2020年10月の記事


天帝感謝祭、転じて「晴天&無事故」祈願 釧路運動神社201028
 天帝感謝祭、転じて「晴天&無事故」祈願 釧路運動神社201028

「釧路市民運動会」。長い歴史、人口の6割を集めたこともある、マチ中の一大イベント。



 昭和33年6月15日の市民運動会記録。
 「運動神社は祠を新築してグランド東側の小高い丘に移され、前夜祭はその社前で行われ、晴天と無事故を祈願することになった」と書く。

 確かに、小高い丘。
 そこに小社があって、「晴天祈願で、前夜に祭事が行われる」。かく、聴かされていた。
 毎年、隣接といえるかどうか。近くで高等女学校で発足した新制高校の一年生。先輩はこの運動会に参加するのがナライであった。
 
 大正7年6月16日、「正午の休憩時間に天帝感謝祭が行われた」とある。

 大正15年6月20日の市民運動会記録に、
 「浦見町武富私道のお稲荷さんから古い祠(ほこら)を譲り受け『運動神社』を建立した」と、起源を記載。

 ここまで、会場は「春採公園グランド」であった。

 昭和8年、前年に完成した「釧路市設グランド」。
 市民運動会は新設の会場に移り、「運動神社」も移設した」と記載されている。

 昭和31年6月17日。会場名は「釧路市設陸上競技場」。そう変更されたらしい。
 「天帝感謝祭を『晴天、競技感謝祭』と改称したが内容は従前どおりであった」と。

 昭和31年。この年は「もはや、戦後ではない」が、『経済白書』に登場した。
 「天帝」の表現は「晴天」に変更。「内容は従前どおり」は、含蓄があるのかも。

 『釧路市民運動会年表』に記載。佐藤公則氏の著作。
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五つの濁り―五濁 ヒトの質低下&時代進歩で命の危険増201028
 五つの濁り―五濁 ヒトの質低下&時代進歩で命の危険増201028



 五つの濁り―「五濁(ごじよく)」
 「劫濁(こうじよく)」―時代が著しく混乱する時代。
「見濁(けんじよく)」―思想、信仰が大変混乱する時代。
「煩悩濁(ぼんのうじよく)」―煩悩に染まる時代。→「欲望むきだしの時代」
「衆生濁(しゆじようじよく)」―人間の質が極めて低下する時代
「命濁(みようじよく)」―命が短くなる時代
→時代が進歩発展すればするほど、命の危険が多くなる?。
「劫」=インドでカルパ―時間。

 山崎龍明著「信心の定まるとき往生また定まる―第一通」(武蔵野大学名誉教授)
 http://h-kishi.sakura.ne.jp/s-91.htm 


《小経》
「五濁悪世。劫濁。見濁。煩惱濁。衆生濁。命濁中。得阿耨多羅。三藐三菩提」

《劫》
芥子(けし) 劫=上下四方40里の城いっぱいにけしを満たし,3年ごとに1粒ずつけしを取除いて,すっかりけしがなくなってしまう時間。
磐石劫(ばんじゃくこう)=上下四方40里の岩を,天女が天から3年ごとに下ってきて,羽衣でひと触れしているうちについにその岩がすりへってなくなってしまう。

小劫=芥子劫,磐石劫を小劫とし,
中劫=上下四方80里の城と岩にたとえる場合を中劫,
大劫=さらに120里にたとえるのを大劫とする場合がある
https://kotobank.jp/word/%E5%8A%AB-61344

五つの濁り―五濁 ヒトの質低下&時代進歩で命の危険増201028 写真は三重県桑名市 最勝寺HP掲載写真。
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提案者の思惑、その先にあるモノ 「今日の話題 消えた道銀」201022道新夕刊。
 提案者の思惑、その先にあるモノ 「今日の話題 消えた道銀」201022道新夕刊。

 1944年9月、
 「北海道銀行」なる会社が北海道拓殖銀行という会社に吸収合併された、と。

 合併は銀行の都合ではなく、
 政府が「一県一行主義」をすすめた結果の銀行統合であった。結果、道内に11銀行あった地方銀行は拓銀一社に絞られた。

 政府は政策執行の理由を、
 「銀行がたくさん並んでいる結果、競争的になり、ついには不安全な貸し出しをする」。そういうことと、説明したらしい。

 記者は書く。
 「実態は軍備拡張のため、国債増発の引き受けと預金吸収を目的に、各地で強力な中心となる銀行が必要となったようだ」。

 「一県一●主義」。
 それは、こと銀行のみではない。「一港一社主義」の策で室蘭=栗林、釧路=三ツ輪運輸、函館=金森かに各社は統合された。
 「一県一紙主義」から、道内に開業函館、小樽、室蘭、旭川、北見、帯広、釧路の新聞が統合されて、『北海道新聞』=「道新」が成立した。

 記者は注目する、二つの点で。
 1)に「合併しやすいよう独占禁止法の特例法が来月施行される」。
 2)に「銀行の苦境は、出口の見えない超低金利政策が原因だ」「またも国策のつじつま合わせなのか」。

 時に「北海道銀行」。今ある道銀は、第二次北海道銀行で、まったく別会社。
 「1894年(明治27年)に余市銀行として設立し、第百十三銀行(函館)と合併してできた老舗だ」、と。
 北海道経済に占めた、余市・函館の地位を知る話。
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色は静岡、香りは宇治、味は狭山. 銘柄の主張点201024
色は静岡、香りは宇治、味は狭山,

 日本茶の定評、その一。
「色は静岡、香りは宇治、味は狭山」と、どこかで聴いた。巷間、書く言われるのは<本当か>と、ネットで検索。



 狭山茶の歴史ー狭山茶業振興協力会が公開中。
https://www.sayamacha.org/about-sayamatea/
 (要約)
「色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす」
狭山茶は、比較的冷涼な丘陵地帯に多く栽培されています。
摘採は2番茶までのため深い味わいをもっています。
丹念に選りすぐった自然の風雅が、甘く濃厚で「味の狭山茶」として親しまれています。

 (その要素)
 1)「比較的冷涼な丘陵地帯に多く栽培」
2)「摘採は2番茶までのため深い味わいをもっています」。
3)「仕上茶の火入法」
(1)「狭山火入」と称する古来の火入れの真髄を発揮し、
(2)丹念に選りすぐった自然の風雅
4)「甘く濃厚で「味の狭山茶」として親しまれています」。

 そういうことに、なるらしい。でわ、「掛川茶」とは。
 そうですかー、静岡茶。そうなると、「色」茶のブランドなのかなー。

 でも、
「色は狭山、香りは宇治よ、味は静岡でとどめさす」
「色は静岡、香りは狭山、味は宇治でとどどめさす」などが、あったりして。

ポイント。
自己製品の特質の提示、説明能力。銘柄の主張点201024.
ただし、まだ、「いつ、誰が言い出した、どんな場面で」。それは未だに承知せず。
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女流作家愛用の温泉 川湯・御園ホテル110330
女流作家愛用の温泉 川湯・御園ホテル110330.

2014/09訪問で、「再開することを期して!」の記載。

「食事有りでも、素泊まりでもお得な価格で宿泊が出来て一時川湯温泉では定宿としていた」。
「いつの間にか予約が取れなくなり、資本が変わって再開する予定であることをうかがった」。
「こちらの温泉施設は内湯が大きくて大変寛げる環境であり、外の露天風呂は新たにリニューアルしてまで綺麗にしてあったので、この様なアナウンス無しの突然の休館措置は正直驚きを隠せなかった。」とも。




 2015-08-12投稿で、「去年11月閉鎖した旧御園ホテルの玄関に12日、張り紙が出された」。

 屈斜路湖畔に在住のお方の投稿。推察するに、2014年11月、「アナウンスなしの突然の閉館」ということのようで。

 この旅館。
 作家・原田康子氏が療養を兼ね、よく滞在したようで。館内の一角に著作を展示していたことを思い出す。
 それもあって、ホテルの迎えの森に、文学碑(写真)があった。
 そこを撮影に行ったこともある。つい10月12日に使用したかった写真。ようやく探しあてた。

 掲載しておくことに。
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「酵母」「時間をかけ」「発酵」で「旨み、コクを育てる」 醤油201021
「酵母」「時間をかけ」「発酵」で「旨み、コクを育てる」 醤油201021

朝の連続小説。
大正期の不況、労働組合の発生、原料高騰。伝統的醤油業者は生き残りをかける。

舞台は千葉県銚子。大将は申す。
 「醤油は麹がが育てる」「麹が長い時間をかけて発酵させる」「時間をかけて醸造した醤油はコクがある」。

従業員は申す。
 「他所では機械化」「量産で飛ぶような売れ筋」「製造から出荷までの時間も短い」。

時代はどう、動いた。他方で消費者はどのような選択をしたか。

こちらは北海道東部。
醤油と言えば、量販店が列品する「お手頃価格の、売れ筋商品」。
生産者にとっても、消費者にとっても守りたいのは「本来の旨み」「本当のおいしさ」であろうが。

(銚子と野田)
 https://www.excite.co.jp/news/article/B_chive_life-food-and-beverage-syoyu/

 「野田市と銚子市で発達したのには、水運が関係」
 「両方の街には利根川が流れています」「これらの街で醤油の製造がはじまったのは、江戸時代までさかのぼります」
 「関東平野で取れた大豆や小麦が、利根川を下って、野田や銚子へと運ばれていったのです」。
 「利根川東遷事業という大規模な土木工事によって、現在の利根川の流れが江戸時代の初期に行われ現在の形ができあがりました」
 「野田は江戸に近い」「銚子は沖合の海流を使えば、商品の流通にも便利」
 「千葉県で生産される醤油は、全国で流通している醤油のうちおよそ40%」
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浮世絵EDOーLIFE 『中堅の意地?写楽“大谷鬼次の江戸兵衛~』 nhkETV
浮世絵EDOーLIFE 『中堅の意地?写楽“大谷鬼次の江戸兵衛~』 nhkETV

東洲斎写楽「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」



暗号1
「一場面に役者生命かけた脇役者」=三代目大谷鬼次

暗号2
「主役の300両にネライ、江戸のアウトロー」

暗号3
「浮世絵を学ぶなら、歌舞伎を勉強」

「月代は伸び放題」「縞柄の着物 あえて袖をぬき、羽織るように着込む」。→江戸ならず者のアウトローの役

「相手が居て、一平の名」「市川男女蔵扮する一平のもつ金300両をネラう場面」。

 時に有名。「恋女房染分手綱=こいにょうぼうそめわけたづな」の一場面。

「トップスター、千両役者でもなかった<なかず飛ばずの>脇役が」、
「一度かぎりの場面にすべてをかける」
「一大エンターティンメントの一場面」。

東洲斎写楽
 寛政6年(1794年)5月から翌年の寛政7年(1795年)1月にかけての約10か月の期間(寛政6年には閏11月がある)内に、145点余の作品を版行

阿波徳島藩主蜂須賀家お抱えの能役者斎藤十郎兵衛=さいとう じゅうろべえ、1763 - 1820年とする説有力。

画中に記載の「大谷鬼治」は、原画にはなく所有者が記載したとの説。
三代目鬼次が二代目中村仲蔵を襲名したのはこの大首絵に描かれた時点から約5カ月後、と。
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「心が育つ時代に」「自然やくらしのようすを」「五・七・五」 釧路俳句連盟
 「心が育つ時代に」「自然やくらしのようすを」「五・七・五」 釧路俳句連盟



 『釧路俳句連盟 五十年史』『釧路俳句連盟 会報』『第10回 釧路こども俳句大会 作品集』
 『くしろ俳句ポスト入選作品集 第31回』。

 なかでも『第10回 釧路こども俳句大会 作品集』は、1095句の投句を数え、児童センター、児童館、そして学年別に収録されています。
 「心が育つ時代に 自然や暮らしのようすを 五・七・五のことば遊びで」。

 小学校教諭職のお方が入力してくださいましたか、実に2万字以上のボリュームです。
 そのご努力を無駄にすまいと、グラフを二種つくってみましたよ。

 その結果、判明した点。
 釧路川を境界に、西が投句数多く、東が少ない「西高東低」の投句数。
 西部地区は615句、東部地区は小学校二校の69句を含めて投句数は480句、です。
 自然景観にみちた西部地区が、建造物豊富な東部地区をうわまわっています。
 (投稿した児童館数は西部10、東部9+小学校二校=西部地区の児童総数は東部地区を上回る)。

 上気の結果に意味があるか、どうか。
 それは困難ながら、碑の分布で申すと「西の産業、地域開拓記念碑、東に文学・歌碑・発祥地碑=文化」の配置である点は判明している。

 児童センター、児童館では小1から小4の投稿が圧倒的に多く、二つの小学校は小3ー小6学年の投句が多い。
 これも特徴点。背景には指導者がついてサークルがつくられている小学校。
 児童厚生指導員の呼びかけで投句する児童センター、児童館の差違があるのかも。

「心が育つ時代に」「自然やくらしのようすを」「五・七・五」 釧路俳句連盟

 会長の石川青狼さんは「継続は力と言われます」。かく巻頭言を示しておられる。地道なご努力と敬意を寄せる。
 
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高学歴は自分の保身と蓄財のために 大卒比率=新自由主義73.4、穏健保守50.6、リベラル43.9
高学歴は自分の保身と蓄財のために 大卒比率=新自由主義73.4%、穏健保守50.6%、リベラル43.9%



『世界』11月号に掲載と、橋本健二著「だから安倍・菅路線では日本は幸せになれない」。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c436e4eea9077544e4296350e33f716e89d149ba 


手元にはあるも、袋に入ったままの当該書。要約の紹介を要約しておこう。

「新自由主義右翼の割合が10.2%、穏健保守が38.9%、リベラルが50.9%を占め」
「現在の自民党が、数の上では少数派に過ぎない新自由主義右翼クラスターの圧倒的な支持に支えられている政党」
「改革のほとんどが税の再分配機能を弱める方向への一方通行の改革」
「規制緩和が進む一方で、再配分は一向に期待できない状況が続くことが避けられそうもない」。
「「支持政党なし」などと暢気なことを言っている間に」
「数の上では圧倒的に少数派であるはずの新自由主義右翼クラスターに、日本の政治が自民党もろとも乗っ取られてしまった」。

ボンヤリと感じる点の要因が、深掘りされた。
歴史の検証に、「誰が得するための施策か」は不可欠な視点ながら、その輪郭が可視化されつつある。

別なネット「『菅総理』を抱き込む怪しい『政商』の正体」記事。
https://www.dailyshincho.jp/article/2020/10160558/?all=1&page=1
携帯電話の値下げは、なにやら特定の通信会社の独占に荷担か。
地銀再編はSBIホールディングスを第四のメガバンク化に、とも。

「田舎出身」「たたき上げ」。
それは事実かも知れぬが、表の顔とは別に裏にある<どなたかへの奉仕>。票をくれて、最長の政権の座にとどまり、税金や制度の利益を見返りに提供。

主権者は「たまったモノではない」の、一事例。
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屈斜路湖・硫黄山・摩周岳 屈斜路カルデラの三雄姿201017.
屈斜路湖・硫黄山・摩周岳 屈斜路カルデラの三雄姿201017.



 阿蘇と並ぶ本邦有数の大規模カルデラ。
 火山湖あり、活火山あり、紺碧の湖水あり。茶の肌、緑の樹海、黄色の硫黄噴火物。

 一望できるは藻琴山の展望台かな。10月中旬、紅葉の時期。

 201016 阿寒湖の紅葉。「黄色が多かった」と。訪問者の弁。午前10時初、路線バスの旅。

 アイヌ民族コタンで昼食、遊覧船に便乗、マリモのチュウルイ島を回遊、16時発の路線バスで帰路に。

 「(マリモは)嵐に乗じて天敵の水草が除去されて、湖を制覇するため」に丸くなる、と。

 1)遠浅の湾、2)強い風、3)水草。 nhkG 「チコちゃんに叱られる マリモはなんで丸い」200727.



 阿寒摩周国立公園
 阿寒湖周辺に関心が集中するも、国有林に囲まれた日本最大のカルデラ群もお忘れなく。
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個人の要望 社会の要請 <広く、大きくて、かつ強い>はどちら201020.
個人の要望 社会の要請 <広く、大きくて、かつ強い>はどちら201020.



言葉にみる微細なニュアンス。説明できるであろうか。

 要望 例:「ご意見・ご要望の受付」「要望書の提出」
 「こうして欲しいと望むこと。要求よりも弱い、希望程度の強さ」。
 要請 例:「違法ファイルの削除要請」「見直し要請」「災害国からの派遣・支援要請」

 「こうして欲しいと、強く願い求めること。「依頼」に近い強さがある」。
https://bimyo-a050924-10.blogspot.com/2010/03/blog-post_2519.html

 「要」は、強弱はあるが「欲しい」という気持ちを感じる。
 「請」は、法律的な響きを感じる。

  自分としては、だいたい求め方とその結果でこのように分けられると思う。
  「要望」は求める姿勢が弱く、結果はあまりあてにできない。要求に比べると消極的。

  「要請」は求める姿勢が「要望」と「要求」の中間ぐらいだが、
  結果は法律の適用と同じくらいの強さを求めている。
  何となく腰は低いけど法律的な威圧感が裏に潜んでいるような印象がある。
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<創られた光景><育てた樹種><護った自然> 永い投資の蓄積
 本州の紅葉。その光彩が<華やかにして美しい>とされる。現代人は、見入ってウットリする。



 しかし、<創られた光景><育てた樹種><護った自然>なのだ。

 <創られた光景>
 造塔が加わり、庭園設計者が構築し、開設者が投資をした。

 <育てた樹種>
 庭師が手を入れ、氏子が寄進し、守護者が浄財を募った。

 <護った自然>
 市民が負荷をかけなかった、参詣者が損なわなかった、維持者が管理した。

 改新の謀議
 後世の人は物語を懐かしむ。勝者を讃え、謀殺されたヒトの無念を思う。



 市民つどいて、華やぎの蔭に伝わる故事をかみしめる。
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ポイントが良いか、マクロがふさわしいか 京洛の紅葉201013
 ポイントが良いか、マクロがふさわしいか 京洛の紅葉201013.

 北海道東部、昔の体育の日が過ぎて、紅葉が時期をむかえるも<華やかさ>はなく、いかがしたものか。



 2011年11月22日、まずは大原三千院を訪問。その先の来迎院まで足をのばす。朱印帖の揮毫、押印の方をお訪ねして、お話をうかがうことができました。

 三千院、来迎院ともにスポットポイント。ピンポイントの美も良いが、マクロの紅葉はいかが。
 どうらや、嵐山 亀山地区 展望台あたりはどうか。天竜寺の庭は<曹源池庭園>と申したか。
 嵯峨野のトロッコ電車はともかく、保津峡くだりは混雑で難儀かも。

 祇王寺、大覚寺、清凉寺、二尊院などなど。紅葉のピンポイント名所も、甍=いらかをならべる。



 たのしみたい。秋の風情。紅葉の光彩。清涼の空気。大堰川の水。三千院ー亀山地区展望台=23〜25キロ。
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琵琶湖で酸欠ひろがる びわこ放送201011.
琵琶湖で酸欠ひろがる びわこ放送201011.

ニュース記事をネットで配信。https://news.yahoo.co.jp/articles/81be97b08b786a0b4e14e6b16464a4c23fdca679



 「2年連続で全層循環が起きなかったびわ湖で異変です。北湖の深い部分で酸欠状態が広がっていることがわかりました。」と。まず、書き出しが。

 続けて、
 「滋賀県は先月30日と今月6日、北湖の水深90メートルの地点で酸素濃度の調査を行ないました。その結果、30日には7地点中5地点で、6日には5地点中2地点で、酸素がほとんど無く測定値の下限となる1リットル中、0.5ミリグラムの濃度が記録されました。過去に観測されたことが無い状況ということです」。

 他の生物への影響について、
 「水中生物の生存基準は1リットル中、2ミリグラム以上とされていて、観測地点では湖底に住むイサザやヨコエビの死がいが確認されています。」
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江戸期で500万=神宮再建の物語創造 <お伊勢参り>の起源と恒常的システム201007。
江戸期で500万=神宮再建の物語創造 <お伊勢参り>の起源と恒常的システム201007。



 河崎=二見浦、吉川、外宮、内宮と125社からなる宮社の順路を提案。

 二見浦や、殺人事件のあった「油屋」など名所をつくり、的矢牡蠣・伊勢うどん・朔日餅などの名物が加わる。

 1771年、構想力と枠組つくりに秀でた「御師」が登場した、と。

 ネライは伊勢神宮の再建経費の獲得。

 1)生涯一度は伊勢に「お陰参り」。
 2)不在の間の手不足を埋め、確実に各人が参加できる「講」の組織化
 3)資金をつくるための資金積み立てや無尽を講の下で実施。

 江戸期に500万人、現在は1300万人の参拝者を創出。
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農事暦試作 201008 それを試みてみることに
 農事暦試作 201008 それを試みてみることに。

 ところで農業暦と農事暦には違うのか。モノの記載によると。



 農事暦 のうじれき
 (コトバク)の記載
 「1年を周期とする農業を営むために,四季それぞれの時期における農作業やそれにかかわる年中行事を,月日を追って系統的に定めた暦法または暦書」

 日本大百科全書(ニッポニカ)
 「太陰太陽暦時代の東洋における暦の二十四節気は、(筆者註 農事に手をつける季節を知る)基をなすものであった」
 「播種(はしゅ)・収穫・施肥などの時期、あるいはとくに気象上注意すべき時期、さらに豊作を祈念し収穫を感謝する祭りの日などを記載した暦書」

 農業暦
(JA松阪)
「一般的に栽培されている品目や管内の特産物などの作業手順を紹介します」としている。

 1960年 北海道東部。その一隅での取り組みを、記憶をもとに採録しておくことに。
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国立公園の自然 阿寒・摩周と釧路湿原201013
国立公園の自然 阿寒・摩周と釧路湿原201013



2.釧路湿原国立公園の自然
  1)泥炭湿地とその植生
  2)長路緩流河川と西高東低の傾斜
  3)生態系と食物連鎖

3.阿寒摩周国立公園の自然
  1)火山丘頂
  2)カルデラ地形と短路急流の河川
  3)ラムサール条約登録地

1.海岸線と厚岸道立自然公園の自然
  1)海洋ー寒暖流と気象、世界的好漁場
  2)釧路川河口=対象的な海岸線
  3)特徴的な地形と資源

 「釧路地方の模式ダイヤグラム」(岡崎由夫著『釧路の地質』 1963年 釧路市所収)を
もとに、3タイトル3項目。
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水素、地域の知的財産の軸に <釧路 あゆみの会公開例会>200929
水素、地域の知的財産の軸に <釧路 あゆみの会公開例会>200929。



 経済界で<地域の未来>を考えるお立場の二人のお方が、水素をテーマに講演をしてくださった。

 提言は、前三ツ輪商会代表取締役相談役の岡本憲明さんと、前三ツ輪運輸監査役の伊関義和さんのお二人。

 水素といえば、水。続けて水素電池などの用途がよぎる情報に加えて、実に多面的な可能性を示された。

 気がつくと、多くの聞き手をトリコにしてくださった。

 1)知的関心からアプローチした情報収集、2)利用者目線でこれまでの<あたりまえ>にさまざまな疑問と隘路を指摘、
 3)身近に潜在している付加価値の多様な活用。そこに焦点をすえて、「真摯に取り組め、知恵をひきだせ」。

 真に示唆に富み、聴く市民を刺激する90分。

 伊関氏は、
 4)水素は油から製する技術が有望でこの地は製造地向けの特性を有し、
 5)釧路港を拠点に水素活用の寒冷地向け実証実験の働きかけを提案。

 岡本氏は、
 6)まず広くなにごとにも興味をもって、
 7)A.なにがあるか、B.なにができるかのデータベースを創る点を心がけ、
 8)世界各地で類似の取り組みをしているところがあるか、と。

 現役を離れているモノの知的好奇心にあふれ、往時の職場の後輩達が駆けつけてくれた姿に熱いエールも。

 この催事。3月11日に予定されていた講演会。
 自粛、感染危機管理のすすむなか、会合をもつこともできない状態が続いていた「女性経営者のつどい 釧路 あゆみの会」。
 あゆみの会の会員がまず集まって、地域の当面する課題について識者の意見を聴く。そこが発端。

 外からの投資、公共事業で育てられた地域で、地元経済界がめざす地域政策。
 開発能力や投資意欲に穏やかな今、時代を切り開く意欲が満載された集会。

 「小さな提案、寄せあつめられて、燎原に広がる火炎のごとき生業の拡大」。

 出席させていただき、そうした感慨にひたることできた地域の集会。200919 18時ー19時30分 釧路市生涯教育センター。(写真は、様子を伝えた『釧路新聞』 20年10月1日 14面)
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「近世の大衆化」 西国八十八ケ所巡拝201003
「西国八十八ケ所」と検索したら、「四国八十八ヶ所 起源ではありませんか?」と、問い直された。「近世の大衆化」 西国八十八ケ所巡拝201003



  「『四国八十八ヶ所』とも表記される」とあり、
1)に「四国にある空海=弘法大師ゆかりの88か所の仏教寺院の総称」にして、
2)「四国霊場の最も代表的な札所」と、定義されるべきか。

今日の盛行は「近世の大衆化」と呼称されるらしい。3点の出版に1点の絵図。
 3点の出版。
3)『四国辺路道指南』(1687年刊) 「高野聖とも伝えられている真念」作と。
4)『四国偏礼霊場記』(1689年刊) 高野山の学僧寂本が札所の見取り図や由来など
5)『四国偏礼功徳記』(1689~90年刊) 遍路の行程に即した環境整備も行った。

3)は「初の四国遍路ガイドブック」「経路の明確化を意図し詳細な情報が記載」「改訂・増補を重ねて150年以上にわたって利用されたロングセラー」。
 真念はなんといってもこの時期=貞享(じょうきょう)4年の中心人物。
 4)と5)にも深く関係。

 1点の絵図
 細田周英による『四国偏礼絵図』(1763=宝暦13年)は、遍路の大衆化に貢献。
 西国巡礼のような案内図がなかったので作られた。

 『四国辺路道指南』。
原本は『四国へん礼道指南』の名で早稲田大学図書館に所蔵、翻刻が講談社学術文庫で出ているようで。後者はAmazonで承知(書影)。「へん」は「偏」ではなく「ぎょうにんべん」の「へん」。当該字は「環境依存文字」で使用しにくい。
「西国八十八ケ所」と検索したら、「四国八十八ヶ所 起源ではありませんか?」と、問い直された。「近世の大衆化」 西国八十八ケ所巡拝201003

  「『四国八十八ヶ所』とも表記される」とあり、
1)に「四国にある空海=弘法大師ゆかりの88か所の仏教寺院の総称」にして、
2)「四国霊場の最も代表的な札所」と、定義されるべきか。

今日の盛行は「近世の大衆化」と呼称されるらしい。3点の出版に1点の絵図。
 3点の出版。
3)『四国辺路道指南』(1687年刊) 「高野聖とも伝えられている真念」作と。
4)『四国偏礼霊場記』(1689年刊) 高野山の学僧寂本が札所の見取り図や由来など
5)『四国偏礼功徳記』(1689~90年刊) 遍路の行程に即した環境整備も行った。

3)は「初の四国遍路ガイドブック」「経路の明確化を意図し詳細な情報が記載」「改訂・増補を重ねて150年以上にわたって利用されたロングセラー」。
 真念はなんといってもこの時期=貞享(じょうきょう)4年の中心人物。
 4)と5)にも深く関係。

 1点の絵図
 細田周英による『四国偏礼絵図』(1763=宝暦13年)は、遍路の大衆化に貢献。
 西国巡礼のような案内図がなかったので作られた。

 『四国辺路道指南』。
原本は『四国へん礼道指南』の名で早稲田大学図書館に所蔵、翻刻が講談社学術文庫で出ているようで。後者はAmazonで承知(書影)。「へん」は「偏」ではなく「ぎょうにんべん」の「へん」。当該字は「環境依存文字」で使用しにくい。
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物語を創造 居るヒトが楽しめるポイントの豊富化201002
物語を創造 居るヒトが楽しめるポイントの豊富化。



西から、思いつくままに。
1)太宰府天満宮信仰(写真)  
2)西国三十三カ所巡礼  寛文年間
3)安芸宮島詣
4)二葉の里歴史の散歩道 平成
5)大山詣        古くから信仰の対象、江戸時代には20万人。
6)江ノ島詣 19世紀 浮世絵=1840年代の図は男性がまばら、50年代は女性群参。

<大山詣>
 1980年、3月 神奈川県立博物館の展示見学で入館。
最初の大型スチール写真は丹沢水系の山岳と水の流れ。

 その迫力に圧倒されるも、実は背景に<大山詣>の文化、江戸っ子のDNAに刻み込まれた「粋で遊び上手な江戸っ子たちの心を捉え」るモノが。

『東海道中膝栗毛』
 教科書でおなじみ。十返舎一九の1800年は35歳。
1802年は『東海道中膝栗毛』の初編刊行の年。「20年にわたって書き継がれるほどの好評を博し(略)滑稽本の先駆となった」。

江戸では書店蔦屋重三郎の居候となっていた、と。その時期はちょうど30歳の頃。

生まれは駿河国、江戸で小田切土佐守(註 旗本 甲斐武田氏に仕えのち家康家臣で近侍)に仕官。

大坂に派遣された。
在任中に浄瑠璃本を合作し、辞して材木屋に婿入りするも離縁された、と。
江戸にもどり蔦屋重三郎に居候の経験。

察するに東海道に産をなし、江戸―大坂―江戸の流浪を作品化ということか。
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飲酒量減、酒造米開拓、銘酒需要喚起 「山田錦」など造り酒用銘柄
飲酒量減、酒造米開拓、銘酒需要喚起 「山田錦」など造り酒用銘柄。nhkGのニュースで。



現況と問題意識は以下に要約されるようで。
「外出自粛の影響で、外食利用が減少し」
「日本酒の販売も不. 振となってしまっており」
「酒造好適米の需要も残念ながら大きく減ってしまいそう」。

そこで、どうするか。
1)酒造米の特性を活かして、酒造米の酒造以外の利用可能領域を拡大。
2)酒造米はネバリ特性が少なく、炒めご飯やパエリヤなどの用途向きであると広報活動
3)銘柄酒の販路拡大にあわせて酒造米の特性理解を深める家庭向け消費拡大。

これまでは作っているだけでよかった。消費低迷の今、「家飲み・家庭向け需要」の掘り起こしのみでは、不足。
酒造米の在庫を増やして<農家が生産中止>を決断すると、銘柄酒造の安定が回復困難となる。

そこに生産者の論理とは別に、ユーザーの理解と思い入れが欠かせない。
そうしたことを伝える報道、「新しい生活様式」の典型例かも。​​
(図版は『静岡新聞』 201001 13時45分)
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