2013年03月の記事


遠軽高 高校野球
 遠軽高 高校野球。さきに大阪桐蔭高との対戦があった。あきらかに核がちがった。

 そのときの大阪桐蔭高校。上位打線の打席にはいる姿勢、ポーズ、姿勢が気になった。「上から目線」。いささか、その見下ろす高校生の姿勢が記憶されている。

 「走者が捕手に激突 守備妨害で大阪桐蔭に厳重注意 センバツ」。広く、報道された。

 民営高校の、強いといわれる組織的な自負か。岐阜の県立高校が、3連覇に「待った」、

 いささか、考える。教育のありようというより、「強い」への思い入れと自負を。
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多木浩二著『戦争論』
 多木浩二著『戦争論』。「近代の戦争」「軍隊国家の誕生」「死と暴力の世紀」「冷戦から内戦へ」「二〇世紀の戦争」と章建てされている。

 
 うち「軍隊国家の誕生」には「ー近代日本」の副題が付せられる。
 そこでは明治国家の誕生に、「幕府・大名家が有力商人から背負った借財」を明治政府が「肩代わりした」点を指摘する。
 それともう一点、維新政府の政策展開のその後に地主小作制度が拡大し、小作争議の頻発に軍隊は「争議鎮圧」という形で、国民皆兵で組織された軍が、国民を圧する形で対峙する構図。
 明治政府は富国強兵を政策にすえ、国際社会に伍していく国是を示した。旧幕の有力商人に背負わせた借財は政府が肩代わりしたが、有力商人にはその債務には応じなかったものの、産業育成の観点で保語と血税をつぎこむ保護政策が選択されたのだと、言いたいのだと見る。

 個人間の戦い、そして国家間の戦争は古代にもさかのぼる。
 しかし20世紀のそれは、局地の戦い、国家対国家の戦いではなく国家群と国家群の戦いとなった。それが「世界大戦」というべき結果であり、20世紀の戦略はそれまでの「陸」と「海」の覇権争いにくわえて「空」と「核」が加わったということになる。
 国民は原子力爆弾投下を忘れていないが、アウシュヴィッツも、南京もあった。非戦闘員のみならず、大量の人命が失われた。

 今日、日本国民とは遠いところで起きる戦時は発生している、とする。イラク、コソヴォ、ユーゴスラヴィア。戦いが核の時代にある今、隣国の北朝鮮にしても核保有がすすみ、本土上空を通過する兵器の実験が繰り返されている。官民の交渉と交流をこえて、なにかの触発でも攻撃をしかける自国民も人命・財産・将来への環境への甚大な被害を結果する。

 本書では、ここに注目しておきたい。
 「権力の言説の罠にはまらないこと。戦争がこれこれの理由で生じたという権力の言説に対して反論するよりもー戦争の現実を徹底的に知ることは必要だがーそれを超えて希望を見いだす言説を創造することがいっそう必要なのである」(156p)。

 著者は末尾に「可能なかぎり平易な言葉で書こうと努めた」(200p)とする。
 拙い評者として読み進めつつ。人類のどこかに、自然に対しても、人間自身にも、互いに「尊厳」なる価値を平気で踏みにじろうとした「20世紀以降」を、思わずにおられなかったのではあるが。(岩波新書 1999年)
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富豪村 旧大聖寺
日本一の富豪村 旧大聖寺町橋立 大正時代に発行された『生活』という雑誌に紹介された、という。

 北前船の里資料館と北前船主屋敷蔵六園が見学可能施設。

 橋立 塩屋 瀬越。北前船の船主の根拠地。
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開幕 野球
 開幕 野球。3月29日を迎えたが。地域内の地上波中継は札幌に拠点をくチームのビジターゲームの中継。BS朝日でも見ることができるらしいが。

 東京に根拠地をチームは入団3年目の若い投手がオープニングゲームに登場すると言う。こちらのリーグも「先発予告」に転じた、か。

 この人が選ばれるのは、やはりWBCの後遺症かも。投げる方はともかく、打つ方に影響はないの、か。 

 最初の試合がはじまると、たちまち最終戦ともなる。暦がめくられ、歳がかわる。「飼った」「負けた」とばかり、言ってはおれぬ。
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冬華火 阿寒湖温泉
冬華火 阿寒湖温泉 「3月15日まで」ということであった。白雪と氷の湖畔、その夜空に饗宴が展開



 20時台。ほろ酔いの部屋の窓から高くうちあげられ開花する光、多彩、大きさのページェント。

 室内からではなく、氷上をあるいて打ち上げ会場に案内してもらい、現場での迫力をまのあたりにすることもできるらしい。

投宿先の宿の入り口にある、「団体客歓迎案内掲示」に「阿寒の冬華火と層雲峡氷曝まつりの旅 御一行様」と、あった。


 前夜は「今日は暖気で氷も危険」と案内があった。
 もとより外にはでていかなかったが、川湯温泉の朝の樹氷は天然、湖畔の華火は関係者の努力。新しい価値創造ということ。
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春 樹氷
 春 樹氷 3月27日朝。カーテンを開いて、春の装い。



気温が上昇、気化した水滴が急激に冷却されたか、朝、枝・枝に氷片。



 カメラにおさめて、今年の春到来の一枚に。
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加賀 北前船
加賀 北前船。月曜日からシリーズで放送。函館、下北、秋田、新潟、加賀とむすぶも、最後は加賀と小樽の紹介であった。

 加賀は橋立、瀬越と銭屋五兵衛が紹介され、大家・広海・西出などの諸家の全盛時と、その後が紹介された、が。

  

 転機は汽船、鉄道の輸送革新に電信という通信手段の普及。地域による価格差が解消し、全国相場が形成されては輸送と売買の兼業が成立しなくなった。

 小樽の住吉宮に大家家と広海家が寄進した大鳥居が現存。小樽あたりが北陸廻船が直接乗り込んだ境界ということかも。

 

 写真は網走神社に伝来の絵馬。施主は近江・松前。北陸廻船の出先ということかも、
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新潟 北前船
 新潟 北前船。シリーズでの放送北前船。秋田の昆布、酒田の米につづいては新潟。

 新潟は佐渡への渡り口ながら、それは直江津や柏崎が優先、天領経営としては出雲崎がさきかと記憶するが。

 新潟と北前。ここは信濃川水系に阿賀野川水系の河川輸送と北前船の日本海買い積み輸送の結節ということか。

 中心街の古町。花マチとしてのそれは実感がないが、税関とあわせて、どうも安政の開港以降のことではあるまいか。

 番組ではむしろ会津で集められた米を越後に、信州の米を新潟に送る河川輸送に、河川型北前取引(売買+輸送)の様式津川=河港などが成立していた点の紹介が有意義であった。

 木曜日の放送では、モノ、ヒト、文化の交流に「おけさ」と「塗り物」の伝搬と普及。そこのところを丁寧に紹介していたが。
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財力 胴海舟船&川崎舟
 財力 胴海舟船&川崎舟。前浜漁業で回遊魚を漁する東北出身漁業者の漁船を胴海舟と整理しておこう。動力は櫓である。

 4-5里さきの沖合に出漁し、通年にわたり生息する定棲する資源を漁獲するの越後出身者が導入した川崎舟である。動力は櫓もあるが主力は一枚帆に風力をうけての帆走舟。

 どっちに元手がかかるの・、聞かれた。答えに窮したが、その違いは江戸時代の、越後と東北の米の付加価値の違いと考えることにした。

 微妙ではあるが、前浜数百メートルの地点で操業する漁業と、沖合数里に出かけて漁業をしながらも、鮮度に差異なく漁業で肩をならべていく経済的根拠はといえば、それは微細なのかも知れない。

 ただ、わずかに越後漁業者の生産力をささえていたもの。そこになると、越後の米出荷をマーケットにもつ漁業者と東北の米作りをマーケットにもつ漁業者にとって、背後圏の経済力。それが決め手になったのではと、思いめぐらしてみた点ではあるが。
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阿寒湖荘 阿寒湖温泉
阿寒湖荘 阿寒湖温泉。湖畔に広がる温泉街。湖上から眺めると雄阿寒岳を背中にして阿寒湖荘は位置する。しばしば訪れることがあるのは、この宿。

 

 宿からはフップシ岳を最高峰とする山並みをのぞむ。最上階に「展望大浴場」を据えており、湯船からその山並みと温泉街を一望できる。
 湯船からみえる山には名称がないらしい。惜しい。

 

 泉質は、「単純泉。効能は神経痛やリューマチ。段々畑のように高さの違う三つの浴槽が、源泉100%掛け流しの証しです」というのが、なによりありがたい。

 

 山を見にゆき、湯につかりにゆくのではなく、「山に見せに行き、湯に包んでもらう」。これ、「客が何度でも足をはこぶための屁理屈」。

 

 昼間、アイヌコタンの「丸木舟」さんに足をはこび、キーコーヒーに「サルルンカムイ」のCDを一枚。
 宿のとなりの土産店「くまの子」さんで、木製印箱+鹿角のマッサージ用ハンマー。2泊3日の休息。
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千日墓 道頓
 千日墓 道頓堀。大阪の繁華街。道頓堀は市中ひきまわしの刑場への道なのだそうだ。

 千日は刑場で、江戸時代を通じて200万人が埋葬されたとする。

 法善寺横丁。さびしきところに繁華街ができたものだ。出来たと言うより、そのあたりにヒトの集積の論理がある、や。

 京都・奈良をめぐるとき、大阪に宿をとることが多い。到着の日、道頓堀を歩くが、「市中ひきまわしの道」とは。
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仏教伝来 外交成果
仏教伝来 外交成果。仏教伝来をめぐる蘇我氏、物部氏の対立。

 朝鮮半島。その先端部に任那の交易拠点。日本府がつくられた。唐の圧迫をうけ、新羅の侵攻をうけた百済は倭に援軍を求める。

 倭は援軍を送るも「磐井の叛乱」があって、支援は失敗に終わる。ただ見返りに仏教の導入=寺院建立、経典の読解、教義の理解を果たして、蘇我氏は氏寺たる飛鳥寺を建立する。

 これまで仏教伝来をめぐり蘇我と物部が「対立」と受け止めてきた。そこのところを両氏の、「内政、外交の対立」と読み説くらしい。

 唐・新羅と通ずることをとく物部に、百済との親交を考える蘇我氏。大伴の勢力が停滞したあとの物部に、渡来人を組織し主導権をめざす蘇我氏。

 百済の首府にある王興寺と蘇我の氏寺たる飛鳥寺とは、建立年代が近接。王興寺の発掘で出土の舎利容器と飛鳥寺の法宝物、また蓮華の花弁の様式。それぞれ類似のものが残るとする。

 外交が武力=豪族から専門家の手に映る局面、当時、文明の主体であった仏教の伝来は、百済支援の見返りであり、内政・外交の主導権を制する事象であったとするのであるが。
 
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野球の文化 WBC
 野球の文化 WBC。3連覇ならず。ネットの情報でしか知らないが。

 拙宅で中継を見ていた人の意見を聞いて考えた。「アジア的野球では、日本は強かった」、しかし「中米野球には通じなかった」ということか。

 オランダは土地こそヨーロッパに位置するも、中米に植民地があった由縁でチーム内に「中米出身者が多い」は解説者・桑田真澄氏の弁。

 日本はオランダには強かったが、韓国は敗れた。日本は予選でキューバに勝てなかった。準決勝で負けた。

 アメリカ大リーグ。実は中南米選手が多いということ。
 対戦したプエルトリコの主力選手の契約金が12億、13億所得者と聞いて、日本人メジャーよりも上回るの感。

 かつて柔道が発祥国のはずで強いと自負したら、それが通じなかった。
 「国際社会で勝つ柔道」の訓練が女子選手団への体罰となって浮上。関係者は説明に追われた。WBCでUSA国の不振と似ている。

 昔、ソフトボール選手の家人申す。
 「審判の判定が滅茶苦茶、投手の投球テンポがはやくバッターはついてゆけなかったのでわ」。

 仮に大相撲世界選手権が開催されたら、
 満を持した日本人力士は惨敗。モンゴル出身者に勝利の女神はキスをする、ハズ。

 「アジア式野球」体「中米型野球」。
 日本にも、そしてUSAにも、勝利の女神は無縁であったと、言うことなりや。
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 蔵。 駅の館 材木町の館 大町の館とある。

 1955年前後の生活文化財を公開。「駅の館」は釧路駅のなかにありおかゆ、おやき、汁粉、あんみつなどの小食を提供している。

 17日の昼、中心街回遊の折に立ち寄った。「白玉汁粉」が480円、黒豆あんタイ焼きに日本茶で120円とかいわれ、あわてて小豆餡と黒豆餡のタイヤキを一個ずつ追加。これだけでも一人分の昼食代金かも。

 「蔵 材木町の館」の展示図録、公立学校の廊下に掲げられた美術品の一覧など「お宝探し」は可能かも。
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封建小農 単婚小家族
 封建小農 単婚小家族。江戸時代の農民身分の基礎単位。

 大石慎三郎は著書『江戸時代』のなかに、「(農業用地)広さにして約一町歩、石高にすると約一〇石くらいの田畑をもち、自分の責任において耕作し(この場合耕作労働力は雇いいれた労働力でではなく自家労働力で年貢を納める存在」(223p)と書いている。

 「彼らの家族形態は単婚小家族といって夫婦と子供を中心にし、これに場合によっては夫婦の親が加わるので、家族数は平均して四~五名といったところである」とする(同)。

 単婚小家族は1965年にはいわれていたが、「核家族」なる語が登場するのはその後である。いまも歴史学では「単婚小家族」と呼ぶと思うが。
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パレード 虚構の一時
 パレード 虚構の一時 テーマパーク。経営が軒並み低迷する中、ここだけは多くの人をあつめる。

  

 要素はいろいろあるであろうが、その一つは更新と新しい提案をもちだす、祖父と開発にあるとされる。
 設備をかえることは大きな投資を必要とするが、こちらの方は設備投資にくらべるに少額投資ですむ。

 

 昼と夜。表情も組み立てもことなるプログラムで、庶民を魅了するおとぎの国の世界。幼児の目はうばわれる。大人には耳を刺激する大きな音に抵抗感がある、が。

 

 用意された「遊べる空間」。テレビが虚像なら、こちらは非アメリカの地でアメリカを疑似体験できる点で、虚構ということであろうか。

 待ち時間。ひたすら待つ。前回はファーストフードレストランで宿題を広げる小学生。今回は文庫本を読む大人。
 今回、ファーストフードレストランで狭い席の間を≪わがもの顔)に通り過ぎようとした、高偏差値風の男の子グループがいた、が。
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藍 徳島
 徳島 藍。BS11で放送された番組評を書いておく。

 徳島といえば「藍」。伝統的技法と伝統による作品の紹介施設が用意され、体系的に学習できるようだ。

 祖谷伝説ももちろん紹介された。安徳天皇が生き延びて、「火葬地」伝承地があるそうで、語り部の男性も紹介された。

 三好郡三庄村。現在は東みよし町に合併されている。祖谷は三好市に。どちらも吉野川の上流部。

 この番組が放送される直前に、佐藤慶らが出演した「女人平家」を見て、徳子「皇子出産」のあと、この番組を視聴。不思議な気がしたが。

 藍ににて、地味ながらも深みのある番組に仕上がっていたかとおもう。(3月15日)。
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にぎわい 待つ
 にぎわい 待つ



 首都圏界わいのテーマパーク。2月上旬の3連休のど真ん中。



 人、ヒト、ひと。開園前から行列。人の列。
 あらかじめ入園券をもっていても、まずは手荷物検査、それから券をバーコードで判別させて。



 それが終わらないうちに、「本日のファーストパスは全時間帯で発見を終わりました」。「エーっ」の悲鳴。なんのことか、理解できなくてもかまわない。そういうことが、わかる世界もある。

 ファーストパスなるものを持たない人は、順次、列の最後尾に並ぶ。情け容赦のない掲示。「ここからで 240分待ち」。でも、並ぶ。



 「特別養護老人ホーム、入居希望の待機者40万人」。こういうところで、「待つ訓練」が充実すると、高齢の介護待機者を抱えている人も怒りや反乱をおこさないのかも。

 さきの震災で言われた。「日本人はすばらしい、列をみださず順番を待つ」。「待てばそれなりに『当たる』」。こうした場処での訓練の結果かも。

 
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譜代結合
 譜代結合。徳川幕府の家臣団構造の中軸を示すものらしい。
 かでも井伊家は譜代筆頭。会津・彦根・高松は、東北・琵琶湖・瀬戸内の軍事上の要点であった、か。

 城の陣容も興味深い。御座に将軍、御用部屋に老中職の大臣クラス。
 弐之間に会津・彦根・高松が占めて、ここから大老が輩出されると、溜之間で大老は執務。
 大廊下に御三家が控えるもこちらは執政に口をはさまず。大広間に外様の大名。
 
 列強の開国要求。
 阿部は幕政の改革をすすめる。門閥という伝統的な家職制度に、能力主義で分析力、構想力、交渉力、外語駆使力。

 学者はいう。
 伝統的な門閥という血脈主義なら、職務にともなう責任は周囲の者に分散される。
 しかし、能力主義だと選ばれた者自体に責任が収斂する。いろいろあるが、将軍継職で南紀派は伝統的血脈主義、対する一橋派は能力主義。

 本来、近い距離にあった斉昭と直弼。「戊午の密勅」は決定的対立を持ち込み、「流血」に動き出す。
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丁寧朝食
丁寧朝食。朝、体重を確認することにしている。64キロー65キロのそれぞれ中間ぐらいで推移する。

6月が底で、正月がピーク。夏に向かって減少、秋にむかって増加。食欲の秋とはよくぞ申した。

気がつくのは昼食、夕食が外食であるとき、朝、どーんと増える。夕食の豪華も目方に残っているの感。

そこで、心がけるのは朝食をシイカリ摂取、昼、夜と次第に軽めがのぞましい、か。。

でも、日本の文化はいあささか、違う。どちらの宿でも、夕食は豪華。心なしか、温泉宿の体重計はいささか軽く表示するようにセットされているのでは?、と。疑ってみたこともあったけれど。

夜は時間がながくて、くつろげる。食事も豪華。転じて、クリスマスイブと大晦日はなぜか、大盤ぶるまい。体重計に朝、のってみる、と。

で、努めて朝食はシッカリ取る。決して豪華とはいえないが、朝は時間がいくらあってもたりない。豪華朝食にかわる語があるか。おもいつくは「丁寧朝食」。
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台釧直航便01
 台釧直航便01。
 街なかに掲示のポスターで、このマチの空港と台湾との間で、金曜日に週一往復の直航便のあることを知った。

 台湾の理解。
 格別の知識がないなー。昨夕、ふと立ち寄った店先で旅行ガイドブックが目にとまり、一冊購入。
 今朝からパラパラと。地域区分でみると「台北」のほか、東西南北に区分されるらしい。

 薬膳料理。
 中国の「医食同源」の考え方による。食材とメニューをながめていたら、「肝臓によい」の項目が。
 中国もやはりお酒?。呑みたい。しかし、心配。庶民の率直な気持ちを読んだ、が。
 
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渤海国 華夷秩序
渤海国 華夷秩序。渤海(ぼっかい)は8世紀から9世紀にかけ歴史の教科書に登場していたと思う。安録山が戦いを起こし、唐を滅亡においやったことも聞いているが、頭の中ではそれぞれ独立した「年表上の記載」と記憶していた。

 唐・渤海・新羅。これを地図上で示されると、そこには中国・南北朝鮮・中国東北部となにかほぼ、重なるように見えてくる。しかも渤海と唐の国境ではしばしば紛争、が。
 「中国東北部」という語は、小学校6年生の社会の時間にはじめて教科書で知ったかと思う。不思議に思った。父たちの使った地図にあった「満州と言うのが、ない!!」。その経緯はのちになって、知るのだが。

 図面をみていて、そして当時の国際関係を聞き、いささか心うごかされるものがあった。 渤海はほぼ満洲国とかさなるように、見える。
遣唐使はなじみがあるが、遣渤海使・遣新羅使という役目もあったとされる。日本は唐に対しては朝貢する中華蕃夷の関係。反対に日本は渤海を朝貢相手国たる蕃夷と位置づける関係。学者はそのことを、「ダブルスタンダード=二重外交」と整理していた。

朝鮮半島の大部を占める新羅。日本は激しく戦い、背後で唐が新羅を支援していた。
その国際的バランスに揺らぎを生ずる時。唐では安録山が兵をうごかす安史の乱。その情報をいち早く耳にした藤原仲痲呂は「征新羅」を企図。しかし仲痲呂自身が暗殺される。政策企画者の死で、ために「征新羅」が封印される。

830年代。遣渤海使・遣新羅使についで、遣唐使も廃止された。歴史の教科書ではこのあたりから「国風文化」の成立を述べる。
それはともかく日本。近代にいたるまでの朝鮮半島と旧満州国域への対応。そればかりではなく、中国と北朝鮮の関係。
いろいろいわれつつも、しかしそこに2000年近い積みかさねを見ることができる。NHKETV「さかのぼり日本史」の放送からメモしておく。
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箔合紙 日本の技術
  箔合紙 日本の技術。箔合紙と書いて「はくあいし」と、読むらしい。金箔の箔面を保護するために、箔と箔の間にはさむ和紙をいう。

 「読むらしい」と書いたのは、箔と箔の間にはさむ保護紙のあることや、箔を漆ではりつける箔押しの作業の工程はみていたが、その保護紙をなんと申すか、考えてみたこともなかった。

 テレビの番組。その製造過程が紹介されて、薄い紙の厚さは0.04ミリ(一ミリの100分の4)かと申して、いたが。

 製造地は岡山県の美作地方上横野地区。原材料はミツマタに独特の清流の水、ミツマタの繊維を水にさらして、丹念に不純物をとりのぞく(箔にキズがつく)。

 「植物でおくらに似ている「トロロアオイ」の入った水とみつまたを混ぜ合わせ るとなめらかで薄くて丈夫な和紙ができる」ともいうが、和紙を1枚すくと濃度がかわるので、「同じ和紙をつくるのに、同じことをやっていては同じ厚さのものはできない」と、申される。

 均質さを維持するために、漉くときには前後にだけ揺する。そうすることで繊維の方向が揃い、金箔から保護紙をはずすとき金箔に傷がつかなくなるそうで。

  http://www.e-tsuyama.com/people/2010/01/post-9.html

 照会のURLも見つけた。金箔の購入など機会はないが、せめて書簡は手すきの和紙で。そうでなければ、伝統文化が途切れてしまう。

 
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舞浜
 舞浜 砂丘の一面に思い切って投資をしたものである


 
 青年たちは申す。「若者の遊ぶ場所がない!!」。そう申される若者に、「時間はない、若いうちは自ら鍛えることが大切」などいう人はいないだろうし。



 遊びといえば、メンコ、コマ、ケン玉などなどがあった。同じ遊ぶではあるが、ここに書いた遊びは達人になるには、相当の訓練が重要。

 舞浜での遊びは、用意されたプログラムにのっかるだけで、どちらかといえば受け身。「待ち時間、4時間」でも、待つ人は、待つ。



 「一度」くらいは必要でも、「いつでも」はないはずながら、しかし混雑。
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真山仁著「横溝正史」
 」。聞いたことはあるも、読んだこともなくなじみがうすい。

 『獄門島』、『八つ墓村』、『犬神家の一族』といえば、テレビドラマやテレビを通じた放映で眺める機会があるも、全部を眺めた記憶はない。

 『獄門島』が描いたのは「敗戦の傷根が残る日本」(22p)、「日本人の心情がヒタヒタと読者の心の奥底に染み込んでいきます」(23p)と、真山は評する。

 横溝の半生において意図したものは、「日本ならではの探偵小説を書きたい」(32p)ということであったか。

 主題となる主人公・金田一耕助について横溝は、「日本人が背負った業や宿命を解きあかす役回り」とする(44p)。然らば、「背負った業や宿命」とは、なにか。答えを書中から探しているのである、が(書きかけ中)。
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