季節外れの桜吹雪
予想をはるかに超えていた。

昨日はプログラムだけで、グラフィックスとの関連を肉眼で確認しないままタイムシートをつくったが、
今日は第1エピソードから第4エピソードまで、
日本郵船の博物館としての顔の部分を最後まで見通せた。
歴史的建造物となった容れ物に負けない
新しい時代をひしひしと感じさせる空間になりつつある。
捨てるつもりでつくった映像が、十二分に役割を果たしながら溶け込んでいるのを眺めながら、
途中から来館者気分になっていることに気づく。
威風堂々としながらみずみずしい、
ま、自分で言ってりゃ世話無しだが、そう思った。

ときおりれいによって汽笛が聞こえてくる。
外に出ればライトアップされた列柱の真上に上弦の月。
ときおり通過するクルマがうっとうしい以外は絶好のロケーション。
博物館脇にある駐輪所を取っ払い、辻馬車でも置きたいほどの風情だった。

編集が泥沼になったときは、ここどまりか、とあきらめかけもしたが、
もとより空間全体が勝負のキモだったのだ。
戦う余地がまだまだ残っていたことに安堵し、励まされた。

グラフィックボードの照明テスト、命が吹き込まれていくようで何度観てもドキドキさせられた。

この国にも、いまではない、ここではないどこかへ行くのだと思い立ち、まっすぐに突き進めた過去があったこと。
まだ何も終わってなどいないのだ、ということをわずかでも感じ取れる空間にできたらと、夏の終わりに夢想した。
すくなくとも、その想いをカタチにしていく、入り口の扉はできる。と今夜は書いておく。

ことしは桜吹雪を見ることも撮ることもできなかった。
おれの桜は、今日付けで散り出した。
6月6日のレセプションで感嘆と称賛の声が吹雪くのが見える。


9時を過ぎてシステムの電源が落ちることになっていたことを知らなかったのは拍子抜けだが、大勢は見えた。あとは猛進あるのみだ。


まよっていたが明日の祖父の七回忌、那須に行ってみることにした。
おれが生まれた年に祖父母が植えた八重桜が青葉になった姿を見てこようと思う。