大国首脳は傾聴を「誰も無言『攻撃したのは私』と」。 勝田茅生&エリザベート・ルー2603134
 大国の首脳は傾聴せよ「それは誰も言わず『先に攻撃したのは私』と、・・・」。 勝田茅生は聞く、F博士の弟子:エリザベート・ルー2603134

そもそも「先に攻撃したのは私です」と言う人はいません。
 それは国家間でも同じです。でも誰が争いを始めたかは問題ではないのです。
 争いをやめ、同じ仕打ちをやり返さない人こそが「英雄』なのです。

 「大国の首脳は傾聴せよ」。記載者はかく、メッセージを届けたい。
 取材する日本ロゴセラピスト協会 会長:勝田茅生氏に語りかける、フランクル博士・直弟子と紹介のエリザベート・ルーのメッセージを。
 260314放送「こころの時代― ヴィクトール・フランクル それでも人生には意味がある」の最終場面。

 3月19日、日本の首相はUSA大統領と首脳会談。各国期待のなか「日本の外交姿勢」を説明できたか。
 朝HBCでコメンテーター。「法律でできることできないことある」は、換言すれば「“法律を変えて”読めると」と。
夕STVでは「憲法改正に一石を投じることになった首脳会談では」と男性アンカーマン。
 衆院議席300余を背景にした、女性首相の妙なる自信かな。
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「苦悩は成熟、ものごとを見抜く力を与え、世界を見通せるように」 V.E.フランクル『苦悩する人間』260322
 「苦悩は成熟、ものごとを見抜く力を与え、世界を見通せるように」 V.E.フランクル『苦悩する人間』260322

 苦悩する人はもはや運命を外面的に変えられることはできなくなっています。
 けれども、その人はまさに苦悩によって、運命を内面的に克服することができるのです。 苦悩は成長です。また苦悩は成熟でもあります。

 苦悩は人間にものごとを見抜く力を与え、世界を見通せるようにします。
 苦悩への勇気。これこそ重要なのです。(ヴィクトール・E・フランクル『HOMO PATTENS 苦悩する人間』)。

 NHKETV「こころの時代―宗教・人生―こころの時代〜宗教・人生〜 ヴィクトール・フランクル それでも人生には意味がある」。
 シリーズ最終回にあたる6thは「人生の中の出逢(あ)い」。
 冒頭、『HOMO PATTENS 苦悩と人間』の一節が読み上げられた。

 オーストリアの精神科医にして心理学者のヴィクトール・E・フランクル(1905~97年)は、1944年10月にアウシュビッツに送られた。
 両親・妻を失うも、テュルクハイムへの移送を経て45年4月にアメリカ軍により解放、と。
 孫に「しばしばアウシュヴィツを思い出す」と語る。

 その語りを承け、孫が回想。
 「誰にでもそれぞれのアウシュビッツがあり」「簡単には解決できない苦しみがある」。
 「それは本人にとっては絶望的な状況なんだ」と言い及んでいた。
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事業や生活領域が生み出す環境影響を“我が事”で理解 もう一つの視覚で環境を学ぶ講座260320
 調査―水の経路図で、わかったこと 熊本水俣=世界に類例みない産業公害発生の地から。
 1)集落は、水俣川の支流域を生活の舞台とする支流域生態系の村だった。
 2)支流域を生活の場としている集落の人たちが、支流域の水を保全していく責任がある。
 
 3)人工林化などで森の水保全機能が低下し、となりの川や支流を水源としている集落が増かしていた。
 4)森は推量を豊かにし、人の毛細血管のように水めぐりをよくしていた。
 5)水をきれいにしていく知恵と技術があった。
 6)川や川べりは水を浄化し、鳥・魚が居て人が自然にふれる場所だった。

 ここまでで<自然・ヒト・地域・集落>は“水でつながって居た”を確認。
1)~8)での確認から、「調査結果を考える」に展開。
 
 7)「森林伐採や開発により水が出やすくなった」ことのほかに、
 8)宅地、畑、それに鉄道、道路などが川に近づきすぎ、 (自然の)元にもどろうとする力=自浄能力を超えることに。
 9)環境影響が発生するのは、事業が人(生活領域)や自然に近づきすぎるとき、つまり自浄能力の臨界値を超えるとき。
 10)環境影響が発生するのは、(事業のみならず)生活領域自体が自然環境の領域に近づきすぎるときにも。

 「.水の経路図づくりでわかったこと」「調査結果からわかったこと」=吉本哲郎著『地元学をはじめよう』(岩波書店 2016年)99~109p所収) 
掲載図は、永野三智(ながの みち)「【No.85】水俣で生まれ育ったということ|女性100名山(第20号)」 2022年3月25日
 NPO法人「JKSK女性の活力を社会の活力に」Empowering Women Empowering Society

 事業や生活領域が生み出す環境影響を“我が事”で理解 もう一つの視覚で環境を学ぶ講座260320
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「(第4回までの驚歎)砂漠掘削堀割り設ク」 21歳正名のフランス公費生留学記260719
 「(第4回までの驚歎)砂漠掘削堀割り設ク」 21歳正名のフランス公費生留学記260719

 1869=明治2年、21歳の前田正名は船旅の寄港地で5個の<驚き>を記載。
 旅は香港を出て、サイゴン‐セイロン‐アーデン‐スエズと続く。それぞれ柴棍、錫蘭島、亜丁、蘇士を宛てる。

 ちなみに「柴棍=表記柴昆 ベトナムの都市であるホーチミン市の旧称」、
 「錫蘭島 現スリランカの旧国名」、
 「亜丁 四川省甘孜チベット族自治州稻城県にある標高2900~6032メートルに広がる広大な自然保護区」、
 「蘇士 エジプト北東部の港湾都市」にあたる。

 第一 柴棍 文明的規模の洪大なること。
 第二 錫蘭島 印度の亡国となりしは偶然にあらず。
 第三 亜丁 皆、岩石と砂のみにして青き物をとては一物もなし、岩石の下には水槽を設け降下せる雨水は一滴も空しくせず。
   (つまり)高山は悉く岩石にして一点の青を見ざる。
 第四 蘇士 沙漠を堀割て地中海に通ぜんとする仕掛けの洪大なること。
   (「自叙伝 下」 『国家と社会』p90~91) 
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「(第五回の驚歎を発り)修築港湾絶無」 21歳正名のフランス公費生留学記260718
 「(第五回の驚歎を発り)修築港湾絶無」 21歳正名のフランス公費生留学記260718

 1869=明治2年6月 明治新政府のフランス公使書記生でフランスに留学した前田正名。
 横浜―香港‐セイロン‐スエズ運河らを経由してフランス国マルセイユ港で、西欧らしき修築港湾に接する。
 その感慨を実に「第五回の驚歎」と『自叙伝』に記載。

 内容。「元来、天然の防波堤と云ふべきもの有せず、普通の平海岸に人工を施せるに過ぎず(略)。数百千の大小船が安穏に碇泊することを得るは」。
 そう書き出して、さらに続ける。「全く人力の結果(略)乗客に対して、最も危険を感ぜしむるものは港にして」、と。
 「その完成と否とは国家の利害に非常の影響(略)帝国の設備なく国家の耻辱、国家の損失これより大なるはなし」。
            (「前田正名自叙伝」 『社会と国家』 九二頁)

 我が国。永い鎖国体制下にあり、全く国内向けに偏し、外国船入港の受入れ体制脆弱を指摘。
 「小舟は安全に坑内に碇泊し居れり」。「而かも大船は直に税関の横岸に近寄り、船中より直に馬車に乗り移ることを得るなり」。
 本邦港湾の課題を指摘。

 「(第五回の驚歎を発り)マルセイユの地たるや、元来天然の防波堤というべきものを有せず」。
 正名は「乗客に対して、最も危険を感ぜしむるものは港にして」と課題を指摘。

 急ぐ施策。
 それは「その完成と否とは国家の利害に非常の影響(略)帝国の設備なく国家の耻辱、国家の損失これより大なるはなし」。
 そこまで、言い切る。でわ、第一から第㈣までの驚嘆とわ。
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  人と自然が一体となって暮らす 大和路のシカ  「知られざる日本の自然 第1集 古の都」260317nhk4K
人と自然が一体となって暮らす 大和路のシカ  「知られざる日本の自然 第1集 古の都」260317nhk4K

京都・法然院を軸に、ワールドライフSP.
 法然が草案をもうけ、「六夜礼賛」を修した。そこのところを「法然が修行した」とまとめる、も。
 貫主は、器に水を。カエルの受精卵をあつめ、種族持続の支援。「共に生きている、生かされている」を刻む。

 転じて奈良・大和路。マチなかのシカは、社寺仏閣の庭から横断歩道をわたって、市街地に。
 好物を求めて腹こしらいに、余念なし。人々は気にすることもなく、静かに見守る。
 「ワイルドライフ スペシャル Hidden Japan  知られざる日本の自然 第1集 古の都 縁が生み出した命の聖域」=ナレーターの弁。

 「シカがマチなかにあらわれても、(人々は)気にしない」「そこにあるのは信仰」。
 「遠い昔、神様がシカに乗ってやってきた、以来、シカは神様の<お使い>として」
 「ヒトと自然が一体となって暮らし、神社や寺に生きものが住みつく」。

 2018年の大晦日。厳島神社では除夜と新年にむけ、市民があつまり、準備に大わらわ。 シカの群れが10頭。悠然とマチナカを歩いていたが。
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食糧基地を背負いながら 協同組合経済の規模とシェア260316
 食糧基地を背負いながら 協同組合経済の規模とシェア260316

 このところ<協同組合経済 その規模とシェア>ということを、考え続けている。
 1985年台、地域で漁業史研究に取り組みお方から、「協同組合経済というものがあり、地域にとって極めて重要だ」。
 言われた往時、筆者も「その通り」の思いを抱いていた、が。

 2025年4月。地域の短期大学が学生募集を停止、と。
 その報を耳にして、あらためて「愛と奉仕」と建学の精神を掲げた短期高等教育機関の最近四半世紀の軌跡を思い巡らしていた。
 近隣の公共団体と提携し、国際的な食糧基地を背景にもつ教育機関は、海陸の食資源を背景に食育と食文化、その普及・定着に貢献をめざした時期がある。

 その教育機関が「学生募集停止」を打ち出した時、<協同組合へのアポロ―チが欠落>。その思いを抱き、あらためて<協同組合経済 その規模とシェア>ということ。
 それは現在の学会や、農協・漁協・生活協同組合らで、どれほど相互共有しているものか。

 今、そんな思いにとらえられ、データ収集の方法を模索する。先行事例は限られているようだ。
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和製漢語「医食同源」後に薬膳&釧路型薬膳料理 もう一つの視点で環境学習260315
和製漢語「医食同源」後に薬膳&釧路型薬膳料理 もう一つの視点で環境学習260315

 薬膳の用例は『後漢書』列女伝の程文矩妻の一節に初出。煎薬を配膳する意味。そこにとどまる、と。
 現在の意味で使用した最初は、北京中医薬大学の翁維健氏が八二年に出版した『薬膳食譜集錦』だったと本人が述べる。そう紹介。
 でわ、「薬膳=現在の意味」とは。そこは、おいて置き。

 掲載図は、「釧路型薬膳料理」と「一般的な薬膳料理」
平成8年4月22日 釧路市農村都市交流センター(山花温泉リフレ)がオープンし、そのレストランは「薬膳料理」を提供。
「釧路型薬膳料理=地産地消にこだわり、釧路産・道産の食材をベースにした体に優しく、 美味しくヘルシー」と流布されている。
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和製漢語「医食同源」に至る前に食事専門医&五味・五臓 もう一つの視点で環境学習260314
和製漢語「医食同源」に至る前に食事専門医&五味・五臓 もう一つの視点で環境学習260314

 でわ、「薬食同源」もしくは「食薬同源」の単語。それを詳述した概念があったかと言うに、どうもそうではなかった、ようだ。
 1970年代、本邦の高度経済成長が転換期を迎え飲食に弊害が指摘される時、わが国の英知。知恵で中国思想の受容が果たされた。
『漢書』に見る「民意食為天」の後代に、「食医」とされる食事専門医の存在があった。

3)「食医」は、『周礼』天官に定める医師四種の筆頭に位置する食医。
王の食事を調理するに「春に酸を多く、夏に苦を多く、秋に辛を多く、冬に鹹を多く、調えるに甘滑」と五味を重視する。それを進める職階があった、ということ。
以下。疾医(内科医)、瘍医(外科医)、第四番目=獣医と定める。
しかし、獣医には全く触れないが、疾医&傷医に、五味、五薬、五毒を「以てこれを節す」と。

「節す」も現代に多用される意味ではなく、「ほどよくする」の用例と読んで置く。
因みに「五味=酸味、苦味、甘味、辛味、鹹味(かんみ:塩からい)」の5種類」。
五味(五種の薬剤)=草、木、虫、石、穀。
五毒=ムカデ、サソリ、トカゲ、ガマ、ヘビのことで、強い精力をもった恐るべき存在。

 「五味・五穀・五薬を以てその病を養う」の思想に加え、「薬に酸鹹甘苦辛の五味あり」(『神農本草経』序録 刊行時期=一世紀)と時代を重ね。
以後も<食事で病を治療。食事こそ重要で病に至らぬ>は伝統思想となっていたようだ。

4)そこのところを承け、わが国では<食事で病を治療。食事こそ重要で病に至らぬ>をシンプルな語で、と。
 「薬食同源」「食薬同源」などが例示されたが、それでは<薬と聴くと化学薬品>を連想させ「生薬 しょうやく」には思いつかのでは。
 新宿クッキングアカデミーの新居裕久校長は以上を主唱し、「医食同根」を造語したようだ。
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和製漢語か「医食同源」あわせて「薬膳」 もう一つの視点で環境学習260313
和製漢語か「医食同源」あわせて「薬膳」 もう一つの視点で環境学習260313

耳にする「医食同源 いしょくどうげん」は和製漢語か。それとも薬食同源か。そもそも出典はいずこに、なんぞや。あわせて「薬膳」の語も。
そう思いついて、早速、調べてみることに。ここは辞書よりもネットで、と。
「AIに聞く」は未使用ながら、どうも「これ信憑性がありそうだ」。そんな箇所にであった。

今,信憑性とは「なんぞや?」は、さておきだ。そこのところを真柳誠「医食同源の思想-成立と展開」(『しにか』9巻10号72-77頁、1998年10月)に、依拠してみる。
https://square.umin.ac.jp/mayanagi/paper04/sinica98_10.htm
1)まず「医食同源」は新宿クッキングアカデミー校長の新居裕久氏の造語、と。

 新居裕久氏は一九七二年のNHK『きょうの料理』九月号で、中国の薬食同源を紹介するとき、薬では化学薬品と誤解されるので、薬を医に変え医食同源を造語したと述懐のだ。
 背景に真柳氏は、1972年は高度成長期の後半で、飮食にも各種弊害が出現したため、この造語が急速に普及したと、述べる。

2)そもそも「薬食同源」が先にあり、それは中国の文献に出典が求められている。
 『漢書』にある名言「民意食為天」で、読みは「民は食を以て王者は天となす」。
 転じて「民衆にとって『食』はまさに天であり」「民衆を食わせられない天子はその資格を失う」
 『三重大学生物資源学部紀要 30号』に大原,興太郎・王,初文氏が「医食同源・薬食同源に関する歴史的考察」(p. 69-87 2003年3月)を発表している。
 ( https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010671318 260313 )
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