「自身の生命しっかり見つめる」」 醍醐寺に秀吉、紅葉の演出221117 nhkBS3。
 2021年11月20日の映像で「醍醐寺のもみじ狩り 京都の錦秋」。
 世界文化遺産に指定されている総本山醍醐寺のなかでも、もっとも北に位置する弁天堂から放送は始まった。
 弁天堂は「醍醐寺境内図」で茶色の□印で囲んだ位置にある。

 醍醐寺は秀吉の創建で知られる。春は桜の名所、秋の紅葉は「錦秋の京都」を代表する。かく形容されているでは、ないか。
  秀吉は醍醐寺を造営し、春に桜の饗宴、秋に紅葉狩りを催行することをめざした。しかし、である。
  その錦秋を見ずして、世を去る。62歳であった、か。「秀吉は紅葉の庭園で紅葉をめでること、なぜ、目指したか」。

  歴史学者が答えた。「自身の人生を見つめる」。キャスターの女性アナがすかさずに、挟んだ。
  「今でいう<終活>なのですねー」。晩年、秀吉は病魔に侵され、<体力の衰え>を実感しはじめていたのではないか。学者さんは言葉をつなぐ。
  紅葉の輝きに<人勢の残照>を重ね、<最後の一葉まで、枯れおちるに人生を重ねた」。そうした説明であったかと、受け止めた。

 「桜の饗宴には<にょしょう 女性>たちの香り」。「秋の紅葉には<諸侯 男性>のかもしだす雰囲気」。
 棟梁の末期。その一シーンを象徴するような説明と、視聴した。
 醍醐寺を筆者が訪問したのは、1966年2月23日と記憶する。京都観光のバスで京都の北山、東山をめぐるコースに乗車したのだ。

 金閣、宝鏡寺、西芳寺、天竜寺、嵐山、銀閣なども回るコースのなかに、醍醐寺もあった。
 放送は「弁天堂(茶色表示)」に始まり、「三宝院(緑色表示)」を舞台に紹介した。そうだ、どうも往時は「三宝院で庭を望んだのだ」。
 2月ゆえ、にも遠く、「わずかに『秀吉造営』」と立春後の庭園の静かな<たたずまい>を覚えるのみであった。

 今日、桜の名所、京都錦秋の代表的スポット。知る由も、当時はなく・・・・・・。
 今、教えられた。「自身の生命しっかり見つめる」」 醍醐寺に秀吉、紅葉の演出221117 nhkBS3。