広島城 位置の決定
広島城 位置の決定。位置の決定には、さまざまな要因。

起点は四点あったと、聴いている。安芸宮島の「弥山」と広島の「見立山」をむすぶ線。

他の一つが「己斐松山」と「明星院」を結ぶ線。この交点が広島城の立地位置に選定された、と。

今でこそ、北東方向の「広島城」、中央に「旧広島スタヂアム」、南西に「平和公園」が、ほぼ縦並びしている。

そもそもが、現在の広島市中心部は、「五箇村」と称するデルタ地帯の、「もっとも広い島地」に築城したこととで、マチの趨勢は大きく変化。

尾長天満宮所在地へ向かう汀=みぎわみぎわには天神川が流れていて、菅原道真の舟が着船。上陸して休息。のち休息地に社殿が造営された、と。

ネットにあっります。「広島城の北東・鬼門を守る社寺として明星院は建立された。明星院は藩主の祈願寺と定められ」と。
(上記URL https://plaza.rakuten.co.jp/kinokogumo/diary/2xxx-xxx-xxxxx/)

二葉山の社殿、仏閣は「広島城の表鬼門」に位置づけられる。そういうこと、か。