料理研究家「昔のひとが山に畏怖して敬虔な思いに」 ヤマに神=山岳信仰の感覚260402
 料理研究家「昔のひとが山に畏怖して敬虔な思いに」 ヤマに神=山岳信仰の感覚260402

 「(山で)ひとり歩くことになる 孤独を感ずる、その時」
 「トレラン45km」。競技会に出場の機会ある料理研究家 土井善晴さんの語り。
 それを承けて吉田類氏が言葉をつなぐ。「昔のひとが山に畏怖して敬虔な思いにひたる  その感覚がよくわかりますよね」。

 「清浄なる水でいつでも手を洗うことができた」「水は人間が 食べ物をつくる始まりとなっている」
 「まな板は、眞名板 と書くが、眞名、すなわち神様の板で魚を扱う、転じて<魚を神様のように扱う>こと」
 「食べ物を食べて神様と直結するは、、日本人のモノの考え方になっている」。

 「低山はハレ=日常」「高山はハレ=非日常ではないか」。
 そこで類氏が一言くわえる。「低山は一汁一菜ですか?」。
 師匠は加えて「自然採集で生活できた」「山菜で料理をつくることをやっていた」
 「女性ひとりでも十分に食べ続けることができた」。
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「釧路学の形成者―“種市観光学"―」 釧路湿原シニア大学11期2年次1st講座 by 佐藤宥紹260407
 「釧路学の形成者たち―“種市観光学"の意図と方法―」 釧路湿原シニア大学11期2年次1st講座 by 佐藤宥紹260407
           
 種市佐改(たねいち さかい 1923~1991)さんは、大正12年の釧路市生まれ。
『阿寒国立公園の三恩人』『阿寒国立公園物語』『ざつ学・道東の旅と観光』『硫黄山と鉄道百年物語 : 弟子屈町むかしむか史』(1989年)の著者で知られる。
 2,024年は生誕100周年にあたっていたが、その歳はまた、現在の阿寒摩周国立公園が指定90周年のフシメでもあった。

 3月、代表的著書の一冊『阿寒国立公園の三恩人』を増訂して、『阿寒国立公園の三恩人+プラス』が発刊された。
 そのミニシンポが開かれるも、著者の紹介をめざし、用意した草稿。
 このたび改題し、高齢者講座で「釧路学Ⅱ」として、演述するもの。

 講座は登録制で非公開ながら、その要旨を追々、紹介することに。
 「釧路学の形成者たち―“種市観光学"の意図と方法―」 釧路湿原シニア大学11期2年次1st講座 by 佐藤宥紹260407
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記録に残るモシリヤチャシ跡 「メンカクシ城跡」(松浦武四郎筆『東蝦夷日誌』所収)
  記録に残るモシリヤチャシ跡 「メンカクシ城跡」(松浦武四郎筆『東蝦夷日誌』所収)

 「国指定史跡 釧路川流域チャシ跡群」を構成する「モシリヤチャシ跡」。
 本史跡は築城者・由緒・地域間関係にくわえ、築造年代を推測できる、記録性を有する点で知られてきた。
 ここまで景観と、紀行記載時点での評をしることができたが、『東蝦夷日誌』記載はその根拠ともなる要素を後世に伝えてくれる。

 松浦武四郎は伊勢国一志郡三雲村(現在の松阪市)出身。蝦夷地東岸には弘化2、安政3年に続き同5年来訪する。
 釧路川左岸に流入する支流の合流点に近い、チャシ跡に足跡を記す最初の機会。
 『東蝦夷日誌』は慶応元年に編纂上梓した和綴木版刷り。

 安政5年、山川地理取調で来訪し、調査記録は『戊午蝦夷山川地理取調日記』として残る。
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記録に残るモシリヤチャシ跡 「メンカクシチャシ館跡之図」(大内余庵筆『東蝦夷夜話』所収)
 記録に残るモシリヤチャシ跡 「メンカクシチャシ館跡之図」(大内余庵筆『東蝦夷夜話』所収)

 大内余庵(おおうち よあん 余は本来、旧漢字表記)は、大内桐斎(おおうち とうさい)の別号。
 三河(愛知県)吉田藩主松平(大河内)信古(のぶひさ)につかえ,江戸詰めの侍医に。
 領主大名家の命で、安政3 1856年から3年間東蝦夷地・アツケシに勤務。

 『蝦夷地医家人名字彙」の「大内余庵」の項目があり、箱館奉行所医師として赴任。
 在勤中に見聞の風俗・地理・伝説らを集めて記した板本(刊行物)が『東蝦夷夜話』。 上・中・下の全3冊で構成Ⅷされ、1861(文久元)年に江戸の文苑閣から出版された。

 図名「メンカクシチャシ」は、モシリヤチャシ跡(国指定史跡内の名称)は築造者名を付している。
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記録に残るモシリヤチャシ跡 「チャシ図」(村上島之丞筆『蝦夷嶋奇観』所収)
 記録に残るモシリヤチャシ跡 「チャシ図」(村上島之丞筆『蝦夷嶋奇観』所収)

 村上島之丞(本名 秦檍麿 はた あわぎまろ)筆 が制作したアイヌ風俗画。
 アイヌ民族文化に対する深い理解と精緻な観察に基づき、伝説・儀礼・家屋、狩猟等を記録。
 北海道、アイヌの歴史、文化研究上に貴重。(「文化遺産オンライン」)。

 村上は宝暦10 1760年に伊勢国宇治山田(現三重県伊勢市)に生まれ、1799-1800年に幕府調査で択捉、得撫島に渡る。
 1806年に没するも、本図掲載の『蝦夷嶋奇観』は文政6 1823年 遺構を養子の村上貞助がまとめあげ、刊行した。
 間宮林蔵の師匠としても知られる。
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琵琶湖一望し“水物語”読める「仰木の棚田」 「美の壺 いにしえの息吹伝える 琵琶湖」250423nhk4K
 琵琶湖一望し“水物語”読める「仰木の棚田」 「美の壺 いにしえの息吹伝える 琵琶湖」250423nhk4K

 森→水→ヒト→棚田→琵琶湖 琵琶湖を一望し“水物語”体現する「仰木の棚田」。 写真家の今森光彦氏が幼いころからシャッターを切り続けてきた「仰木の棚田 おおぎのたなだ」。
 氏は「琵琶湖を一望できる1200年続くこの棚田は琵琶湖を象徴する風景」と言い切る。

 「山と湖の距離が短い琵琶湖は水の流れがよくわかる」「水の物語を感じる」。
 そう、続けているのだ。そればまりではない。
 春先の時節。「全層循環 ぜんそうじゅんかん」という現象が起きるのだそうだ。

 自然の営為。そこをもう少し、聞いてみたい。全層循環とは。
 「春が近づくと山から流れる雪どけの水が湖の表面を覆う」、と。
 「この時、湖底の水との間に寒暖の差が生まれ、冷たい水は下へ、湖底の水は上へと大きく循環」。

 結果、「表層の酸素を多く含んだ水が湖底まで行き渡る」ため。
 「底生生物の生存環境が改善され、琵琶湖の生態系が維持される」。
 琵琶湖を知る人の間で「琵琶湖の深呼吸」と受け止められている現象。

 水深が深く冬は雪が多いため、季節の変わり目におこる。
 冬から春に向かう現象なのだそうだ。湖水にみられる現象、そこが端的に示される琵琶湖のダイナミズム。

 市民が身近にある湖畔で湖面を見つめる視線も、今ひとつ、豊かになること請け合いではないだろうか。
 「美の壺 いにしえの息吹伝える 琵琶湖」初回放送日NHK BSプレミアム4K2025年4月23日(水)午後7:30。
 https://www.web.nhk/tv/an/tsubo/pl/series-tep-3LWMJVY79P/ep/7JRV9Y62L9
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地産地消・土産土法・医食同源 地域で産する食資源、その多様な意味
 その土地で収穫されたものを、その土地の昔ながらの食べ方で味わう「土産土法(どさんどほう)」。
 nhkBS4K「にっぽん百低山 低山と日本人の食」。この番組で、主唱者の土井善晴氏が語る。
 「土産土法 土井善晴」で検索すると「龍郷町民フェアで土井さん講演 2026年2月16日」 
  https://amamishimbun.co.jp/2026/02/16/60590/ に、出あった(写真)。
 「そう言えば」。1980―85年ころ、通勤列車の車中読み耽っていた、沖縄の地域振興の本・¥。その中野の一節が念頭に浮かび上がった。

 話は沖縄のもすく。都内に出荷するも、都民の口に、合わなかった。「おいしいと思わない」の悪評。
 それを問いただした沖縄県民は、「その食べ方ではダメだ」「沖縄県民が食べている料理方法でなければ」。
 この話。実に今日、土井氏の「土産土法」が沖縄で注目を集め、新聞社の講演会に招かれるのも実に、理にかなった、背景があったのではないか。
 地産地消・土産土法・医食同源 地域で産する食資源、その多様な意味。自然と一体化した人間が、同じ環境で育つ食材を「生かす知恵」では。

 「土地で収穫されたものを、その土地の昔ながらの食べ方で味わう」は、ピタリ。
 1980年代前半には「土産土法」が、強く意識されることはなかったけれども。
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生息環境・栄養組成・漁獲時季のみでなく アユの旨さの仕掛け260324
 生息環境・栄養組成・漁獲時季のみでなく アユの旨さの仕掛け260324

 アユがおいしいか、どうか。それは上流の植物相に寄るそうです。
 森から流れてくる水。それが栄養豊富なので、上流に育つ藻も良質になる。
 アユはその藻を食するので、自ずと、おいしいアユが育つのです。

 川べりにすむアユ漁に長く生きる生産者の説明。
 これまで、なぜ、四万十川のアユは、おいしいか。
 藻を食べて栄養が体に行きたり、<排便>を済ませた頃合いを見計らい、漁獲して食卓に。

 肴に<脂がのった>の形容があるも、本当の美味しさ、本来の旨さ。
 その確保の秘密は、生育環境・栄養組成だけでは、なかった。
 <排便>を済ませた頃合い。絶妙ともいえる、漁獲のタイミング+新鮮度合い。

 永年の経験と知恵が生み出した世界。「頭から身体ごと」の背景にある世界。
「ワイルドライフSP 知られざる日本の自然 第2集 深山に生きる」nhkBS4K260324
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大国首脳は傾聴を「誰も無言『攻撃したのは私』と」。 勝田茅生&エリザベート・ルー2603134
 大国の首脳は傾聴せよ「それは誰も言わず『先に攻撃したのは私』と、・・・」。 勝田茅生は聞く、F博士の弟子:エリザベート・ルー2603134

そもそも「先に攻撃したのは私です」と言う人はいません。
 それは国家間でも同じです。でも誰が争いを始めたかは問題ではないのです。
 争いをやめ、同じ仕打ちをやり返さない人こそが「英雄』なのです。

 「大国の首脳は傾聴せよ」。記載者はかく、メッセージを届けたい。
 取材する日本ロゴセラピスト協会 会長:勝田茅生氏に語りかける、フランクル博士・直弟子と紹介のエリザベート・ルーのメッセージを。
 260314放送「こころの時代― ヴィクトール・フランクル それでも人生には意味がある」の最終場面。

 3月19日、日本の首相はUSA大統領と首脳会談。各国期待のなか「日本の外交姿勢」を説明できたか。
 朝HBCでコメンテーター。「法律でできることできないことある」は、換言すれば「“法律を変えて”読めると」と。
夕STVでは「憲法改正に一石を投じることになった首脳会談では」と男性アンカーマン。
 衆院議席300余を背景にした、女性首相の妙なる自信かな。
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「苦悩は成熟、ものごとを見抜く力を与え、世界を見通せるように」 V.E.フランクル『苦悩する人間』260322
 「苦悩は成熟、ものごとを見抜く力を与え、世界を見通せるように」 V.E.フランクル『苦悩する人間』260322

 苦悩する人はもはや運命を外面的に変えられることはできなくなっています。
 けれども、その人はまさに苦悩によって、運命を内面的に克服することができるのです。 苦悩は成長です。また苦悩は成熟でもあります。

 苦悩は人間にものごとを見抜く力を与え、世界を見通せるようにします。
 苦悩への勇気。これこそ重要なのです。(ヴィクトール・E・フランクル『HOMO PATTENS 苦悩する人間』)。

 NHKETV「こころの時代―宗教・人生―こころの時代〜宗教・人生〜 ヴィクトール・フランクル それでも人生には意味がある」。
 シリーズ最終回にあたる6thは「人生の中の出逢(あ)い」。
 冒頭、『HOMO PATTENS 苦悩と人間』の一節が読み上げられた。

 オーストリアの精神科医にして心理学者のヴィクトール・E・フランクル(1905~97年)は、1944年10月にアウシュビッツに送られた。
 両親・妻を失うも、テュルクハイムへの移送を経て45年4月にアメリカ軍により解放、と。
 孫に「しばしばアウシュヴィツを思い出す」と語る。

 その語りを承け、孫が回想。
 「誰にでもそれぞれのアウシュビッツがあり」「簡単には解決できない苦しみがある」。
 「それは本人にとっては絶望的な状況なんだ」と言い及んでいた。
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