記録と記憶2009.9.27
予感していたのだと、戻ってDVDを見直しながら思った。いつからこうなっていったのか、気づいていたようにも、気づいてはいても八方が塞がっていたこともわかっていたのだと、も。途中で「過去形」で語られていることを知り、知りつつもとどめる術を知らず。珍しく席を移りたがったこと、あれは思いやりだったのだと。涙が、どこにこんなに残っていたのかと思うほど止まらなかった。暗い席が、いちばん奥まった席がありがたかった。2つめのフローティングキャンドルが消えたところで席を立った。店も閉まる時間だった。タバコを買い、分け合った。時間を理由に入り口で別れた。ほかに、どうすればよかったのか。どうできたのか。Japanesqueの最初の夜、満月を撮れたらと、願を掛け、その願は叶い、歳月が溶けた。もうしわけなかったとふり返りながら、ほかに道がなかったと、納得する己がいる。東北道を北に走りながら出たばかりの「月の砂漠」を繰り返し聴き涙があふれ続けたこと、唐突に思い出す。まだ、何もはじまっていなかったはずの、夏だった。どう選んでも、悔いしかないのだとわかっていた。でも道は、たしかにいくつもいくつもあり得たのだ。選べなかったのか、選ばなかったのか。結果、行き止まりとなるほかに、なかったのだ。ディレクション。選択し続けることを仕事に選びながら、肝腎の選択を、なしえず。受容するほかに、ないのだ。悔いは、奇妙なほどに、皆無。ここまでよく来られたと、も、思う。