「送り出した時とは正反対の気持ちだった」 彼らは再び村を追われた・知られざる満蒙開拓団NHKETV.
 「送り出した時とは正反対の気持ちだった」 彼らは再び村を追われた・知られざる満蒙開拓団NHKETV.



 福島県葛尾村。
 福島県の浜通に位置する農村。岩間政金さん93歳(1925年生まれ)が回想する。「開発で良いときもあるが、それは一時だ」。

 昭和初期。
 満蒙開拓団が募集された。全国で27万所帯。貧困と飢えに見舞われた長野県からは、うち3万3000戸の応募があった、という。

 「たちまち死んだ」。
 1945年8月に当時のソ連が侵攻。本国は「現地定着」で、失った国土で生じた大幅な食糧減産をしのごうとするも。
 強制収容所に連行され、「飢えと病気」で収容者は「たちまち死んだ」の惨状。

 ふるさと求めて本土に帰還。
 しかし待ち構えていたのは、もとの故郷。出て行ったヒトが居てくれて、土地を十分に活用することの出来たムラに、帰還者を受け入れる余地はなかった。
 送り出したムラビト、親戚は変貌する。ヤッカイ者の帰還。飯田市歴史研究所の女性研究員はそこのところの機微を、「送り出した時とは正反対の気持ちだった」。

 観光基本法そして原発。満蒙開拓で長野を、たどりついた福島の浜通では原発。またまた、ムラを追われることに。
「彼らは再び村を追われた 知られざる満蒙開拓団の戦後史」。