一身の武四郎、鍋島家は家臣団で 幕末・長崎の情報=蝦夷地で活かす230920
 一身の武四郎、鍋島家は家臣団で 幕末・長崎の情報=蝦夷地で活かす230920

 釧路市南大通八丁目2番にある【武富小路】碑(写真)にまつわる一筆。
 碑文に「武富善吉、その弟 隆太郎」の刻文があるも。
 鍋島家は1)に長崎警備で得た情報、2)幕末・蝦夷地への関心、3)対中国貿易のルート。

 「武富 釧路」の検索キーワードでヒットした「北海道の武富家 BBWeb-Arena」のページ。
 中に「“井伊直弼”を説得 色丹島を佐賀藩海軍の停泊地にする事に成功」。
 くわえて、この選択が「(往路)米・酒・塩・味噌などを運び、(帰路)鮭・鱈・昆布・毛皮などを積んで佐賀の伊万里に」

 結果「運び、莫大な利益を上げていました」。
 (A)安政3、4年 家臣・島義勇&犬塚某を蝦夷地に派遣。
 (B)(安政5,6年) 「天草に、佐賀藩の港を置き、軍艦の訓練と蝦夷地開拓の予行演習」「色丹島に佐賀藩海軍の停泊地」
 (C)安政7年   桜田門外の変。井伊侯没、次は直正襲撃かの風聞。

 松浦武四郎は長崎をめざし、唐国・天竺(インド)をめざすも、蝦夷地重要と転換。水戸藩の支援。
 鍋島家。井伊家と姻族関係にあり、(A)&(B)を通じ、明治2年釧路国川上郡、釧路郡、厚岸郡の三郡支配を命じられる。
 農業・鉱業に長じた移民で、真摯な経営を展開。のち半官半民の広業商会を通じて、対中国貿易で一時代を築く。