神話と進化、あるいは深化。
東京ミレナリオは博報堂の鉄壁のガードで適切な撮影ポイントが得られず、途中で断念。三菱村の住人の方達の何人かに唐突なお願いをするなど努力したが、人手の多さにあきらめた。
あの見物客の多さでは、博報堂のガードが固いのは当然のことである。目を瞠らせる突出した光のオブジェに「丸の内Grawing」は確かに歩を進めているなと実感。
時間のある方はぜひいちど観ておかれることをお勧めする。《時の向こうを見つめて》の旗印、ダテじゃなかった。
荘厳さに胸打たれました。

その後、新宿に移動。
15日の試写の夜以来ひそかに狙っていたプロムナードのイルミネーションをしっかり撮影。寒かったがモニターを観ていて泣きたくなるほどきれいな光の世界が撮れた。

一昨日のみなと未来21のライトデコレーションも、今夜の東京ミレナリオもすごかったが、新宿南口の景観はただごとではない。不景気とはいえ爛熟しきって、その先の見えないところまで来たかのような時代のあで姿が、たしかにあった。

南口は、すごいエリアになっていくのだとあらためて思った。初台のオペラシティ、代々木のドコモタワーまで含め、怖いほどである。

デジタルHDの表現力は、予想をはるかに上回る。カメラマンの腕と完成次第だが、突き抜けるべき底が見えない。ぼくたちはいままでどれだけ多くの情報を見失ってきたのかと思う。
あるべき姿を見据えたうえで、再構成するという表現の原点に、どれだけ背を向け続けてきたことか。
フィルム神話の海で泳ぐ者たちは、その怠惰におののきを覚えるべきである。
定型から逸脱することを捨て去ったメディアと底なしの進化と深化を続けるメディア。

しみじみと、そう思った。