時系列の本編「Ⅱ.太平洋炭礦の操業 1920―45年」 『釧路炭田その軌跡』CD-ROM版030331
 時系列の本編「Ⅱ.太平洋炭礦の操業 1920―45年」 『釧路炭田その軌跡』CD-ROM版030331
  https://www.city.kushiro.lg.jp/area/common/003hp/jidai/index2.htm
261028  釧路炭田その軌跡 時代02 CD版.jpg
 時代は第一次世界大戦の終了。戦時の船成金、鉱山成金、豆成金。のちに「成金栄華時代」なる漫画作品が産まれた時代にはカゲリをみせるなか、三井系の出資で太平洋炭礦が創業される。

 地方資本の鉱業権を集め、軌道輸送で採掘地と港頭をむすぶ内陸炭鉱開発の時代がはじまった。
 釧路炭田では三井に先行した三菱資本が雄別鉄道を敷設して雄別炭礦を開いている。
 時系列第二章にあたる「Ⅱ.太平洋炭礦の操業」は、4つのパートで提示した。
 「1.戦後不況下に太平洋炭礦発足」「2.戦時体制の深まりと増産」「3.戦時増産期の釧路炭田、「4.保坑・休坑への道」。

 1929年世界恐慌以降は1)USA、2)英仏ヨーロッパと3)日本&独伊の三グループに対応がわかれた。
 3)日本&ドイツ・イタリアは軍国主義に傾斜していく。果たせるから1931年9月 柳条溝事件が始まる。
 太平洋炭礦は別保坑、尾幌一坑、尾幌二坑を傘下に収め、1940年、41年には戦前生産量ピークで年産70万トンを掘り出している。

 「保坑」は坑道維持の作業をすすめながらも、出炭を抑える戦時措置。「休坑」は全山閉じて坑員を別な炭鉱に移す対応。
 米軍に海上輸送を封じられ、輸送供給を停止した状況に追い込まれる。
 時代は第一次世界大戦の終了。戦時の船成金、鉱山成金、豆成金。のちに「成金栄華時代」なる漫画作品が産まれた時代にはカゲリをみせるなか、三井系の出資で太平洋炭礦が創業される。

 地方資本の鉱業権を集め、軌道輸送で採掘地と港頭をむすぶ内陸炭鉱開発の時代がはじまった。
 釧路炭田では三井に先行した三菱資本が雄別鉄道を敷設して雄別炭礦を開いている。
 時系列第二章にあたる「Ⅱ.太平洋炭礦の操業」は、4つのパートで提示した。
 「1.戦後不況下に太平洋炭礦発足」「2.戦時体制の深まりと増産」「3.戦時増産期の釧路炭田、「4.保坑・休坑への道」。

 1929年世界恐慌以降は1)USA、2)英仏ヨーロッパと3)日本&独伊の三グループに対応がわかれた。
 3)日本&ドイツ・イタリアは軍国主義に傾斜していく。果たせるから1931年9月 柳条溝事件が始まる。
 太平洋炭礦は別保坑、尾幌一坑、尾幌二坑を傘下に収め、1940年、41年には戦前生産量ピークで年産70万トンを掘り出している。

 「保坑」は坑道維持の作業をすすめながらも、出炭を抑える戦時措置。「休坑」は全山閉じて坑員を別な炭鉱に移す対応。
 米軍に海上輸送を封じられ、輸送供給を停止した状況に追い込まれる。
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時系列の本編「Ⅲ。優良炭鉱としての出発 1945―62年」 『釧路炭田その軌跡』CD-ROM版030331
 時系列の本編「Ⅲ。優良炭鉱としての出発 1945―62年」 『釧路炭田その軌跡』CD-ROM版030331
261028  釧路炭田その軌跡 時代03 CD版.jpg
 ポツダム宣言受託後、その歳の年末に太平洋炭礦は、操業を再開する。
 鉄と石炭。それは国土復興の起爆剤として、期待されたからにほかならない。
 石炭傾斜生産方式。これは、石炭・鉄鋼を重点的に増産、さらに化学肥料、電力などの重点的な産業に資材を重点配給することとした政策である。

 「Ⅲ。優良炭鉱としての出発 1945―62年」は、4本の柱を設けた。
 「1.戦後、炭鉱再開後の太平洋炭礦」「2.戦後復興期の採炭記録」「3.戦後復興期の炭鉱生活」「4.海底炭への挑戦」。
 中核は、海底炭採掘への着業。「従業員は最大で5000人余を擁する大会社」「戦後に結成された労働組合とも提携しつつ、さまざまな分野で機械化をすすめ」と、展開する。

 「海底炭の採掘」は昭和20年代後半から始まる。
 戦前型の改良機械、戦後第一世代としてメーカーにより開発された鉱山機械。
 それらを掘進、仕繰部門に導入。

 昭和29年の坑内ガス爆発事故を伴う。
 保安対策の科学化と機械化をめざした設備投資を実施。
 出炭量は昭和27年=4000人の従業員で70万トン、同35年=3000人を割る従業員で100万トンの大台を超える。
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時系列の本編「Ⅳ.ビルド鉱としての飛躍・存続 1962―85年」 『釧路炭田その軌跡』CD-ROM版030331
時系列の本編「Ⅳ.ビルド鉱としての飛躍・存続 1962―85年」 『釧路炭田その軌跡』CD-ROM版030331
 https://www.city.kushiro.lg.jp/area/common/003hp/jidai/index4.htm
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030331  Ⅳビルド鉱 釧路炭田その軌跡.jpg
 釧路炭田の戦後石炭史には二つの画期があった。
 1952年石油自由化の浪、65年までに小規模炭鉱が漸次、閉山。62年、第一次石炭政策が実施される。
 65年から70年にかけ中規模の明治鉱業、三菱雄別三山(雄別 茶路 尺別)が閉山。

 「4.釧路炭田の縮小」は、6点の図版を配置。
 「釧路炭田 釧路港の石炭移出先(1965~71年)」「釧路炭田 稼行炭鉱推移(昭和20年~41年)」「釧路炭田 市町別石炭産出量(昭和33年)」
 「明治鉱業(株) 庶路炭礦で閉山提案」「明治鉱業(株) 本岐炭礦で強行就労」「雄別炭礦 企業ぐるみの閉山へ」

 三井系の太平洋炭礦。生き残りをかけ持ち家制度を提案し、労使一帯で離山抑止、機械採炭の効率&増産かをはかる。
 「1.世界に誇る機械最短確立への道」「2.年産200万トンの処理体制」「3.福利厚生事業」
 統計によると、「1977年 2,609,632トン」。1920年 操業開始。82年間に1億トン出炭の太平洋炭礦にとって、年間最多量の出炭記録となった。
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時系列の本編「Ⅴ.日本最後の稼行炭鉱へ」 『釧路炭田その軌跡』CD-ROM版030331
 時系列の本編「Ⅴ.日本最後の稼行炭鉱へ」 『釧路炭田その軌跡』CD-ROM版030331
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CD-ROM版『釧路炭田その軌跡』の第5章にあたる「Ⅴ.日本最後の稼行炭鉱へ」は、1986年から2001年までを取り扱う。
 「1.深部採炭への挑戦」「2.炭鉱の賑わい、そして輝き」「3.炭鉱視察、そして炭鉱存続の努力」。
 国内炭鉱が相次ぎ閉山するなか、なぜ太平洋炭礦(株)釧路鉱業所は最後の稼行炭鉱として、残ることができたか。

 そこのポイントを「1.深部採炭への挑戦」で、その一端をふれておいた。
 「一人がひと月に掘る石炭の量は99トン(昭和60年)から191トン(平成11年)に増加、全国平均91.4トン(同年)を大きく越え」
 「数字に見る、機械化採炭による効率化の現れ」と承けている。

 昭和60年11月、「2084人の社員が働き、249万トンの石炭産出量(出炭量)を記録」するも、「昭和63年から210万トン台の出炭量」。
 本章の最終年、つまり閉山前年の統計では、882人で131万トンの出炭量。ピーク時の250万トンを前後する趨勢を大きく下回ることになっていた。
 市街地中心部に「太平洋炭礦存続」の懸垂幕が掲げられ、炭鉱視察者が続く中、閉山の懸念も高まっていた。

 「2.炭鉱の賑わい、そして輝き」は、社員&従業員の持ち家と「炭住文化」ともいうべき福祉・文化・レクの機縁であり、市民とも交流・参加の基盤であった。
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時系列の本編「Ⅵ。閉山そして釧路コールマインの誕生」 『釧路炭田その軌跡』CD-ROM版030331
 時系列の本編「Ⅵ。閉山そして釧路コールマインの誕生」 『釧路炭田その軌跡』CD-ROM版030331
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CD-ROM版に「収録写真の枚数/500点」「図 表/70点(内 新聞記事/10点)」は時系列で6章の本編に収録されている。
 「Ⅵ。閉山そして釧路コールマインの誕生」はその最終章。
 「万感の思いこめ太平洋炭礦閉山」「閉山を伝える報道」「閉山に寄せる思い」の3節からなる。

 最後の節、「閉山に寄せる思い」は、6図のグラフィックでまとめられた。
 「太平洋炭礦 業務就労者数」「平成11年12月 太平洋炭礦(株)と協力会社の在籍人員」「「太平洋炭礦(株) 年齢階層別従業員数」
 「太平洋炭礦(株) 従業員居住地」「「閉山離職者の就職状況」「閉山に直面した時の気持ち」

 閉山から丸一年。社員1500人、協力会社員1000人と言われた閉山離職者は、実にその大半が居住されていた。
 調査員126人、戸別の調査項目40項目、調査期間150日余、データ整理期間30日。
 相当額の経費を投入した「再話調査」の集大成。未公開は表にされていない「ナマの声」ということではある。
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炭鉱の構造をジャンルべツに読める 『釧路炭田 その軌跡』030331
 炭鉱の構造をジャンルべツに読める 『釧路炭田 その軌跡』030331 https://www.city.kushiro.lg.jp/area/common/003hp/genre.html
 https://www.city.kushiro.lg.jp/area/common/003hp/genre.html
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 国内最後の坑内掘り炭鉱とされた、太平洋炭礦株式会社。
 2002年1月31日の閉山決定に直面し、日本金属鉱山研究会に同社保存資料を地方公共団体に継承保存するよう市長、議会に陳情をしていただいた。
 地方公共団体に身を置く一職員の裁量を超える、記録保存の領域。そうした判断による。

 直後に開会の市議会2月定例会で陳情が採択されたのをうけ、地域緊急雇用促進事業の枠組みで、伝承記録保存に着手することになった。
 6月議会に補正予算、8月初旬に契約を締結し、事業は9月から翌年2月までの半年間。
 事業の成果は年度末までに納品。そのスケジュールで進められた。

 ネットに公開。『釧路炭田その軌跡』は、カラー刷り印刷物ではなく、CD-ROMによる保存・配布の方法を選んだ。
 報告内容が固まって印刷・製本に付すとカラー印刷では最短でも、色校正・印刷製本・納品に3週間を要する。
 年度末納品には、その3週間を確保する点が難しい。当時の判断であった。

 CD-ROM版。委託を検討する事業者に対する評価では、実績なし、見積もり不能の思いもあったが、「年度内納品」は精度の上から、不可避であった。
 他面、CD-ROM版ならではの利点もあった。その一は、時系列の構成と炭鉱部門別の提示を両用出来た、点。

 「炭鉱部門別=ジャンル」は「坑道」「屈伸」「最短」「輸送」「経営」「労組」「炭住街と文化」「石炭の環境」。
 九部門で構成することになった。URLから入り、それぞれの項目をクリックしていただくと、時系列で技術の変化、生活の展開をアプローチすることができる。
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最後の坑内掘り炭鉱のシステム、動画でお楽しみくださ 『釧路炭田その軌跡』030331
 最後の坑内掘り炭鉱のシステム、動画でお楽しみくださ 『釧路炭田その軌跡』030331 https://www.city.kushiro.lg.jp/area/common/003hp/video.html
 https://www.city.kushiro.lg.jp/area/common/003hp/video.html
261028  釧路炭田その軌跡 映像 CD版.jpg
 「釧路炭田その軌跡」のホームページから、炭鉱理解のための動画をダウンロードすることができます。
 「坑道」「人車」「採炭」「屈伸」「戦端」「輸送」「保安・生産」「人材育成」「技術支援」の9部門の動画が用意されています。
 それぞれ90秒ほどの短い時間ですけど、ぜひ、覗いてみてください。

 「平成9(1997)年頃の太平洋炭礦のようすを映像でみてみましょう」
 「平成9年制作 太平洋炭礦PRビデオより」
 「映像が再生できない場合は最新のWindows Medea Playerをダウンロードしてください」。

 以上の表記もありますよ。国内最後の機械掘り坑道での採炭。そこを確かめてみてください。
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『釧路炭田その軌跡』の発行に寄せて 釧路市030331
『釧路炭田その軌跡』の発行に寄せて 釧路市030331 https://www.city.kushiro.lg.jp/area/common/003hp/cd.html

261028  釧路炭田その軌跡 趣旨 CD版.jpg
北海道の協力を得て≪平成14年度緊急地域雇用創出特別対策推進事業≫により発行いたしました。
収録写真の枚数/500点  記録映像/9本 図表/70点(内 新聞記事/10点) 年 表/6点
写真の内容、撮影時期はできる限り調査しましたが、不明な点も多くあります。ご存じの方やお気づきの点がありましたらご連絡いただき、記録化の充実にご協力下さい。
◎指導と助言をいただいた方々(発行当時 敬称略)
 釧路炭田近代化過程研究会
 岡崎  由夫 北海道教育大学 名誉教授
 酒井 多加志 北海道教育大学 助教授
 佐藤 冨喜雄 太平洋炭礦(株) 元総務課長
 寺島  敏治 金属鉱山研究会 会員
 宮下  弘美 釧路公立大学 助教授
 山本  文彦 太平洋炭礦(株) 元保安部長

 釧路炭田近代化過程研究会、太平洋炭砿管理職釧路倶楽部、太平洋炭礦(株)、釧路コールマイン(株)などのご指導とご助言をいただきました。(佐藤宥紹 釧路市地域史料室長)。
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10月にも開花 結実も難しかろうにバス停花壇261025
 10月にも開花 結実も難しかろうにバス停花壇261025
261025  10月の開花 三共バス停 KIMG5858.jpg
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家族の思い出活かし地域に貢献 第18代目当主・67歳女性の挑戦「ポツンと一軒家 熊野古道」261025
家族の思い出活かし地域に貢献 第18代目当主・67歳女性の挑戦「ポツンと一軒家 熊野古道」261025 
261025  ポツンと一軒家 熊野古道 TV朝日.jpg
長い歴史を持ち家が失われても、家族の思い出まで消えてしまうものではない。
 日曜日の夜、「ポツンと一軒家」のテレビ朝日番組を見ている。
 昨夜放送「奈良県、先祖の生家跡に建てた登山客を迎え続ける“山小屋"」。

 とうとう、最後まで視聴。460年、自身は第18代目の当主、五人姉妹の第4女。
 生家は父の老境で麓の叔父宅を購入して住まいするも、両親が登山、熊野詣での他人を無償で泊めてもてなした記憶を、継承。
 傷んだ生家を取り壊した跡に、管理人なしの山小屋を用意。道行く人に開放している。と。

 変哲もない話ではあるような、しかしどうして、どうして。
 山道2キロメートル、女性の足で40分という登山道は、車がとおれない道。
 一人かけての4人姉妹は麓迄の二キロ、そのさき4キロの道を励まし合いながら通学。

 高校通学は寮生活。その後、百貨店の食品売り場に勤め、結婚。
 恵まれた一女が三歳のとき、夫は胃がんで他界。平成の初め実父の死後で実家にもどり、その三年後には、母も亡くなる。
 無人の家を解体したところで、山小屋建設に、自らとりかかる。

「チェンそーはまだ、使えなかった」「分けてもらった材を鋸で引いて、家をてづくり」
「道具も資材も、二キロの道を背負って運びました」。圧巻は採暖用の鋳物のストーブ。
「頂き物で原価はタダ、二度にわけて一度に20kgの品を二度で運び終えた」。

利用者が書き残してくれたノート。そこに見事な挿画と、英文のメッセージ。
こうした記載を残してくれると、「とても嬉しい」。
ゲストの森口博子女史は、話の展開にただただ、驚きを隠そうとしなかった。

関心おありなら、次のURL[日本史好きのブログ」で「『ポツンと一軒家』熊野古道の山小屋はどこ?450年以上続く生家の歴史と67歳女性の物語」をご覧あれ。
  https://history10.hatenablog.com/entry/2026/10/25/200255#google_vignette
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