2022年11月の記事


緩和医療器具、THP、人生会議 「おひとりさまでも、家で死ねますか?」 221127nhkBS1

 穏やかに患者家族に語りかける。相談外来で婦人の照会に応対する姿が放映された。
 婦人は申す。「退院して帰宅、今の長椅子に寝込んでしまい、動けない」「(自分では)夫の体をベッドに異動もさせられない」。

 「在宅ケアクリニック」を標ぼうする内科医院。
 結果は、院長が患者宅を訪問して患者と面接し、介護ベッドを導入し男性患者はほどなく立ち上がり、笑顔がよみがえった。
衛星放送で放映、番組名をみてドキリとした「おひとりさまでも、家で死ねますか?」。

 在宅医療のポイントはどこに?。
 「その患者さんなりの、そのヒトらしい生き方」。そこの医療システムにポイントはあるようだ。ために担保するうえで、三つの用件があるように思えた。
  1)苦痛緩和医療器具、2)THPと呼ばれるトータルヘルスプランナー 3)人生会議。

  1)苦痛緩和医療器具 「痛み止め装置」や「カメラ配置で状態観察」
 2)THPと呼ばれるトータルヘルスプランナー 
   看護師が栄養知識や介護支援の専門知識をもちあわせ、ケアとキュアの両面で対応
 3)人生会議 
   本人を交え院長、担当医・看護師・THP・管理栄養士・介護士らが訪問し「そのヒトらしい生き方」の担保。

 「多くの人に共通しているのはネー」と院長は申す。
 「<寝る子は育つ>というけれども、熟睡して目覚め、『今日も、生きているわ」、その充実感が一番、たいせつ」。
 熟睡できるようには、苦痛をとりのぞく。そのため医学、担当者及びスタッフ、そこに不可欠な技術的フォロー。

 世に「出来なことは、できない」の論もある。
 一方で、遅々かもしれぬが「出来ない」を「出来た」に代えた努力もあるのだ。
 医師にして僧籍をもつらしい。その場面も紹介されていた、が。
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「命かける鎧意匠」「心映す刀の刃紋」「ワザに<命けずる者の美>」 美の壺「いざ鎌倉 武士たちの美意識」221125
 「命かける鎧意匠」「心映す刀の刃紋」「ワザに<命けずる者の美>」 美の壺「いざ鎌倉 武士たちの美意識」221125
  
 以前、「緋縅 ひおどし」と名乗る関取が居た。決して強力な大相撲の関取ではなかったが、強く、記憶に残っている。
 「威力の威に近い<縅 おどし>がなぜ、『い』ではなく『おどし』と読めるのか。
疑問は解けなかった。

 長ずるに及び、<縅 おどし>は甲冑の<小札 こざね>を固定する糸のこと。
 黒糸ならば黒縅、それが緋色ならば「緋縅 ひおどし」と呼ばれ、名称を決める一要素と知ることになった。
 それは理解できたが、なお「縅」の意を解していなかった。その意は「糸=緒(お) 通す(とおす)」の「とおす」が転じて「とおし」となり、糸の緒と組み合わさった。

 221126朝放送の美の壺「いざ鎌倉 武士たちの美意識」を丁寧に解説していた。得心。
 「美の壺」ならではの三つのポイント。
 第一は「命をかけて身を守る」。甲冑はいわば「武士の本懐を体現した死装束」。しかし「特に目立つように意匠・装束するは、功績を強く評価させるため」。

 「縅」の解説は、「一、命をかけて身を守る」で説明があった。
 では、「美の壺」ならではの三つのポイント。その第  二は。
 刀、長刀・薙刀・なぎなたを取り上げてその<波紋>に事寄せた「二、その輝きに心を映す」。

 最後は「三、きらめく技の玉手箱」。
持ち主がそこはかとなく示す<教養の深さ>が調度品の デザインと技法に示された。
 箱のなかには数々の化粧道具。表は武士でも、内容は女将の調度品。
 番組でのコメンとは知らずとも「戦でイノチをスリ減らす者が垣間見せる余裕と遊び>。

 (以下番組案内)
 「世界遺産・厳島神社の貴重な大鎧(おおよろい)」。
 「そこには雅でかわいらしい桜模様▽甲冑(かっちゅう)師が語る、貴族文化に憧れた武士の鎧(よろい)ファッションとは?」
 「▽義経・弁慶・巴御前が奉納したとされる薙刀(なぎなた)▽鎌倉時代から伝わる秘伝の薙刀(なぎなた)術▽北条政子奉納と伝わる豪華な手箱を特別公開!」
 「人間国宝が手箱の技術を読み解く」<File562>
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「(下宿代)手渡しで払ってもらい、そのたびに、コミュニケーション」 京都の知恵221121
  11月朝放送の「京ぶらり、京都大学界わい」。キャンパスには物理学、経済学、法律学らを学ぶ学生が。
 中学生の男の子が数人で、「修学旅行で」。男の園児とベンチにすわる女性は「見どころが多いということで」。
 招来、京都大学で学ぶ身になってほしい。

 場面かわって「皇太子慶頼王墓  中宮安子火葬塚 参道」と刻字された道標。
 通りがかりの女性は「詳しい方がいらっしゃいます」。出てきたのは下宿屋のご主人。 ネットによるとその位置は、「左京区吉田牛ノ宮町」。昭和8年に皇陵巡拝会という団体が建立した標柱ということだ。
 https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/sa194.html

 物理学部に在籍する院生が、下宿代を封筒におさめて届けるシーン。
 そのご主人は「かわったこと、ないですかー」。続けて「下宿屋さんの多くは銀行振り込みで受け取る」「(私は)この機会に、コミュニケーションを保つようにしている」。
 女子学生「初めて親元を離れて暮らしていますが、不安もなく、満足しています」。ニコヤカに応えていた、ですよ。

 因みに「皇太子慶頼王」。醍醐天皇の子にして5歳にして早逝。「中宮安子」は「ちゅうぐう あんし(やすこ)」と読むようで、右大臣藤原師輔の長女。
 村上天皇中宮であったと記載したデータがあるも。
 https://ameblo.jp/hiroshikyoto/entry-12649493609.html

 「(下宿代)手渡しで払ってもらい、そのたびに、コミュニケーション」 京都の知恵221121
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「菱餅」「枇杷」 多川俊映著『俳句で学ぶ唯識 超入門: わが心の構造』210527
 3月3日桃の節句。口に入りそうな<備え物>と言えば<白酒>に<菱餅>。

 菱餅は「菱餅とはひな祭りに食べる餅のこと」「(由来 菱形)心臓・心を模し、女子の健やかな成長・厄除け、長寿、子孫繁栄を願う」
 「由来 意味)母子草 ははこぐさ を入れ、母子が健やかであるようにとする願い込める」。
 最後に「(色、重ねる順番)よもぎ餅の緑+菱の実が入った白に<山梔子 さんしし が入った桃色(赤)>を最後=明治期になって加えた。

 多川俊映著『唯識 心の伸葬をさぐる」を読んでいると、しばしば次の二句が引用されている。
 菱餅の上の一枚そりかへり 川本臥風
 枇杷むけば種堂々と現れる 永六輔

 著者は繰り返して申している。
 「第六識は、いわば<枇杷 びわ>の皮の部分であったり」
 「三段重ねの<反り返る最上段の餅>こそ<意味やことばに相当>する、<第六識の上の一枚>のようなものであった。

 ここに述べられている「第六識」は「自己であり、わが心であり自分自身」。
 さらに「第七識は自己愛であり、自己中心性」
 最後の「第八識は過去の情報を記録し、人間一人ひとりの日常のすべてを発出 はっしゅつ=ある物事が現れでること・ある事象が起こること」と説明している。

 ほかにも短歌、詩の引用がある。
 そもそもたどってゆくと、本書に先行し『俳句で学ぶ唯識 超入門: わが心の構造』という著書が2021年に発行されていた。
 出版社は、つぎの紹介文を本書に寄せているようだ。

 「菱餅」「枇杷」 多川俊映著『俳句で学ぶ唯識 超入門: わが心の構造』210527
 「仏教の深層心理、唯識の世界の扉を開く、目からウロコの超入門」。
 「わたしの『心』とは何か」。
 「そして『世界』とは。難解な心の哲学、仏教唯識の考えを」、
 「俳句や短歌など日本の詩歌を通して、分かりやすく明快に、生きてあることの共感をも込めて解き明かす」。
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造成庭園の紅葉、維持存続の投資力 東福・瑠璃光・南禅・高台寺221117
 造成庭園の紅葉、維持存続の投資力 東福・瑠璃光・南禅・高台寺221117

 nhkBS3「錦秋の京都」。舞台は東福寺、瑠璃光院、南禅寺、高台寺と展開した。
 自身で出かけていった紅葉は、浄瑠璃寺、談山神社。春の梅、夏の若葉に秋、紅葉、白雪おおう冬の四季。
 そこに桜がくわわった。平安神宮には右近の橘、左近の桜があるではないか。

 ただ、桜も京の名所を彩るが、その都市景観は江戸にも継承された。
 武士の世に、その「散りぎわ」「いさぎよさ」が注目されたのかも。花鳥風月の景観に桜がくわった。
 クローン。この方法を使って、「ソメイヨシノ 染井吉野 Cerasus ×yedoensis cv. yedoensis」は江戸で開発された。

 「本州の紅葉は整備されて見事」。
 嘆声を発するも、その原点は社寺・仏閣の造成庭園にある。東福・瑠璃光・南禅・高台寺ほかに紅葉と桜の名所と申すと、そういうことではないか。
 そこには創建者の造成庭園構築に寄せた思い、千年を超える時間の流れを維持存続された労力と経費に着目したい。

 今、人が喜んでいるも、なぜに持続する力が働いたか。
テキストに示す「極楽」。その具現化、可視化の意味を語る造形庭園。
 神や仏を慶ばせる。思い違いしてはいけないのではないか。
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「自身の生命しっかり見つめる」」 醍醐寺に秀吉、紅葉の演出221117 nhkBS3。
 2021年11月20日の映像で「醍醐寺のもみじ狩り 京都の錦秋」。
 世界文化遺産に指定されている総本山醍醐寺のなかでも、もっとも北に位置する弁天堂から放送は始まった。
 弁天堂は「醍醐寺境内図」で茶色の□印で囲んだ位置にある。

 醍醐寺は秀吉の創建で知られる。春は桜の名所、秋の紅葉は「錦秋の京都」を代表する。かく形容されているでは、ないか。
  秀吉は醍醐寺を造営し、春に桜の饗宴、秋に紅葉狩りを催行することをめざした。しかし、である。
  その錦秋を見ずして、世を去る。62歳であった、か。「秀吉は紅葉の庭園で紅葉をめでること、なぜ、目指したか」。

  歴史学者が答えた。「自身の人生を見つめる」。キャスターの女性アナがすかさずに、挟んだ。
  「今でいう<終活>なのですねー」。晩年、秀吉は病魔に侵され、<体力の衰え>を実感しはじめていたのではないか。学者さんは言葉をつなぐ。
  紅葉の輝きに<人勢の残照>を重ね、<最後の一葉まで、枯れおちるに人生を重ねた」。そうした説明であったかと、受け止めた。

 「桜の饗宴には<にょしょう 女性>たちの香り」。「秋の紅葉には<諸侯 男性>のかもしだす雰囲気」。
 棟梁の末期。その一シーンを象徴するような説明と、視聴した。
 醍醐寺を筆者が訪問したのは、1966年2月23日と記憶する。京都観光のバスで京都の北山、東山をめぐるコースに乗車したのだ。

 金閣、宝鏡寺、西芳寺、天竜寺、嵐山、銀閣なども回るコースのなかに、醍醐寺もあった。
 放送は「弁天堂(茶色表示)」に始まり、「三宝院(緑色表示)」を舞台に紹介した。そうだ、どうも往時は「三宝院で庭を望んだのだ」。
 2月ゆえ、にも遠く、「わずかに『秀吉造営』」と立春後の庭園の静かな<たたずまい>を覚えるのみであった。

 今日、桜の名所、京都錦秋の代表的スポット。知る由も、当時はなく・・・・・・。
 今、教えられた。「自身の生命しっかり見つめる」」 醍醐寺に秀吉、紅葉の演出221117 nhkBS3。
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「自分」「地域」「地球」のために  発足300日、「海ねこみなと会」221113.
 「自分」「地域」「地球」のために  発足300日、「海ねこみなと会」221113.

 去る11月13日開催、「第5回海ねこミーティング」は、海ねこみなと会という団体が主催。
 会員4氏、2022年2月発足と説明があった。
 「自分のために」「地域のために」「地球のために」が主催団体の理念とうかがわれる。

 「私たちが目指すもの」の解説に、次の記載が。以下に示される。
 「気候変動、まったなし!今すぐアクションを」
 「18世紀ごろに比べての気温上昇を1.5度内に抑えるために」。

 阿寒湖のマリモ。今年は特別天然記念物に指定されて、70周年を迎えている。
 その年を期したか、若菜勇氏「マリモの保護活動についてー環境問題、私達にできること」
 会場で配られたアンケート用紙には「♪海ねこみなと会について About Umineko minato kai」の項目がありました。

 どのように答えたら良いのでしょうか。
 1)着実な活動に注目する。かく書いておきましょうか。
 これまで第2回と第3回の海ねこミーティングに参加、9月には、3年ぶりとなる「くしろエコ・フェア」に出展。出展のため募った超えるアンケートには220件ほどの回答があったどうですよ。

 2)環境保全や自然科学のスペシャリストと提携しながら、専門性を原点とする活動をめざしている。
 単に好事家や興味本位の構成員によるグループではなく、運営メンバーには報道・英語教室講師・NPO法人理事長に農学の権威が参画。
 3)他方ですそ野の広がりは「海ねこフレンズ」という形で地域社会への浸透をはかる一方、会員間をネットやラインでつなぐ<柔構造>の組織を整備・拡充途上に位置。

 そういうことではないでようかねー。
 会場で渡されたアンケート用紙に記載する、下書き。
 家族と出かけ、片隅で聴かせていただいた者の、乏しい感想であるも。
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「絶妙なバランス」「明確な連鎖」 若菜先生のお話し会221113
「絶妙なバランス」「明確な連鎖」 若菜先生のお話し会221113
 自然に内在する絶妙とも言えるバランスの提示。
 藻が発生する条件、藻が丸くなる地形、湖水の流れ、湖面の風波や水草生育のメカニズムを説き明かす明解な論旨でしたねー。

 他方で、湖畔にヒトが住み、開発が拡大する過程で顕著になって、湖水環境は変化した。 またマリモ自体にに対する人的負荷や危機の波及を、実に丁寧に表で示した。
 「明確な連鎖」、その展開過程は緻密で、明快な紹介であった。

 マリモをとりまく条件と人的負荷の表中で、気のつかされた点があった。
 「(マリモ)個体群の環境」「危機要因」「個体群復元の対応」。
 以上のそrぞれについて、 1950年~60年にかけてと2010年以降とでは明確な差異のある点が示されていたのだと受け止めた。

 1950年~60年期では、湖畔周囲で生じる自然環境への負荷が明瞭であった。
 2010年以降。「個体群の環境」「危機要因」「個体群復元の対応」へは<地球規模>で波及する負荷、対応も国際的視角で取り組まれるべき。
 質量ともに広範。目にみえない諸条件の蓄積が不可欠。そうした点を実感させてもらった。

 講演会は前半の45分が若菜博士の問題提起。休憩10分をはさみ質疑にあてられた。
 三項目の質問があった。冒頭、「シラルトロ湖でも「マリモ」が確認されている」と、ある意味、格調高い議論からはじまった。
 若菜氏は世に流布する普及啓発用マリモの製造加工にも言及した。製造者は原料調達先を今日、海外に求めている現状を示すなど、豊富な見識と話題が提示された。

 2022年11月13日。釧路市中央図書館で開かれた、「第5回海ねこミーティング」。
 題名は「マリモの保護について~環境問題、私達にできること」。
 会場で渡されたアンケート用紙に記載する、下書き。
 家族と出かけ、片隅で聴かせていただいた者の、乏しい感想であるも。
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「心の要素に還元し、心の問題として考えようとする」 多川俊映著『唯識 心の深層をさぐる』日本放送協会出版
 「心の要素に還元し、心の問題として考えようとする」 多川俊映著『唯識 心の深層をさぐる』日本放送協会出版

 2022年4月発行の多川著『唯識 心の深層を探る―上―』の第一章は、「唯識仏教とその祖師たち」。
 まず「唯識の特徴」を説く。その表示は「すべて心の要素に還元し、心の問題として考えようとする仏教」と説明する。
 その興起は西暦四、五世紀。インドに遡る。
 無著(むじゃく 395~470年)、世親(せじん 400~480年)の兄弟による思索。世親には別名、天親(てんじん)の名があって、こちらは浄土教思想の継承者としても知られる。

 もちろん、中国を経由した。6世紀のことだ。
 玄奘三蔵(602~664年)が、インドから657冊もの経典を持ち帰り、75部1330巻を漢訳する業績があった。
 因みに「生きとし、生けるもの」の漢訳を、 玄奘訳以前=「旧訳 くやく」で「衆生 しゅじょう」、以後を「新訳 しんやく」では「有情 うじょう」とするようになった(24p)。

 玄奘のあとには後継で「基」もしくは「大乗基」の名を有した、慈恩大師(じおんだいし 631~682年)が出る。
 大師は『成唯識論 じょうゆいしきろん』を完成させて法相教学を集大成し、法相宗を開いた。
 中国ではさらに、慧沼(えしょう 650~714年)と智周(668~723年)と継承する。

 本邦への伝来。4説あるのだとする。
 1)道昭(どうしょう 629~700年)は玄奘に学び、元興寺(がんこうじ)に伝えた=初伝。
 2)さらに玄奘に共に学んだ智通と智達が元興寺に伝承。
 3)新羅の僧が来朝し興福寺に伝えた系譜。
 4)玄昉(げんぼう 生年不詳~746年)が745年に帰朝し、同じく興福寺に伝えた。

 法相宗。唯識思想の日本への導入は、二つの系統で校正される。
 一に「元興寺系」、二に「興福寺系」のそれである。
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前五識、六識と七識、八識  多川俊映著『唯識 心の深層をさぐる』日本放送協会出版。
前五識、六識と七識、八識  多川俊映著『唯識 心の深層をさぐる』日本放送協会出版。

東洋思想に「唯識 ゆいしき」なる思想体系があるらしかった。
 「らしかった」とするは、子どもの頃に聞かされたことである。
 「末那識 まなしき」というのがあって、さえらに心の奥底に「阿頼耶識 あらやしき」なる思想が存在する。

 大正6年生まれの親父の酒をくみかわしながらの談義であった。
 2017年に横山紘一著『唯識 仏教的深層心』なる本から読み始めてみた。
 第七末那識=母性本能、第八阿頼耶識=遺伝子相続。わが子を思う母親の表層心理と、同じく深層心理を言い当てた箇所。そこだけは今も、鮮明に記憶してる。

 最近、多川俊映著『唯識 心の震度をさぐる―上―』を読んでいる。両書にはまったく、趣をことにする点が感じられた。
 「年間12回 毎回30分」。ラジオ番組の多川著『唯識』と、「年間12回 毎回一時間」の横山『唯識』。

 所要の時間に倍の違いがあるだけではなく、論点の構成も大きく異なるの感がある。
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国有林事業、その戦後転換期1965-70年 『釧路営林署 開庁60周年記念誌』221113
厚岸郡の西部。釧路郡との境界から国有林が広く分布している。
釧路営林署の管轄区域で、1917年から「官行シャク伐」の名で罷業化がすすんでいた。
 1965年時点で、釧路営林署管轄区域の事業対象と事業機構を一覧すると、掲載の表になる。


 厚岸郡は阿寒郡鶴居村とならぶ二大拠点の一にして、その創始期は第一次世界大戦中に遡る。
 史料には明確かどうかは別にして、次の点が指摘できそうである。
 第一次世界大戦期には、北海道最東端の木材伐採地たる釧路国の民営林業が戦前のピークに達していた。

 なかで厚岸郡の「官行シャク伐」は、民営林業を補完するものとして期待されていた。
ことに釧路~厚岸郡の鉄道開業は、「国有林皆伐」を促す起点となっていた。
 戦時、戦後も厚岸郡西部の木材生産事業は継続し、昭和19年から同22、23年にかけては「森林軌道」の敷設がすすんだことが確認されている。

 国有鉄道根室本線・上尾幌駅構内には木材を貨車に積み込むための「木材土場 もくざいどば」が設置され、搬出の木材は貨物・旅客混合列車に積まれて釧路駅に搬出された。
 陸上貨物の荷主と国有鉄道への貨物取次には、日本通運株式会社の出張所も設置され、事務職員と積み込みを担当する作業職員が市街地に居住していた。
 『釧路営林署 開庁60周年記念誌』が発行された1968年は、「鉄道輸送を通じた上尾幌駅の国有林、民有林輸送の最終段階」にある。

 その段階で配置されていた、担当区、苗畑・造林、生産の各事業所のセットは、国有林の管理、伐採と伐採後の林相管理と維持のため経営と事業の布陣となっている。
 当時、釧路営林署管内の職員は「定員内=96名、常用=20名、定期=91名、月雇い=9名、計214名」(前掲書)とされている。
 「(事業の円滑な実施をはかるため)支雪裡地区、上尾幌地区林道の効率的な拡大強化に努める」(前掲書 23p)とする。

 国有林輸送は時代の転換期に直面していた。釧路港でも輸入材が主力となり、製紙は中古紙への移行、輸送も事業地から貨物自動車輸送へ転ずる。
 その局面に位置するしたのが1965-70年ではなかった、か。掲載表はそうした意味をもっているように読めるのであるが。
国有林事業、その戦後転換期1965-70年 『釧路営林署 開庁60周年記念誌』221113
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名馬の産地、アポイ岳、冷涼な気候活かす夏イチゴ、沙流川のアイヌ民族文化 風除林とコンブ 新日本風土記「北海道 日高」
名馬の産地、アポイ岳、冷涼な気候活かす夏イチゴ、沙流川のアイヌ民族文化 風除林とコンブ 新日本風土記「北海道 日高」

2014年に夏いちご「すずあかね」の生産量日本一を達成した浦河町では年々ハウスも増設され、町外から移住し新しく栽培を始める方も増えています。
すずあかねは主にお菓子やケーキの加工用とし使われ、その多くが首都圏に出荷されており、有名な製菓メーカーやケーキ店などでも使われています。

当初はたった4軒の農家さんでスタートしました。当園はその中の一軒です。
当初は知名度が低く、評価も低かった「すずあかね」を外部の専門家や行政の協力を得ながら販路の開拓なども含めてつくりあげてきました。
現在も指導農業士である三代目の指導のもと、多数の移住者が新規就農の研修を受けています。

戦前からサラブレッドは飼養されていましたが、農業の中心は馬産ではなく、大豆やそばの栽培でした。
1970(昭和45)年頃までは全国に数ある馬産(ばさん)地のひとつにすぎません.
戦後、GHQの指導で下総(しもふさ)御料牧場(千葉)と小岩井農場(岩手)でサラブレッドの生産ができなくなり、首都圏の都市化も馬産地を減少させて、日高の生産馬が脚光をあびることになった。

 そのとき、一部の農家が馬産かいちご栽培か、選択を迷うことになった。

 「北海道 日高」初回放送日: 2022年11月4日
 https://www.nhk.jp/p/fudoki/ts/X8R36PYLX3/episode/te/83X4V3V897/ 
「北海道の背骨」と言われる日高山脈の西に広がる日高地方。山川海の多様な自然がこの土地ならではの恵みをもたらす。広大な丘陵地帯は700もの牧場がある名馬の産地。トドマツなどの針葉樹林で栄えた林業。えりも岬の沖では上質な日高昆布が採れ、冷涼な気候を生かした夏イチゴの産地も。そして聖なる川・沙流川沿いにはアイヌ文化が色濃く残る。伝統の祭りや昆布漁、競走馬の運命が決まる競り市などが行われる日高の夏を描く
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「吸うごとに」「浪淘沙」「さいはての駅」碑 ぶぶる釧路の街あるき3rd<啄木、独り歩く“さいはての駅”から>221110
「吸うごとに」「浪淘沙」「さいはての駅」碑 ぶぶる釧路の街あるき3rd<啄木、独り歩く“さいはての駅”から>221110

マチなかに流布している地図を活かして、潜在する地域資源を<見える化>する取り組み。
 それが第三次を実施しました。もとはと申すと6月に釧路市中央図書館で開催した講演会に出席のお方が、「講演での提案を生かしましょう!!」。
 呼びかけに今回も、10人のお方が賛同してくださいました。

 初回は「原田文学と桜木作品の舞台」、第2次は「原田文学の母体と時代」。
 釧路駅から釧路川右岸の東部を迂回して釧路フィッシャーマンズ・ワーフMOOに至った初回。
 釧路川右岸を河口めざして西へ向かって折り返した第二次。三度目は釧路川に背を向けて北に足を延ばしたツアーです。

 ポイントは「作品に表現されたポイントに足跡を記す」。今回の催行主人公は、石川啄木。
 久保田正文著『選集 啄木歌集』(岩波文庫 1995年』を掌におさめて、<啄木ゆかりの地>を巡遊しました。
 「吸うごとに」「浪淘沙」「さいはての駅」の三碑と「ふるさとの散歩道整備事業」で敷設した<歩道プレート>を探すツアー。所要時間は2時間10分。
 お疲れ様、でしたー。

 但し、ご参加くださった方が、もっとも共感された様子なのが「函館・釧路間の鉄道全通前後の越後商人と近江商人」。
 その様子を参加者のお一人が、YouTubeでアップしてくださいました。
 https://youtu.be/f2AJktmDBk0  
 取材とアップしてくださった<「関西で、活動を続ける秋葉令奈さんの芸術活動>とあわせ開いてみてください。
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マリモ博士「環境問題、私達にできること」領域で講演会 11月13日 16時~
 マリモ博士「環境問題、私達にできること」領域で講演会 11月13日 16時~

 今、マチなかでは静かに、ひとつの講演会が企画されています。

 主催は「環境問題に市民レベルで取り組む」を標ぼうする「海ねこみなと会」((上野岳会長)が主催する「第5回 海ねこミーティング」。
 今回は釧路ウェットランドセンター阿寒湖沼群・マリモ研究室長で理学博士の、若菜 勇氏さんが講演します。題して「マリモの保護活動について―環境問題、私達にできること―」。

 若菜さんは「阿寒湖を世界自然遺産に登録」をめざし、その科学データを蓄積しながら登録にむけた理念と思想を取りまとめています。
 ために登録基準をうわまわる環境保全にむけた、システム構築に奔走する立場から、「環境問題も<我が事>」の<思い>で向き合って居ます。そうした立場から「マリモの保護活動について―環境問題、私達にできること―」の主題になったのかも。

 参加費無料。
 申し込みは uminekominato@gmail.com に申し込んで欲しいと希望しています。
 また「YOU TUBE」配信も予定しており、このアドレスによって申し込むことでURLを示してくれます。


 「海ねこみなと会」。
 2022年に発足した会です。今春、誕生したばかりの会ですが趣旨には
 「少しでも環境に優しいことの発信をしたい」
 「化石燃料ではなく再生エネルギーの流れに転換したい」
 「マイクロプラスチックを海に流し、海洋資源や人類にも影響が」など、など。

 地道な活動を模索しながら展開しています。
 3月から開いている「海ねこミーティング」は、ここまで4回を開いてきました。
 これまではいずれもオンライン。今回、初めて公開で、つまり Face to Face で開催することになり、多くの参加者をお待ちしています。
 去る10月1日には「くしろエコ・フェア2022 ~SDGsの視点から~」で、「環境パネル展」に出展し、事前アンケートでは200名超の回答者の協力があったそうです。

 ちなみに過去4回のテーマとゲスト講師は、次のとおりです。
 第一回 3月19日 ゲスト瓜田勝也さん(霧多布ペンションオーナー)
 第二回 4月17日 ゲスト田丸典彦さん
 第三回 5月9日  ゲスト谷口たかひささん(環境活動家)
 第四回 6月11日 ゲスト高内正恵さん(株式会社リコー)。

 詳細については田中直美さん 携帯電話=090-5073-8079 におたずねください。
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外交に平和主義の哲学、 経済に大局的な流れをみつめた有効な政策 保阪正康「保守リベラルの系譜と内容」を語る
 外交に平和主義の哲学、 経済に大局的な流れをみつめた有効な政策 保阪正康「保守リベラルの系譜と内容」を語る
     
 「学識の前尾繁三郎」
 平和的外交に尽力した「護憲の宮澤喜一」、
 クリーンなハト派であり続けた「人格の伊東正義」、
 日中国交正常化を成し遂げた「政治的誠実の大平正芳」、
 行動力で保守政治を牽引した「闘志の男・田中六助」。

 札幌在住の保阪正康氏が、「宏池会の系譜に学ばぬ首相に失望した」と、書いたようだ。
 「現代ビジネス」のネット配信にして、『週刊現代』2022年11月12日号に掲載記事の紹介であるようだ。

 「宏池会は優れた政治家の宝庫でした」。「宏池会を創設した池田勇人」と書き始める。
 「田中六助」は直接承知していないが、前尾は衆院議長、大平は田中内閣の外務大臣から総理に、宮澤喜一は池田勇人秘書官から総理に昇りつめた。
 「保守リベラルを体現してきた派閥」とする大方の受け止め方に根差して、穏健な外交、歴史を画する経済政策、護憲も大きな柱であった。

 しかし、である。続きはネットを読んでみてはいかが。  https://news.yahoo.co.jp/articles/35bc8c52d4e5ea4d5dc7d191b888eb1fc7759a11
 「自前の世界観、歴史観、政策論争を国民に提起することにも期待」
 「外交面では宏池会的な平和主義の哲学が見られない」 
 「経済にしても、アベノミクスの弊害がいかに国民を窮地に追いやっているかという大局的な流れを見極めて現在に有効な政策を打つという構えがない」。
  「人を見る目がない。人事も拙劣です」。
 「伊藤昌哉のような優秀なブレーンがいない」「政策集団としてブレーンを引きつける魅力がなく、ブレーンをつくる能力もない」。
 
 さて、申す方が<無い物ねだり>でしょうか!!!。
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札幌・厚岸・音更が曲の音とともに 名曲アルバム「日本狂詩曲 伊福部昭」nhk BS3、
 札幌・厚岸・音更が曲の音とともに 名曲アルバム「日本狂詩曲 伊福部昭」nhk BS3、

 11月8日朝、番組表で放送されることを承知して、さっそく放送予約をセット。
 「ゴジラ」の作曲で知られる伊福部昭のデビュー作が 「名曲アルバムに」。
 しかも「~北海道・札幌、厚岸~」のサブタイトル。

 「北海道・札幌、厚岸」とあるその意味は、次の記載に書き込まれている。
 「札幌まつりの笛や太鼓にインスピレーションを得て1935年に「日本狂詩曲」を作曲した]
 「作曲当時、伊福部は北海道大学に通う学生だった」   「フランスの作曲コンクールで「日本狂詩曲」が優勝し、コンクールを主催した作曲家チェレプニンが来日」。
 「伊福部は1か月間作曲を学び、その才能を高く評価された」。

 勤務した厚岸町の市街地景観。現在、道有林で林相維持に汗流す後輩たち。そして、「音更町の「伊福部昭音楽資料室」には」と続く。
 「(そこには)コンクールの賞金で買ったヨーロッパの音楽辞典が展示されている」。
 最後は「「日本狂詩曲」は伊福部青年を音楽家の道へと導いた青春ラプソディーである」。かく結んでいる。

 2014年8月17日の放送。繰り返しの放送で視聴したことになるのだ、が。
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札幌・厚岸・音更が曲の音とともに 名曲アルバム「日本狂詩曲 伊福部昭」nhk BS3、
 札幌・厚岸・音更が曲の音とともに 名曲アルバム「日本狂詩曲 伊福部昭」nhk BS3、

 11月8日朝、番組表で放送されることを承知して、さっそく放送予約をセット。
 「ゴジラ」の作曲で知られる伊福部昭のデビュー作が 「名曲アルバムに」。
 しかも「~北海道・札幌、厚岸~」のサブタイトル。

 「北海道・札幌、厚岸」とあるその意味は、次の記載に書き込まれている。
 「札幌まつりの笛や太鼓にインスピレーションを得て1935年に「日本狂詩曲」を作曲した]
 「作曲当時、伊福部は北海道大学に通う学生だった」   「フランスの作曲コンクールで「日本狂詩曲」が優勝し、コンクールを主催した作曲家チェレプニンが来日」。
 「伊福部は1か月間作曲を学び、その才能を高く評価された」。

 勤務した厚岸町の市街地景観。現在、道有林で林相維持に汗流す後輩たち。そして、「音更町の「伊福部昭音楽資料室」には」と続く。
 「(そこには)コンクールの賞金で買ったヨーロッパの音楽辞典が展示されている」。
 最後は「「日本狂詩曲」は伊福部青年を音楽家の道へと導いた青春ラプソディーである」。かく結んでいる。

 2014年8月17日の放送。繰り返しの放送で視聴したことになるのだ、が。
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地元経済人が支える「常連客に配布」 58年で700号迎えた『月刊おたる』20221105
 地元経済人が支える「常連客に配布」 58年で700号迎えた『月刊おたる』20221105

 2022年9月26日 『月刊おたる』は通巻700号を発酵した。
 創刊は1964年。「陰るまちに新しい風」の思い入れで、米谷裕司という人が担当した。
 米谷には「地元経済界の重鎮たちが、詩人として注目を集めていた米谷さんに声をかけた」。特集を組んだ『北海道新聞』朝刊(2022年11月5日配布)は伝えている。

 通巻700号はネットがいち早く伝えた。道内配布紙も11月5日土曜日の朝刊で、17&18面を当てて特集した。
 1964年から数えて58年。その半世紀にはさまざまな転機を重ねている。
 1)発酵部数減、創刊者の死。
 2)地域経済の推移により当初は9000部、90年代に1万部超も、2010年には3000弱。
 3)創刊者、米谷裕司氏の死をうけ、山本一博氏が継承し、現在は藤森五月氏が引き継ぐ。

 58年、通巻700号、発行部数3000部弱
 その継承には<偶然ともいえる地域経済界あげての尊い努力>があった。
 4)廃刊の危機には地元経済人の奮起
 5)「小樽愛」「こころの友」「小樽の悪口は書かない」
 6)1部330円。30部購入すると1万円弱。書店で売らずに経営者がまとめて購入し、常連客に配布。

 世情、継続のモーメントに編集者の個性と独創性を指摘する声が少なくない。
 しかし、それのみでは持続しがたいことを道内には最盛期には「80年代20誌以上あったものが廃刊、休刊相次ぐ」と報じている。
 廃刊の要因。景気低迷、インターネットの普及の影響。などなどと指摘する。
 
 7)経済人のもつ、あるいは小樽特有と言ってよいのかも知れない<顕著な文化に対する理解と文化活動への投資>。
 8)定期購読者300人ながら、その7割が道外在住の小樽出身者
 9)「(『月刊あたる』の)文学性 ネットに負けない魅力」と評価する、地域の文化風土。

 現代の担当者はコメントする。
 「月刊おたるは、小樽の財産。(巻頭の言葉にある)読書の『こころの友』になれるように」。
 その言葉は尊い。また、背景で支える執筆者、広告主、定期購読者、常連客への感謝をこめ、まとめ買いして手渡す経済人の存在は、実に<重く>かつ<貴重>な存在ではないか。注目したい。
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法隆寺・法相宗・唯識 社寺・仏閣、造形の背後にある意味221103
  法隆寺・法相宗・唯識 社寺・仏閣、造形の背後にある意味221103

 この夏、東京・浅草の浅草寺を訪れた。本堂にすすみ<二拍二礼>の拝礼をしている方が多くて、驚いた。
 神社・仏閣と申すと、メディアは優美にして秀麗な堂宇・建造物を紹介する。
  元は天台宗寺院、今や聖観音宗の本山で<二拍二礼>の礼に、不思議なモノを感じる。
 庶民は堂宇・建造物が体現する思想・哲学にも、堂宇・建造物が示す形のもたらす意味については、疎いようだ。

 最近、「唯識 ゆいしき」の意味するところを「すべてを心の要素に還元し」と教えてもらった。その次の句を記憶出来ずに居た。
 しかし、ようやく「心の問題として捉える」(多川俊英著『唯識 心の深層をさぐる』(NHK宗教の時間 日本放送出版協会 2022年)と記憶できるようになった。

 本邦では唯識→法相宗→法隆寺→元興寺→興福寺の系譜をたどる、ようだ。
 高校時代、「南都六宗」の順番を「律・華厳・法相・誠実・三論・倶舎」と今に記憶していた。
 
 ネットで読む限り、その順番はマチマチで表出する。多川著書で判明する点は、まず2点。
 法相宗=唯識、三論=「空」思想。倶舎=部派仏教の一にして「説一切有部」。
 「三論=空」は当該書の27ページ、「倶舎=部派仏教の一にして『説一切有部』」は43pに述べる。

 因みに。南都六宗の現在の系譜。
 律→戒律の研究と実践→唐招提寺。
 法相宗→唯識→興福寺
 倶舎宗→部派仏教の一にして「説一切有部」→宗派として現存せず東大寺は華厳宗、興福寺は法相宗。
 三論宗→世界の姿に実体は存在しない「空」→大安寺・元興寺
 成実宗→『成実論」を探求→大安寺・元興寺で三論宗に付随する現状。
 華厳宗→華厳経に絶対的に帰依する→東大寺。
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紅葉+秀岳+湖沼 オンネトーの秋、その残照221020
 紅葉+秀岳+湖沼 オンネトーの秋、その残照221020

 この秋。足寄町へのツアーに誘われて。秋のオンネトーにも立ち寄りました。紅葉の残照を満喫することができました。
 このツアーに先立って、10月12日。北見市へのバスツアーの折には、相席のお方がカメラ歴16年。
 「最近の紅葉は、鮮やかではなくなりました」。阿寒川の上流部で紅葉を撮影する催事を定期的に開いている、そうで。

 貴重なお話を聞かせていただいた。気候変動の影響か、確かに紅葉、黄葉の色合いが本来の鮮やかさを欠いている。
 いささか黒ずんでいるのだ。ことに海岸線に近い地点では、往年の「彩 いろどり」にかけると、感じている。
 この地点の紅葉の最盛期は10月10日。狭い駐車空間に大型バスを停車してもらって、一同、降車。方向転換して舞い戻るまでの小休止。

 写真の光景に、視線を視点を視座を、奪われた。いささか大仰、か?。
 魅了するものがあった。紅葉+秀岳+湖沼。とりわけ南の方角から眺め続ける「阿寒富士」を、沼のほとりでは北から眺める構図。
 富士山を眺めて、どちらが「表か、裏か」。山梨県と静岡県の「あてこすり」を思い浮かべる。

 南から手近に眺めることのできない阿寒富士。ここでは、<指呼の先>にあるの感。
 ここは詩情ゆたかに一首と7まいりたいが。なかなか、見当たらないよながら。
ここは期したい。

 「雌阿寒岳西麓、標高630mのる原始の森に眠る」、
 「周囲2.5km、最大水深9.8mの湖。阿寒富士の爆発によって螺湾川(らわんがわ)が堰き止められて誕生した湖」。
 かく、伝えているも。
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