渤海国 華夷秩序
渤海国 華夷秩序。渤海(ぼっかい)は8世紀から9世紀にかけ歴史の教科書に登場していたと思う。安録山が戦いを起こし、唐を滅亡においやったことも聞いているが、頭の中ではそれぞれ独立した「年表上の記載」と記憶していた。

 唐・渤海・新羅。これを地図上で示されると、そこには中国・南北朝鮮・中国東北部となにかほぼ、重なるように見えてくる。しかも渤海と唐の国境ではしばしば紛争、が。
 「中国東北部」という語は、小学校6年生の社会の時間にはじめて教科書で知ったかと思う。不思議に思った。父たちの使った地図にあった「満州と言うのが、ない!!」。その経緯はのちになって、知るのだが。

 図面をみていて、そして当時の国際関係を聞き、いささか心うごかされるものがあった。 渤海はほぼ満洲国とかさなるように、見える。
遣唐使はなじみがあるが、遣渤海使・遣新羅使という役目もあったとされる。日本は唐に対しては朝貢する中華蕃夷の関係。反対に日本は渤海を朝貢相手国たる蕃夷と位置づける関係。学者はそのことを、「ダブルスタンダード=二重外交」と整理していた。

朝鮮半島の大部を占める新羅。日本は激しく戦い、背後で唐が新羅を支援していた。
その国際的バランスに揺らぎを生ずる時。唐では安録山が兵をうごかす安史の乱。その情報をいち早く耳にした藤原仲痲呂は「征新羅」を企図。しかし仲痲呂自身が暗殺される。政策企画者の死で、ために「征新羅」が封印される。

830年代。遣渤海使・遣新羅使についで、遣唐使も廃止された。歴史の教科書ではこのあたりから「国風文化」の成立を述べる。
それはともかく日本。近代にいたるまでの朝鮮半島と旧満州国域への対応。そればかりではなく、中国と北朝鮮の関係。
いろいろいわれつつも、しかしそこに2000年近い積みかさねを見ることができる。NHKETV「さかのぼり日本史」の放送からメモしておく。

編集 ペン : 日本と一口に言いますが北のほうは渤海とかなり交易をしていたようですね。西のほうは唐や新羅・・遣唐使が廃止されたあと大陸の交易は東北地方に流れたと思われます。あっ!止まらなくなります^^