2022年10月の記事


支流合流の微高地 埋蔵文化財包含地・暁善寺遺跡 尾幌川流域221031
支流合流の微高地 埋蔵文化財包含地・暁善寺遺跡 尾幌川流域221031

 1968年9月の第一土曜日。釧路市立郷土博物館の澤四郎次長が前触れもなく拙宅に顔を出された。
 「遺物を見せてください」。1955年頃から、ハナマメ、ソラマメ、ダイコン、ニンジンなど栽培のため春耕する土の中から出土した遺物があった。
 1933年3月の火災で焼失堂宇を、釧路~根室間の鉄道駅に近く、伏流水があって井戸掘削も可能。そうした立地条件をもとに移設した寺院境内地の一角に包含地は位置する。

 澤次長は一点、一点を確認しながら「フムフム」。
 「これ、町教委に引き継ぐわ、良いかい」。「ここは暁善寺というお寺だったかい?」。
 結果が「縄文(中期)」「縄文(晩期)」「続縄文(前半期)」「続縄文(後半期)」「擦文」の、「遺物包含地」ということになった。

 「暁善寺遺跡」。「尾幌川にそそぐ小河川 左岸の微高地」。「登録番号 M03-008」「厚岸町尾幌455・459・462」が所在地ということになった。
 所在地は当時「八号線二七番地」であったが、その後の字名・地番改正で分筆された。
 現地は33年以来の年々の耕作で攪乱してしまっていた。鍬で掘りすすんだ土おこしを「ケンサキスコップ」で深く掘るようにもなり、攪乱はいっそうすすんだことになるのだが。

 「尾幌川にそそぐ小河川 左岸の微高地」とは、遺物包含地の立地をよくぞ言い当てている。
 北海道二級河川の尾幌川本流にそそぐルークシュポール川、ポンルークシュポール川、オタクッパウシ川が合流している。
 包含地の西には本流にそそぐ自然小流が一筋、南には泥炭低地の表層水をあつめる小流跡が「池」を残していた。

 遺物が出土した地点は、国土地理院地図で10.1~10.5メートルの地点にあたる。
 ところが「池」というべきか川跡の地点は9.3メートルで、そこには「明確な高低差」があった。
 2021年時点ではさすがに両地点の傾斜は緩やかとなり、筆者が児童期に感じた落差は緩和され、ゆるやかな状態にはなってる。水平源したかのようでもある。

 1967年。1952年かに文化財保護法が施行されて四半世紀。
 自治体の教育委員会も義務教育学校の校舎建設がひとまず完了。社会教育も公民館活動から埋蔵文化財の確認調査期に入る。
 そのハシリ。そう言えるのかも知れない、1967年。折から「新釧路市史編さん事業」に着手した釧路市が、   「道東海岸村総合調査」と銘打って実施した調査。
その一環で、たまたま博物館学芸職員の目にとまった遺物包含地の一。そういう時代のめぐりあわせ。そういことになる。
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夫源病
 「夫の言動」「溜まったストレス」「妻に生じる不定愁訴」 現代用語の基礎知識=「夫源病」221029

 ある席で紹介された「夫源病 ふげんびょう」のキーワード。
 一般的には2009年頃から指摘された概念らしく、2012年には写真の石蔵文信著『妻の病気の9割は夫がつくる』が出版されていた。
 副題に「医師が教える『夫源病』の治し方」とある。

 規定するに、次のような整理もある。
 「夫の言動が原因で妻がストレスを感じ、溜まったストレス」が要因。
 「妻の心身に生じる様々な不定愁訴を主訴とする疾病概念」にして、「医学的な病名では無い」ということに。
 そういうことなのだ。

 類似の概念に、「主人在宅ストレス症候群」の呼称もあって、こちらは1993年に黒川順夫著『主人在宅ストレス症候群』(双葉社)も世に出ているようだ。
 夫源病の症状。そこのところを「情緒不安、慢性的な疲労感、不眠、強い頭痛、全身の痛み、動悸、眩暈、家庭内別居」とあげている。

 原因
 「精神的な症状のほかに身体的な症状」「更年期障害の症状と似ている」とされる夫源病の原因。
 「夫が家にいることが最大のストレス」「(『ストレスを生む』は)夫の学歴、性格、普段の言動、低収入、義親の介護、夫の婚外恋愛、家事・育児に参加しない夫」など。

 1993年、2009年。それぞれの年次に、夫が不自然に自宅に滞在。
 どのような要因があったのか、思案投首。その当節である、も。
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炭地帯の流路 尾幌川流域の4000年前の遺跡221029
 泥炭地帯の流路 尾幌川流域の4000年前の遺跡221029

 二級河川に指定されている尾幌川水系。上流部は国有林。
 中流域から泥炭地が発達し、一部は尾幌川分水を経て厚岸湾に、
下流部は別寒辺牛湿原の西部を東へ流れて厚岸湖に注ぐ。

 先史時代の遺跡及び遺物包含地の分布を掲載図で示しておいた。
 多くは下流域の河口部分に分布するも、一か所、遺物包含地が尾幌川中流域に分布する。
 しかも河口にはあるも、流域からは距離を置いた位置に分布している。そう指摘できるのではないだろうか。

 河口の遺跡に一か所、江戸時代の構築と考えられるチャシ跡が存在する。
 松浦武四郎筆「ポロチャシコツ」と記載のある遺跡は、「尾幌川川口チャシ跡」と命名された。
 厚岸湖の資源監視機能を体現。そうした位置にありそうである。

 注目されるのは「尾幌貝塚」。
 時代は「縄文(後期),続縄文,擦文,縄文(中期)」とされており、所在地の標高は「5メートル」と低い。
 そこから「土器、石器、骨角器、貝、人骨」が確認されている。「人骨」とあるからには、当然、貝を消費した集落があったはず。

 「縄文(後期),続縄文,擦文,縄文(中期)」といえば、今から4000年まえほどに始まる。
 並みの貝塚が標高20メートル内外の地にあり、時代が縄文前期とされる地球温暖化の時期に分布するのとは、やや異なる。
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硫黄と石炭で生まれ変わった港 「 釧路を散策しながら歴史を学ぶ例会2nd」
昨年に続き、歩きましたですよ。221022「 釧路を散策しながら歴史を学ぶ例会2nd」

 1.事業名 「釧路を散策しながら歴史を学ぶ例会2nd」
 2.テーマ 「“海と汽船”が育てた<橋南>水際線プロムナード」(釧路川左岸)
 3.趣 旨 日本製紙が101年という歴史に幕を下ろしたという釧路にとっては大きな出来事があった今だからこそ、改めて釧路という町の発祥と産業の移り変わりについて学ぶ機会を設ける。

 <釧路市生涯学習センター“まなぼっと幣舞”2Fロビー>に集合し、10F展望室から市中を鳥の目のように見降ろしてから出発です。7
 7.催行順=以下の通りでした。所要時間は約2時間。
   1)“まなぼっと幣舞”2Fロビー→
2)“まなぼっと幣舞”10F屋外展望デッキ→
3)(南大通一丁目)行啓記念碑&嵯峨久寿像→支庁坂
4)(大町二丁目)(第二次)釧路新聞社跡
5)(入舟四丁目)中村水産跡
6)(入舟五丁目)「苧足糸 ヲタイト=砂州張り出し地点」
   釧路原港東口  
7)(入舟五丁目)下渡船入舟乗降口
8)(入舟六丁目)魚市場跡-釧路内燃機-高木商店-鮪舟見櫓
9)(入舟六丁目)金井番屋跡
10)(大町六丁目)真言宗龍清寺跡=大町六丁目5番18号 MS新設
11)(南大通八丁目)佐野碑園
12)(港町3番6号)「浪淘沙 ろうとうさ」碑=啄木離釧地
   釧路原港東口  (今回のツアー終点予定地)
13)(知人5番地)知人岬屋敷祠群(釧路原港隣接地 石炭・石油埠頭)
14)(知人5番地)津波避難階段
15)(米町三丁目4番)釧路埼灯台私設公園 (終了後 路線バス帰館)
8.担当者 城山モシリヤ学コンソーシアム調査役 佐藤 宥紹
9.<ぶぶる理念>
 「歩く」=遊ぶの「ぶ」、「史跡で歴史を読む」=学ぶの「ぶ」、「達成した自身を称賛する」=褒めるの「る」。
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  2500万年前 標識骨格標本 化石体験 博物館は地域創造の拠点たるうるか221020。
2500万年前 標識骨格標本 化石体験 博物館は地域創造の拠点たるうるか221020

足寄動物化石博物館。「実におもしろい、行ってみませんか」。
 釧路湿原シニア大学の講座担当のお方からお誘いがあった。足寄は3度目の訪問ながら。
 足寄と申すと北海道十勝国の北部。上川山系、大雪山国立公園にもほど近い。

 2500万年前、北海道は実に「五個のパーツ」に分かれていた。
 西から4番目と5番目の破片、その4個目の塊の東部に、現在の足寄が位置していたのだ。
 最初に館員によるガイダンスがあって、「2500万年前 標識骨格標本 化石体験」のk-ワードが紹介された。
 「茂螺湾川」「歯の化石」「デスモスチルス」「アショロア・ラティコスタ」などのキーワードにも接することができる。

 「実におもしろい」と魅了してくれるのは、「ミニ発掘」とでも申すべき「化石発掘体験」。
 用意してもらった機材をもちい封じ込められてある化石を取り出す、作業。その小道具セットを買い求めていた参加者もいて、関心の高さを伺わせてもらった。
 展示室では学者によって異なる「骨格標本」の展示。「標識レプリカ」と申すか、「標識骨格標本」と言うべきや。「化石の精巧な模型のレプリカ」。
 ほかにも「化石の足りない部分を補い全身の骨をそろえる復元」が積み重ねられる。

 最後に町内の小中学生や管内の高校の対応。
 「小学校では年に一度、発掘現場に案内する現地学習があります」。
 「中学でも年Ⅰ回、一コマの授業を出前ですすめています」
 「十勝管内の高校からも、博物館見学で来館しています」。

 そうした説明であった、と聴いた。記録をとってはいないが。
  2500万年前 標識骨格標本 化石体験 博物館は地域創造の拠点たるうるか221020。
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市中のニーズ賄い300年 東京深川・木場221015
市中のニーズ賄い300年 東京深川・木場221015

膨張する世界的大都市だった江戸。その市中のニーズを賄う受け入れ口。
 木材は深川・木場、漁獲物などの諸品は「鉄砲洲 てっぽうず」というポイントであったか。
 22年10月15日朝、「よみがえる新日本紀行」の「川並さん、東京深川・木場」を見ながら思い巡らしていた。

 「川並さん、東京深川・木場」が最初に放送されたのは1980年。
 大都市・東京の木材受け入れ地は「新木場」に移転する直前。
 木場が受けれていた国内産材木に対し、ラワン材など輸入外材への転換期にあった。

 移転は「受け入れ地」のみでもなく、また、「国内産材から輸入外材」への転換にとどまるものではなかった。
 江戸から続く木材積み取り職人として「木遣り きやり」を歌い力をあわせた「川並さん」にも変化を生んだ。
 職人芸は積み取り労働の主役から、筏流しが橋脚や岸壁に接触するのを防ぐ脇役への転換を迫られた。人力にかわりクレーンなる「機械荷役」が主力となったからだ。

 番組をみながら考えた。さて、続きは次回に。
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どうやら順番は三通、あるようで 宝船に乗船する七福神221015.
 どうやら順番は三通、あるようで 宝船に乗船する七福 神221015.

 まずは尊い牡蠣様のお名前。恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋尊。
数日前、夜中に目をさまし記憶をたどってみるも、「毘沙門天」が思い出せずに、「六福神」。

 そもそも順番があるではないか。と。ここまで記載している「橋南春採湖プロムナード33」の第一クールに当てはめてみた。
 日銀跡=恵比寿、かもめホール=大黒天、ここで魚市場跡には弁財天、啄木離釧の地=毘沙門、知人屋敷神群=福禄寿、知人岬私設公園=寿老人、弁天ケ浜踏切=布袋尊。
 一か所、「魚市場跡=弁財天」とするには、いささか抵抗があった。

 オーソドックスには、「1)恵比寿、2)大黒天、3)毘沙門天、4)弁財天、5)福禄寿、6)寿老人、7)布袋尊」の順からゆくと、「魚市場跡=毘沙門天」がふさわしい。
 しかし、ここには旧下渡船跡の「入舟乗降階段」が今も残っている。コンクリートで強固に固められた岸壁の一所に、1950年ころまで持続した航路の存在を証明する手段となっている。
 七福神中、唯一の女神が衣装の「裳」を引きずり、洋上から岸壁に「大股」で昇殿させるのは、芸がない。ここは階段をシズシズと昇ってほしい、のだ。

 すると、宝船に乗船の順番を変更しなくてはいけない。
 ネット情報 https://mshabit.info/7fukujin_narabikata/ 「四季おりおり快適生活」221015 05:50閲覧。
 その記載は「よく見かける一般的な並び方はありますが、それも1つではなく3パターンほどあります」。

 「パターン3:毘沙門天と弁才天が入れ替わる順番」
 「3つ目のパターンは、パターン1では4番目だった弁才天が3番目になる並び方」。
 「1)恵比須 2)大黒天 3)弁才天 4)毘沙門天 5)布袋尊 6)福禄寿 7)寿老人」を示す。

 そうなのだ。「橋南春採湖プロムナード33」の第一クール=「釧路川水際線プロムナード」は、「四季おりおり快適生活」が示す「3つ目のパターン」で配置してみることに。
 すると、「1)日銀跡=恵比寿、2)かもめホール=大黒天、3)魚市場跡=弁財天、4)啄木離釧の地=毘沙門、5)知人屋敷神群=布袋尊、6)知人岬私設公園=福禄寿、7)弁天ケ浜踏切=寿老人」となる。

 因みに写真の「二葉の里歴史の散歩道」。1)饒津j神社(にぎつ神社)=恵比寿、2)明星院=毘沙門天、3)鶴羽根神社=弁財天、4)広島東照宮=福禄寿、5)尾長天満宮=寿老人、6)國前寺=⑥大黒天、7)聖光寺=布袋尊。
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均等に高速でまわす、鉄道技術の粋 「均質に高速で回転する車両」221013
均等に高速でまわす、鉄道技術の粋 「均質に高速で回転する車両」221013

新幹線が開業して60年弱。高速化の一途にある。それを支える鉄道技術。
 そんな華やかな影の部分を照射した思い。10月13日nhkBS「プレミアムカフェ」。
 題して「驚き!ニッポンの底力 鉄道王国物語3(2017年)」。

 なかでも筆者が注目したのは「均質な真円」ということ。
 30センチか507センチほどに切り分けた鋼材を、圧縮し研磨し、最後は日本古来の伝統工芸<火入れ>で車両の本体とレールの接触面の強度を1.4倍に高めている。
 1)鋼材に火の通りを均一にする、2)余熱か予熱で徐々に加熱する、3)9000トンのプレス過程を経て誤差0.2ミリ以内に仕上げる。

 「均等に高速でまわっていないとヒズミが台車と接触し事故に」
 「車両を『均質な真円』に仕上げ、左右にゆれるブレと上下に作動する振動をゼロに」
 「東北新幹線では『動が少ないため、備え付けのテーブルにタバコが立つ』の逸話」。

 「均質な真円」の車両技術は、ドイツの鉄道にも輸出され、イギリスの車両にも採用された。
 つまり「鉄道を生み出した母国に、提供をうけてきた日本が恩返しをした」のだと。
 「(本邦が)ゴリ押しをして買ってもらったのではなく、世界から認められて需要が(相手方から)発生している」
 「(これぞ)文化の恩返し」。

 例によって「番組案内」。
 https://www.nhk.jp/p/pcafe/ts/LR4X1K4WV7/episode/te/WLGJ8W7NQP/
 2022年10月13日 (木) 特集 プレミアムカフェ「日本鉄道王国」
 ▽超豪華列車クルーズトレイン開発秘話。鉄道発祥の国イギリスで走る車両を開発した日本企業の不屈の取り組みとは?
 ▽世界中で大人気の日本の鉄道車輪。その工場を密着取材し、驚異の技術力の秘密に肉薄!
 ▽定時運行率94%!世界屈指の正確さを誇る貨物鉄道の舞台裏を紹介…まさに驚きと興奮の連続!!。
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ギョウジャニンニク
 タイトルは長いながら「5株880円」「10株1690円」221013

 「苗 苗木 山菜 行者ニンニク 5株 / 家庭菜園 行者ニンニクの苗 行者ニンニク苗 行者にんにく苗 行者にんにくの苗 ぎょうじゃ 栄養豊富 自給自足 植物 有用植物苗880」https://shopping.yahoo.co.jp/?store_id=kokkaen&page_key=2019n-p3-0016&dp_yjc=t&dp_cpn=t&sc_e=yttreco_l_3x2_01

 商品情報には「商品情報
 山深くで修業を行う行者たちが、荒行を行う体力を保つために食べたと言われています。通常のニンニク以上に強い辛味と香りがあり、お浸し・炒め物に!行者ニンニクの苗」。

 ほかにも「お届け状態 素掘苗」、「分類 多年草」「収穫期(約) 4〜5月」
 「日照 半日陰」「耐寒性 強/寒冷地でも地植えOK」の情報を多数掲載。
 
 むすびの「耐寒性 強/寒冷地でも地植えOK」があるところを読むと、初年度は「食べすずにそのまま直植え可能」とも読める。
 事柄はそれほど甘くはないが、ここはいつぞや記載「『化学肥料と加里はダメ』 <ギョウジャニンニク 行者大蒜>の土つくり2121001 」を、思い出していただくことに。

 それにしても「5株880円」「10株1690円」が理解され、広く受容されることを。
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 政権与党を見つめる視点  「対米隷属勢力と対米自立勢力の踏み絵」211010
 政権与党を見つめる視点  「対米隷属勢力と対米自立勢力の踏み絵」211010

 政権与党は、「誰のための政党か」。
 スパイ防止法、安保法制、特定機密保護法、中国・北朝鮮・韓国との摩擦、学術会議会員の任命拒否。
 アメリカ合衆国、新自由主義者、一部保守勢力。

 ここへきてその図式・骨格というか、枠組みというか、構造ともいうべきか。
 そこが明確になってきているようで。そこが二発の弾痕で<パンドラの箱>あいたというのも、いかがなものか。
 政治経済学者・植草一秀氏に岩上安身が聴く、インタビューサイトにお目にかかった。

 【ハイライト】
  21世紀の新・帝国主義「安倍国葬」は対米隷属勢力と対米自立勢力の踏み絵『国葬=旧統一協会=対米隷属=勝共連合』の図式を読み解く!
 https://www.youtube.com/watch?v=54LDUCcIpw4

 保守本流。かく受け止められてきた自民党宏池会。宏池会は「こうちかい」と読むらしい。池田―大平―鈴木―宮沢、そして岸田。
 対米自立勢力の核でもある。

 対する安倍派。
 岸―佐藤―福田―安倍と続き、1960年代には世論を二分した日米安保の強行。
 フタをあけてみるに、反共・反日の「旧統一教会」ともシッカリむすびついて、背景にはUSANの軍事産業とCIAの影。

 国葬への対応。
 そこには、「対米隷属勢力と対米自立勢力の踏み絵」が、用意されている、と。
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カン・知恵・技術で高めた循環型社会 環境負荷を考える三冊221008
  カン・知恵・技術で高めた循環型社会 環境負荷を考える三冊221008

 手軽に読めて、持続可能利用を考えるならこの三冊ではないか。
1)石川英輔著『大江戸リサイクル事情』 講談社文庫 2008年。
  江戸時代は「太陽に水、植物と空気で暮らしが成り立っていた」。そう表現して、江戸時代の時代特性を<リサイクル社会>にあり、とする。
 
 2)田中優子著『グローバリゼーションの中の江戸』 岩波ジュニア新書 2012年。
  日本発の伊万里焼、彩色浮世絵、再生の技術。大きなグローバリゼーションの波がうねるなか、その波にのまれることなく、独自の〈自前〉文化を保ちつうづけた江戸時代。
 
 3)前田正名著「滞仏中の無事」 『前田正名自叙伝』所収 一匡社 1937年。
  パリ万博で正名は三点の実演を公開する。その一はなんと「忠臣蔵」の脚本を変書き、演出することであった。「日本には(西洋の)神とは違う神がいる」。西欧は戦争で荒廃している。

 江戸時代はコメの生産高増加で、3000万人の人口を支えていた。
 今日、これまでに1億3000万人規模を有することができた背景には、目をみはる産業の発展が基盤となっている。

 「それしか方法がなかった」「そんなことしかできなかった」。それゆえ、庶民はまことに貧困であった。
 
 ワラ、竹、灰。みな太陽エネルギー。なにか説明はできなかったが、庶民の多くが「カン、知恵、技術」を広く持ち合わせていた社会。
 今、モノつくり産業でリコールが繰り返されて、技術の劣化が指摘される。大学の研究論文やその引用件数で国際的にヒケをとる。

 大衆がささえ培ったカン、知恵、技術。エリートのそれらが評価される時代に、<落とし穴>はないか。
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成長の地域、その時代の夕映え 幣舞橋界わいの夕映え、秋吉久美子作品『挽歌』221006。
 成長の地域、その時代の夕映え 幣舞橋界わいの夕映え、秋吉久美子作品『挽歌』221006。

 夕映えの美しい川面を、カモメが舞いにぎわす。1976年作、映画の一場面。
 釧路港は国際海洋法規制、世にいう「二百海里」時代の幕開けを翌年に控えた年にあたる。
 地域で少女期、青年期を過ごした原田康子氏の出世作『挽歌』は、秋吉久美子、仲代達也、草笛光子の布陣で、映画化第二作が公開された。

 多様な男女の組み合わせ。
 人々が「家」から「社会」に出る時代の幕開けの時に、その着地点を探り出した作品。
 外部投資で賑わいを見せたこのマチは、「人々の数だけ、夢と希望がある」時を、謳歌したかに見える。

 「人々の数だけ、夢と希望がある」。 22年10月6日放送「名曲アルバム」は、 ジョン・キャンダー、 フレッド・エッブ作曲・作詞「ニューヨーク・ニューヨーク」。
 冒頭のキャプションに「「人々の数だけ、夢と希望がある」が紹介された。
 (番組案内)「映画のタイトル音楽としてヒット」。「ブロードウェイなど曲ゆかりのさまざまな場所を取り上げながらオーケストラの演奏でお送りする」と、あった。

今、廃墟の続出が指摘される北海道東部の中核都市。このマチもニューヨークも、伸長期と外部投資撤退期の<落差>が大きい。
 その形が「建物の廃墟化」で目の前に晒されているも、その意味を問い、自身の加齢目標とする市民は多くない。

 釧路川河口の夕映え。
 「人々の数だけ、夢と希望がある」時代の夕映えに比べ、昨今のそれはいっそう迫力を増している。そうした感がある。
 <輝ける夕映え>は「地域反転の時代の<残照>」なのであろう、か。
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食の革命 10年後私たちは何を食べている? nhkBS1 2022年10月2日放送
 食の革命 10年後私たちは何を食べている? nhkBS1 2022年10月2日放送

 世に「食品化学」と申すけれど、番組はテンポが速く、化学の知識がなければ「難解」と申すほかなし。
 「地球上の過剰人口」。そこのところを「2022年に80億人とする人口を2050年には97億人と想定」。
 「新しい食材の提供」。この領域では「24億ユーローのマーケットを36億ユーローに拡大」とする。

 人口増で20%強、新しい食材のマーケットで1.5倍の伸び率を想定。
 そこまで「新しい食材」の確保を目標にしないと、農業生産の規模を抑制しつつも地球規模ですすむ「食糧危機」や「気候変動」に<歯止め>をかけることが、できない。
 西欧で山火事が相次ぎ発生、本邦近海で<赤潮>が発生しウニに被害、そして西日本では<線状降雨帯>が発達し、ゲリラ豪雨に見舞われる。十勝・網走で<竜巻>の被害。

 「NOVEL FOOD」に「EMS」、「中間ウィートグラス」。結果、先進工業国と開発途上国のと申すべきや、  食料格差はいっそう拡大するんでは。
 ネットで引くことも重要だが、これからもあるはず再放送で視聴されてはいかが。

 因みに
 1)「NOVEL FOOD」=A)EUで「新しい食材」を規制する概念。
 B)「新規食品(Novel Food)」とは、1997 年 5 月 15 日以前に EU 内で人間によっ. て相当量(siginificant degree)が消費されていなかった(つまり、ほとんどあるいは全く消費されていなかった)食品または食品原料を指す概念。

 2)「EMS」=A)メタンスルホン酸エチル 
 B)変異原性、催奇性、発癌性を持ち、化学式 C3H8SO3 で表される有機化合物
 C)「スルホン酸」=水に溶けて強酸性を示す、とでもしておきますか。
                
 3)「中間ウィートグラス」=A)土壌の有機物を作りながら作物を生み出すことができる多年生の穀物。
 B)トウモロコシのような一年生植物は土壌の有機物を枯渇させる傾向があり、肥料の投入が必要。
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食の革命 10年後私たちは何を食べている? nhkBS1 2022年10月2日放送 <img
食の革命 10年後私たちは何を食べている? nhkBS1 2022年10月2日放送

1)ドイツ 「人工的牛乳」、
2)イスラエル  「植物性代替肉」
3)デンマーク 「多年生小麦=中間ウィートグラス」、
4)フィンランド 「空気中から作るタンパク質」

ヨーロッパでは今、食糧品ベンチャー企業による新食品開発がすすみ、それは「食の革命」と呼ばれているらしい。
地球規模ですすむ「気候変動」のみならず、人口規模の増大による食糧危機に備えた対応。
イスラエルでは食糧自給率が70%を超えていても、政府は危機感のもとに食糧品ベンチャー企業への国家投資をすすめている。
バイオテクノロジーを駆使した「植物代替肉」「乾燥や寒さに強い小麦」「太陽光・風力・水力の発電で空気から取り出せるたんぱく質」。

フランス料理の本場=パリに所在の百貨店。その食糧品売り場。
ある意味、<飽食>を象徴する時と所で、食資源の危機に対応して二つの命題。
二つの命題のその一は「地産地消」、次にその二が番組で主題とする「新しい食材の提供」なのだ。

(番組案内)
環境への重い負荷が指摘される牧畜や漁業。干ばつなどの気候変動に直面する穀物生産。食を取り巻く環境が厳しさを増すなか、私たちの食は、いったいどのように変わっていくのか。
わずかな細胞から大量の肉を生み出す「培養肉」の最新技術や、3Dプリンターを用いた未来の調理マシン、過酷な環境下でも育つ夢の穀物など世界の先端をゆく現場を、ドイツ、デンマーク、イスラエルに訪ねていく。
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「化学肥料と加里はダメ」 <ギョウジャニンニク 行者大蒜>の土つくり2121001
「化学肥料と加里はダメ」 <ギョウジャニンニク 行者大蒜>の土つくり2121001

 今や「縄文食 しょうもんしょく」の王様に位置する、ギョウジャニンニクの自家栽培。「化学肥料と加里はダメ」の本旨は。
そこを「人為は間に合わぬ、天然更新と申すか<落葉―植物遺骸―分解―腐植土―有機肥料>の自然循環が一番」と受け止めるびきや。

 そのとき想起したこと二点。
 その一は、埼玉県の甘藷栽培、つまりサツマイモ栽培農家の「歴代にわたる土つくり」。
 「所有地の半分は森のままで、残りの面積をサツマイモ栽培にあてる」。「森から産出される落葉、草叢=くさむら を有機肥料に変えて<土つくり>にあてる」。

 想起したこと、その二はTVH番組で紹介された弟子屈町の酪農体験農家の談話。
 「牧草畑に放牧していた牛が逃げ出し、側溝の斜面に生える野草を食っていた」。
 「野草を千切って切り口をなめたら、甘いことが判明し『ウシのヤツ、野草がウマイこと知ってた」。
 「(訪問者の女性に牧草の切り口をなめさせ)まだなー、化学肥料分が抜けていないからマズイ」。

 最近、化学肥料や農薬は「なぜ、ウマミを奪うか」を知った。
 化学肥料の使用で土壌中のバクテリアが死に、分解や発酵の停止が影響、と。
「<ギョウジャニンニク栽培に>学肥料と加里はダメ」の背景に、「自然界の微妙なバランスの破綻>が内在」。そういうことなのかも。
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「化学肥料と加里はダメ」 <ギョウジャニンニク 行者大蒜>の土つくり2121001
 「化学肥料と加里はダメ」 <ギョウジャニンニク 行者大蒜>の土つくり2121001

  続けて「森の腐葉土など、天然が一番です」と、そこは淀みなく言い続けられた。
 「くしろエコ・フェア2022 ~SDGsの視点から~(北海道釧路市)」の、催事場。「SDGs~環境パネル展~」の一隅でお尋ねした。

 ギョウジャニンニク 行者大蒜 Allium victorialis L. subsp. platyphyllum Hulten. の学術調査が深化している。
 5年ほど前に短期高等教育機関での講座で紹介していただいたが、その内容は当該機関の雑誌に掲載してもらった報文。
 この5月17日にはオンラインながら、その後に蓄積された継続研究で、聴かせていただくことがあった。

 「先生、ずいぶん栽培という観点が広がっています、『土つくり』はどうされていますかー」。
 まことに愚問といえば、愚問。そこへの丁重なご返事であった。 ここで思いついたことは二点。

 しかし、そこはさておいて。「ギョウジャニンニクとは」。
 https://www.maff.go.jp/j/syouan/nouan/rinsanbutsu/pdf/02gyouja.pdf
 「ギョウジャニンニク 別名=アイヌネギ キトビロ ヒトビロ」。
 「ギョウジャニンニクと間違いやすい有毒植物 コルチカム(別名 イヌサフラン)
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手薄な地域の生活写真  漁業、石炭、製紙への投資で拡大した地域の一面220911
手薄な地域の生活写真  漁業、石炭、製紙への投資で拡大した地域の一面220911

このほど鳥取士族移住の105戸が移住して開村した地域。
 そこに長くお住いの方から、ご一家が学んだ昭和初期~1955年前後までの実物資料と写真4点を見せていただいた。
 昭和27年から32年。個人でカメラを持てるようになった時期かと思いめぐらすと、そこで撮影されている画像は実に、暮らしの<ぬくもり>があるのです。

 現在では大型小売店舗が進出して、賑わいを増す地の自然景観。
 新釧路川の川べり、現鳥取橋ふもとで躍動する少女たち。
 おそらく小学校の大運動会。父母や家族たちの笑顔がみちあふれる。

 写真といえば婚姻や葬儀で一族が集まったときの集合写真。
 威容を誇る工場や社屋、またその内部の操業風景。そうした産業・企業の広報写真に慣らされてきた者にとっては、真に<新鮮>ともいえる四葉の写真でした、ですよ。
 そのこと。つまり「このマチには、女性・子の生活写真が少ない」。それに気が付いたのは、平成の元号が始まった時期であった。

 小樽・函館の写真集には「女性・子どもの生活写真が豊富」。各市発行の写真集を読み比べながら実感した、のだ。
 2003年3月。『釧路炭田、その軌跡』を世に問うとき、「女性・子どもの生活写真」に思い入れてみた。
 今回はうち二葉を掲載してみることに。

 急逝された写真家・片村一氏が生前、撮影された写真群の存在をしっていた。幸子夫人のご理解もいただいて収録を試みた。
 漁業、石炭、製紙への投資で拡大した地域。資源を外部投資で採取し、搬出することで大きくなったマチ。
 その釧路市で、市民が自身でカメラを手にしながら、家族の表情や姿態を画像にする機会。それは「一億総中流」の世を目前にする時まで、難しいことであったのかも。
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