2004年04月の記事


サービス業にあるまじき
 京都市内の態度の悪い店リスト作りたくなるのはこんなとき。

 大学で用事を済ませた後、知人と寺町や新京極近辺を買い物してきたのですが…買い物してストレス発散するどころか逆にストレス増えました。
 日曜ではないのに人込みで溢れる道、初見の客には挨拶もせず買い上げても礼さえ言わない小商店の数々。
 僕は人込みが苦手です。サービス業にあるまじき態度を取るサービス業従業者も苦手です。どちらにも接する度に心の余裕を削り取られます。

 とある綺麗な小さいアンティークショップでは知人と中に入って一分も経たぬ内にドアを示され追い出されました。母への贈り物を買おうと、入り口近くにあったガラスケースの中に並ぶカメオを眺めて自分の今の財布で買えるものはあるだろうかと考えた瞬間に、眉を顰めた店主らしきおばさまに鬱陶しそうに追い出されました。何故こんな仕打ちを受けるのだろうと少し哀しくなりましたよ。
 僕らは店に入る時に頭を軽く下げて「こんにちは」とおばさまに声を掛けたし、店内の商品には手も触れてなかったのに、僕らの何が彼女の機嫌を損ねたのでしょうか。
 初見の客は彼女にとっては客じゃ無かったのだろう、と自分を納得させて他の店に行きましたけど他の店の幾つかでも同類の対応をされました。「こんにちは」とこちらが言って店に入っても黙って見て寄越すだけの店員さんはまだ良い方で、買おうとした商品を手に取ろうとしただけで顔を顰めた店員さんも居ましたよ。値段が書いてあったので売り物だと思って買おうとしたけどあれは売り物では無かったのかも知れ無い、なんて思って自分を納得させようとしましたけど矢張り無理が。

 「他にも客が多く来ていたから」「見知った顔ではなかったから」「金を持っていない格好に見えたから」というような、僕らへの対応には店側なりの理由があったのであろうけれど。
 小店を見て回る内にストレスが溜まって溜まって…むかついたので僕はずっと敬語で人に接してました。
 過剰に丁寧な口調で、どの小店でも挨拶と礼の言葉を欠かさずに出入りしてました。

 結局、買い物をしたのは以前も来た事のある小店ばかり。僕が挨拶をすると普通に挨拶を返してくれて、買い上げると「おおきに」と笑顔でいってくれるお店ばかりで買い物を済ませました。
 「こんな客に態度の悪い小店は潰れてしまえ!」と、京都に来てから一週間に一度以上は思うのですが、そういう店に限って潰れず生き残ってます。
 そのかわりなのかサービス精神に溢れるお店が生き延びれずに淘汰されてしまっている感があります。
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苦しみ
 他人の苦しみは完全には判りません。
 自分と似た体験をした他人の苦しみならある程度までは理解出来るが、相手が自分と同じ苦しみを味わっているとは限りません。
 どれほど似た体験をしていても、完全には其の苦しみは理解出来無いけど、目の前に居る他人の苦しみを理解しようともしない人には何かが足らないんじゃなかろうか。

 なんて事を昨日、月の障りの痛みで苦しむ友人の横で思ってました。
 僕は其の痛みを感じた事が今迄無いので、脂汗流し小さな呻き声をあげ腹部を押さえて痛みを堪える友達に対し、如何したら良いのか判らなくて戸惑ってばかりでした。
 苦しいという事は知っています。非常に痛いと言う事も知っています。其の期間前後はホルモンバランスが不安定になり精神面に影響する事も知っています。
 だけれど、僕は彼女の痛みがどんなものか知らないし、何もしてやれない。精々僕に出来るのは彼女が持っている痛み止めを取り出して水と一緒に手渡す事だけ。
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 芸術を生み出せる人物は、心や生い立ちのような其の人物に関わる何かに瑕疵を持っているのではないだろうか。
 詩なり絵画なりで大成した者達は、其の瑕疵に種を埋め込み、自らを養分にして美しく花開かせたのではなかろうか。
 何て事を考える今日此の頃。

 僕には其処彼処に傷はあるんですが、埋めるべき種がありません。
 欲しい種はどれもが漠然としていて、どの種を自分が一番望んでいたのかもうさっぱり判りゃしません。
 大きな花を咲かせる気は僕には無いから、若し種が手に入るなら地味な草木のような種が欲しいです。例えば、エリカみたいな。
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老舗
 以前今出川千本付近で鰻屋に行こうとして迷った挙句もう此処でいいやと適当に入った豚カツ屋が「京都でも一二を争う旨いトンカツが食えるということで有名な老舗」だったと言う事をさっき知りました。
 何と無くMyEnpituに登録して講読してた、Enpituで書いてるとある人の日記を読んで判ったんですけどね。
 確かあの時は、迷いに迷った挙句に目指した鰻屋と多少似た名前の豚カツ屋でしたので、鰻食べたかったけどもう此処で我慢しようと思って其処に入ったのです。
 よくよく思い返せば、店の前には鯉が泳ぐ池があったり、石畳があったりと、妙に金かかってる豚カツ屋でした。「老舗」といわれれば、なるほど確かにそんな雰囲気はありました。

 道理で店の人の態度がでかかった訳だ、と納得。
 如何して京都の一部の店は新規のお客にサービス業にあるまじき対応をするのに潰れず生き残っているのか、いつも不思議でなりません。
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褒め言葉
 今の大学に入ってから、身の回りの女の子がちょっとでも綺麗に見える度に「綺麗だね」とか「可愛いね」や「素敵ですね」というようにしています。
 「綺麗。綺麗。と、云い続けるとどんな物でもそれなりに美しく育つの。」と以前母親が云っていたのを覚えていたので。
 其の所為か、最近身の回りのお嬢さんたちが更に綺麗になってきました。以前は化粧も装飾品のつけ方もどこかけば過ぎたり、ぎこちなかったりしていたのに、今は薄化粧でも美しく纏まってます。
 彼女たちが綺麗になったのはきっと僕の言葉の所為というよりは、単に年齢に合った化粧の仕方や場に相応しい装いに慣れただけなんだろうけど。それにしても綺麗。
 其の綺麗なお嬢さん達に「綺麗」と素直に云うと顔を綻ばし更に綺麗な笑顔に変わるのは、きっと自分の美しさを多少なりとも自覚してるからなのでしょうなぁ。

 ところで、そろそろ誰か僕にも「綺麗」と云ってくれないものだろうか。
 僕は綺麗じゃないって事は百も承知だけど。誰にでも美しく見える瞬間は必ずあるのだから、僕にも一億万分の一秒くらい綺麗に見える瞬間があるかも知れない。其の一瞬を捉えて誰か褒めてくれないかな。褒め続ければ、万に一つは綺麗な人に変身するかも知れませんよ。

 ああ、でも、僕は僕の事を綺麗だとか美人だとか、他人に世辞を言われる度に「こいつは絶対嘘を吐いている。何の魂胆があってそんな事をいうんだ。」と相手の真意を疑ってしまうのでした。
 実際、僕に世辞を云う人は何か魂胆がある人が多いのだけど、こうも疑ってかかっていたら褒められても効果はあるまい。
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FFXI日記
 FFXIで昨日の0時から「エッグハント」なるイベントが始まってます。
 『限られた期間で「イニシャルエッグ」と呼ばれるタマゴを集めること、そして集めたタマゴで役を作ることを楽しむ遊び』なんだそうで、普段居住区から出ない筈のMoogle達が外に出てイニシャルエッグを配ってました。
 シャウトも卵の事ばかり。貰えるのは一日に一個だけなので、自分の欲しいイニシャルエッグと自分の持ってるイニシャルエッグの交換を呼び掛けるシャウトや卵販売のシャウトでログが埋まって騒がしいです。
 イニシャルエッグの相場は昨日の昼には三千以上だったものも二千前後にまで落ち着いてました。

 僕は一番最初にやるべきっぽい「ファースト3」なる自分の名前の最初の三文字を揃える役をやったので後はどうでもよくなりました。
 他にも名前の頭文字からアルファベット順に揃えたり、逆順にしたり、同じ文字を八つ揃えたりと色々役はあるみたい。
 一日に一個の卵授与も、Moogleに鳥の卵1Dやカラフルエッグ1個などを渡すと更にもう一個貰えるので、カラフルエッグを買ってちまちまとイニシャルエッグを揃えてました。
 イニシャル3だとドロップや優待券しか貰えないけど、他の役ではHappy Eggなども貰えるそうで、何度も繰り返しMoogleにイニシャルエッグを渡してプレゼント集めしてる人も居ました。

 余った卵売りつつシャウト見物でもしてきます。
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桜の蕾を見乍ら
 昨日は朝から夕方迄段ボール箱や教科書を抱えて右往左往してました。
 お陰で筋肉痛に。二の腕辺りが痛くてかないません。
 素手で荷物運びをしていたので掌の皮膚が磨り減って薄くなって指の毛細血管らしきものが薄ら見えます。気持ち悪いったらありゃしない。

 荷物運びしながらずっと過剰反応するお嬢さんを揶揄してました。
 僕の言う事言う事を一々自分への批難と受け取ってぐだぐだ言うお嬢さんを奇異の目で見乍らどの言葉に如何反応するのか確認してました。
 大きな鞄を持っていた彼女に「何で大きな鞄持ってるの?」と訊いただけで色々語ってくれましたよ。嗚呼、面白い。
 正直彼女にそんなに興味は無いのだけど、ああも「君には影響されないぞ」という感じに身構えられると弄り倒したくなります。

 てか、僕よりもずっと上品で嫋なお嬢さんがでかいダンボール箱を軽々と運ぶのに吃驚して自分が何を如何運んだのか殆ど覚えてないや。
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寝惚け
 寝惚けた頭で作ったものを人様に提供するのは止した方がいいですね。

 無償で人の為に何かをしてみました。僕も進歩したもんだとちょっとは思いましたけど、朝寝惚けた頭で何故か作ってしまった某サイトのファイルを提供しただけなので特に何もしちゃいません。
 途中で「何で頼まれもしないのにこんなん作ってるんだろう」と気付いて止めたので約半時間しか作成に時間掛けてません。
 でも、其のファイルは既に提供してしまいました。
 後でUPされたサイトを見たら色々と必要なものが抜けてる抜けてる…そういやぁ、確か昨日の朝は午前四時に目が覚めてしまい、寝惚けた侭PC起動して人様のサイト作り出したんでした。
 寝惚けた状態で作ったものがまともである訳が無いのに、其の後適当に三種のブラウザで確認して表示に支障無かったからと提供してしまったのです。

 仕方が無いのでちまちま手直ししておきました。
 ずっと立ちっ放しで疲れてた身体にアルコールを少量入れたので今は非常に眠いです。何とか眠気を堪えて直してみたけど、何度も眠り掛けてるのでまだまだ訂正すべき箇所はあるでしょう。
 まともに確認する為には、先ずちゃんと睡眠を取らねば。
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万愚節
 四月の異名をご存知ですか。
 卯月、卯花月、余月、得鳥羽月、乾月に、鎮月、木葉取月、清和月、鳥来月、鳥月、鳥待月、夏初月、花名残月、花残月、乏月…あげ連ねればキリがありません。
 其々の名前に所以があり、其々に風雅を感じます。

 月が変わって今日はApril Fool。
 April Foolの起源として現在最も信じられている説はこうです。
  1582年にグレゴリウス8世は新暦としてグレゴリウス暦を公布しました。それまでのユリウス暦では三月末の春分の日から一年を数えていたのに対し新しいグレゴリウス暦では一月一日から新年とするよう変わったのだそうです。ユリウス暦では春分の日から四月一日までの一週間春分祭を祝っていました。
 公布された新暦を仏蘭西のシャルル9世は採用しましたが、新暦を受け入れない者も多く、かつての新年祭(春分祭)の最終日であった四月一日にかつてのユリウス暦で行っていた様に贈り物を交換する慣わしを守る者が居たそうです。中には嘘の新年である四月一日にふざけた贈り物をしたり、新年祭の真似をして馬鹿騒ぎをする連中も居り、それが今のApril Foolになったのだそうです。
 この説は一般にApril Foolの起源の定説として流布してるみたいですけど、説の根拠はありません。
 僕はヨーロッパの春分祭がApril Foolの起源ではあるとは思いますけど、グレゴリウス暦改変は余り関係無いと思ってます。
 他にも起源説はあるけれど、とりあえず仏教徒の僕としてはインド起源説を信じておきます。

 さて、今日はいつ嘘を吐けばよいのでしょうか。
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