2023年07月の記事


持続力産む投資とプロジェクト オホーツク・サンクチュアリィ=小清水町nhkBS
 帯広の自然の森。それに続くは網走国・小清水町を舞台に「オホーツク村=オホーツク・サンクチュアリィ」。

 地域に持続力を示す投資とプロジェクト。十勝国や網走国にはその例あるも、釧根には不足。
 不足というより「ムツゴロウ動物の村」のように、個人で取り組むも地域の支持力にはつながらぬプロジェクト。
 こちらはスポンサーメディアが手を引くと、事業縮小となった。そういうことではなかった、か。

持続力産む投資とプロジェクト オホーツク・サンクチュアリィnhkBS

 今になって「獣医 竹田津実」の名を思い出し、出版も手にした思い出がある。
 しかし、その背景にある意味を結びつけることはなかった。
 NHK4K&NHKBS番組「オホーツク・サンクチュアリィ-北海道・小清水町-」 初回放送日: 2023年7月29日は、その意味合いを伝えてくれている。

 (以下、番組案内)
 「オホーツク・サンクチュアリィ-北海道・小清水町-」 初回放送日: 2023年7月29日
 昭和56年、オホーツク海に面した北海道小清水町を訪ねた新日本紀行を鮮やかな映像で!野生動物の聖域を作ろうと力を合わせて奮闘する農家や獣医たちが描かれている。

 新日本紀行から42年。動物たちの聖域「オホーツクの村」は健在だ。その運営には全国から520人が参加している。3代続けて“村民”になった一家は生き物たちを撮った写真をブログで発信。北の自然の息遣いを広く伝えてきた。
 また地元農家を中心に、人間に重い病気をもたらす感染症を防ぐためキタキツネに餌に混ぜた薬剤を与える取り組みも行われている。ふるさとの森を舞台に人と野生動物の共存をめざす模索が続いている。
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資源にも地域主義の視点で 石見&ポトシの両銀山が体現する教訓211127
とうとう国連事務総長は「地球沸騰」の弁。今朝30日、NHKJGの「記録を取り始めてから・・・・」のレポートでは太平洋岸の都市、根室・釧路・帯広と表示記載が並ぶ。

 自然の役割。新宮晋氏は「風にエネルギー、さらには『美』も内在」と。
 風にはほかに、パワー。包容力と申すか、癒す力というか生み出す力、野生の力。
 芽には見えぬ、形をなしていないコト、オト、カオリに着目し、共有・共生の視点はいかが。

 掲載の写真には1)「旧ペルー国のポトシ鉱山」。2)に「石見国の石見銀山」。
 ほぼ同時期に開坑された銀採掘の対象地。その現在は緑したたる「包容力、癒す力、治す力、生み出す力、野生の力」が。
 対するポトシ銀山は「裸山」。背景には「坑道・坑内ほり鉱山」隊「タヌキ掘り鉱山」。

 それだけではない。
 「日本人が<神を怒らせない>とヤマを崩さぬ石見銀山」と「ボリビア半島住民が奴隷を導入し<自然と人類に線引き>して開坑のポトシ銀山」
 坑内掘り工法で犠牲者発生。洪水の死者、「気絶(けだえ)」「ヨロケ」の坑内病に落盤の災害

 ポトシ鉱山。その犠牲者は「80万人」との記録。
 「神を怒らせぬ国」と「さんざん自然をいためつけ『自然保護』を主唱の国」。
 産業革命。それが境界といわれる<地球への負荷>。本邦ではその論、通じまい。

 資源にも地域主義の視点で 石見&ポトシの両銀山が体現する教訓211127
釧路市民文化振興財団の釧路学講座 佐藤宥紹「太平洋炭礦(株)の100年」から。
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釧路市南大通七丁目2番に所在する【武富小路】碑
 釧路市南大通七丁目2番に所在する【武富小路】碑

 1876年 広業商会支配人
 1880年 佐野家からの漁場経営権を継承
 1907年 釧路銀行設立、 釧路製材造船合資会社が設立。
 1911年 武富隆太郎 釧路町長に就任。

 釧路市南大通七丁目2番に所在する【武富小路】碑。但し「武富小路」は愛称らしく市道認定では「入舟」の記載。
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一身の武四郎、鍋島家は家臣団で 幕末・長崎の情報=蝦夷地で活かす230920
 一身の武四郎、鍋島家は家臣団で 幕末・長崎の情報=蝦夷地で活かす230920

 釧路市南大通八丁目2番にある【武富小路】碑(写真)にまつわる一筆。
 碑文に「武富善吉、その弟 隆太郎」の刻文があるも。
 鍋島家は1)に長崎警備で得た情報、2)幕末・蝦夷地への関心、3)対中国貿易のルート。

 「武富 釧路」の検索キーワードでヒットした「北海道の武富家 BBWeb-Arena」のページ。
 中に「“井伊直弼”を説得 色丹島を佐賀藩海軍の停泊地にする事に成功」。
 くわえて、この選択が「(往路)米・酒・塩・味噌などを運び、(帰路)鮭・鱈・昆布・毛皮などを積んで佐賀の伊万里に」

 結果「運び、莫大な利益を上げていました」。
 (A)安政3、4年 家臣・島義勇&犬塚某を蝦夷地に派遣。
 (B)(安政5,6年) 「天草に、佐賀藩の港を置き、軍艦の訓練と蝦夷地開拓の予行演習」「色丹島に佐賀藩海軍の停泊地」
 (C)安政7年   桜田門外の変。井伊侯没、次は直正襲撃かの風聞。

 松浦武四郎は長崎をめざし、唐国・天竺(インド)をめざすも、蝦夷地重要と転換。水戸藩の支援。
 鍋島家。井伊家と姻族関係にあり、(A)&(B)を通じ、明治2年釧路国川上郡、釧路郡、厚岸郡の三郡支配を命じられる。
 農業・鉱業に長じた移民で、真摯な経営を展開。のち半官半民の広業商会を通じて、対中国貿易で一時代を築く。
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啄木の本名、国道391号線の愛称 釧路湿原シニア大学第10期バスツアー230725
 啄木の本名、国道391号線の愛称 釧路湿原シニア大学第10期バスツアー230725

 行程119キロメートル。走りつづけて2時間30分の行程。
 往復の車中は恒例、各班の企画プレゼンテーションで有意義に過ごす。
 2,022年に続き、「くしろ検定」からの出題が、今期も検定合格済受講者のお方が担当されて進行。

 (問い)「石川啄木の本名はなんといいますかー」。(女性の声で)「石川一 いしかわ・はじめ だと思いま~す」。(進行係)「正解!!」。
 (問い)「しからば戸籍名はなんと呼んだでしょうか」。(答え)「・・・・・・・・?」。暫く沈黙が続く。
 進行係の方が申す「工藤一 くどう・はじめ」というそうです。「父が曹洞宗の僧籍をもっていたので、母方の姓を名乗ったそうで~す」。

 車内に名解説が流れてゆく。次は「今、走行中の国道391号線の愛称はなんと呼ぶでしょうか」。
 いかがでしょうか?。「野上峠を境界に、弟子屈・標茶方面は『摩周 ましゅう 国道』、小清水・清里方面は『小清水国道』と言いま~す」。
 車内に進行係のお方のスムーズな声が流れて、ツアーは順調にすすむ。

 「くしろ検定」。2008年2月に始まり2021年2月は実施されないまま、終了となった。
 主催団体は地域報道機関に駆け込んで後継を一度だけ託したらしいが、該当社は話にのっていない。
 「終了は惜しい、再度、立ち上げを」。そうした声は、少しずつ高まる。

 補助金や助成金があるうち。その間は、事業を続ける。
 しかし、終了するとほどなく冬眠状態に入る。自力で支援し、育てる力量の不足するところ。
 ましていわんや、開発する意欲も投資する力量も、乏しい。
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「12万年で一番暑い…」 BSTBS 地球温暖化 報道1930 230725 <img
 「12万年で一番暑い…」 BSTBS 地球温暖化 報道1930 230725

 12万年で一番暑い…
 世界を襲う猛烈熱波の本当の怖さ人と地球は耐えられるか…気候崩壊の臨界点とは
 猛暑襲来…人が耐えられる限界とは
 もう元には戻れない?世界6か所から温暖化加速のドミノ倒しが始まる?。“止まらない”温暖化が問う脱成長とウクライナ戦争が落とす影
 
 猛烈熱波の本当の怖さ。熱波で氷河&永久凍土が融解してメタンガスを発生。
 地球は元にもどれない。そして気候変動の臨界点。そうした概念が提示されたが。

 まとめ。
 その部分を「臨界点=critical point 越えではじまる気候変動」
 https://bs.tbs.co.jp/houdou1930/archives/index.html BSTBS 報道1930

 ゲスト
 井上信治(自民党幹事長代理、党環境・温暖化対策調査会長)
 斎藤幸平(東京大学大学院 総合文化研究科准教授)
 江守正多(国立環境研究所・地球環境研究センター副センター長)
 長谷川雄之(防衛研究所 研究員)
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<見えている>=世界、事象、構成、構造 <見える、見せる>が科学&研究230724
 土佐の横倉山へ戻り、西村寿惠子は語る。「nhkG 朝のドラマ らんまん」第63話。
 「(万太郎さん)見えているもののことは、そんなにも見えてるじゃないでいすか」・
 「(私には山、木、草としかみえないけれども、あなたには)誰にも気づかれてないけど、そこにいる子。生きている子。その子たちを、万太郎さんだけが気づいてあげて、見てあげるの」。


 そこには科学、あるいは研究の追い求めている属性が示されている。そうではないか。
 <見えている>=世界、事象、構成、構造 <見える、見せる>が科学&研究230724
万太郎の描く植物画、信州から上京した画家・野宮の挿画とは大いに異なる。

 そんな場面が展開する東京帝国大学植物学教室のシーン。登場人物は異なるも。
 野宮が、間もなく助手に採用される波多野に語り掛ける。
 「あなたは顕微鏡で、なにを観ているのですか」。」波多野は答える。

 「(私は)自分は見えないものを見ている、見たいと思っている」と答えのだ。
 続けて、「肉眼では見えないけれど、命をつかさどる仕組みを見たいと思ってるんです」。
 「一生を懸けてでも」と、「受粉してから植物で何が起きるかなど、分かっていないことを知りたい」。

 いかが。植物画が植物分類を位置づけるポイントを、もれなく開示。
 科学&研究には<見えている>=世界、事象、構成、構造。それぞれの部分、組成、数量、数式を<見える、見せる、見える化する>営為。
 そういうことではないだろうか。研究者の描写する植物画と画家の描く絵画。その差異でもある。
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「都市部に住む金持ちの道楽」「考え方は素敵」 nhkG放送承けての反響230721
 「都市部に住む金持ちの道楽」「考え方は素敵」 nhkG放送承けての反響230721

 元女性新聞記者が、首都圏で挑む節約生活
 <冷蔵庫やエアコン、洗濯機、テレビ、電子レンジ、そしてガス契約>もなし。
 出演者は「10年くらいエアコンを使っていない」「ぜんぜん平気になりました。(身体が)慣れたってことなんですけど」と平然。

 視聴者の注目も集めたが、ネットには反響もあった。
 「考え方は素敵」と支持する意見があった一方、「都市部に住む金持ちの道楽」とする見解も。
 後者の意見の主力。「ましてこの猛暑日に冷房、冷蔵庫なしは絶対無理。体力ない人は、熱中症か食中毒になる」。

 総括というか、紹介者の見解。
 「(7月20日 気象庁発表の1カ月予報)7月26日ごろから、平年より『かなり高温』になる見込みだとされており、“エアコンなし”は真似をしないほうがよさそうだ」。

 確かにそうだ。でも、待てよ。
 「平年より『かなり高温』になる見込み」状態は、誰がつくりだしたか。室内はエアコンで涼しくとも、室外に<排気高温風>があふれ、切りすぎた樹木も吸収不能。

 あるときは<電化>宣伝に努めた電力会社、「今夏は電力不足、徹底した節電も」と。
 君たちよ!!、<自身>はなにをするのだ。
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「人間とAIの共存」 TBSサンデーモーニング<時代と社会の断面を切り取るコーナー「風をよむ」>230723
【パネリスト】の一人寺島実郎氏
 「(読み、考える蓄積のある人が)AIを使う、AIで育つと文書も書けない人間が誕生する」

 朝日新聞記者の高橋純子氏
 「(AIで不要となる職種に「作家と記者がふくまれる」を承け)AIは人間でないから感情をもたないし、意味を知らない」。
 そう学者の意見を紹介したのち、「<でも>というか、<だから>というわけではないが<人間であること>に自信をもちたい」。
 
 みたらし加奈氏
 「AIは結論を判断するが、結局は説明はしない」。

 松原耕二氏
 「人類は幾多の技術革新ということを経験してきた」「技術革新は避けられないことなので、慣れていくことが重要ではないか」。

 依然、将棋界の中村太地八段は「AIは最善手を示すことはできる、しかし、それがなぜ最善手なのかを説明することはできない」。
 そう語っている。OA化やIoT化がすすみ、単純労働が削減されている、でわ、AI化で余剰となった労働力と労働時間。それが人類の余裕とゆとり、労働時間短縮を結果しているか。

 そこを検討する余地もなく、労働密度は高度化し、男性並みの長時間労働と開発途上国なみの低賃金構造を結果している。そういうことではないだろうか。

「人間とAIの共存」 TBSサンデーモーニング<時代と社会の断面を切り取るコーナー「風をよむ」>230723
 もちろん、録画をもとのパネリストの発言を一言一句記録したものではないが。
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江戸航路にとって「くすり乃たけごんげん」 阿寒霊峰230701
 江戸航路にとって「くすり乃たけごんげん」 阿寒霊峰230701

 日本港湾経済学会大船渡港。その帰路は東京からのフェリー便が大船渡港に寄港。
 そこから乗船して釧路港に戻った。1994年9月のことで、洋上からの雌雄阿寒岳の眺望は実に象徴的であった。
 針路の指標。そう思わせる迫力に息を呑んだ。爾来、30年になるということ。

 伊能忠敬に「大日本沿海輿地全図」というのがある。
 その蝦夷地部分に、蝦夷地東部の地点測量のポイントが秀麗な阿寒岳との方角、距離で計測していた。
 そのことを暗示させる図が残されている。

 「くすり乃たけごんげん」。
 「くすり乃たけ」といえば、屈斜路湖周辺のアイヌ民族にとっては一に藻琴山、二にアトサヌプリが想定されるのが当然であった。
 しかし、江戸航路を開いた本州人に、「くすり乃たけ」と申すは阿寒の秀峰ということになるのが。理の当然。きわめて難しい点ではあるが。

 その点を念頭におきつつ、「くすり乃たけ」信仰が釧路川口河口の小祠「阿閑祠」として継承してきた意味を考えておくことが肝要なのだ。
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洋の東西を統合する新たな文明の創造 竹村牧男著『鈴木大拙 願行に生きる 上』
洋の東西を統合する新たな文明の創造 竹村牧男著『鈴木大拙 願行に生きる 上』
 
 サブタイトルに「その生涯と西田幾多郎との交流」とある。
 鈴木大拙&西田幾多郎。ともに海外ではすこぶる著名な、本邦を代表する哲学者。
 同じく現在の金沢市で生まれ、その生年も1870年と同年。17歳の時、旧制金沢中学校で、出会うのだそうだ。

 冒頭、著者の竹村牧夫氏は、「日本文化に与えた禅の影響を海外に紹介」と鈴木を紹介。
 続けて二人の業績を、次のように整理。すこぶる興味深い。
 「西洋の二元対立的な世界観に対して、東洋の主客分裂以前から出発する世界観」。
 「(西洋の)父性的な文化に対する(東洋の)母性的な文化の特質を指摘」。
 「(鈴木は)東西を統合する新たな文明の創造を訴えた」=()の注はいずれも筆者。

 R2.=nhkラジオ第二放送で毎月第二日曜日午前に放送。本書はそのテキスト。
 2022年度放送の『唯識』に対比し、理解しやすい内容となっている。そうではないか。
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動く海の総合商社 日本海交易230708
 動く海の総合商社 日本海交易230708

 1) <動く海の総合商社>は江戸時代に、地域分業の分業担当地域にマーケットを形成
 2)前期前貸資本&交易船は地域分業分担地域を機能させる不可欠条件。
 3)江戸時代は地域分業と隔地間交易で成立した社会。

 4)<動く海の総合商社>は「時代の最先端に位置する<モノつくり文化>を演出」。
 5)それは日本各地で<モノつくりの価値を創造>させた。
 6)他方、隔地間交易は<モノつくりの価値に意味>を顕在化した。

 7)前期前貸資本には<時代に生き延びた悪どい商法>のそしりあるも、生鮮品の販路確保を担った。
 8)<動く海の総合商社>は前期前貸資本の販路確保を担保する位置にあった。
 9)ゆえに<動く海の総合商社>は、遠隔地に新時代を切り開く積極的な意味があった。

 10)ために地域間格差や民族的に種の保存危機を生じた点も考察されねばならない。
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魅力
「魅力、魅力」で<一目ぼれ>勧めるな 「聴ける&カネを他人のため使える」で<余裕ある男>230717

 「話を聞き続ける余裕」「・・・・・・・・・・」「他人のためにお金を使える」。
 230717、タブレットに電源を入れたときに見つけた記載。題して「余裕ある男とは ホステス1000人がみた<共通する見方>」。

 最初が1)話を聞き続ける余裕、3)が他人のためにお金を使える。で、二に「寛容性がある」であったか、また「決断が速い」としていたか。
 朝になって再検索するもたどりつけず。「余裕のある 男性」のキーワードで、二つの話題。

 A)余裕のある男性の特徴8選。ガツガツしてない男と余裕のない男の違いとは?
  https://smartlog.jp/148806  Smartlog 2023.04.27
 B)ビジネスシーンで“デキる男”の3ヶ条「気配り」「冷静さ」「身だしなみ」
  https://career.oricon.co.jp/news/74172/ 2010.03.12 06時00分
ビジネスシーンで“デキる男”の3ヶ条「気配り」「冷静さ」「身だしなみ」

 世の中に氾濫、「魅力」魅力」に「観光、観光」の大合唱。
 「魅力」は「意味&意義」に、「観光」は「生涯学習」に置換しよう。そうではないか。
 「魅力」は「一目惚れ」の入り口。、
 地域の努力、自身を鍛える力の<奥行き>&<懐の深さ>を、一過性のヒトたちのためにとどめたくない。
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魅力
「魅力、魅力」で<一目ぼれ>勧めるな 「聴ける&カネを他人のため使える」で<余裕ある男>230717

 「話を聞き続ける余裕」「・・・・・・・・・・」「他人のためにお金を使える」。
 230717、タブレットに電源を入れたときに見つけた記載。題して「余裕ある男とは ホステス1000人がみた<共通する見方>」。

 最初が1)話を聞き続ける余裕、3)が他人のためにお金を使える。で、二に「寛容性がある」であったか、また「決断が速い」としていたか。
 朝になって再検索するもたどりつけず。「余裕のある 男性」のキーワードで、二つの話題。

 A)余裕のある男性の特徴8選。ガツガツしてない男と余裕のない男の違いとは?
  https://smartlog.jp/148806  Smartlog 2023.04.27
 B)ビジネスシーンで“デキる男”の3ヶ条「気配り」「冷静さ」「身だしなみ」
  https://career.oricon.co.jp/news/74172/ 2010.03.12 06時00分
ビジネスシーンで“デキる男”の3ヶ条「気配り」「冷静さ」「身だしなみ」

 世の中に氾濫、「魅力」魅力」に「観光、観光」の大合唱。
 「魅力」は「意味&意義」に、「観光」は「生涯学習」に置換しよう。そうではないか。
 「魅力」は「一目惚れ」の入り口。、
 地域の努力、自身を鍛える力の<奥行き>&<懐の深さ>を、一過性のヒトたちのためにとどめたくない。
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「北前船」。それは根室・厚岸沖に姿をみせたか。 橋立・酒谷家記録230707
 酒谷長俊家伝承の記録にある本表。『加賀市史資料編』からの抜粋したものであるが、注目に値する点が。

 冒頭の「茅部鰊粕 524貫800匁 31両2分1朱」「帆立粕 318貫 16両1分」はさておくことにする。ところが、以下に注目。
 1)「樽前 鰯粕 14602貫300匁 992両2分」「樽前 鰯粕 14602貫300匁 992両2分」
 2)「サル鰯粕 943貫 61両1分」「サル鰯粕 1268貫400匁 90両2分」「同 上2489貫800匁」
 3)「ネモロ鰊粕17581貫1198両2匁」「ネモロ鰯粕2000貫 136両1分」「同 上3056貫 220両」
 計算によると、1)~3)の仕入れ額は3700両弱で、これを売却した学は5992両と示される。

 視野に収めておきたい点、その一は「元治」とする時代。
 「茅部」は内浦湾の西部で、渡島半島の一部として「箱館・松前・江差」の三湊体制で取り扱うことも可能である。但し、内浦湾=恵山岬以東に位置するとして「蝦夷地」サイドで理解しておくことにする。
 「サル 沙流」と「ネモロ」。その取扱量も5000貫弱と2万2000貫強」の輸送量となる。重量にして18トンと82.5トン。
 時は元治2年となると1865年。天保期(1830~1845年)に奥蝦夷地(十勝~択捉)が漁業主産地に転じてのち、鰊・鰯粕の最盛期を迎えていた点。

 視野に収めておくべき点、その二は「鰯粕」が取引対象となっている点。
 鰯粕が房総半島の九十九里浜に移った。<漁業主産地の東漸移転>と解しておく。房総半島の鰯粕は、元禄期以降に日本海側の鰊粕をもって補完した。
 松前鰊粕の本州搬入を<漁業主産地の北進現象>と位置づけることにする。
 「ネモロ鰯粕2000貫 136両1分」「同 上3056貫 220両」の二項目は、東西蝦夷地内の<漁業主産地の東漸移転>と、なる。

 「北前船」。それは根室・厚岸沖に姿をみせたか。 橋立・酒谷家記録230707
 魚群をめざし囲い網する旋網漁業が東蝦夷地東部にも波及。そう類推させる記載に相当する。そうではないか。
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「地域住民が望む事例では」 公園名称変更、その舞台裏230714
 「地域住民が望む事例では」 公園名称変更、その舞台裏230714

 昨年から、遊ぶ、学ぶ、褒めるの末字をもじる「ぶぶる釧路の街歩き」。
 7月例会は「釧路空襲被災の日」たる7月14日にと決めている。記憶を風化させない、戦災復興碑前で開かれる「慰霊の集い」を「我が事」とするために。
 訪問した時日に、ちょうど報道機関の取材時と重なった。

 隣席の二人の方の談話が、翌日紙面に掲載されていた。
 参加した市内の無職男性(83)は「空襲で自宅が全焼した。釧路にも空襲があったことを忘れないでほしい」と力を込めた。
 同市の団体職員・男性(35)は「空襲の体験を語れる人が減ってきた」。自分たちが戦争を知る努力をして伝えていく必要がある」と話した、と。

 83歳男性が、取材の前後にポツリと話された点。
「親は(越後国間瀬から釧路にやってきて)栄町四丁目で漁業をやっていた」。
「親戚には大工のワザを身につけ建築業に育てた者も居るが、釧路空襲で家は丸焼けになった」。
「戦後70周年にあたる平成7年にこの慰霊モニュメントが建てられた」。

 たまたま公園整備の担当をしていて、「この一帯が被災し、公園になった地に廃材が集められたこともあり、災害記憶を伝えるにふさわしい名称にかえられないか」と、関係機関と協議した。
 「しかしこの公園は国の補助金(注 戦災復興事業)を導入しているため、名称を変えられない」。「そうした壁にぶちあたった。そこで東京あたりで名称を変更している事例はないか。一生懸命に調べてみた」。

 「調べてみると変更例があり、認められた事例では『住民が求めているという、同意があれば可能』であると知った」
 「そこから事務手順の方向を見いだすことにした」。
 昭和5年に釧路市は都市計画法による地域指定を掲げていた。この計画で「市中に避難区域を設定すること」になっていた。

 戦後、国は戦災復興事業で被災地の復興を優先的に手掛けた。本市では栄町公園、南大通佐野碑園(児童公園)、米町公園が整備対象となった。そう記憶する。
 戦後、50周年。満5歳で被災した男の子が、市職員で公園整備の担当課長となっていた。めぐりあわせかも。戦後、命名の「栄町公園」は、戦後50周年の年、「栄町平和公園」と名称変更された。

 新聞に報道された談話も貴重であったが、むしろ紙面にあらわれない後者の回想に注目した。
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「兵頭玲子 木村 夏江」「桂木夫人=小山 明子」 nhk銀河ドラマ「挽歌」舞台裏711101
 「玲子」といえば久我美子、秋吉久美子。「桂木夫人」と問われれば高峰美枝子、草笛光子。
 そうピリッと来なければ・・・・・。「暗記する必要はない、暗記しなければいけないことは必ずどこかに記載がある」。では、肩身が狭い。

 「nhk 銀河ドラマ 挽歌」と検索サイトに記載。「テレビドラマデータベース」なるページにたどりついた。 http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-12908
 以下の記載内容にお目にかかった。以下、紹介の記載を。

 挽歌 霧の町釧路を舞台に、妖精を思わせる演劇少女と、中年の建築技師の愛の葛藤を描く。後年、大河ドラマなどを多数手がける佐藤幹夫がNHK釧路放送局に勤務していて、助監督を務めた。
 【参考文献:志賀信夫著「映像の先駆者125人の肖像」(2003/03/30発行、日本放送出版協会刊)】
 キー局 NHK GTV 放送曜日 月~金 放送期間 1971/11/01~1971/11/05
 放送時間 21:00-21:30 放送回数 5 回  連続/単発 連続
 番組名 銀河ドラマ
 主な出演 木村 夏江、小山 明子、佐藤  慶、中村 敦夫
主な脚本 倉本  聰(倉本  聡)
主な演出 和田  勉、(助監督:佐藤 幹夫(クレジット表示なし))
 原作 原田 康子「挽歌」
 局系列 NHK

 そうか、そういうことか。この話、「(助監督:佐藤 幹夫(クレジット表示なし))」と記載のお方を通じて承知していたのだ。
 当時、この方=佐藤幹夫氏の名が放送にはなくて、目をほらした記憶がある。
 地方ロケの収録前の下調べで来釧したとき、お目にかかっていたからだ。

 放送は1971年。この年、3月まで氏は釧路放送局で<駆け出し時代>を過ごしておられた。秋、そのプロデュースで、来釧時、お目にかかったものであった、か。
 思うに「兵頭玲子 木村 夏江」「桂木夫人=小山 明子」「桂木建築事務所長=・・・・」、「久田青年=・・・・・」であった、か。

 「兵頭玲子 木村 夏江」「桂木夫人=小山 明子」 nhk銀河ドラマ「挽歌」舞台裏711101
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銘茶で一筆、月課に向き合う 味の兵四郎・天空の深緑
 新茶の出まわる時季。首都圏にお住いのお方から頂戴していた「味の兵四郎 天空の深緑」。
 福岡県筑紫野市に所在する「味の兵四郎」産の銘茶。レターライト便で頂戴していたので、売りだしの姿に収めて、冷凍庫でお休み願って居た。いよいよ頂戴する段になって、梅雨の時期。

 あらためてご挨拶をさせていただいた。
 梅雨の進み具合はいかがですかー。終われば猛暑開始のようですが、続くと鬱陶しいですし。
 知恵の結晶込めて銘茶をあ寄せ頂きありがとうございました。
 写真のように品格加えてお休み願って居ましたが、本日からお出まし頂くことにしました。
 ありがとうございます。月課になっている新聞原稿に取り掛かるため渾身の一滴でお世話になります。ありがたいことです。後程また。

 写真を添付。続けて以下を呈した。
 誠に有難いご厚意。たいへん遅くなりましたが、今朝、頂戴いたしました。なにより上品で、心休まる甘味。説明にあるトロリとしと茶葉の旨味に爽やかな風味がピッタリです。
初煎は温度が低めでしたが、普通より高めが適しているようで、次回から湯温度をあげてみようと思います。

 お陰で原稿出来上がったとはまいりませんで、着手後間も無く電話で呼び出され、今しがた帰宅しました。笑ってあげてくださいませ。
 誠に銘茶と送り主様に失礼なことでありまして。気を取り直し適して再挑戦です。感謝致します。

 ちなみに「おいしい淹れ方 3カ条」
 1.茶葉は多めがコツ 急須に茶葉を2人分(約250cc)で大さじ一杯が目安。
 2.葉を開かせる   湯呑にいれておいた湯を急須に注ぎ、蓋をして約40秒
 3.静かに注ぎわける 急須はまわさずに、湯呑に均等、最後の一滴まで静かに注ぎわける

銘茶で一筆、月課に向き合う 味の兵四郎・天空の深緑。
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北前船
カギは柏屋=近江商人 太平洋岸にも嘉永期から北前航路船が入湊 北前船 宮本家 山王丸230708

 北前船の時代 https://www.hokkai.or.jp>history>kusiro-mukasi
 1)「北前船」ー江戸中期に発生し、明治30年代まで大坂と蝦夷地を結ぶ日本海航路
 2)橋立の宮本家の山王丸という船が、嘉永3年に航海した記録の中にある例。

大聖寺藩(加賀国ー現 石川県加賀市)の川湊である橋立の宮本家の山王丸という船が、嘉永3年に航海した記録の中にある例である。
宮本家は近江商人の藤野喜兵衛から独立した。藤野家はクナシリ・ネモロの請負人であったので、同家の荷物積みとりでネモロ-江戸間の航路をとったと言われている(牧野隆信著『北前船―日本海運史の一断面―』 柏書房 1964年)。

 同じ橋立の酒谷長俊家に伝わる史料によるとイワシ粕つみとりのため茅部・樽前・沙流・根室・厚岸にきている(元治元年-1864)。
 その量は樽前-1万5545貫余、根室-2万2637貫余、沙流1万4585貫余、茅部ー842貫余で、買い入れ総額は3、745両となっている。
 ちなみにこの航海でもとめたイワシ粕など魚粕の買い入れ金額は3、833両、売あげ金額は5、992両余であった。つまり下り荷の益金は2、100両余り。
 https://www.hokkai.or.jp/history/kusiro-mukasi/3-3.html 佐藤宥紹著『釧路昔むかし』(釧路市 1992年)。
(網走神社 船絵馬 https://emaema.hatenablog.jp/entry/2018/05/29/074753)
 船絵馬は天保十一(1860)年から明治六(1873)年の間に奉納された。
 藤野家はいわゆる近江商人で、六代目藤野喜兵衛(1770~1828)が松前にわたり海運業をはじめ、余市、宗谷、斜里、国後に場所請負地を拡大し、蝦夷地有数の豪商となった。
 屋号は柏屋、商標を又十とした。絵馬の中にも「柏屋」や「又十」の文字が見える。

 幕末期、イワシの豊漁 近江商人の奥蝦夷経営が北前船航路も路線変更230708

 1992年頃、記載。その概要がネットにも掲載されている。
 https://www.hokkai.or.jp/history/kusiro-mukasi/3-3.html 「釧路昔むかし」(『釧路歴史探訪』)

 (東蝦夷地の北前船)
次第にわかってきたことは、北前船というのは蝦夷地の産物のうちでも特にニシン粕の売買と輸送を第一とするものであったことである。このため主な船の行き先が日本海に限られるのも、しごくあたりまえのことであった。

 しかし、時がたちニシン粕にかわりイワシ粕をめあててにするようになると、北前船はイワシ漁にわく太平洋岸にも航跡をしるすようになった。
 確かに東蝦夷地へきたケースは少なくかつ時代としては遅い。そのわけはニシンからイワシ魚粕という商品へのうごきがあったようである。
 
 米屋がコンブやニシン粕をクスリ場所で渡すという条件をだしていた。米屋が商品を箱館まで運ぶとき手持ちの船で輸送していたから、漁場で直接渡すとき積みとりにきた船は買い積み船=北前船かとおもう。

(北前船の時代背景)
 (宝暦期は)また木綿生産のうえでは工場制手工業(マニファクチュア)にきりかわるときでもある。
 庶民に広くゆきわたる木綿の需要。(木綿)生産を拡大するための工場制手工業の展開。農村の綿花の増産。
 当たり前のように魚肥のもちいられることがいっそう多くなる。

 蝦夷地のニシンやイワシだけでなくマスも魚肥にかえられた。北前船で輸送のパイプがふとくなった。
 一方、需要にあわせたコンブや魚肥の生産のため、漁場では多くの労働者を必要とする。アイヌの自然採集経済は否定され、自然コタンはこわされて生産年齢層のアイヌは和人の漁場に集められるようになる。
 北前船の時代の到来は蝦夷地の産業や社会の構造をかえてしまうことになった。あるいはこの点が松浦武四郎によって鋭く指摘されるところでもある。北前船の発展は蝦夷地のコンブや魚肥の需要にみあったものである。

 神社に奉納された絵馬。「大漁豊漁」「海上安全」の祈願奉納も多いが、海難帰還を報謝し、その荒涛高波を「神々に奉告」と評される絵馬が加賀市橋立に伝承する。
 納沙布岬をかわす、宗谷岬をかわす、まして知床岬を風帆船がかわすのは、危険を伴うことであった、か。
 「奥場所」「奥蝦夷地」と呼ばれる場所が、宗谷・網走・斜里・国後・根室に存在。
 その一円を「柏屋 藤野喜兵衛家」が請け負う構図。その意味を慎重に読み解いておきたい。
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商都・小樽経済の潜在能力 樺太を経済圏に往時の力量を具現 日銀金融資料館開館20年 230708
 商都・小樽経済の潜在能力 樺太を経済圏に往時の力量を具現 日銀金融資料館開館20年 230708

 建築様式の価値、小樽の空気感を反映して、「日本のウォール街・小樽」の金融支店景観を決定づけた。
 そうした評になるのであろうか。北海道における日銀経営網は、明治26年に小樽(函館)派出所、出張所を経て、明治39年支店となった、と。
 日露戦争。樺太全島が日本領土となった。函館港の機能は樺太をにらむ小樽港、千島列島を擁する釧路港と二分する。

 北方圏における北海道島の地域区分を象徴するような、日銀経営網の本道波及を象徴する感がある。
 日銀小樽支店が廃止され、その機能を札幌支店に統合する案は、2000年10月のことであったとされる。時に9万筆に達する反対署名があった。そう記事は報じている。
 「ルネサンス様式」「屋根には五つのドーム」「フクロウをモチーフにしたレリーフや米国製のシャッター」。

 「本店、大阪支店につぐ規模」。その「随所に意匠を凝らし、華や里は一線を画した重厚感」。
 それらが「小樽随一の観光スポット」(記事)、「現在の小樽観光に貢献」(支店廃止当時の市長)につなげている。
 商都・小樽経済の潜在能力 樺太を経済圏に往時の力量を具現。その思いを強くする。
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記録
ご質問、二項目。返答させていただきます。
 1.どうして地方史を手掛けることになったの?。
1)手元に<まとまった史料群>がみたらなかったためです。居住の自治体内に江戸時代に建立された寺院に、寺の活動を記録した公務日誌があり、北海道指定有形文化財として高い評価をうけていることを入学前から承知していました。

2)在学中は「オーソドックスな日本史を学べ」が指導教官の方針。「地方史(当時)や江戸時代」の調査は卒業後のテーマと決めていました。
3)1)の寺院はのち国指定史跡、同寺院に所在する記録類は国指定重要文化財となりました。私は今も指定史跡国泰寺跡整備の計画策定委員長を務めています。
 2.「城山モシリヤ学コミッション」って、なんですか。
1)本学周辺に国指定史跡モシリヤチャシ跡があります。この史跡と本学の間に釧路川の一支流であるサル・ウシ・ナイ川 sar-us-i-nai ヨシ・アル・沢の川 という、現在は地表に現れてない河川がありました。緑ケ岡三丁目の公園が源流部で本学グラウンドを流れ城山小学校東の道路を経て、釧路川に注いでいました。
2)そこで1)「サルウシナイ川」集水域を対象に、2)居住する住民が手掛けました。それは「3)域内の生活、生業、文化及び文化財」を、自分たちが中心となって「4)調査し、5)考察し、6)付加価値を創造し」の「理念」を提案し、活動をはじめていました。
3)そこで私はさらに「7)その形と意味を体系化のうえに、8)記録し、9)情報発信を積み重ねる」の三点を付け加えました。ほかに結語として「10)総合的、市民参加型の生涯学習体系」も加え、「城山商店街と大学・専門学校・生涯学習機関を含めた城山文教風致地区への求心力を高める」活動としています。

居住地で限られた歴史資料群 それぞれ地域への求心力を高めるために230620
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幌内 節古籠 昆布森 チョロペツ川 舳提辺 嬰寄別 宿徳内 地嵐別 又飯時 伝承で継承地名<難読の漢字表記>
 幌内 節古籠 昆布森 チョロペツ川 舳提辺 嬰寄別 宿徳内 地嵐別 又飯時 伝承で継承地名<難読の漢字表記>

 幌内 ほろない ポル・ウン・ナイ poru-un-nai 洞穴・ある・川 か。
 ⑦伏古 節古籠 ふしこ フシコ・コンプ・モイhushko- kombu-moi古い・コンプモイ
 ⑤昆布森 こんぶもり コンプ・モイ kombu-moi 昆布の・入江
 チョロペツ川 chi-oro-pet (おひょう楡の皮を)我ら・水に漬ける・川
 ⑤舳提辺 エトロンペ (不明 山田書にも選択なし)
 ④嬰寄別 あちょろぺつ アチ・オロ・ペツ achi-oro-pet その楡皮を・水に漬す・川
 ③宿徳内 シュクトウツ・ウシ・ナイ えぞねぎ・群生する・川
 ②地嵐別 ちあらしぺつ チャラセ・ペツ chase-pet (水が)チャラチャラ音たてる(滑り落ちる)・川
 ①又飯時 またいとき ワッカ・タ・エトク wakka-ta-etok 水を・汲む・みなもと
            (山田秀三著『北海道の地名』 北海道新聞社 1984年)
             
 神を<怒らせぬ自然観>から<神を恐れぬ自然観>
 前田正名(薩摩官僚:阿寒一歩園財団)「伐る森から観る森へ」論
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入境学 跡永賀 浦雲泊 十町瀬 来止臥 伝承で継承地名<難読の漢字表記> in 釧路郡釧路町海岸線難読地名群
 入境学 跡永賀 浦雲泊 十町瀬 来止臥 伝承で継承地名<難読の漢字表記> in 釧路郡釧路町海岸線難読地名群

 ⑰分遣瀬 わかちゃらせ ワッカ・チャラセ wakka-charse 水が・ちゃらちゃら(崖を滑り落ちる)
 ⑬冬窓床 ぷゆま・初無敵 そんてき 入境学 にこまない 賤向夫 せきねっぷ 分遣瀬 わかちゃらせ
 ⑫跡永賀 あとえか アトエ・カ atui-ka 海の・上 atui-okake 海の・跡
 ⑩浦雲泊 ぽんとまり ポン・トマリ pon-to-mar 小さい・泊地
 ⑨十町瀬 とまちせ トマ・チエ・ヌプtoma-chi-e-nupえんごさくを・我ら・食う・野
 ⑧来止臥 きとうし キト・ウシ kit-ush-i 行者にんにく・群生する・処

 神を<怒らせぬ自然観>から<神を恐れぬ自然観>
 前田正名(薩摩官僚:阿寒一歩園財団)「伐る森から観る森へ」論
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賤夫向 分遣瀬 老者舞 知方学 去来牛 尻羽岬 別尺泊 釧路郡釧路町海岸線の難読地名群
賤夫向 分遣瀬 老者舞 知方学 去来牛 尻羽岬 別尺泊 釧路郡釧路町海岸線の難読地名群。

 単体ではなく「群」となった、こと。そこに哲学が込められているのかも知れないが。
 そこを「伝承で継承地名<難読の漢字表記>」→「川&本・支流の生業・生活・文化を<海洋開発>」に転換。
 そう読んでみることにした。最初の9地点。

 25茶々古丹 ちゃちゃこたん (山田書に選択なし) チャチャ・コタン chacha-kotan 親爺・村。
 24重蘭窮 ちぷらんけうし チッ・ランケ・ウシ chip-ranke-usi 舟を・下す・処
 仙鳳趾 せんぽうし チェッ・ポプ・ウシ・イ chep-pop-ush-i 魚が・跳ねる・いつも・する処
 23別太 ぺつふと ペツ・プトウ
 22古番屋川 元仙鳳趾 旧名:ル・トウラシ・ペツru-turashi-pet道が・登っている・川
 21別尺泊 (山田書に選択なし)
 ⑳尻羽岬 しれはみさき シリ・パ 地、山の頭=岬の意味
 ⑲去来牛 さるきうし サルキ・ウシ sarki-ush-i 芦・群生する・沢 処
知方学 ちほまない チェッ・オマ・ナイ 魚・いる・沢
 ⑱老者舞 おしゃまっぷ オ・イチャン・オマ・プ 川尻に・鮭鱒産卵場・ある・もの・川?。
 ⑰分遣瀬 わかちゃらせ ワッカ・チャラセ wakka-charse 水が・ちゃらちゃら(崖を滑り落ちる)
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隔地間交易&地域分業と東蝦夷地 江戸期、農業経済を支えた基盤・構造
 隔地間交易&地域分業と東蝦夷地 江戸期、農業経済を支えた基盤・構造

 17世紀、日本の人口は1000万人から3000万人に増進する。支えたモノは。
 著しい増田、新田開発の結果であるが、他方で木綿、染料、和紙などの原材料となる商品作物=特殊林産物が生産体制に入る。
 18世紀初頭から松前・蝦夷地産品を本州経済と結節するため近江系商人が日本海交易に進出する。

 19世紀。水田が頭打ちになり、幕藩体制は財政危機に直面する。商品作物=特殊林産物を特産品化する畿内諸藩も出現。
 魚肥需要はピークに及び、その供給範囲は蝦夷地の日本海岸から太平洋岸に拡大してきた。
 その基盤と構造を図式化してみるに、掲載図を描いてみた。

 本州経済を支える商品作物=特殊林産物の生産地と、補完する肥料生産地は、いわば<貨幣の裏と表>で同時進行。
 畿内・江戸=蝦夷地と二つの地点を結節する風帆力推進の輸送手段が、存在して成立する<経済の枠組み>が仕上がった。
 江戸時代は太陽・水・土・植物ですべてを賄う<リサイクル社会>。移動手段の動力も風を帆にうけ推進力とする弁財型大型舟。

 日本国土を<畿内ー江戸><畿内ー日本海ー蝦夷地><江戸ー蝦夷地>の路線網を風帆舟で結ぶ隔地間交易のシステム。
 蝦夷地を本邦領土に明確に位置付け、本州経済の消費地市場にも変えた。
 風帆推進の交通手段。少しずつ変化も。22年11月6日ANA=全日本航空は定期路線の一部にバイオ燃料による運航便を設ける、と。

 地球に負荷をかけず。そこに江戸の哲学が再生されようとしている。そうではないか。
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一樹に一柱の神宿る 前田一歩園財団「伐る森から観る森」論の根底230704
 一樹に一柱の神宿る 前田一歩園財団「伐る森から観る森」論の根底230704

  23年7月4日放送「巨樹の国にっぽん(2)「受け継がれる祈り」。
応神天皇の「生誕地=宇美の里」「神功皇后が船で海を進む途中、深江の浜で船を繋いだ=船繋石」。 https://www.town.umi.lg.jp/site/spot/kanko158.html
 <地域の名所>となり、その伝承を受け継ぐ<巨樹>が紹介される。

 初めに<神宿る>。それぞれの巨樹に神功皇后、応神天皇、八幡宮の神徳が籠る。
 それは後の世に生み出された<ストーリー>かも知れぬが、永きにわたり<人の手>を加えさせなかった。
 樹齢2000年。取り巻く人々の思いも2000年。

 「神宿る」。 石見銀山は緑がしたたる世界自然遺産。
 同時期に開削のはじまった「現在はボリビアに含まれている」=ポトシ銀山は世界文化遺産。
 そこには「銀の採掘に多くの先住民が強制的に集められた結果、黒人奴隷と合わせて約800万人が犠牲になったといわれ」の伝承が残る。

 景観&少数民族に多くの犠牲をともなった。その差異に「神宿る、神を怒らせない」。

 阿寒湖畔に展開。「伐る森から観る森」の論。
 その根底には、「一樹に一柱の神宿る」の<想い&願い>が、ある時期から根付いたのかも。
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巨樹
 一樹に一柱の神宿る 前田一歩園財団「伐る森から観る森」論の根底230704

  23年7月4日放送「巨樹の国にっぽん(2)「受け継がれる祈り」。
応神天皇の「生誕地=宇美の里」「神功皇后が船で海を進む途中、深江の浜で船を繋いだ=船繋石」。 https://www.town.umi.lg.jp/site/spot/kanko158.html
 <地域の名所>となり、その伝承を受け継ぐ<巨樹>が紹介される。

 初めに<神宿る>。それぞれの巨樹に神功皇后、応神天皇、八幡宮の神徳が籠る。
 それは後の世に生み出された<ストーリー>かも知れぬが、永きにわたり<人の手>を加えさせなかった。
 樹齢2000年。取り巻く人々の思いも2000年。

 「神宿る」。 石見銀山は緑がしたたる世界自然遺産。
 同時期に開削のはじまった「現在はボリビアに含まれている」=ポトシ銀山は世界文化遺産。
 そこには「銀の採掘に多くの先住民が強制的に集められた結果、黒人奴隷と合わせて約800万人が犠牲になったといわれ」の伝承が残る。

 景観&少数民族に多くの犠牲をともなった。その差異に「神宿る、神を怒らせない」。

 阿寒湖畔に展開。「伐る森から観る森」の論。
 その根底には、「一樹に一柱の神宿る」の<想い&願い>が、ある時期から根付いたのかも。
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大木司稲荷大神 春採湖津波伝説通過路を見下ろす230625
大木司稲荷大神 釧路市住吉二丁目13番35号が該当地所か。

ここは「春採湖津波伝説」の津波通過地域に面している。
釧路市道「富士見緑ケ岡通」の凹地点を津波が通過。
津波は太平洋ー春採湖ー凹地ーモシリヤー釧路川に抜けた、と。

アイヌ民族に伝承する説話に含まれた一節。佐藤直太郎氏が『釧路叢書』に書き残している。
去る6月25日、現地を訪問して見聞した拝殿の規模に驚き。1,973年に訪問してえた感触とは大違い。
祭事はいつか。ほかにはあまり情報がないが。

大木司稲荷大神 春採湖津波伝説通過路を見下ろす230625
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拝啓 IoT様 システムが行き渡り仕事密度が高まって 結果<人間らしい生き方>可能ですか?230701
 拝啓 IoT様 システムが行き渡り仕事密度が高まって 結果<人間らしい生き方>可能ですか?230701

IoT(Internet of Things) | IoT用語辞典 | キーエンス https://www.keyence.co.jp>general>iot-glossary>iot
IoT(Internet of Things) よみ:あいおーてぃー(いんたーねっと・おぶ・しんぐす)
「IoT」とは、Internet of Thingsの略で、日本語では「モノのインターネット」を意味します。
(意味)
様々なモノがインターネットに繋がる仕組みのこと。
冷蔵庫やエアコンなどの家電製品やテレビや車などのモノがインターネットに接続されることにより、私たちの生活が便利になっていきます
(事例)
インターネットに接続されていなかった様々なモノ(センサー機器、駆動装置(アクチュエーター)、住宅・建物、車、家電製品、電子機器など)が、ネットワークを通じてサーバーやクラウドサービスに接続され、相互に情報交換をする仕組み。
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