原田商店後の十勝雑穀 「大正・昭和初期の帯広駅」 「ブラタモリ 農業王国・北海道十勝」261017
 原田商店破産後、十勝の雑穀 「大正から昭和初期ころの帯広駅近くのようす」 「ブラタモリ 農業王国・北海道十勝」261017
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なぜ十勝は日本の農業王国になったか?。26年10月17日に放送。
 「ブラタモリ 農業王国・北海道十勝▼豆に翻弄された人々と豊かな大地の秘密」の冒頭には、掲載の画像が放送されて、圧倒される。
 「大正時代、豆は十勝の農業を大きく安定させる」に始まる、農業王国・北海道十勝。

 「その豆が、その後の十勝の農業を大きく左右することに」。
 掲載画像には「大正から昭和初期ころの帯広駅近くのようす」「すべて十勝で収穫された豆」。「すべて外国に送られたので、す」。
 つまり、大正から昭和初期ころには、十勝の豆、それが帯広駅から小樽港に搬送された、と。

 第一次世界大戦の大正3年から十勝の豆は釧路港に集荷された。これをうけ、釧路港東港区の一帯、
 釧路川右岸のトンケシ 現・浪花・寿には「十勝豆の流通=海外需要に応える輸出豆」を取り扱うシステムが形成された。
 小樽港からは中国大陸に。釧路港からはヨーロッパ市場に送り出されて行った、ということになるのであるが。