4.起 北の地上戦=樺太占領 警察官も追われる手配者に250624 北海道教育大学
 4.起 北の地上戦=樺太占領 警察官も追われる手配者に250624 北海道教育大 ポツダム宣言受託が決まり、玉音放送で全国民に。

 著者は公務で北海道渡道を言い渡される。

 樺太に強制連行されていた朝鮮人を帰国させるため。日本敗戦で暴動が起きることを制するためであった。


 8月20日、樺太大泊を立ち小樽に。道警に引継ぎを終えるも、今や渡樺の手段がなく、服命で戻るは「逆密入国者」となった。学
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6.承 3年抑留、シベリヤ開発労働力の1948年250624北海道教育大学
 ナホトカの地で、行き先はシベリヤと決めれた。カムチャツカ半島方面で強制労働に従事の可能性もあった。

 著者が身を隠す。そこを理解し受け入れてくれた農場主は、カムチャツカ方面へ。「恩人に報えられず」。

 心、悩ませた点であった。過酷な労働が待っている。服役者に畏れられていた点であるからだ。
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5.承 3年抑留、シベリヤ開発労働の1949年2506024 北海道教育大学。
5.承 3年抑留、シベリヤ開発労働の1949年2506024 北海道教育大学。

 樺太・豊原で3年強制労働の判決。警察官として戦時責任を問われたことのようでであった。
 1946年4月に始まるラーゲリー=強制州所生活。紹介の体験記は、その3年目の一年を記載する。

 派遣先は「ニューシベリア」を意味するノヴォシビルスクの地。
 板に鉛筆、ガラス破片で記載文字を抹消している役人が、紙&鉛筆を渡して心情を書かせた。
 のちに判明。記載内容によって帰還後、ソ連スパイとしての可能性をさぐることで、あった。

 遅れていたシベリア開発。投入できない自国の労働力にかえて、日本兵捕虜・戦犯をあてる。そのために・・・・。
 編集にあたった三男征志 ただし 氏は、「(ソ連は日本の)天皇制尊属と代替にシベリア労働力の捕虜抑留の密約を(連合国と)交わしたか」。
 そうした注を紹介している。
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7.承 3年抑留、シベリヤ開発労働力の1948年 佐々木武四郎著『長き不在の後で』250624北海道教育大学。
 7.承 3年抑留、シベリヤ開発労働力の1948年 佐々木武四郎著『長き不在の後で』250624北海道教育大学。

  1946から3年、強制収容所生活を送る。体験記録はその第3年次の生活を記載する。
 春から秋にかけて農場で作業。秋から冬は森林伐採。シベリヤ抑留者の生活を示す。
 他方で明確なのは大国ソ連の生活物資不足。抑留者の食事は粗末で、多くが脚気や栄養失調。トイレの用紙にもコト欠く。

 激しい労働を補てんするの、厨房で廃棄される缶詰缶に付着しているsoup。恵んでもらい著者の栄養失調も改善した、と。
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8.結 妻贈賄=反逆罪5年、地縁で子弟標茶、長男逝く  佐々木武四郎著『長き不在の後に』250624 北海道教育大学
 8.結 妻贈賄=反逆罪5年、地縁で子弟標茶、長男逝く  佐々木武四郎著『長き不在の後に』250624 北海道教育大学 

 著者がシベリアに連行され3年強制労働。終わって5年間、帰国のメドなくも定職つけず。
 日本送還が決まり、引揚所で知った「妻5年の刑期&子息ら北海道への引揚げ」。
      
 夫妻引き揚げ後の足跡=ナホトカー興安丸ー舞鶴ー函館ー標茶。標茶に長男、臼尻(函館)次男、芦別3男の家族は53年5月。

 旧住地・標茶に落ち着く。 ほどなく、長男逝去。
 著者の思いは慚愧に耐えず。2カ所に記載。
 「長男伸一の命までも失ったのは広い視野に立つとあの戦争の結果といえるだろう」「親と子が気軽に語り合えない、不幸な環境をつくったのは誰なんだ」。
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9.背景 樺太占領&シベリア抑留  佐々木武四郎著『長き不在の後に』250624 北海道教育大学
9.背景 樺太占領&抑留でシベリア開発
労働  佐々木武四郎著『長き不在の後に』250624 北海道教育大学 
 話を終える一つ前では占領、強制連行、シベリア開発。そのことが、なぜ身にふりかかることになったか。
 その点に触れてみた。昨年、使用のスライドを内容補てんしたところであるが。

 その点に触れてみた。昨年、使用のスライドを内容補てんしたところであるが。
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10.読ませていただき(個人的読後感) 佐々木武四郎著『長き不在の後に』250624 
10.読ませていただき(個人的読後感) 佐々木武四郎著『長き不在の後に』250624 
https://ameblo.jp/pacific0035/page-2.html

​ 佐々木武四郎著『長き不在の後に』は、2005年に自費出版された、著者の<樺太占領、抑留でシベリア開発労働体験記>である。
https://plaza.rakuten.co.jp/pacific0035/#goog_rewarded
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 ポテンシャルはトコトン、心配なし工夫で 新婚旅行のメッカと危機に岩切章太郎ー下ー
 ポテンシャルはトコトン、心配なし工夫で 新婚旅行のメッカと危機に岩切章太郎ー下ー
 
 島津久永・貴子夫妻についで、上皇・上皇后の旅先も宮崎=1962年であった。
 「新婚旅行ブーム」に火が付いた。全国から新夫妻の入込数。
 『宮崎県観光入込客統計調査結果』は「全国の新婚旅行約100万組の約37%の37万組が宮崎市」。
 「 昭和37年~昭和53年にかけて新婚旅行客約300万組が宮崎市を訪れる」と記載。.

 時代は永く支援を続けなかった。1964年に海外渡航自由化、そして1972年に沖縄返還。
 たちまち旅行先は、海外&沖縄に<転換するトキ>で、あった。
 帰郷の岩切がめざした、その二。「心配するな工夫せよ」。

 時代の脅威。そこを克服する道を岩切は、「景色をどう作っていくか」の延長線上。
 そこに「花の宮崎」「日南の黄金海岸」を描き出すことを考える。

 岩切は3点、めざす。1)に「美しい景色」。2)に「土の香り」、3)に「本来の味がする食」。
 地域の知恵。その伝統と競い合い、そして創造力。
 初回放送=2025年7月8日。「知恵泉 岩切章太郎 南国宮崎・新婚旅行ブーム仕掛け人」nhkETV
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多度郡屛風ヶ浦に「七ヶ所まいり」 西国八十八ヵ所霊場 庶民化は一気にすすまず250616
 多度郡屛風ヶ浦に「七ヶ所まいり」 西国八十八ヵ所霊場 庶民化は一気にすすまず250616

 この6月16日。「新日本風土記 西国花遍路」再放送を視聴し、様々な点を学ぶ。
 その一が、「七か所まいり=しちかしょまいり・ななかしょまいり」の存在。
 第七十一番札所から、第七十七番札所が対象。

 「歩きでも1日で結願できるお遍路」「江戸時代より盛んに行われるように」と。
 解説のページ。 https://7kasyomairi.sakura.ne.jp/  七ヶ所まいり|公式HP 250714 10:00
対象札所は、多度郡屏風ケ浦。 多度郡は「たどぐん」と読み、香川県(讃岐国)にあった郡。

 71番 弥谷寺 =大黒天
 72番 曼荼羅寺=福禄寿
 73番 出釈迦寺=恵比寿
 74番 甲山寺 =毘沙門天
 75番 善通寺 =布袋尊
 76番 金倉寺 =弁財天
 77番 道隆寺 =寿老人
  
 札所にそれぞれ、七福神の配置。七福神は「なでぼとけ」=「なでる」と良いのだそうで
 「西国八十八ケ所巡礼」は江戸時代、「案内記・絵図類の出版」があって、全国に拡大と。
 行者の修行が一気に庶民に広まったとされる。なかでも江戸中期に『偏禮道指南 へんれいどうしなん』はその中軸。

 しかし、だ。そぼ前提には<地域の知恵>が、あった。
 番組は伝える。歩きに始まった遍路巡礼。昨今は大半がマイカーか、公共交通で、と。
 聖者は警告。「巡礼は信仰であって、観光ではありません!!」。傾聴すまい、か。
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福沢諭吉+段ボール原紙+3Dプリンター 着想力 開発力 投資力 付加価値創設の原点では01
 福沢諭吉+段ボール原紙+3Dプリンター 着想力 開発力 投資力 付加価値創設の原点では01

 一万円札の肖像であった福沢諭吉の胸像。段ボール原紙を素材に3Dプリントを駆使し制作。
 掲載写真の像が、別府温泉のマチ中に。2017年5月、別府温泉のマチなかで出会う。
 なにかの情報で日本銀行大分支店に寄贈と承知していたが。

 古く本州製紙(株)大分工場の存在を知っていた。知人が、同社を釧路工場を皮切りに、松本、大分に転勤されていたことを聴かされていた。
 言わずとも、福沢先生は豊後国中津の出身。大分県人の誇りであるうえに、「一村一品」発祥のちでもある。
 「詳細は以下の・・・・。http://www3.boj.or.jp/oita/」

 「にちぎんと大分県のつながり」「一万円札の顔「福沢諭吉」は大分県出身です」。
 「昭和59年から約40年に亘って発行された一万円札の肖像は、言わずと知れた大分県出身の思想家・教育者である「福沢諭吉」です」。
 「一万円の肖像画は、慶応塾史資料室に保管されている諭吉が56歳の頃の写真をもとに作成されました」。
 「豊前中津藩士の家に生まれた諭吉は、幼少の時期を大分県の中津市で過ごしました」。
 「一万円札の肖像は、2024年に渋沢栄一へと変更される予定ですが、福沢諭吉の教えは今も生き続けています」。

 2016年のこと。県内の企業=アキ工作社が、発案し像を日本銀行大分支店に寄贈したようだ。
 別府温泉では実にその翌年、お目にかかったことになる。
 1)「県人に福沢諭吉」、2)「1987年10月 本州製紙(株)大分工場」、3)「3Dプリント普及」。
 地域の知恵=着想力 開発力 投資力。1)~3)を結節するは着想力。

 開発力とは、1)~3)をコンピューターで設計して、3Dプリンターに読み込ませる力量。
 地域の素材を活かし、意味を形に見せる地域の知恵、結果うまれる地域の誇りたる付加価値。
 着想力 開発力 投資。その広がりと奥行きを<目の当りにした>大分の力量、時代の可能性。
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