最後の坑内掘り炭鉱のシステム、動画でお楽しみくださ 『釧路炭田その軌跡』030331
 最後の坑内掘り炭鉱のシステム、動画でお楽しみくださ 『釧路炭田その軌跡』030331 https://www.city.kushiro.lg.jp/area/common/003hp/video.html
 https://www.city.kushiro.lg.jp/area/common/003hp/video.html
261028  釧路炭田その軌跡 映像 CD版.jpg
 「釧路炭田その軌跡」のホームページから、炭鉱理解のための動画をダウンロードすることができます。
 「坑道」「人車」「採炭」「屈伸」「戦端」「輸送」「保安・生産」「人材育成」「技術支援」の9部門の動画が用意されています。
 それぞれ90秒ほどの短い時間ですけど、ぜひ、覗いてみてください。

 「平成9(1997)年頃の太平洋炭礦のようすを映像でみてみましょう」
 「平成9年制作 太平洋炭礦PRビデオより」
 「映像が再生できない場合は最新のWindows Medea Playerをダウンロードしてください」。

 以上の表記もありますよ。国内最後の機械掘り坑道での採炭。そこを確かめてみてください。
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『釧路炭田その軌跡』の発行に寄せて 釧路市030331
『釧路炭田その軌跡』の発行に寄せて 釧路市030331
261028  釧路炭田その軌跡 趣旨 CD版.jpg
北海道の協力を得て≪平成14年度緊急地域雇用創出特別対策推進事業≫により発行いたしました。
収録写真の枚数/500点  記録映像/9本 図表/70点(内 新聞記事/10点) 年 表/6点
写真の内容、撮影時期はできる限り調査しましたが、不明な点も多くあります。ご存じの方やお気づきの点がありましたらご連絡いただき、記録化の充実にご協力下さい。
◎指導と助言をいただいた方々(発行当時 敬称略)
 釧路炭田近代化過程研究会
 岡崎  由夫 北海道教育大学 名誉教授
 酒井 多加志 北海道教育大学 助教授
 佐藤 冨喜雄 太平洋炭礦(株) 元総務課長
 寺島  敏治 金属鉱山研究会 会員
 宮下  弘美 釧路公立大学 助教授
 山本  文彦 太平洋炭礦(株) 元保安部長

 釧路炭田近代化過程研究会、太平洋炭砿管理職釧路倶楽部、太平洋炭礦(株)、釧路コールマイン(株)などのご指導とご助言をいただきました。(佐藤宥紹 釧路市地域史料室長)。
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10月にも開花 結実も難しかろうにバス停花壇261025
 10月にも開花 結実も難しかろうにバス停花壇261025
261025  10月の開花 三共バス停 KIMG5858.jpg
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家族の思い出活かし地域に貢献 第18代目当主・67歳女性の挑戦「ポツンと一軒家 熊野古道」261025
家族の思い出活かし地域に貢献 第18代目当主・67歳女性の挑戦「ポツンと一軒家 熊野古道」261025 
261025  ポツンと一軒家 熊野古道 TV朝日.jpg
長い歴史を持ち家が失われても、家族の思い出まで消えてしまうものではない。
 日曜日の夜、「ポツンと一軒家」のテレビ朝日番組を見ている。
 昨夜放送「奈良県、先祖の生家跡に建てた登山客を迎え続ける“山小屋"」。

 とうとう、最後まで視聴。460年、自身は第18代目の当主、五人姉妹の第4女。
 生家は父の老境で麓の叔父宅を購入して住まいするも、両親が登山、熊野詣での他人を無償で泊めてもてなした記憶を、継承。
 傷んだ生家を取り壊した跡に、管理人なしの山小屋を用意。道行く人に開放している。と。

 変哲もない話ではあるような、しかしどうして、どうして。
 山道2キロメートル、女性の足で40分という登山道は、車がとおれない道。
 一人かけての4人姉妹は麓迄の二キロ、そのさき4キロの道を励まし合いながら通学。

 高校通学は寮生活。その後、百貨店の食品売り場に勤め、結婚。
 恵まれた一女が三歳のとき、夫は胃がんで他界。平成の初め実父の死後で実家にもどり、その三年後には、母も亡くなる。
 無人の家を解体したところで、山小屋建設に、自らとりかかる。

「チェンそーはまだ、使えなかった」「分けてもらった材を鋸で引いて、家をてづくり」
「道具も資材も、二キロの道を背負って運びました」。圧巻は採暖用の鋳物のストーブ。
「頂き物で原価はタダ、二度にわけて一度に20kgの品を二度で運び終えた」。

利用者が書き残してくれたノート。そこに見事な挿画と、英文のメッセージ。
こうした記載を残してくれると、「とても嬉しい」。
ゲストの森口博子女史は、話の展開にただただ、驚きを隠そうとしなかった。

関心おありなら、次のURL[日本史好きのブログ」で「『ポツンと一軒家』熊野古道の山小屋はどこ?450年以上続く生家の歴史と67歳女性の物語」をご覧あれ。
  https://history10.hatenablog.com/entry/2026/10/25/200255#google_vignette
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卒業記念誌投稿:潜在能力を《引き出し》、《見える化》の成果を讃え261024
卒業記念誌投稿:潜在能力を《引き出し》、《見える化》の成果を讃え261024
261026   釧路湿原シニア大学 11期募集 釧新 部分.jpg
■二年で百コマ 釧路湿原シニア大学は二年間で一〇〇コマに及ぶカリキュラムを
配置しています。その重圧に応えた第一一期三九名のお方に卒業証書・称号記を、
有資格者に皆勤賞を贈らせていただきます。
■自身と他者の潜在能力を引き出す なによりその栄誉に深甚の敬意を申しあげま
す。講座は主に地域再発見の内容ながら真摯に向き合い、自身と周りに居られる他
者の《潜在能力》を賢明に引き出してくださいました。
■物語創出と記載で潜在能力を《見える化》 この『卒業記念誌』は各位ご努力の軌
跡です。掲載文はその潜在能力を《引き出し》て、形とした《見える化》そのもの。
珠玉のセンテンスそれぞれに、賛辞を贈らせていただきます。
■高齢者は地域の《含み資産》 二年間おつきあいくださった各位が、今後も《地域
の知恵者=含み資産》として、《学びつづける姿》をお示しください。時々の思いを
書き綴り世に発信されんこと、ご期待申しあげております。       (釧路湿原シニア大学長 261026)
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米所、豆腐、写真甲子園、銘酒 大雪と恵みの伏流水=東川町261025
 米所、豆腐、写真甲子園、銘酒 大雪と恵みの伏流水=東川町261025
261025  神宮奉納米 東川町 TBS.jpg
 米ところに銘酒がなくてわ。五年前に岐阜から移転の造り酒屋さん。
 杜氏とその家族、六人が新しい町民に、なったと。

 気温上昇。お酒の醸造が難しくなって東川に移る。
 この話は総合雑誌 世界で読んだ記憶があった。
 軒下に、杉玉を吊るし新酒醸造を知らせる姿は、老舗の味を彷彿とさせてくれた。

 東川のお米は、北海道神宮への奉納米となっているはず。
 何より地元のお方が自慢する、国立公園・大雪の、賜物なのだ。
 京都に琵琶湖の伏流水が、京都盆水となって、京料理 伏見の酒、南禅寺の湯豆腐を育む。その必然性をみてとる、思いであった。

 写真甲子園。1995年かに始まる、新規の取り組み。
 写真に残してもらえる風景。
 ありのまま、ではなくて、そこに住民が参画して、繰り返しの営為を提示する。
 沖縄の高校生の注文に、これで三人目、です。

 明るく答え、高校生たちは、また来年もやってきます。
 そかそか。

 「新日本風土記 大雪山麓 米どころ」 「神々が遊ぶ庭」=「カムイミンタラ」とアイヌの人々に呼ばれ、崇められてきた大雪山。
 北海道の真ん中、霧深い神秘の山は、清らかな水を里にもたらす。ふもとの東川町はその恵みを受け、米どころとして知られる。
 良質な地下水が豊富にあり、全国でも珍しく上水道がない町。
 自然と水にひかれ、移住する人も多い。全国の高校生が、美しい風景と人々を撮影する「写真甲子園」が開催される町としても知られる東川町の営みを見つめる。                      (初回放送日 2025年10月20日(月))
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不都合生じた時に「学習権宣言」 シニア講座運営の原則261024。
 不都合生じた時に「学習権宣言」 シニア講座運営の原則261024。
261024  学習権 市民教育福祉研究所シニア大学理事会.jpg
 学習権。それを。
 「学ぶこととは何かを獲得するための行為や余暇・余剰を埋めるための行いというだけでなく、そもそも人権そのもの」。
 そう、受け止めましょう。

 学習権は1985年3月29日、4回ユネスコ国際成人教育会議で採択されました。
 その中核は、市民教育福祉研究所が掲げる、掲載画像の部分にあるようです。
 「出来ることを、させていただく」の思いで始まる、高齢者講座。

 「善かれ」の思いで企てる企画。参加者で日程の重なり&不都合が生じること、しばしば。
 関係者が課題解決に腐心するとき、解決のキーワードとなるのが「ユネスコ学習権宣言」の理念です。
 高齢者講座に参加するとき、運営の責務を委ねられたとき、企画に参加をもとめるとき、忘れちゃいけない「学習宣言」の理念です。

 気をつけましょう。
 高齢者講座では「あらゆる教育の手だてを得る権利」を軽視すると、不都合がいろいろ。

記
   学習権とは、
    読み書きの権利
    問い続け、深く考える権利、
    想像し、創造する権利、
    自分自身の世界を読みとり、歴史をつづる権利、
    あらゆる教育の手だてを得る権利、
    個人的・集団的力量を発達させる権利
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釧路観光の枠組み FMくしろ釧路歴史探訪第595話≪放送日 2018/12/03≫ 佐藤宥紹
釧路観光の枠組み FMくしろ釧路歴史探訪第595話≪放送日 2018/12/03≫ 佐藤宥紹
240217  観光講座2024  観光ガイドの会 前田正名森に神々宿る 日銀釧路支店夜景.jpg
9月25日から釧路地方職業能力開発協会の訓練プログラムで、観光コース科の講座を担当させてもらいました

 2018年12月3日の放送。当時、放送で紹介の「野付風連道立公園」は「野付風連道立自然公園」が正しいです。
 「厚岸道立自然公園」は国定公園に、「日高山脈襟裳国定公園」は国立公園に昇格しました。

 2021年3月30日、「厚岸自然道立公園」は「厚岸霧多布昆布森国定公園 | 。
 2024年6月25日、「日高山脈襟裳十勝国立公園」。 
https://fm946.com/broadcast/podcast05/2018/12/post-68/
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原田商店後の十勝雑穀 「大正・昭和初期の帯広駅」 「ブラタモリ 農業王国・北海道十勝」261017
 原田商店破産後、十勝の雑穀 「大正から昭和初期ころの帯広駅近くのようす」 「ブラタモリ 農業王国・北海道十勝」261017
261017  雑穀 帯広駅00&01 ぶらたもり十勝5001.jpg
なぜ十勝は日本の農業王国になったか?。26年10月17日に放送。
 「ブラタモリ 農業王国・北海道十勝▼豆に翻弄された人々と豊かな大地の秘密」の冒頭には、掲載の画像が放送されて、圧倒される。
 「大正時代、豆は十勝の農業を大きく安定させる」に始まる、農業王国・北海道十勝。

 「その豆が、その後の十勝の農業を大きく左右することに」。
 掲載画像には「大正から昭和初期ころの帯広駅近くのようす」「すべて十勝で収穫された豆」。「すべて外国に送られたので、す」。
 つまり、大正から昭和初期ころには、十勝の豆、それが帯広駅から小樽港に搬送された、と。

 第一次世界大戦の大正3年から十勝の豆は釧路港に集荷された。これをうけ、釧路港東港区の一帯、
 釧路川右岸のトンケシ 現・浪花・寿には「十勝豆の流通=海外需要に応える輸出豆」を取り扱うシステムが形成された。
 小樽港からは中国大陸に。釧路港からはヨーロッパ市場に送り出されて行った、ということになるのであるが。
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大麻 官吏夏服、帆布・被覆材・蚊帳・畳縁、農商務省 奨励から取締・罰則261020
大麻 官吏夏服、帆布・被覆材・蚊帳・畳縁、農商務省 奨励から取締・罰則261020
261020  大麻 MOCHA  前田正名 ポスター.jpg
大麻は「麻薬取締規則(昭和5年内務省令第17号)=昭和5年5月19日で、麻薬に指定された。
 同20年に「麻薬原料植物ノ栽培,麻薬ノ製造,輸入及輸出等禁止二関スル件」で、栽培は全面的に禁止された。
 戦後、GHQの指導もあり「大麻取締規則」(昭和22年厚生省、農林省令第1号)が制定される。
 
 この規則は「繊維及び種子の採取を目的とする場合に限り,許可制の下に大麻草の栽培を認め」「一方では,大麻の輸入,輸出,所持,販売等の行為を規制」、と。
 その後、昭和23年現行の「大麻取締法」(昭和二十三年法律第百二十四号)を制定。
 「大麻(大麻草及びその種子並びにそれらの製品)の取扱いを学術研究及び繊維・種子の採取のみに限定」
 「大麻の不正使用を防止するため,大麻取扱者を免許制とし,免許を有する者以外の者の大麻の取扱いを禁止」、と。


 次に明治・大正の時代には、大麻栽培が奨励されていた時代の背景。以下、東洋経済新報社。
 1)1887年:北海道製麻株式会社を設立、移住者になじみの大麻を奨励、次ぎに亜麻の耕作。
 2)そもそも1878年、内務省技師の吉田健作がフランスに農工調査で派遣され、81年帰朝後に「麻紡績工場の設立意見書」を提出。
 3)海陸軍人・巡査・小吏等の夏服、又は常人用服。ほかに帆布、鉄道荷車の覆い、敷物、日本蚊帳、畳の縁といった用途が国家にとって重要と、国内で理解。
 4)87年5月、札幌の北七条東一丁目に北海道製麻株式会社、89年6月雁来、90年11月琴似に製線所を設置。
 5)蚊帳用太糸・麻細糸、織物では帆布・麻布・ズック、将校及び水兵服地等を生産販売して好況を呈した。
6)原料作付反別もまた増加し、93年度900町歩が94年度では1900町歩に拡大。
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