「行ったきりではなく必ず帰ってくる」 「浄土に生まれた者がこの迷いの世界に還りきて人々を救済」
 「行ったきりではなく必ず帰ってくる」 「浄土に生まれた者がこの迷いの世界に還りきて人々を救済」
 
  出演した比較宗教学者の町田宗鳳師はNHK4K「美の壺 よみがえりの聖地 熊野」で。
 「それが常世だが、行ったきりではなく必ず帰ってくる」。
 「常世(とこよ)」は「永久に変わらないこと」もしくは「永遠」と、コトの辞典に。
 「往くだけでない、必ず帰る」。そこに東洋思想の普遍性を読んだ思い。

 そこをインドー中国―日本―往生思想と論理的にも、止揚(しよう =「あるものを否定しつつも、より高次の統一の段階で生かし保存」の思想に出会う。する
 つまり「往相(おうそう) 命を終えると同時に往生即成仏(証)させてくださる相(一方から他方へ。次から次と、はたらきかけるスガタ)」

  次の段階で即座に
 「還相(げんそう) 浄土に生まれた者がこの迷いの世界に還りきて人々を救済し続けていくすがた=相)」
    井上見淳「弥陀の回向成就して」 『2017年6月の法語』 真宗教団連合

 常世思想では「必ず変える」は、「そう考えてきた」「なんとか自身の力量」で「帰る」か。
 往生思想では「仏にならせてもらい」「仏に変えた阿弥陀の働き」で「帰る=他力」と転じている。
 思想の系譜。漢訳の『無量寿経』←曇鸞―法然ー親鸞。

 「回向 廻向 えこう」は曇鸞『往生偈』にさかのぼる、と。
 「往相」「還相」は「顕浄土真実教文類 一」、世に『教行信証 教巻』に記載。
 読み解くほどに「生まれた者がこの迷いの世界に還りきて人々を救済し続けていく」。
 そのスガタに「還相の概念」をあてることになった、か。

 「弥陀の廻向授受して 往相 還相の二つなり」と、結ぶ。