「英語が下手な私が所長に」と断るも、トップに推された日本人観 PRESIDENT Online
 「英語が下手な私が所長に」と断るも、トップに推された日本人観 PRESIDENT Online
261014  日本人論 ICC  文春新書.jpg
 赤根智子氏が、実はICC裁判長を同僚判事から進められた理由
 その幾つかに、注目。
 1)日本人のイメージ私の仕事ぶり。
 2)「法の支配」を貫徹している日本への信頼
 3)ある程度大きな国の人が就任したほうがいい。

 その「1)日本人のイメージと私の仕事ぶり」。
 4)日本人は真面目だし、
 5)日本人は時間を守るし、
 6)物事を途中で放り出したりしないだろう
 7)いちおう私の仕事ぶりも「我慢強い」「粘り強い」と評価。

 8)「私が、私が」という人が多い場所で、日本人の「和を重んじる」ところも好感を持たれた、らしい。
 9)困難な状況が続く中で、「みんなで頑張ろう」というタイプの人がリーダーにならないと乗り越えられないのではないか。
10)「あなた以外の人が所長になったとして、みんながやる気になると思う?」と言われた。

 国際機関で高く評価された日本人、三傑。
 国際連盟で新渡戸稲造事務次長、国際高等弁務官で緒方貞子、そして、ICC所長の赤根智子。
 判事の互選で選ぶ所長選挙立候補を決断した後、内々、外務省に報告した、と。

 そのとき、外務官僚の一声。
 「ぜひやってほしい、そうやって勇気を持って挑戦するのは大事なことだ」と。
 それを承けて、赤根氏は「これならば、きっと困難なときにも支えてくれるだろう」と思った、と言うのだ。

 今、「アメリカファースト」の政治理念&「ナチスと闘う」の主張のもと、なにを、もたしているか。
「力による政治(power politics)」へと傾斜している。「力は正義(Might makes right)」を振りかざす国家によって「法の支配」か無視されている。
 2026年ノーベル平和賞の授賞理由とあわせ、ICC内部で形つくられている日本人観に着目。
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慣習法を成文化しつつあるか国際法の番人 「1930今夜の視点 BSTBS」261009
 慣習法を成文化しつつあるか国際法の番人 「1930今夜の視点 BSTBS」261009
261006  ICC 気候変動 国際通貨危機 BSTBS1930.jpg
「トランプ氏に一撃?/『法の支配こそが平和確保?』/今なぜ今、元ICC判事にノーベル平和賞」。
 そうした題名で始まった10月9日夜の「BSTBS 報道1930」の話題。
 番組末尾のパターンには「今 揺らいでいる『法の支配』」の内容で。

 「主権国家 VS 『法の支配』 せめぎ合いの行方は」に続いて。
 「現在はグローバリゼーション ■気候変動 ■国際金融システム」
 続けて、「国家を超えた」法体制の必要性。
 さらに「人間の尊厳を軽視する」「非人道的な殺戮を黙認できないという考えの広がり」と続けている。

 もちろん、ここで注目は「気候変動」 のフレーズ。
 USA大統領の押す「横車」には、そろそろ「ついていくのか」問われる点ではないのか。
 そもそも外交を取引、地球に負荷をかけぬパリ条約からの離脱、WHOもUNESCOも批判的、あいつぐ高額関税、ノーベル平和賞の催促。

 気候変動について考えると、「当事者はだれか」。そう言われた時に、一人として私が。
 そこはなかなか可視化できない。しかし、危機は目前に迫り、極点の氷河は溶解して、ウイルスが感染症を拡大し、人命にも社会の構造にも深刻な影響をもたらしている。
 ひょっとしてICCには、「気候変動」「国際金融システム」にも、警鐘を発する局面があらわれてくれるのかも。
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30メートル絶壁登り海鳥営巣地で腹ごしらい 「ワイルドライフ 知床半島 海に生きるヒグマ」0929
 30メートル絶壁登り海鳥営巣地で腹ごしらい 「ワイルドライフ 知床半島 海に生きるヒグマ」0929
260930  絶壁頂上のヒグマ ワイルドライフNHK01&02 .jpg
標高30メートル内外の絶壁を登り、頂上でオオセグロカモメかの営巣地を襲うヒグマ一頭。
 孵化中の卵を食べ荒らし、産まれたかりのヒナをもエサに。
 気候変動。半島の河川を遡上するカラフトマスが居なくなり、生息するヒグマに「これまで確認されなかった行動が相次いで」、と。

 番組案内によると、オホーツク海で急速に進む温暖化。
 それが、「流氷の減少は海の生きものを変え、川を変え、森を変え、海と森をつなぐ命の循環を揺るがしている」と、言うのだ。
 世界自然遺産・知床で、生態系の頂点に立ち、豊かな海と共に生きてきたヒグマ。そこに異変が。

 ここまで、来たか。子熊二頭をつれた母子熊から、子熊が一頭消えた。
 採餌出来ずに、命を食糧が豊富になる秋まで、生き延びることのできない個体も現れているそうで。
 変わりゆく“楽園”で起きる壮大な生態系の変化。

 9月29日初回放送 「ワイルドライフ 知床半島 海に生きるヒグマ 変わりゆく“生命の楽園”」 9月29日(火)午後7:30~8:59(BSP4K・全国)
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ご参加ありがとうございました ぶぶる23th 261010 -01-
ご参加ありがとうございました ぶぶる23th 261010 -01-
261010  市役所&桧森神社.jpg

ご参加ありがとうございました ぶぶる23th 261010 -01-

1)釧路市庁舎前庭-(ち)さん―
今日の23回ぶぶる。実り多い1日でした。
 市役所前庭に集合、ポプラの大木と桜の木もありました、ポール梨木の「梨木」は名字だそうです。

2)桧森神社(春日支教会)-(ち)さん―
 停車場の確認をして、桧森神社(春日支教会)を確認。

3)聞名寺説教所=現 龍玄寺を見て、天理教分教会を見ました。
 天理教分教会の隣にあった小池豆腐店は、もう無くなっていました。
261010  天理分教会・USED SHOP&増子豆腐店  山本02  1791676538311.jpg
4)元は澱粉工場、今はユーズドショップ-(ち)さん―
 元は澱粉製造所だった所がユーズドショップに改装中でした。

5)増子豆腐店&三ツ輪運輸(株)ビル-(ち)さん―
 増子豆腐店前を通り 醍醐の前でミツ輪マークの由来や 大津の港から釧路に移って来た説明を聞き先生と別れました。

6)遊ぶ・学ぶ・褒める23thマトメ01-(ち)さん―
時間のあるメンバーで 醍醐さんの豚丼を食べました。おやつには 手亡豆(インゲン豆)で作った白餡のお饅頭を食べてくださいね。

次回は1月後半か2月に室内で「24回ぶぶる」ができると良いなと話が出ていました?。
次回当番 絶賛募集中です♪。
 今日はありがとうございました? 最高のお天気でした☀。
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成熟したプランターのトマト 集合住宅ベランダ261010
成熟したプランターのトマト 集合住宅ベランダ261010
261010  トマト成熟 集合住宅.jpg
 集合住宅に置いたプランター。土を残したまま、時折、調理用食材を処理する排水網。
 そこに付着する汚物を洗浄した水を、土でろ過して汚物は地中に、排水のみ下水に流入する透過層として貴重な役割。しかし、しかし。
 その汚物の中にトマトの種があり、それが発芽、生育、開花、受粉、結実、そして成熟の段階に。

 意外にも透過層の土には窒素分が多かったか、見事な枝ぶり。いずれ、「大木の見掛け倒し」で、終わらずに。
 青い実も神無月にはいり、成熟の段階に。今や、左肩部分の一個を含め3個。取りコロを迎えているのだ。
 10月10日の晴天に恵まれた朝と午後。写真におさめて、さて。また取得はしていないが。

 永く集合住宅のプランターに蔬菜栽培を続けてきた。しかし、共有スペースに私有物を置く。
  それが問題になりそうになり、栽培は中断した。
  そうではあるも、あまりの「流し排水網の汚染と洗浄水の汚れ」。

  プランターに納めた透水層の役割。なかなか貴重にして、放置しがたいのだ。
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450425沖縄戦で命 「首里金城の大アカギ」 <神様の木に会う〜にっぽん巨樹の旅 命どぅ宝>261006NHK
 450425沖縄戦のなか、命すくった「首里金城の大アカギ」 <神様の木に会う〜にっぽん巨樹の旅 命どぅ宝>261006NHK
261006  大アカギ 首里金城町 Map.jpg
 金城町の「首里金城の大アカギ」を訪れた「神様の木に会う〜にっぽん巨樹の旅 命どぅ宝」。
戦争中の1945年4月25日、沖縄戦のなさかに。大アカギの巨樹が、市民の命を救ってくれた。
 そのイワレ。探ってみると。
 樹齢200年以上の大老木。それが、内金城御嶽(ウチカナグスクノウタキ)の境内には、推定樹齢200年以上といわれるアカギの大木が6本。自生しているのだそうだ。
 高さが約20mもある大木。見上げるとシマオオタニワタリやクワズイモなどの植物が、着生(ちゃくせい)している。と。
 沖縄で普通に見られる木ながら、沖縄戦の激しかった首里の住宅地で樹齢200年以上の大老木が見られるのは大変珍しい、のだそうだ。

 戦火に耐えた。のみならず、ために沖縄県民の生命が救われた。内金城御嶽の境内に身をおくと、老大木やうっそうと生い茂った植物に囲まれて、どこか神秘的な空気の流れを感じさせてくれる。
 そう、記載されている。
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名物・名所に伝説と物語 「特別天然記念物 杉の大杉 高知県大豊町」261005
 名物・名所に伝説と物語 「特別天然記念物 杉の大杉 高知県大豊町」261005
261005  杉の大杉  siemnawa&Map  大豊町高知県.jpg
 四国・高知県長岡郡大豊町の「特別天然記念物 杉の大杉」には「出世杉」の異名。
 樹齢3000年の「神様の木に会う 巨樹」には、不可思議な霊験があるとされる。
 その一が「美空ひばり  日本一の歌手になれますように」の願かけ、と。

 歌手の美空ひばりさんは無名時代。「加藤しずえ」で巡業中の大豊町でバス事故に遭う。
 この地で一か月半の療養生活を送るも、帰京前に「日本一の歌手になれますように」と杉の大スギに願掛けをした、と。
 美空ひばりさんはその後、国民的スターとなり、日本の昭和歌謡史に大きな足跡を残す。
 
 そして、「心を震わす歌声」を聞くことができる、のだ。今日、杉の隣に歌碑が建立される。
 そもそも江戸時代。領主の山内容堂、坂本竜馬が参拝。近代では大豊町の前身たる旧大杉村から出た山下奉文が、雅号をこの大杉に因み¥「 巨杉 ( きょさん )」と。
 
 これらのことから、杉の大スギは「出世杉」の異名も持つ。
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名物・名所に人手と祈り 「特別天然記念物 杉の大杉 高知県大豊町」261005
 名物・名所に人手と祈り 「特別天然記念物 杉の大杉 高知県大豊町」261005
261005  注連縄00  01  02 飫肥 杉の大杉 NHKKIMG.jpg
 四国・高知県大豊町の「特別天然記念物 杉の大杉」は樹齢3000年。
 高さ60メートルの巨樹は「出世杉」の異名をとり、不可思議な霊験があるとされる。
 幹に注連縄、「特別天然記念物 杉の大杉」の石標、石製祠に八坂神社拝殿も見える。

 太古の昔に須佐之男命(すさのおのみこと)が植えたという伝説。
 大スギは、南大杉、北大杉と呼ばれる二株からなっており、根元で合着していることから、別名、夫婦杉とも。
 南大杉は根元の周囲が約20メートル、樹高が約60メートル。北大杉は根元の周囲が約16.5メートル、樹高が約57メートル。いずれ「夫」にして、いずこ「婦」たるや。

 大スギ 巨大しめ縄交換 長さ30メートル 氏子ら手作り。
 直径約30センチ、長さ約30メートルの「手編みのしめ縄」は、毎年10月下旬、氏子総出で取り組まれる。
 台風で落下してしまうこと、も。地元集落は過疎高齢化の課題を抱えながらも、この‟大杉さん”を守る。
 地域の名物「どぶろく」や、落ちた枝をいかした木工品を通して、全国のみなさんとつながりを広げたい!、とも。

 名物・名所に人手と祈り、である。着目せねば。
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徳島県人移住と阿寒 FMくしろ「釧路歴史探訪 146話―結―」
 徳島県人移住と阿寒 FMくしろ「釧路歴史探訪 146話―結―」
 (とくしまけんじんいじゅうとあかん 2009年2月15日放送用)
261003  140111  徳島県移住と阿寒04&地理院図 地域学地域史HP.jpg
●明治40年の「徳島団体」移住のあと、こんどは昭和初期に仁々志別にきていると、いうことですが。

徳島のどこから?ということは不明ですが、昭和3年にも徳島県人が、仁々志別川流域に移住しています。
時代によって徳島県人の移住は入植地がかわります。中心街=舌辛川と阿寒川との合流点に移住してきたことにはじまりますね。明治30年代初頭のことでした。
ついで40年になると、奥地の飽別川や徹別川と阿寒川の合流点に入植地が移っています。昭和初期になると支流の仁々志別川流域へと変化しています。

●前回は香川県、今度は高知県と德島県の移住の話でした。

 明治維新後、徳島から北海道への移住といえば、静内に入った稲田家家臣団(明治4年)にはじまり、上富良野に明治40年に団体移住してきた例もあります。
 そもそも江戸時代から、北海道と徳島はむすばれていました。四国での阿波藍の栽培に北海道産のニシン〆粕が、貴重な肥料源であったということです。

 輸送にあたった、高田屋嘉兵衛も実は阿波藩の淡路出身(淡路は現在でこそ兵庫県に属していますが)です。
 実は計画倒れにおわるのですが、明治25年7月、徳鳥県知事は県民20万人を北海道に移住させるという計画を作ったとされています。
 その数は、当時の県民70万人の、実に3分の1弱という数になりますから、実現したとすればにたいへんな計画です。それだけ基幹産業たる藍業の衰退で、県の産業経済の停滞と不振が実に深刻であったことを、物語っています。

●ワンポイント 前回は砂糖が打撃、今回は藍産業の不振が移住の引き金です。藍は染色。背景に江戸時代に木綿が庶民に広く普及し、保温・意匠、染色、加工の利便性から木綿の衣類は幅広く利用されます。本日紹介した「徳島県人移住と阿寒」。その背景には、木綿とむすぶ染料としてかかせない「阿波藍」に生じた価格変化も、引き金の一つとなっていました。
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徳島県人移住と阿寒 FMくしろ「釧路歴史探訪 146話―転―)
 徳島県人移住と阿寒 FMくしろ「釧路歴史探訪 146話―転―)
(とくしまけんじんいじゅうとあかん 2009年2月15日放送用)
 
●初期の開拓の様子ですが、どのように伝えられていますか。
明治30年にそろって土地の払い下げを求めた高知の方は翌31年、徳島の方は
32年に阿寒へやってきます。
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『阿寒町史』には、徳島から24歳のときにおいでになった方の回想記がのこされています。アイヌの方に「シャモは度胸がい」と、冷やかされた話です。
小屋をつくるために兄弟二人でヨシを刈っていたら、突然、アイヌのヒトが鉄砲をもって登っていったということで。その、理由が「作業をしていたそのすぐそばに大熊がいた」というわけです。現在の阿寒中学校付近での出来事です。

●徳島からの移住は、その後もつづきますか?。
明治30年初頭に移住された方は、香川県との境に近い位置からから現在の阿寒町中心街にはいります。三好郡は香川との県境の北部、吉野川にそった徳島自動車道沿いに位置する
 同40年ころになると、徹別(てしぺつ)川や飽別(あくぺつ)川との合流点、つまり49線とか56線という北部地区への移住です。那賀郡は那賀川流域で県の中央部。

こちらは小川茂平という方が率いてきた移住です。
小川という方は、県南東部から明治21年に、十勝の池田に来た方です。一度、故郷にもどり、明治40年に34戸をまとめて、団体移住で入植します。《徳島団体》と呼んでいます。

時代がくだりますから、阿寒でも奥地の方に開拓地をもとめることになります。
こちらの移住では、一面、《ナラ林》という話が残っています。
一帯はナラの原始林。木材が太い大木《たいぼく》ばかりで、家を建て、燃料を確保するのに、《やっと細い木をさがしあて、利用する》というわけです。
ただ、「地理的条件がよくなかったため、徳島団体は四散」したと、いうことです。
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