2021年04月の記事


「釧路を語る」「楽しみ方ひろげる」 大原寛著「生き方の選択肢 老人旅4」
 「釧路を語る」「楽しみ方ひろげる」 大原寛著「生き方の選択肢 老人旅4」。



 市内に配布の『釧路新聞』。061213配布の8面「地域の風」ページに投稿のエッセイ。
 タイトルには「釧路を語れるように」、写真のキャプションには「工夫で楽しみ方も無限に広がる釧路湿原」、と。

 2006年はまだ、「くしろ検定」が始まってはいなかった。
 そうした時のエッセイに「釧路を語れるように」とする記載は、大いに力になった。
 その同意感が即座に切り抜きをさせ、未だにその複製を持ちつづけている所以でもある。

 冒頭に「大分から北海道に旅をしていた老人は、釧路湿原を観賞して次のように言っていた」と書く。
 旅行者は次のように言葉を続けたとのだという。
 「自然を観賞させるのに、自由に勝手に、見ていってくださいではなく、見るひとの側にたった配慮がもっとあってもよいではないか」。

 2021年3月。
 小生は「シン・クシロ対策本部」というテレビ番組をみていた。
 なかで地元の識者は、「クシロのマチこそ、自然と近距離にある」「その特性をいかずべきだ」。

 みていて、疑問におもった。
 市民は「自然と近距離にある」ことは知っている。しかし若者は、「このマチには遊ぶところがない」。そのように申す。
 そうでは、ないか!!。そのときに二つのことを思う、のだ。
 一は「若者は遊ばないで、本を読め」。
 二は「なんにも『ない』ではなく、『愉しみ方、楽しませ方』を知らないのだ」。

 それだけに、大原寛氏の提言が、意味をもっているのだ。
 若者に求める前に、まず、大人が『愉しみ方、楽しませ方』を明確に「語れるように」したいもの。
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「藤娘」=見応えあった 若柳流舞踊発表21424
 「藤娘」=見応えあった 若柳流舞踊発表21424。

 前日になって「ご招待」の案内を、回していただいて。急遽、二人で出席させていただきました。
 師匠の芸歴半世紀。昨年、発表予定がコロナウイルスで、本年まで延期ということで。



 10年を迎える教員養成大学の日舞サークルの部員、OB・OGも共同開催の豪華プログラム。

 実に熱の入った「舞」が披露され、あでやかにして優美な「表現力と線形美」で観衆を魅了。

 見応えのあった「藤娘」。なにか、説得力を感じたものだが。
 踊りのキレ、装束の構成、基本を押さえた表現。あまりに素人感想ながら。

 後半の「越後獅子」も大迫力。舞の途中に三度の拍手。
 実に熱のはいった、細かな技の冴えをみせてくれたが。

 大トリはもちろん、「御師匠さん」。奈落から<せり上がり>で登場。
 「芸歴半世紀の総決算」。そう申すにふさわしい「大舞台」。正午に開演、千秋楽は16時15分をすぎていた。
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包装容器の一人当たり排出量 世界第二位・国別 一位=米国、二位・日本
 包装容器の一人当たり排出量 世界第二位・国別 一位=米国、二位・日本。



  nhkG「あさイチ」放送=プラゴミを考える「11ケ条」かと。

 ・減らすにどうする?。
  1)ハカリ売り利用」+容器を持参→消費者の側から変えろ
  2)使用後の包装容器は「お茶パック」っで洗う=再利用。

 ・包装資材の再利用=汚れ落とし
  3)見えるヨゴレは、取り除く。
  4)食器洗いの水ですすぐ程度のヨゴレ落とし(洗いすぎると、別な害)
  5)使い方、かしこく使い分けをする
  6)レジ袋は意外にもヤッカイ。
  7)生ゴミは新聞紙で包む
  8)食品を包むには「みつろうラップ」が有効

 ・減らすコツ 
 9)ボトルを使う(ホタテ貝の粉末)
 10)洗浄には液体洗剤に替えて固形石けんを用いる
 11)そもそもペットボトルの使用をやめる
 12)シリコンラップ

 冒頭、紹介があった。
 日本の容器包装の「日本の1人当たりのプラごみ廃棄量『世界第2位』」。
 多分、UNEP(国連環境計画)の報告書『シングルユースプラスチック』からの紹介であろうか。
 https://ampmedia.jp/2019/08/19/plastics/



 「2018年6月に発表されたによれば、(略)日本のプラスチックごみの廃棄量を人口1人当たりに換算すると32kg、アメリカに次いで世界第2位だという」とのネット記載をみつけた。
 そこから「買い物袋の有料化」には国民の理解が浸透しているとする。

 (以下、番組案内) 
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拝聴できませんで 厚岸に行くことになり 釧路湿原シニア大学
厚岸に行くことになりまして。講座、拝聴できなくなりまして。
 「タンチョウ」と「交通安全」のお話のようですが。



 「国指定史跡の整備」と「新厚岸町史」の相談があると要請がありました。
 午後2時からの会議に出かけてゆきます。

 厚岸には「江戸時代のたたずまい」を今に伝える、国指定史跡があります。
 「桜の名所・国泰寺」ですね。平成3年からこの史跡を整備する計画に参加してきました。

 海から開けたマチが、鉄道開通でマチの軸が東南から北西に移転する、ある意味、典型的な発展の軌跡が確認できます。

 史跡整備計画は、地域の都市計画、マチづくり計画の「核=コア」を構成するポイントです。

 次回、5月第二火曜日には、お目にかかることができますように。日程をつくらせていただきます。
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政治と官僚の劣化 主権者に眼をむけぬ先進工業国210422
政治と官僚の劣化 主権者に眼をむけぬ先進工業国210422

 北海道内に配布されている新聞の朝刊。6面の特集は「各自核論」。
 4月22日のそれは、次の3編。
 1)「何を得て失うかを検証 『原発処理水の海洋放出』」 北海学園大学教授 濱田 武士

 2)「難民の人権脅かす欠陥 『入管法改正案』」 弁護士 浦城 知子

 3)「再エネ普及に国民合意 『独で進む脱原子力・脱炭素』」 在独ジャーナリスト 熊谷 徹

 二つの問題点がある。
 4)長期政権が実はなんにもしていなかった。
 5)「唯一の方法」と主張しながら、それ以外の方法を研究も検討もしていなかった。

 そのツケを背負う、後継者政権。
 あれだけの間違いを自らすすめながら、「如何?」と聴かれたときに。
 「ハイ」と総理大臣を引き受ける「不明の政治家」。

 ネットの記載事項。
 「福島原発「水」の海洋放出、安倍前首相が「問題を放置し続けた」ことの大きな責任」
 「処理水放出、安倍前首相の「アンダーコントロール」発言と矛盾せず=菅首相」



 「膳場貴子アナ、緊急事態宣言や東京五輪に向けた政府の対応をバッサリ。「全て代弁してくれた」と話題に」。
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政治の劣化
 政治と官僚の劣化 主権者に眼をむけぬ先進工業国210422

 北海道内に配布されている新聞の朝刊。6面の特集は「各自核論」。
 4月22日のそれは、次の3編。
 1)「何を得て失うかを検証 『原発処理水の海洋放出』」 北海学園大学教授 濱田 武士

 2)「難民の人権脅かす欠陥 『入管法改正案』」 弁護士 浦城 知子

 3)「再エネ普及に国民合意 『独で進む脱原子力・脱炭素』」 在独ジャーナリスト 熊谷 徹

 二つの問題点がある。
 4)長期政権が実はなんにもしていなかった。
 5)「唯一の方法」と主張しながら、それ以外の方法を研究も検討もしていなかった。

 そのツケを背負う、後継者政権。
 あれだけの間違いを自らすすめながら、「如何?」と聴かれたときに。
 「ハイ」と総理大臣を引き受ける「不明の政治家」。

 ネットの記載事項。
 「福島原発「水」の海洋放出、安倍前首相が「問題を放置し続けた」ことの大きな責任」
 「処理水放出、安倍前首相の「アンダーコントロール」発言と矛盾せず=菅首相」

 「膳場貴子アナ、緊急事態宣言や東京五輪に向けた政府の対応をバッサリ。「全て代弁してくれた」と話題に」。
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「実に、良い景観だねー」の非日常体験 「大所高所」=『釧路新聞』「余塵」欄から210424
 広島市平和記念塔。
 標高150メートルほどの丘陵地に位置する。位置すると言うより、「そびえ立つ」の趣。



 地上から見上げる、そこを「俯瞰する」の形で眺められているこの種、建造物。
 その足下から、中心街を「鳥瞰する」と、どうなるや。
 そこは「マチづくり」&「地域創生」を考える絶好の「パワースポット」。

 各地を訪問するに、「見下ろすパワースポット」から、「マチづくり」&「地域創生」を考える好機会としてきたが。
 佐賀県庁からの町並み。茨城県庁からの水戸市街。広島市平和記念塔からは原爆被災都市・広島。

 平成17年10月。
 市民の方を釧路市城山一丁目の妙法山釧路小僧伽に案内したことある。
 その現場に立ち、地元新聞の「囲碁欄」に寸評を書くことのある友人が、申したですよ。
 「実に、良い景観だねー」。松浦武四郎が記載の「モシリヤ砦跡」を鳥瞰するためで、あったが。

 釧路新聞社社長の星匠さんが「余塵」欄に記載してくださった、「大所高所」。
 その結びは、つぎのようになっている。
 「仏舎利塔も遠くからは見ているが、そばで見たことがなかった」。
 「ここからマチを見渡し、大所高所に基づきこどもたちに」
 「胸をはって残せるまちづくりを考えるのがよいかも」。

 「よいかも」ではない。
 これまで、気がついたヒトが、真に少ないのである。そういうことではないか。

「実に、良い景観だねー」の非日常体験 「大所高所」=『釧路新聞』「余塵」欄から210424
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徹別岳&阿寒富士
 徹別岳&阿寒富士 本市北方に見える秀嶺210421



水曜日の午後、阿寒湖支所長をお務めの方と懇談。
「阿寒富士」(緑線)の西にみえる山岳を「徹別岳 テシ・ペツ岳」(黄線)と教えていただいた。

徹別岳。標高877メートル。
十勝と釧路の国境に近く、語源はアイヌ語にあって「テシ・ペツ tesh-pet(梁・川)」と、解する。

「梁 やな」を
「川の瀬に杭を打ち並べて水をせきとめ」
「一か所だけをあけて簀(す)を張り、川を上り下りする魚をそこに受けて取る仕掛け」。
かく記載するは、日本的解釈にすぎるでしょうかねー。

「徹別岳」YouTubeの記載。
 https://www.youtube.com/watch?v=sWarbgHYzd4 

 「北面の飽別川・二股沢から」。
 「林道~作業道跡をうまく繋ぐと山頂直下まで楽に行けます」。
 「展望良いのでもっと登られていいと思う」。



 そういうことでありますが。下の図。赤丸=観察地 黄色=徹別岳、緑色=阿寒富士。
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二芸に生きる 駅ピアノ・京都駅Vol.1 210420
二芸に生きる 駅ピアノ・京都駅Vol.1 210420

京都駅7Fのロビーに置かれたピアノ。鉄道利用客が演奏に親しむ。

見ていて気がつくのは、
 二芸に生きている、
 幼い頃から鍛えてきた含み資産の豊富さ、
 愉しみ方のハイセンス。

プログラマーの男性の演奏するクラシック。
薬剤師の青年が魅せる編曲のリズム。
高校生のテニス選手は、初戦敗退の悔しさを演奏で紛らわす。

北海道には少ない、蓄積の豊かさ、階層の幅の広さ、表にあらわれていない潜在力。
見習いたい。
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操船の域内と域外 間宮林蔵「樺太調査」のルート
 操船の域内と域外 間宮林蔵「樺太調査」のルート

 形は緩やかな曲線ながら、実は<丸木舟運行>にとっては<重要な意味>。そう受け止めざるを得ない探検コースが南樺太に、示されていた。



 図の赤線は間宮林蔵の探検コース。
 シラヌシを出発した林蔵は北知床半島に向かうも、ここで<北上&北進>を断念する。
 その要因はアイヌ民族から借り上げた<丸木舟>を操船することのできた海域と、困難になった海域の転換点が「北知床岬」と、するものであった。

 林蔵が樺太調査を担当したのは文化5=1808年とされる。
 相方の松田伝十郎が樺太西海岸、林蔵は東海岸を担当することになり、前にすすむことが困難と判断されたとき、相方のルートに合流する方法がとられたと、する。

 間宮林蔵はアイヌ民族のもちいる<丸木舟>を操りながら、一書は「林蔵は多来加湾岸のシャクコタン(散江郡散江村)まで北上するが」と書く。
 海岸にそって「シラヌシ→北知床岬」まで北進するも、以北の海岸線を丸木舟で北上することは困難と判断したことになる。

 この間は決して深い湾や入り江ではない。しかし岬以南の緑丸印と以北の<外洋>とは、操船条件に大きな差異のあったと、筆者の理解では推測しておく。

 そのあたりの調査精度を高める作業は他に譲ることとして、今は釧路町大字跡永賀村に位置する「浦雲泊 ぽん・とまり」の地形について、言い及んでおくことにする。



 図で「(西の)タコ岩」=十町瀬に張り出している岩。
 その図の「(東の)ローソク岩」=冬窓床 プ・イ・マ」の岩を見てとれる。
 この二点の「張り出し部分」が意味をもち、緑線で囲んだ海域は丸木舟を操船しやすい好条件。つまり「ポン・トマリ 小・泊」と理解するにふさわしい条件を用意していることになる
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経営と支配の単位=「門 かど」 門と土地割替制度210417
 経営と支配の単位=「門 かど」 門と土地割替制度210417



 人吉・鹿児島・都城など南九州に展開した「真宗禁制」。
 その対象は「門割制度」と呼ばれる農民の支配組織に対し及んでいた。

 「門」について『日本史広辞典』山川出版社。 
 「鎌倉後期~南北朝以降の南九州にみられた経営と支配の単位」。
 「住居を中心に屋敷地とそれに付属する耕地からなる」
 「南北朝期以降在家収取役の徴収対象となった」
 (もとは「家の周囲にめぐらした囲い及び付属の土地をさした」)。

その「門」を単位に近世の島津家中は、
 「門を前提に、土地割替制度を加えて編成」
 「農村支配組織としての門割=かどわり制度を実施した」(前掲書)。

(黎明館公式HP「川辺郷各村門名」)
 「川辺郷の神殿村・野間村・平山村など11ヶ村(享保期以降の村数は13ヶ村)の門・屋敷名を記録したもの」。
 「当時1村に平均24門が存在」「平山村には下之園屋敷の名前も見え」「村落内で門と呼ばれず,屋敷と帳付けされた」事例。
 「屋敷にも名頭=みょうどう・名子がみられ,五人組の一員となっていた」。
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真宗禁制・苛斂誅求・門割制度、桃園恵真鹿児島大学210417.
  真宗禁制・苛斂誅求・門割制度、桃園恵真鹿児島大学210417.



 薩摩家中の「隠れ念仏」と「苛斂誅求=かれん-ちゅうきゅう」の語句を耳にしたは、1965年に至る時期。
 しかし、「隠れ念仏」と「苛斂誅求」の概念が結びつかないままに、ここまで過ごして居た。

 1965年ころ学部で、「真宗禁制」と「門割制度の苛斂誅求」の話を、当時の指導教官に聴かされた。
 古書店に注文して桃園恵真氏の論文を買い求めた記憶がある。

 一読するも、理解できたとは言いがたいまま、記憶の外にあった。

 1886年、鹿児島市・都城市を訪ね、指宿温泉を通過したのは前田正名翁調査のためで、真宗禁制も特攻基地・知覧も念頭にはなかった。
 
 
 「苛斂誅求」の背景に、伊藤忠士氏は
 「門単位に年貢や夫役=ぶやくが課せられ」「(年貢は)八割を超える高率」「重い負担で農村は荒廃した」と書く。

 人吉・鹿児島・都城の地が対象。
 権力で「南無阿弥陀仏」を禁ずるも、「隠れ念仏」で「真宗禁制」に対抗した。
 その年数は戦国時代末に始まり、江戸時代を通じた実に300年に及ぶ

【苛斂誅求】
税金や借金などを容赦なく厳しく取り立てること。
「苛」はむごい、また、責め立てる意。「斂」はおさめる、集める意。「誅」は責める意。
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「生業は勤労者でも、人生は『自らが経営者』」 生涯学習210512
「生業は勤労者でも、人生は『自らが経営者』」 生涯学習210512。



 1.「気がついた3依存 新型コロナウィスル感染症」
  1)「サラリーマン生活 時間管理が他者依存」
  2)「モノ・サービスの供給、他者依存」
  3)「情報収集はネット依存」

 2.京名菓「かきつばた」の<おもてなし>
  4)「エリザベス女王 5月京都来訪」
  5)庭園で裏千家が抹茶、老舗菓子店は創作名菓「「かきつばた」
  6)名菓に「唐衣 着つつなれにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞおもう」の由来。



 3.丹羽宇一郎氏「生業は勤労者でも、人生は『自らが経営者』」
  7)勤労者は名菓から「<出来あい>を選ぶ」、経営は「名菓を<創作>する」
  8)課題発生を解決するとき、「役人は<どの法律>で解決するか」「民間は<どんな法律>があれば解決できるか」
  9)経営者は「朝、四時に起きて、本を読め」

 オチ
  10)「愉しむこと、楽しみ方を豊富に」「本を読む、読んだら書く」「書けるほどに、読む」。
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紙・活字文化の有意味・五章 そのうち記載
紙・活字文化の有意味・五章 そのうち記載。

1)「紀1400年の危機」
2)「非製造物主義に応える」
3)「聴く・読むの力とイメージ力」
4)「調べる。考える力と創る力」
5)未来をつくる本気度

しゃち大師 伝染:魚×肉×

水戸の名物 たこ
魚次郎   水戸(斉昭)ー慶喜
みかん   慶福(紀州)果物OK

ミシシッピー号 浮世絵 edo-life
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入学式にあたって 釧路湿原シニア大学&大学院210414
今期は釧路湿原シニア大学に三二名、そして大学院に□□名のみなさんをお迎えしました。



役員・担当者ともども、心から歓迎いたします。
あわせて二年間にわたり学びつづける尊いご決意に、深い敬意を申しあげます。

 私たちはこの機会に、「地球の未来を創り、次世代に継承するため出来る事」を本気モードで学ぶことにいたします。
 私は昨年五月、「気候変動とパンデミクスは同根」。つまり同じ要因によって発生すると、総合雑誌の特集で読みました。

 マスクをする現在は「感染症を他者に移さぬため」です。
これが「マイクロプラスチックを吸引しないため」となれば、未来にむかいマスクから決別できません。

 これまで「自分の未来を創る」「地域の未来を創る」にご尽力くださった各位に、心からお慶びを申しあげます。
 百歳までの生きがいに、「地球の未来を創り、次世代に継承するため出来る事」を、共に学んでまいりましょう。

 以上をもって、式辞といたします。
 いずれの時も、いずこの地にあっても、どのような立場に位置しても、「共に学び続ける」の決意のもと、共に励ましあいたいと存じます。
地域社会の各位・機関におかれても、市民の「尊い志」をご支援くださいますよう、願ってやみません。
  令和3年4月14日           釧路湿原シニア大学長
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「この風情・雰囲気を江戸時代と変わらずに保つ」「それが私たちの使命」 落柿舎の柿樹210413.
「この風情・雰囲気を江戸時代と変わらずに保つ」「それが私たちの使命」 落柿舎の柿樹210413.



渡月橋にはじまり、
天竜寺-嵯峨野の竹林-野宮神社-保津川の屋台船-落柿舎-大覚寺-大沢池-広沢池-仁和寺のコース。

落柿舎は向井去来の別荘。
師匠の芭蕉は三度訪問し『嵯峨日記』を残している、と。もちろんガイドにあたる人も俳諧の心得が十分。

樹齢300年の樹木を指さして、「これが由来になっています」。
 しかし、その樹木にも限界。この推移に「樹齢30年の若木を植えて育てています」。そう、キッパリ。

そのうえで、「この風情・雰囲気を江戸時代と変わらずに保つ」「それが私たちの使命」と語りつづけていた。

春の京都は「緑」。
別なガイドは「ガイドブック、寺ばかり見ていないで」と一言。
「緑の葉っぱの輝き、樹間をながれる風の音」にも眼を開いて、と。

女性は
 「みたらし団子」は「食べて無病息災」と、意味づけを。「たびラン 京都・東山の遺産」nhkBS3 210413 6:45~。
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眼をあらう思い=春の青もみじ 流響院 in 京都東山210411
 眼をあらう思い=春の青もみじ 流響院 in 京都東山210411



 「京都 南禅寺別荘群 春」.
 樹齢200年の紅梅。咲き誇るシダレ桜。新緑に映える青もみじ。
 画像でみたのは流響院の「新緑に映える青もみじ」。実に「心あらわれる思い」。

 松下真々庵の庭園の映像も紹介。
 苔の緑、松の深緑、青松・白砂の実に<白砂青松>。

 しみじみ「創造する」「護る」「育てる」の三手続き。実にその積み重ねの一世紀。
 「創造」「管理」「投資」「職人の技」の集積。

 本州からの来訪者の弁。
 「こちらの邸宅では、みなさん塀をお作りにならないですねー」。ローン組んで、家を作りて、庭の余裕なし。
 「家つくって神仏なくば、ただの牛小屋」。越中生まれの母。息子が自慢する家に一言。
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漆喰仕上げ、大城の象徴する銅板屋根、眼前に家康築造の天守閣
 漆喰仕上げ、大城の象徴する銅板屋根、眼前に家康築造の天守閣。



中世の山城が、戦国時代を経て近世の平地城へ。変化はほかにも「名城SP」 mhkG210410。

 1)黒塗りの城が漆喰仕上げの「白亜城」に。
  黒く露出の木質部分は戦火にもろい。いわば「防火」の知恵が漆喰仕上げに。

 2)尾張・名古屋の名城。実は屋根が「銅板」仕上げ。
  理由は「城の重量を石垣が支えきれなかった」ことにある、と。それは早くから指摘されてきた。
  瓦屋根を銅板葺きに切り替えて軽量化をはかり、崩れかけた石垣を修復することに。
  傾きかけた築造物を綱で支える場面。その「支える綱」が「荒縄」で牽引している図も紹介されて、驚いた。

 3)大坂城、現存の天守閣は『家康の築造」。
  すでに秀吉の天守閣は、「大坂夏の陣」で消失。焼失ではなく、消失としておくことに。
  現存の天守閣は3代目。
  いえやすのそれが、再建された。もっともこの地は「石山本願寺跡地」と聞いているが。

 尾張城。
 再建当時は「赤がねつくりながら、しだいに緑青を発して緑色に転化」。
 「黒塗り」が「白亜」に転じたのは、「技術革新」ともうしていた、が。
  (手元にあるは広島・鯉城写真に岡山城天守閣写真。見つけるまでは二条城写真で)
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遠い日の意外な記憶 二ヶ領上河原堰堤210409
二ヶ領上河原堰堤(にかりょうかみがわらぜき)
多摩川の水を堰止め、二ヶ領用水に導いています。



 昭和20(1945)年にコンクリート堰となり、
 昭和46(1971)年と平成24(2012)年に改築されました。  https://www.city.kawasaki.jp/530/page/0000065389.html  

また、「二ヶ領上河原堰」について、
「神奈川県. 下でもっとも古い人工用水『二ヶ領用水』に始めて作られた取水堰」と。

京王電鉄線「国領駅」から1.6キロメートル。徒歩19分と計測した。
国領には随分、お邪魔するも、いつも話し込んでいた。昼はコーヒー、夜は銚子をかたわらにしながら。

驚いた。
徒歩で一キロ超のところに、多摩川が流れているとは。しかも多摩川用水の取水口の堰堤も備えて。
日活調布撮影所も図面にあるではないか。

8ミリ好きの叔父に影響を与えた、撮影所。8ミリマニアのサークルがあるとも、聴いた記憶。



1960年代からの知人に頂戴した掲載写真。
しみじみ眺めて「遠い日の意外 二ヶ領上河原堰堤210409」。感慨深く.
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失職、出家、災害 「一人になる」&「孤独」違い示す『方丈記』210406
 失職、出家、災害 「一人になる」&「孤独」違い示す『方丈記』210406



 珍しく最初の放送を録画で視聴。
 1)栄進コースからはずれて失職、2)出家して隠遁、3)大火・飢饉・地震の災害。
 3点を「不条理」と受け止め、積極的に「お一人様」暮らし。

 出演者の一人、稲垣えみ子氏は申す。
 「『ひとりになる』と『孤立』とは違うよねー」。「一人になるは、自分の軸をもっている」と。

 アンカー役のアナウンサーは指摘。
 長明は、4)自分をいかすために一人、5)非常に繊細な正確、6)頭の中で他人を排除できない。

 しかし<自分をいかす場>はあった。
 7)和歌を徹底、8)聖地巡礼につとめ、9)和歌所の「寄人 よりうど」に選任され「実に精励した」と。

 治承の竜巻、安元の大火、養和の飢饉、元暦の地震。
 都とその周辺に「天変地異」の連続。「不条理なモノを受け入れることで、見えてくるコト」があったはず。
 そこを「原稿用紙で言えば20数枚」の『方丈記』にということのようで。

 ノートルダム清泉女子大学。
 日本語日本文学科の木下華子(きのした はなこ)氏は示す。
https://www.ndsu.ac.jp/blog/article/index.php?c=blog_view&pk=1575375999

 「私が書く文章は800年後も残り得るのだろうか。」
 「私の文章は、800年の間、読み続けられることが可能なのだろうか」
 「800年とは、生きる時間も場所も異なる多くの人々が作品を書き写し、読み継いできた時間」
 「古典とは決して過去の遺物ではない。それを読む者の今に影響を与え、新たな作品を生み出すような現在性を常に帯びている」。
  (写真は「大福光寺本(現在京都国立博物館寄託)。写真は複製」と)


 ある意味「価値」とは、
 「今に影響を与え、新たな作品を生み出すような現在性」ということでは、ないだろうか。

 番組案内での紹介。その一説。
 「個の時間の大切さを見出し自分に楽な生き方を模索した極意とは?」
 「令和に「ひとり」の強みを自分の内に持ってみては!」
 (nhkETV  210406 「知恵泉 鴨長明 ひとりを愉(たの)しむ〜不条理な世を生きる極意」)。
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新書版ながら濃密 中野幡能著『八幡信仰』(塙書房)
 「ヤハタ」「ハチマム」「ハツマン」。読み方に様々あり、「どう読むか」と古来諸説(10p).



 では「八幡」の「神名」はどうして起こったのか。と展開。
  1)「仏説によるもの」
  2)「専ら八幡の字義による解釈」で
   A)地名に由来する説。
  B)「幡」に着目して「皇后が神がかりの状態に入るための設定様式」とする説もあるようで(14p)。

 祭神は応神天皇と言うこと。そうなんですかー。
 「宇佐八幡」「下北半島に多くの神社」「江戸時代のアツケシの寺院記録にも八幡信仰」。

 1915年生まれのお方が古希の機会に出版されて。
 宇佐八幡に近い、別府大学の先生が著者とされるのも、由緒が深い。

 章ごとに結構な文献の引用。
 論文を読ませていただくような、『六国史』『記紀」の引用が紹介されている。
 新書版ながら濃密 中野幡能著『八幡信仰』(塙書房)
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地元愛育む「地域学」各校で 地域から179の窓210404道朝14面
地元愛育む「地域学」各校で 地域から179の窓210404道朝14面



 この見出しで『北海道新聞』朝刊14面に1ページをあてている。

 「海・山の幸 包装紙に描く 石狩市・厚田学園」
 「クジラ汁、松前おこわ 作って実感 ふるさとの味 松前高」
 「郷土の課題 向き合う契機 稚内高 必修化2年、市民も期待」
 「特産の羅臼昆布 調べて図鑑作成 水質保全にも言及 羅臼小」。

 <記事のリード>、その部分には、以下の記載。
 「自分たちの暮らす地域の歴史や文化を見つめ直す動きが道内各地でさかんだ」
 「地名を冠した『地域学』として学校の授業でも定着しつつある」
 「その土地ならではの産業や特産品への理解を深めることで、地元の意識を育て、伝統を継承してもらう狙いがある」
 「各地で行われている多彩な『地域学』の取り組みを地域面の記事から紹介する」。

 「郷土の課題 向き合う契機 稚内高 必修化2年、市民も期待」。
 この記事は、本紙ですでに掲載され、確かに読んでいた。

 若者には難解。
 そう訴えられ、敬遠される領域ながら、「鉄は熱いウチに」の比喩が生きているとの、実感。
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家斉公建立寺院 息女の婚家がのちに地域経営 史跡・国泰寺跡
 家斉公建立寺院 息女の婚家がのちに地域経営 史跡・国泰寺跡.



 厚岸町郷土館に内田伊七筆『生国出立日記』が伝わっている。
 記録は故郷の佐賀を跡に厚岸に到着までの移動記録。

 団体移住で鍋島家中からなぜに厚岸へ派遣されることになったのか。
 その展開を問われると、現地サイドでは明らかにしにくい事情にある。

 佐賀藩が釧路郡、川上郡を経営地に選択したのは事情があった。
 鍋島家家臣の島義勇が寿都の宿に宿泊したとき、松浦武四郎の書簡が託されてあった。
 松浦は開拓の地に、蝦夷地中どこかを選べと問われたら、「クスリの地を」と記載してあったから。

 佐賀藩は、
 この書簡に注目したか釧路川流域の両郡をシッカリ押さえる。
 そこまでは納得するも、次に厚岸を選択した要因。 
 厚岸郡は蝦夷地太平洋岸の枢要地であった。それは本州側からの見立てではあるも。

 「よもや」とは推測する。
 厚岸には徳川家第十一世、家斉公建立の寺院がある。
 その公は男26人、女27人の子だくさんであった。 
 26人の息女のお一人が鍋島家に降下していた。「テテ様のお作りになった臨済宗寺院」。

 娘はそこに気がついた。とてもそうは、思えぬが。
 海洋都市。
 実に多くの側妾さんたちを海にたとえるは、実に品格にかける、が。 
 息男・息女は全国の大名家に。国中に宗家・徳川のネットワークが敷設された。それは間違いがない。

一隻の舟が大海にうかび、生み出した命が広いネットワークを示そうとした。
 「将軍・徳川家斉が「53人も子供を作った」ワケ
「男子26人、女子27人」はスゴすぎです…」は テレビ番組にもあった。
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劣化すすむ男女平等平等格差、政治・経済・教育の国際ランク210401
 劣化すすむ男女平等平等格差、政治・経済・教育の国際ランク210401



 このほど発表「(国際)男女格差報告」。
 スイスのシンクタンクたす「世界経済フォーラム」が公表したしたデータである、と。
 道内配布紙が伝えている。「特に政治・経済分野での女性参画が最低レベルに低迷」と。

 「政治147位」「経済117位」「教育92位」は、「政治で最低レベル」。」
 「教育も遅れG7最下位」。
 「教育分野での順位は92位に上がるが、先進7カ国(G7)の中ではイタリアの57位から大きく離され、最下位となっている」と説明。

 ちなみに分野別の評価で日本が最も高かったのは保健だったが、65位にとどまっている。

 株価の高さが政権の強さに連動。そう信じて夫人の行動を自由奔放に認めた総理大臣。

 森友・加計問題でお友達優遇。総裁戦で圧倒的票差のための桜を見る会で支持者優遇、
 学術会議会員選任でナンクセをつけたは「不都合を見てみぬふりする」に不可欠。

 先進工業国の名が泣きます。
 後進国なるものがあるとすると、本邦はその「逆さ首位争い」を展開中か。
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