2020年06月の記事


滅亡と鎮魂の美学 『平家物語』-1-200603
 滅亡と鎮魂の美学 『平家物語』-1-200603



 1)暗記せずとも記憶できるフレーズ=美文

   祇園精舎の鐘の音
   諸行無常の響きあり
   沙羅双樹の花の色
   勝者必衰の断りを表す
  
   おごれる者は久しからず
   ただ春代の夜の夢のごとし

   滅びの部分。

 2)保元の乱、平治の乱=三者勢力の仲介

       天皇
 
       平家

   貴族勢力  寺社勢力

   婚姻・寄進のコネクション

 3)父=悪行&子=儒教的の天皇に対する「孝」。

   清盛=荒技・悪行・滅亡の因
   重盛=冷静・儒教的・組織の安定

 信濃前司行長記載説あるも、多くの作者があり、デティールは語るヒトで変化。
 鎮魂で多くの武士に愛され続けた。(写真は安芸・宮島 厳島神社のシカ)
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一つの流れに三つの表情 尾幌川


 尾幌川は三つの表情をもつ。そこを称して「一流に三つの流れ」と申すべきや。

 釧路郡と厚岸郡の郡界ちかくに源流部をもつ尾幌川。一筋の川ながら、実に三つの表情をもつ。

 1)に「源流部から尾幌分水を経て厚岸湾に注ぐ」領域)(緑実線)。
2)として「尾幌分水の分岐点から一支流=オッポロペツ川合流点」(緑破線)
=廃川・貯まり水=古川となっている領域です。図で緑色の破線で表現した区域。 3)は「オッポロペツ川合流点から別寒辺牛湿原を経て厚岸湖に注ぐ河口」(青実線)。

 なぜ、そうなるや。
 上流部は公有林、民有林におおわれる山林地域。

 中流部が広域の泥炭湿地。ために南に下る流路は、泥炭湿地で流れを北に迂回する。
 その迂回地点で、尾幌分水が開削された。ために、人工水路を経て厚岸湾にそそいで一流が終わる。
 分水路を開く前の旧河道は廃川・貯まり水=古川となって、流路を残す。第二の表情。

 そして、門静、大田宏陽を経て別寒辺牛湿原から厚岸湖にそそぐ第三の流路。
 変化に富む地形と洪水防止の働きかけが、「一つの流に三つの表情」を生み出している。
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物語豊富、大字苫多村の基軸河川 尾幌川 
 物語豊富、大字苫多村の基軸河川 尾幌川



 流路延長、流域面積にいくつかの見解。
 「流域面積:228.0 km²、流路延長:45.3 km」は、北海道土木協会の二つのデータ(1984a,. 19846)。
 「流路面積:130.6k㎡ (山地:123.7k㎡、平地:6.9k㎡)、流路延長:21.3km」とするは、和光技研株式会社のデータ。

 河川管理者にも二つの記載がある。
 後者は「名前: 尾幌川水系 尾幌川 区分:1級河川」とする。
 ただ、北海道建設部土木局河川砂防課長による「平成28年度 公共事業再評価調書」では、「尾幌川は、厚岸湾に注ぐ二級河川」としている。

 ここでは、3点の資料を通じ、「河川名 尾幌川 流域面積:228.0 km²、流路延長:45.3 km、河川区分 二級河川」としておく。

 支流にワッカペルペツ川、ポン尾幌川、オタクッパウシ川、オッポロ川、ホマカイ川など流入し、水系を構成する。

 この河川は、
 中流域の泥炭湿地を南に流れたところで「軟らかい岩石(根室層群仙鳳趾累層)に阻まれて、流路を北方向に変える。
 そこで人工水路「尾幌分水」が開かれる。分水開削工事を経て、流れは厚岸湾に注がれ北方向に向かう流路は<古川>となった。かわって分水分岐より北東へ約7キロ地点でオッポロ川と接し、別寒辺牛川への流路となっている。

 流域に明治12年7月、郡区町村編制法の北海道での施行により厚岸郡が発足、大字苫多=とまた村が設置された。明治31年4月以降、本川中流域に尾幌=おぼろ、上流域に上尾幌の市街地が開かれた。
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「山の香り、土の香り、だいじな香り」 わらび餅・銀座老舗
 「山の香り、土の香り、だいじな香り」 わらび餅・銀座老舗。



 和風料理店のデザートは、本わらび粉による<わらび餅>。店主はその風味、旨さ、主菜との釣り合いを述べる。

 その談話がテロップで示された、「ワラビ育む山の牧場 岐阜県 高山市」(「ニッポンの里山 ふるさとの絶景に出会う旅」)番組。

 里山の意識は未だ形成過程の北海道。
 <水で結ばれた地域>のなかにあってはならない相互利害を、超える道を模索中。

 上流の食用きのこ、中流の乳酪製品、
 下流部の養蠣=ようれい事業とハウス野菜の組み合わせ。これを<地域コミュニティ食文化>と名付けることにしたい。

 そのフルコース。
 むすびのデザートは、もちろんこの逸品<わらび餅>。もちろん、季節感の一品=ひとしな限定。
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サルシナイ 芦の生えている沢 釧路市城山の旧地名
 サルシナイ 芦の生えている沢 釧路市城山の旧地名



 原名はサルウシナイで、サルウシは芦の生えている処、ナイは沢で、即ち「芦の生えている沢」ということで、現在の市営球場の下から鶴ヶ岱公園、江南高校付近一帯は、むかしは芦の生えていた沢であったといわれる。




 サルシプト。
 サルウシプトのつまった地名で、サルウシは芦の生えている処、プトは河口で、前記「サルシナイ」の中を流れている川の口をいったものである。いまの城山郵便局の脇を流れて、釧路川に注ぐ小川の出口に名づけられた地名である。
 (渡辺茂著『釧路市史』 釧路市 1957年 26ー27頁)。
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グローバル化のなかのコーヒー文化   蝦夷地と珈琲、磁器・陶器の学習機会
 コーヒー文化学会。そうした学術組織があるようで。
 その会員のお方に話をしていただくプランが持ち上がっています。



 2018年1月であったか、大阪のメーカー販売会社の方とお目にかかりました。
 工業品設計プログラムを手がけている従兄弟さんが同道し、二晩、お目にかかった、です。

 その折、
 終始、きわめて質の高い「本来の旨味、本当の旨さ」の話を伺う機会となりまして、感銘を覚えました。

 教養を学ぶ若者に、「グローバリゼーションの中の江戸」というテキストを正確に読んでみようとする話題を提供しています。

 本邦が世界史との接触をもった時代。
 時に幕藩体制と三国=朝鮮、琉球、蝦夷地がどのような関係をもったか。
 なかでどのような文化が持ち込まれ、日本的にいかに受容したか。そこを考えてもらっています。

 テキストは「内発的発展」と申し、我が国が「技術立国」への道を選んだ過程を考えています。
 そして「選択的受容」のうえに、受け入れた文化に高い付加価値をつけて、海外で評価されたプロセス。

 そうした折、コーヒー会社の社長さんは、
 話のなかで<ホンモノ>に接する意味を、持つことの価値を、力説されまして。
 同道した従兄弟は、その理想を現実に近づけるために設計図を描いたようで。
 そのご両人が、日程をあわせてご来道との機会。
 
 一昨年の話で、耳に残る。
 それは、「八海酒造の親方が、『これはイケル』と言ってくれた」。この言葉(「銘酒の味ききが申してくれるので、ま、良いか」、と)。

 職人とアカデミズムの共同作業。 
 折しも『日本料理大全』という本が発行されている。
 京の料理、これからはダレでもが再現できる点が必要。公共放送の番組で承知をした。購入した、その本。

 関西のコーヒー販売に、新潟の三条市・燕市の輸出用食器メーカー、その基盤に位置するプログラムデザイナー。
 誰でもが<本来の旨味、本当の旨さ>を引き出すことをめざすシステムの組み立て。
 
 グローバル化のなかのコーヒー文化 
 蝦夷地と珈琲、磁器・陶器の学習機会に。そうした場になること、願っています。
 (写真の珈琲碑 稚内市建設産業部観光交流課のHP https://www.city.wakkanai.hokkaido.jp/kanko/gaiyo_rekishi/coffee.html)
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父の無念死
 父の無念死。子もその出稼ぎ地に シベツ巳之助回向願



 天保9年5月2日、国泰寺六世住職の元に一つの書簡が届く。

 差出人は標津在住の巳之助。
 「親父於クナシリ島蝦夷乱の節、横死当五月八日五拾年付回向願来」。

 寛政元=1789年5月7日、クナシリ島でアイヌ民族が戦いを挑んだ。
 本州側の出稼ぎ者、本州側へ蝦夷地産物を輸送する乗組員に多数の犠牲者を出す。

 巳之助の書面にある。
 親父がクナシリ島でアイヌ民族が戦いを挑んだとき、父は犠牲となった。
 来る5月8日は50回忌の祥当にあたる。
 (今、自分は父同様、こんどは対岸のシベツ川河口で働くも)50回忌にあたり父の菩提を弔って。

 18世紀末。
 根室、国後、択捉は天下の大場所。多額の請負金額が設定され、富裕な経済投資対象地に位置づけられていた。
 そこに二世の自分も働く。その因縁を思い馳せつつ、父の没後49年を考える。

 働きのなかから回向料。添えられてあった。
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蝦夷地は五部に 蝦夷国全図=『三国通覧図説』付図。
 蝦夷地は五部に 蝦夷国全図=『三国通覧図説』付図。

 「ノツサフ」「キイタフ」と明快な地名記載がうかがえる蝦夷地東部の記載。



 作られた天明5年にして、「キイタフ」=「是ヨリ北ヘ日本舩不行」の記載。

 その手前「アツケシ」には、「アツケシ 此地大材多」、「此入海皆 アツケシ支配」。

 確かに木材は多かったけれど、時代はもう少し進んでいて、漁業の入り稼ぎが始まっていたのではないか。

 漁業の入り稼ぎを担うのは陸奥国でも南部家の実態。
 隣家=伊達家との間には、「なお若干の情報のスキ間が」ということ、か。

 『三国通覧図説』は、
 「国防的観点から地理・風俗を解説」
 「海防知識の普及を図った」
 「ロシアの南下に対抗するため蝦夷地の開発を提唱」とすのが、一般的理解。

 「縦97.0cm×横53.5cm」のサイズに、「凡四十三度ヨリ五十一二度ニ係テ」と緯度が記載。そこから、「世界地図のなかに位置する蝦夷地図」の評価もあるが。
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21世紀の里山運動 in 北海道 ハサンベツ川・栗山町200617
21世紀の里山運動 in 北海道 ハサンベツ川・栗山町200617.



栗丘の駅から栗山駅にむかう室蘭本線沿いを流れる夕張川、その川にそそぐ「ハサンベツ川」。

国土地理院地図は、「葉散別川と書く。旧雨煙別小学校の所在地に近い。

この川の流域に2001年 「栗山町ハサンベツ里山計画実行委員会」発足、と。

10箇のプロジェクト。以下に列挙させていただく。

1.「春の小川はサラサラ」プロジェクト~ドジョウやイバラトミヨなど地域で普通に見られる生き物の生息地づくりとして2kmの小川の造成
2.「ホーホーホタルこい」プロジェクト~本地域固有の遺伝子を持つヘイケボタルの繁殖地づくりとして小川や湿地の整備
3.「夕焼け小焼けの赤とんぼ」プロジェクト~アキアカネ等の赤トンボやオニヤンマ等がヤゴから成虫まで生活史を本地区で全うできるよう小川や池の造成
4.「ミズバショウの花が咲いている」プロジェクト~苗畑・繁殖地造成
5.「菜の花畑に入日うすれ」プロジェクト~離農跡地の田畑復元
6.「ゴトゴトゴットン~水車」プロジェクト~水車設置
7.「森の木陰でドンジャラホイ」プロジェクト~炭焼窯設、雑木林づくり、70haの町民有志からの寄贈林地を将来に引き継いでいく恵みの森づくり
8.「カッコウカッコウ鳴いている」プロジェクト~オオタカやクマゲラ等の本地域に生息する鳥類の営巣地保護
9.「歴史の足跡をたどる」プロジェクト~昔から農作業等に使われていた旧道の復元
10.「自然観察や野外スポーツの場づくり」プロジェクト~自然観察コースの造成
http://uenbetsu.jp/hasanbetsu/info/   ハサンベツ里山 200618 06:12
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市民の足の付加価値 桜名所の創造=名金急行線
 市民の足の付加価値 桜名所の創造=名金急行線。

 佐藤良二さんと申す。旧日本国有鉄道車掌を務めながら、休日に<桜移植>に奔走された方。その数=2000本と。

 「桜植樹岐阜国鉄」でヒットのURLをいくつ、か。

 1)佐藤良二 – Wikipedia  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E8%89%AF%E4%BA%8C

 
 2)友好の桜 浦添に
 https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-234836.html

 
 3)太平洋と日本海をつなぐさくら道 - 石川テレビ 
 http://blog.ishikawa-tv.com/refresh2010/2014/04/004350.php 

 
 4)【桜にまつわる話】二千本の桜を植えたバスの車掌さん https://plaza.rakuten.co.jp/myamyaspace/diary/201104100000/

 
 5)さくらの危機   
 http://www7b.biglobe.ne.jp/~kisa/kiki.htm

 (名金=めいきん線)案内
  岐阜県郡上・奥美濃地方から白川郷、五箇山を通って城端へと抜ける山岳路を経由し、名古屋と金沢を結んでいた路線。

  1967年には、名古屋~美濃白鳥~金沢という10時間にもわたる長距離運行が開始され、路線名も名金急行線と改められました。
  この時期、1人の国鉄バス車掌の方が沿線に桜を植えていった話は、後に学校教科書や映画にまで取り上げられるところとなり、「さくら道」として有名となりました。
  名金線は国鉄と名鉄の共同運行となり、・・・・・・・・。

  絶頂期を迎えた。のち廃止か。育てる、支援する。美談で終わってしまうか。
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列島 開花の千秋楽200528。
 列島 千秋楽の桜。今年は5月中に開花。クシロヤエ。



 樹木としては平凡ながらも、蕾=ツボミ、花弁、色合いの重厚感は<千秋楽、むすびの一輪>。

 品種登録は1981年 5月 27日であると。登録品種の育成をした者=稲澤六郎氏。
 
 釧路市鶴ヶ岱の鶴ヶ岱=つるがだい公園の近くに所在地。「品種登録の有効期限」ということも素人にはいささか解せないが。

 風のぬくもり。気温のなごやかさ。夏のかおりに包まれて、風になびくクシロヤエの容姿。
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夕映え阿寒岳 北海道東部200612
 夕映え阿寒岳 北海道東部200612



 年でいちばん昼の時間がながい夏至直前の季節。夕映えが長い時間をかけて鮮やかさをます北の空。

 晴れた日もあれば、かすむ日もある北国の夏。

 暮れなずむ空に光彩、つかのまの夕映え。シルエットの阿寒富士、雌阿寒岳、雄阿寒岳。

 マチ中は闇におおわれ、家並みの灯が点る。闇、照明、夕映え、紺の空。その多彩さを楽しめる北国の夏至、間近。
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身内の優遇 原資は国民の税金 公器の運用に事実の記録残さず 地方新聞の紙面提言 その2。
身内の優遇 原資は国民の税金 公器の運用に事実の記録残さず 地方新聞の紙面提言 その2。



見出しに大きく「疑惑の山 はぐらかす首相」。「会期末へ逃げ切りへ 答弁 丸投げ」。
「トンネル会社あたりまえ その非常識」というネット記事の見出しもあった。

保守系政治家はみな同じ体質なのか。
総裁選安倍三選。北海道内の保守系政治家はこぞってこのヒトを推した。公認される権利を奪われる怖さか。

そこを承知で投票する有権者の愚かさ。
甘く見られたモノで。疑問を呈するモノ「変人」と烙印。オゴリもそこそこに。

「専門家会議 速記録公開は10年後」。
これぞ隠蔽、問題の本質隠し。専門家の意見などそもそも 聴くつもりのなかった政治家が、自らを信奉するモノからの反論を押さえ込むのための隠れ蓑。
不見識がどのような無理な発言を延々述べ続けたモノか。

レガシーつくりだけ使命の総理大臣。結果はついてきていない。

改憲。
それだけが目の前にチラつく、アセリの今。そういうことではあるまいか。
残った国債発行のヤマ。腹を切るツモリもなく。
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太鼓持ちの系列化、公正競争よりも 地方新聞の紙面提言 その1。
 太鼓持ちの系列化、公正競争よりも 地方新聞の紙面提言 その1。

 「週刊誌の記事で、質問をされても」「それは憶測、事実ではない」「(記事が事実ならば)議員も総理もやめる」。
 総理。週刊誌も、新聞も貴殿の名誉を傷つけていましか。名誉毀損の訴訟をすすめては、いかが。



 森友疑惑。2017年の2月ではなかった、か。事件は推移。
 公文書の改ざんがすすんだ。担当の職員は自殺した。自殺した職員の遺書が公開された。「再調査」を求める署名は35万人に達した。
 35万人署名の記事は、20年6月10日の配信。

 観光立国ショーケース。阿寒湖を指定地に。この文面を読んだとき、なぜに。
 「世界トップクラスの自然に抱かれながら」「アイヌ民族の自然と共生する文化を体感できる、世界でも唯一無二の休日、「カムイ(神)の休日」をゆったりと過ごすことができる観光地を目指す」。

 「カムイ(神)の休日」の表記に、ある意味、違和感をもった。「この地域の<お役人さん>の発想ではない」。
 広告代理店のコピーマンが示した、案分の存在。
 事実、「実施計画書」のpdfは、地元の自治体、観光協会、対象地の地域協議会が連名で計画書を国=国土交通省 観光庁に提出した形とは、なっているが。
 なぜにの違和感。それだけではない。

 川湯・屈斜路・摩周地区の無視 
 対象地の「阿寒摩周国立公園」には、川湯・屈斜路・摩周地区があり、屈斜路コタンは確かに「カムイ(神)の休日」をゆったりと過ごすことができる」地のハズながら、切り落とされている。

 阿寒の父・前田正名翁の無視。
 阿寒の自然を守ったのは、前田正名一族の理念。含めて本州から移住し、「日本型生活様式」を「東方=メナシ型生活様式」を構築し、開発の思想を共生の哲学に止揚した「移住者二世、三世の知恵」も切り捨てられている。
 そうこうするうち、聞こえてきたことがある。どうも、「観光立国ショーケースは、大手広告と大手旅行のともに代理店が関与しているらしい」。

 新型コロナウィルス感染で「電通」。
 掲載の記事は伝える。「電通 霞ヶ関の実働部隊」。ことは持続化給付事業の委託構図。
 「受託授業者に<電通>の名が表面化しないように」。

 総理。週刊誌も、新聞も貴殿の名誉を傷つけていましか。名誉毀損の訴訟をすすめては、いかが。
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つまるところ、どうなった? スペイン風邪200503(2)
つまるところ、どうなった? スペイン風邪200503(2)。

 罹患者の収容。
 その対象地は「塹壕」のなかであったとされる。それはムゴイ。
 「塹壕=さんごう 戦場で、歩兵が敵弾を避けるために作る防御施設」。



 「溝を掘り、前方に掘った土や土嚢(どのう)を積み上げたもの」。

 世に「三密回避」を申すではないか。
 「三密は『密集』『密接』『密閉』ということ」。
 なにしろ戦時の兵員輸送船のなかで罹患者発生が確認された。
 秘密裏の兵員輸送。軍の弱体を公にすることなど、敗戦行為。敵に<「弱み」を見せる、知らせる、感づかせる>わけには、ゆかず。
 さりとて、敵地に患者収容施設など、ありえない。

 発生源はUSAの軍。
 永世中立国の一つスペインは、国民に広がった自国民の異変を世に知らせた。知らせたことが、仇となった。
 「スペイン風邪 Spanish
cold」「スペイン風邪 Spanish
influenza」の命名は、こんな経過で世界史化され、「スペインが発生源」の誤解が定着したと、される。
 (「日曜ビック 緊急生解説!池上彰の「人類VS新型コロナ」最新ニュースも解説」 TVH 2020年5月3日(日) 19時54分~21時54分)
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兵員の安全 戦死ではなく疾病で死亡=兵舎の環境
兵員の安全 戦死ではなく疾病で死亡=兵舎の環境

世に申す「鶏のトサカグラフ」。185304~185503間の統計図表。

1)20歳のときに数学を志すに,周囲の理解も得られず挫折
2)1853年=クリミア戦争(ロシアとトルコ・フランス・イギリスの戦い)で、
3)英国の看護団を派遣に「自ら志すとともに推薦も得て,野戦病院で働く」。
4)直面した「病院の劣悪な衛生環境」。
5)兵士は戦争そのものや戦傷で死ぬよりも「はるかに多く,伝染病などで死す」と。

(ここがポイント)
『英国陸軍の健康,能率及び病院管理に関する諸問題についての覚書』(1859)を著す。

6)円を月別に12分割。
7) 1か月ごとの死亡者数をその原因ごとに色分けして描くグラフ
8)イギリス陸軍で「伝染病などで死ぬ人が圧倒的に多い」
9)「介入による変化(改善)もある」を
10)「ダイナミックに示す」。

ウーン、なるほど。
女性で初、「1858年には王立統計学会初の女性会員で迎えられる」、と。
https://psych.or.jp/interest/mm-21/ サトウタツヤ「心理学ってなんだろう」.
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木の文化 物語の文化 みちのく物語nhk
●木の文化」を活かした「木のおもてなし」のススメ
http://www.green.or.jp/news/hospitality_with_trees/



伝えたい木の文化、遺したい美しい山林の森
http://shinjyou.jp/?page_id=27648

木の国の物語―日本人は木造り文化をどう伝えてきたか
https://www.amazon.co.jp/%E6%9C%A8%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%81%AE%E7%89%A9%E8%AA%9E%E2%80%95%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AF%E6%9C%A8%E9%80%A0%E3%82%8A%E6%96%87%E5%8C%96%E3%82%92%E3%81%A9%E3%81%86%E4%BC%9D%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%8B-%E4%B8%AD%E5%B6%8B-%E5%B0%9A%E5%BF%97/dp/4898064531

木の文化県構想は「木を育てる」 「木に親しむ」 「木を活かす」から。
私たちが培う「木の文化」とは、木が樹木から森林に、そして木材などへと、再生しながら循環するものであり、人と環境に優しく、人にとってなくてはならないものであることを深く認識し、生活に活かしていくことです。
言い換えれば、人と木のより深い関わりと多様なあり方を追求し、木に対する色々な知恵を蓄積しながら、木の循環に配慮した行動を取ることが木の文化なのです。
この意味で、木の文化の基本理念は「人と木の共生」と言えます。
そして、こうした文化で県土づくりを行おうとするものです。
私たちは、この木の文化を培うため、「木を育てる」「木に親しむ」「木を活かす」の三つの視点から取り組みを進めます。
https://www.pref.kochi.lg.jp/soshiki/030101/kinobunka.html

「木の絵本」を開発した前川敬子と仲間たちが、この絵本で実現したかった目的は大きく2つある。1つは、山々に囲まれた遠野で大量に出る間伐材を有効利用すること。そしてもう1つは、遠野の物語文化を未来につなぐこと。
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読まない、読めない、読むと良い <読書の三章>ネット記載から200604
 本を=読まない、読めない、読むと良い <読書の三章>ネット記載から200604



 角田陽一郎著『読書をプロデュース』
 「本を読まない理由」
 理由その1 「つらいから」
 理由その2 「時間がもったいないから」
 理由その3 「楽しくないから」
 理由その4 「書き手が知らない人だから」
 理由その5 「ネットのほうが便利だから」
 https://toyokeizai.net/articles/-/330115 

 “もったいない”本舗ニュース
 <本を読めない原因は?>
 ① 何の本を読めば良いのか分からない
 ② 常に他のことに気がとられてしまい集中できない
 ③ 買うだけで読んだつもりになって満足してしまう
 ④ 学校や仕事が忙しく本を読む時間がとれない
 ⑤ 家族がうるさく本に集中できない環境である
 ⑥ 読めない漢字や難しい言葉が多くて挫折してしまう 

 『もったいない本舗』スタッフsakuraが教える!読書が楽しくなる3箇条
 その1)読書メモを残すべし!!
 その2)読み方の改善を試すべし!!
 その3)本を複数冊平行して読むべし!!

 こんなに違う!本を読む人と読まない人の差とは
 1)ボキャブラリー(語彙)が豊かになる
 2)選択肢が広がり思考力がつく
 3)信憑性のある情報が得られる

 さてさてこの先、私たちはいかなる 200604 05:34
https://www.mottainaihonpo.com/kaitori/contents/cat01/022-hon-yomenai.html 
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メナシ 東方社会の中核地20200601
 メナシ 東方社会の中核地20200601 この日から6月。



 「メナシ」の領域設定。
 「幕末のころ根室海峡を隔てて東に国後島を望む一帯の土地で、標津の辺までの地方をいった」と、山田秀三氏の説。
 その属性を、「豪強を以て聞こえた東蝦夷の一拠点」にありと、承けておいた。

 元和年間、松前城下に一群
 「メナシ地方のアイヌ民族が、100隻近い舟に鷲の羽やラッコの毛皮などを積み、松前に」から、海獣・猛禽類の資源豊富地。

 1789年旧暦5月、
 今なら6月中旬に野付水道に流入の河川河口で、アイヌ民族が本州側稼ぎ者、輸送船舶従事者を殺戮、しかし37名が処刑される犠牲を払う。
 それまでの、コシャマインの戦い=15世紀、シャクシャインの戦い=17世紀がアイヌ民族間の戦いであるも、今次は本州側に攻撃の手段。
 サケ・マス資源の一大産地にして、犠牲者の内訳から陸奥国下北郡との稼ぎ地及び米市場形成を、読む。

 有力な高額請負漁場。
 今回は触れずも、場所請負制度下では高額落札の漁場群。その根室・国後。
 1857年、ニシペツ事件なる訴訟が発生。当時の斯界きってのサケ漁展開地。川の河口と上流域に依拠するアイヌ民族間で利害が対立。
 河口で張り網。遡上河川漁が海洋で捕獲されて遡上量が激減した段階。そこに釧路川河口を生活圏とするアイヌ民族がかかわる点に、東方社会の波及範囲を示唆する。
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肌触り、染めが容易、着る人の姿かえる 柳田国男著「木綿以前の事」
 肌触り、染めが容易、着る人の姿かえる 柳田国男著「木綿以前の事」



 普及期
 「元禄=1688-03年の初めには、江戸の人までが木綿と云えば、すぐに此様な優雅な境涯を、連想する習はしであった」

 普及要因
 木綿が我々の生活に与えた影響が、毛糸のスエーターやその一つ前のいわゆるメリンスなどよりも、遥(はる)かに偉大なものであった。

 第一には肌ざわり
 第二には色々の染めが容易
 (第三には)着る人の姿も、全体に著しく変った

 「生活の味わいが知らず知らずの間に濃(こまや)かになって来た」。

 波及要因
 緩衝材と申すなら<保温力>。甲冑着用のときの緩衝機能は硬と軟。庶民の普及では<寒と暖>の緩衝要素も大きな魅力。

 津軽の<津軽こぎん刺し>。麻布に木綿糸刺繍。肌触り+保温能力向上で寒地労働の女性、男性への<寒暖緩衝の知恵>を示す。

 伊勢商人
 「戦国時代は後北条氏(→北条氏) の城下町となった小田原に伊勢商人が多数出店」
 「近江商人が行商などから始ったのに対し,幕府や諸藩の御用商人として活躍していることが特色」

 取り扱い商品の基軸に「木綿商い」。
  https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/arekore/detail.asp?record=15
 「松阪の城主・蒲生氏郷は近江日野の出身」
 「近江商人を育てた人でもあり、この氏郷の商業保護政策や、広い木綿生産地があった」
 「伊勢参宮の人達によって貨幣経済が発達し、情報も入り易かった」
 「多くの商人がこの松阪から出ました」。(「伊勢商人の活躍と三井高利の商法」 『歴史の情報蔵』 200602 06:13)。
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「宝物の<イワレ>が変わっているのです」 裏磐梯湖沼群水資源
「宝物の<イワレ>が変わっているのです」 裏磐梯湖沼群水資源

 五色沼=+印。その東に秋元湖、北西に小野川湖、曽原湖と転じて檜原湖。
 磐梯山の北に位置する「裏磐梯湖沼群」。国道450号に県道が組み合わされて、湖沼群をめぐることが、できる。



 昭和44年放送の「新日本紀行」。
 ナレーションの一句に、「宝物の<イワレ>が変わっているのです」。
 湖沼群の豊かな水は<水源涵養><農業用水><水力発電>で活かされて、来たと。

 1960年代、道が整備されて「観光バス」が、団体客を誘引し、実に<景観>が脚光をあびること、に。

 nhkBSP 「よみがえる新日本紀行」 
 初めに当時の放送があって、裏磐梯の観光開発着業を紹介するキャッチコピー。
 それが「宝物の<イワレ>」部分。「水のフロー」が「景観観光のストック」に、転換ということで。
 「水資源利用」に加えて、「景観観光」の活用。(2020年5月31日(日) 午前6:45~午前7:23=38分)。

 (以下、番組案内)=今年は昭和で申すと95年。
(当時の放送内容)
「春の訪れを待ちかねていた分校の子どもたちの生き生きとした学校生活」
「水田の整備に力を入れる人々など、山麓で繰り広げられる力強い暮らしを描いた」。
(今回の挿入内容)は「50年ぶりに訪ねる」と、
「分校の卒業生の一人は桧原湖畔でしっかりとした生活を築き」
「改良が進められていた土地は豊かな水田へと姿を変えていた」。
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