2020年09月の記事


国民の気がつかないところで 時論公論nhkG200929
 国民の気がつかないところで 時論公論nhkG200929

 「行き詰まる原発輸出 原発政策見直しを」 解説委員 水野倫之氏担当



 ポイントの一は、
 「海外で原発発注、あいつぎ撤退」。インドで、イランで、イギリスで。

 ポイントの二が、
 「日立、東芝、三菱重工」。民間事業を政権が後押し、懸命に海外セールス。

 ポイントの三に、
 「開発技術者の高齢化」。人材確保が困難に。

 原発プラントの開発経験者の年齢が40歳台から50歳台に上昇。高齢化進行。
 志願者も激減、「廃炉プロセス」の担い手不足にも。

 2011年福島原発。
 法令上の稼働可能期間=40年が相次ぎ経過。
 稼働休止が54基かと、うち再開は9基だっだ?。6分の5が見直し中。

 紹介された図版が魅力的。
 しかし、こうした重要な情報が午前4時50分から午前5時の時間帯で、放送。

 内容は「解説委員室ホームページ」で紹介とあった。

 番組直後には、まだアップされていなかった、が。

(番組案内)
 日立製作所は英国での原発計画から撤退を決定。
 東芝、三菱重工に続き原発輸出が行き詰まった。
 菅政権は原発政策を継承するとみられるが、今後安全に原発を推進できるのか?。
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継ぎ、次と出現=プロのワザ師 「ニッポンぶらり鉄道旅 東急池袋線」nhBS3
 継ぎ、次と出現=プロのワザ師 「ニッポンぶらり鉄道旅 東急池袋線」nhBS3



 [NHKBSプレミアム] 2020年10月01日 午後0:30 ~ 午後1:00 (30分)に再々放送。

 「就活写真を追求」
依頼者の女子大生に「ソフト?、それともハード?」(求人職はお堅い仕事か、それともソフトな職種」かと尋ね、学生は「芸能マネージャーです」。
 「そうか」と言って、角度に笑顔のポイント。つまり「求める人材のニーズに沿った<出来上がり>を想定して撮影」。
 多数の画像からお好みを選ぶ。

「拍手するだけのロボット」「犬猫以外の動物診療所」「(相撲の)ライブペインティング」

 「オーダメード和菓子」。
 職人は「注文があるから存在意味をもつ」「勉強させてもらっている」の弁。
 ユニークな和菓子店は、「日々精進」「お客様に育てられる」。
 なにやら江戸の職人紹介ながら、さながら京都職人の<思い>彷彿。

「大田区ゆかりの食材を使う焼きそば」の<ご当地ぐるめ仕掛け人」。

 どうですかー。若者にぜひ見てほしい、継ぎ、次と出現=プロのワザ師。そうではないですかー、「ニッポンぶらり鉄道旅 東急池袋線」nhBS3200926
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継ぎ、次と出現=プロのワザ師 「ニッポンぶらり鉄道旅 東急池袋線」nhBS3
 継ぎ、次と出現=プロのワザ師 「ニッポンぶらり鉄道旅 東急池袋線」nhBS3



 [NHKBSプレミアム] 2020年10月01日 午後0:30 ~ 午後1:00 (30分)に再々放送。

 「就活写真を追求」「拍手するだけのロボット」「オーダメード和菓子」「犬猫以外の動物診療所」
 「(相撲の)ライブペインティング」「大田区ゆかりの食材を使う焼きそば」の<ご当地ぐるめ仕掛け人」。

 どうですかー。若者にぜひ見てほしい、継ぎ、次と出現=プロのワザ師。そうではないですかー、「ニッポンぶらり鉄道旅 東急池袋線」nhBS3200926

 (以下、番組案内)
 <五反田>では、会ってみたいと思わせる就活写真を追求する創業91年の写真館へ。
 <荏原中延>で見つけた「拍手ロボット」、10年間も研究開発を続けた男性の思いは。
 <長原>では、客の話からオーダーメードで作られる和菓子の心を。
 <雪が谷大塚>で出会うは、犬猫以外の動物すべて診療しようという獣医師。
 <池上>では、相撲を描き続ける日本画家の「ライブペインティング」を。
 番組最後の「鉄道グルメ」は、大田区ゆかりの食材を使う焼きそば。
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神謡=「特殊で優れた口承文芸」 北道邦彦著「4.まとめと検証
 「アイヌには文字がない」ことと考える研究者がいるも、これはたいへんな思い違いで「思い上がり」とする著者。 「叙事詩は文字を使わないからこそできる芸術です」(152p)。



一つの転機があった。
1963年3月、東京・池袋の百貨店で開催された「アイヌ文化展」を見学.
列品されていた「うず高く積まれていたノートの前で動けなくなってしまいました」。そう、回想する。

 「(大学ノートにギッシリ書かかれた)それらの叙事詩がそっくり(註 金成)マツさんの頭の中に収まっているからだと考えたからです」(153-54p)。

 著者はその4月から勤務先の高校生に語りかけたと。 
 「文字をもたない言語の人たちの記憶力のすごさについて、生徒たちに語り聞かせたものでした」(同)。

 神謡の伝承者を、
 1)「そっくり暗誦しているということではないのです」
 2)「母や祖母を師として訓練された『歌い手』」
 3)「早いComposition をこなすことができるようになった歌い手」
 4)「自在に語ることのできる能力」をもち、
 5)「文字に頼る民族には考えられない特殊で優れた口承文芸」

 神謡=「特殊で優れた口承文芸」 北道邦彦著「4.まとめと検証」 『アイヌの叙事詩』から(北海道出版企画センター 北方新書015 2012年)
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当面は6、できれば12<物語創造>。資源を生涯学習deのために活かす道200924
 当面は6、できれば12<物語創造>。資源を生涯学習で活かす道200924。



 『北海道新聞』は9月22日からその3面に「夕張」を取り上げている。
 「発信 地域から」欄で、「コンパクトシティ目指す町で」の3回シリーズ。
 「再編計画 住民の絆尊重」「地区活性化 懸命に模索」と続く3話目は「炭都の誇り 継承に知恵」。

 そのプログラムのめざす到達点の一つに、「『石炭歴史村』活用を」と提案する。

 その記事の趣旨は掲載写真の通りである、が。
 「石炭歴史村」がどのような施設、資源であるかは記載しない。その指定管理者代表は、以下のように述べている。
  (吉岡宏高理事長談)「これも観光資源なのに」。

 続けて、記事は書く。
ドイツの旧炭鉱施設が観光活用されていることなどを挙げ、炭鉱遺産を生かした地域再生を図る動きが世界的に広がっていると説明。(同氏(「歴史村も炭鉱閉山後の夕張の歩みを伝える“負の遺産”として活用できる」と提案する。

 近く小型無人機「ドローン」で歴史村周辺を空撮し来館者に公開する予定だ。

 企画記事を読ませてもらい、いくつかのことが念頭にうかんだ。
 1)首都圏や関西圏から夏の暑さを避けて来訪する短期滞在者の方は申す。

  「地元のヒトは地域で、どのような愉しみ方を楽しんで日常をすごしているのか」「その内容を知って、一緒に楽しみたい」。

 2)動物園の展示物も、博物館の展示物も、いつ行っても同じ資料が列品されている。
 動物園は何度見学しても楽しめるが、博物館は一生に一度行くと、もう行かなくても良い。

 3)観光資源を造るなら予算がつく、しかし一生に一度、それも「ちょっとの時間を見学」のヒトのために投資するのは、観光客がお金を落としてくれるから。

 識者は申される。「魅力ある観光資源の開発を」。
 地元民は知っている。「<魅力>を造らねばならぬが、どう造るか苦労している」

 そのとおりであろう。そこで思う。「いつ行っても変化のない=展示物」。
 そこに、「当面は6、できれば12<物語創造>」。事柄は、そこから<始まる>ではない、か。
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紙一重、その折り合いを生かされる-俳諧愛する方へ寄せて-
 紙一重、その折り合いを生かされる-俳諧愛する方へ寄せて-

 1)俳諧=地域の付加価値を可視化してくださる

   刀禰無句 句碑 幣舞公園 「出船いま 大夕焼の 只中に」
   高浜虚子 句碑 米町公園 「燈台は低く霧笛は欹(そばだ)てり」
啄木歌碑群 27基

 2)句碑巡遊で<理解者>を拡充と深化できまいか

   賢明にして懸命な努力にかかわらず、「理解できない」が増加しているのでは。

   20110908 「天声人語」欄で「初めてみた、読めない、意味が不明」を塗りつぶすと
   歌舞伎で音声ガイド装置、英語のスピードランニング。
   「京都」番組の視聴 <自らを鍛える>の同世代が生き抜いている

 3)文化・経済・健康=文化で地域を創る第一歩

   伊賀市に「翁の道」
   松山市に子規没後50年から「俳都」創設 「ことばの文化課」に「教育・文化、観光・経済、健康・福祉」
 
 ※「他人は変えられないから、自分がかわる」 水俣再生、網元の母さんの決意。

 ※<新しい生活様式>の到達点に、「自分を変える、構造的に理解する、多様な情報発信」。
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句碑500基 松山鮓 遍路おもてなし 「松山」=新日本風土記
句碑500基 松山鮓 遍路おもてなし 「松山」=新日本風土記 200918午前8時再放送



 「俳都」の所以
 1)小学生は年に百句目標、2)高校生は俳句甲子園、3)大人は「俳句バー」で一句。4)市内に99ある俳句ポスト、5)句碑の数500基。
 
 「俳都」に至る道
 6)江戸=殿様お好き、宝井基角抱える、7)近代=正岡子規が道後温泉を愛する、8)子規庵保存、9)没後50年を期して「俳句によるマチづくり」、10)「ことばの文化課」&「俳句甲子園」

 「俳都」の到達点
 11)教育・文化、12)福祉・医療、13)経済・観光

(番組案内)
俳都と呼ばれる松山。
自慢は、近代俳句の祖・正岡子規や夏目漱石も愛した道後温泉に、瀬戸内の幸をふんだんに使った領土料理「松山鮓」。
夏、全国の高校生が集結し、俳句甲子園で五・七・五の熱い言葉のバトルを繰り広げる。
▽夜は、俳句バーで一句。いまも昔も俳句道楽が集っての俳句談義
▽息づくお遍路さんをもてなすお接待の心
▽なぜ松山で俳句が盛んに?
▽知的で優しさあふれる町、松山の夏の物語。(2019年放送)

44番菅生山 大覚院 大寶寺から45番札所 岩屋寺までの道のりは「距離:10.5km時間:2時間12分」。
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「危険との共生」から<神々との物語>誕生 江の島詣200921
 「危険との共生」から<神々との物語>誕生 江の島詣200921.

 江の島詣で。江戸の女性達が提案した、「是非とも行かねば、是非、行ってみたいの<物語>」。

 縁談。
 愛する娘の生涯にふりかかる危険、危惧、災難、発病。

 安産。
 女性にとって母から預かったDNAの相続は一大事。苦痛も危険も逆子も母子健全は、人生の最重要案件。男性にまかせておけない。



 http://enoshimajinja.or.jp/gosaijin/  江島神社公式ホームページの紹介

 奥津宮 相模湾を臨む岩屋=龍神伝説発祥地に一番近い
  多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)
  三姉妹の一番上の姉神で、安らかに海を守る神様

 中津宮 853年に慈覚大師(じかくだいし)創建
  市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)
  石燈籠からは、江戸時代における商人・芸人・庶民の信仰の深さをうかがい知る

 辺津宮 1206年=将軍・源實朝(みなもとのさねとも)創建
  田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)
 海の神、水の神の他に、幸福・財宝を招き、芸道上達の功徳を持つ神。

 江戸時代は女性が2泊3日はかけて江戸~江の島を往還。
 近代は海に生きる漁業者が資源持続、豊漁と操業安全を祈る。
 現代は湘南の海岸でサーフィン、プレジャーボートを操るヒトが祈る。

 根底に息づく「危機管理」「安全・安心」の祈祷と報謝。
「資源持続」に寄せる「思い上がり」の邪気一掃。
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上方で年明け。2003年の幕開け
 上方で年明け。2003年の幕開け。030101で外付けデスクを検索したら。

 030102の項目でヒット。1に京洛の竹林、2にそこから足をのばした念仏寺、3に大堰川の段差。



 31日の伊丹空港入り。淀橋界隈の宿泊で、夕方は大阪城に。
 聖子ちゃんのコンサートを待ちわびる長蛇の列を尻目に、夕食の席探しに苦心。

 1日は京都めぐりとUSJめぐりにわかれて、時間をすごす。

 本願寺、嵐山、ひばり博物館、竹林、二尊院、念仏寺、京都駅、大阪。

 竹林では新任の車引きさん。車を引きながら案内台本の暗記。正月そうそうと、前歴をおもいめぐらしながら。
 ガイドの運転手さん。「天皇の名はすぐに覚えた、しかし内親王、皇后の名はいつになっても覚えられない」。

 2日。新大阪駅から神戸へ。この日は神戸行きと再度USJ班にわかれて第3日。
 神戸では震災跡地をめぐり、宿は神戸ユートピアエリアのホテル。

 3日。関西空港発便で帰宅の途に。
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知人 語源は「シリ・エト」 北海道東部
 知人 語源は「シリ・エト」。シリエト°[sir-etu] 岬 シリ=陸地 エト°=鼻、先 地名例 知床(北海道)。



 命名の由来について述べる。
 「旧名知人と称し現今漁民の居住する者多く」
   「太平洋炭礦株式会社の貯炭場、築港事務所並に其工場等も此の地域にあり」
   「臨港鉄道は此の地区に環状線を書いて中央を貫通する」
   「西部港内に面し37万余円を投じて築造したる市営埋立地(昭和8年中売卸)がある」
   「岸壁には2,000噸級1、4,000噸級1、6,000噸級1の船舶を同時に繋船し得る設備があり臨港鉄道会社の経営になっている」
   「又南防波堤上に太平洋炭礦会社経営に係わる電力応用自働運転の運炭軌道と高架桟橋等が有て石炭荷役は頗る文化的と謂われて居る」
   「本地区は釧路岬燈臺の所在地であり名所旧跡頗る多きを以て旧名を尊重し知人と命く」。(昭和7年8月)。

 貯炭場、石炭輸送鉄道、南防波堤。
 写真に撮影の光景は「近代=石炭」。そして洋上の白い波は岩礁に波打つ景。北海道東部、物流拠点港の景観。
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舞台裏で 「ジャパンライフ-桜をみる会-前総理」200918
舞台裏で 「ジャパンライフ-桜をみる会-前総理」200918.

朝のnhkGニュース。「ジャパンライフ 元会長逮捕」「被害額2000億円か」の報道。



<この事業者、桜をみる会と関係?>。
 ネットで調べてありました、よ。話題になっていた当時は「被害額1800億円」と。

 「個人としては面識がない」。しかしありましたかねー、「公人として」。
 なんでもお父上の時代に、ともに外遊の仲、と報じられています。

 家宅捜索があって、ややしばらく。「総辞職した翌日かの逮捕、翌々日朝の報道」。
 舞台裏でなにが?。

 同じ時刻にテレビの画面。
 「白煙に励まされて」。新日鉄釜石は、高炉からで出る白煙が市民もラガーも励ます、「モノつくりのシンボル」。
 「創る」がいかに困難なことを示す、一コマ。

 人とヒトとを結ぶ政治と、そこに介在する政治家。夢を用意し、巧みに人心をまどわし、一儲けを考えた事業家。
 総理招待の画像を駆使して、募金者を集めた。そう、報じられたこともあったが。

 舞台裏で 「ジャパンライフ-桜をみる会-前総理」200918。

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​国、郡、自治体名の語源 「クスリ」「クシュ・ルー」の成立と記憶
​国、郡、自治体名の語源 「クスリ」「クシュ・ルー」の成立と記憶。
 「ラジオで聴く76.1MHz 道東文化塾2020」の「5.釧路川文化論」講座。



 1)10月12日:「釧路の語源」 
 A.寛永20年記録で「クスリ」表現とその意味 
 B.「くすり乃たけ」権現とその対象。
 C.佐藤直太郎「クスリ=薬 温泉説」
 D.松浦武四郎「クシュ・ルー=越し・路」
 E.東蝦夷日誌「富国繁盛の地」 
 F.釧路国名ノ儀ニ付申上候
 G.釧路郡ノ儀ニ付申上候

 2) 10月19日:「釧路川変革期」
 A.貫誠社 香川県移住 
 B.牧場開設と森林伐採 
 C.釧路川の中州と阿寒川 
 D.釧路川・阿寒川洪水 
 E.市街地冠水 
 F.釧路川切り替え 
 G.釧路川切り替え
  
 3) 10月26日:「森里連環学の舞台=釧路川の環境と文化」 
 A.岡崎由夫筆「釧路湿原ダイヤグラム」 
 B.縄文海進と東釧路貝塚 
 C.更科源蔵「原野の詩人」
 D.町名・地番改正 材木町・古川町・新釧路町 
 E.『森と湖のまつり』 
 F.『挽歌ロード』
 G.コンクリートのないダムと森里連環学で釧路川
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支持基盤 『北の話 北海道を旅する鉄道』1963-97年
 支持基盤 『北の話 北海道を旅する鉄道』1963-97年。

 著名作家の投稿
 城山三郎・吉村昭・八木義徳・原田康子・三浦綾子に高城高(たかじょう・こう)。「さまざまな書き手が名を連ねる」、と。


 作家と詩人の夫妻

 「1963年〜97年、作家の八重樫實さん、詩人の津田遥子さんの夫妻が隔月で発行した」とも。

 持続の理由
 (札幌在住の)高城高氏が語ったか。「手軽に読める雑誌に一流作家たちがちゃんとしたものを書いてくれた」。
 「文化的なものとして喜ばれたし、ためになりました」。

 志し高いが酒好きな作家
 紹介は、その一文から始まる。「この雑誌は、原稿が着いたという文面とともに卓球のスマッシュボールが打ち返されてくるように、気持ちよく稿料の現金封筒が届くのが魅力なのだ」(川崎彰彦著「夜がらすの記」より)。
 (渡辺創著「雑誌『北の話』 「今日の話題」 『北海道新聞』200911 夕刊 一面)

 それだけではあるまい。
 1)読者の評価と反応、2)A5判約70ページを通巻202号まで支え続けた購読者、3)活字からイメージするを「愉しむ」識字層の存在。

 中央の作家も育て、道内に読者を広めた「小紙の大きな付加価値」と申すべきか。
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無気力・無関心・無責任+無感動 三無主義=1970年頃
 無気力・無関心・無責任+無感動 三無主義=1970年頃

 さんむ‐しゅぎ【三無主義】 の解説。辞書に申す。
 「無気力・無関心・無責任の若者気質をさした語」。
 「昭和45年(1970)ごろから使われた」。
 「これに無感動を加え、四無主義という。→しらけ世代」。



 そうであった、か。ではなぜに昭和45年頃?。
 契機は「安保騒動」と=http://www.uenolog.info/kotoba/01kotoba141.html

 60年安保は結果として、
 「何をやっても変わらない」。
 「やってもやらなくても一緒」。
 「自分が動かなくても世の中は変わらない」みたいな風潮も生まれ、と。

 「同時に、この『無気力、無関心、無責任=三無主義が生まれた』みたいなことを先輩から聞きました」、とも。

 その60年。
 「性差分業別社会」という言葉も生まれたではないか。
 「男親の職業教育」がなくなり「子育ての責任は女親に」とも。

 80年代。さらに加わった。そういうことらしい。
 「1980年代初頭には、三無主義に無責任・無作法が加わり五無主義と言われた」。

 そうですかー。「責任を痛感」。しかし責任など取った気配のない首相。
 「断腸の思い、憲法改正」。あまりに力をこめて改正の前に腸が耐えられなかった、か。しかし。

 「連日の会合、外食のメニュー」。「とても潰瘍性大腸炎再発とは思えない」の論も。
 懸念は河合案里議員が党本部からの選挙資金を白状したからではないか、と。表になりにくいネット情報に接したが。
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直正公がご祭神 『佐嘉神社由緒略記』
 直正公がご祭神 『佐嘉神社由緒略記』。明治6年の創建。



 「旧第十代藩主 鍋島直正公命」「旧第十一大藩主 鍋島直大公命」と冒頭に。

 「庶民の神」とその御事蹟を示す。
 「徹底した倹約令を施行」、「自らもその範を示し、一汁一菜を励行」
 「一切の衣服を綿服に改め」と。

 「救農の神」
 天保年間の事蹟。天保13年から20か年にかけ、「加地子納入延期令」を出し「均田制度を実施」。

 「学問の神」
 「産業開発の神」
 「交通・文化の神」
 「開拓の神」
 
 「佐賀の七賢人」
 開拓の神。そう信奉される直正公を軸に、大隈重信、江藤新平、佐野常民、大木喬任、島義勇、副島種臣を「佐賀七賢人」とする。
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「与」「馬」「丑」に注意 『寺院御建立以前之過去帳』の記載。
 「与」「馬」「丑」に注意 『寺院御建立以前之過去帳』の記載。

 史跡国泰寺跡の僧侶が、択捉、国後、根室、釧路、十勝に赴き、法務を執行した記録が残されている。

 最初の一点は、『寺院御建立以前之過去帳』。『過去帳』は寺院用と在家用があります。
「寺院に所属していた故人を記す」るデータであり、「身分、生前の事跡などが詳細に記述」されている場合もあります。

 紹介した部分の冒頭は、「文化七年庚午五月 先年久奈尻騒動殺害ニ逢ふ。来未年廿三年取越回向人数」と記載のある部分から読み始めました。

 「文化七年」の次には「庚午=かのえうま」と記載があります。文書を読むときに、元号と年の次には「甲乙丙丁」の十干=じっかんと、「子丑寅卯辰巳」の十二支の両方、もしくはその一方が記載されることがあります。
 記載内容の<くずし字>の<くずし方>にクセがあっても、ここまで述べた原則を承知していると、記載事項の見当がつきます。

 最初に「五月十三日 ウエンペツ」とあります。つづいて9名の法名が記載されています。
 善倶信士 番人 馬蔵 良爾信士 陽与信士 智尊信士 良世信士 良直信士 圓持信士 良發信士
 宗忠信士  小頭 丑五郎 です。

 「善倶信士 番人 馬蔵」と「宗忠信士 小頭 丑五郎」の二人には名前が判明していたようです。
 その人名の馬も丑も古文書の初心者には難解です。
 は高の字かと思うし、丑は丞のようにも読めますが、いずれも「このくずし方は馬、こちらのくずし方は丑」と慣れる必要があります。

 なかでも「陽与信士」の「与」がここでは判断に苦しむところ。なかなかお目にかかることの少ない筆法で記載されています。
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厚岸町古文書教室17th 厚岸町海事記念館200912
 厚岸町古文書教室17th 厚岸町海事記念館200912。「ネモロ場所廻勤記録」を読みます。 

 新型コロナ感染症対応で「厚岸町ふるさと友の会」会員限定で開催。



 1)『御寺取建以前之過去帳』(抄) 2)『諸場所廻勤日鑑記』(抄) 3)『六代 日鑑記 義』(抄)。

 ポイントの1=寛政元年5月、クナシリ・メナシの戦いが発生します。
        事件の起きたその後を、国指定史跡国泰寺跡に継承される記録で、表現されている内容は。

 ポイントの2=江戸幕府が遠国経営のなかで創建した寺院。
        勤務する僧侶、その日常の一端に触れてみることにいたします。
        その任期中、使僧は年に一度、住職は年一回。
        「持ち場所」とする十勝、釧路は申すにおよばず、根室・国後・択捉に足を伸ばします。
        なにを営んでいたのでしょうか。

 ポイントの3=18世紀後半から、陸奥国下北郡北通=きたどおり、東通=ひがしどおりの農漁民が根室、国後に渡ります。
        それは一時なことではなく、江戸時代後期から明治前期に及ぶ特質です。当然、「親子」で共に蝦夷地に。
        それも具体的にあったこと。この点を資料を通じ読み解きます。

 担当は佐藤宥紹さん(釧路短期大学) 9月12日 午前10時ー正午 会場 厚岸町海事記念館 
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コア=診療、隣接=キュア、周辺=ケアのシステム200905
コア=診療、隣接=キュア、周辺=ケアのシステム200905
「『個』を超えて、ネットワークで結節の医療システム」ということか。



「治す」の段階から「支援する」。
医療費高騰のなかで「自宅療養」「自宅臨終」の方向。
「誕生」「療養」「死」を家族・近隣が見守り、医療施設で出産、闘病、臨終が外部依存に移行した、が。
そこから見失われた「生命」「尊厳」「厳粛」からも、「切り離されてしまった」と。

闘病者の葛藤。
「疾患の苦痛」「死の恐怖」「延命治療」「薬物投与」「副作用」「合併症」。
診療サイドにも「<治す>の限界」を意識。「緩和」「生きる意味」「生活の質」の「保証」に「視野が深化」と、言いたげであったが。

「癌が来てくれて、ありがとう」
「癌になったから、見えてきたものがあった」「気がつかずに一生を終わるところであった」。

コア=診療、
隣接=キュア(看護師、薬剤師、検査技師、栄養職員にソーシャルケースワーカー)、
周辺=ケア(家族、患者家族の会、聖職者)
患者=闘病者を軸に、「三角に括られるシステム」。

いつぞや手継ぎ寺院の住職が
「ワシは単身者、ご院さん、手術の保証人になってや、頼む!!」で、引き受けた例話を耳にした、が。
孤立死、孤独死にも立ち向かう「二人に一人が<おひとりさん>の時代」。

 200905 厚岸町
 「スピリチュアルペインに寄り添うケアを考える~在宅及び緩和ケアのソーシャルワーカーの立場から~」(8th ビハーラ講座 地域のお寺で聞くソーシャルワーカーの話~)。
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霜月は紅葉、師走は銀杏で、睦月は雪 「やまと七十二節季 nhkBS3」
霜月は紅葉、竜田川のモミジ。
 師走は黄色に色づいた銀杏が絨毯、奈良・十津川の「果無 はてなし 集落」。茶の花、軒先の熟柿とうける。
 睦月は雪、春日大社かの朱塗りの伽藍と淡い白雪の対比。 「やまと七十二節季 nhkBS3」。



 奈良在住の映像作家・保山耕一さんが撮影した高精細の映像と、ピアニスト・川上ミネさんが「百年ピアノ」で奏でるオリジナル楽曲。響きあう音と光で、季節を感じる映像詩。

 (平時は)[BS4K] の午後、2020年8月6日(木) 午後3:55~午後4:00(5分) で放送されているらしい。それを60分番組にまとめあげていようだ。
 「百年ピアノ」
 現在は奈良ホテル・ダイニングホールにある.
 奈良女子大学・奈良県立桜井高校・奈良ホテル。ピアノは県内各地で大切にされてきた。その復元過程の紹介も盛り込まれる。
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竹 辻が花 金網 京都の技術、京洛の職人「オトナの社会見学」。
竹 辻が花 金網 京都の技術、京洛の職人「オトナの社会見学」。



 受験勉強。いつのまにやら、それが学問の主流になってしまった。そうではあるまいか。
 しかし、違う世界が存在する。その世界では生まれたときから、墓場まで<自らを鍛える生き方>がある。
 それだけではない、「そこに敬意を寄せて、恒常的に投資」できる階層が存在する。
 そうした側面を垣間見させてくれた「オトナの社会見学 京都の美 究極の匠」。
 (番組案内)https://archives.bs-asahi.co.jp/otonano_syakaika/prg_008.html  
「京都の美を彩る職人に密着」。 
「古都・京都の美しさを生み出すのは自然だけではありませ」。「むしろ、街並みや寺社・仏閣、そこに住まう人々がその美しさを生み出しています」 
「そして、そこには千年の都ならではの、職人の手技がありました」。
「『街の美』『女性の美』『食の美』とテーマに分けて職人たちの匠(たくみ)の技、伝統を受け継ぐための新たな挑戦を紹介」 
「誰もが知っているアレの裏側や、街でよくみるアレの歴史など、知的好奇心をくすぐり、これまでよりさらに京都の奥深さを知る」と。
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朱夏に白秋 四季の形容 「卓上四季」200831。北原白秋の名を聞くも。


 朱夏に白秋 四季の形容 「卓上四季」200831。北原白秋の名を聞くも。

 青春、朱夏、白秋、玄冬。
「春・夏・秋・冬の季節を人生と年代にあてはめた考え方」と。

 「月の最終日を尽日=じんじつ」。
中村草田男は「八月尽の赤い夕日と白い月」と詠んだ、と。
 古今和歌集の夏歌の最後。「夏と秋と行きかふ空の通ひ路はかたへ涼しき風や吹くらむ」とあるらしい。

 「ゆく夏に 名残る暑さは夕焼けを 吸って燃え立つ葉鶏頭」は、
松任谷由実さんの「晩夏」に、あるとも。

 末尾は、次で修飾される。 
「空は水色に、茜は紅に、歌詞の通り、空気は澄み色調がほのかに明るさを増す」 
「そんな微妙でやさしい変化は影を潜め、最近の気候は雨も風も荒々しい」、と。

 沖縄県に台風が接近。
北九州をかすめる予想針路。台風避難。
家に閉じこもり、難を避けつつ『1日誰とも 話さなくとも 大丈夫』(双葉社 2020年)を読む、か。
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