無為徒食。
この敗北感は、しかしどこから来るのか。つなぐ前までは全カット頭にたたき込んであった流れがもうたどれない。閉じた掌からざぶざぶと音たてて記憶したものが流れ落ちていく。濃密さが、霧消していた。もしかしたらカット繋ぎを選んでしまったことが失敗だったのか。映像はたしかに1カット1カットが鮮明になったが、そのあざやかさの分だけ、おれが奄美で重苦しくさせられた息苦しさ、胸迫る気配がもののみごとに消え去ってしまった。よくできた観光movie。そんなもののために、あれを閉じこれを無視してしのいできたのか。明るさが滅びの姿なら、ただのキレイさは醜悪ですらある。あるいはそんなものはじめから無かったのかもしれないが、意味が消えれば、ただのガラクタ。もうやることは、やりたいことはないのかもしれない。寝ていないまま挑んだ仕上げだが、脳のどこかが哮り狂って静まらず。ただひたすら、むなしい。くそのような12時間を過ごしてしまった。花鳥風月など、ただ花札の絵札じゃねえか。ここではないどこかとは、あんなノウテンキな総天然色ではありえめえ。準備を含め10余日。そのすべてが霧散した。