図が発達」とする。
ために「面積についてはかならずしも正確ではない」とも。
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創造と育成、そして参加のシステムと日常生活 釧路港まつり&遊佐町少年議会220807
 創造と育成、そして参加のシステムと日常生活 釧路港まつり&遊佐町少年議会220807

 「3年ぶりですからねー、今日はたくさんのヒトが出ていました」。
 7日夕方、来釧の友人と話をするため、滞在先のホテルから営業車で目的地に向かう車内での会話。
 「どうなっているんだ、中心街は寂しいかぎり」と、友人の弁。

 そこには答えず、盛時のおりの釧路港まつりを思いうけばていた。
 オトコは義理もあるのか、浴衣をはおり、ウマイビールの勢いで、馴れぬ踊りの列にあった・・・・・、が。
 家族やムスコ、孫は<踊りの輪>にも、そおあとの<マチの中にも連れだって歩く>は、なかった。

 明けて、8月8日の朝。NHKGのニュースは伝えていた。
 「山形県遊佐町の『少年議会』は、今年20年目を迎えました」「シンケンに少年町長と副町長の選挙を、高校生が行います」。
 政策を述べ、政見演説を聴く高校生が投票する。候補は遊佐高と羽黒高に在籍する生徒。投票は町内の高校生のようで。

 「今回の参議院議員選挙でも、遊佐町の投票率は全国一を記録しました」。放送は伝えている。
 ネットでは「第20期 少年議会 令和4年」の記事も。
 当選者のコメントも、敗者の論も放送は伝えているのだが。

 地域の催事に多世代参加で参加する。
 日本の伝統社会にあったものの、いつのまにやら消失した<仕組みと哲学、日常生活の営為&たしなみ>ではないか。
 そこで喪失した<職業教育><宗教教育><環境教育><平和教育>。

 社会トータルで、「創造と育成、そして参加のシステムと日常生活」が置き去りにされ、自身が孤独のなかに置き去りにされつつある。
 そうしたことでは、ないだろうか。
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権現崎-松前小島-白神岬 縄文大航海の再現220806 NHKBS3
 権現崎-松前小島-白神岬 縄文大航海の再現220806 NHKBS3

 不安定な丸木舟。
 しかし、北海道渡島半島部と青森県の遺跡群が結合するためには、津軽海峡の舟便。
 数千年前の二点間結節が再現される。テレビの画面を懸命に追った。

 青森県北津軽郡中泊町小泊 尾崎神社を背後に持つ「権現 こんげん 崎」が出発地。
 渡島半島西部に位置する「(松前)小島」をめざして、西方向にすすむ航路の選択。
 激しい津軽海峡流の流れに乗って東に方向を転じ、白神岬にむかって海峡を横切るプラン。

 丸木舟。
 前にすすめるのはレーサーで実績をもつ男女混合の6名。専任技術者が操舟するわけでもなく、家族妻子が熟練した結果。そういう読みで。
 丸木舟を安定させるためには、さまざまな荷物。それに腰掛けて舟を操縦。重心低下の効果も大きい。

 2022年6月2日に催行。
 操縦時間は約50分強にして、走行距離は5キロ強。想定外に<東風 こち>が強く。
 西から東にながれる潮流に東風が向き合って、風波が高く、ついに運航中止。

 最後に「運航の三原則」。
 1)竜飛崎を大きく迂回、西側にすすんで津軽海峡流に乗りかかる。
 2)風向きの変わりやすい正午までには登㠶を終える。
 3)「東風」のない日を選んで、運航。

 科学の粋をあつめた計器、データに支えられた現代人。
 永年にわたり蓄積された縄文人の、<自然を読む力>には至らなかったということなりや。
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「傷病者薬用」「爆薬補助剤」 昆布灰 沃度加里 用途で検索220804
 「傷病者薬用」「爆薬補助剤」 昆布灰 沃度加里 用途で検索220804

 先に末広(まびろ)地区在住者のお方が語って下さった「再話 さいは」の内容が中間報告された。
 聞かせてもらって、日露戦争から戦後にかけて海岸漁村で盛況であった昆布灰(こんぶばい)、ヨード加里取得。
 それについて、その用途のなかにこれまで語られなかった知見が込められていた。そのように受け止めた。

 そこで、昆布灰 沃度加里 用途でネット検索をしてみて、当面、次ぎに三つの視点に注目しておいた。
 1)「昆布からヨウ素を取り出す」 https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=201002228531373719 J-GLOBAL
 2)「日本のヨウ素の歴史」    https://fiu-iodine.org/history/  ようそ学会
 3)「便あり且つ本邦の昆布類は産出豊富にして加里及素」  https://www.jstage.jst.go.jp/article/nikkashi1898/19/11/19_11_1044/_pdf/-char/ja  Jstage

 「再話」で示されたヨウ度加里の用途は「爆薬補助剤」。
 「爆薬補助剤」では、近世の「硫黄搬出」につづく本道産「ヨウ度加里=昆布灰」。
 海岸線で積載された昆布に点火して、昆布灰を製し、製造された品。産地からの行き先は。

 最初に地域の生産量を示す統計の発掘から始めたい。
 開始期、盛期、そして終末期。その集荷元にくわえて、搬出先。
 そこから、その用途の特性も見てくることであろう。そう、推量を重ねておく。
 (写真は「ようそ学会」 https://fiu-iodine.org/history/ 220806 10:00).
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データ
1)城山モシリヤ学コミッション
2)くしろ元町青年団
3)笑顔のニュータウン「郷土を学ぶ地域学講座」
4)史跡整備事業
5)自治体史編さん委員会
6)釧根郷土芸能振興基金
7)釧路湿原シニア大学
8)ぶぶる釧路の街を歩く会
9)尾幌川生活史研究会
10)橋北春採湖プロムナード

いつの間にやら、書類がたまる。次々と重ねてゆくに、そのうち山積みされて、なにが、なんだか所在不明に。
依頼が一段落したところで、その都度、綴じ込むシステムつくりを。そう考えて、整理の項目をメモランダムに。
レターファイルにタイトル付して、二穴のパンチで。そう考えていると、異種・異形の登場。

リーフ、パンフの「穴明けて、憚るモノ」の存在。
事務袋に突っ込んで、袋の端を二穴パンチ。綴じ込むものの、どのタイミングで入手したペーパーであるかの迷い。
ペンで、日付、相手先団体を記載してひとまず、決着。難しい。

そのとき、すぐに。それでも落第  データの保管管理220805
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復帰50年を期して 『沖縄県史 各論編7 現代』を手にして220801
復帰50年を期して 『沖縄県史 各論編7 現代』を手にして220801

戦後、77年を6部31章に分けて構成している。各章はおおむね20ページ相当。ほかに「コラム」という形で、1ページのトピックスが14本、750ページ余の一冊となっている。

「目次」を見せてもらった、のみである。多くを語るに戸惑いもあるが。
 1)<復帰後50年>は「復帰後の展開」と「沖縄現代史の諸相」の2部11章にまとめられている。
 2)対して<戦後27年>は、4部にまとめられ、458ページを充てる。
 3)比率で申すと年数で35.1%に、60.9%のページ数を割り振る構成。

 3)で、<年数と充当ページ数のアンバランス>を示させてもらった。
 そこに<戦後、琉球国範疇に終止符をうち、沖縄県=独立地域の国内化>のプロセスを示す。そう言いたげでもある。

 内実を別な観点で示すと、以下の3項目は<評価が定まらない>という判断ではないだろうか。
 A)<日米両政府の間で決まる、旧琉球国の位置>、
 B)政策選択の分岐点となる<米軍基地と地域振興>や
 C)<観光立国・沖縄の到達点と環境問題>

 他方で「復帰への道のり」「復帰の運動」には紙幅を割く。
4)「第一部 『アメリカ世』のはじまり」で「アメリカ世」は出色。
   →サンフランシスコ講和条約までかの7年を充てる
 5)「第二部 恒久基地化と住民の闘い」
   →1952年「琉球政府とは」から「復帰の運動」開始の1960年か。
 6)「第三部 復帰への道のり」
   →1952年「琉球政府とは」から「復帰の運動」開始の1960年か。
 7)「第四部 復帰の運動」
→1960年から沖縄復帰の1972年か。
 8)ここで5)と6)は、記述の時代が重なることになる。5)は<琉球を取り巻く、時代の推移>で、ある意味<客観的経過>を示すもの。
 9)たいして6)は<琉球で展開した地域社会の≪復帰に向けた胎動≫を詳述>とすることに。

 沖縄県に造形の深い研究者、学識経験者が参加した。そう解するべきではないか。
 「執筆者一覧」に名を連ねた人は総員50名で56の項目を手がけた。女性、そう確認できそうな名は13人となっている。
 なかに2~5項目の分担執筆をした方は6名で、うち2項目を分担した女性も1名。
 <県内の総力を挙げて>と申しては、失礼にあたるのであろうか。

 「沖縄 戦後 復帰」という検索項目でネットを開く。
 「戦後沖縄の主な出来事 琉球政府文書」「日本復帰への道 沖縄県文書館」などの項目がヒットする。
 なかに「行政主席の時代・沖縄県公文書館」には、次の趣旨がある。
 <「基地のない平和な沖縄」につながるものではなく、屋良は返還協定調印式を欠席して抗議の意志を示しました>。

 表にしない、多くの事柄。行間に読む、『沖縄県史 各論編7 現代』。
 そうした点の内在を主張しつつ、「日本復帰50年」にむけ公刊の運びとなったものか。
 以上のように、本書を読んでみたところであるが。
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どこが違うか
どこかが違う地域発情報 脱炭素地域指定&徳島県上勝町220730―後―

 「バイオマス発電」「風力・太陽光の自然再生エネルギー」は経営が表にでていて、作る立場と使う立場に分けている。
 中央の需要のために、地方が負担を背負っている。
 地方の環境には負荷かがかかり、他方で雇用は生じていない。
 建設の投資が終わると、メンテナンスは放置され、地方への還元は貧弱。


 「読んでいて、そうかなーと。よぎったことがある」。
 では、何が違和感を持たせるのか。市民、とりわけ女性。地域コミュニティが前面に出てきている。経営が表にでないで、地域のそれぞれの諸階層が「なにをするのか、明確にしている」。
 念頭に徳島県上勝町のことが、思い浮かんだ。

 徳島県上勝町。四国南東部の高齢者の地方公共団体。
 そこは「伝統食文化に着目した葉っぱビジネス」で、知られるマチたるは言い古されている。
 農協の一職員が京都か金沢であったか、老舗の料亭に繁く通い、「伝統食文化と葉っぱ」を結合した。
 高齢者にもパソコンをもたせて、「午前9時 自分の提供品に取引先を求める」システムが定着した。
 https://www.env.go.jp/nature/satoyama/syuhourei/pdf/cjj_6.pdf 「日本・徳島県上勝町における伝統食文化に着目した葉っぱビジネス」。

 そのマチに、今度は関西の大学を卒業した女性が住み着いた。
 取り組んだポイントが「ゴミゼロのマチ」にすること。他の自治体では見られない、細部に分割した「分別収集」で、「ゴミゼロ=廃棄物の資源化」に取り組んだ。
 
 ゴミゼロ。
 それをめざして取り組んだ結果が、「ゴミ=20%」が資源化できずに「廃棄する」現実。
 そこで提示することに。それは「作るモノの責任」の概念。
 女性たちは国際組織を立ち上げて、さらなる「ゴミゼロ」をめざすことに。

 そこのところを、下記のURLでたどることができる。
 https://zwtk.jp/  上勝町ゼロ・ウェイスト宣言

 今や徳島県上勝町は、「四国の一隅の公共団体ではない」。
 三本目の柱が、次のURL.。https://utsukushii-mura.jp/map/kamikatsu/
 それは「『日本で最も美しい村』連合 上勝町」ということ。

 ここには環境問題、地球温暖化に取り組む、二点が明確になっている。
 「市民、とりわけ女性。地域のコミュニティが表面に出てきている」
 地域の諸階層が「なにをするのか、明確」なのだ。そうではないだろうか。

 「バイオマス発電」「風力・太陽光の自然再生エネルギー」は経営が表にでていて、作る立場と使う立場に分けている。
 中央の需要のために、地方が負担を背負っている。
 地方の環境には負荷かがかかり、他方で雇用は生じていない。
 建設の投資が終わると、メンテナンスは放置され、地方への還元は貧弱。
 そうではないか。
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どこかが違う地域発情報 脱炭素地域指定&徳島県上勝町220730
どこかが違う地域発情報 脱炭素地域指定&徳島県上勝町220730

道内配布紙夕刊220730の「科学」紙面。「脱炭素社会 進む地域の取り組み」に注目した。
 「科学が分かった」とする、Q&Aの紹介記事。

記載の事業は4点。
1)鹿追町・上士幌町で展開、経済動物排泄物のバイオマス発電。
2)風力や太陽光発電の自然再生エネルギー
3)公共施設をLED化して動力源消費量削減
4)蓄電池装置化で再生エネで島外送電から自立。

そもそも、「脱炭素社会」とはどういうことか。
5)にその対象=「地球温暖化の原因となる一酸化炭素CO2、メタンガスを除去すること」

では「脱炭素社会の意味」とは。
6)「地球温暖化の原因となるガスの排出量から、森林などによる原因ガスの吸収分を差し引いてゼロになる社会へ移行すること」。
かく記載して政府、地方公共団体、企業・団体が提案する「脱炭素地域指定制度」への参画を政策誘導しようということらしい。

読んでいて、そうかなーと。よぎったことがある。
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幼き原田康子さんの帰郷 釧路停車場 「ぶぶる釧路の街歩き 01」220714
 釧路停車場 大正6年12月開業 「ぶぶる釧路の街歩き 01」220714

「ぶぶる釧路の街歩き」,その起点は釧路駅。
現在は乗降改札口のところに3個のスタンプが用意されている。参加の章に今回は、一個のみ押印。
さて、出発。と申しても、正面入り口の外に出てみることではあるが。

紹介の一のポイントは原田康子著『海霧 Umigiri』エピローグの一節。
1930年6月、東京からの列車が
「厚内の短いトンネルをぬけ」
「海は濃霧にとざされていた」情景でむすぶ。
「二歳の曾孫は毛布にくるまれて、ふたり掛けの椅子をひとりで占領」という形で、自画像を示す。

康子さんは、原田惣吉翁から数えて4代目。昭和3年1月1日生まれの作者にとって、このときは満2歳5か月ほど。小説『挽歌』を描く1952年ほどまでには、30年余の時間が流れる。
近親者の方が申されるには「この間の余白を埋める、その強い思いをもっていたのだが」と、聞かれたことがある。

一つのポイントで、少なくも<6個の物語>。それが、このツアーのめざす点。
7月14日の時には、ほかに二点。1)現在の根室本線両端には沼、2)停車場は「「停車場通」の起点。以上、3点。
1)を細くするに現「ベガス・ベガス」と「林田クリニック~旭町立体橋間」には、それぞれ沼があった。
2)釧路停車場は大正6年12月開業で、当時の正面入り口は「停車場通」の起点。現在のMOO位置が「西幣舞0番地」で、停車場は「西幣舞67番地」内に相当ということ。
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