2011年01月の記事


秋田銀行釧路支店
 秋田銀行釧路支店が、金曜日(1月28日)の営業をもって閉鎖、撤退することになった。

 開店は1964年。本市と秋田県湯沢市が姉妹都市になった年のことであったことになる。

 銀行支店は、秋田県人会の事務局を務めていた。いわば国衆、所衆の同郷者意識の拠点。

 一昨年であったか、地元の秋田県人会が創立100年の本を出したくらいであった。

 秋田の国衆。南大通1丁目の丘陵地にある「双眼鏡を手にした銅像」の主。北大通の茶紙店。それに、この銀行の支店。

 秋田県人の拠り所が、ひとつ消えてしまった。それにしても、店舗は解体、更地にして引き上げるという。経済の仕組みは、利益があがらなくなると撤退。なにごともなかったことになる。
コメント (0)

加藤徹著『絵で読む漢文』
加藤徹著『絵で読む漢文』(朝日出版社)。広告を見て発注した。

タイトルからして、漢文の読み方を図解して解説する本かと思いこんで購入した、が。

開いてみると、引用した漢文の名句、名言に、その情景とむすびつく中国の風景・風土・人物が図として挿入されているツクリ。

基本は、なんといっても多くのフレーズを暗唱していることに、つきるの感。
おまけに原文の上に「読み」が記載されてあり、白文でないため文を読み解く前に、読みが目に飛び込んでくる。

入門の本としては最低限必要な名辞がえらばれているのであろうが、読み解く術を身に付けた人が、その読み解き方を図解しているものではない。

むしろ「読み解くのに王道なし」と、言いたいのかもしれないが。それではそれで、タイトルを工夫してほしまったの感。
コメント (0)

塩野七生著『生き方の演習―若者たちへ―』
 著者の提案によると、歴史エッセーと称する領域に位置するそうで、作品はなかなか受賞対象になりにくいのだそうである。

 講演「二十一世紀にどう入っていくか」(1998年)、の記録が中核になっている。若者が、発言のどこに注目するだろうかと考え、読んでみることに。

 「選択肢を多くもてない」「好奇心が新しい文明を生み出す」「刺激をいっぱい受ければ独創性が生まれる」。

 インパクトという点で、どうなのかと考えるが、もう一度読んでみることか。(朝日出版社 2010年)。
コメント (0)

公共交通

photo by pacific0035 from OCNフォトフレンド
 
 朝、バス停で気がついた。昨夜の雪が、固まってツルツル道に。

 公共交通は安全。炭酸ガスの排気量も総量で、減少かな。
コメント (0)

加藤徹著「日中二千年漢字のつきあい
 加藤徹著「日中二千年漢字のつきあい」。漢字は中国から伝来の文化。我が国は口承伝承の中に、やがて漢字による記録化を覚える。

 「最初に伝わった文字が、『魔性』をもつ漢字でなかったとしたら」(20p)、「国名を中国に伝えたのは702年の遣唐使のとき」(38p)、「漢文学習は、純粋な教養であり、『粋』な遊び」(58p),

 「和製漢語=(明治以前からある)日本人の歴史や生活の中で生まれた漢語」と「新漢語=西洋近代の学問を翻訳する過程で考案された漢語」(71p)

 「中華人民共和国」の国号。「中華」は、純粋の中国製漢語、人民も共和国も、日本漢語。かくて国名の3分の2は、日本語になってしまうが、さりとて適切な代案が浮かばなかったーという(75-76p)。
 NHK「知るを楽しむ 歴史に好奇心」テキスト 2007年4月 日本放送出版協会。
コメント (0)

1000万歩
 歩数計で計測してから、昨日で1000万歩を超過。

 測定開始は2006年8月17日のことで、4年半ということ。

 この間につきあってくれた歩数計は2台というか、2個というか。目安ではあるが、大台には達した。

 間食をしない、酒は二日続けて呑まない、日に5,000歩は歩く。歩幅70センチとなっているから、どれだけの距離に相当するか。

 次の1000万歩。さて、期間短縮はなるか。
コメント (0)

山花温泉
Mizutori
 山花温泉は、釧路市西部にある。非火山性の温泉で、ナトリューム泉。

 近くに動物園があって、施策的には「都市農村交流事業」の一つとしてその役割がある。

 最近訪問したのは、12月26日。窓外にある池には、翼をやすめる水鳥が。

 そのノンビリした様子に誘われて、写真を一枚。水鳥が気まぐれ風に変化をおこして、波紋が広がる。外気は寒いが、心はなごむ。
コメント (0)

小森陽一著『沖縄・日本の400年』
小森陽一著『沖縄・日本の400年』。地理的には、日本と東南アジアをむすぶ面のなかにある沖縄。

 交易に生きた地域をめぐって、中国と日本の覇権が綱を引き合い、そこに米軍が依拠する複雑にして、深刻な関係。
 幕藩体制のもとでは異国と位置づけられ、近代国家のもとでも、投資はしないが資源利用、利益のみを手にする地として位置づけられる。
 
大戦では防衛の手立ては無に等しいまま、多くの人命が失われた。
戦後は米軍の戦略のもとに、民有地が一方的に基地に化した。

 沖縄返還交渉。そのめざすところを「日米同盟の再編強化と、日本の大企業のアジア進出を自衛隊の増強とともに実現」と、読みとっている(76p)。
肯定・否定はともかく、沖縄の今を考える足掛かりとしておきたい。
コメント (0)

阿寒富士
AkanFuji
 阿寒富士。写真をアップします。2011年の阿寒富士。

 北側の窓からながめて、「今日も元気?」と、声援を送っている。

 阿寒富士は雌阿寒岳の一群の秀峰。まりも国道をドライブしていると、真ん前に姿をあらわす。

 華麗な円錐形。火山成因モデルたるにふさわしい山容というべきであろうか。

 晴れた日。街並みの背景にこの山が見える。この地域のシンボル。それは、この山につきると、言えそうである。
コメント (0)

経営者感覚 サラリーマン感覚
 経営者感覚 サラリーマン感覚。ビジネスの世界に、ありそう。民間感覚というか、官営感覚というか。

 NHKの朝ドラ。今は「てっぱん」。先日、こうしたシーンがあった。
 出前に行った若者が、なかなか配達を終わらず、次の配達にも事欠く体たらく。妹は、怒りだした。

 後日、判明。
 出前配達をサボっていたのではなくて、出前のついでに、高齢者の御用聞きを果たして、つぎの商品需要につなげていた、お得意様管理。
 実家に帰ったその後には、お好み薬がアツアツで利用者に届けられるように、「配達用お好み焼き鉄板」を開発して、残していった。
 これは、経営者感覚。

 最近、守備範囲を主張し、業務の範囲か範囲外かを主張する、サラリーマンが見受けられる。
 先日もやってきた、電話会社の下請け業者が、この手の作業員。

 系列会社の使用不能機材を「引き取れ」と伝えたら、「委託業務外につき、できない」と、主張した。

 「そうか、では、別会社にやってもらうから、自宅への立ち入りを遠慮してもらいたい」と伝えた。

 自らの都合を主張して、利用者の顧客満足度など、どうでも良い姿勢である。

 家での職業教育。9割以上がサラリーマン家庭で育ち、家での職業教育は家で、行われなくなった。
 ビジネスチャンスはモノにする、次につながる顧客管理を心掛ける。

 経営者は、サラリーマンを雇うに、頭も痛かろう。
コメント (0)

藤森 照信著『建築探偵・近代日本の洋館をさぐる』
 藤森 照信著『建築探偵・近代日本の洋館をさぐる』は、近代の資産家が利益を豪邸にかえ、威勢を示した話。

 そのようにいえば、まさにそのとおりであるが、結果として文化の洋風化を構築した時代の、12話が紹介されている。

 建主は石油王にはじまり、生糸・タバコ・義歯・北前船主・石炭・下駄・肥料・山林・大理石・ワイン・鉄道。

 現代の巨富は「六本木ヒルズ」に住まいする人もいたが、戸建てのしかも、洋風。一棟に、フランス・イギリス・ドイツの部屋が用意されるという異国同居あるが、決してアメリカは登場しない。

 北前船主の出た河野村が河野水軍と関係し、肥料王のところで前田正名にお目にかかるとは思わなかった(103p)。

 当時、地方更生運動に奔走中であった前田は、加古川の・多木久米次郎に書を贈っている。
 多木は前田の講演を聞いて熱心にメモをとり、「農業の生産性向上には、合成肥料の製造が不可欠」と教えたらしい。教えられた久米次郎は、のちに「牛馬の骨に硫酸をかければ、リン酸石灰ができることを学び」、明治18年に工業化に乗り出すのだそうだ。
 
 記録しておこう。(NHK人間大学テキスト日本放送出版協会 / 単行本 / 1998)
コメント (0)

ストレス 回避
 このところ仕事が、ひとつずつ解決している。

 19日は調査項目、20日は業務計画。それぞれ相手方に提出して、一段落。もちろん帰宅時刻も、それなりに遅くなった。

 帰宅して一杯。地酒を冷やでキュ。地元酒を愛飲している。ストレスを回避。そこのところに心がけている。

 帰宅して聞かされた。モノ納品の知人に、抹茶を飲んでもらうことになったそうで。呑んだ客人は「今日は、勉強になったー」。

 ことのなりゆき。喫茶は日常と非日常の境目に、一線を画する≪癒しの一服≫。
コメント (0)

生命誌
 今朝は中村桂子という人の解説で、宮沢賢治の紹介を視聴。

 「生命誌」という、研究領域があるらしい。
 世の中には、「知っていないと生きられないこと」というのがあって、他方で「知っていなくても生きていくことができる」というのも、ありそうである。

 「知っていないと生きられない」ことはそれほど多くはないが、別に「知っていなくても生きていくことができる」要素はたくさんある。

 「知っていないと生きられない」というよりは、「知っていないと損をする」ということはある。
 「知っていなくても生きていくことができる」は、いささかヒトをして傲慢にするかのようである。

 生命誌。「知っていなくても生きていくことができる」世界を解明しているかのようである。
コメント (1)

柳澤桂子著『生命(いのち)の未来図』
 柳澤桂子著『生命(いのち)の未来図』。サイエンスライターというジャンルからの発言。

 「ヒト・ゲノム」の解読。正確には「全塩基配列順序の決定」とするらしいが(49p)、やはり難解。「まえがき」に進化の道筋を正確に理解うようだが、システムを理解すること自体が難しい。 

 遺伝子診断。障害をもつ胎児を出産するべきか、あきらめるべきか。間違いのないことは、福祉の充実(64p)とする。

 「私たちはなぜ死ぬのか」。その要因は老化とばかりおもっていたが、それは人間の一面であって、女王バチなどなかなか壮絶。栄養を特別に摂取するのでハタラキバチにくらべ10倍の長生きをする。
 その女王バチは一度だけ結婚飛行に出て、多くの雄バチと交わるも、交尾した雄バチは瞬時に死ぬのだそうで。
 その女王バチも体内にとりこんだ精子を使いはたすと、雄のハタラキバチに殺されてしまうのだ、そうで(101p)。

 衝撃的とも思うのは、著者自身の闘病体験。
 モルヒネも聞かなくなり、あとは薬物で意識の鎮静化をはかるしかないと、医師に宣言される。その後に、夫と息子がそれぞれ友人から「そういうときには抗うつ剤が効く」と、聞いてくる(121p)。
夫が博士で、科学者一家の掃討にインテリジェンスの高い一家であればこそ、得られた情報。
 庶民ならどうする?。精神科医師の領域に、担当医師にはそうした知識もなかったようで、医療のブラックボックス。強い痛みにともなう苦痛も解消されたという。

 このさき生命科学は、どこまで進化するのか?。著者も問うている。そのうえで、「東洋の思想を世界に知らせる義務がある」と結ぶ。
コメント (0)

宮崎益輝著「日本の教訓 地震列島」。
 宮崎益輝著「日本の教訓 地震列島」。今、読んでいる。

 安政南海地震、濃尾地震、関東大震災、そして阪神淡路大地震が取り上げられる。いずれも巨大地震であるが、時々の政権、庶民がどのように対応したか、被災の教訓がどのように継承されたかという点で、そこには時代の特性というものが滲み出ている点が興味深い。

 そのなかで変化の局面のひとつが、情報の伝達と広がり。二つ目は政権の熱意と時代ならではの脆弱性。三つ目に、記憶を風化させないための継承のしくみ。

 それぞれの地震に記念碑が残されており、その紹介と解釈が記述の核の一つをなしている点が、興味深い。碑は、記憶を風化させず、被災を教訓として後世に伝える知恵の伝承システムとなっている。

 そのなかで宮崎は指摘する。地震の当事者には「被災責任」があり、その地に長く住む後世の歴史継承者にも「減災責任」がある、と。「げんさい」は減債、減殺とワープロではあるが、「減災」の用語をつくり「日本の教訓」としている点が、まことに意欲的。
コメント (0)

佐藤 信著『木簡から読み解く平城京』
記録によると、12月26日に読み始めて、読みおわったのは1月10日。2週間以上、抱えて歩いていたことになる。

 冒頭に平城宮跡で木簡が発見されたのは。1961年のことと、ある。それより、実に35万点(7p)の木簡が発見されたそうで、筆者はその資料特質を3点にわけて掲げる。(1)同時代史料、(2)日常的な史料、(3)地方の史料が多い(10p)。

 木簡は、文書、付け札、習書・落書に分類(8p)され、紙と併用されたとする。印鑑をついての公式文書は紙、メモに類する簡便な記載は木簡と使い分けられた。

 木簡の整理と解釈をつうじて、大化改新の詔が、後日の編纂物であることをあきらかにした「郡評論争」や、長屋王邸宅での消費物資の内容など、文書史料には記載されていない詳細な部分の記録源となってると、読み解いている。

 官庁の具体的な動きがきめこまかく触れられ、情報が豊富であって読んで楽しい。
 奈良の人口が約10万人、官人が1万で、上級官僚は100人というのも、現在に通じて関心が寄せられる。(日本放送出版協会 2010年)
コメント (0)

ベテラン 頑張る
 ベテラン 頑張る。

 パソコンを追加した。空っぽの廉価の国産品。
 これまでの2003年春製造品は、起動スイッチが不具合で、なかなか立ち上がらない。スイッチを押すこと、5度、6度。
 あいつぐソフトのアップデートで、ドライブの容量が少なくなった。PDFなど可能なかぎりはずしているが、ために開かないページも発生している。
 
 暮れに届けられたので、旧器のかたわらに新機種をおいて、接続開始。ところがである。たまにつなぐ旧器の様子がかわった。一発で、起動する。若者に刺激されて、老コツは奮起した、か。

 正月もすぎて、今朝は資源ゴミの収集日。気持ちのせいか、いつもより酒ビン、ビール缶の類が多いようにみうけるが。

 そればかりではない、収集所にあいつぎあらわれるは、男性ばかり。仕事への出発前なのか、スーツに外出用コート。大量の資源ゴミをもちこみ、不器用に区分している。

 「あなた!!、もっていってー」。「どうせ、自分で飲んだものでしょう!!」。

 令夫人の声が届くようでもあり、ここでも老体は頑張っている。ヒガメ、か?。
コメント (0)

元祖柿の種 浪花屋製菓
 元祖柿の種 浪花屋製菓。おいしい。

 どのくらい、おいしいか?。2009年のことだが新潟へ旅行し、道の駅でお土産に買い求め、知人に差し上げた。受けた知人は、当地方で販売されている品とは「全然違う」と称して、わざわざ製造元に注文。取り寄せて、食べたと報告があった。

 なぜ、おいしい。柿の種だけで、ピーナッツとの混合ではないが、それだけで満足感が高い。粉の粒子が小さく、口での広がりがなめらかであるように思う。

 どのくらいおいしく、なぜ、おいしい、か。くだんのごとしと、ひとまず書いておこう。
コメント (0)

歩く文化
 歩く文化。7日金曜日は家にいたので、正午を期してまちへ出かけた。

 といっても駅裏の4丁目地点から、メーンストリートを13丁の〆て17丁で2キロ強。

 通りのポストで年賀状の投函。
 金融機関で記帳と幾分ひきだし。その金子を駅に設置の支払機で入金。
 バス会社に行き、定期の更新。さらには写真のプリントをDPEで依頼。12枚=400円強。
 郵便局で速達の不足分を払って、水戸への郵便物委託。

 橋をわたった会議所で用務。この間つれあいは、MOOで毛皮の襟巻。定価の半額で手にはいったと、喜んでいたが。

 そこから歩き、駅裏の書店で400字詰めの原稿用紙。

 中心街。人は歩いてはいなかったが、店頭にポスターがあった。「1月7日 北大通をあるきましょう」。
コメント (0)

民主党政権
民主党政権。民主党政権に対して風あたりが強い。風当たりは日増しに強くなっている。

どの筋から強くなっているかというと、第一には野にくだった自由民主党とそれから分派した一員である。

それだけではない。報道機関は、あたかも無能力者のように書きたて、世論調査結果をもとに内閣支持率域値にたっしていることを声高に書いている。しかし、考えてももみたまえ。産経、読売、その配下にあるMSN.。いずれも財閥経営下にあって、大手企業の利益を支援している。その割には、企業の海外移転に寛容で、法人税率が高いことを喧伝し、それが海外移転けではない。もやむをえないかのように、書いている。

それだけではない。官僚は、エリート官僚は管内閣より、自民党内閣の必然性を考えている。事務方ではあるが、その本分を発揮するよりも、遠からず政権交代は確実、その日のために自らの出世のシナリオに照らして、自由民主党政治家に「恩」を売る計算に懸命であるのではない、か。

先日、尖閣列島で中国漁船が海上保安庁の巡視船を妨害し、その映像を海上保安官が自ら流出した。海上保安官は、結局、辞職退役したようであるが、まだその背後関係は明確にされていない。

沖縄返還と同じで、野党愛のに落ちた政治家が、内閣崩壊のシナリオとして、将来の保身を保証して、流出の働きかけをしたというシナリオも、想定できるではないか。後日の解明をまちたい。

民主党政権について、初の労働組合支持による政権ともいわれる。しかし、労働組合だけでは、勝てるはずがない。しかし、勝った。そこには、市民派の関与がある。

そこを官僚も、報道機関も注目すべきである。そりゃー、一時的には民主党政権は敗北するかも。

しかし格差の容認や、若者の失業拡大、生計困難者の教育機会拒絶、技術開発能力の低迷で、さらなる成長神話など、描けるはずがない。庶民は、そこに気がつくべきである。
コメント (0)

山岳
oakan
 山岳。この新年、建物の右手にくっきり阿寒の山が見えた。いつもは建物の左手に円錐形の山が見えて雲の漁をはかるが、今回は右手に見えた。

 地図や写真を並べて検討するに「雄阿寒岳」にあたるのだと、思うのであるが。

 雄阿寒岳を見るときは、多くは阿寒湖の湖面からみるので、自宅の窓から眺めるときとは方角が異なる。従って山容は右、左が逆となるのだ。

 雄阿寒岳と阿寒富士がそろって見えた経験は、この家に移転してきてからも、出くわしていない。

 たまたま気が付き、一枚、写真におさめた、が。
コメント (0)

舞い戻り年賀状
 今年も何通かの舞い戻り年賀状があった。転居先不明のゴム印が押されて戻されてくる。

 そのうちに本人からの賀状を頂戴し、新しい住所が判明する。そこで角封筒を用意し、
添え状記歳の上に80円切手を貼付して投函する。

 そんな手順が問題ではない。手紙を書いては郵便ポストに通う。この間、往復700歩の500メートル。

 初老から高齢にかわる今は、外出の機会、歩数の蓄積、外気の吸引、知人との邂逅、気分の転換。絶好の機会。そういうこと。
コメント (0)

矢島新著「近世美術のパトロンとアーティスト」。
 矢島新著「近世美術のパトロンとアーティスト」。瀬木慎一ほか著「日本コレクション奇譚」(日本放送出版会 2008年)のコラム欄に掲載されている。

 アートが生み出される環境に関して日本独自と見える三つの形態があるのだと、指摘する(126p)。
  幕府や大名が一つの流派=狩野派を愛好する形態。庶民を購買層とする商業ベースの成立=大津絵。第三は、作者自らの自由意志でのアート制作。

 第三のケースに代表される作家の一人が円空であるとする。江戸時代の作品が「発注をうけて制作される」(128p)ものであったのに対して、「自由な造形活動を行った者があった」とする。

 作品とその制作背景を類型化したものとして、たいへん関心をひかれた。
コメント (0)

大型店 正月2日
 正月2日の大型店。客が入りこんでいたのは子どもコーナー。

 洋服、ゲームセンター、キッズプレイコーナー、レストラン街。それに食料品コーナー。

 大人用のブティックや和服の店には、その前の通路をカップル、家族連れが通過するも店内に立ち寄る客は少なかったように、見受けた、が。

 子どものお年玉はそれなりに。家でトランプ、カルタ、すごろくもなりたたず。時間の消費は大型店?。

 2日の拙宅。11時に家を出て、17時まで。この間に、3時過ぎの昼食の順番待ちと食事時間中を腰掛たが、あとは立ちっ放し。時間をさいたのは、「ゲームセンター、キッズプレイコーナー、レストラン」。

 さすがに3日。親たちは二人で出かけていったが、孫はついて行かなかった。
 カルタ、トランプ、すごろく。これにゼスチャーの答えあわせにバツゲーム。

 昼過ぎ、回転寿司をめぐって、帰路についた。25日から31日までマダガスカル組。1日から3日までは帯広組。

 1月4日。急に静かになった。遅れている仕事にきがついた。
コメント (0)

新年 古代
 新年 古代。テレビでの知識を書き込んでおく。

 玉箒(たまばはき)。「たまははき」とも申すか。箒は正月の初子(はつね)の日に蚕室を掃くのに用いるものだが、その素材に《繭玉》を飾り付けた、《玉の飾りをつけたほうき》をさすのだという。

 白馬の節会。こう書いて、「あおうまのせちえ」。正月7日に白馬をひきだし、天覧ののち群臣に宴が用意された。中国の故事によるもので、白馬をみると年中の邪気がはらわれるとする。

 もうひとつ、「ほよ」は「寄生」で、ヤドリギの古名とのことと、ある。宿り木は、梢にあってそこだけが緑であるため、神秘性というか、永続性をおもわせるのだとされる。

 蚕の繁栄、邪気の除去、永続性。願いを象徴する諸事が用意されている。
コメント (0)

青丹 小野老
 青丹よし。この歌は、小学校6年生のときに教えられた。教科書に出ていたのだとおもう。

 歌は暗記した。すらすらと、覚えた。のちに、万葉集に登載の歌と知った。青丹は、奈良の枕言葉であることや、小野老という人の歌であることは高校時代くらいに、教えられた。

 意味がわかってきて、青は緑っぽい色、丹は朱というか赤にちかい色の一種と知り、身近に生息する「丹頂」は、その鳥の頭のテッペンが「丹色」であることによるなど、色についての理解が広まったのは、さらに後年のことである。

 小学校のとき、「青丹によし 奈良の都は」と教えてくれた方は、ご存知であったのかと、考えてみたりもする。

 青丹のモデルは春日大社の壁・柱と格子の色合いであるとする。青は朱を引き立てる役割があり、成分は緑青。奈良は青土の産地で、ゆえに奈良の枕詞であるという。

 丹は朱が3分、結丹が7分で混合されてきたと教えられた。鮮やかな色合いが、バラつくことなく、マチ中に配されてきた秘密でもある。正月番組をみていて、ひとつ詳しくなった。
コメント (0)

白浜 舞楽
 白浜は「ほうひん」、舞楽は「ぶがく」と読むらしい。右方舞といえば朝鮮半島、左方舞は中国大陸から伝来とする。

 朝一番は宮内庁式部職楽部の演奏による、舞楽。1300年近く宮中の祝賀・供宴・節会行事に欠かせない芸能であるとされる。

 《大規模な合奏形式で演奏される伝統音楽として、いにしえからの様式を誇る「雅楽」》と、インターネット上に番組紹介がある。

 新年ならではの悠長にして、ミヤビの一時。正月ゆえの、正月ならでは。
コメント (1)