「(第五回の驚歎を発り)修築港湾絶無」 21歳正名のフランス公費生留学記260718
 「(第五回の驚歎を発り)修築港湾絶無」 21歳正名のフランス公費生留学記260718

 1869=明治2年6月 明治新政府のフランス公使書記生でフランスに留学した前田正名。
 横浜―香港‐セイロン‐スエズ運河らを経由してフランス国マルセイユ港で、西欧らしき修築港湾に接する。
 その感慨を実に「第五回の驚歎」と『自叙伝』に記載。

 内容。「元来、天然の防波堤と云ふべきもの有せず、普通の平海岸に人工を施せるに過ぎず(略)。数百千の大小船が安穏に碇泊することを得るは」。
 そう書き出して、さらに続ける。「全く人力の結果(略)乗客に対して、最も危険を感ぜしむるものは港にして」、と。
 「その完成と否とは国家の利害に非常の影響(略)帝国の設備なく国家の耻辱、国家の損失これより大なるはなし」。
            (「前田正名自叙伝」 『社会と国家』 九二頁)

 我が国。永い鎖国体制下にあり、全く国内向けに偏し、外国船入港の受入れ体制脆弱を指摘。
 「小舟は安全に坑内に碇泊し居れり」。「而かも大船は直に税関の横岸に近寄り、船中より直に馬車に乗り移ることを得るなり」。
 本邦港湾の課題を指摘。

 「(第五回の驚歎を発り)マルセイユの地たるや、元来天然の防波堤というべきものを有せず」。
 正名は「乗客に対して、最も危険を感ぜしむるものは港にして」と課題を指摘。

 急ぐ施策。
 それは「その完成と否とは国家の利害に非常の影響(略)帝国の設備なく国家の耻辱、国家の損失これより大なるはなし」。
 そこまで、言い切る。でわ、第一から第㈣までの驚嘆とわ。
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  人と自然が一体となって暮らす 大和路のシカ  「知られざる日本の自然 第1集 古の都」260317nhk4K
人と自然が一体となって暮らす 大和路のシカ  「知られざる日本の自然 第1集 古の都」260317nhk4K

京都・法然院を軸に、ワールドライフSP.
 法然が草案をもうけ、「六夜礼賛」を修した。そこのところを「法然が修行した」とまとめる、も。
 貫主は、器に水を。カエルの受精卵をあつめ、種族持続の支援。「共に生きている、生かされている」を刻む。

 転じて奈良・大和路。マチなかのシカは、社寺仏閣の庭から横断歩道をわたって、市街地に。
 好物を求めて腹こしらいに、余念なし。人々は気にすることもなく、静かに見守る。
 「ワイルドライフ スペシャル Hidden Japan  知られざる日本の自然 第1集 古の都 縁が生み出した命の聖域」=ナレーターの弁。

 「シカがマチなかにあらわれても、(人々は)気にしない」「そこにあるのは信仰」。
 「遠い昔、神様がシカに乗ってやってきた、以来、シカは神様の<お使い>として」
 「ヒトと自然が一体となって暮らし、神社や寺に生きものが住みつく」。

 2018年の大晦日。厳島神社では除夜と新年にむけ、市民があつまり、準備に大わらわ。 シカの群れが10頭。悠然とマチナカを歩いていたが。
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食糧基地を背負いながら 協同組合経済の規模とシェア260316
 食糧基地を背負いながら 協同組合経済の規模とシェア260316

 このところ<協同組合経済 その規模とシェア>ということを、考え続けている。
 1985年台、地域で漁業史研究に取り組みお方から、「協同組合経済というものがあり、地域にとって極めて重要だ」。
 言われた往時、筆者も「その通り」の思いを抱いていた、が。

 2025年4月。地域の短期大学が学生募集を停止、と。
 その報を耳にして、あらためて「愛と奉仕」と建学の精神を掲げた短期高等教育機関の最近四半世紀の軌跡を思い巡らしていた。
 近隣の公共団体と提携し、国際的な食糧基地を背景にもつ教育機関は、海陸の食資源を背景に食育と食文化、その普及・定着に貢献をめざした時期がある。

 その教育機関が「学生募集停止」を打ち出した時、<協同組合へのアポロ―チが欠落>。その思いを抱き、あらためて<協同組合経済 その規模とシェア>ということ。
 それは現在の学会や、農協・漁協・生活協同組合らで、どれほど相互共有しているものか。

 今、そんな思いにとらえられ、データ収集の方法を模索する。先行事例は限られているようだ。
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和製漢語「医食同源」後に薬膳&釧路型薬膳料理 もう一つの視点で環境学習260315
和製漢語「医食同源」後に薬膳&釧路型薬膳料理 もう一つの視点で環境学習260315

 薬膳の用例は『後漢書』列女伝の程文矩妻の一節に初出。煎薬を配膳する意味。そこにとどまる、と。
 現在の意味で使用した最初は、北京中医薬大学の翁維健氏が八二年に出版した『薬膳食譜集錦』だったと本人が述べる。そう紹介。
 でわ、「薬膳=現在の意味」とは。そこは、おいて置き。

 掲載図は、「釧路型薬膳料理」と「一般的な薬膳料理」
平成8年4月22日 釧路市農村都市交流センター(山花温泉リフレ)がオープンし、そのレストランは「薬膳料理」を提供。
「釧路型薬膳料理=地産地消にこだわり、釧路産・道産の食材をベースにした体に優しく、 美味しくヘルシー」と流布されている。
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和製漢語「医食同源」に至る前に食事専門医&五味・五臓 もう一つの視点で環境学習260314
和製漢語「医食同源」に至る前に食事専門医&五味・五臓 もう一つの視点で環境学習260314

 でわ、「薬食同源」もしくは「食薬同源」の単語。それを詳述した概念があったかと言うに、どうもそうではなかった、ようだ。
 1970年代、本邦の高度経済成長が転換期を迎え飲食に弊害が指摘される時、わが国の英知。知恵で中国思想の受容が果たされた。
『漢書』に見る「民意食為天」の後代に、「食医」とされる食事専門医の存在があった。

3)「食医」は、『周礼』天官に定める医師四種の筆頭に位置する食医。
王の食事を調理するに「春に酸を多く、夏に苦を多く、秋に辛を多く、冬に鹹を多く、調えるに甘滑」と五味を重視する。それを進める職階があった、ということ。
以下。疾医(内科医)、瘍医(外科医)、第四番目=獣医と定める。
しかし、獣医には全く触れないが、疾医&傷医に、五味、五薬、五毒を「以てこれを節す」と。

「節す」も現代に多用される意味ではなく、「ほどよくする」の用例と読んで置く。
因みに「五味=酸味、苦味、甘味、辛味、鹹味(かんみ:塩からい)」の5種類」。
五味(五種の薬剤)=草、木、虫、石、穀。
五毒=ムカデ、サソリ、トカゲ、ガマ、ヘビのことで、強い精力をもった恐るべき存在。

 「五味・五穀・五薬を以てその病を養う」の思想に加え、「薬に酸鹹甘苦辛の五味あり」(『神農本草経』序録 刊行時期=一世紀)と時代を重ね。
以後も<食事で病を治療。食事こそ重要で病に至らぬ>は伝統思想となっていたようだ。

4)そこのところを承け、わが国では<食事で病を治療。食事こそ重要で病に至らぬ>をシンプルな語で、と。
 「薬食同源」「食薬同源」などが例示されたが、それでは<薬と聴くと化学薬品>を連想させ「生薬 しょうやく」には思いつかのでは。
 新宿クッキングアカデミーの新居裕久校長は以上を主唱し、「医食同根」を造語したようだ。
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和製漢語か「医食同源」あわせて「薬膳」 もう一つの視点で環境学習260313
和製漢語か「医食同源」あわせて「薬膳」 もう一つの視点で環境学習260313

耳にする「医食同源 いしょくどうげん」は和製漢語か。それとも薬食同源か。そもそも出典はいずこに、なんぞや。あわせて「薬膳」の語も。
そう思いついて、早速、調べてみることに。ここは辞書よりもネットで、と。
「AIに聞く」は未使用ながら、どうも「これ信憑性がありそうだ」。そんな箇所にであった。

今,信憑性とは「なんぞや?」は、さておきだ。そこのところを真柳誠「医食同源の思想-成立と展開」(『しにか』9巻10号72-77頁、1998年10月)に、依拠してみる。
https://square.umin.ac.jp/mayanagi/paper04/sinica98_10.htm
1)まず「医食同源」は新宿クッキングアカデミー校長の新居裕久氏の造語、と。

 新居裕久氏は一九七二年のNHK『きょうの料理』九月号で、中国の薬食同源を紹介するとき、薬では化学薬品と誤解されるので、薬を医に変え医食同源を造語したと述懐のだ。
 背景に真柳氏は、1972年は高度成長期の後半で、飮食にも各種弊害が出現したため、この造語が急速に普及したと、述べる。

2)そもそも「薬食同源」が先にあり、それは中国の文献に出典が求められている。
 『漢書』にある名言「民意食為天」で、読みは「民は食を以て王者は天となす」。
 転じて「民衆にとって『食』はまさに天であり」「民衆を食わせられない天子はその資格を失う」
 『三重大学生物資源学部紀要 30号』に大原,興太郎・王,初文氏が「医食同源・薬食同源に関する歴史的考察」(p. 69-87 2003年3月)を発表している。
 ( https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010671318 260313 )
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東洋医学=未病・養生・薬食同源 西洋医学との違い もう一つの視点で環境学習241212
 東洋医学=未病・養生・薬食同源 西洋医学との違い もう一つの視点で環境学習241212

「もう一つの視点で環境学習」。その第二段には「未病 みびょう」について。
 北里大学東洋医学総合研究所は「未病」について、以下の三点を示す。
 https://www.kitasato-u.ac.jp/toui-ken/kampo/index.html 「未病とわ」

 1)「胃腸の調子すぐれない、疲れやすいなどの身体的・精神的不調を感じる」状態を漢方医学的には未病、と、
 2)(言葉を換えると)まだ病気にはなっていないが、放っておくと病気になる可能性がある状態、であって。
 3)(西洋医学の健康診断・人間ドックに対し)漢方は疾病予防に病気になる前の段階=未病状態を検知し対処するを、有用かつ得意分野。

 加えて前述の研究所では、「概要 かんぽうと現在」で、あらためて■点
 4)漢方は古代中国の医学を基本とするも、「日本人に合うように独自に発展してきた日本の伝統医学」
 5)明治時代初期まで漢方が日本医学の主流で、診断過程は専門家以外にはわかりにくく<暗黙知>で伝承。
 6)漢方薬を構成する生薬ですが、日本で使用している生薬の約8割を海外(主に中国)からの輸入、に依存であった。

 記憶をよみがえらせるに。「副作用は西洋薬が3%なのに対して東洋薬(漢方)は1%」。
 阿寒摩周国立公園で観光振興の副作用。その振興過程ではオーバーツーリズムやマナーの低下は、副作用の1%にあたるのかも。
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人口減少&高齢化、設備維持財負担に、遠いコミュニティ復活 東日本大震災15周年朝260311 
人口減少&高齢化、設備維持財負担に、遠いコミュニティ復活 東日本大震災15周年朝260311 

2011年3月11日14時46分から、今日で満15年。
公共放送R1は午前7時台のニュース冒頭。
そこで、次の項目。

 1)インフラ整備は、ほぼ終了。
 2)しかし人口減少と市民の高齢化はいっそう進み、長期的視野が必要。
 3)また、整備されたインフラのメンテナンスが財政負担になり。
 4)崩壊したコミュニティの再建は、今後の課題。

 聴いていて、「世界に類例を見ない産業公害のマチ」で伝わる水俣市民の地域再興の、ひたむきと言える地域再興に思いをはせた。
 1)は公共のできる重要な役割。しかし、市民間に生じた偏見・中傷・差別の対立は永く溶けることがなかった。
 市民は立ち上がる。「もやい直し」「自分を変える」「自身で調べ、考える」「課題解決では間に合わない、付加価値創造の力を」。

 カネ、防災設備、新開団地。それだのみでは、また、あらたな課題。
 持続力の高い暮らしは、なかなか困難。そうした中、当事者にあの時の記憶は生々しく、しかし確実に高齢化はすすむ。
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東洋医学=未病・養生・薬食同源 西洋医学との違い もう一つの視点で環境学習241212
 東洋医学=未病・養生・薬食同源 西洋医学との違い もう一つの視点で環境学習241212

「もう一つの視点で環境学習」。その手始めに「東洋医学と西洋医学の違い」を。
 まずは東洋医学。それはなにか。
 そこのところを長野県で開業医を営む診療所のHPから。(かくた内科クリニック 長野市三輪 内科 リハビリテーション科)

 1)東洋医学は病気を診るのではなく、病人の身体全体を総合的に診て治していく
 2)東洋医学は「農耕」と例えれば、その“違い”がわかりやすい=カラダ全体を見て、自然治癒力に着目。「人そのものに着目をする」のだ。
 3)、農耕は種や苗を植え植物(体)を育てることを示し、植物を栽培するため必要な食料を持続的に得ることができ、じっくりと時間をかけて土台(体)を作り上げていく。
 4)ために、時間はかかりますが、持続性があるためカラダを体質から改善。
 
 つまり東洋医学は「時間はかかりるも、持続性があるためカラダを体質から改善」の特質。
 対して西洋医学。
 5)西洋医学は具合の悪い方を経過や検査で判断、その病気に対して治療する。ということは「西洋医学は病気に着目をする」ことに。
 6)発病してから症状と進行状態で投薬・手術・放射線などの治療方法を選ぶ。
 7)狩猟に似て、獲物(病気)を見つけたら、すぐに治療し病気そのものを治す。
 8)ただし「狩猟」には持続性がなく、症状が現れたらまた狩り(治療)に出る。

 まずはここまで。掲載図版は北里大学東洋医学総合研究所「日本漢方がすべての世代の健康をサポートできる社会をめざして かんぽうのみらい」で。
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付加価値を産み出した明太子、年商1200億円 「博多 中洲界隈(わい)」nhkBS4K260308
 付加価値を産み出した明太子、年商1200億円 「博多 中洲界隈(わい)」nhkBS4K260308

現会長の子息が語る。「『惣菜だもの」と特許、商標登録しない父」。
 戦後、朝鮮半島から福岡中州の一角で食料品店ふくやを創業した夫妻は、「売れる商品を見つけて仕入れても、他の業者にすぐまねされる」。
 オリジナル商品、手づくり商品に思い入れた、と。その「明太子 めんたいこ」も今や国内で年商1200億円のマーケット。

 契機は夫人の一言。「(夫妻が生まれ暮らした釜山)そこで食べた『辛いたらこ』の食品を作れないか」」と俊夫氏に話したのが、きっかけだそうで。
 1949年1月に明太子の原型となる商品を発売するも、全く売れなかった。

 やたら辛すぎ、たらこを生で食べる習慣がまだなかったためだ。 
 夫は諦めず、食べやすくしようと10年ほどかけてあれこれ工夫した。
 「辛みを抑えるために氷砂糖や蜂蜜を加えたこともありました」

 子息は回想する。「父母が食べたのはたぶん『明卵漬(ミョンランジョ)』という塩辛みたいな発酵食品だと思います」。
 売れなかった明太子はそもそもが発酵食品。タラコに唐辛子を添えて、出来る食品ではないらしいことを。後年、後進地のタラコ産地では実感する。そんな出来事もあった。
 発酵の技術と生成環境に加え、氷砂糖や蜂蜜を加味する試み、それが10年余であった。

 完成して人気が高まるにつれ、近隣の商店から「卸して、ウチでも売らせて」
 しかし、創業者は断るも、子息は回想する。
 「自分たちがおいしいと思って作っても、口に合わない人もいる」。
 「ならばいろんな味があったほうがいい」
 「それで明太子をおいしいと食べてくれる人が増えればいいという考えです」。

  創業者は「自分で作ったらどうか」と勧め、作り方から材料の仕入れ先まで教えた。
  「ふくやと違う味にしなさい」。つまり、さまざまな味があって、良いと。
  そこを一語でくくると、明太子には様々な味があって、良い。惣菜だもの、皆がつくる。故に特許や商標登録はしない。

 結果、「いまや明太子は年商1200億円」。
 新日本風土記 「博多 中洲界隈(わい)」初回放送日NHK BSプレミアム4K3月2日(月)午後9:00
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