ポスターセッションで活動紹介 釧路ぶぶる/北大通を歩く19th-2&3-
 ポスターセッションで活動紹介 釧路ぶぶる/北大通を歩く19th-2&3-

  第15講座のテーマ=「釧路のおススメ 私のBest3」。7人の参加があった。
  蓋を開けてみるに、三題の領域で提案があった。
 「釧路のおススメSpot」「釧路のおススメグルメ」「釧路のおススメFamous store」。

 名物料理は「グルメ=Gourmet」では、何がなんだか判らくなるような気がして、まず「グルメ」と。
 最後のお店。年寄りなら「老舗」「銘店」、文字通り「おススメの店」。
 しかしそれでは、おいで頂くお方のセンスを刺激すること、難しかろう。

 「魅力」と申して、「一目惚れ」の「一過性をおススメする気持ち」は毛頭ない。
 しかし、気の利いた表現でまとめてみたい。乞う、idea.

「第34回 釧路市生涯学習フェステバル まなとぴあ2025」が、11月8日、9日の両日、釧路市生涯学習センター〝まなぼっと幣舞″で開かれる。
 ポスターセッションで活動紹介 釧路ぶぶる/北大通を歩く19th-2&3-
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ポスターセッションで活動紹介 釧路ぶぶる/北大通を歩く19th 251108-09 -1-
 ポスターセッションで活動紹介 釧路ぶぶる/北大通を歩く19th 251108-09 -1-

 「第34回 釧路市生涯学習フェステバル まなとぴあ2025」が、11月8日、9日の両日、釧路市生涯学習センター〝まなぼっと幣舞″で開かれる。
 22年7月から活動を続けている「 釧路ぶぶる/北大通を歩く」も、第19回目の講座を、この催事に参加することで「原田康子&桜木紫乃 作品舞台周遊」に置き換える。
 世話人の方の提案を、集う皆さんが賛同した。

その一人として、25年1月11日、新年の船魂祭 ふなだまさい 当日、幣舞橋下流で満艦飾漁船に敬意を表しつつ、釧路フィッシャーマンズMOOで開催。第15講座のテーマ=「釧路のおススメ 私のBest3」の内容を、公開してみることに。
A3判 見開き4ページの冊子体で表現させてもらい、その一ページを考えてみた、ところ。
「釧路の夕映え 三景」に「2001年放送 永禄助のニッポン夕焼け紀行」(NHKBS)から、番組前半で紹介された10ケ所のタイトルを紹介。
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「消費者・生産者の組織化」「生産者組織と消費者組織の提携」と 協同組合に衝撃レイドロー著『西暦2000年の協同組合』
 「消費者・生産者の組織化」「生産者組織と消費者組織の提携」と 協同組合に衝撃レイドロー著『西暦2000年の協同組合』 日本経済評論社 1989年

 株価高騰、アベノミクスの余波でマクロ経済が話題を呼び、資本主義的企業とは異なる協同組合経済の変革を見通す書として、広く話題になっていたようだ。
 「世界の飢餓間題の解決」「財の生産とサービスの提供でワーカーズコープを重視し普及」。
 「流通、消費の分野で消費生協が持続可能な社会を確立」「各種協同組合のネットワークで<地域コミュニティの再建>を。

 以上、四点の課題解決に、「ワーカーズコープ」。
 すなわち、<当事者と共に地域に必要な仕事をおこし、事業を通じ安心して働き暮らせる地域づくりを目指す非営利の協同組合>が不可欠とする。
 危機はエネルギー、食糧、水のみではない。孤立・孤独化も深刻。

 そこを、「協同組合組織と労働者との間に新しい関係」のもと、「経営も労働者を組織のよきパートナーと考え始めるべき」とし。
 「協同組合を活用した都市集団、隣保集団、地域集団としての地域社会を建設」する、と。
 本書は、1980年のICA(国際協同組合連盟)モスクワ大会に提出した報告書。協同組合運動の「転換」と「再構築」のための指針を提供することが目的、とされる。
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廃屋壁に写真、 常設「歩いて巡る屋外写真展 白老か」 地域の支持力2-『読売新聞オンライン』221006
 廃屋壁に写真、 常設「歩いて巡る屋外写真展 白老か」 地域の支持力2-『読売新聞オンライン』221006

定かではないが公共放送のローカルニュースで、胆振国白老町の話題。
 水辺の倉庫、その壁に大きな写真。地域の着想力、発想力を示すものとして画面に目を奪われた。
 今、「白老 倉庫 壁画」のキーワードで検索し、まずは二点の情報にアクセス。

 「廃屋の壁に昭和30~40年代の巨大写真、歩いて巡る写真展」 読売新聞オンライン https://www.yomiuri.co.jp/culture/20220930-OYT1T50247/ 2022/10/06 16:05
 「大漁に沸く浜・遊ぶ子どもたち」のサブタイトルも添えられてある。

 さらに一点。こちらは『号外NET 苫小牧市』で。
 「白老町虎杖浜で開催されている「歩いて巡る屋外写真展」に行ってみました」
 https://tomakomai.goguynet.jp/2021/10/03/ayoro/

 掲載写真は後者から拝借。二つの記事の記載年月はそれぞれ異なる。
 まずは近隣、苫小牧市出身の写真家、その作品が60数点あった、そうで。
 写真に注目した女性美術作家がアドバイスし、うち約20点。
 それを「空き家や倉庫などの壁面に写真が貼り付け」。各所を、歩いて巡回、に。

 TVニュースで見たとき、そのまま、常設になるのかと。
 貼り付けることを認めた経営が、デザインや写真代、貼付経費を各自負担、かも。
 地域の属性、昭和30-40年代の時代性、世代をつなぐ生涯学習資源。

 そうだとするに、「貼り付認めた経営、各自のコスト負担」。それが出来たとすると、そこは地域の、支持力・投資力に、来訪者を愉しませる<おもてなし>と、考えた。
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消えた富士山、写真掲示板に復活 地域の支持力―1- 「めぐみ巡り 谷根千 羽田美智子」nhkBS4250930
 消えた富士山、写真掲示板に復活 地域の支持力―1- 「めぐみ巡り 谷根千 羽田美智子」nhkBS4250930

 坂の中腹から、何枚かの写真、写真を掲げる何基かの掲示板。
 住民に親しまれ、故に「富士見坂」の称があった東京都台東区日暮里。
 谷中・根津・千駄ヶ谷が接する「谷根千 やねせん」の富士見坂に設置されている。

 2000年の年。企業が高層の集合住宅を建設したことで、景観が一変。
 建設工事の着工にあわせ、地域では「日暮里富士見坂を守る会」が活動を立ち上げた。
  http://fujimizaka-hozen.sakura.ne.jp/old/home-kiroku.html 富士見坂眺望研究会

 「現在都心に16ある富士見坂のうち、富士山の全体的な姿を眺めることができる唯一の坂」。
 で、知られる日暮里の富士見坂から、富士山を望める地点は<ホンの一点>に制限されてしまった。
 関係機関と折衝するも、住民の要望は実ることがなく、2000年秋に集合住宅は竣工。

 住民のなかに往時の景観を写真撮影していた方が居られた。
 故人になった方の残した作品は家族の理解で、公開さできることに。
 その成果が、前述の「坂の中腹から、何枚かの写真、写真を掲げる何基かの掲示板」。

 その途中に一点。足形をペンキで塗装の箇所がある。
 その上に足を揃え、丘頂を仰ぐにたまたま、わずかに富士山の望めることが、ある。
 番組ではその映像も紹介されたが、日暮里富士見坂は名に反し「富士見不見坂」になった。

 掲示板のハードと掲載のソフト。その経費。どこからねん出したモノか。
 域外からの投資、技術、ノウハウに依存の北海道では、「コスト=行政が負担」。
 その行政には往時の財政余裕はなし。

 番組の視聴を終えて、ここに関心。「地域の支持力の差」。そういうこと、か。
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紅葉夜景の伴に 惣菜・稲荷寿司・五目 作者の顔が見え、自身の口に入れたくない食を 251029沖
 紅葉夜景の伴に 惣菜・稲荷寿司・五目 作者の顔が見え、自身の口に入れたくない食を 251029沖ストア―・釧路市共栄大通

 28日、札幌に移転した方が「中島公園の夜景です」と、掲載上部の写真。
 数点あった画像をパソコンにダウンロードして眺めた、のちに。
 惣菜3点に稲荷寿司+五目ご飯+イタリアンの7点。夜景紅葉の観覧気分を。

 一つ不足は、ビールでも買い求めて来るとよかった。
 調剤薬局で投薬処方を受けたのち、近隣のお店に暫くぶりに。
 店主があらわれて<よもやま噺>。

 この地の鉄道高架事業に、影響の大きな事業者として、どう受け止める。
 量販店やコンビニでの買い物が繁盛するも、在来小売店。客の少ないこと。
 せっかく創った浄財。域内での還流をめざすに「提供者頑張れ」は終幕。利用者が賢く、と。

 目にした、総菜など七点。一括、頂戴してきた。
 預っている家計簿。今月の「副食費はすでに▲950円」の予算超過。
 《衝動買い》のツケを如何に処理する?。ママよここは「娯楽費」に計上。

 手抜きの夕食。夕暮れの紅葉観覧を背景に、散策気分。それにしても惜しい<アルコール一杯>。
 店の女将は申していた。「自身の口に入れたくないもの、売り物にすることできません」。
 味わうに「鶏モモ肉の野菜巻」が逸品。消費者も思い、いたそう。「造り手の顔の見えぬ食、口にできる」。

 住民が鍋持参。そこにカレーラースのルー、家族の分を買い求めることができたら。
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酒造で43年、「飯炊き」から「大師(代司)」まで 鳥取県男性(70)「ポツンと一軒家」251026
酒造で43年、「飯炊き」から「大師(代司)」まで 鳥取県男性(70)「ポツンと一軒家」251026

頭、大師、釜屋、道具回し......杜氏を中心とした日本酒造りの組織には、どんな役職があるの?
1)杜氏              酒造りを指揮する「杜氏」
  頭 → 杜氏補佐、副杜氏    現場のリーダー「頭」
2)大師 → 麹主任        麹造りを担う「大師」
3)上酛廻り → 酒母主任     酒母の世話をする「酛 もと 廻り」
4)下酛廻り → 酒母係
5)釜屋 → 蒸米係        蒸米のプロフェッショナル「釜屋」
6)道具回し → 整備係      酒造りを支える「道具回し」
7)上人、中人 → 係員      酒蔵で一番の働き手「上人・中人・下人」
8)飯炊き、下人 → 廃止     蔵人としての姿勢を学ぶ「飯炊き」
https://jp.sake-times.com/knowledge/word/sake_g_team_of_kurabito
「頭、大師、釜屋、道具回し......杜氏を中心とした日本酒造りの組織には、どんな役職があるの?」=SAKETIMES
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放置・無関心=景観も多様な生物も営利投資対象の犠牲に 「新日本風土記 佐渡の旅」251006nhkBS4K
 放置・無関心=景観も多様な生物も営利投資対象の犠牲に 「新日本風土記 佐渡の旅」251006nhkBS4K

 毎年二度、集落の水田では消費者や学生と農家で 「生き物調査」を実施。
 田んぼに生息する生物の種や個体数を丁寧に調べる。
 国の天然記念物<トキが暮らしやすい田んぼ>をめざし、化学肥料や農薬の使用量を削減する効果を確認するため。

 有機農業や冬季の湛水=水田などに水を満たし、ためるておく、または水がたまった状態に努める。
 農業に対する農業者自身の意識向上がはかられ、消費者交流や小学生の総合学習とも連繋。
 トキの保護のみならず、「生きものを育む佐渡の田んぼや環境にやさしい農業への取り組みをPR」というわけだ。

 と、申すも佐渡のトキは、著しく減少していた。行政庁は捕獲して飼育施設で繁殖を。
 しかし当時の少年は行政庁の措置に、疑問をもった。
 思い余って除雪後に出来た、<雪の壁>に記載「トキをとるな」とか「帰れ」。
 
 捕獲された在来のトキは死に、中国から輸入し再飼育することに。
 「トキをとるな」「帰れ」と記載の少年は大人になり、やがてトキの保護に立ち上がる。
 地域農協の取り組み。そこをネバリ強く、佐渡の全島に拡大。

 島あげて、<トキが暮らしやすい田んぼ>をめざし、化学肥料や農薬の使用量を削減が始まったの、だ。
 化学肥料や農薬の使用量を削減した結果の<米>は、産地直送で都市の消費者に届けられる、
 そして、次がポイント。都市の消費者も実情確認で佐渡の水田に、足を運ぶ。

 毎年二度、「集落の水田では消費者や学生と農家で 「生き物調査」を実施と、なる。
 新日本風土記 「佐渡の旅」、初回放送日NHK BSプレミアム4K10月6日(月)午後9:00。
 番組案内にある「▼蘇ったトキが飛ぶ風景と棚田を守る農家」の紹介。
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生産者価格決定、品質管理徹底・生産履歴、金融支援=国際社会注目の日本農協 TVシンポnhkETV251018
 生産者価格決定、品質管理徹底・生産履歴、金融支援=国際社会注目の日本農協 TVシンポnhkETV251018

 日本の農業協同組合が国際社会から注目されている。番組ではタイ国からの視察団が紹介された。
 群馬県館林市の農協直売所をたずね、一様に驚きを隠さない。
 生産者が価格決定できる、徹底した品質管理と・生産者履歴、金融支援=国際社会注目の日本農協 TVシンポジウムnhkETV251018

 1989年に、レイドロー 著『西暦2000年における協同組合』が,日本協同組合学会によって国内で発刊。
 「日本の農協は<多目的農協などと訳される>が、金融支援を行い技術改良や農業加工品の質向上に貢献など<総合農協>として注目されている」と。

 タイ視察団が注目したのは<生産者履歴も付した品質室管理の徹底>と<生産者が価格を決定している>こと」。
 <生産者が価格を決定している>必然性につき、視察団の一員は語る。
 「タイの農業者は借金をして苗や種を買い」「商品の値段を上げられず収入が少ない」

 故に「タイでは農協の力が弱い、卸売り業者に買いたたかれることも」ろ。
 群馬県館林市の農協直売所で、生産者が売り場に出す農産品の価格を記載する姿。
 人件費など生産コストを堂々と加味して価格を設定。
 それは日々、卸売業者の<驚異>に直面する視察団の一員に、実に<驚異>なのだ。

 「TVシンポジウム 持続可能な社会に向けて ~国際協同組合年に考える~」2025年10月15日実施 10月18日放送。
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安田財閥―地元銀行を合併、銀行支店で鉱産業から転換 北海道東部近代化の指標システム―4―
 安田財閥―地元銀行を合併、銀行支店で鉱産業から転換 北海道東部近代化の指標システム―4―

 安田竪坑が設置された後の安田炭鉱は、大正3年10月に閉山。
 これで安田財閥はひとまず。釧路港から撤退する。
 すなわち、大正3年10月 6日=「春採の安田炭砿が閉山し、安田商事釧路支店も閉鎖される」。その後の釧路炭田では。

 大正5年5月3日=「別保の大坂炭砿が買収され、三井鉱山(株)釧路炭砿」に。
 大正6年10月 =「木村久太郎が休業中の安田春鳥炭山を買収し、採炭を再開する。
 大正9年4月22日=「木村組炭鉱と三井釧路炭鉱が合併、太平洋炭礦(株)を設立する」。

 三井財閥系の三井鉱山(株)が買収をすすめるのだ。
 ところが大正12年11月、根室銀行を合併し同12月1日に安田銀行釧路支店を設けることに。因みに根室銀行釧路支店は「眞砂町100番地」(大正四年『釧路電話番号簿』)。
 大正12年12月1日=「根室銀行等安田系11行、大合同」と、される。

 背景に「第一次世界大戦や関東大震災、それに続く不況によって社会情勢は不安定化」。 「資金力・信用力が脆弱な中小の銀行は経営難に陥ったが、安田銀行はこれを援助」
 「時には吸収・合併を行い預金者の救済」「親密となった11行が1923年に大合同して新:安田銀行」に。

 財閥解体によって安田銀行は安田家と決別する意思のもとに、1948年(昭和23年)、富士銀行と改称。
 2002年4月1日に、第一勧業銀行、日本興業銀行を吸収合併しみずほコーポレート銀行=「みずほ銀行」と改称

 安田財閥は鉱山開発を点じて、銀行金融で足跡を残す。当該銀行はその後、富士銀行ー瑞穂銀行として2025年11月14日に至る。
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