2011年10月の記事


四万十川
 四国を代表する河川。TV番組でその清流といわれる所以が紹介された。

 源流は鍾乳洞を通過して冷やされる、山間を縫う。ヒトが寄りつきがたい山峡を流れる。
 鍾乳洞を通過するときに、石灰を含んだ湧水が含有し、水温も13-14度に冷却される。

 源流部にある諏訪神社。ここに1100年は続くという神楽が伝わる。
 練習も厳しい。祭典時には8時間のうちに17の演目が奉納される。
 厳しい訓練にあけくれする住民の弁。なぜか理由はわからないが、続いてきた。ここまで続いてきたものを自分の代で閉ざすわけにはいかない。

 水も清流ながら、水煮祈る住民の「たしなみ」も続く。
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菅 聡子著『樋口一葉―われは女なりけるものを』
 樋口一葉といえば、短命・短編・薄幸の思いがよぎる。他方で近代文学では女性職業作家の先鞭を付したとの思いも強い。

 作品を丹念によみ、それぞれの作品に対する検討、解析、評価が多い中、全体像を検討するなかで、なにが見えてくるのか。

 本書では作家論と作品論が大きなテーマかと思う。作品論では『大つごもり』『にごりえ』『十三夜』『たけくらべ』などが検討される。

 テーマの多様性。作品を通じての主張。そこに一葉作品の特質があると、著者は提示している。「いくつものテーマ、ストーリーが何重にも隠されている」(まえがき 口絵)。

 女性の身で、女性をテーマにすえ、文壇で注目をうけたゆえんであり、しかも長く愛される要因ということかと、思いいたらせてくれる。(日本放送出版協会 1997年)。
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天野 礼子,D・ブラウアー著『長良川から見たニッポン 』
 天野 礼子,D・ブラウアー著『長良川から見たニッポン 』。「川から日本が見えてくる」という点が着眼点。
どこから眺めようと、そこに時代の反映があるということであろうが、テーマは「長良川河口堰事業」の理念と実施のプロセス。

 自然に棹さして、手をくわえることで、コントロール可能なことなのであろうか。リオ会議の「持続可能な開発」に疑問を呈し(5p)
近代河川開発工法は「工法」ではなく「思想」の転換が必要とする(17p)。

日本人フォトグラファーと、 アメリカの環境保護運動指導者の、それぞれの提案と対談。37pに長良川、釧路川、四万十川。(岩波書店 1993年)
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水郷公園


photo by pacific0035 from OCNフォトフレンド
 弟子屈町。釧路川が市街地のはずれで、蛇行した河跡が残る。
 水郷公園で整備され、道の駅が開設した。開設したと聞いて出かけて驚いた、かつての「ヨーロッパ民芸館」の建物が、道の駅に転じた。

 橋に趣があった。川の流れも源流部に近くて、轟々。雨のなか、見とれていたが。 
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鶴居村観光
GreenPark
 鶴居村観光。村名はタンチョウの生息地に因む。

 酪農村だが、釧路湿原西北部に位置する地点ならでは観光に力点を置いている。

 鶴居十景を制定し、テーマパーク風の資源掘り起こしをすすめている。

 非火山性温泉ながら、泥炭堆積地層を伏流し地熱であたためられた温泉が民間でも開発され、「天然温泉」を満喫できる。

 「鶴居グリーンパーク」は、もと国民宿舎。発足はそうであるが、いまは民間に委託されていると思う。
 支配人という方が熱心で、利用者に再利用をはたらきかけ、収益の確保に懸命。さらには利用者情報を注視していて、懸命な心遣いと配慮に気配り。

 官公の宿は右肩さがりになると、赤字幅がいかに拡大しているかを示して、サービス低下・閉鎖の必然性を提案するが、一味、異なる。

 これまでの投資を無駄にしない道。あるのだなーと、実感。

 周囲にはリゾート滞在も可能なファミリーで楽しめる設備も。鶴居グリーンパーク。鶴居グリーンパークは、鶴居観光の核。
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折り紙
 この休日、偶然ながら「折り紙」にかかわる番組を二つ見た。

 ひとつは宇宙計画で、遠心力の力だけで開く仕組みの観測器具製作の基本原理に「折り紙」の原理導入する過程。
 ひとつは、折り紙普及に努める女性の紹介で、背後には数学者が指導している。

 前者では、先端をゆく科学者が、不器用な手つきで各種の居り方を提案、披露し、器具製作の目的にあわせて、折り紙原理を素材を替えて実験の積み重ね。
 後者は、短期大学の授業で後継者養成をしている努力も。

 番組をみていて、移行期というか折り紙経験者が地域社会、家庭のなかにたくさん居たこれまでと、技術・習慣の断絶があって未経験者の増加するこれからを、実感。

 短期大学で授業に参加しているのは、中国や韓国からの留学生ばかりで、日本人学生は見えない。

 基礎素養が広範に含み資産としてある社会。基礎技術をもたずに、折り紙の知識と創作技術を特定の専門家だけがもつ社会。開発能力の低下を、どのような形で、すすめていくことになるのであろうか。
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休日の散歩
休日の散歩。朝は4時半に目が覚めて、6時半まで一仕事。

で、留守番がはじまり横になって教養番組をみていたけれども。太陽にあたることが、必要。

髭をそり、着かえて昼ごろ散歩。お目当てのデジカメの写真はお店に「Close」の札。

酒の専門店で、日本酒とビールでも1-2本の小買えをと考えていたら、「只今、配達中につき、不在です」。そかそか。

進んだ道をもどらず、四角形に歩いてと考え、歩をすすめたところで路線バスが。

間に合ったら「バスに乗るか」。で、バスに追い抜かれたが降りる客がいるらしく、停車。バスにおいつくも、そのまま発車。

そかそか、定期の客とみたか。「それなら、止めるのが煩わしい?」。「70歳以上、車の免許返納の方には割安定期」の宣伝文句が、むなしい。路線バスより、マイカーが便利。

道筋、雨が落ちそうになり、「良かった、遠くまでいっても、帰路がやっかい」。自宅に帰った。歩数計は2769歩の表示。3キロもあるいたかなー?。休日の散歩と地域の商店街事情。
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釧網線 久著呂川右岸誘致論
 釧網線 久著呂川右岸誘致論。昭和6年に開通した網走ー釧路間をむすぶ釧網線。

 うち標茶ー釧路間をめぐっては、地元側にいくつかの議論があった。
 そのひとつが大正8年6月に、今日の鶴居村住民側から提起された≪釧網線 久著呂右岸誘致論≫。
 そういう題名で誘致合戦がおこなわれたわけではないが、現行路線側にはすでに路線が通じてるとして、新路線は釧路湿原西部を通過させるべきと主張した。

 大正11年になって、結果は、「久著呂川左岸の運動が強く」として現行路線が有力となる。理由は「開拓の進展度合い」。
 今流にいえば、地域間格差を埋めたいということでは、あったか。
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災害 近世記録
 江戸時代の寺院記録。地震と外国船接近の緊張感が伝わってくる。

 外国船接近記録には、寺院あげて退散祈祷の営みが記録されている。しかし、地震にはない。

 地震と津波の記録はあるが、祈祷の記載はない。地震・津波は旱害、干ばつや大雨とはことなり、一過性のためなのか、な?。

 地震、すわ一大事、津波到来。祈祷よりも避難がさきか?。一息ついた山上で、懇ろに祈祷ということでもないようだ。

 ひとつ、揺れと津波の因果関係を人から教えられたほどで、関係を承知していなかった。

 ふたつ、外国接近はヒトの営為だが、地震は天災で人智が及ばない。

 みっつ、瞬時であるため、祈祷の必要がない。さてさて。
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急須(きゅうす)
 急須。少しこったのをと、探していたら知人の茶鋪で、気にいったのがあった。
 結論から申しておくと、「気にいったなら、持っていってください」。愛用の品は、頂戴したものである。
 こぶりにして、中に金網が、ない。

 それが不評である。「洗いにくい」。さもありなん。

 で、自分で淹れて、自分で洗っている。
 金網のはいった急須は洗いやすいが、どうも茶葉と湯が接する状態がいまひとつで、気にくわないのだ。

 急須を洗う時。茶葉を紙のうえにひろげて、天日で乾燥させる。
 その後で、丹念に洗う。「急がば回れ」。そのために要する時間は、文化とかんがえることにした。
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渡辺 興亜著『南極大陸―その自然を読み解く』
渡辺 興亜著『南極大陸―その自然を読み解く』。南極大陸。観測がはじまって、半世紀以上が経過。本書はその半世紀の3年前に書かれたもの。
 「多くの知見が得られ、南極自然をほぼ理解したといえる」(「はじめに」)とするいっぽうで、「多くの探究すべき課題が残されている」ともいう。

本書が書かれた時点で44次の調査。最初の調査派遣では、敗戦国ならではの調査地点の制限もあったという(34p)。
 そんななかでも、本邦が明らかにした観測成果を3点。「火星や月のものもあった『南極隕石』」、「世界にさきがけてオゾンホールを発見」、「温室効果ガス測定」(59-66p)など。

 大陸の基盤は、基盤となる大陸地殻に氷床という氷床が乗っている。存在が推定されたのギリシャのプトレマイオスにさかのぼり、メルカトル図法のなかで記載されたという(16世紀中ごろ)。
 これからも観測は継続される。地球物理学の記載で難解ながら、「地球の特異な雪氷圏としての南極の解明」、大陸の基盤である「氷床研究」、地球上の暖と寒による対流の統合観測、地球科学や生物科学の諸現象の科学的解明(112-117p)、などなど。

 極寒の地での調査は、人類の耐寒のみならず、耐寒のなかでの調査器具の技術革新の結果でもあるよう、だ。(日本放送出版協会 NHK人間講座 2003年)
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長寿
 長寿。『文藝春秋』11月号は、「100歳まで生きる」に、「政治家の女性関係」が特集ということ、か。

 生きがい、運動、食事。どちらにも政治家が一枚からんでいるが、政治家にはストレス、貧困、孤独とは無縁。

 余裕の時間、ふところ、口きき。長生きの基盤なのかも。
 その場しのぎの、事後説明。

 そのうえ、責任をとることが、ない。
 懸念は、政治家年金が「さきぼそり」が心配ということ、か。
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岩波写真文庫―シリーズ 古都案内『いかるがの里』
岩波写真文庫―シリーズ 古都案内『いかるがの里』。 斑鳩の里といえば法隆寺。中宮寺、法起寺。1966年2月、夕がた近くに歩いた気がする。

 旅も最終番、京都を4日。奈良を3日。ひたすら歩いて、疲れ果ていた記憶がする。

 中宮寺の弥勒菩薩、法起寺は寺号が記憶に残るが、印象的な景観は定かではない。ともかく疲れていたのである。

 本書は初版が1950年、復刻が1988年。斑鳩界隈では修復、再建が取り組まれていたらしい。1966年、復興のよすがもなかったが、直前には大方の完成をみていたのであろう。

 あらためて、法隆寺。2010年、奈良から大阪へもどると時に法隆寺駅を通過した。本書を片手に、再訪してみたい。当時、長屋王墓など、思いもよらなかったし。(岩波書店 19988年)
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岩波書店編集部編『奈良ー西部ー』
(岩波写真文庫―シリーズ 古都案内 1950‾1954)の岩波書店編集部編『奈良ー西部ー』。

『奈良ー西部ー』は平城京界隈があてはまり、再建なった大極殿、朱雀門、佐保川流域や唐招提寺、法華滅罪之寺や不退転法輪寺、薬師寺などがあたるという。

 奈良といえば興福寺、春日大社、東大寺などは東部にあたり、今日の奈良市中心部は、こちらの奈良ー東部ーの位置にあたると、知った。

 地図がないと、なかなか理解が進まない。地図を手にもう一度よんでみたい。
 今日、再建されて脚光をあびる平城京。遷都から七旬。長岡京への移転後は、田園に化したという。(岩波書店 1988年)
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坂本 義和,安江 良介著『地球時代に生きる日本―憲法と「国際貢献」』
 坂本 義和,安江 良介著『地球時代に生きる日本―憲法と「国際貢献」』。本書は1991年に発行された。どなたかが買い求められた本書を、譲りうけたものらしい。

 湾岸戦争後の国際協調体制がテーマということか。第4次中東戦争=1973年、で湾岸戦争は、と。2002年3月にアメリカが仕掛けた同時多発テロ後の戦いは?。

 本はロシア崩壊、東西ドイツ統一後に書かれてういるもの。東西冷戦の米ソ体制が終わって、アメリカの優位・一極体制。
 冷戦終結後、三極(アメリカ・EU・日本)協調構造が湾岸戦争前に成立していると、指摘。湾岸戦争は中東国のみならず、日本・国連の戦略を動揺させていると、する。

 木村俊夫元外相談「戦後日本に外交はなかった。日米関係だった」、と(3p)。それはそうであろう。(岩波ブックレット 岩波書店  1991年)
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放送大学
 放送大学。BSで視聴できることになったようだ。

 リモートコントロールをくゆりながら、本日、発見。

 今日は博物館学、新自由主義、それに「言語の相対性」なるものを、横になって視聴。

 もとより、良く眠ることができる。楽しみがひとつ増えた。

 それにしても読売巨人軍のバッターはボールをふりすぎる。とても一億円とかの、経費をはらって全国中継などおこがましい。内容が悪すぎる。
 
 勝ち負けが、あとからついてくる。ついてきている。
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 秋。天候がかわりやすい。17時過ぎに移動の予定があるところに、15時過ぎ強い雨が。

 にわかの雨に、若者は傘もさすことなく、悠然と道を歩く。濡れて体が冷えぬ気候でもない。

 雨は小一時間を経ることなくあがり、幸いにも移動には傘不要であった、が。

 夕暮れの外気は、指が冷たかった。一雨ごとに秋。確かなようだ。紅葉がはじまっている。
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週刊誌
 日曜日の18時台。道央圏からの特急列車が終着駅に到着して、乗客は降りていく。

 一時なら、座席の後部のモノ入れに残されていた週刊誌やスポーツ新聞。
 このごろ、見なくなった。車両の自席から、乗降口までの間には、数冊のそうした紙媒体が残されていたものながら、このごろは客の持ち込んだペーパー類を見かけない。

 活字ばなれ?。週刊誌といえども、本を買わなくなった?。
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TVドラマ 20年
 木曜日、TBS系列の連続ドラマが終了。20年間続いたのだそうだ。
 この秋には、同系列で月曜日20時台のドラマも打ち切りとなり、話題を呼んだ。

 月曜日のドラマは言ってみれば、「勧善徴悪」。木曜日は、それぞれがヒトこと、ふたことあるが、なぜか丸くおさまる不思議なドラマ。

 後継番組がどうなるかは別にして、2時間サスペンスの横行よりはよいのか、どうか。

 あまり見ていたわけではないから、あれこれ言えぬが、「大震災」を機にした、哲学・思想・経済、文化の転機をしめすものなのか、どうか。

 秋の番組改編に注目したい。
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