農村疲弊&昆布で外貨獲得 江戸期の地域経営、明治の国力増進
 農村疲弊&昆布で外貨獲得 江戸期の地域経営、明治の国力増進230917

 明治9年 武富善吉家、開拓使から北海道産昆布流通を委託。
 明治13年 善吉、佐野の事業を買収、事業を継承。
 そう年譜を読みすすみ、なぜ江戸期に独占経営を委ねられた佐野家は、維新後に事業を武富家に継承するか。

 明治9年と13年の間に「西南戦争」があった。政府は戦費調達で紙幣増刷、「戦時インフレーション」を引き起こした。
 戦後は転じて国内への紙幣流通抑制に国家財政の緊縮に転じたから、長期にわたるデフレーションが生じた。
 士農工商。そのいずれもに疲弊&困窮をきたした府県と、まぬがれた政府に近い府県の差異をうんでいる。

 窮状をしのぐに、ポイントは「外貨獲得」であった。貿易輸出で国力を高め、国家財政の再建と貧窮府県の再生がテーマとなった。
 船一杯の昆布。その実、「昆布2対砂利1」とすら指摘のある昆布の清国輸出。
 地域は昆布産地として地位を高め、維新政府を構成する一翼の肥前・佐賀藩から取り扱い事業者が選ばれた。

 外貨獲得で、国際社会に比肩する。その外貨獲得で、二様のアプローチがあった。
 薩摩漢方医の6男であった前田正名は農村伝統工業品を英仏の富裕層に売り込むことを考えた。
 他方で政府内の見解は、粗品であっても量を確保できる「清国向け輸出昆布」もその一品に加えていた。

 前田は主張した。それは体系的な順ではないが、3点。
 1)つまらぬ西南戦争、その後のデフレ政策で農工商は困窮の極み、2)農工商の生業・生活を再生するためには伝統的農村工業の強化。
 そして3)貧窮県からの北海道移住は根本的な解決にはならない。

 江戸期に佐野が担当した「安価な魚肥、農産品&農村伝統工業品高価格」の路線は、政府の地方政策とは乖離。
 明治政府は原材料の輸出、安価な工業製品輸入を「入欧脱亜」の方向で選択した。
 佐野は沈み、武富が浮上してきた時代背景。そこのところを一枚のスライドで言及しようと試みたとところであるが。

農村疲弊&昆布で外貨獲得 江戸期の地域経営、明治の国力増進
 「米屋佐野孫右衛門とその時代~江戸から明治、クスリから釧路」 くしろ元町講座12th 釧路市米町 大成寺和順会堂 担当 佐藤宥紹230917