「与」「馬」「丑」に注意 『寺院御建立以前之過去帳』の記載。
 「与」「馬」「丑」に注意 『寺院御建立以前之過去帳』の記載。

 史跡国泰寺跡の僧侶が、択捉、国後、根室、釧路、十勝に赴き、法務を執行した記録が残されている。

 最初の一点は、『寺院御建立以前之過去帳』。『過去帳』は寺院用と在家用があります。
「寺院に所属していた故人を記す」るデータであり、「身分、生前の事跡などが詳細に記述」されている場合もあります。

 紹介した部分の冒頭は、「文化七年庚午五月 先年久奈尻騒動殺害ニ逢ふ。来未年廿三年取越回向人数」と記載のある部分から読み始めました。

 「文化七年」の次には「庚午=かのえうま」と記載があります。文書を読むときに、元号と年の次には「甲乙丙丁」の十干=じっかんと、「子丑寅卯辰巳」の十二支の両方、もしくはその一方が記載されることがあります。
 記載内容の<くずし字>の<くずし方>にクセがあっても、ここまで述べた原則を承知していると、記載事項の見当がつきます。

 最初に「五月十三日 ウエンペツ」とあります。つづいて9名の法名が記載されています。
 善倶信士 番人 馬蔵 良爾信士 陽与信士 智尊信士 良世信士 良直信士 圓持信士 良發信士
 宗忠信士  小頭 丑五郎 です。

 「善倶信士 番人 馬蔵」と「宗忠信士 小頭 丑五郎」の二人には名前が判明していたようです。
 その人名の馬も丑も古文書の初心者には難解です。
 は高の字かと思うし、丑は丞のようにも読めますが、いずれも「このくずし方は馬、こちらのくずし方は丑」と慣れる必要があります。

 なかでも「陽与信士」の「与」がここでは判断に苦しむところ。なかなかお目にかかることの少ない筆法で記載されています。