鳥居良四郎名誉教授と釧路短期大学260125-3-
鳥居良四郎名誉教授と釧路短期大学260125-3- 「260125 鳥居省三生誕百年記念講演&座談会 H.Sato」

●鳥居先生は昭和63年に『釧路空襲』の編集者代表を務められます。
 釧路短大と鳥居先生。第三は戦塵に散り戦火に斃れた人の分までと、次世代育成に務めました。
 実は鳥居先生=大正14年生まれ、同15年の布施正氏=地域史研究、菅原弌也師=本行寺住職。分野違うも深い交流がありました。そこに私の学部の指導教官=昭和2年を含め、共通して語る点は「私は生きていた、多くの犠牲者のためにも」の強い使命感です。故に『鳥居省三書誌』には、先生の1500点を超える著作が集められています。
 若い編集者の指摘に、私には鳥居先生のお働きが浮かんできました。一に鳥居先生の戦友への思いから情報を引出した力量、二に原田さんや桜木さんを輩出した風土=風の情報力と、土のぬくもり。この二つが背景にあると、今も考えています。市民の総力を引揚げたのです。

●釧路短期大学は「名誉教授」号を贈ります。
 鳥居良四郎先生にとっての釧路短期大学。
 評論家から教育者・研究者に転じ、半生を通じ蓄積した市民との信頼関係をバックに短期高等教育の発展に尽くされました。
 標茶町民からも学生からも、そして釧路市民からも尊くも、深く親しまれました存在です。
 ここに3点に絞るも釧路短期大学で、教育と研究に精力的に取り組まれたご貢献に対し、退職時に「名誉教授」号を贈り、釧路短期大学は敬意を申しあげた。そう受け止めています。
コメント (0)

睡眠&排泄の空閑 半年航海の買い積船、弁財型和船の航海事情260127
 睡眠&排泄の空閑 半年航海の買い積船、弁財型和船の航海事情260127

 加賀の温泉郷は北前船主が育てた、と。その代表は山中・山代・片山津温泉か。
 山中温泉に伝承の山中節。由来について「北前船の船頭衆が松前追分を湯の中で唄い、それを浴衣娘(ゆかたべ)たちが山中なまりで真似たのが始まりとされて」いる、と。
 北前船は大坂を出湊。瀬戸内‐関門―日本海を航行し、北海道の松前・箱館から、母港の加賀に戻る。

 その間、乗組員の朝昼晩。湊についても、大型船ゆえに沖合にとどまり、上陸は限られる。どのように寝て、かつ排泄をするのか。
 研究はあるようだ。「弁財 厠 雪隠」の語で、日本下水文化研究会の会員記載がヒット。
 「船の絵図面において(幕末から明治の中期頃までの日本の船や外国船には)便所・風呂(シャワー)の位置がほとんど明示されていない」。
 そこから推測。「船は限定されたスペースにできるだけ多くの必要な物質(食料・水・燃料)と人員を積載する必要」から,と。
 ある意味当然。それ故にどうなっていたのか、思案。その答えは目下。
 「便所や風呂(シャワー)は無駄なスペースと考えられたのではないか」。

 3尺幅、21枚の布帆に風うけて走る弁財型和船は、それでも乗り組員を減らしていた。
 移動するに漕ぎ手の頭数が少なくてよかった。それでも21反布の弁財型和船は10-15人が乗る。
 シモの始末は必至。「お供の人々の便所については示されていない」。

 「これらの船から出るし尿は,水面に直接廃棄することが合理的であると,考えたのでは」、「船との関わりを持つ人々は,いまでもこの考え方は変わっていない」。
 「風呂(シャワー)については,海上では真水は大変貴重なもので,風呂は,<甲板に海水をくみ上げ使用した>と推測して見た。
 文献のみあたらないところにも歴史は存在。

 一艘で億円単位の利益があがった北前船。商品が第一。人間はその次、とは言わないまでも。
 半年の航海。終わって湯に浸るは、「半年の汚れ」を落とすのかも。
コメント (0)

「巨樹 鳥居 祠 支柱」で樹齢1200年
 「巨樹 鳥居 祠 支柱」で樹齢1200年。
 番組案内「にっぽん巨樹の旅ミニ (4)「神様の木に会う 志々島の大クス」(5分)」には、次の記載。
 「瀬戸内海の小さな島に立つ樹齢1200年、志々島の大クス。近年大人気!」。

 番組では、枝がくびれわずかなツナガリで生き延びている「志々島の大クス」。
 鳥居のみならず祠が設けられ、樹木医が定期的に健康診断。そのうえで、治療の手をくわえているらしい。
 鳥居と祠の存在は、オオクスの巨樹を「ご神体」と解する不文律があり、神を悲しませ、怒らせ、あわせて人間のオゴリ&思いあがりに警鐘を添えている。

 塩飽諸島の一島嶼(とうしょ)たる「志々島 ししじま」。
 「未来のシマ 共創会議2025年」基礎資料によると、「面積 0.74 ㎢」「周囲 3.8 ㎞」
「標高 109 m」「住民基本台帳」人口 21人(令和5年6月)。

 「江戸時代後期から漁業の島として栄え、戦後は除虫菊や唐辛子などの栽培」とある。
 案ずるに江戸時代後期、渡島した漁業者が、漁場を護り続けるために林相の景観+山崩れの治山+洪水防止の治水。
 その象徴としてオオクスを《伐らず、傷めず、損なわず、の象徴》として崇めることになった、のかと。

 自然保護思想。その起源を調べている。
 産業革命、また普仏戦争を経て、荒廃した英仏独を軸に《失敗の軌跡>を教科書&教訓に、産まれた自然再生の理念かも。
 最近の市内配布紙。記者コラム「余塵 よじん」欄に、「治療にまさる予防」とあった、が。
コメント (0)

評論家の生誕百周年、短期高等教育機関での20年を5分で260125
評論家の生誕百周年、短期高等教育機関での20年を5分で260125

1)地域文化の拠点に育てた。
 ・スタッフを総動員、地方公共団体と提携、事前に印刷教材配布で営む市民講座を実施。
2)若者の潜在能力を引き出し、主題専門性に強い図書館司書をめざした。
 ・自身も気がつかない自身の可能性を引き出し、原田・桜木に接した姿を若者にも。
3)自身に投資、戦没者の分まで、次世代を育てねば。
 ・投資で自身を変え、「選んでもらえる人になる」をめざしつつ、次世代の育成に生涯を。
コメント (0)

「本をどう読むか」の答えは「人生は『自らが経営者』 丹羽宇一郎さん死去の報に260109
 「本をどう読むか」の答えは「人生は『自らが経営者』 丹羽宇一郎さん死去の報に260109

思い起こすは『文藝春秋』2007年4月号に掲載の座談会記事。
 題名は「経営者よ、朝四時に目を覚ませ」。
 「スポーツ新聞や週刊誌しか読まない人間を経営者にしてはいけない」と断言。

 「私はサラリーマン、本を読まなくても、スポーツ新聞や週刊誌を読んでいれば」。
 そこに対する答えは二つ。一に、「自分のなかに拠り所となる太い幹を作ろう」。
 その二に、「生業は勤労者でも、人生は『自らが経営者」の結論。

 これまでに氏の生家は書店であった、と承知。訃報の記事に接し、下記の記載が念頭に。
 第3話の紹介です。「本をどう読むか」の答えは「人生は『自らが経営者』」とする丹羽宇一郎氏の弁。
 2007年、「(座談会)経営者よ、朝四時に目を覚ませ」を読みました。伊藤忠商事
会長の発言。「生業は勤労者でも、人生は『自らが経営者』」との結論です。
 「本を読むということは、経営者にとってきわめて重要なことだと思いますよ」。
「もっと言えば、スポーツ新聞や週刊誌しか読まない人間を経営者にしてはいけな
い」。そこまで、申しています。なぜでしょう。
「経営はきわめて論理的なものだから、感性だけで出来るものではありません」。

 第3話は本の読み方の紹介。「生業は勤労者でも、人生は『自らが経営者』」は自己の主人公になる読書。
丹羽宇一郎氏は述べます。「自分のなかに拠り所となる太い幹を作ろうと思うなら、たえず考えながら本を読まなければならない」。
「これを二十年くらい続けていると、歴然とした差が出てきます」。「(略)本というのは、他者の経験や体系化された考えを文字を追うだけで会得できるわけで、これほど楽なことはありません」。(文藝春秋』2007年4月号)。
  (佐藤宥紹「図書館と生活」 『生活科学基礎演習03』2020年4月27日)
コメント (0)

「七歳 天神さま詣り」は「通り御免」 わらべ歌「通りゃんせ」歌詞から260122
「七歳 天神さま詣り」は「通り御免」 わらべ歌「通りゃんせ」歌詞から260122

お馴染み、「通りゃんせ」の歌詞。
 なかに、「御用のないもの 通しゃせぬ」に対し、母は「子の七つの お祝いに お札を納めに」と、応じている。
 行きは、無事に通過させてもらえるらしく、その結び部分には「行きはよいよい 帰りはこわい」と、繋がれている。

 朝、CDで筝と尺八の音を聴きながら「七つの お祝いに お札を納め」にとは、なんぞや。
 調べてみると、「通りゃんせ」の歌詞は、江戸時代の「わらべ歌=童謡」で歌い継がれてきた、と。
 そのオリジナル地点は、金沢の地とも、名古屋弁ではないか、など。定まっていない点も、あるようで。

 で、「行きはよいよい 帰りはこわい」とは、なんぞや。
 関所に「入り鉄砲に、出女」のナライがある点を思い浮かべた。場所は箱根関所。
 江戸から出ていく女性は「質草の大名家女房ではないか」。江戸に持ち込まれる鉄砲は、将軍家に、サカラウ、として大敬遠。

 関所から去る女性が怪しいと受け止められると、配置の婆さんが裸にして調べたの故事。
 関所通過は実に、一大事であった。
 江戸時代、庶民は土地緊縛のもとにあった。移転の自由が奪われている。しかし、例外も時代とともに許された。

 奥向きが江戸から鎌倉に詣でる「江の島詣で」。男は生涯に一度、伊勢詣りが《男の 甲斐性》とされた。
 女性も負けてはいなかった。家事を忘れて、女神三柱に詣で、旨い海産物に舌鼓、富士の風光明媚を脳裏に刻む。それは、なかなかのゼイタク。
 「あなた、娘の良縁、安産祈願がムダなことですかー」「(認めぬ、と)なんと、人でなし」。コワイ。
コメント (0)

座談会「蓬髪のあの人 鳥居省三氏のなつかし話」 釧路文学館26年1月25日
 座談会「蓬髪のあの人 鳥居省三氏のなつかし話」 釧路文学館26年1月25日

 25年11月から開催「生誕百年記念『鳥居省三』記念展」の最終日。
 二部構成の講演会が釧路文学館で開かれる。
 第一部講演会「評論家としての鳥居省三」。釧路工業高等専門学校名誉教授 小田島本有先生が務めてくださる。

 第一部の演題は「評論家としての鳥居省三」
 第二部座談会「蓬髪のあの人 鳥居省三氏のなつかし話」。 招かれているのは、敬称略ながら6氏。
  北畠立朴(釧路啄木会会長)
  佐藤宥紹(城山モシリヤ学コミッション調査役)
  羽生 輝(創画会画家)
  藤田民子(釧路文学団体協議会副会長)
  西村奈津子(鳥居氏ご息女)
  星 光二(釧路演劇団体協議会顧問)

  座談会の司会は小田島先生が担当される。
コメント (0)

海岸線地形+漁場&加工地近接+ヤマの栄養一気に海へ エチゼンガニのウマサ
海岸線地形+漁場&加工地近接+ヤマの栄養一気に海へ エチゼンガニのウマサ3点「にっぽん百低山 蠑螺ヶ岳・福井」NHKBS4K260113 

エチゼンガニ=旨さ要因の一は、日本海の地形。
  蠑螺ヶ岳 さざえがだけ 側で隆起が起きた一方、日本海側が深く沈降(掲載図 上)。
 深い海底にはカニが好む泥が堆積、お好みのプランクトンやバクテリアが豊富に生息、と。

 エチゼンガニ=旨さ要因の二は、カニの生息地と可耕地が近接。
 つまり最圃場と水揚げ地が近く、カニを捕って気きて新鮮なまま水揚げできる(掲載図 下)。

 エチゼンガニ=旨さ要因の三は、多くの山の栄養分が一気に日本海に注ぎ、旨いカニが育つ。
 蠑螺ヶ岳は標高が685.5メートル。その登山道には「ウォータースライダー」と呼ぶ水路がいくつも観られた。
 麓の海岸線はリアス式。山の栄養は一気に日本海のピールと呼ばれる、カニ生息地に注ぐ。

 出演の吉田類は、嘆息。「つながっているんですね、山と海は」。
 「カニの棲みか」「山の栄養」「漁場の近さ」が、見事につながる。そこに注目。

 (以下、出演者と大学教授の会話)
 先生「水がウォータースライダー」のところを、さっと流れ落ちる」
 先生「多くの山の養分が一気にプールへ」
 吉田「栄養が全部(海へ)流れていくと」
 吉田「つながっているんですね、山と海は」
 先生「(海岸近くに漁場=採捕場ある)だからカニをとってきて新鮮なまま、すぐに水揚げできる」。

 26年1月13日放送「にっぽn百低山 蠑螺ヶ岳・福井」NHKBS4K.
コメント (0)

「(もうちょっと生かしておく)今、なんとかせー!!」 「能登の“プレハブ住職」260118NHK
「(もうちょっと生かしておく)今、なんとかせー!!」 「能登の“プレハブ住職」260118NHK

「過疎化、高齢化、被災避難」「もう、どうにも、できん」。
 プレハブの仮設住宅に本尊遷座。「真宗大谷派 往還寺」の看板が、辛うじて健在。
 20250101の地震で、命からがら、生き延びることができた。

 そもそも財政基盤が脆弱とされた、門徒寺院は基盤を農村にもっていた分、存続の危機が指摘されている。
 「(被災のご門徒に寄せる)責任感」。娘の「ヒトも居ないのに、どうするの?」。
 九死に一生。「本来なら、死んでいたわが身」。本尊の傍らで録音カセットを、奏する。

 流れてくるのは、本願寺派寺族であった植木等の「ワカッチャいるけどやめられない」。
 「聞いていると、妙にわかる」。そう申しながらも「九死に一生を得た身」。
 ご本尊が「(もうちょっと生かしておく)今、なんとかせー!!」。

 今日も、被災のご門徒と向き合う日時が。
 NHK【Dearにっぽん】能登の“プレハブ住職”〜石川・珠洲 宝立町〜 
 副題に「往還寺と能登半島地震の“再建の灯”──松下文映はなぜ墓じまい進む町に残るのか|。2026年1月18日の放送。
コメント (0)

「西」=単なる方位ならず、「羽、休める鳥巣」 260116
 「西」=単なる方位ならず、「羽、休める鳥巣」 260116

 15分の話の中で提示。「西方浄土」「西の岸」と申すも、東西南北上下うなかで、なぜ、西方が注目されるか、と。
 「頭北西面 ずほくさいめん」が「もっとも楽な、寝方」と示される、とも。

 それは「西の字」=横棒の一こそ、鳥が羽を広げて休む意味、縦棒二本は鳥の脚にして、口の字は鳥の胴体、でわないか。
 なるほど。手近なところで二冊の漢和辞典を開いてる、に。
 「字源」「字解」の項に、次の二題。なかなか、味わいが・・・・・。。

●『新明解 漢和辞典』=「巣の上に鳥が休んでいる姿」
「鳥がねぐらに帰りつくところは日が西に沈むときだから、西の意をあらわす」(51p 長澤規矩也ほか編 三省堂 1986年)。
●『学研 漢和辞典』=「ざる・かごを描いた象形文字で、栖(セイ ざる状の鳥の巣)に、その原義がのこる」
「ざるに水をいれるとさらさらと流れ去って、ざるが後に残ることから、日の光や昼間の陽気がざるの目から抜けるように流れさる方向、つまり『西』を意味することとなった」 「洒=サンズイ+西 さらさらと流しさる)」。
「遷(セン 形を残して中身がうつり去る)と同系のことな」(1190p 藤堂明保編 学習研究社 1980年)。
コメント (0)