「釧路を語る」「楽しみ方ひろげる」 大原寛著「生き方の選択肢 老人旅4」
 「釧路を語る」「楽しみ方ひろげる」 大原寛著「生き方の選択肢 老人旅4」。



 市内に配布の『釧路新聞』。061213配布の8面「地域の風」ページに投稿のエッセイ。
 タイトルには「釧路を語れるように」、写真のキャプションには「工夫で楽しみ方も無限に広がる釧路湿原」、と。

 2006年はまだ、「くしろ検定」が始まってはいなかった。
 そうした時のエッセイに「釧路を語れるように」とする記載は、大いに力になった。
 その同意感が即座に切り抜きをさせ、未だにその複製を持ちつづけている所以でもある。

 冒頭に「大分から北海道に旅をしていた老人は、釧路湿原を観賞して次のように言っていた」と書く。
 旅行者は次のように言葉を続けたとのだという。
 「自然を観賞させるのに、自由に勝手に、見ていってくださいではなく、見るひとの側にたった配慮がもっとあってもよいではないか」。

 2021年3月。
 小生は「シン・クシロ対策本部」というテレビ番組をみていた。
 なかで地元の識者は、「クシロのマチこそ、自然と近距離にある」「その特性をいかずべきだ」。

 みていて、疑問におもった。
 市民は「自然と近距離にある」ことは知っている。しかし若者は、「このマチには遊ぶところがない」。そのように申す。
 そうでは、ないか!!。そのときに二つのことを思う、のだ。
 一は「若者は遊ばないで、本を読め」。
 二は「なんにも『ない』ではなく、『愉しみ方、楽しませ方』を知らないのだ」。

 それだけに、大原寛氏の提言が、意味をもっているのだ。
 若者に求める前に、まず、大人が『愉しみ方、楽しませ方』を明確に「語れるように」したいもの。