香川県、二度消えて二度復活と 全国一小面積にして、沖縄除き最も遅く県移行260303
 (承前)ただ、住民は納得していなかった。島根に編入された鳥取の如く、内務卿に予讃分割の建議書を提出する。(下図「読売新聞」OnLine
https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20220228-OYT8T50157/)

 曰く。「伊予ハ山多ク、讃岐ハ平野多シ、故二人情大二異リ、其生スル所ノ産物モ亦大二其趣ヲ異ニシ、一州二便ナル者必ス一州二便ナラスシテ往々呉越の思アリ、其例遠ク徴スルニ及ハス」と。
 そこを愛媛県生涯学習センターホームページは「香川は面積や人口で愛媛県に比べて少なかったとはいえ、経済開発は進み、貢租の負担のうえで不満があり、県庁のある松山に遠く、統合当初から感情問題を生じていたほど」と、前掲書を引用する・

そこで1980年に全国府県調査が始まり、84年末に出版され『興業意見』には、香川県自体の記述がみられない。
 記載のように香川県は、明治9=1876年8月~明治21=1888年12月3日は愛媛県の一部であった。
 故に「【1888年】12月3日は香川県の独立記念日」とする記載がある。
 https://yousakana.jp/kagawa/ 
【1888年】12月3日は香川県の独立記念日 – December 3rd is Independence Day of Kagawa pref. | 物語を届けるしごと
コメント (0)

香川県、二度消えて二度復活と 全国一小面積にして、沖縄除き最も遅く県移行260303
 香川県、二度消えて二度復活と 全国一小面積にして、沖縄除き最も遅く県移行260303

前日朮の「離れて居ても同じ県で不都合が多い」は、たちまち「置県後の統廃合」を促すことになったか。
 1873年2月 高松県、丸亀県、倉敷県、津山県域=「旧(第一次)香川県か」は「(明治4=71年11月、名東 めいとう 県=阿波と淡路の合併)と改称済の徳島県に1875=明治7年9月まで編入される。
 https://www.pref.tokushima.lg.jp/japanese/about/history/
 つまり名東県が管轄した時期は明治4=71年11月~同7=75年9月まで。75年9月には名東県が分離され、「旧(第2次)香川県」が成立する。

 でわ1875=明治7年9月からの県名は旧高松県の中央、香川郡を県名にしたものながら、明治9=1876年■月、今度は愛媛県に編入される。
 この判断を『愛媛県史 地誌Ⅰ』(総論)(昭和58年3月31日発行)は、「明治政府の地方行政策のうえで、四国が面積的に広く、二県に統合することが合理的だと考えられたにすぎない」とする。
 ただ、住民は納得していなかった。島根に編入された鳥取の如く、内務卿に予讃分割の建議書を提出する。(下図「読売新聞」OnLine
https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20220228-OYT8T50157/)

 曰く。「伊予ハ山多ク、讃岐ハ平野多シ、故二人情大二異リ、其生スル所ノ産物モ亦大二其趣ヲ異ニシ、一州二便ナル者必ス一州二便ナラスシテ往々呉越の思アリ、其例遠ク徴スルニ及ハス」と。
 そこを愛媛県生涯学習センターホームページは「香川は面積や人口で愛媛県に比べて少なかったとはいえ、経済開発は進み、貢租の負担のうえで不満があり、県庁のある松山に遠く、統合当初から感情問題を生じていたほど」と、前掲書を引用する・

そこで1980年に全国府県調査が始まり、84年末に出版され『興業意見』には、香川県自体の記述がみられない。
 記載のように香川県は、明治9=1876年8月~明治21=1888年12月3日は愛媛県の一部であった。
 故に「【1888年】12月3日は香川県の独立記念日」とする記載もあるほどなのだ。
 https://yousakana.jp/kagawa/ 
コメント (0)

香川県、二度消えて二度復活と 全国一小面積にして、沖縄除き最も遅く県移行260302
 香川県、二度消えて二度復活と 全国一小面積にして、沖縄除き最も遅く県移行260302

 『興業意見』総目録で「巻二十四 地方十」の「南海道」は和歌山県、徳島県、愛媛県、高知県で、香川県がない。
 『興業意見』の編さんは1980年に始まり、84年末に出版されている。
 その間に、香川県の母体である讃岐国は、時代の推移に揺れた。

 江戸末期。讃岐国に高松、丸亀多度津の大名家領、さらに津山の飛び地と天領があった。
 明治4年7月14日 廃藩置県が施行され、旧大名家領=廃藩に、府県が設置=置県された。
 讃岐国
  高松    →高松県
  丸亀    →丸亀県
  多度津   →倉敷県
  天領    →倉敷県
  津山飛地  →津山健
 結果、「北海道に1使、東京・大阪・京都に3府、そして全国に302県が置かれた。
 ために、飛地であった旧大名家領がそのまま新しい県となり、離れて居ても同じ県で不都合が多い、とされた。
コメント (0)

この文化、北海道にあるや? 「(鳥取県)ふるさとキャリア教育」260227NHKG
 この文化、北海道にあるや? 「(鳥取県)ふるさとキャリア教育」260227NHKG

 令和7年が三度目にあたる「ふるさとキャリア教育フェスティバル~子どもの学び 発信・発見!~」が、開かれたと。
 なかで、三朝小学校の発表した「日本一危険な国宝~国宝投入堂~」の30秒CMが、「CM賞」授与された。
 そんなニュースに接し「あの国宝」のことだ。そこと即座に結合した。

 「三徳山三佛寺投入堂」。実に<断崖絶壁に建つ御堂>なのだ。
 「どう建てた?」「どう管理?」「なんのために?」。次々、疑問が過る。
 験者が往昔から修行で詣でる。「活きておる」。

 ところで「ふるさとキャリア教育」とは、なにか。県のHPに三項目が記載。
 1)ふるさとに誇りと愛着持ち、鳥取をさらに発展させていく意欲・意志を持った人材育成を目指す取組、
 2)発達段階に応じ地域に根差した学びを実践。
 3)学びを通じ、将来どこにいても心にふるさと鳥取を抱き、自分らしい生き方を確立していけることを目指す。
コメント (0)

「日韓友好の未来志向で」 肥前名護屋城の遺構学び260226
「日韓友好の未来志向で」 肥前名護屋城の遺構学び260226

82分ほどの講演データ。特別史跡指定名称「名護屋城跡並陣跡」ということなのだ。
佐賀県立博物館学芸員が講演している。関東地区の視聴者が多いということであった。
https://www.youtube.com/watch?v=fJf8aRBPdBw

 佐賀市に調査に赴いた時、陶磁器研究者の方から「(連れ合いさんは)佐賀県立名護屋博物館の専門職で」と聞かされ、松前家と秀吉謁見の一事が念頭に浮かんだ。

 時代をくだって、肥前佐賀からは安政期に鍋島家家臣 島義勇の調査があり、その旅先・寿都の宿に向け伊勢国の松浦武四郎が書簡を贈っている。
 「(当時の釧路が)富国繫殖之地」「(北海道で開拓先を選ぶなら)釧路」と伝え、維新後川上銀・厚岸郡・釧路郡を飛び地支配した経緯がある。

 その厚岸郡に設置されていた史跡国泰寺跡の整備計画を作る段階で、「特別史跡 名護屋城並陣跡」を担当したコンサルタント会社のお方から、聞かされる事、多々あった。
 「(整備の理念)日韓友好の未来志向で」。コンサルタントはそう、韓国国民との接点を語り伝えていたと、思う。
 以来、移行をつぶさに。それが念願であったがこのたび、記載のURLで知ることできた。
コメント (0)

モノ作る、付加価値創造=冬季農閑期の雇用 「小さな旅  冬 ここに働く 〜秋田県湯沢市〜」260221nhk
 モノ作る、付加価値創造=冬季農閑期の雇用 「小さな旅 冬 ここに働く 〜秋田県湯沢市〜」260221nhk

稲庭うどん。工場では「手ない てない」と呼ばれる熟練ならではのワザが紹介される。 うどん生地に糊をつけながら、糸状に伸ばしつづける作業。「先祖伝来、秘伝」の製作過程を七代目の当主が公海に踏み切った、と。
 冬季農閑期の仕事を創造することで、出稼ぎに頼っていた冬の労働力を地元に残す。
 「そうしないと、地域は豊かになれない」。八代目は亡父の判断を回顧する。

 その経営に2020年=コロナ禍の危機。店に客の来ない日がつづき、出荷が止まった。
 「仕事を創ること」。東京で働くスタッフを工場近くに集め、近隣にアパートを借りて製造や流通の研修・製造に従事させた。

 北海道釧路市。1957‐65年に釧路市長を務めた山本武雄市長は横手中学の出身。
 それが因縁で、両市は姉妹都市を締結。互いの名産品が交流している。
 「ヒト様の消費するモノ=産品が最終消費段階に位置する銘品」創造機能を深化拡充したい。
コメント (0)

蝦夷が千島の領主 統一政権に謁見の地 肥前名護屋城址・東松浦半島260226
 蝦夷が千島の領主 統一政権に謁見の地 肥前名護屋城址・東松浦半島260226

 TV番組映像ながら、初めて肥前名護屋城址を目に浮かべ感慨深し。
 中学時代には秀吉、朝鮮半島攻撃時に出陣拠点として。しかし長じて。
 そこが松前の地からはるばる、対アイヌ民族交易独占権担保で、蠣崎慶廣が赴いた地点で。

 蠣崎氏は秀吉から「志摩守」に任じられ、蝦夷地支配権安堵の朱印状と巣鷹献上が認められる。
 蝦夷地と呼ばれた領域に、投資をすることなく交易でえられる利益=得分を独占。
 本州から来島の諸侯・商人たちを排除し、蠣崎氏が独り占めする権利が統一政権に認められた、と言う点。

 実はこれまで他のファクターを通じ、身近に意識してきたポイント。
 でも、東松浦 ひがしまつうら 半島の地に、足跡を残す機会はとても、とても。
コメント (0)

建礼門院庵室跡&しば漬け 『平家物語 巻百九十 大原御幸』の一節260224
建礼門院庵室跡&しば漬け 『平家物語 巻百九十 大原御幸』の一節260224

  高校時代に履修の『平家物語』の一節。いくつかは記憶にあるも、その一が「寂光院是なり」。
 後白河法皇が建礼門院のもとに「文治二年の春の比 御幸するは」。
 文治2=1186年のことか。

 今日、その前後を探すと、以下のクダリにたどりつく。
 西の山のふもとに一宇の御堂あり。則寂光院是也。ふるう作りなせる前水木だち、よしあるさまの所なり。「甍やぶれては霧不断の香をたき、枢おちて月常住の燈をかかぐ」とも、かやうの所をや申べき。庭の若草しげりあひ、青柳の糸をみだりつつ、池の蘋浪にただよひ、錦をさらすかとあやまたる。中島の末にかかれる藤なみの、うら紫にさける色、青葉まじりのをそ桜、初花よりもめづらしく、岸のやまぶきさきみだれ、八重たつ雲のたえ間より、山やま郭公ほととぎすの一声も、君の御幸をまちがほなり。
 
 京都大原が話題になるごとに、『平家物語』の一節を念頭に。訪問する機会あってもその位置関係すら不明だった。
 最近TV画面でそのポイントが示される。現在は庵室跡に標柱、かつ名物の「しば漬け」こそ、徳子の好物であった、と。
 その「しば漬け」は1960年ころから京都土産の定番。そのたび「これがネ~?」。

 紫蘇・生姜・切干大根・なす。紫色の一品に深き、いわれと。『源平盛衰記』を読み、どちらかと申すと清和源氏がごヒイキ。
 この一文、TV癌組の視聴、想い重なる寂光院の御宇に接し、「お好みの味」に転ずるや。
コメント (0)

「即ち寂光院是なり」 『平家物語 巻百九十 大原御幸』の一節260224
 「即ち寂光院是なり」 『平家物語 巻百九十 大原御幸』の一節260224

高校時代に履修した『古典』授業のなかで、『平家物語』の一節に登場したフレーズ。
 いくつかは記憶があるのだが、その一が「寂光院是なり」の一文。
 聞けば、大原寂光院で平家一門の菩提を弔う建礼門院を後白河法皇が訪ねる。そのクダリ部分。

 ただ、奇妙に後白河法皇のことなど、まったく記憶になく、ひたすら建礼門院徳子のkとしか記憶がない。
 ただ、大原・三千院の近くであろう。それは記憶があって、容姿と音声澄み切った若い僧侶の天台声明 てんだいしょうみょう の響きのみが連想される。

 京都大原・三千院。そこを訪ねたときも、その先は来迎院に赴き、朱印帳に一筆。
 来迎院に「伽陀 かだ」の譜面があって、そこぞ天台声明のメッカと。
 筆者の友人、その懇意の友が朱印帳揮毫の主。教えてもらうに声明の指導。今は本願寺勤式指導所から、見えていると。
コメント (0)

若き神職の尊い意欲 地域活動の実績を「もやいなおし」で新時代を260222
 若き神職の尊い意欲 地域活動の実績を「もやいなおし」で新時を260222

 釧路國壱之宮の若い神職さんの呼びかけで、勇退された経済人のお方とMeeting.
 2010年11月に立ち上げた「厳島神社文化講座」は、数年、続くも神職さんがJC=地域青年会議所の開発委員長から、理事長の要職を務めることに。
 多忙の間の休止期に、その次の神職さんが「元町青年団長」に就任して社務所の地域開放を継続していた。そんな経過からいささかの冬眠期間。

 これまで違った形で従来の文化講座を再生させたい。
 「三人寄れば文殊の知恵」になるか、協議の方向は次の3項目で、その場がおさまった。
 1)一方的な語りではなく、参加者の発言で議論の深化をめざす。
 2)ネット社会の特性は認めるが、「言葉の温度、抑揚、微妙な感情」をたいせつに。
 3)参加人数は一度に20名程度、男ばかりではなく女性の参加を。

 その間に地域は基幹産業企業の閉山や撤退、異常気象や気候変動で赤潮発生による資源損傷やら、海水温上昇に伴う寒地系水産資源が沿岸に近づかすけない。
 サンマ漁増が沿岸から遠のき、公海が漁場に。サケマスの受精卵確保ができず増殖事業に支障。
 海水温上昇でウニの成長が早く、コンブ資源を蚕食して世紀末にはコンブ漁場が東へ移動するのでは。

 地域活動から離れた若き神職さんは、宮司のもとで法務&教化伝道に専従と、聞き敬意を払うも、その重責に思いをはした。

 境内には新たに「龍神祠」「御得稲荷神社由緒」「幣舞福得稲荷」。三基の石柱と三柱の祠。それは廻游漁業を基盤に創建された社が、その基礎をこの境内に遷座したことを。
 その橋北地区にあった底魚漁業の経営者が<お籠り>した、日枝神社も仕舞したまま。
 小社では相次ぐ神職の兼職が報じられている。

 さて、「地域の経営を元気づけるソフトプログラム開発」。若手神職さんを取り巻く、同世代の意欲に支援の輪を根付かせねば。
若き神職の尊い意欲 地域活動の実績を「もやいなおし」で新時代を260222
 (「もやいなおし」は「漁船を岸につなぎとめる『舫もや う』に由来する結び方で、結びやすく、そして簡単にとけるロープワーク」を応用。
 水俣市では市民と市民、市民と地域、市民と企業の相互理解で、市民に生じた偏見・中傷・差別による対立から復興を果たした.。水俣の教訓を活かしたい。
コメント (0)