明治初期、地方名望家の献金、投資、委任 辞令+感謝状が伝承文書の25%230920
明治初期、地方名望家の献金、投資、委任 辞令+感謝状が伝承文書の25%230920

 起業地に移管されて保存の商家経営文書は103点ある。うち辞令、感謝状は25点で四分の一弱の比率。
 文書25点は開拓使が発行した文書で函館関係が14点、釧路国関係が11点の内容となっていた。
 うち釧路関係を表に示すと、辞令3点に「感状」とだけある感謝状相当が8点なのだ。
 
 辞令は「漁場持」委任、「釧路郡白糠郡戸長」取扱、「釧路郡白糠郡川上郡阿寒郡足寄郡 訴書願届可申出候」の三件。
 特に最後の一通は意味を把握しがたい。案ずるところ「居住者と移住者、つまり五郡在住者の<身元引受>かと」理解するところ。

 感謝状は8通。一目するに献金&蓄財負担に関係するものが7件。
 うち、「奇特」とある文書番号95は「米町橋梁修繕費之内金三円寄付候段奇特ニ候事」。
 また文書番号94では「釧路国第一病院設立二際尽力候段奇特二候事」の内容。

 総じて「民生救恤」の領域で、多くの金銭的負担を引き受けることになった。
 「(聞名寺 前身を含め)寺院」「(丸太学校&日進)尋常教育」「公立病院」「電信施設」。
 地方名望家の役人に頼られる側面。ほかにも弁天神祠の分請、移住者招募=638人、米町通道路施工も、その業績ながら。、