2019年03月の記事


最後の運行 臨港鉄道・釧路
最後の運行 臨港鉄道・釧路。『釧路新聞』で伝えられていたが、石炭輸送鉄道が3月末で廃止となる。

ネット情報では昨日、30日に最終便を運行。音更町の穂積さんという方が「海岸線を走る姿にあこがれたが」と。



25日、北海道運輸局を通じて国土交通大臣に廃止届を提出。2019年3月31日をもって、廃止となる。

2020年から稼働予定の石炭火力でも鉄道輸送は行われず、石炭産出量が輸送量を補填しなくなった、と。

​ 写真は2017年2月13日の撮影。この日、FMくしろ局での放送が夕方に行っている。
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曇り空ながら年度末 北海道東部のマチから一報
曇り空ですが、3月31日になりました。年度末です。北海道東部のマチから一報です。

 明日、平成につづく元号の発表があるようで。陛下のお代かわりが近づいてきました。



 思い出すに1989年1月7日。正午すぎに柏木の仮住まいを出て、幣舞橋を渡りました。異様な静けさがありましてねー。

 翌日の日曜日に百貨店で食事。黒いスーツ、黒ネクタイの男性社員が接待。無口で笑顔なし。

 その異様は、いまも記憶に。

 5月1日。今年はマチナカ、どのような雰囲気になっていることでしょうか。
 テレビも一日、特別番組を放送するのでしょうかねー。
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「時代観反映」か、「上から指定の時代区分は無意味」 日出・171113。
「時代観反映」か、「上から指定の時代区分は無意味」 日出・171113。

 3月30日、北の方角にならぶ雌雄の二峯に朝日があたり、紅に。撮影はしたが、画像を取り出すこと出来ず。



 4月11日午前11時半を期して、「平成」にかわる元号が公表される、と。

 「平成」に、二つの出典。
 1)『史記』五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」、
 2)『書経』大禹謨の「地平天成(地平かに天成る)」

 当時の官房長官は、「『内外、天地とも平和が達成される』という意味」と説明したようで。
 (その発表場面はテレビの中継で眺めていたが、細部の記憶はないけれど)。

 元号法は
 「(1)国民の理想としてふさわしいような、よい意味を持つ」、「(2)漢字2文字」。
 「(3)書きやすい」「(4)読みやすい」「(5)これまでに元号または送り仮名として用いられたものでない」。
 むすびは、「(6)俗用されているものでない」。

 「安」の字のある「安政」には大地震、「崇」の御代には「よくないことが」の感。

 写真は2017年11月13日に観た、当地方の東の空、6時46分。

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「送り出した時とは正反対の気持ちだった」 彼らは再び村を追われた・知られざる満蒙開拓団NHKETV.
 「送り出した時とは正反対の気持ちだった」 彼らは再び村を追われた・知られざる満蒙開拓団NHKETV.



 福島県葛尾村。
 福島県の浜通に位置する農村。岩間政金さん93歳(1925年生まれ)が回想する。「開発で良いときもあるが、それは一時だ」。

 昭和初期。
 満蒙開拓団が募集された。全国で27万所帯。貧困と飢えに見舞われた長野県からは、うち3万3000戸の応募があった、という。

 「たちまち死んだ」。
 1945年8月に当時のソ連が侵攻。本国は「現地定着」で、失った国土で生じた大幅な食糧減産をしのごうとするも。
 強制収容所に連行され、「飢えと病気」で収容者は「たちまち死んだ」の惨状。

 ふるさと求めて本土に帰還。
 しかし待ち構えていたのは、もとの故郷。出て行ったヒトが居てくれて、土地を十分に活用することの出来たムラに、帰還者を受け入れる余地はなかった。
 送り出したムラビト、親戚は変貌する。ヤッカイ者の帰還。飯田市歴史研究所の女性研究員はそこのところの機微を、「送り出した時とは正反対の気持ちだった」。

 観光基本法そして原発。満蒙開拓で長野を、たどりついた福島の浜通では原発。またまた、ムラを追われることに。
「彼らは再び村を追われた 知られざる満蒙開拓団の戦後史」。
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生活の道、生命の道 「道物語 新日本風土記」NHKBS3190315
生活の道、生命の道 「道物語 新日本風土記」NHKBS3190315.



多くの道を紹介。
朔北、鯖、脱藩、修行、うなぎ、熊野古道、坂道。

番組紹介
そこは道の意義を示す。「人やものを運び、文化を運び、時代を動かしていった『道』」。
「日本には、魅力ある道がいっぱい」。番組での紹介を細かく記載は、以下のとおり。

1)真冬の稚内。酪農家の暮らしを支えるためタンクローリーが行く道は、凍(い)てつく道。
2)鯖街道 京都~福井の道。女性たちの写真。都へ向かう。
3)龍馬はここから羽ばたいた、脱藩の道。「生きて土州に帰らず」。
4)うまいものが食べたい!生きたまま運べ、うなぎ街道。島根、安来節
5)新緑の熊野古道、
6)そして首都高だって<癒やし>の道。
7)長崎・尾道は坂の道、うまく付き合う工夫とは?→「気がついたヒト、即、助け合うのルール」。

ホームページで紹介。ここに掲載の画像は、番組の最終版で出演、番組スタッフの紹介とともに流される「幻想的映像」。
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東光薬品・岩見浜・益浦神社 「桜ケ岡五丁目 バス停物語001
 東光薬品・岩見浜・益浦神社 「桜ケ岡五丁目 バス停物語001」。
 
 五月の連休。今年はことのほか、大型で。休みといって、他所に出て行くのでは、汗したお金が域外に流出。

 毎日が休日ならば、ホットボトルに冷酒福司を詰め、出発。路線バス車内で「休日専用一日フリー切符」を求めて、ノンビリ路線バスの旅。



 お目当ては「53番 晴海線」「30番 昆布森線」。桜ケ岡五丁目で降車。歩きましょう!!。

 まずは東光薬品さん。ついで益浦岬。岬名のあること知ってまして?。岩見浜川まで歩いて、橋のそばで右折して海岸部。

 ここで戻って、益浦神社。このポイントは、江戸期の文献にも登場。「タキイシ」「コンプ」「天明」の元号。

 益浦神社でいくばくのお賽銭。持参の御神酒を一献。帰路につきましょう。(トイレはどこに?=そこを明示せねば)。
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移植型漁業の陰陽 捕鯨業の漁村借用160416
 移植型漁業の陰陽 捕鯨業の漁村借用160416. ガラ携写真のリストから一枚.

 碑を撮影
 熊本地震直後のタイミングで厚岸を訪問。その折り撮影したモノで、容量は48キロバイトほど。写真から碑の刻字を判読することは困難であるも。 
 碑の設置場所は真龍(しんりゅう)神社さん。碑の内容は『厚岸町史』に記載があったはず。
 戦前のうちに建立されたと記憶。捕鯨業の漁村進出に、地付き漁業との軋轢があった。

 会社組織の捕鯨業。
 魚体処理で大量の廃棄物を発生する。海洋汚染、悪臭、市場を介さずの構造。捕鯨業進出から10年そこそこ。



 碑面は志野徳助という人の謙彰。
 土佐捕鯨の社長にして、南氷洋捕鯨の開発にあたるも業なばに没した。

 厚岸町の年表に記載。
 「昭和6年 1931年 土佐捕鯨株式会社が厚岸事業場を設置」「後に大洋漁業株式会社厚岸事業場となる。1970年閉鎖)」。

 捕鯨業進出から、しばし時を経て。
 厚岸に捕鯨会社の進出を促すも、地付きの漁業者との間に生じた軋轢、操業受容を円満に納めた。その功績を示す碑の側面ももつ。
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釧路川河口漁港にはじまり北海道東部商港 釧路港030810
釧路川河口漁港にはじまり北海道東部商港 釧路港030810。

釧路港航路標識事務所が公開されたのだと思う。釧路埼灯台から釧路港をながめて一枚。



1)釧路川流域の対アイヌ民族交易場

2)箱館-択捉路線と釧路川・斜里川路線の結節点=交通。

3)本州漁業の海洋資源採取の水揚げ港

4)硫黄・石炭の結節で商業港ルート。

釧路埼灯台の点灯。4)で海外貨物船の入港に対応、港湾整備着業とあいなるや。
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観光地というには下火ながら 双湖台と双岳台110709
観光地というには下火ながら 双湖台と双岳台110709.

 初めて訪問は1974年10月25日のことか。
峠の土産店があった、有人の茶店・和食があって休憩できた。トイレもあった。
 祖父の50回忌が営まれ、父の兄弟があつまった折りに義弟の運転でマイクロバスを駆使して「阿寒横断道路」を阿寒湖から摩周湖へ抜けた。



 阿寒横断道路。国道241号。
陛下をお迎えして、阿寒・摩周の絶景を天覧かたじけなくするに、短縮路がなくては。
 永山在兼という人は、思いいれた、と。双湖台は阿寒湖畔から12キロ、双岳台は15キロ。紆余曲折とはこのことか。屈曲に高低おりまぜた路線が続くも。

 見るだけなら、一度、観るとよい。
ヤマの神、水の聖者に自分をみせる、我をみてもらう。春夏秋。周囲の緑、新緑、紅葉を満喫できる。

 ただ観るだけゆえに、情緒なし。
五七五に一句、五七五七七に一首、七言絶句でも七言律詩でも一編。画なら一点。
 愉しみ方を知ると、滞在時間が増える。ただ、通過は無芸のなせる、や。110709訪問。
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双岳台 そうがくだいの眺望 110709阿寒摩周国立公園横断道路
 双岳台 そうがくだいの眺望 110709阿寒摩周国立公園横断道路。

 手前に雄阿寒岳、奥に雌阿寒岳。両岳を眺望できるので、「双岳台 そうがくだい」。



 この日は、釧路厳島神社祭礼の日と記憶する。南浜町の河岸で、江戸時代の絵図を提示。

 川を手こぎ船で西から東にわたる図を読んだ。旧暦3月24日か。弁天祠に詣でた故事を解説。遙拝して、まりも国道を。

 阿寒湖畔で昼食、足を摩周への道筋に伸ばして、双岳台、双湖台(そうこだい)を。まわる、みる、本当は拝む。

 岳は湖畔にヒトを招く、吸引力。足下で噴出する温泉が、その魅力をいっそう高める。湯宿の経営者は、活火山の監視者。 
 市民が安心して湯浴みできるように、日夜、見守る。

 双岳台に眺望の二峯。ここで市民は、「見に行く」をやめ、「(自分を)見せに行くへの転換。

 その限りで、ここに何度立つも意味がある。「見に行く」は生涯一度でも、それで終わり。ただし、自己中心視線。
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夜目に鮮やか 博多山笠181220
夜目に鮮やか 博多山笠181220.是非、眺めにと出発前から下調べ。



​​​ ネットで紹介  http/neo/launch?.rand=6ae9ncti6ot9m#tb=ggeiupod櫛田宮神社(くしだじんじゃ)​​​
「地元の人々には、「お櫛田さん」 と呼ばれ親しまれている神社」。
「博多祇園山笠は、櫛田神社の境内からスタート、壮大な祭が」
​ 「博多山笠の櫛田入り」。どういうことでしょうかー。「5月のゴールデンウィーク時に博多どんたく」
「10月の博多おくんちも櫛田神社を中心に繰り広げられ」​

​ 九州・博多の総鎮守社。その山笠。夜目にも鮮やかでしたよーー。
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満点合格絵馬 スタンプを押す習慣はないが
 満点合格絵馬 スタンプを押す習慣はないが。12月28日、見晴らし満喫ツアーのゴールは尾長天満宮。

 この日は3度目の訪問で、初の絵馬を用立ててもらいましてね。絵馬裏に押してみたスタンプ。



 見事に右下、四半分の輪郭部分が欠損して、押印されてしまいましてねー。(汗)。東方角から南南東にかけてが欠落しているではにですかー。「シマッタ」。

 そこで持参のスタンプラリー帳に押してみるも、やはり欠損。永年の市民の押印で、減り消失してしまったようで。

 さてさて、受験生にお届けするべきか。「欠落して不足している部分は、自分の努力で<満点>採れるように!!」。そうしたことは、通ずるや。



 送らずにそっと内輪で。昨日、志望校合格の報が届いて。さて、お届けするや、「満点をめざす合格絵馬」。欠落分は「自分の努力で」。
 今なら通ずる、これから3年間の「努力目標」に。(笑)。
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旧西国街道の架橋 我羅我羅橋
 ​​​旧西国街道の架橋 我羅我羅橋。広島市東区「二葉の里歴史の散歩道」は、第二領域。

 そこは三つの立地条件が必要であるらしい。一つは太田川三角州の<島>地形。
 戦国の世は、その三角州を埋め立て、山稜の裾野に街道を設けた。その街道が二つ目の立地条件。



 三つめは天神川。川が街道と交差するところに架橋された。それが我羅我羅橋。

 橋は、写真の「坂本食料品店」と隣接する青山クリニックの間にある道路に向かって架橋されているということ。

 写真で掲示板前の道路が天神川の河跡。食料品店とクリニックの間の道路をむすぶ形で川の流路があったらしい。

 左右=東西に横切る中央分離線のある舗装道路が「大内越峠」へ抜けるバス道路。
 この道路が旧西国街道にあたる。
 ここから200メートルほど左=東にいったところに、左折する大内越方向、直進の旧西国街道にわかれる地点。 

 ネット情報は伝える。我羅我羅橋名の由来。
 「がら竹とという小竹を束にして作った竹橋」「橋を渡るときガラガラ音がした」ためとか。     https://kaidoaruki.com/area_chugoku/sanyodo/sanyoudo012.html 

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なぜ、いま、このタイミング 麻生財務相「こだわり過ぎるとおかしくなる」
 なぜ、いま、このタイミング 麻生財務相「物価2%目標、こだわり過ぎるとおかしくなる」。

 12日の国会委員会での答弁。閣議後の記者会見で、「真意を聞かれ」と。



 1)地元選挙区、福岡知事選への影響力。

 2)10月に控えた消費税導入見送り論への牽制。

 3)諸統計で偽装、粉飾、調査母体の変更で信頼を失った政策への忖度。

 4)日銀プロパー対総理忖度総裁の対抗=日銀プロパーへの提案を無視できなくなった。

 アベノミクスへの批判が財政政策に「シワ寄せされる」に、壁を造る。でも、あるまいが1)と2)を含んで、これが一番、か。

 それにしてもネットでの記載。ロイターが495字で配信。共同は263字。この差は、ニュースの価値、影響度を察するセンサーの反応の差異、か。
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長崎と佐賀 肥前さが博覧会協賛行事
 長崎と佐賀 肥前さが博覧会協賛行事。市内の百貨店で、長崎県が協賛記念事業を公開。

 鍋島家は長崎警備を命じられていた。隔年で担当したとする。



 明治維新では鍋島家の科学技術の水準の高さが重要な役割と薩長とむすびつく重要なキーワードになったらしい。

 2018年。肥前さが博覧会。市内目抜き通りの百貨店を会場に、長崎県の公開展示。展示の主軸は本邦における<長崎写真技術>の紹介。

 長崎も佐賀の科学技術に一目、置いていたものか。警備の機会をつうじて佐賀は、広範な西欧技術の吸収、消化に実績を残した。

 かえりみるに、想像して奥深い。
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Fit pass in Saga 島 義勇
 Fit pass in Saga 島 義勇。史跡は歩くに限る。そうしたことか。

 史跡で指定の訪問地。その訪問のさきにある跡地、人物、記憶は、往時に<歩く>で結ばれていた。


 
 佐賀城から10分。島義勇の由緒の地は、本願寺派の末寺の脇道から入る。写真の標識から150メートル。

 高等学校の体育館の敷地になるのか、要は食い込むように設定された一角があてはまる。

 ではその地は島にとって、いったい、どういう生い立ちのなかの一時期か。記載はない。生家でもなく、出世してからでもあるまい。

 不本意にしての晩年の、一時期か。城の東の位置にあたると考える。掲示などに記載のみあたらないも、意味がありげであるが。
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島にとって蝦夷地、明治維新
 島にとって蝦夷地、明治維新は 181222佐賀場内。佐賀で島義勇に接してみると。

 藩校・弘道館育ちの俊才。佐賀の乱で刑死も佐賀七賢人の一翼。



 鍋島直正は群を抜き、大隈重信、その次は副島種臣か、ついで江藤新平、島義勇、佐野常民、大木喬任、そかそか副島種臣が。

 佐賀の乱は明治7年。維新政府の中で薩長に目があつまるも、肥前佐賀の科学、技術、欧米観は薩長の役割とは異なるはず。

 まずは佐賀、ついで土佐で自由民権運動が芽吹くではないか。明治維新の後発地。そういうことでも、あるまいに。
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春の響き 進藤信子】ピアノコンサート 190310
春の響き 進藤信子】ピアノコンサート 190310

 「日の出の逸早い東国に、<春>です」
 「全国で太陽が最初に昇る道東から、春到来のメッセージ」
 「明るく、軽やかに、温かく」のメッセージ。



 進藤信子ピアノ研究所主催で、
 「春の響き 進藤信子ピアノコンサート」が開かれました。3月10日午後、会場は北海道立芸術館アートホールです。
 副題に「ヴァイオリン 水村浩司・チェロ 白佐武史とともに」とありました。

 演奏は
  J.ハイドン ピアノ三重奏曲 Hob.XV.25 ト長調
W.A モーツァルト「キラキラ星変奏曲」 k.265
  R.シューマン アラベスク 作品18
  LV.ベートーヴェン ピアノ三重奏曲第5番ニ長調作品70-1 「幽霊」
 
 聴かせていただきながら、
 「軽やかなテンポ、ぬくもりをおもわせる旋律、明るい透明感」。
 沸きあげてくる感動をおぼえ、「これって、なんだろう」。そうだ、「(コンサート名)春の響きコンサートだ、ものね。その名にピッタリ」。

 会場には
 釧路交響楽団の女性団員が、そこここに。

ピアノ三重奏。
 ピアノ演奏は、釧路短期大学教授で進藤ピアノ研究所を主宰する進藤信子(のぶこ)さん。
 白佐武史さんは釧路市出身。現在は釧路市で音楽文化の普及と振興を目的した活動を展開中、と。
 <次世代の育成>。主宰者のなみなみならぬ思い入れが、演奏会場にも。演奏中、「音楽を創る」の息のあった演奏で、聴く人を魅了させたのでは。自分は、そう受け止めたところながら。
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地域資源を生かしたにぎわいづくり 広島市東区「二葉の里散歩道」
地域資源を生かしたにぎわいづくり 広島市東区。「二葉の里散歩道」ルートは、平成23年から動き出している、と。

 江戸時代=天保年間から「二葉山」と呼ばれるようになった、その山麓に史跡・重要文化財・寺社が配置されている。

 地図で図示することとは別に、その訪問ポイントを群としてとらえると、三領域に区分されるらしい。



 1)二葉山 環境としての地形・植生・眺望の景観に、社寺・高射砲陣地・平和塔などヒトによる文化が定着。

 2)尾長東・尾長西 京都と下関の往復路に、戦国時代の終末期に由緒をもつ史跡、祈祷・祈願をことする仏閣。

 3)二葉山山麓 広島城、すなわち近世城下の築城で生み出された、「艮 ウシトラ=鬼門」装置と大名家菩提寺群。

 これに、特に3)に「平成 七福神巡り」のプログラムを重ねて、「歴史と平和、緑とやすらぎ」をテーマ。

 その意図は都市改造事業で街路、避難、高規格化をめざした空間に、「地域資源を生かしたにぎわいつくり」をめざす。

 広島市東区、JR西日本旅客鉄道株式会社・広島駅新幹線口周辺の「ブラッシュアップ事業」。ちなみに「ブラッシュアップ=□■(なになに)しなおす事業」か。
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背景を知っていると 天神川河川痕跡181228
背景を知っていると 天神川河川痕跡181228.背景を知っているこそみえてくる、一筋の河川の痕跡。

 天神川の源流部をこれまでに確認してくるも、その下流部がどうなっているかは、知るヒトぞ知る。

 若草第二公園の散歩道案内板に、天神川駅とあるので探してみることに。

 見えてきたこと。山陽本線は長い歴史をもつも、天神川駅の営業開始は、実に近年。近くにできた大型ショッピングセンターの店舗も出資しての解説駅。

 国土地理院地図で、天神川駅を探してみると、駅付近には一筋の河川痕跡。たぶん、破線楕円印領域の青の線が、河川痕跡。



 ネットで駅名由来をみてみると、次の記載。「駅近くを流れる暗渠となった川の名から採っている」。図面では「一筋の河川」ながら、実態は「暗渠=あんきょ」を流れて、表層流とはなっていないようだ、なかなか肉眼では確認しにくいと言うこと。

 背景を知らねば、見逃す河川痕跡。既存の知識と見聞の集大成で、周囲の建築物、舗装の街路を「剥ぐ」ことで、現在の国土地理陰図に、往時の流路が「重なる」と、いうこと。
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天神川源流部 広島市東区 二葉山中腹


天神川源流部 二葉山中腹181228.天神川は広島市東区に源流部をもつ。

 尾長天満宮と東に位置する國前寺の間に源流部をもち、山陽本線・天神川駅にまで流れるそうで。

 山麓で東に流れて、二葉中学校まで。そこで南に流路をかえて第二若草公園。この公園で流路を南南西にやや角度をかえる。

 落着点は天神川駅、付近では「暗渠を流れる」と、こちらはネット情報。

(天神川駅名由来)
 「駅名は一般公募によるもので、駅近くを流れる暗渠となった川の名から採っている」。「公募結果の1位は安芸府中であったが、6位の天神川が採用された」と。
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律令制下の地域区分 古代七道
 律令制下の地域区分 古代七道、畿内と畿外の<中央>と<周辺>。

 東海道、東山道 北陸道 南海道 山陰道 山陽道 西海道。律令制下の地域区分にして律令制地理名称。



 古代七道は空間概念であって、世に申す幹線道路ではないのだ。畿外への使者派遣の単位。天武14年=685年、制定とある。ここまで『日本史広辞典』996p
、 
 奈良、京都を中核とする畿内に対する、周辺の地理名称ということに。

 道路=線でとらえると、面食らう。「東海道」がおなじみで、京都ー江戸間を往来する、巧妙な旅を念頭におくも、それは近世五街道の話。

 五街道は東海道 甲府街道 中山道 日光街道 奥州街道。江戸を軸に徳川=政権が陸奥と甲信越と京阪をにらむ連絡路。

 こちらは地域区分ではなく、明確な路線。大量の兵員輸送を確実におこなうためには、陸路の整備が不可欠であった。

 「山陽道は五街道の脇街道」。戦国を経て、陸路の整備は一気にすすすんだことのようで。
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広島城「ウシトラ」を囲む三起点 二葉の里歴史の散歩道181228
 広島城「ウシトラ」を囲む三起点 二葉の里歴史の散歩道181228

 「明星院の山」。そう理解されていた山陵に「二葉山」の名称が選ばれた。天保6年とされる。

 森本幾子氏は「広島城より艮(ウシトラ)=北東の明星院西に建築」。「地を新たに『二葉山』と名付ける」と示す。

 その二葉山に至るに、三つの起点に注目する。第一に不動院金堂、第二天神川駅、第三に矢賀駅。

 図中、茶色の五角形が広島城。青の六角形が二葉山、青色の「レ」マークが西の起点=不動院金堂、「S」マークが天神川駅、「G」マークが矢賀駅。



 不動院金堂は天正17年の建立。南北朝の乱で犠牲となった者の慰霊のためと。広島市で唯一の国指定・国宝。この不動院が「二葉の里歴史の散歩道」で、西の到達点に位置づける。広島市東区牛田新町3-4-9に所在。

 天神川駅 JR西日本の山陽本線の駅。尾長天満宮の東から流出の天神川は、旧西国街道を横切りこの駅に至る。所在地は広島市南区東駅町1-13。

 矢賀駅 JR西日本の芸備線駅。旧西国街道の才蔵寺から才蔵峠を経て、この駅までを「二葉の里歴史の散歩道」の東の起点に位置づけている。
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産地特性 海苔 in 山本山。
 産地特性 海苔 in 山本山。NHKGの番組で、舞台は海苔の名品店、東京・山本山の店頭。

 「スーパーで扱う海苔と、こちらの海苔。どこが違うの」と。第N代を申す経営者、「ハイ、産地ごとに特性があります」。



 すらすらと、まず「瀬戸内の海苔は」と。「瀬戸内 流れの速い潮、パリッと仕上がる」。
 続けて「千葉の海苔」。こちらは「磯のかおりに育てられ、香りが強め」。
 さらに「有明の海苔」。なんと申すか。「潮の干満差が大きい、満ち潮に隠れて栄養を吸収、干潮では太陽に恵まれて旨みが深まる」。

 海苔の栽培に、「支柱柵養殖」と「浮き流し養殖」があるそうで。水深の浅いところで潮の干満差を利用して行う、前者。
 後者は「海の深い場所に浮きをつけた海苔網を沈め、流されないよう錨で固定」「厚みのあるしっかりとした海苔に仕上がる」と、されているようだ。
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広島城 位置の決定
広島城 位置の決定。位置の決定には、さまざまな要因。

起点は四点あったと、聴いている。安芸宮島の「弥山」と広島の「見立山」をむすぶ線。

他の一つが「己斐松山」と「明星院」を結ぶ線。この交点が広島城の立地位置に選定された、と。

今でこそ、北東方向の「広島城」、中央に「旧広島スタヂアム」、南西に「平和公園」が、ほぼ縦並びしている。

そもそもが、現在の広島市中心部は、「五箇村」と称するデルタ地帯の、「もっとも広い島地」に築城したこととで、マチの趨勢は大きく変化。

尾長天満宮所在地へ向かう汀=みぎわみぎわには天神川が流れていて、菅原道真の舟が着船。上陸して休息。のち休息地に社殿が造営された、と。

ネットにあっります。「広島城の北東・鬼門を守る社寺として明星院は建立された。明星院は藩主の祈願寺と定められ」と。
(上記URL https://plaza.rakuten.co.jp/kinokogumo/diary/2xxx-xxx-xxxxx/)

二葉山の社殿、仏閣は「広島城の表鬼門」に位置づけられる。そういうこと、か。
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「トリチウム含む原発冷却排水 海洋投棄」こそ唯一非代替の方法? ふたたび海へ~福島 ある漁師の7年半~」
 これも「トリチウム含む原発冷却排水 海洋投棄」こそ唯一非代替の方法? 「ふたたび海へ~福島 ある漁師の7年半~」190303。

 思わず知らず、タイトルが長めに。日曜日の朝のNHKG放送。注目点は3点。舞台は福島県北部の釣り師浜漁港。



 「父ちゃんがそう言うから、みな不安になる」。母ちゃんが息子達を前に言い放った。先行きを不安視する夫に、妻は一喝!!。

 「毎日、山を登る」。「百歳までは生きて、40年かかるという原発廃炉を確認」、「百歳まで漁業を続けて3人の跡継ぎに<希望>を与える」。
 周囲の反対を押し切って、新造船を建造。海へと今日も繰り出す。どうやらコウナゴの取引価格が改善してきた、矢先。



 「(原子炉冷却廃水を海洋投棄するだけで)風評が広がる!!」「せっかく回復している魚価格が、ウワサで低落」「死活問題!!」。
 原子力規制委が、日に200トンずつ堆積し、貯蔵場所の限界が明確なその先の措置、含まれるトリチウムとやらを基準濃度以下で海洋投棄」を説明する公聴会での発言。
 自ら希望し、漁業者代表で発言。与えられた5分の発表を終え、閉会まぎわに「もう一度、発言させて」と、詰め寄る。

 学者が提案、行政が住民に諮ると、そのまま進むの、か。担当の経済産業省のお役人。
 「そこでみなさんの意見を聞きながら、議論を深めてまいりたい」。念頭をよぎった。「(沖縄で)辺野古基地建設が唯一最善の道」。
 これが得意の政権のもと、原子炉排水の海洋投棄も「唯一非代替」と、押し切られるのであろうか。沖縄の問題=福島の問題でも、あるように。いかがであろう。
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下りは尾長天満宮 見晴らしコース181228
 下りは尾長天満宮 見晴らしコース181228.二葉山山頂を後に、下山。

 下山のルートは尾長天満宮をめざす。階段をおり、舗装道路の坂をくだり、二つの寺院脇を通過して、菅原道真ゆかりの神社へ。



 901年、道真下向のおり、休息した位置。そこに宮祠が設けられた、と。

 通過した路はのちに西国街道。海岸線の汀に接する路が、西国街道。京都から下関に至る道とされる。

 道真公は著名な「学問の神様」。二葉の里歴史の散歩道コースのなかにも、「受験祈願コース」が設定されている。
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見上げていた地からの、鳥瞰 二葉山展望案内181228
 見上げていた地からの、鳥瞰 二葉山展望案内181228。仏舎利等は各地に、ある。

 白亜の塔は各地にあるもその台座に近づくことはなかなか難しい。

 塔の位置からマチ並みをの試みは、これまでにも何度か。広島市東区の二葉山。初めて立ってみて。

 「平和塔」=仏教施設ではあるが、建立後、地方公共団体に寄付されて、公有物に。特定の宗教団体、宗派財産ではなくなって、「二葉山平和塔」に。

 原爆被災から復旧した街並みを見下ろしつつ、背後には高射砲台を擁した軍陣の丘陵に平和のシンボルを置換。

 山頂にある案内板。「灰ケ峰」「絵下山」「広島市民球場」「黄金山」「金輪島」「江田島」「峠島」「比治山公園」「広島駅」「似島」「厳島」。



 島と島の間に土が堆積。かくて市街地に多くの山稜を有するマチの景観に転じた。そういうことかも。
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