仏教伝来 外交成果
仏教伝来 外交成果。仏教伝来をめぐる蘇我氏、物部氏の対立。

 朝鮮半島。その先端部に任那の交易拠点。日本府がつくられた。唐の圧迫をうけ、新羅の侵攻をうけた百済は倭に援軍を求める。

 倭は援軍を送るも「磐井の叛乱」があって、支援は失敗に終わる。ただ見返りに仏教の導入=寺院建立、経典の読解、教義の理解を果たして、蘇我氏は氏寺たる飛鳥寺を建立する。

 これまで仏教伝来をめぐり蘇我と物部が「対立」と受け止めてきた。そこのところを両氏の、「内政、外交の対立」と読み説くらしい。

 唐・新羅と通ずることをとく物部に、百済との親交を考える蘇我氏。大伴の勢力が停滞したあとの物部に、渡来人を組織し主導権をめざす蘇我氏。

 百済の首府にある王興寺と蘇我の氏寺たる飛鳥寺とは、建立年代が近接。王興寺の発掘で出土の舎利容器と飛鳥寺の法宝物、また蓮華の花弁の様式。それぞれ類似のものが残るとする。

 外交が武力=豪族から専門家の手に映る局面、当時、文明の主体であった仏教の伝来は、百済支援の見返りであり、内政・外交の主導権を制する事象であったとするのであるが。
 

編集 ペン : 想像以上にお隣からとの交流は盛んだったようですね。百済を味方につけるか新羅を味方にするか・・どちらも日本より進んだ知識があったようですし^^