分断と格差が世界観を狭く、日本の貢献度高い 「視点・論点 日本の幸福度をどう高めていくか」260601nhkETV―下―
 分断と格差が世界観を狭く、日本の貢献度高い 「視点・論点 日本の幸福度をどう高めていくか」260601nhkETV―下―

 視野を広げていくため、日本ウェルビーイング学会代表 前野隆氏は二つ提案される。
 「視野の広い人は幸せ」「利他的な人は幸せ」と、いう研究結果です。。
 皆さんは視野が広いでしょうか、狭いでしょうか。利他的でしょうか、利己的でしょうか。

 現代社会は分断の時代と言われています。国会が分断し、個人が分断している現代社会。
 環境問題。貧困・格差の問題、戦争・紛争の問題。少子高齢化の問題、生成AIの急激な進歩にあわせ、世界をどのように設計するか。
 これらの課題は人々の視野が狭くなり、利己的になった結果生じていることも事実です。

 世界のベルディ―ヌがおぼやかされています。この問題は人々が視野を地球規模に広げ、助け合うことによってのみ解決します。
 ここで日本人が昔から伝えられていた考え方が役に立つとおもうのです。
 日本にはもともと<お互いさまや、もったいない>の思想がありました。また、勤勉さや礼儀正しさの哲学があります。

 さらに仏教哲学や神道には。
 生きとし生けるもの幸せでありますように、という思想があります。
 地球上の人類も、動物も植物も幸せでありますように、とする考え方です。
 視野広く、利他的な世界観です。これらは視野が利己的になり、狭くなりがちな現代社会のベルディ―ヌを解決する高度な知恵といえないでしょうか。
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刷れば買い手がつく、付加価値の高さ。北海道民、そこを目指そうではないか。
 2020年春、にわかに顕著となった「紙需要の蒸発」。
 二大製紙工場の製造所を有する北海道東部の港町のみを襲ったわけではないよう、で。 ただ、超大型航空機の離陸と同様、新規着業時の後部車輪は遅くとも、着陸の時には、先頭を切って撤退する。

 5月30日付、北海道内配布紙のネット記事。見出しで明確に。
 「製紙大手、北海道内縮小相次ぐ」 「止まらぬ紙需要減 成長分野への転換焦点に」。 掲載の図によれば「日本製紙勇払事業所 20年生産停止」「釧路工場 21年生産停止」。
 「王子 名寄工場 21年生産停止」「王子 同 江別工場パルプ生産停止」。
 などなど、ほかにもある。

 日本製紙釧路工場生産停止のおりには、地元経済界が7万9,000筆の署名を集めた。
 「待て待て、ここは、道内経済界に呼びかけ、会員企業従業員で、まずは30万部の新聞購読拡大」では、ないか。
 すでに道内配布紙は100万部発行の大台を、割った。そう聞いていたが。配布の新聞ページ数はドンドン減り始め、購読料は値上げされる。

 書籍売り上げ部数も減るが、新聞に折り込まれるチラシは、シキモ切らず。
 紙が貴重品。それなら、ゼニの取れる付加価値高き印刷物を作ろうではないか。
 紙の一次生産。白紙を売るだけでは芸がない。

 刷れば買い手がつく、付加価値の高さ。北海道民、そこを目指そうではないか。
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(3) 記録に残るモシリヤチャシ跡 「メンカクシチャシ館跡之図」(大内余庵筆『東蝦夷夜話』所収)
大内余庵(おおうち よあん 余は本来、旧漢字表記)は、大内桐斎(おおうち とうさい)の別号。
 三河(愛知県)吉田藩主松平(大河内)信古(のぶひさ)につかえ,江戸詰めの侍医に。
 領主大名家の命で、安政3 1856年から3年間東蝦夷地・アツケシに勤務。

 『蝦夷地医家人名字彙」の「大内余庵」の項目があり、箱館奉行所医師として赴任。
 在勤中に見聞の風俗・地理・伝説らを集めて記した板本(刊行物)が『東蝦夷夜話』。 上・中・下の全3冊で構成Ⅷされ、1861(文久元)年に江戸の文苑閣から出版された。

 図名「メンカクシチャシ」は、モシリヤチャシ跡(国指定史跡内の名称)は築造者名を付している。https://ameblo.jp/tiiki219/entry-12961470892.html
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(4)メンカクシ砦に強雄の証を残す (大内余庵筆『東蝦夷夜話』所収)ぶぶる21th  260516
 (4)メンカクシ砦に強雄の証を残す (大内余庵筆『東蝦夷夜話』所収)ぶぶる21th  260516

千島アイヌ文化圏は強勇所在地、
 兵器多く持ち、メンカクシシ祖父はネモロ・アッケシとの戦いを重ねる。
 様々な宝物が現存、鐺・鍋・焼物、今も残る、と。
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(5)阿寒川合流点に地名「チャシコツ」(松浦武四郎筆『東西蝦夷山川地理取調図』所収)ぶぶる21th  260516
 (5)阿寒川合流点近い河口付近の地名に「チャシコツ」(松浦武四郎筆『東西蝦夷山川地理取調図』所収)ぶぶる21th  260516

  図で残した松浦武四郎のチャシ跡記載。
 『東西蝦夷山川地理取調図』では(朱線)「チャシコツ」「サルウシ」、青線「(モシリヤ)」で、示される。
 右岸にアカン、アシセチリの二流を集め、左岸には「ペツフト」の集まる、枢要地点。
 
 左岸に「ヌサマイ」は幣舞丘陵、右岸に「ワワウ」は、現幣舞橋の架橋位置。
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(6)宝暦年間の築造&春採湖畔から移転し築造 「メンカクシ城跡」(松浦武四郎筆『東蝦夷日誌』所収)
 (6)宝暦年間の築造&春採湖畔から移転し築造 「メンカクシ城跡」(松浦武四郎筆『東蝦夷日誌』所収)

 「国指定史跡 釧路川流域チャシ跡群」を構成する「モシリヤチャシ跡」。
 本史跡は築城者・由緒・地域間関係にくわえ、築造年代を推測できる、記録性を有する点で知られてきた。
 ここまで景観と、紀行記載時点での評をしることができたが、『東蝦夷日誌』記載はその根拠ともなる要素を後世に伝えてくれる。

 松浦武四郎は伊勢国一志郡三雲村(現在の松阪市)出身。蝦夷地東岸には弘化2、安政3年に続き同5年来訪する。
 釧路川左岸に流入する支流の合流点に近い、チャシ跡に足跡を記す最初の機会。
 『東蝦夷日誌』は慶応元年に編纂上梓した和綴木版刷り。

 安政5年、山川地理取調で来訪し、調査記録は『戊午蝦夷山川地理取調日記』として残る。  https://ameblo.jp/tiiki219/entry-12961592571.html
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260516 (7)富国繁殖の一大域=資源豊富&河川水系で搬出 松浦武四郎筆『東蝦夷日誌』02 ぶぶる21Th
260516 (7)富国繁殖の一大域=資源豊富&河川水系で搬出 松浦武四郎筆『東蝦夷日誌』02 ぶぶる21Th

 國指定史跡モシリヤチャシ跡。安政期の記録で松浦武四郎も、襟裳岬~知床半島の数用地の認識。
 釧路川―斜里川・網走川は水系輸送で結ばれ、特に釧路川の標茶、阿寒川の舌辛がポイント。
 漁業資源に加え、硫黄・石炭、櫨・漆・楮・ミツマタらの林業らの資源豊富、水系輸送で搬出可能な要地とみる。

 「土人をして不毛夷獠 いりょう の見の旧習を改め給はゝ、不日にして富国繁殖の一大域たらん」、と。
 武四郎は釧路川に阿寒川が合流する釧路川河口を、高く評価する。
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小説『原生花園』&TBSドラマ「アンラコロの歌」=貝塚夕焼け公園丘陵からの風景260516ぶぶる21th
小説『原生花園』&TBSドラマ「アンラコロの歌」=貝塚夕焼け公園丘陵からの風景260516ぶぶる21th

サルウシナイ集水域の支流群。〝遊ぶ・学ぶ・褒めるの末字=ぶぶる21講座”締めくくり。そこに。
 小説『原生花園』&TBSドラマ「アンラコロの歌」=貝塚夕焼け公園丘陵からの風景をお届けいたします。
 作品の内容を紹介している2点。


 ●明治の始め、北海道・釧路に鳥取県士族開拓団の一行が入植した。有尾忠義は有能な士族だったが、病身のため、長女の秋子(泉晶子)が一家の柱とならねばならなかった。
 八瀬順三郎(岩下浩)の嫁となった秋子は、様々な苦難に遭遇しながらも明るく生き抜いた。義父の力蔵(鈴木瑞穂)は日々を振り返る。
 https://www.bpcj.or.jp/program/detail/000908/

 ●家族とともに鳥取県から釧路に渡ったヒロインが米屋に嫁ぎ、苦難に遭遇しながら成長していく。
 http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-13092 『テレビドラマデータベース』
「原生花園 アンラコロの歌(アンラコロの唄)」

 TBSドラマで紹介。
 ●渡辺喜恵子の長編小説「原生花園」の連続ドラマ化。
 タイトルの“アンラコロ”とは、北海道の原生林に咲く“黒ユリの花”のアイヌ語。(1972年3月27日~9月30日放送
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260516 〝あそぶ・まねぶ・ほめる”の末字つなぐ「ぶぶる Kushiro歩く21th」21講座。印刷教材01を。
260516 〝あそぶ・まねぶ・ほめる”の末字つなぐ「ぶぶる Kushiro歩く21th」21講座。印刷教材01を。
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「人が居なくなりマチは衰退、アカンわ」で町家人形まつり 「小さな旅 春笑う 〜和歌山県九度山町〜」Part1
 「人が居なくなりマチは衰退、アカンわ」で町家人形まつり 「小さな旅 春笑う 〜和歌山県九度山町〜」Part1

 町家人形めぐり18th。26年も4月1日が開幕日、5月5日までの催事だ。
 町内40ケ所ほどの会場で、自宅にある人形を店先に飾り、往来する人を愉しませる。
 人が減り、活気を失った九度山をなんとかしたい。梅下さんは町で水道工事を引き受ける。

 商工会青年部に入って居て「その時もなんとかせにゃならん」。
 「18年前はマチなかに人がまったく居なくなり」「このままではマチは衰退してしまう、アカンわ」。
 「なんか、しような」。住民の手ではじまった人形めぐり。初めは60軒の参加。

 今は40軒ほど。要因はマチの高齢化がすすんだこと。参加者が減っても人形めぐりはやめられない。
 一番おおくの人形を並べるメーン会場。準備は大人から、こども、若者、お年寄りまで。
 世代を超えた交流で準備は始まる。「みんな、たのしそう」

 準備がたのしそうなのは「定着し、期待しているというkと」と梅下さん。
 訪問の山本哲也アナは、マチのつながりを守るために催事を、と。
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