伊藤整筆「撃墜九機は見つからなかった」 日記で綴る「1942 大日本帝国の分岐点(前編)」220813HNKG.
伊藤整筆「撃墜九機は見つからなかった」 日記で綴る「1942 大日本帝国の分岐点(前編)」220813HNKG.

時節柄、太平洋戦争の関連番組は多い。なかでも出色。そう思えるのが、新・ドキュメント太平洋戦争 「1942 大日本帝国の分岐点」の前後編。
番組制作に時間をかけている。

全国に散在する戦中期の日記。記者夫人、その連れ合いの記者当人。著名作家で知られる人物の手になる<若き日の記載>。
「戦時」に関するキーワードを収集し、「月別頻出数」の棒グラフも登場。1941年12月が出現数のピークになっている点が興味深い。

1941年12月8日の真珠湾攻撃。明けて42年、ルソウ、シンガポールの攻略と戦果が続く。
しかし同年4月には米軍の反撃が始まり、東京都の杉並、新宿の民家の上空スレスレに米軍機が通過して「帝都空襲」の片鱗を見せる。
このころ、大手新聞紙面の変節が表面化する。「大本営発表」の記事が並ぶ時代。

帝都襲撃の米軍機友軍が攻撃。新聞に「九機撃墜」との記事が。
それを読んだ伊藤整は、落下した機体を探しにそれらしき、地点を訪問。しかし、機体はみつからず。
ここぞと思う地点では、「憲兵が厳重な警戒」と。

伊藤は思う。
「成果をあげたなら、必ずその戦果があるはずだ」。
今日、8月15日は77回目のポツダム宣言受託の日。
戦争とはゲームではなく、主権者が<貧困と生命危機に当面した現実>であることを。