江戸航路にとって「くすり乃たけごんげん」 阿寒霊峰230701
 江戸航路にとって「くすり乃たけごんげん」 阿寒霊峰230701

 日本港湾経済学会大船渡港。その帰路は東京からのフェリー便が大船渡港に寄港。
 そこから乗船して釧路港に戻った。1994年9月のことで、洋上からの雌雄阿寒岳の眺望は実に象徴的であった。
 針路の指標。そう思わせる迫力に息を呑んだ。爾来、30年になるということ。

 伊能忠敬に「大日本沿海輿地全図」というのがある。
 その蝦夷地部分に、蝦夷地東部の地点測量のポイントが秀麗な阿寒岳との方角、距離で計測していた。
 そのことを暗示させる図が残されている。

 「くすり乃たけごんげん」。
 「くすり乃たけ」といえば、屈斜路湖周辺のアイヌ民族にとっては一に藻琴山、二にアトサヌプリが想定されるのが当然であった。
 しかし、江戸航路を開いた本州人に、「くすり乃たけ」と申すは阿寒の秀峰ということになるのが。理の当然。きわめて難しい点ではあるが。

 その点を念頭におきつつ、「くすり乃たけ」信仰が釧路川口河口の小祠「阿閑祠」として継承してきた意味を考えておくことが肝要なのだ。