「危険との共生」から<神々との物語>誕生 江の島詣200921
 「危険との共生」から<神々との物語>誕生 江の島詣200921.

 江の島詣で。江戸の女性達が提案した、「是非とも行かねば、是非、行ってみたいの<物語>」。

 縁談。
 愛する娘の生涯にふりかかる危険、危惧、災難、発病。

 安産。
 女性にとって母から預かったDNAの相続は一大事。苦痛も危険も逆子も母子健全は、人生の最重要案件。男性にまかせておけない。



 http://enoshimajinja.or.jp/gosaijin/  江島神社公式ホームページの紹介

 奥津宮 相模湾を臨む岩屋=龍神伝説発祥地に一番近い
  多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)
  三姉妹の一番上の姉神で、安らかに海を守る神様

 中津宮 853年に慈覚大師(じかくだいし)創建
  市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)
  石燈籠からは、江戸時代における商人・芸人・庶民の信仰の深さをうかがい知る

 辺津宮 1206年=将軍・源實朝(みなもとのさねとも)創建
  田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)
 海の神、水の神の他に、幸福・財宝を招き、芸道上達の功徳を持つ神。

 江戸時代は女性が2泊3日はかけて江戸~江の島を往還。
 近代は海に生きる漁業者が資源持続、豊漁と操業安全を祈る。
 現代は湘南の海岸でサーフィン、プレジャーボートを操るヒトが祈る。

 根底に息づく「危機管理」「安全・安心」の祈祷と報謝。
「資源持続」に寄せる「思い上がり」の邪気一掃。
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上方で年明け。2003年の幕開け
 上方で年明け。2003年の幕開け。030101で外付けデスクを検索したら。

 030102の項目でヒット。1に京洛の竹林、2にそこから足をのばした念仏寺、3に大堰川の段差。



 31日の伊丹空港入り。淀橋界隈の宿泊で、夕方は大阪城に。
 聖子ちゃんのコンサートを待ちわびる長蛇の列を尻目に、夕食の席探しに苦心。

 1日は京都めぐりとUSJめぐりにわかれて、時間をすごす。

 本願寺、嵐山、ひばり博物館、竹林、二尊院、念仏寺、京都駅、大阪。

 竹林では新任の車引きさん。車を引きながら案内台本の暗記。正月そうそうと、前歴をおもいめぐらしながら。
 ガイドの運転手さん。「天皇の名はすぐに覚えた、しかし内親王、皇后の名はいつになっても覚えられない」。

 2日。新大阪駅から神戸へ。この日は神戸行きと再度USJ班にわかれて第3日。
 神戸では震災跡地をめぐり、宿は神戸ユートピアエリアのホテル。

 3日。関西空港発便で帰宅の途に。
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知人 語源は「シリ・エト」 北海道東部
 知人 語源は「シリ・エト」。シリエト°[sir-etu] 岬 シリ=陸地 エト°=鼻、先 地名例 知床(北海道)。



 命名の由来について述べる。
 「旧名知人と称し現今漁民の居住する者多く」
   「太平洋炭礦株式会社の貯炭場、築港事務所並に其工場等も此の地域にあり」
   「臨港鉄道は此の地区に環状線を書いて中央を貫通する」
   「西部港内に面し37万余円を投じて築造したる市営埋立地(昭和8年中売卸)がある」
   「岸壁には2,000噸級1、4,000噸級1、6,000噸級1の船舶を同時に繋船し得る設備があり臨港鉄道会社の経営になっている」
   「又南防波堤上に太平洋炭礦会社経営に係わる電力応用自働運転の運炭軌道と高架桟橋等が有て石炭荷役は頗る文化的と謂われて居る」
   「本地区は釧路岬燈臺の所在地であり名所旧跡頗る多きを以て旧名を尊重し知人と命く」。(昭和7年8月)。

 貯炭場、石炭輸送鉄道、南防波堤。
 写真に撮影の光景は「近代=石炭」。そして洋上の白い波は岩礁に波打つ景。北海道東部、物流拠点港の景観。
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舞台裏で 「ジャパンライフ-桜をみる会-前総理」200918
舞台裏で 「ジャパンライフ-桜をみる会-前総理」200918.

朝のnhkGニュース。「ジャパンライフ 元会長逮捕」「被害額2000億円か」の報道。



<この事業者、桜をみる会と関係?>。
 ネットで調べてありました、よ。話題になっていた当時は「被害額1800億円」と。

 「個人としては面識がない」。しかしありましたかねー、「公人として」。
 なんでもお父上の時代に、ともに外遊の仲、と報じられています。

 家宅捜索があって、ややしばらく。「総辞職した翌日かの逮捕、翌々日朝の報道」。
 舞台裏でなにが?。

 同じ時刻にテレビの画面。
 「白煙に励まされて」。新日鉄釜石は、高炉からで出る白煙が市民もラガーも励ます、「モノつくりのシンボル」。
 「創る」がいかに困難なことを示す、一コマ。

 人とヒトとを結ぶ政治と、そこに介在する政治家。夢を用意し、巧みに人心をまどわし、一儲けを考えた事業家。
 総理招待の画像を駆使して、募金者を集めた。そう、報じられたこともあったが。

 舞台裏で 「ジャパンライフ-桜をみる会-前総理」200918。

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​国、郡、自治体名の語源 「クスリ」「クシュ・ルー」の成立と記憶
​国、郡、自治体名の語源 「クスリ」「クシュ・ルー」の成立と記憶。
 「ラジオで聴く76.1MHz 道東文化塾2020」の「5.釧路川文化論」講座。



 1)10月12日:「釧路の語源」 
 A.寛永20年記録で「クスリ」表現とその意味 
 B.「くすり乃たけ」権現とその対象。
 C.佐藤直太郎「クスリ=薬 温泉説」
 D.松浦武四郎「クシュ・ルー=越し・路」
 E.東蝦夷日誌「富国繁盛の地」 
 F.釧路国名ノ儀ニ付申上候
 G.釧路郡ノ儀ニ付申上候

 2) 10月19日:「釧路川変革期」
 A.貫誠社 香川県移住 
 B.牧場開設と森林伐採 
 C.釧路川の中州と阿寒川 
 D.釧路川・阿寒川洪水 
 E.市街地冠水 
 F.釧路川切り替え 
 G.釧路川切り替え
  
 3) 10月26日:「森里連環学の舞台=釧路川の環境と文化」 
 A.岡崎由夫筆「釧路湿原ダイヤグラム」 
 B.縄文海進と東釧路貝塚 
 C.更科源蔵「原野の詩人」
 D.町名・地番改正 材木町・古川町・新釧路町 
 E.『森と湖のまつり』 
 F.『挽歌ロード』
 G.コンクリートのないダムと森里連環学で釧路川
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支持基盤 『北の話 北海道を旅する鉄道』1963-97年
 支持基盤 『北の話 北海道を旅する鉄道』1963-97年。

 著名作家の投稿
 城山三郎・吉村昭・八木義徳・原田康子・三浦綾子に高城高(たかじょう・こう)。「さまざまな書き手が名を連ねる」、と。


 作家と詩人の夫妻

 「1963年〜97年、作家の八重樫實さん、詩人の津田遥子さんの夫妻が隔月で発行した」とも。

 持続の理由
 (札幌在住の)高城高氏が語ったか。「手軽に読める雑誌に一流作家たちがちゃんとしたものを書いてくれた」。
 「文化的なものとして喜ばれたし、ためになりました」。

 志し高いが酒好きな作家
 紹介は、その一文から始まる。「この雑誌は、原稿が着いたという文面とともに卓球のスマッシュボールが打ち返されてくるように、気持ちよく稿料の現金封筒が届くのが魅力なのだ」(川崎彰彦著「夜がらすの記」より)。
 (渡辺創著「雑誌『北の話』 「今日の話題」 『北海道新聞』200911 夕刊 一面)

 それだけではあるまい。
 1)読者の評価と反応、2)A5判約70ページを通巻202号まで支え続けた購読者、3)活字からイメージするを「愉しむ」識字層の存在。

 中央の作家も育て、道内に読者を広めた「小紙の大きな付加価値」と申すべきか。
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無気力・無関心・無責任+無感動 三無主義=1970年頃
 無気力・無関心・無責任+無感動 三無主義=1970年頃

 さんむ‐しゅぎ【三無主義】 の解説。辞書に申す。
 「無気力・無関心・無責任の若者気質をさした語」。
 「昭和45年(1970)ごろから使われた」。
 「これに無感動を加え、四無主義という。→しらけ世代」。



 そうであった、か。ではなぜに昭和45年頃?。
 契機は「安保騒動」と=http://www.uenolog.info/kotoba/01kotoba141.html

 60年安保は結果として、
 「何をやっても変わらない」。
 「やってもやらなくても一緒」。
 「自分が動かなくても世の中は変わらない」みたいな風潮も生まれ、と。

 「同時に、この『無気力、無関心、無責任=三無主義が生まれた』みたいなことを先輩から聞きました」、とも。

 その60年。
 「性差分業別社会」という言葉も生まれたではないか。
 「男親の職業教育」がなくなり「子育ての責任は女親に」とも。

 80年代。さらに加わった。そういうことらしい。
 「1980年代初頭には、三無主義に無責任・無作法が加わり五無主義と言われた」。

 そうですかー。「責任を痛感」。しかし責任など取った気配のない首相。
 「断腸の思い、憲法改正」。あまりに力をこめて改正の前に腸が耐えられなかった、か。しかし。

 「連日の会合、外食のメニュー」。「とても潰瘍性大腸炎再発とは思えない」の論も。
 懸念は河合案里議員が党本部からの選挙資金を白状したからではないか、と。表になりにくいネット情報に接したが。
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直正公がご祭神 『佐嘉神社由緒略記』
 直正公がご祭神 『佐嘉神社由緒略記』。明治6年の創建。



 「旧第十代藩主 鍋島直正公命」「旧第十一大藩主 鍋島直大公命」と冒頭に。

 「庶民の神」とその御事蹟を示す。
 「徹底した倹約令を施行」、「自らもその範を示し、一汁一菜を励行」
 「一切の衣服を綿服に改め」と。

 「救農の神」
 天保年間の事蹟。天保13年から20か年にかけ、「加地子納入延期令」を出し「均田制度を実施」。

 「学問の神」
 「産業開発の神」
 「交通・文化の神」
 「開拓の神」
 
 「佐賀の七賢人」
 開拓の神。そう信奉される直正公を軸に、大隈重信、江藤新平、佐野常民、大木喬任、島義勇、副島種臣を「佐賀七賢人」とする。
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「与」「馬」「丑」に注意 『寺院御建立以前之過去帳』の記載。
 「与」「馬」「丑」に注意 『寺院御建立以前之過去帳』の記載。

 史跡国泰寺跡の僧侶が、択捉、国後、根室、釧路、十勝に赴き、法務を執行した記録が残されている。

 最初の一点は、『寺院御建立以前之過去帳』。『過去帳』は寺院用と在家用があります。
「寺院に所属していた故人を記す」るデータであり、「身分、生前の事跡などが詳細に記述」されている場合もあります。

 紹介した部分の冒頭は、「文化七年庚午五月 先年久奈尻騒動殺害ニ逢ふ。来未年廿三年取越回向人数」と記載のある部分から読み始めました。

 「文化七年」の次には「庚午=かのえうま」と記載があります。文書を読むときに、元号と年の次には「甲乙丙丁」の十干=じっかんと、「子丑寅卯辰巳」の十二支の両方、もしくはその一方が記載されることがあります。
 記載内容の<くずし字>の<くずし方>にクセがあっても、ここまで述べた原則を承知していると、記載事項の見当がつきます。

 最初に「五月十三日 ウエンペツ」とあります。つづいて9名の法名が記載されています。
 善倶信士 番人 馬蔵 良爾信士 陽与信士 智尊信士 良世信士 良直信士 圓持信士 良發信士
 宗忠信士  小頭 丑五郎 です。

 「善倶信士 番人 馬蔵」と「宗忠信士 小頭 丑五郎」の二人には名前が判明していたようです。
 その人名の馬も丑も古文書の初心者には難解です。
 は高の字かと思うし、丑は丞のようにも読めますが、いずれも「このくずし方は馬、こちらのくずし方は丑」と慣れる必要があります。

 なかでも「陽与信士」の「与」がここでは判断に苦しむところ。なかなかお目にかかることの少ない筆法で記載されています。
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厚岸町古文書教室17th 厚岸町海事記念館200912
 厚岸町古文書教室17th 厚岸町海事記念館200912。「ネモロ場所廻勤記録」を読みます。 

 新型コロナ感染症対応で「厚岸町ふるさと友の会」会員限定で開催。



 1)『御寺取建以前之過去帳』(抄) 2)『諸場所廻勤日鑑記』(抄) 3)『六代 日鑑記 義』(抄)。

 ポイントの1=寛政元年5月、クナシリ・メナシの戦いが発生します。
        事件の起きたその後を、国指定史跡国泰寺跡に継承される記録で、表現されている内容は。

 ポイントの2=江戸幕府が遠国経営のなかで創建した寺院。
        勤務する僧侶、その日常の一端に触れてみることにいたします。
        その任期中、使僧は年に一度、住職は年一回。
        「持ち場所」とする十勝、釧路は申すにおよばず、根室・国後・択捉に足を伸ばします。
        なにを営んでいたのでしょうか。

 ポイントの3=18世紀後半から、陸奥国下北郡北通=きたどおり、東通=ひがしどおりの農漁民が根室、国後に渡ります。
        それは一時なことではなく、江戸時代後期から明治前期に及ぶ特質です。当然、「親子」で共に蝦夷地に。
        それも具体的にあったこと。この点を資料を通じ読み解きます。

 担当は佐藤宥紹さん(釧路短期大学) 9月12日 午前10時ー正午 会場 厚岸町海事記念館 
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