国有林事業、その戦後転換期1965-70年 『釧路営林署 開庁60周年記念誌』221113
厚岸郡の西部。釧路郡との境界から国有林が広く分布している。
釧路営林署の管轄区域で、1917年から「官行シャク伐」の名で罷業化がすすんでいた。
 1965年時点で、釧路営林署管轄区域の事業対象と事業機構を一覧すると、掲載の表になる。


 厚岸郡は阿寒郡鶴居村とならぶ二大拠点の一にして、その創始期は第一次世界大戦中に遡る。
 史料には明確かどうかは別にして、次の点が指摘できそうである。
 第一次世界大戦期には、北海道最東端の木材伐採地たる釧路国の民営林業が戦前のピークに達していた。

 なかで厚岸郡の「官行シャク伐」は、民営林業を補完するものとして期待されていた。
ことに釧路~厚岸郡の鉄道開業は、「国有林皆伐」を促す起点となっていた。
 戦時、戦後も厚岸郡西部の木材生産事業は継続し、昭和19年から同22、23年にかけては「森林軌道」の敷設がすすんだことが確認されている。

 国有鉄道根室本線・上尾幌駅構内には木材を貨車に積み込むための「木材土場 もくざいどば」が設置され、搬出の木材は貨物・旅客混合列車に積まれて釧路駅に搬出された。
 陸上貨物の荷主と国有鉄道への貨物取次には、日本通運株式会社の出張所も設置され、事務職員と積み込みを担当する作業職員が市街地に居住していた。
 『釧路営林署 開庁60周年記念誌』が発行された1968年は、「鉄道輸送を通じた上尾幌駅の国有林、民有林輸送の最終段階」にある。

 その段階で配置されていた、担当区、苗畑・造林、生産の各事業所のセットは、国有林の管理、伐採と伐採後の林相管理と維持のため経営と事業の布陣となっている。
 当時、釧路営林署管内の職員は「定員内=96名、常用=20名、定期=91名、月雇い=9名、計214名」(前掲書)とされている。
 「(事業の円滑な実施をはかるため)支雪裡地区、上尾幌地区林道の効率的な拡大強化に努める」(前掲書 23p)とする。

 国有林輸送は時代の転換期に直面していた。釧路港でも輸入材が主力となり、製紙は中古紙への移行、輸送も事業地から貨物自動車輸送へ転ずる。
 その局面に位置するしたのが1965-70年ではなかった、か。掲載表はそうした意味をもっているように読めるのであるが。
国有林事業、その戦後転換期1965-70年 『釧路営林署 開庁60周年記念誌』221113