二人称の意図と意味と
英語版の仕上げが近いので二人称の意味についてスタッフに宛て4年前のメールを再送信。読み返し、何一つ変えるところなし、とあらためて。奈良若草山の満開の桜を日帰りで撮ってもらった直後の仕上げのために書いたもの。ちょうど丸4年になるのだ。


2005.4.21
離れることが寂しい町は、
そのひとにとってのふるさとなのだと思う。 重松 清

そして町は、いくつものことなった家で
つまりたくさんの“家族”たちでできあがっている。
その“家族”は、父や母や妻や夫や息子や娘…
さまざまな個人=わたし=あなたで構成されている。
だからこの短いウエルカムムービーは
“あなた”という呼びかけで象徴される
複数の、そして無数のあり得るべき
“あなた”の物語である。
ほんとうの“あなた”は、
仕事中毒で家庭を顧みることない夫がいて、
そろそろ介護が必要な親がいて、
真っ赤に髪を染め
ルーズソックスをだらしなく履いた
娘がいるのかもしれない。
ほんとうの“あなた”は、
顔を合わせると不平ばかり言う妻がいて、
妻といつまでたっても折り合いの悪い
郷里の母親がいて、
何を聞いても「オゥ」としか答えてくれない
小学生の息子がいて、
たまの休みに散歩に連れ出しても
ちっとも言うことを聞かない
愚かな飼い犬がいるのかもしれない。
もちろんほんとうの“あなた”が、
新婚三年目で仕事も家庭も順風満帆で、
人生には甘い希望しかないのだと
まだ信じられる
とても幸運な人の場合だってある。
ひとは、こうあったらいいな、
こうあるはずだ、
という想いを抱きながら
生きているのだけれど、
なかなか思い通りにはいかないことも多く、
年の分だけ増えるのは皴と
ため息だったりするわけです。
新しく家をつくるという行為は、
すこやかで安心できる住まいを
確保するということの底に、
自分や自分を取り巻く関係を
リセットするものすごいチャンスじゃないか
というヒラメキを発見もする。
だから、家づくりは
一人ひとりにとってものすごく
大きなイベントになりえる。
営業マンに案内されウエルカムホールに入り、
シアターに座った来場者は、
この人生リセット装置のスタートボタンに
指を置いた状態の人たちであるわけです。
これがいわずもがなの前提となります。
というわけで
春と夏の二ヶ月に渡って上映される
5分のミニムービーもまた、
もしかしたら“こんなわたし”もありえるかも…
というライフイメージを
点描したものにしたいと考えます。
もちろん人生に正解はありません。
なかにはそんな贅沢なとか、
絵空事だとか、反発を感じる方もいるはずです。
そういう意見もすべてふくめ、
“あなた”にはさまざまな暮らし方が
あり得ますよ…というメッセージを印象づけ、
家づくりの究極のテーマである
“ひとは家に帰ってゆく”を胸に残せたら、
と考えます。
5分間の上映の後、
扉が開くと“ひとは家に帰ってゆく”という、
その家についてのさまざまなこだわりを、
見て触って聴いて納得する
“夢工場体験”による
現実化が待ち受けていることになります。