復帰50年を期して 『沖縄県史 各論編7 現代』を手にして220801
復帰50年を期して 『沖縄県史 各論編7 現代』を手にして220801

戦後、77年を6部31章に分けて構成している。各章はおおむね20ページ相当。ほかに「コラム」という形で、1ページのトピックスが14本、750ページ余の一冊となっている。

「目次」を見せてもらった、のみである。多くを語るに戸惑いもあるが。
 1)<復帰後50年>は「復帰後の展開」と「沖縄現代史の諸相」の2部11章にまとめられている。
 2)対して<戦後27年>は、4部にまとめられ、458ページを充てる。
 3)比率で申すと年数で35.1%に、60.9%のページ数を割り振る構成。

 3)で、<年数と充当ページ数のアンバランス>を示させてもらった。
 そこに<戦後、琉球国範疇に終止符をうち、沖縄県=独立地域の国内化>のプロセスを示す。そう言いたげでもある。

 内実を別な観点で示すと、以下の3項目は<評価が定まらない>という判断ではないだろうか。
 A)<日米両政府の間で決まる、旧琉球国の位置>、
 B)政策選択の分岐点となる<米軍基地と地域振興>や
 C)<観光立国・沖縄の到達点と環境問題>

 他方で「復帰への道のり」「復帰の運動」には紙幅を割く。
4)「第一部 『アメリカ世』のはじまり」で「アメリカ世」は出色。
   →サンフランシスコ講和条約までかの7年を充てる
 5)「第二部 恒久基地化と住民の闘い」
   →1952年「琉球政府とは」から「復帰の運動」開始の1960年か。
 6)「第三部 復帰への道のり」
   →1952年「琉球政府とは」から「復帰の運動」開始の1960年か。
 7)「第四部 復帰の運動」
→1960年から沖縄復帰の1972年か。
 8)ここで5)と6)は、記述の時代が重なることになる。5)は<琉球を取り巻く、時代の推移>で、ある意味<客観的経過>を示すもの。
 9)たいして6)は<琉球で展開した地域社会の≪復帰に向けた胎動≫を詳述>とすることに。

 沖縄県に造形の深い研究者、学識経験者が参加した。そう解するべきではないか。
 「執筆者一覧」に名を連ねた人は総員50名で56の項目を手がけた。女性、そう確認できそうな名は13人となっている。
 なかに2~5項目の分担執筆をした方は6名で、うち2項目を分担した女性も1名。
 <県内の総力を挙げて>と申しては、失礼にあたるのであろうか。

 「沖縄 戦後 復帰」という検索項目でネットを開く。
 「戦後沖縄の主な出来事 琉球政府文書」「日本復帰への道 沖縄県文書館」などの項目がヒットする。
 なかに「行政主席の時代・沖縄県公文書館」には、次の趣旨がある。
 <「基地のない平和な沖縄」につながるものではなく、屋良は返還協定調印式を欠席して抗議の意志を示しました>。

 表にしない、多くの事柄。行間に読む、『沖縄県史 各論編7 現代』。
 そうした点の内在を主張しつつ、「日本復帰50年」にむけ公刊の運びとなったものか。
 以上のように、本書を読んでみたところであるが。