2022年02月の記事


寒さが見えるマチ 十勝国陸別220222
 寒さが見えるマチ 十勝国陸別220222。
 陸別は寒い。北海道内で最低気温の紹介地となっている。

 寒さの形容を「寒さが見えるマチ、温度が下がるにつれていっそうハッキリ見えてくる」。
 陸別町1965年1月18日、池北(つほくせん)の陸別駅。掲示の黒板=日報に「-31」と書き込まれた。

 昭和26年、「釧路副港」の建設に着手する。同35年に「副港魚揚場が完成する、『東洋一の魚揚場』がキャッチフレーズ。

1)「顔の見えるヤツから買う」、 
 2)「専門店で買う」、
3)それが「ゼイタク」と言う世情。
4)メディアが推進、ネットが誘惑、
 5)結果として手に出来ないときの不幸感、
 6)しかし、量販店には「売れ筋商品、お手頃価格」が並び、
 7)消費者は「なにを食わされている」かを知らずに摂取、
 8)消費者も生産者も、売り手の地益のために翻弄されて、
 9)持続可能利用よりも消費者も生産者もは売り手の収奪対象。
 10)富の偏り、貧富の格差、地球への限りない負荷。
 ※それが今、人類にシッペ返しか=昆布減少、サンマ沖合に近づかず、赤潮で高付加価値のウニも大打撃。
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「(運河がなくなったら)小樽の姿がかわってしまう」 「小樽 よみがえる新日本風土記」NHKBS4K220206
「(運河がなくなったら)小樽の姿がかわってしまう」 「小樽 よみがえる新日本風土記」NHKBS4K220206

2022/02/08 火 19:17
もっとも響いたこの一言。
「小樽運河がなくなるのみではなく」「(運河がなくなったら)小樽の姿がかわってしまう」 「小樽 よみがえる新日本風土記」NHKBS4K220206。

番組の柱に、最後の日本。
●運河をめぐる攻防
・街を二分した運河埋め立て論争と、そこで戦った画家の物語
●群来 よみがえる海
  街の繁栄の礎となったニシン。半世紀以上姿を消していたがここ数年帰ってきた。

(番組案内)に申す。
「2015年3月6日 放送
年間700万人が訪れる北の観光都市・小樽。旅人を魅了する運河やノスタルジックな町並みは明治・大正時代に建てられたもの。運河からは道内でとれたニシンや石炭が昼も夜もなく運び出され、小樽は「北日本一の港町」として繁栄を極めた。
しかし戦後、ニシンは姿を消し、炭鉱は山を閉じた。小樽は「斜陽の街」と呼ばれ、運河もドブ川と化した。街を二分する「運河埋め立て論争」を経て、街はよみがえる。かつての商家や倉庫では、若者たちが雑貨屋やビアホールを始め、浮き球として発展したガラス技術は、「ガラス工芸」へと進化した。
役割や姿を変えても街が最も賑わった頃の“誇り”や“技術”は、今も街に深く息づいていている。繁栄の記憶をもとに今を生きる街・小樽の営みを描く。
http://www.nhk.or.jp/fudoki/150306broadcast1.html
<オムニバス項目(抜粋)>
●古くて新しい街
  かつての穀物倉庫はビアホールに。商家はおしゃれな雑貨屋に。過去と現在が交じり合う独特の街並み
●お寿司狂騒曲
  小樽の寿司屋に訪れる半数以上は外国人。100人のタイ人を迎える女寿司職人の奮闘
●輝く街 
  乙女心をくすぐるガラス工芸。その原点は漁業で使われる浮き玉にあった
●あの人が愛した小樽
  昭和の大スター・石原裕次郎を育てた老舗料亭と小樽の賑わい
●運河をめぐる攻防
  街を二分した運河埋め立て論争と、そこで戦った画家の物語
●群来 よみがえる海
  街の繁栄の礎となったニシン。半世紀以上姿を消していたがここ数年帰ってきた
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日の出の太陽 光彩放ちて220126
日の出の太陽、その光彩が天空に伸びて輝く。そうしたことに二度、気がつきまして。日の出の太陽 光彩放ちて220126

一度は2017年1月1日、2度目は2022年1月26日。
地域に「光、灯香里のあたる時も来る」の前兆として、お届けすることに。

「ねばならぬ」の義務論は、自身を空しくいたします。
「誰かがやるべき、私のしごとでないわ」の他人をかえる論は、徒労ばかり。
「(こんな私が)させて頂く」と、付加価値創造のエネルギーをひきだすことが、疲れない方法。

 実らず、評価が高まらなくとも、「個人の力でできることは限られている」「チームの力があまりに、非力」。そう言い聞かせることにしませんかー。

 日増しに強まる閉塞感と惜しまれることの多い日々。
 厳しい環境に身をおくも、せめてコロナ緊迫感のおさまるまで、体を持たせるヒト工夫。お願いいたします。
 他者に申しあげるほど、自身にまったく余裕はなく、さらに50枚ほどの原稿におわれていますが。
それでも今日の午前。ホッとする情報がもたらされました。どうぞ、ご健闘をネー。
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「江戸時代」「異域との境界」「幕藩体制下の蝦夷地寺院」 史跡国泰寺跡220206
「江戸時代」「異域との境界」「幕藩体制下の蝦夷地寺院」 史跡国泰寺跡220206.

1.「江戸時代のたたずまい」ーその伝統を伝える
 1)天保・文政惣修復の遺構(斉藤報恩会蔵「(安政6年)国泰寺図」
 2)造塔・造像、国指定重要文化財国泰寺記録、霊園の無縫塔
 3)十町四方の風除林
2.「異域との境界」ー「メナシ=東方文化圏と遠隔地航路の接点に位置する史跡」
 4)千島アイヌ民族生活圏と本州隔地間交易の中継地
 5)蘭・露・仏・豪船の来航記録
 6)アッケシ・江戸直航路の起終点
3.幕府直轄政策下の遠隔地寺院
 7)幕藩体制の境界に位置する蝦夷地寺院
 8)蝦夷地本州化を体現、入稼ぎ者に本州文化
9)メナシ=東方社会で国家安泰の営為

※「北海道文化資源データベース」 ■「国泰寺跡」=概要・見所
 臨済宗国泰寺(現・南禅寺)は、江戸時代後期にロシアの南下や場所請負人制度の弊害などにより、北方警備に危機感をもった箱館奉行の陳情により1804(文化元)年に建立を決定した「蝦夷三官寺」の一つです。
 現在、残っている建物は、大半がそののち改修されたものですが、境内には江戸時代のたたずまいが残されています。
 現在、周辺のアイカップを含む、約13万㎡が蝦夷地で特殊な歴史を物語る重要な寺であるとして、国指定史跡に指定されています。また、この寺には、初代住職から約60年間書き継がれた寺務日誌の「日鑑記」が残されています。
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日豊本線ー別府・佐賀関・臼杵・佐伯 大分・しんけん「ぶらり鉄道ひとり旅 日豊本線」NHKBS3 220205放送から
サブタイトルに「大分・しんけん」と。「しんけん」は「大分の方言」ということで。
 意味は一生懸命→「バスにおくれそーになっち、しんけん走った」=「バスに遅れそうになって、懸命に走った」(若年層で言う)ようで。

別府温泉 「明礬温泉」
 高熱で気化状態の水蒸気を「面白半分、誰も試みたことのない手作り装置」で、液化させて湯船に供給。
申すには「誰に指示されるわけではないから、実に愉しい」。泉源を冷却させるに水をいれると薄まる。題して「創造温泉」。

佐賀関「かぼすでブリの養殖」 
冷凍イワシをすり身にして与えるのみでは、「ビタミンB1が不足」するのだ、そうで。そこで一考。
  「高知大の先生がユズでブリを育てた」をヒントには、大分ではカボス。サラリーマン生活の男性が定年後に一仕事。効果が目に見えて、「赤身のブリ」が市場で好評と。
臼杵  「鳥めし」
 もちろん最初は、二見浦の「臼杵の石仏」、しかし放送では「鳥めし保存会」が紹介された。石仏では「しんけん」が伝わらない、からか。
 中心の女性が「鳥めしを造るのにサー、ゴボウ・酒・しょうゆの順番をいくら教えても身につかないから」。そこで事業化に着手。
 シングルマザーなど、女性ばかりが「働きやすい」職場を合い言葉に、事業に成功。
 後から就職の女性。「たまたま会社前を通過したら」「旅行出発前に記念写真を撮影、ミナ笑顔」「実に羨ましくて」。「今は自分も笑顔になれた」。

 佐伯 「ウミガメの保護活動」。
 3日で海に戻すことができることもあるが、3ヶ月必要なことも。
 瀕死のウミガメからプラスチックの網、破片=マイクロプラスチック。
 人類のオゴリと思い上がりに、担当者は「シンケン」。

 JR西日本・日豊本線77キロメートル。
日豊本線ー別府・佐賀関・臼杵・佐伯 大分・しんけん「ぶらり鉄道ひとり旅 日豊本線」NHKBS3 220205放送から。
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出水&洪水
 「出水」「洪水」 国語辞典と気象庁用語210204.
  似ていて意味広しー辞書ー
 出水 で・みず=〘名〙 降雨などのために、川、池などの水量がふえること。また、水があふれ出すこと。大水。洪水(こうずい)。しゅっすい。
 出水 いで・みず=〘名〙 大雨などのため、河川、湖沼の水があふれること。また、その水。でみず。
 出水とは - コトバンク (kotobank.jp)→https://kotobank.jp/word/%E5%87%BA%E6%B0%B4-432488

 似ていて意味深しー河川用語集ー
 洪水 こうずい=台風や前線によって流域に大雨が降ると、その水が川に流れ込み、川の流量が急激に増水します。このような現象を洪水または出水(しゅっすい)といいます。一般には川から水があふれ、氾濫(はんらん)(※1)することを洪水(※2)といいます。
(※1)内水氾濫と区別するために、堤外地から流れ込む水による氾濫として外水氾濫ということもあります。
(※2)河川管理上、氾濫を伴わなくても洪水と呼ぶこともあります。
 本WEBサイトでは氾濫が伴うものを「洪水」、これ以外は「増水」を使用します。

 似ていて論理的理解ー気象庁用語ー
 分類「無印」出水=大雨や融雪などにより川の水量が増大すること。→「増水」に言い換える。
 分類「空白」増水=平常の水位よりも水かさが増すこと。
 分類「空白」洪水=河川の水位や流量が異常に増大することにより、平常の河道から河川敷内に水があふれること、及び、堤防等から河川敷の外側に水があふれること。平常の水位よりも水かさが増すこと。

 ※備考として「水文学における『洪水』の定義では、降雨や融雪などにより河川の水位や流量が異常に増大すること」とする。
 ※分類欄に「無印=予報用語:気象庁が発表する各種の予報、注意報、警報、気象情報などに用いる用語」
 ※分類欄に「×=使用を控える用語」
 気象庁|予報用語 河川、洪水、大雨浸水、地面現象に関する用語
→(jma.go.jp)https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/yougo_hp/kasen.html
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「ふじみ野市 立てこもり 医師 時刻」を検索欄に入れる、と
「ふじみ野市 立てこもり 医師 時刻」を検索欄に入れる、と。 
 
「ふじみ野市 立てこもり 医師 時刻」を検索欄に入れる、と。

「弔問で訪れた医師を人質に銃所持の男が立てこもり 11時間後突入、救出されるも医師は心肺停止」 時事ドットコム2022/01/28。そうした記載にお目にかかった。

事件の全貌が表面的に明らかにされるにつれて。

1)診療方針で医師側と対立があった。特に自宅で「胃瘻 いろう」と呼ばれる治療をできないかと相談するも認められなかった。
2)訪問診療を依頼していたが、納得がいかないことがあると罵声を浴びせたり地元の医師会にたびたび苦情を寄せる。事態が続いていた。
3)当初「弔問」と報じられるも、患者側が7人もの診療チームを呼び出したモノで、医師側もそれに応じて出かけて行ったものであることが明らかになっている。死亡直後の臨終確認は前日、済ませており確認訪問が一晩、遅れたわけでもなかった。

事件の報道に接し、「炭礦跡地を訪問するときに、ハンター同伴でなければ、ヒグマが怖い」。その心境。

医療のとりまく、環境の厳粛さを考えているところ。
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総理「早稲田ですからネ-、大隈重信は読んでいますが」
総理「早稲田ですからネ-、大隈重信は読んでいますが」 
「首相の痩せ我慢」220201『北海道新聞』「夕刊 今日の話題」の抄訳。

「勝と榎本は明治維新にあって重要な役割を果たしたが、幕府を滅亡させた責任を取っていない」
「しかも明治政府の閣僚を務め、勲章ももらった。痩せ我慢が足りないではないか-」。

福沢諭吉は明治34年(1901年)2月3日に没する直前、勝海舟と榎本武揚への書簡を公表した、そうで。
「2人を厳しく批判する内容だ」というもの。

転じて、むすびで次のように記載。
「首相は演説の最後でも勝つの言葉『己を改革する』を引き、行政自らを改革し律していく』とした」。
「だが安倍氏に忖度するなら、勝つの言葉から遠ざかるだけだ」。「痩せ我慢が足りないと言われて反論できるだろうか」(志子田 徹)。

総理はそもそも「聞く力」をアピールし、「丁寧に謙虚に」と繰り返していると指摘。「勝の姿勢とは相いれないように見える」と。
そこで「痩せ我慢」の一句。「(私は)早稲田ですからネ-、大隈重信は読んでいますが」、「慶応の福沢諭吉は読んだことがないですが、しかしこれで良いのです」。
政治家の答弁。かく使い分けるのでないでしょうか。
安倍総理は「ポツダム宣言文は読んだことがないから、(そこで堂々と)戦後レジュームと申しあげている」。それで、良いのか。
(佐賀市を訪問、大隈重信邸に出かけたのは1990年10月のことであったように。朝、宿を抜け出し散歩の途中で通過。公開はしてように記憶)
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