当面は6、できれば12<物語創造>。資源を生涯学習deのために活かす道200924
 当面は6、できれば12<物語創造>。資源を生涯学習で活かす道200924。



 『北海道新聞』は9月22日からその3面に「夕張」を取り上げている。
 「発信 地域から」欄で、「コンパクトシティ目指す町で」の3回シリーズ。
 「再編計画 住民の絆尊重」「地区活性化 懸命に模索」と続く3話目は「炭都の誇り 継承に知恵」。

 そのプログラムのめざす到達点の一つに、「『石炭歴史村』活用を」と提案する。

 その記事の趣旨は掲載写真の通りである、が。
 「石炭歴史村」がどのような施設、資源であるかは記載しない。その指定管理者代表は、以下のように述べている。
  (吉岡宏高理事長談)「これも観光資源なのに」。

 続けて、記事は書く。
ドイツの旧炭鉱施設が観光活用されていることなどを挙げ、炭鉱遺産を生かした地域再生を図る動きが世界的に広がっていると説明。(同氏(「歴史村も炭鉱閉山後の夕張の歩みを伝える“負の遺産”として活用できる」と提案する。

 近く小型無人機「ドローン」で歴史村周辺を空撮し来館者に公開する予定だ。

 企画記事を読ませてもらい、いくつかのことが念頭にうかんだ。
 1)首都圏や関西圏から夏の暑さを避けて来訪する短期滞在者の方は申す。

  「地元のヒトは地域で、どのような愉しみ方を楽しんで日常をすごしているのか」「その内容を知って、一緒に楽しみたい」。

 2)動物園の展示物も、博物館の展示物も、いつ行っても同じ資料が列品されている。
 動物園は何度見学しても楽しめるが、博物館は一生に一度行くと、もう行かなくても良い。

 3)観光資源を造るなら予算がつく、しかし一生に一度、それも「ちょっとの時間を見学」のヒトのために投資するのは、観光客がお金を落としてくれるから。

 識者は申される。「魅力ある観光資源の開発を」。
 地元民は知っている。「<魅力>を造らねばならぬが、どう造るか苦労している」

 そのとおりであろう。そこで思う。「いつ行っても変化のない=展示物」。
 そこに、「当面は6、できれば12<物語創造>」。事柄は、そこから<始まる>ではない、か。
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紙一重、その折り合いを生かされる-俳諧愛する方へ寄せて-
 紙一重、その折り合いを生かされる-俳諧愛する方へ寄せて-

 1)俳諧=地域の付加価値を可視化してくださる

   刀禰無句 句碑 幣舞公園 「出船いま 大夕焼の 只中に」
   高浜虚子 句碑 米町公園 「燈台は低く霧笛は欹(そばだ)てり」
啄木歌碑群 27基

 2)句碑巡遊で<理解者>を拡充と深化できまいか

   賢明にして懸命な努力にかかわらず、「理解できない」が増加しているのでは。

   20110908 「天声人語」欄で「初めてみた、読めない、意味が不明」を塗りつぶすと
   歌舞伎で音声ガイド装置、英語のスピードランニング。
   「京都」番組の視聴 <自らを鍛える>の同世代が生き抜いている

 3)文化・経済・健康=文化で地域を創る第一歩

   伊賀市に「翁の道」
   松山市に子規没後50年から「俳都」創設 「ことばの文化課」に「教育・文化、観光・経済、健康・福祉」
 
 ※「他人は変えられないから、自分がかわる」 水俣再生、網元の母さんの決意。

 ※<新しい生活様式>の到達点に、「自分を変える、構造的に理解する、多様な情報発信」。
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句碑500基 松山鮓 遍路おもてなし 「松山」=新日本風土記
句碑500基 松山鮓 遍路おもてなし 「松山」=新日本風土記 200918午前8時再放送



 「俳都」の所以
 1)小学生は年に百句目標、2)高校生は俳句甲子園、3)大人は「俳句バー」で一句。4)市内に99ある俳句ポスト、5)句碑の数500基。
 
 「俳都」に至る道
 6)江戸=殿様お好き、宝井基角抱える、7)近代=正岡子規が道後温泉を愛する、8)子規庵保存、9)没後50年を期して「俳句によるマチづくり」、10)「ことばの文化課」&「俳句甲子園」

 「俳都」の到達点
 11)教育・文化、12)福祉・医療、13)経済・観光

(番組案内)
俳都と呼ばれる松山。
自慢は、近代俳句の祖・正岡子規や夏目漱石も愛した道後温泉に、瀬戸内の幸をふんだんに使った領土料理「松山鮓」。
夏、全国の高校生が集結し、俳句甲子園で五・七・五の熱い言葉のバトルを繰り広げる。
▽夜は、俳句バーで一句。いまも昔も俳句道楽が集っての俳句談義
▽息づくお遍路さんをもてなすお接待の心
▽なぜ松山で俳句が盛んに?
▽知的で優しさあふれる町、松山の夏の物語。(2019年放送)

44番菅生山 大覚院 大寶寺から45番札所 岩屋寺までの道のりは「距離:10.5km時間:2時間12分」。
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「危険との共生」から<神々との物語>誕生 江の島詣200921
 「危険との共生」から<神々との物語>誕生 江の島詣200921.

 江の島詣で。江戸の女性達が提案した、「是非とも行かねば、是非、行ってみたいの<物語>」。

 縁談。
 愛する娘の生涯にふりかかる危険、危惧、災難、発病。

 安産。
 女性にとって母から預かったDNAの相続は一大事。苦痛も危険も逆子も母子健全は、人生の最重要案件。男性にまかせておけない。



 http://enoshimajinja.or.jp/gosaijin/  江島神社公式ホームページの紹介

 奥津宮 相模湾を臨む岩屋=龍神伝説発祥地に一番近い
  多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)
  三姉妹の一番上の姉神で、安らかに海を守る神様

 中津宮 853年に慈覚大師(じかくだいし)創建
  市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)
  石燈籠からは、江戸時代における商人・芸人・庶民の信仰の深さをうかがい知る

 辺津宮 1206年=将軍・源實朝(みなもとのさねとも)創建
  田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)
 海の神、水の神の他に、幸福・財宝を招き、芸道上達の功徳を持つ神。

 江戸時代は女性が2泊3日はかけて江戸~江の島を往還。
 近代は海に生きる漁業者が資源持続、豊漁と操業安全を祈る。
 現代は湘南の海岸でサーフィン、プレジャーボートを操るヒトが祈る。

 根底に息づく「危機管理」「安全・安心」の祈祷と報謝。
「資源持続」に寄せる「思い上がり」の邪気一掃。
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知人 語源は「シリ・エト」 北海道東部
 知人 語源は「シリ・エト」。シリエト°[sir-etu] 岬 シリ=陸地 エト°=鼻、先 地名例 知床(北海道)。



 命名の由来について述べる。
 「旧名知人と称し現今漁民の居住する者多く」
   「太平洋炭礦株式会社の貯炭場、築港事務所並に其工場等も此の地域にあり」
   「臨港鉄道は此の地区に環状線を書いて中央を貫通する」
   「西部港内に面し37万余円を投じて築造したる市営埋立地(昭和8年中売卸)がある」
   「岸壁には2,000噸級1、4,000噸級1、6,000噸級1の船舶を同時に繋船し得る設備があり臨港鉄道会社の経営になっている」
   「又南防波堤上に太平洋炭礦会社経営に係わる電力応用自働運転の運炭軌道と高架桟橋等が有て石炭荷役は頗る文化的と謂われて居る」
   「本地区は釧路岬燈臺の所在地であり名所旧跡頗る多きを以て旧名を尊重し知人と命く」。(昭和7年8月)。

 貯炭場、石炭輸送鉄道、南防波堤。
 写真に撮影の光景は「近代=石炭」。そして洋上の白い波は岩礁に波打つ景。北海道東部、物流拠点港の景観。
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舞台裏で 「ジャパンライフ-桜をみる会-前総理」200918
舞台裏で 「ジャパンライフ-桜をみる会-前総理」200918.

朝のnhkGニュース。「ジャパンライフ 元会長逮捕」「被害額2000億円か」の報道。



<この事業者、桜をみる会と関係?>。
 ネットで調べてありました、よ。話題になっていた当時は「被害額1800億円」と。

 「個人としては面識がない」。しかしありましたかねー、「公人として」。
 なんでもお父上の時代に、ともに外遊の仲、と報じられています。

 家宅捜索があって、ややしばらく。「総辞職した翌日かの逮捕、翌々日朝の報道」。
 舞台裏でなにが?。

 同じ時刻にテレビの画面。
 「白煙に励まされて」。新日鉄釜石は、高炉からで出る白煙が市民もラガーも励ます、「モノつくりのシンボル」。
 「創る」がいかに困難なことを示す、一コマ。

 人とヒトとを結ぶ政治と、そこに介在する政治家。夢を用意し、巧みに人心をまどわし、一儲けを考えた事業家。
 総理招待の画像を駆使して、募金者を集めた。そう、報じられたこともあったが。

 舞台裏で 「ジャパンライフ-桜をみる会-前総理」200918。

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​国、郡、自治体名の語源 「クスリ」「クシュ・ルー」の成立と記憶
​国、郡、自治体名の語源 「クスリ」「クシュ・ルー」の成立と記憶。
 「ラジオで聴く76.1MHz 道東文化塾2020」の「5.釧路川文化論」講座。



 1)10月12日:「釧路の語源」 
 A.寛永20年記録で「クスリ」表現とその意味 
 B.「くすり乃たけ」権現とその対象。
 C.佐藤直太郎「クスリ=薬 温泉説」
 D.松浦武四郎「クシュ・ルー=越し・路」
 E.東蝦夷日誌「富国繁盛の地」 
 F.釧路国名ノ儀ニ付申上候
 G.釧路郡ノ儀ニ付申上候

 2) 10月19日:「釧路川変革期」
 A.貫誠社 香川県移住 
 B.牧場開設と森林伐採 
 C.釧路川の中州と阿寒川 
 D.釧路川・阿寒川洪水 
 E.市街地冠水 
 F.釧路川切り替え 
 G.釧路川切り替え
  
 3) 10月26日:「森里連環学の舞台=釧路川の環境と文化」 
 A.岡崎由夫筆「釧路湿原ダイヤグラム」 
 B.縄文海進と東釧路貝塚 
 C.更科源蔵「原野の詩人」
 D.町名・地番改正 材木町・古川町・新釧路町 
 E.『森と湖のまつり』 
 F.『挽歌ロード』
 G.コンクリートのないダムと森里連環学で釧路川
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支持基盤 『北の話 北海道を旅する鉄道』1963-97年
 支持基盤 『北の話 北海道を旅する鉄道』1963-97年。

 著名作家の投稿
 城山三郎・吉村昭・八木義徳・原田康子・三浦綾子に高城高(たかじょう・こう)。「さまざまな書き手が名を連ねる」、と。


 作家と詩人の夫妻

 「1963年〜97年、作家の八重樫實さん、詩人の津田遥子さんの夫妻が隔月で発行した」とも。

 持続の理由
 (札幌在住の)高城高氏が語ったか。「手軽に読める雑誌に一流作家たちがちゃんとしたものを書いてくれた」。
 「文化的なものとして喜ばれたし、ためになりました」。

 志し高いが酒好きな作家
 紹介は、その一文から始まる。「この雑誌は、原稿が着いたという文面とともに卓球のスマッシュボールが打ち返されてくるように、気持ちよく稿料の現金封筒が届くのが魅力なのだ」(川崎彰彦著「夜がらすの記」より)。
 (渡辺創著「雑誌『北の話』 「今日の話題」 『北海道新聞』200911 夕刊 一面)

 それだけではあるまい。
 1)読者の評価と反応、2)A5判約70ページを通巻202号まで支え続けた購読者、3)活字からイメージするを「愉しむ」識字層の存在。

 中央の作家も育て、道内に読者を広めた「小紙の大きな付加価値」と申すべきか。
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無気力・無関心・無責任+無感動 三無主義=1970年頃
 無気力・無関心・無責任+無感動 三無主義=1970年頃

 さんむ‐しゅぎ【三無主義】 の解説。辞書に申す。
 「無気力・無関心・無責任の若者気質をさした語」。
 「昭和45年(1970)ごろから使われた」。
 「これに無感動を加え、四無主義という。→しらけ世代」。



 そうであった、か。ではなぜに昭和45年頃?。
 契機は「安保騒動」と=http://www.uenolog.info/kotoba/01kotoba141.html

 60年安保は結果として、
 「何をやっても変わらない」。
 「やってもやらなくても一緒」。
 「自分が動かなくても世の中は変わらない」みたいな風潮も生まれ、と。

 「同時に、この『無気力、無関心、無責任=三無主義が生まれた』みたいなことを先輩から聞きました」、とも。

 その60年。
 「性差分業別社会」という言葉も生まれたではないか。
 「男親の職業教育」がなくなり「子育ての責任は女親に」とも。

 80年代。さらに加わった。そういうことらしい。
 「1980年代初頭には、三無主義に無責任・無作法が加わり五無主義と言われた」。

 そうですかー。「責任を痛感」。しかし責任など取った気配のない首相。
 「断腸の思い、憲法改正」。あまりに力をこめて改正の前に腸が耐えられなかった、か。しかし。

 「連日の会合、外食のメニュー」。「とても潰瘍性大腸炎再発とは思えない」の論も。
 懸念は河合案里議員が党本部からの選挙資金を白状したからではないか、と。表になりにくいネット情報に接したが。
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直正公がご祭神 『佐嘉神社由緒略記』
 直正公がご祭神 『佐嘉神社由緒略記』。明治6年の創建。



 「旧第十代藩主 鍋島直正公命」「旧第十一大藩主 鍋島直大公命」と冒頭に。

 「庶民の神」とその御事蹟を示す。
 「徹底した倹約令を施行」、「自らもその範を示し、一汁一菜を励行」
 「一切の衣服を綿服に改め」と。

 「救農の神」
 天保年間の事蹟。天保13年から20か年にかけ、「加地子納入延期令」を出し「均田制度を実施」。

 「学問の神」
 「産業開発の神」
 「交通・文化の神」
 「開拓の神」
 
 「佐賀の七賢人」
 開拓の神。そう信奉される直正公を軸に、大隈重信、江藤新平、佐野常民、大木喬任、島義勇、副島種臣を「佐賀七賢人」とする。
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