大般若波羅蜜多経転読 そもそも「転読」定光禅寺龍神堂三尊天祭礼で260907
 大般若波羅蜜多経転読 そもそも「転読」定光禅寺龍神堂三尊天祭礼で260907

 北海道東部の港マチ。その定光寺竜神堂で営まれる三尊天の祭礼。
 いつの歳であったか、お世話をされている方のお誘いで、一度、参詣されてもらったときには、掲載画像の「大般若心経転読」の法要が勤修 ごんしゅう された。
260907  転読  大念仏寺&東光寺.jpg
 掲載画像は「融通念佛宗総本山 大念佛寺 -大阪市平野区」が公開しておられる。
 説明に「大般若波羅蜜多経(だいはんにゃはらみつたきょう)とは」「転読とは」「大般若転読法会のご本尊 十六善神」の解説。
 そこでは「大般若波羅蜜多経真読 だいはんにゃはらみつたきょう しんどく 」に対する、「転読(てんどく)は、経題や経の主要な部分を拾い読むこと作法」、と。
 https://www.dainenbutsuji.com/schedule/tendoku/

 結論から記載するに、転読、そもそもの意味。
 「すべての災(わざわ)いや悪を祓(はら)いとり除き、人々の願いをかなえて幸せに導いてほしい」という意味で、
 「一人一人の除災与楽(じょさいよらく)を祈る」。

 で、作法と差定=さじょう 法要の進行・配役・読経順などをまとめた台本のような文書。
 結衆 けっしゅう の僧侶は、「経巻をひもとき、一巻、一巻、転読するたび」に。
 「大般若波羅蜜多経巻第(だいはんにゃはらみつたきょうかんだい)第一巻~第六百巻、唐ノ三蔵法師玄奘奉詔訳(とうのさんぞうほうしげんじょうぶしょうやく)」と
 大声で唱え、本堂内に並んだ僧侶が一斉に六百巻の経典転読が始まる。
 最後に経巻をもって「降伏一切大魔最勝成就(こうぶくいっさいだいまさいしょうじょうじゅ)」と言いながら経巻で経机をたたく。
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大般若心経転読 読誦の相は定光禅寺龍神堂三尊天祭礼で260907
 大般若心経転読 読誦の相は定光禅寺龍神堂三尊天祭礼で260907
260907  大般若経転読& 三尊天祭.jpg
 くしろ元町青年団2022年2月20日付のネット情報で「毎年9月7日、8日 開催場所 定光寺竜神堂」と記載があった。
 別なネット記事では「明治明治27年(1894年)から毎年秋に」とも「今年が50回目のフシメ」と伝えられる「三尊天 さんぞんてん 祭礼」。
 いつの歳であったか、お世話をされている方のお誘いで、一度、参詣されてもらったことがある。

 大道晃仙師が出座され、厳かに「大般若心経転読」で、法要が営まれた。
 史料を読み、その記載があること、承知していた。
 記載は史跡国泰寺跡に伝承の五世文道代『日鑑記 巻二』の文政13年正月17日の記録。

 正月、五月、九月の15日から17日まで、将軍家繁栄と国家安泰を祈祷する法要が、厳かに営まれる。
 17日の法要が「満散 まんさん」。つまり功徳成就の法要で、故にひきつづき「半斎献鉢」。
 「斎 とき」は昼前の法要後に行う会食や、その席で供される料理を「お斎(おとき)」。

 それが「半斎 はんとき」は「食事の量や作法をやや簡略にした接待や儀礼」と、いうことになる。
 国泰寺はこのとき、十勝・釧路・根室・国後・択捉の遠隔地には、「奉牌」という修了の札を配るのみだ。
 しかし周辺に住む、松前家出張所の役人、それに場所請負商人の患部たちは寺に招かれ、その接待をうけ、つつがなく法要が満了したことを讃え、悦ぶのだ。
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『彼我対照 欧州旅行』に読む明治43年 海外視察 湖畔からのメッセージ001
 『彼我対照 欧州旅行』に読む明治43年 海外視察 湖畔からのメッセージ
260907  緒言 彼我対照欧州視察 正名 明治43.jpg
 前田正名は明治43年6月、横浜港を出港し欧州視察に向かった。時に正名、満60歳2か月、彼にとって第5次の海外旅行にあたる。この旅行の意図・目的はなにか。そこを、本邦帰朝後に現された『彼我対照 欧州旅行』を通じ、読み解いてゆく。

 そこには<ポスト殖産興業>。そのように思想構造を位置づけるべきであるのか、つまり<資源を加工し搬出・消費しながら、現今の付加価値を求める殖産興業>が第一段階。そこから<資源を持続・利用し、将来世代に付加価値を伝える殖産興業>への助走。

 なぜ、かく転じたか。 明治40、41年と阿寒湖畔に滞在した。国有未開地の払下をうけ、そこで展開した山林経営の敬虔。南国・薩摩国に生を受けた正名が、東の国たる阿寒で四季を通じて滞在し未曽有の厳冬期を体験した後のことである。

 正名にとって湖畔のアイヌ民族コタンで生業・生活・文化を形づくる地域で生活を共にしながら、その自然に生きる民族の知恵。あわせて集団をまとめあげているエカシ=長老・老女の生活の知恵を見聞した期間。

 政権中枢の官僚を経験し、やがて下野し、全国行脚で各地を訪ねた。北海道東部で洋紙生産することに転じ、ついで個々に払下を受けていた国有未開地を一本化して継承した。まずは寒冷地型農園で頓挫、しかし山林経営で新たな展望を図式化することができた。

 齢、すでに還暦。しかしその時に、海外視察を企図した。そう推量するに値する、紀行の冒頭に注目する。
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四柱の神獣、特に麒麟=平和愛の仁獣&権力・富を象徴の瑞獣 家康の信仰を孫・曾孫が形に260906
 四柱の神獣、特に麒麟=平和愛の仁獣&権力・富を象徴の瑞獣 家康の信仰を孫・曾孫が形に260906
260606  鳥取獅子舞 観光協会.jpg
 キリンビールの商標でおなじみの麒麟。中国神話に現れる伝説上の動物(瑞獣)。それを家康が信仰、と伝えるネット記事が広まっている。
 今も鳥取県東部に麒麟獅子舞が伝承し、日光・東照宮の陽明門彫刻を、理解するキーワード。
 中国では4柱の神獣が居ると
 
 「神獣 しんじゅう」と呼み、日本では「神使 しんし」と呼ばれている、その代表は「狛犬 こまいぬ」。
 どちらの神社さんでもお馴染み。狛犬は「神様のお使い」のもっとも、庶民的な信仰対象。
 「神様のお使い」は、「後に良いことが現れると確約されている状況」で、「その直前に現れる姿」なのだ、そうだ。考え方は「神獣=霊獣。霊鳥」伝説に、あると言う。

 ところで中国には四つの神獣があるとされる、「麒麟 きりん」「鳳凰 ほうおう」「応龍 おうりゅう」「霊亀 れいき」の四柱。

 いま「麒麟 鳳凰 応龍 霊亀 平和」のキーワードで検索する。と。
 ●「それぞれを統括する長(王)が、龍・麒麟・鳳凰・霊亀」で「四霊獣と呼ばれ、世が平和で瑞気に満ち、聖徳の天子が現れる前兆として姿を現す」=「神使像めぐり」。
 ●「麒麟=平和を愛する仁獣で、権力や富の象徴する瑞獣」=「中国神話・伝説」
  

 信長・秀吉政権の朝鮮征伐を収め、琉球と蝦夷地を植民地とした家康。
 応仁の乱後の戦国を統一した織田・豊臣に代わる徳川の政権は267年の年月に。
 その家康が依拠した「麒麟=平和を愛する仁獣&権力・富を象徴する瑞獣」を被布した「獅子舞」が、曽孫・池田光仲侯により鳥取東照宮祭礼で奉納されることになった。
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書いた人・違う情報・もとネタ・何のための、いつの情報 フェーク情報のチェック点260901 NHKETV-前-
 書いた人・違う情報・もとネタ・何のための、いつの情報 フェーク情報のチェック点260901 NHKETV-前-
260903  260831  願情報のチェックフレーズ NHKONE.jpg
「日本のインターネットサイト250社を調べてみたら、科学的根拠に基づく情報は1割にすぎなかった」。
 ネットには「体にやさしく副作用がない」「すべてのガンが消えた」「免疫力アップ」。
 実に〝飛びつきたくなる”情報にあふれる中で、安全性と有効性の確認できる〝ガン治療”。
 
 26年9月1日夜の「きょうの健康」。
 国立がん研究センターがん対策情報センター本部 若尾文彦副本部長が出演。
 標準治療を「科学的手法で安全性や有効性が確認され、ガイドラインに掲載されて健康保険の適用される治療」と。
 自由診療を「安全性や有効性が確認されていない」「言い値で価格を決め、高額となる」とも。

 ネット情報には、と。
 「(患者さんが希望をもつことは大切だが)夢のような話は疑うことが大事」
 「(無料セミナーは内容が)どんな話なのか、内容が安全か有効かを外からチェックできない」
 「商売目的の情報、古い情報、非常に怪しい情報が多い」。

 では、その〝あやしい情報”をチェックするポイント。それは次回。
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甲府で江戸西北固めの八王子同心、蝦夷地で江戸北東を堅固  東蝦夷地の文化財-前―
 甲府で江戸西北固めの八王子同心、蝦夷地で江戸北東を堅固  東蝦夷地の文化財-前―
260831  京都  江戸 蝦夷地 表裏鬼門 Yahoo図.jpg
 八王子同心は甲府にあって江戸の西北を固めていました。
 その八王子同心のうち、原半左衛門とその弟・新助が千人頭を務める130人がシラヌカ&ユウフツに分かれ、蝦夷地に移転しました。
 それは初期蝦夷地幕領化=寛政11年正月―文化4年3月とされる時期です。

 この時期は、異域=異国との境界にあった領域を内国化する施策です。
 幕領化政策の要因の第三に、ロシア南下に対する蝦夷地警備の体制です。
ために、東蝦夷地=江戸経済圏を幕領化し、西蝦夷地=日本海交易圏と北蝦夷地=樺太生活圏への結節を果たす構想で、シラヌカの地点は重要と位置づけられました。
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ヲンネトー伏流水の資産? 足寄・ラワンフキ大型化260901
 ヲンネトー伏流水の資産? 足寄・ラワンフキ大型化260901
260831  ラワンフキ 足寄 nhkBS4K7001.jpg 
 「CYCLE AROUND JAPAN 初夏の北海道横断」 NHKBS4K 260831を見ていて。
抱いた疑問2点・啓発されました。
 一つは足寄・ラワンフキ大型化、二つ目はいつからラワンフキがブランド化されたのか。
 ヲンネトー伏流水の資産? 足寄・ラワンフキ大型化260901。

 写真説明には、「足寄町のラワンブキは大きいもので高さ3メートルにもなる」、と。
 足寄町と釧路市音別地区は、「フキのマチ」を標榜しているけれども。
 そこで、九州大学と足寄動物化石博物館が、足寄町の協力を得てすすめた、共同研究に注目。

  一に「螺湾川や茂足寄川の上流の雌阿寒岳ふもとから流出する河川水に窒素、リン、カリウム、マグネシウム、カルシウムといった植物の成長に必要な栄養分が、平均的な河川水よりも約10倍程度多く含まれている」。
 二に「この源水が、下流の河川沿いの土壌に入り、栄養分が増えることで、ラワンブキの巨大化を引き起こし」
 三に「演習林内の畑でフキを生育させたところ、栄養分が豊富にある条件下でフキの成長が促進されることを確認」

 螺湾川や茂足寄川の上流から流れてくる豊富な栄養分が、ラワンブキを巨大化させている大きな要因であることを明らかにした、成果である、と。
 https://sdgs.kyushu-u.ac.jp/3786 260902 am.06:40
 「研究成果 日本一巨大なフキ「ラワンブキ」はなぜ大きいのか?」 九州大学SDGs

「ラワンフキ 学名」で検索するに、多くは「アキタブキ(秋田蕗、学名:Petasites japonicus subsp. giganteus)」とヒット。
 アキタブキ(秋田蕗が、突然変異で大型化した。そう考えられているようです、よ。
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物語性を創造する“文化の力” 地域創造の原点=夕張 小倉屋ぱんまんぢゅう260901
 物語性を創造する“文化の力” 地域創造の原点=夕張 小倉屋ぱんまんぢゅう260901
 260831  ぱんぢゅう 夕張市 観光HP.jpg 
 「CYCLE AROUND JAPAN 初夏の北海道横断」 NHKBS4K 260831を見ていて。
啓発されました。
 物語性を創造する“文化の力” 地域創造の原点=夕張 小倉屋ぱんまんぢゅう260901

夕張で70年以上親しまれている「小倉屋ぱんぢゅう店」.
気さくな女将さんの笑顔にも誘われて市民に限らず全国からファンが訪れる、と。
 カリッフワッの生地にあんこがぎっしり詰まった「ぱんぢゅう」。

 最盛時からの人口が、20分の一に減少した北海道夕張市で、最盛期を担った炭鉱マンたちが育てた。
 今風には「小腹がすいた時にぴったり」。「ドライブの途中、スポーツの合間、畑仕事の休憩に、夕張のソウルフードはいかがでしょう」。
 そう、観光HPは展開しているも。

 パンとまんじゅうの中間のようなお菓子で、夕張の隠れた名物。
 蒸かして作るのではなく、パンのように焼いて作るまんじゅうだから“ぱんじゅう”と呼ばれるようになったようだ。
 “ぱんじゅう”ぱ、広辞苑にも掲載され、現店主は道具もそのまま引継ぎ営業。その劣化が悩み、と。

 「戦前から続く老舗の味」を、現店主は1981年に父から継承。
 炭鉱で働く人々が好んで食べたため、しっかりとした甘さで塩分も強めに作っていた
 今、時代に合わせて少しずつ味も変え、今では塩分も甘さもずいぶん控えめに、と。

 小樽の「ぱんぢゅう」と並ぶ名物に。自身で価格を設定できる力強さも。
 地元民が育て、地元民のニーズを超えて各地からユーザーが、集まる。
 その吸引力、持続力、開発力。地域創造の原点ではないでしょうか。
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幕領化政策で経営・警備の人心安定を象徴 東蝦夷地伝承の文化財―後―
シラヌカ=幕領化政策で経営・警備の人心安定を象徴 東蝦夷地伝承の文化財―後― by Hirotsugu Sato
260830  白糠旧運上所図 国後ゟ  Modiyfy.jpg
寛永20年記載のオランダ船船長記録と同時期の松前家記録。それによるとクスリ以東が大名家交易対象地であるのに、トカチ・シラヌカは家臣給与地の対象地となっていました。
これを反映してか寛文9年に起きたシャクシャインの戦いでシラヌカに派遣された交易船で13人の犠牲者(『津軽一統志』)、また「松前之図」にある、犠牲者や遭難船の数では「シラヌカ 蠣崎蔵人 船 人数14人 クスリ 前田九郎左衛門 人数 8人」とあるのです。
時に 前田九郎左衛門なるものは蠣崎蔵人とともに白糠におけるアイヌとの交易権を認められていた藩の有力家臣のひとりということで、追補されてクスリで遭難したものか、難しいところです。

幕府がユウフツと並び、まずシラヌカの地を重視したのは、ここに述べた背景があった故かもしれません。選ばれたユウフツの地は勇払川―千歳川―石狩川を通じ、太平洋岸と日本海岸をむすぶ地点です。
シラヌカには3点のルートがありました。

一は茶路川―利別川を経由して十勝川―石狩川につながるトカチ。イシカリへの道(「利別道」としておきます)。後述するも、そもそもトカチアイヌ民族はこの「利別道」を経て、トカチアイヌ生活圏に連なっているのです。
二に庶路川―迂遠別川―阿寒川―網走川(幕府は「網走山道」とします)で、太平洋岸とオホーツク海岸を結ぶ道です。
三に釧路川―斜里川(幕府は「斜里山道」としました)を経て、これまた太平洋岸とオホーツク海岸を結節する道です。八王子同心にとって、この斜里山道は、その任期中に修復に務めた幕府記録も残されている道です。ユウフツ・シラヌカ共に、江戸経済圏の東蝦夷地と、日本海経済圏に依る西蝦夷地、また中国大陸とつながる北蝦夷地=樺太への分岐点。

特にシラヌカであれば箱館~国後・択捉への千島方面に加え、西蝦夷地のイシカリ、同・カラフト、つまり三方向の経営と警備の枢要地としての性格を体現する地です。
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坑内掘り炭鉱のエピローグ 『釧路炭田その軌跡』030331釧路市
 坑内掘り炭鉱のエピローグ 『釧路炭田その軌跡』030331釧路市
280826  030331  釧路炭田その軌跡.jpg
 2002年1月末日 「最後の坑内掘り炭鉱」と称されていた太平洋炭礦(株)釧路鉱業者が82年の歴史を閉じました。
 時の≪平成14年度緊急地域雇用創出特別対策推進事業≫で、その資料収集&関係記録の保存継承を志すことになりました。

 国策の然らしむるところとは言いながら、職員・鉱員1000人と関連業種500人の雇用が失われることに。
 担当することになったとき、「電力ダム建設で消滅の全村居住者大将の民俗調査」。かく位置づけることにし、「ヤマの男女=ヒトによる炭鉱記録」

 そう位置づけ、125名の調査員を委嘱し、記録事業を企画しました。
 ここに公開は、今もアップされている「釧路市公式ホームページ」登載の『釧路炭田その軌跡』データ、です。
 https://www.city.kushiro.lg.jp/area/common/003hp/home.html     (佐藤宥紹)
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