月の出と古歌
5日に舘岩村の湯の花でデジタルHDでとらえた月の出を短くまとめて古い歌を一首、3シーンにわけていれてみた。
6月の末に
むじなの森で三日月を観てからこの一ヶ月余り、よく月を観る機会があった。
おりおりに浮かんだのが、「ともすれば月澄む空にあくがるる」の古歌。この歌については91年の三菱電機三部作の最後の巻の冒頭に引用しようとして担当部長からやんわりと拒絶されて以来、ずっと使った記憶がなかった。はずである。

今朝、「光の日本」を観ていて、プロローグの約5分間の月の出のシーンのラストに山下亜美の語りで入れていることを発見。発見というのも他人事ではあるが。見つけた。
「光」の仕上げは92年初頭。おれは意趣返しのように使っていたのだ。
何しろ月の出の冒頭すぐに福島さんの朗詠で「万物は冬に雪崩れていくがいい追憶にのみいまはいるのだ」と吠えたて、狼の遠吠え、立原道造の詩、古歌と続く。ほうぼうで掟破りだの文法知らずだのと言われた月の出5分1カットプロローグは、βカム素材とは言え見惚れるばかりの凄絶さがある。

これからオフィスでこの間の月の出と比べてみるが、甲乙つけがたい気もするが、想いの深さを考えれば、言うまでもない。

田中ディレクターからのメールで、
こんな時代なのにおまえはロマンスばかり追いかけていられていいね、と皮肉られたばかりだが、こうして振り返ると筋金入りではないか。

ただ、進化も深化もねえな、とは思う。
十年近い歳月を経てわかったことは、おれはただ現在に、いまだけに応じているにすぎない存在だな、ということ。
ま、もって瞑すべし、というところか。