1982年の“淋しいのはお前だけじゃない”
夕暮れ。数年前に買って封も切らずに放置しておいた市川森一の“淋しいのはお前だけじゃない”がふとと観たくなった。埃をはらい、セロファンを破った。theearthのナレーション録りで西田敏行と仕事した折り20年近く前の市川の傑作の話が出たこともあり、DVDで復刻されたときに入手し、機会がないまま時間が過ぎていた。2話までを観、もったいないので中断。画質や編集のスタイル、貨幣の単位、ファッションに過ぎた歳月を感じた以外は、出来のいいワインそのもの。日本にも、こんなにすぐれたドラマがあったのだと、あらためて実感。“ドラマのTBS”の名に恥じない傑作。市川の脂の乗りきったケレンたっぷりの脚本も、プロデュース&演出の高橋一郎(制作クレジットは大山勝美)のきらめくような演出も、脇役に至るまで見ごたえ十分な役者たちの演技ぶりも、いずれも目を瞠らせる“群像劇”。同じTBSがこのドラマの数年前に放送した山田太一の群像劇“高原へいらっしゃい”(2003年のリメイク版は最悪の愚作だったけど)と合わせ、歳月に風化させられることのない時代を超えた傑作。ドラマに歳月を超える意義があるかどうかはさておきながら…
たとえば第1話「一本刀の土俵入り」。蜷川の名を高めた“近松心中”、雪の会津、公衆電話、タバコの吸える駅のホーム、芝居小屋、南郷村…と、ノイズ交じりのわがハードディスクの記憶をあちこちから刺激するコトやモノが鏤められていて、何度かストップしては記憶を改めさせられた。梅沢富美男の妖艶な女形ぶり、フックに使われる大衆演劇のご存知シーン、その一場面が暗示した各話ごとのエピソード、劇中に引用される当時キッチュなブームとなった“梅沢芝居”、小室等の主題歌を重ね、本編を引きつつ半ば劇中劇仕立てにしたエピソード(2話まで観た限りではセピアトーンで共通)のミニ芝居…
ただひたすら、スゴイ!に尽きる。
この80年代のTBSの2タイトルに90年代の野沢尚の新世紀家族論となる“恋人よ”/CX、“青い鳥”/TBSの2タイルを加えると、ニッポンのドラマのエキスが垣間見える?