創造と育成、そして参加のシステムと日常生活 釧路港まつり&遊佐町少年議会220807
 創造と育成、そして参加のシステムと日常生活 釧路港まつり&遊佐町少年議会220807

 「3年ぶりですからねー、今日はたくさんのヒトが出ていました」。
 7日夕方、来釧の友人と話をするため、滞在先のホテルから営業車で目的地に向かう車内での会話。
 「どうなっているんだ、中心街は寂しいかぎり」と、友人の弁。

 そこには答えず、盛時のおりの釧路港まつりを思いうけばていた。
 オトコは義理もあるのか、浴衣をはおり、ウマイビールの勢いで、馴れぬ踊りの列にあった・・・・・、が。
 家族やムスコ、孫は<踊りの輪>にも、そおあとの<マチの中にも連れだって歩く>は、なかった。

 明けて、8月8日の朝。NHKGのニュースは伝えていた。
 「山形県遊佐町の『少年議会』は、今年20年目を迎えました」「シンケンに少年町長と副町長の選挙を、高校生が行います」。
 政策を述べ、政見演説を聴く高校生が投票する。候補は遊佐高と羽黒高に在籍する生徒。投票は町内の高校生のようで。

 「今回の参議院議員選挙でも、遊佐町の投票率は全国一を記録しました」。放送は伝えている。
 ネットでは「第20期 少年議会 令和4年」の記事も。
 当選者のコメントも、敗者の論も放送は伝えているのだが。

 地域の催事に多世代参加で参加する。
 日本の伝統社会にあったものの、いつのまにやら消失した<仕組みと哲学、日常生活の営為&たしなみ>ではないか。
 そこで喪失した<職業教育><宗教教育><環境教育><平和教育>。

 社会トータルで、「創造と育成、そして参加のシステムと日常生活」が置き去りにされ、自身が孤独のなかに置き去りにされつつある。
 そうしたことでは、ないだろうか。