弾薬海上投下の犠牲者 恩給に算定されず 「受忍の国」BSTSS1930
 明治節に弾薬海上投下作業の犠牲者に見舞金だけ 軍人恩給60兆円&民間犠牲者ゼロ円の戦後処理 「受忍の国」BSTSS1930
260917  弾薬投下奉仕作業で犠牲4人 ゼロ円 教育大学240611.jpg
 明治節に相当した1945年11月3日。釧路港の防波堤外で、弾薬処理作業に従事した隣組の組長を含む4人が犠牲となった。
 「お父さんはその麻、作業に行くべきか、ゆくまいか、相当にためらっていました」。
 そんな連れ合いの下に夕方、届けられたのは「お宅のご主人ほかが、作業中に海に投げ出されてしましました」。

 北海道東部の港マチ。旧名を「トンケシ」と呼ばれた釧路市浪花&寿界わいの住民、4命が事故にあった。
 GHQの命令で港頭に集めれてあった日本軍の弾薬を、海上投棄する作業が道庁―市役所を通じ、隣組に割り当てっれていた。
 「勤労奉仕」「勤労動員」で痛い目にあっていた市民には、実に、酷な話であった。

 事故の発生後、北海道も釧路市も幾分の見舞いを施した。しかし、ポツダム宣言受託後のことであり、GHQの命令で結果として犠牲になるも、軍人恩給支給の対象にはならず、
 自治体史のこの記載部分に瑕疵があると、記述追加の議が市議会で起きた。
 背景には、軍事に従事したにもかかわらず、國は手当てすることが平成の時になっても対象としなかった。

 時移り2025年3月10日。そして26年8月14日。
 BSTBSが「受忍の國」として、広島・長崎の被爆者、東京・名古屋等の大都市空襲犠牲者、もちろん沖縄戦闘や中小都市空襲犠牲者をふくめ、民間人の戦後補償のないこと。
 そこを問う番組が、放送された。指摘は「軍人恩給として支払われた恩給の総額がこれまでに60兆円」。対して民間人のそれは「ぜろ円」。