ニューディール・ブロック経済・ファッシズム WarⅡへの道260712ぶぶる21th
 ニューディール・ブロック経済・ファッシズム WarⅡへの道=世界恐慌後 260712ぶぶる21th
260712  ぶぶる22th  戦災復興碑.jpg
26年7月12日催行の、遊ぶ・学ぶ・褒めるの末語で<るるぶ in 釧路市北大通22th>は栄町平和公園に集合。
定刻に戦災復興碑に敬意を表して、ここでは、次の点を。
 1929年の世界恐慌。復興策は三つのブロックに対応が、分かれた、と。最近の「高校世界史講座」の内容を元に。

 Ⅰ.そこは教科書でおなじみ、USAはニューディール政策を実行し公共投資で雇用造成。
 Ⅱ.英仏の植民地保有国は、被保有国との間でブロック経済を構成し、富の域外流出を最小限に。
 Ⅲ.のち「枢軸国」と呼ばれた独・伊・日は、ファッシズムに転換と。

 当時、国内では世界的不況を背景に、都市と農村の格差が拡大。
 東北の男性は応召し、ある役場では女性に「娘、鬱なら相談に乗ります」掲示物も。
 市内では失業対策事業=春採湖の埋立&掘削、釧路川埋立用土に採取跡を「市営グラウンド」とした。

しかし戦火は拡大。簡単に始まった戦争は15年を経て、最後の最後まで「終わることができなかった」。
その記憶の再構築。9時20分。戦災復興碑を後に。
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仏舎利塔と位置図、城山空襲、城山ミニ史=配布資料ぶぶる22th
仏舎利塔と位置図、城山空襲、城山ミニ史=配布資料ぶぶる22th
2606712  レリーフ 1783922925457 ぶっしゃり ぶぶる22th.jpg
260712午前催行、遊ぶ・学ぶ・褒める末尾語3字をあつめて<ぶぶる in 釧路市北大通22th>。
掲載写真のように好天にめぐまれました。配布された資料のリスト。
その三章。「仏舎利塔関係資料」「城山空襲」「城山ミニ地域史」。

「釧路仏舎利塔」は地域で配布の釧路観光協会発行『くしろ』から。竣工にむけた工事写真も一葉。
建立発願の『中村水産(株)』社史に、『釧路市住宅明細図』から国指定史跡モシリヤチャシ跡の周辺図も。新聞記事三題。
「六年の苦節、實る 仏舎利塔近く完成」「塔の頂上にコダ 仏舎利塔」(590714&22)、「無事佛舎利を安置 盛大に仏舎利塔落慶式」(0822)。

7月14、15日釧路空襲の縁日が近づいているにあわせて「城山空襲」記録も。
『城山協和会創立50周年記念誌』に掲載、6名の回想録も。『釧路空襲』掲載文から島村勝さんが引用された、ようで。
坂本ミネ、山元、小林、野中、鈴木、慶伊さんに、島村さんの引用後記も。

参加されたお方も、積極的に紀行文を。栄町平和公園―旭町日枝神社跡―釧路仏舎利塔めぐる<ぶぶる22th>。
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娑婆世界で人々救う 現世=親鸞「地獄一定すみかぞかし」、日蓮「極楽」解釈
2607106  法華経 無量寿品 宮澤賢治.jpg 宮沢賢治18歳のとき、特に心大きく揺すぶられたと言う、法華経無量寿品の一節。

 『漢和対照妙法蓮華経』で、『法華経 無量寿品』の一節を読み、激しく心を動かされたのは「我常在 娑婆世界」。以下、ナレーターは伝える。

 賢治は「すでに涅槃に去ったと思われていた釈迦が、実は現世の娑婆の世界にとどまっていて、人々を救うとしていると、書かれていた」。
 「法華経の説く救いが、あの世のみならず、人々が苦しみの中で生きる現世にこそあると知り、これが人生の一大転機の中で生き、法華経へ信仰を深めてゆきました」。

  掲載図で明示の「阿僧祇劫 自従是來 我常在此 娑婆世界 説法教化 亦於余処。百千万億」。

 「阿僧祇劫」は、「無数ともいえるほど途方もなく長い時間」を表す仏教用語。そこを特に「三阿僧祇劫」とすれば、「仏が成仏に至るまで修行を続ける想像を絶する長さの期間」ということに。

 以下、「自従是來 我常在此 娑婆世界 説法教化 亦於余処。百千万那由他 阿僧祇国。導利衆生」を。
 「是れより来、我常に此の娑婆世界に在って説法教化す」。「亦余処の百千万億那由他阿僧祇の国に於ても衆生を導利す」、と。
 
 娑婆世界で人々救う 現世=親鸞「地獄一定すみかぞかし」、日蓮「極楽」解釈
 NHK教育テレビジョン7月6日(月)午後10:50放送「ファンタジーに秘められた宗教 (4)『銀河鉄道の夜』」。
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時の流れ、絹街道東端、建立の汗 釧路仏舎利塔 自然と人類の線引き‐終-
 時の流れ、絹街道東端、建立の汗 釧路仏舎利塔 自然と人類の線引き‐終-
140824  CIMG9502  仏舎利塔まつり 1001.jpg
 釈迦在世2500年。仏典結集、あまたの師釋を経て、法灯点。
 西蕃・月支、東夏・日域を経てこの地に、伝統を録す。
 人心結集し、宝塔輝き、自然と人類に線引きせず。
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曹洞宗檀家総代家宗家庭で育ち、唱題法尼の道(2) 自然と人類の線引き‐7-
曹洞宗檀家総代家宗家庭で育ち、唱題法尼の道(2) 自然と人類の線引き‐7-

時、流れて2013年5月。隣接地に所在のキャンパスに学ぶ若者10名で妙本山釧路道場を訪れた。
 第二世の庵主さんが法話をしてくださって、若者は、妙に納得。
 うち二人が、「私たちが願っても居ないところで、願って居てくださる」。省みて、我が生い立ちを、深く<内省>することに。
 むすびのⅡに有田秀穂著「聖地はなぜ、癒やすのか」。
 4)うつ病の背景にセレトニン神経の弱体化、
 5)セレトニン神経には歩行、深呼吸、よく咀嚼で、活性化される特性、
 6)聖地巡礼には五個の効果=掲載図記載。
釧路仏舎利塔。時は流れて世代も、交代。建立後、半世紀を経て修復の必要性に到達。 
<遊ぶ・学ぶ・褒める>の「ぶぶる in 釧路市北大通22th」。
そこでは日曜日 午前10時から吉田仁麿著『炎の人 中村小三治一代記』の「第16話 尼の抄―行浄法尼聞きがき―」を、奉納してみる予定。
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曹洞宗檀家総代家宗家庭で育ち、唱題法尼の道 自然と人類の線引き‐6-
 曹洞宗檀家総代家宗家庭で育ち、唱題法尼の道 自然と人類の線引き‐6-

 「医者がなおせぬ業病」「街ゆく修行僧との出会い」「父に背いて出家」。
 吉田仁麿著『炎の人 中村小三治一代記』の第16話は「尼の抄 あまのしょう ―行浄法尼聞きがき―」。

 1959年8月24日 午前10時を期して、猛烈<五段雷>の爆発音。
 「どうだ、眠気が覚めたろう!!」。「仏舎利塔開眼法要」の幕開け」。
 戦後、急増のモルタル木造校舎の教室に、200メートル内外の地点で打ち上げられた 教室では一学年対象「国語 古典」授業が、始まったばかりであった。 

「第16話 尼の抄」には、「行浄法尼聞き書き」の副題がある。節が七個、20ページを宛てる。
 「医者がなおせぬ業病」
 「街ゆく修行僧との出会い」
 「スパイ容疑で憲兵に 中谷行一上人」
 「シラミわく僧衣煮る」
 「尼にだけはなるな」
 「父に背いて出家」
 「哀れ一生一度の号泣」

 時、流れて2013年5月。隣接地に所在のキャンパスに学ぶ若者10名で妙本山釧路道場を訪れた。
 第二世の庵主さんが法話をしてくださって、若者は、妙に納得。
 うち二人が、「私たちが願っても居ないところで、願って居てくださる」。省みて、我が生い立ちを、深く<内省>することに。

 むすびのⅠに「釧路仏舎利塔の位置」。
 1)「聖地・聖蹟」、
 2)「洋上からの原風景=昭和のランドマーク」、
 3)「インド発、シルクロードの東方到達点」

 むすびのⅡに有田秀穂著「聖地はなぜ、癒やすのか」。
 4)うつ病の背景にセレトニン神経の弱体化、
 5)セレトニン神経には歩行、深呼吸、よく咀嚼で、活性化される特性、
 6)聖地巡礼には五個の効果=掲載図記載。

 <遊ぶ・学ぶ・褒める>の「ぶぶる in 釧路市北大通22th」。
そこでは日曜日 午前10時から吉田仁麿著『炎の人 中村小三治一代記』の「第16話 尼の抄―行浄法尼聞きがき―」を、奉納してみる予定。
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篤信の真宗家庭育ち、25歳法華五経帰依 自然と人類の線引き‐5-
 篤信の真宗家庭育ち、25歳法華五経帰依 自然と人類の線引き‐5-

 賢治は真宗学者・島地大等著『漢和対照妙法蓮華経』の解説を読んだこと。
 大等の「大乗起信論」講義で法華経に開眼すうるも、その理解には二人の間に相違がある(田村公子著「島地大等が宮沢賢治に与えた影響」 『琉球大学リポジトリ―』)。
 親鸞は現世を地獄ととらえ、日蓮はこの世を浄土にしようと南無妙法蓮華経を唱えながら現世を改革。

 父・宮沢正次郎は手継ぎの真宗大谷派寺院の総代を務める。
 当代の一流真宗学者の講座に出席する篤信の人で、清沢満之、暁烏敏、島地大等らの名がある。
 賢治も幼いときから『正信偈』『和讃』『白骨の章』を読む日々であった、と。

 幼い日から強く影響を受けて来た家庭の宗教教育。
 長ずるに当面した学校教育を通じた科学教育。自身、
 科学者として生きる身に、影を残すことになったか、幼き日からの宗教教育。

 日蓮宗妙本山釧路道場が懇念かけて建設の釧路仏舎利塔に敬意を表することに。
 西洋思想のなかで慣れ親しむ市民が、東洋思想のメッカを訪ねる。
 そこを「自然と人類の線引き」で、端的に問うことになるも、宮沢賢治にとって、わ。 
 宮沢にとっては「自然と人類の線引き」に先立ち、「宗教と科学の線引き」があったのかも。
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沖手繰‐川崎船-旭町日枝神社(2) 自然と人類の線引き‐4-
 沖手繰‐川崎船-旭町日枝神社(2) 自然と人類の線引き‐4-

 大漁祈願&海上安全。祈願の時は過去に。
海況を育て、安穏確立の報恩謝徳で、地球温暖化&気候変動に心するを「自信&教人信」。

 さて実は前後するのだが、その手繰網漁業は新潟県北蒲原郡と西蒲原郡からの入り稼ぎで拡大した。
北蒲原郡の次第浜・藤塚浜の漁村から来釧している。その時期は、明治30年に始まる。
 新潟では相次ぐ大火、加地川分水の開削、前浜漁場の資源停滞。そうした要因のもと新潟―函館―噴火湾、そして襟裳岬を超えて釧路に。

 次第浜には守り神社の日枝神社があり、来釧者のなかから鳥居の寄進が行われる。
 「昭和15年 釧路市入舟町 田村友太郎」「昭和16年 釧路市川上町 高橋長一郎」とあるそうで、寄進者の刻まれた鳥居が「釧路と次第浜の<深いつながり>」を物語る。

 さて、本市旭町に祀られた「川上日枝神社」(写真)は昭和2年の建立。次第浜の出身者が中心になり勧請した、と。
 「次第浜の人たちと一緒に私も、神社で<お籠り 一夜かけて祈る>するの。
 二代目・平岩一さんに釧路市立博物館に「川崎船を手がけ、納品」していただいた昭和58年、婦人が話してくださった。

 時、流れて2021年。「旭町日枝神社を、春に、仕舞う」。
 師走の一夜、新潟県人会で話をさせていただいた。懇親会の席で、田村友太郎翁の子孫の方が申された。
「後継者がいない」。お世話するお方が高齢化。代わって、そのお気持ちを、継承してくれる方が居ない、と。

 跡地は今も、そのママの状態。さて、そこに、いかなる物語、創設することが急がれる、哉。
因みに「自信教人信」は、「みずからも信じ、人をして信じせしめる」。鎌倉仏教の師が遺す。
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沖手繰‐川崎船-旭町日枝神社(1) 自然と人類の線引き‐3-
沖手繰‐川崎船-旭町日枝神社(1) 自然と人類の線引き‐3-

「手繰 てぐり」はトロール船漁業の先駆的漁法。沖合で腕力に頼り、深海から海面へ網をタグリヨセル。
、帆に風をうける帆走力で漁船を操る川崎船は1)遠距離漁場と岸辺との時間を短縮、2)沖合で腕力にかわって漁網を牽引、3)船体も大型化し乗員を増やし、漁獲輸送量を拡大する、一大変化。

 岡手繰は南部型漁船、すなわち三枚ハギの胴海船で二人乗り、帆走力もなく沖合の漁場に出ることのない漁業。
 対して沖手繰は、越後新潟から川崎船を導入した。川崎船は帆走力があり、多少遠い漁場にも出ることができる。
 明治38年、その沖手繰りが意味を持つ統計。それが鰊=54%+昆布=25.5%に続き、「第三位 底魚15.4%」という内訳け。

 越後新潟から持ち込まれた川崎船は、「帆打瀬 ほうたせ」と言って風を帆に受けた力で漁網を牽引することができ、それも水深の深いところでも網をひくことができる利点。
 船が大型化して乗組員も多くなり、帆走距離も伸び、牽引力も高まり、漁獲物の積載量も増加。
 そのうえ、川崎船をつくる造船所が新潟から釧路に進出し、地域の海洋環境に合わせた「改良型川崎船」が可能となった。

 造船所は明治40年に平岩初太郎翁が新潟県・松ヶ浜から移った、平岩家は来船の何人目かの船大工ながら、三代にわたり旭町で活躍。
 ここに本格的な川崎船が、沖手繰発展の有力な支えとなった。
 通年で同じ海域に生息する「底魚 そこさかな」を漁獲する沖手繰りこそ、釧路漁業の中心となる。
(布施正著「水産業」 『新釧路市史 第二巻』 釧路市 1973年 236~238p)

 ※関連 https://ameblo.jp/pacific0035/entry-12928884723.html
 (釧路&越後むすび目の象徴 釧路市立博物館「改良型川崎船」000422『新潟日報』 250909配信)
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霊送りの儀式―人間界に贈られた仔熊、育て霊返す<折り合いの世界> 自然と人類の線引き‐2‐
 霊送りの儀式―人間界に贈られた仔熊、育て霊返す<折り合いの世界> 自然と人類の線引き‐2‐
260712  自然人類 折合 持続+霊送り ぶぶる23th03&04.jpg
 1)自然と人間、別な関係ではなく両者に線引きしない。3)未来永劫に循環の続く世界。
 そして2)には、霊送りの事例を話して、「折り合いの哲学」。
 いつぞや紹介したことがある。2017年6月26日のことだが、阿寒湖畔のコタンを拠点に活動されている、音楽家の豊岡征則氏の、お話。
 https://plaza.rakuten.co.jp/pacific0035/diary/201706260000/

 その「2)折り合いの哲学」を、氏の説明にそって眺めると、掲載図のようになるのでわ。
 地球が誕生して現在は、46億年と考えられているのであろうか。
 そこに現生人類は、アフリカで約20万年前に誕生したと。地球を自然界の環境として、そこに遅れて人類が発生。
 そもそも、自然と人類は一帯と言うことに。そこに直立二足歩行の人類が、さまざまなことを行い、また、はかり知れない思考を生み出し、繰り返している。

 東洋に「生きとし生くるもの、すべてが」の思想がある。その源泉をたどり、豊岡さんの一言にたどりつく。
 1)自然と人間、別な関係ではなく。2)折り合いの哲学、3)未来永劫に持続。
アイヌ民族の源泉縄文文化で1.5万~1万年前の起源として、人類20万年の歴史のなかでは5%の歴史。

その視点で見つめるに、仏教=1.5%、キリスト教=1%、鎌倉仏教=0.4%の時間。
「万能」とされる科学は。
西洋中世の発祥とするに、宗教改革とルネサンスの時期=15~16世紀なら0.35%でわ。

「経済動物は人間に食われるため、人間が育てる」=西洋。
「人間が生きるために命を頂く」=東洋。
病気にかかった患部に、さあ手術、放射線、投薬の西洋医学
&医食同源+未病の段階で巧みにつきあい+体全体を生活習慣と漢方薬の投与の東洋医学。
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