2023年09月の記事


メロディー橋
投資に先行、アイディア&愛情 オサラッペ川 in Takasu town

上川国の鷹栖 たかす 町に、「メロディー橋」があると、知らされた。
 「鷹栖 メロディー橋」の検索用語で、「PayPayグルメ」のページに到達。
 そこの記載は、別記のとおりなのである、が。

 思った。米でおなじみの旭川市の近郊。
 往時の中学生が登下校の途中で、「元気」「慰め」「勇気」を得たと聞かされて。
 地域のアイデア創造力、愛情の深さ、思いやりの蓄積。投資を誘因。

 (ネットの紹介) 
 欄干をたたくと「夕焼け小焼け」が聞こえてきます
 オサラッペ川にかかる全長約100メートルの橋で、正式名称は「北野橋」です。町のシンボルとして、地元の人にも親しまれています。欄干には鉄琴が取り付けられており、順番に叩いていくと「夕焼け小焼け」のメロディーが奏でられます。
 メロディーを奏でる橋としては、日本で最初のもので、2013年には国土交通省から「手作り郷土賞」を受賞しています。雄大に流れる川の流れを眺めながら、美しいメロディーで心を和ませることができるスポットです。
https://loco.yahoo.co.jp/place/g-ZpV0ajKMcHM//?utm_source=dd_spot&sc_e=sydd_spt_slo_p_ttl&lsbe=1
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先師口傳の疑問&ズレがちょんちょん 唯円著『歎異抄』文献学的校合821205
 問いに答える形で唯円著『歎異抄』について、3点。

 1)「先師口傳」の疑問
  「(唯円が)親鸞から直接自分だけが聞いたというような印象を受けさせる」は「非常に抵抗を感じる」
 2)「耳の底に留むる所、これを注す」
  「親鸞が亡くなってから二十以後ですね」「そういうことがどの程度信用できるか問題です」。
 3)「(親鸞が書いた)いろいろな書物とピタっと重なる思想を説いているか」
  「合わせてみると重ならないものがちょんちょんと、いくつも出てくる」「第一資料としては使えない」。

 石田瑞麿著「親鸞とその著述」(国立教育会館編集『歴史を動かした人びと』 教養講座シリーズ43 1988年)所収 77p
 先師口傳の疑問&ズレがちょんちょん 唯円著『歎異抄』文献学的校合821205
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「雑草という草はない」の確実な根拠 nhkBSP番組「英雄たちの選択」230923
 記者時代の山本周五郎がインタビューの機会に語った語だ。
 牧野博物館学芸員の田中純子氏がnhkBSP番組「英雄たちの選択」で語っていた。
 調べてみると、「日本語、どうでしょう? 知れば楽しくなることばのお話」で、以下の記載。

 この牧野のことばは、これまで牧野が語ったものだという確実な根拠は見つかっていなかったらしい。
 その根拠になる史料が、ついに見つかったようだ。1年ほど前の高知新聞の記事(「『雑草という草はない』は牧野富太郎博士の言葉  戦前、山本周五郎に語る 田中学芸員(東京・記念庭園)が見解」2022年8月18日)でその詳細が報じられている。
 木村久邇典(くにのり)著『周五郎に生き方を学ぶ』(1995年、実業之日本社)にその根拠となる内容が記載されているというのだ。木村は山本周五郎の研究者として知られている。
 若かりし頃雑誌記者をしていた周五郎が牧野のもとに取材に行ったとき、周五郎が「雑草」ということばを口走ると、牧野はなじるような口調で「世の中に“雑草”という草はない。どんな草にだって、ちゃんと名前がついている」と言ったのだそうだ。
https://japanknowledge.com/articles/blognihongo/entry.html?entryid=525

一方、脳神経学者の中野信子は、「(牧野は)人間にはずぼらでも、常に植物のペースに会わせているから」、と。
「雑草という草はない」の確実な根拠 nhkBSP番組「英雄たちの選択」230923
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川に背で発展の近代、軌道輸送衰弱の現代 読みたい岩本由輝著『近世漁村共同体の変遷過程』700130
 川に背で発展の近代、軌道輸送衰弱の現代 読みたい岩本由輝著『近世漁村共同体の変遷過程』700130
都市で中心街空洞化が指摘される今。地域に移住を誘導した<母なる川>と向き合ってゆきたい。
 中心街は軌道交通の普及を背景に母川に背をむけて発展。軌道交通が地域特殊資源を失って輸送機能の頂点からスベリ落ちた。
 目をおおう中心街の荒廃。そうしたときに再度、目をむけたい。SDGs、2030年の地球危機のためにも。

 岩本由輝著『近世漁村共同体の変遷過程』(塙書房 1970年01月30日 初版)は、「商品経済の発展と村落共同体」の副題をもつ。
 三陸海岸の宮古湾、大槌湾、釜石湾を舞台とする。
「漁村を中心とした商品経済の進展」。著者は注目する。

 共同体とは。
 「個人の自立的生活が不可能なため、集団を作って生産・生活をすることを余儀なくなされ、自然発生的に構成された組織」。
 自身が身を置く場で重要なのは会社組織。市民は当事者  能力をさておいて、組織の一員として生産・生活・環境と向き合う現代。

 近世の三陸社会に、特権商人=前川家の出現がある。
 しかし新時代に地域創造をめざすうえで、コミュニティ社会を生きる個人の<当事者意識>。
 地域再生のキーワードを学べる著作。岩本由輝著『近世漁村共同体の変遷過程~商品経済の発展と村落共同体~』。
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河川
地方河川で森里海連環学 「尾幌川の水質調査&流域の食材」210317

短期高等教育機関で取り組んだ卒業演習の一類型。栄養士養成課程に在籍する学生が取り組んだ。
上流部に国有林と今は閉山となった炭鉱群。中流域には酪農地帯が広がり、分水口の近くには養殖牡蠣を飼育する。
下流部は泥炭湿地を蛇行しているが、その河口にはシングルシードの牡蠣が1世紀を超える伝統をもつ。

上流部から分水口までに5ポイントの取水点を設定し、男子学生は水質調査、女子学生は食資源分布を記録した。
①上流域で選炭水排水支流合流点、②刑務所作業場鉄橋は左岸に展開する酪農地帯、③中流域の入り口に位置する池田鉄橋
④開朧橋は中流域の酪農地帯を貫通する流路、⑤分水口

炭鉱閉山は1965年、1985年前後に飼育乳牛のし尿処理施設が整備され、1997年から分水口南で移植牡蠣の増殖を開始。
2017年、分水からの排水でシラウオが陸地に接近しにくいとの報をえるなど、厚岸湾内に供給される水質変化が注目されていた。
牡蠣の増殖には周囲から供給される水の旨味成分が、その味を左右する。そう申す「森里海連環学」を意識しながら、せめて「作業仮説」を設定。

短期高等教育2年課程の到達点めざし試みてみた。
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かき
 カキ10億個で水質浄化 ニューヨークでの試み230919

 牡蠣で水質浄化。この話題はnhkBS「もういちど日本」。埼玉県の戸田川で取り組む例を見聞していたが。
 19日はニューヨークの国連本部に各国首脳が集合する中、英国のウィリアム皇太子が空港から港湾地区へ。
 たちまち胴長合羽に着替えて、そのまま海中に。

 テレビの画像キャプションは「ウィリアム皇太子”NYミッション” 1つ1つチェック・・・カキで水質浄化」と表示。
 10億個の投下予定は目下、1億2000万個と伝えていたが。水質汚染の浄化にカキが機能する、と。
 ネットの記載。「英 皇太子 カキ 10億個」。かく検索サイトに記載。https://jcc.jp/news/20085106/

 2023/09/19 テレビ朝日 【スーパーJチャンネル】 ウィリアム皇太子“NYミッション”・カキで水質浄化
 英国・ウィリアム皇太子が米国・ニューヨーク港へ。
 参加したのは水質が悪化したニューヨーク港を10億個のカキで浄化しカキ礁を回復させるプロジェクト。
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「その人の都合っちゅうもん」「話さんものを、どうして、他人のウチが訊いてよか」 思想的、哲学的深淵の一語
山崎朋子筆『サンダカン八番娼館~底辺女性史~』 筑摩書房 1972年。本書で、もっとも象徴的一文。
そう受け止める記載を「さらば天草」の、以下の記載に見つけ出しておく。

「(こんどは別な猫を膝に抱きあげながら)---けどな、おまえ、人にはその人、その人の都合っちゅうもんがある」
「話して良かことなら、わざわざ訊かんでも自分から話しとるじゃろうし、当人が話さんのは、話せんわけがあるからじゃ」
「お前が何も話さんものを、どうして、他人のウチが訊いてよかもんね」(p241-242)。

 このことばを耳にして、わたしは、おサキさんの小柄な体がからだが急に、10倍も大きくなったように感じた。

 作者は承ける。
 「円熟した人間のことばであり、思想的、哲学的な深みにまで達しているということ」。
「(学校にも行けぬ文盲、片仮名も数字も読むことできす、書物とは縁がない)彼女であるにもかかわらず」
「なおかつ人間として最高度に円熟したことばを口にし得たということ」
「(彼女が)ほかならぬからゆきさん生活をとおしてそのような境地に到達したとする以外に、解釈の道はない」。

「その人の都合っちゅうもん」「話さんものを、どうして、他人のウチが訊いてよか」 思想的、哲学的深淵の一語.
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農村疲弊&昆布で外貨獲得 江戸期の地域経営、明治の国力増進
 農村疲弊&昆布で外貨獲得 江戸期の地域経営、明治の国力増進230917

 明治9年 武富善吉家、開拓使から北海道産昆布流通を委託。
 明治13年 善吉、佐野の事業を買収、事業を継承。
 そう年譜を読みすすみ、なぜ江戸期に独占経営を委ねられた佐野家は、維新後に事業を武富家に継承するか。

 明治9年と13年の間に「西南戦争」があった。政府は戦費調達で紙幣増刷、「戦時インフレーション」を引き起こした。
 戦後は転じて国内への紙幣流通抑制に国家財政の緊縮に転じたから、長期にわたるデフレーションが生じた。
 士農工商。そのいずれもに疲弊&困窮をきたした府県と、まぬがれた政府に近い府県の差異をうんでいる。

 窮状をしのぐに、ポイントは「外貨獲得」であった。貿易輸出で国力を高め、国家財政の再建と貧窮府県の再生がテーマとなった。
 船一杯の昆布。その実、「昆布2対砂利1」とすら指摘のある昆布の清国輸出。
 地域は昆布産地として地位を高め、維新政府を構成する一翼の肥前・佐賀藩から取り扱い事業者が選ばれた。

 外貨獲得で、国際社会に比肩する。その外貨獲得で、二様のアプローチがあった。
 薩摩漢方医の6男であった前田正名は農村伝統工業品を英仏の富裕層に売り込むことを考えた。
 他方で政府内の見解は、粗品であっても量を確保できる「清国向け輸出昆布」もその一品に加えていた。

 前田は主張した。それは体系的な順ではないが、3点。
 1)つまらぬ西南戦争、その後のデフレ政策で農工商は困窮の極み、2)農工商の生業・生活を再生するためには伝統的農村工業の強化。
 そして3)貧窮県からの北海道移住は根本的な解決にはならない。

 江戸期に佐野が担当した「安価な魚肥、農産品&農村伝統工業品高価格」の路線は、政府の地方政策とは乖離。
 明治政府は原材料の輸出、安価な工業製品輸入を「入欧脱亜」の方向で選択した。
 佐野は沈み、武富が浮上してきた時代背景。そこのところを一枚のスライドで言及しようと試みたとところであるが。

農村疲弊&昆布で外貨獲得 江戸期の地域経営、明治の国力増進
 「米屋佐野孫右衛門とその時代~江戸から明治、クスリから釧路」 くしろ元町講座12th 釧路市米町 大成寺和順会堂 担当 佐藤宥紹230917 
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ジャーナリズムが<底辺>に関心、語り部が転居、彼女の生命も限りすくなく 山崎朋子『サンダカン八番娼館』
 天草農民の貧困。それは行を読み進むごとに、厳しさを増す。

 「(おサキさんは)朝から水ばかり飲んでおって」
 「日が落ちて晩になっても唐芋のしっぽ、ひとすじ口にはいらんこともあった」。
 生みの母親と一緒に居たときでも味わった、生活。
 
 再婚した母と別れて子ども三人だけで暮らすようになってからは、更にひどく。そう続く。
 「冬になるじゃが、麦櫃も唐芋の桶もからっぽになって」
 「家に畳ちょうもんがなかったけん、山で枯れた枝を拾うて来て火だけはたいたが」
 「兄妹三人、空き腹かかえて板敷に坐っとると、頭に浮かんで来るとは食いもんのことばかりだったぞい」。

 ジャーナリズムが<底辺>に関心、語り部が転居、彼女の生命も限りすくなく 山崎朋子『サンダカン八番娼館』 筑摩書房1972年
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サンダカン
 実際に聞き取りをして4年。公刊を躊躇しつつ、思いめぐらす点が少なくなかった。
 著者は末尾に示す。3点。

 1)マスコミの中に<底辺指向>が流行し、様々な照会がかさなるうち、「(作者自身の)黙秘がどこまで有効なのか疑問に思えて」。
 2)話し手の「おサキさんが転居、外部の人に訪ねあてにくくなった」
 3)そのおサキさんが昨今とみに弱ってこられ、「彼女存命のあいだに、彼女の人生記録を書物として贈りたい」。
 
 聞き取りは1968年。1932年1月7日生まれの著者にとって56歳の時。
 『サンダカン八番娼館 ―底辺女性史序章―』は、1972 年に筑摩書房から発刊されている。
 「ともに生活しながら、海外売娼婦の生の声を、はじめて定着させた」
 
 文庫本のカバーには、そうした記載。
 「聞き取り」「再話」。その手法としても注目に値する一書。
 山崎朋子著『サンダカン八番娼館~底辺女性史序章~」1975年 文藝春秋社。

 低生産地に高額貢租 増え続ける移住人口 近世・近代に貧困の極み 天草女性が主役『サンダカン八番娼館』
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個別自主参加図書館型生涯学習 「春採湖=土に刻まれた京都・近江を読む230911」
 個別自主参加図書館型生涯学習 「春採湖=土に刻まれた京都・近江を読む ぶぶる8th230911」

 朝から釧路特有の濃霧。
 この地域で申す<ジリ=濃霧>模様の為、早々に屋内座学に切り替えて、「春採湖=土に刻まれた京都・近江を読む ぶぶる8th230911」。
 市内中心部の喫茶店にあつまり、1)国指定史跡・春採台地竪穴群、2)包丁塚、3)荒川楓谷句碑、4)久保洋青句碑、5)襟裳岬。

 6)トンボ池、7)旧上田ボート店跡=石炭湖上輸送陸揚げ地、8)国指定史跡茶ランケチャシ跡、9)西国三十三ヶ所10、11、12番札所、10)釧路港修築碑跡
 国の天然記念物=春採湖ヒブナ生息地には多くの学術情報が用意されている。11)野鳥、12)植物、13)花、14)遺跡。
 そうした「記録に残された春採湖、そこを超える記憶に残る春採湖」が、「ぶぶる8th」のテーマに据えられたところ。

 公園と市民のかかわり。それは大きく変貌している。そうではないか。
 「恋人同士が、ボートに乗って思い出をつくる」領域ではなくなった。
 今や、老後のいっときを散歩で歩く。それが公園。生涯学習に二つの体系があるではないか。

 団体動員参加公民館型生涯学習=日時を決め、場所を指定して、集められた受講者が講師の話を聞く。
 個別自主参加図書館型生涯学習=調べたい市民が、他者に強制されることなく、自身でテーマを定めて課題の解決をはかる。
 公園で散策、野鳥の声に励まされ、命ある花に生気をもらう。

 梢から発する木から発散される揮発系物質フィトンチッドと呼ばれるアロマテラピー効果(香り療法)によるもので。
 血圧が下がり、血行促進・細胞の活性化・新陳代謝促進・自律神経調整・血液浄化・疲労回復の森林浴はいかが。
 それらのいずれもが、「個別自主参加図書館型生涯学習=調べたい市民が、他者に強制されることなく、自身でテーマを定めて課題の解決をはかる」に相当。

 個別自主参加図書館型生涯学習 「春採湖=土に刻まれた京都・近江を読む230911」。次回は11月に予定している。
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明治初期、地方名望家の献金、投資、委任 辞令+感謝状が伝承文書の25%230920
明治初期、地方名望家の献金、投資、委任 辞令+感謝状が伝承文書の25%230920

 起業地に移管されて保存の商家経営文書は103点ある。うち辞令、感謝状は25点で四分の一弱の比率。
 文書25点は開拓使が発行した文書で函館関係が14点、釧路国関係が11点の内容となっていた。
 うち釧路関係を表に示すと、辞令3点に「感状」とだけある感謝状相当が8点なのだ。
 
 辞令は「漁場持」委任、「釧路郡白糠郡戸長」取扱、「釧路郡白糠郡川上郡阿寒郡足寄郡 訴書願届可申出候」の三件。
 特に最後の一通は意味を把握しがたい。案ずるところ「居住者と移住者、つまり五郡在住者の<身元引受>かと」理解するところ。

 感謝状は8通。一目するに献金&蓄財負担に関係するものが7件。
 うち、「奇特」とある文書番号95は「米町橋梁修繕費之内金三円寄付候段奇特ニ候事」。
 また文書番号94では「釧路国第一病院設立二際尽力候段奇特二候事」の内容。

 総じて「民生救恤」の領域で、多くの金銭的負担を引き受けることになった。
 「(聞名寺 前身を含め)寺院」「(丸太学校&日進)尋常教育」「公立病院」「電信施設」。
 地方名望家の役人に頼られる側面。ほかにも弁天神祠の分請、移住者招募=638人、米町通道路施工も、その業績ながら。、
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仏舎利塔
 用地の選定・交換、設計・意匠担当の選任、浄財勧募 「造塔一工夫 釧路仏舎利塔」130819

 このマチで「仏舎利塔」といえば、釧路市城山に建立された釧路仏舎利塔。
 2013年は築後、54年目にあたり補修工事が行われていた。
 8月17日午後、釧路短期大学で「聖地・聖蹟、仏舎利塔からのメッセージ」と題する講話を担当。

 「造塔一工夫」という観点に、建設時の関係者による努力の紹介と<どうして、仏舎利塔を建てることになったか>・そこをめぐって話をさせてもらった。

第一は用地の選定と用地交換。
そもそも釧路市側に、千代ノ浦方面から旧弥生中学校への通学道路に陸橋をかけるため、適地に中村水産所有地を選んでいたという経過があります。発願者の中村小三治翁は熟慮のうえで、代替地案を示した。「お供え山のすこし奥」にあたる地、そこと交換することを希望した。

 第二は、設計と意匠をめぐってその担当者を選任し、「これぞ」という方に引き受けてもらうこと。
建設会社を通じ、奈良七大寺の研究で「わが国随一」とする横浜国立大学工学部教授の大岡実博士を紹介されるも固辞された経過が知られている。「これから勉強しながらでもよかったら」(386p)。引き受けるときの博士の気持ちが、『炎の人-小三治一代記-』紹介されている。

第三は、建設費として浄財を募集すること。「釧路仏舎利塔奉賛会」という組織がつくられました。市民から浄財を募集する核となる団体。各宗寺院のご住職が「顧問」となられ、浄財募集のため水産界・繁華街を中心に、実に戸別訪問を重ねたとされている。

釧路仏舎利塔は<地ならし>から<基礎工事>、<高所作業>。<僧侶の方が、モッコをかつぎながらの土木作業>、文字通りの<手作業>のうえに、昭和34年8月に落成し、慶讃する法要が営まれる。世にいう竣工、完成のときだ。

《「造塔一工夫 仏舎利塔」》。2013年8月19日 地域コミュニティ放送=FMくしろ局の「釧路歴史探訪」で15分間。
釧路仏舎利塔が設けられるにあたり、そこにこめられた当時の関係者による苦心をたどってみた。
のちに城山モシリヤ学コミッション調査役をつとめる佐藤 宥紹が担当した。
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戦後、新憲法理解の金字塔 札幌地裁 福島重雄裁判長=1973年長沼ナイキ訴訟判決
 戦後、新憲法理解の金字塔 札幌地裁 福島重雄裁判長=1973年長沼ナイキ訴訟判決

 「自衛隊は違憲」 長沼判決50年。道内配布紙は9月7日付け朝刊5面で報道。「憲法判断 避け続ける司法」の見出し。
 評価は「日本の裁判史上で唯一、『自衛隊は憲法違反」と判断した長沼ナイキ訴訟の一審札幌地裁判決」につきる。
 早稲田大学法学学術院の水島朝穂教授(憲法学)は、「自衛隊の違憲判決は存在するが、正面からの合憲判決は存在しない」と評している。

 福島重雄裁判長。
 1930年生まれ、53年に京都大学法学部を卒業して法曹界に。判決の時は43歳。
 入学は旧制ながら、卒業時には新制大学に移管ということか。
 『あたらしい憲法のはなし』なる解説書があったが、新憲法をGHQや政権こぞって普及&定着に躍起な時代に大学教育。

 紙面に続ける。「訴訟の初期に札幌地裁の右陪席裁判官を務めた木谷明弁護士はそう証言する」と、次の見解。
 「自衛隊が違憲ということはある意味常識だった。意見判決も十分予想できた」。
 判決後、福島裁判長は東京地裁で手形処理の担当に。いわばでもなく、誰の目にも「左遷」の扱い。郷里に近く富山、福井の家裁、簡裁裁判官に遇された。

 地裁判決に先立ち、地裁所長は部下の部長判事に書簡を送ったことも事件化された。「国の判断を尊重すべきだ」。そう記載あった、と。
 三権分立が形骸化。司法の独立、裁判官は「良心にのみ従う」。教科書に書いてあり、授業で教えていたことが、通じない展開。
 今や「憲法と法律の上下関係を知らず」としか言いようのない政治家。それは「一般法と特別法の違い」を知らない総理を、「歴代最長の在位期間」に据える滑稽さ。

 1973年長沼ナイキ訴訟判決。戦後、新憲法理解の金字塔。かくして長く、記憶されるべきではないか。違うのであろうか。
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岡山 釧路 タンチョウ
 ●北海道東部開拓と岡山県人 2022年04月10日(日曜日) 『財界さっぽろ』社長オンライン記事
総論 1876(明治9)年から1922(大正11)年まで、合計4128戸の岡山県人が北海道に移住しており、とくに道東、道北の極寒の地で開拓に挑まれました。
以下1)十勝国幕別町、2)網走国佐呂間町、3)同小清水町に岡山県民の集団移住あり。

1)1897(明治30)年に中川郡白人原野(現:十勝管内中川郡幕別町、帯広の東隣)へ2団体が入植。「白人」は「ちろっと」と呼び、現在は幕別町に編入。
2)1906(明治39)年に常呂郡サロベツ原野(現:オホーツク地方常呂郡佐呂間町)へ。
3)さらに1915(大正4)年、斜里郡小清水町(現:オホーツク地方 斜里郡小清水町、網走市に隣接)にもそれぞれ岡山県農民が集団移住。
 結果、芝ザクラの名所として知られるに至り、隔地は林業と酪農の盛んなまちに発展。結果、芝ザクラの名所として知られるに至り、隔地は林業と酪農の盛んなまちに発展。

4)オホーツク振興局の北部、上川管内に接したところにある滝上町=たきのうえちょう。
 滝上町には1909(明治42)年=第一団10戸、その翌年に第二陣8戸、いずれも金光教信者による「金光団体」18戸が団体入植。いまやこの地は芝ザクラの名所。

●財界さっぽろ 社長略歴 1943年留萌市出身。66年小樽商科大学卒業後、日本NCR入社。取締役流通システム事業部長、同産業システム本部長などを歴任。米国本社にて延べ6年間勤務。2000年「舟本流通研究室」代表として流通システム標準化に取り組む。06年財界さっぽろ代表取締役就任。翌07年11月より「社長ブログ」の連載を開始する。小樽商科大学経営協議会学外委員、北海道日中経済友好協会副会長

●十勝国中川郡池田町
 北海道にアイヌ語に語源をもつ地名が圧倒的に多いところ、「池田町」の自治体名、JR北海道「池田駅」の名があるも、こちらは鳥取・因幡の池田家由来。
 池田町の名前の由来は? 地名の由来 北海道では珍しくアイヌ語の地名ではなく、明治29年に鳥取藩主の池田侯爵によって、本格的な開墾が始まったことに由来しています。

●タンチョウが縁で岡山市と釧路市は 「タンチョウヅル2羽 釧路市へムコ探しに」
 中国から贈られたタンチョウが雌同士であったため、釧路市に贈られ新郎を見つけることに。うち一羽は病死したが、一羽は3年4か月後にツガイを構成して岡山に帰る。以降、子孫が誕生し、「日中友好のシンボル」に。また釧路市と岡山市は、「友好親善都市」となり、2019年に27回目の相互訪問団が交流している。
 https://www.city.okayama.jp/0000002311.html

「岡山と北海道東部 そのつながり」とお尋ねがあって、しばし時間を230906
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「ヘタでいい、ヘタがいい」など 七ケ条 山崎瞳講師「絵手紙」=釧路シニア大学10期生9月第一講座
 「ヘタでいい、ヘタがいい」など 七ケ条 山崎瞳講師「絵手紙」=釧路シニア大学10期生9月第一講座

 1)「ヘタでいい、ヘタがいい」
 2)ぶっつけ本番
 3)お手本なし
 4)・・・・・・・・。
 5)・・・・・・・・。
 6)・・・・・・・・。
 7)・・・・・・・・。

 「・・・・・・・・。」は受講してのお楽しみ。さりながら、受講の方は大いに、楽しまれた。
 「中学で絵をかいて以来です」のお方を含めて、「センスの不足をしみじみ実感、しかし、楽しさに魅了されら」。
 「先生の作品講評、実に、褒めてくださる言葉が豊富」。

 担当は、釧路市在住の山崎瞳氏、日本絵手紙協会公認講師で、釧路刑務所篤志面接委員。
 終了後、頂戴したメッセージ。「皆さん熱心に耳を傾けてくださり、初めてとは思われない作品の出来映えに感心いたしました」。
 受講者47名。記憶によれば9期生の第2年次講座で、担当していただいたようにおもうけれども。写真は頂戴のお名刺、その裏面。
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「ホンモノをうんとたいせつにする人に!」。 昭和59年4月『学級つうしん 第一号』厚岸町立上尾幌中学校
 「ホンモノをうんとたいせつにする人に!」。 昭和59年4月『学級つうしん 第一号』厚岸町立上尾幌中学校

 小学校から中学への進学。新一年生に予定されていた娘のところに送られてきた昭和59年4月『学級つうしん 第一号』から。
 4カ条の教育姿勢が明示されていました。2の項目で、「ウソとホンモノをきちんと見きわめ、ホンモノをうんとたいせつにする人に!」と、承けていた。
 発行された担任の先生は、書家としても地域の敬意をあつめておられた。

 贈られた当人は、中国地方の都市に住む。
 「みんな、処分して」。部屋いっぱいの本、模試問題、小学校からの日記、記録ノート。
 処分する段になって、封書の一通。開封してあったから、読ませてもらったことには相違ないので、あろうが。

 「ウソとホンモノをきちんと見きわめ、ホンモノをうんとたいせつにする人に!」
 願わくは「お手頃の価格の売れ筋商品」にばかりに、目をうばわれることなく。
 「ウソとホンモノをきちんと見きわめ、ホンモノをうんとたいせつにする人に!」

 家族5人の健康と成長を設計する立場。強く心して欲しい、モノながら。
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記録
 1940&60年にピーク 石炭&国有林で築いた地域 釧路国厚岸郡上尾幌

 『鉄道が生んだ街 六十五年の記録』に掲載、「上尾幌の石炭のでた量、及び人口、児童数の移り変わり」。
 第二次世界大戦のさなか。太平洋炭礦の「尾幌一坑」&「尾幌二坑」と称された時代は、石炭が2万8540トン、人口が5000人ほどで、小学校児童数は700人を超えた。
 高度経済成長が言われた1960年前後。出炭量は2万7000トンを記録したが、人口は2223人で、児童数は400人前後。

 1940年、街には各種の商業、サービス業が軒を連ねた。
 いま、関心をもっているのが蹄鉄業。安達、宮城島、葛西の三店。
 馬追と呼ばれた飼育&運送業者は小野正男、越智清、菅村二郎、、安部十四三、開拓地に居を構えた川内、加藤、相庭、畑、三浦、久松、千葉、貝塚、小林などなど。

 国有林の一部をさいて食糧緊急確保で開拓農業協同組合が組織されることになったので、北海道は試験施設の「混牧林」の役所。
 ほかに、木炭などの品質管理を担当する「林業試験監督署」もお目見え。もちろん鉱山保安監督署の出張出先に、町役場駐在所。
 日本赤十字病院の出張所(のちには道立の診療所)、石炭・木材の運送を担当する日本通運支所。

 はたまた木工場は小黒、久田、葛西。苗畑は荻原幸治氏。
 家具建具の葛西、桶の佐藤、下駄の笠島、ブリキトタンの館山、宮武新聞店、金物店は加藤で薬局は笹井。
 米・酒・たばこは阿部、石川、尾高。雑貨は川内、菅村、須佐。衣類は菅谷、上藤、せんべいは入江、トーキビドンの畑(のち釧路で畑呉服店)。
 子どもの駄菓子で畑、能勢、松尾。一杯屋に水連、つたや、小森ラーメン店。魚屋は佐藤で、洋服店は佐藤&関

 9月下旬。お話を聞かせていただく、土地の方に。
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ひとりで生きる みんなで生きる 作家・若竹千佐子 初回放送日: 2023年9月3日
 ひとりで生きる みんなで生きる 作家・若竹千佐子 初回放送日: 2023年9月3日

 人間が一人になっていく契機は、さまざま。
 親からの独立、離婚、死別、子の夭折。望んで独りだち、望まぬして当面する<現実>
 人は「独生 独死 独去 独来」とは申すも。

 出演は作家の若竹千佐子氏。『おらおらでひとりいぐも』の作品がある、そうで。
 家族の形態、家族の機能。

 (以下、番組案内)
2018年に芥川賞を受賞した作家の若竹千佐子さん。作品には自らの人生が反映されている。自己を深く見つめる若竹さんの創作を通し、老いや孤独との向き合い方を考える。

2018年にデビュー作『おらおらでひとりいぐも』で第158回芥川賞を受賞した作家の若竹千佐子さん。作品は、専業主婦として暮らすなかで抱えてきた葛藤や最愛の夫との突然の死別から立ち直った自らの経験がベースとなっている。その若竹さんが新たな作品の舞台に選んだのが、出身地である岩手県遠野市。自己を深く見つめつづける若竹さんの創作を通して、老いや孤独、生死の問題とどう向き合って生きていけばよいのか考える
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国有林&炭鉱 鉄道でその開発が進む典型地域 上尾幌自治会編『鉄道が生んだマチ 六十五年の記録』1983年3月
 国有林&炭鉱 鉄道でその開発が進む典型地域 上尾幌自治会編『鉄道が生んだマチ 六十五年の記録』1983年3月

 釧路駅からJR北海道の花咲線で東へ26キロ付近。駅に近接して往時は人口5000人を擁した集落がある。
 中学校校舎が改築移転し、へき地保育所が独立した施設を建立するメドがたったタイミング。
 その時点でB5判 48ページの集落誌が出版された。

 「上尾幌市街の景観」「上尾幌郵便局集配区域図」「大正8年 上尾幌市街区画図」
 「豊栄区 住宅明細図」「日東炭鉱 住宅明細図」「上尾幌の石炭のでた量、人口、児童数推移」「上尾幌駅 近隣住宅明細図」
 それぞれⅠページを充てるエネルギーのそそぎよう。

 大正6年12月1日の上尾幌駅開業から65年。釧路市史編さん員などの経歴をもつ佐藤宥紹が編さんしている。
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鎌倉新仏教に三段階&三課題 高木豊述「日蓮―鎌倉仏教の諸問題」881215
 鎌倉新仏教に三段階&三課題 高木豊述「日蓮―鎌倉仏教の諸問題」881215
 
 鎌倉新仏教に三段階
 1)法然・栄西、2)親鸞・道元、3)日蓮・一遍。
 それぞれに共有する<時代認識>を背負っていると、説明を始める。

 その共有する時代認識と空間認識をこれまた三課題として示す。
 4)「片州濁世」や「末代辺国」と表現する「末法思想」の時代。
 5)修行僧らが「闘諍堅固(とうじょうけんご) 互いに自説を主張して譲らず、争いが盛んな状態」に、武士社会に根強い「無常観」の広がり。
 6)天竺=インド、震旦=中国、本朝=日本と伝承する「(仏教的)辺土=辺境」の意識。

 そこに親鸞=専修念仏、道元=只管打座、日蓮=唱題目の信仰を提示。
 それはインド発仏教とは、ある意味、異質ともいえる哲理・教学・思想を樹立した、と。
 ここで二話構成の第一話が結ばれる。第二話は「人間の肯定」に始まり「日蓮とその時代」。

 立正大学文学部教授でのち、立正大学副学長を務めた高木豊氏「日蓮―鎌倉仏教の諸問題」(国立教育会館編『教養講座シリーズ 43』 1982年12月初版)から。
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