大森山王町の町会老人たちの怪。
編集のために8時に起きた。眠い目をこすりながらテレビをつけた。
CX。よく見る男の局アナがオウム麻原の長女が万引きで逮捕されたニュースをレポート中だった。スーパーで手当たり次第に食料品を盗ったという一昨日の出来事だ。気になったことが二つ。まず局アナの語り口。偉そうに薄ら笑いを浮かべながら社会正義をしょい込んだようなその表情。たかが二万円程度の万引きである。長女はすでに教団から追い出されている浮浪の身である。困窮者が暮らしに行き詰まってわずかな食料を盗んだに過ぎない。いわば市井の名もないふつうの人である。麻原の娘であるという出自だけで、どうしてテレビで極悪犯罪のように報じられなければならないのか。お台場辺りのテレビ屋風情になぜあしざまに困窮の末を問われなければならないのか。次に、オスギ。月曜の朝の8時からなんだってオカマの御託を聞かされるのか。ことが映画の感想や街角のファッションチェックあたりならまだしも、薄めに薄めた場末のスナックの水割りのような「毒舌」なるたわごとを朝飯の時間に流すこともねーだろう。オカマが浮浪者いじめてどうなるんだよ。さらに、麻原の娘の行為は、捕まえてくれという叫びのようにも受け取れる。あるいは精神の均衡が破棄したようにもとれた。二十歳そこそこの行き場を失ってしまった女を、親が犯した罪で裁くという野太さは、どこからくるのか。
続いたニュースが、大森山王の「オウム出ていけ騒動」。老人たちが国防服のようなレトロファッションをまといスピーカーで軍歌「錨をあげて」を流しながら、引っ越してきたというオウムの残党に「この町から出ていけと」右翼の街宣まがいの騒ぎである。半年前にその山王に移ろうかと鹿島神社に参った身としては、つくづくこんな町に越さなくて良かったと思う。全国の各地でオウム排斥騒動を居丈高に展開して誰も恥じないが、専制国家でもあるまいし、いったいどうしたらあんな恥知らずなことを朝から晩までやってられるのか腹が立ってならない。この国はいつから刑に服して出所した人間を排斥できるようになったのだろうか。オウムがおかしいなら、キリストはどうだ?モーゼはどうだ?日蓮は?創価学会は?天理教は?PL教団は?念じて身を空中浮遊させたと信じる麻原と奇跡を起こした宗教者たちとどこがどう異なっているのかね。
オウムの残党が犯罪を犯しているならともかく、街中のあちこちにやくざの事務所が堂々とあって、街角のあちこちに「しやぶをやめよう」などというたわけた標語をはりまくっているような国の国民が、いったいどんな資格と根拠で「この町から出ていけ」と言えるのだ。大森山王は歴史のあるまことに良いたたずまいのある町である。なにしろ歩いて大森貝塚にまで行けるくらいだから、歴史は半端じゃない。そんな町に暮らしてこれたんだから、いやなことが起きたら、百歩譲って出ていけばいいだろう。土地なんて切り取りごめんの世界だろうが。いい思いしてきたのだから、私はもう十分であります、そんなふうに考えることがちょっとだけでもできれば、新しい犯罪を犯したわけでもない人間を、ただ気味が悪いという信じられないような理由を旗印にして追いつめるなどという破廉恥な行為にはしらずにすむだろう。
悲しいのは知恵も経験も腐るほど持ち合わせているはずの老人たちが、こんなばかげた騒動を嬉々として行っていたことである。深沢七郎の楢山があってもいいな、一瞬だがそんな気分がよぎった。
CXは、しかし報道に関してはほんとにしみじみ屑だな、と思う。せめて国防服まがいに軍歌という言語道断については皮肉の一矢を射るべきだったね。たかがテレビとはいえ、な。悲しい朝食となった。

昨日おめにかった八十歳の秋山庄太郎の洒脱さを思うとひとしおである。