仏舎利塔
 用地の選定・交換、設計・意匠担当の選任、浄財勧募 「造塔一工夫 釧路仏舎利塔」130819

 このマチで「仏舎利塔」といえば、釧路市城山に建立された釧路仏舎利塔。
 2013年は築後、54年目にあたり補修工事が行われていた。
 8月17日午後、釧路短期大学で「聖地・聖蹟、仏舎利塔からのメッセージ」と題する講話を担当。

 「造塔一工夫」という観点に、建設時の関係者による努力の紹介と<どうして、仏舎利塔を建てることになったか>・そこをめぐって話をさせてもらった。

第一は用地の選定と用地交換。
そもそも釧路市側に、千代ノ浦方面から旧弥生中学校への通学道路に陸橋をかけるため、適地に中村水産所有地を選んでいたという経過があります。発願者の中村小三治翁は熟慮のうえで、代替地案を示した。「お供え山のすこし奥」にあたる地、そこと交換することを希望した。

 第二は、設計と意匠をめぐってその担当者を選任し、「これぞ」という方に引き受けてもらうこと。
建設会社を通じ、奈良七大寺の研究で「わが国随一」とする横浜国立大学工学部教授の大岡実博士を紹介されるも固辞された経過が知られている。「これから勉強しながらでもよかったら」(386p)。引き受けるときの博士の気持ちが、『炎の人-小三治一代記-』紹介されている。

第三は、建設費として浄財を募集すること。「釧路仏舎利塔奉賛会」という組織がつくられました。市民から浄財を募集する核となる団体。各宗寺院のご住職が「顧問」となられ、浄財募集のため水産界・繁華街を中心に、実に戸別訪問を重ねたとされている。

釧路仏舎利塔は<地ならし>から<基礎工事>、<高所作業>。<僧侶の方が、モッコをかつぎながらの土木作業>、文字通りの<手作業>のうえに、昭和34年8月に落成し、慶讃する法要が営まれる。世にいう竣工、完成のときだ。

《「造塔一工夫 仏舎利塔」》。2013年8月19日 地域コミュニティ放送=FMくしろ局の「釧路歴史探訪」で15分間。
釧路仏舎利塔が設けられるにあたり、そこにこめられた当時の関係者による苦心をたどってみた。
のちに城山モシリヤ学コミッション調査役をつとめる佐藤 宥紹が担当した。