2011年03月の記事


備蓄状態
 今回の震災でこちらの無事を伝える努力はしたものの、飲食料の不足を心配するひとが少なくなかったので。ここに最近は知人・友人にあまり話してなかったことを書いておきます。

 実は、今回の震災よりも前から少しは備蓄をしていました。
 その理由としては、次のような感じ。

 幼い頃から1891年の濃尾地震についての体験や日頃の用意がいかに役立ったのか事細かに聞いていたから、その対策として。
 1854年の安政地震の体験を親戚の日記で読んでいたから。
 1923年の関東大震災の体験を親戚から聞いていたから。
 1944年の東南海地震の体験を親戚から聞いていたから。
 1946年の南海道地震の体験を親戚から聞いていたから。
 1976年の安八水害の体験を学校で学び、親戚からも聞かされたから。
 1995年1月17日の阪神・淡路大震災の体験とその時役立ったものをTV報道や人から教えられたから。
 台風による河川の堤防決壊に備えて。
 近々東南海地震と連動して発生すると言われていた東海地震に備えて。
 2004年10月23日17時56分新潟県中越沖地震の様子をTV報道から知ったから。
 2007年7月16日の新潟県中越沖地震の体験を人から聞いていたから。
 2008年6月14日の岩手・宮城内陸地震の報道を見て。
 2010年11月23日の延坪島への砲撃の件で、念の為に。
 そろそろ花粉や黄砂の時季なので、できるだけ屋内に引きこもる為に。(これが一番大きい理由)

 もともと台風による水害や地震に備えて用意していて、その延長でどこに住むときも多少は用意をしてました。
 具体的に、2011年3月11日の地震前から住まい1(地震や水害が起こる可能性がある地域)に備えていたものを次に挙げてみます。

◆住まい1に置いていたもの
・水(ポリタンクで水道水を1ガロン以上)
・ペット飲料(緑茶、烏龍茶などを10リットル以上)
・米(二俵以上)
・調味料(醤油、塩、砂糖など)
・レーション(7日分)
・各種缶詰(50個以上)
・乾パン(1kg)
・アルファ化米(6食分以上)
・各種乾物(乾燥わかめ、干し椎茸、高野豆腐、麩、春雨などを20kg以上)
・各種乾麺(4kg以上)
・八丁味噌(1kg以上)
・粉末味噌汁(約60杯分)
・インスタントラーメン(10個)
・各種フリーズドライ食品(20食以上)
・粉ミルク(1缶)
・ペット用ドライフード
・内服薬(胃腸薬や風邪薬など)
・消毒液
・ガーゼ
・救助笛
・携帯トイレ
・蝋燭・蝋燭立て(その蝋燭が倒れても火が周囲に広がらない大きさ)
・乾電池(単一、単二、単三、単四を各種10個以上)
・充電器・充電池(単三、単四をそれぞれ10個以上)
・懐中電灯(乾電池タイプ)
・懐中電灯(ラジオ機能付き 手回しタイプ)
・携帯ラジオ(乾電池タイプ)
・使い捨てカイロ(30個以上)
・方位磁石
・周辺地図(等高線、地名、避難場所、銭湯、河川などが記入されているもの)
・マスク
・冷却シート
・歯ブラシセット
・レインコート
・ウインドブレーカー
・寝袋
・テント用具一式
・マッチ
・卓上コンロセット(固形燃料用)・卓上用固形燃料
・アルミホイル
・食品用ラップフィルム
・使い捨て食器(紙コップ、紙皿、プラスチックスプーン、割り箸)
・ティッシュ
・ウェットティッシュ
・石鹸(旅行用の液体状のソープ含む)
・水の要らないシャンプー
・数日分の着替え(ビニールで二重以上に包んだもの)
・靴(2足以上)
・生理用品(100個以上)
・ヘルメット
・綿入り帽子
・軍手(自分の手の大きさに合ったものを20以上)
・アルミ蒸着断熱保温シート
・ブルーシート
・新聞紙
・ガムテープ
・ジャッキ
・のこぎり
・バール
・スコップ
・十徳ナイフ
・ビニールボート・浮き輪・空気入れ

 消耗品は少しずつ入れ替えているので現在の量とは少し異なるかも知れませんが、3月現在把握してる分はこれだけです。
 備蓄物はビニールで包んだ上で水に浮くものと一緒に容器に入れて纏めてます。堤防が決壊したら水没する可能性がある地域なので、屋内に浸水してもなんとかなる…といいなぁと思いまして。
 家屋が山崩れで埋まったり、倒壊して取り出せなくなっても困るので、置き場所は二階以上の高さの場所と屋外の倉庫などに分散させてます。
 便利さを考えると小型カセットコンロ用のカセットガスや灯油も一定量蓄えておきたくなるけれど、それらは災害時に火事を引き起こしそうで怖いので備蓄してません。

 親戚の間では災害用の備蓄を生活用のものとは別に置いておくのが当たり前だったので、自分でもどこに行っても一週間以上その場に居る場合は非常時用に多少の備えを置くようになってました。
 仕事場の自分のデスクにも、二日分以上の食料・飲料、アルミ蒸着シート、耐切創力強化タイプの作業手袋と帽子をこっそり置いてました。

 では、肝心の3月11日の東北で被災したときに手元にあった備蓄品を次に挙げていきます。

◆2011年3月11日の地震前に東北地方で手元に備えていたもの
・レーション(1日分) ※1
・乾物(5kg) ※1
・乾麺(2kg) ※1
・羊羹
・各種缶詰(15個) ※1
・生理用品(48個) ※1
・石鹸(携帯用のシャンプー・リンスセット含む) ※1
・食品用ラップフィルム(2本)
・ウェットティッシュ ※1
・懐中電灯(ラジオ機能付き 手回しタイプ) ※1
・懐中電灯(乾電池タイプ) ※1
・乾電池(単三、単四10個ずつ) ※2
・充電器・充電池(単三10個、単四6個) ※1
・方位磁石 ※1
・ウインドブレーカー ※1
・レインコート ※1
・蝋燭 ※1
・マッチ・ライター ※1
・着替え(2日分) ※2
・医薬品(消毒薬・風邪薬・胃腸薬など常備薬) ※1
・歯ブラシセット ※1
・親族の連絡先一覧 ※2
・身分証明書類(運転免許証、戸籍謄本、戸籍抄本)のコピー ※2
・印鑑(三文判) ※1
・東北から中部地方へ移動するのに必要な額の現金 ※1
・硬貨 ※2
・アルミ蒸着断熱保温シート ※1
・新聞紙 ※1
・軍手・作業手袋(耐切創力強化タイプ) ※2
・ビニール袋(200枚以上) ※2

 ※1 一週間以上滞在するので備えておいたもの
 ※2 延坪島への2010年11月23日午後の砲撃以降足したもの

 延坪島への2010年11月23日午後の砲撃以降じわじわと災害時用の備蓄を始めていて、ちょうど消耗品を使用して入れ替えようとしてるとこだったので備蓄食料の量は少なく、特にレーションなんて一日分だけでした。
 備蓄の中に水がないのは、置いていた水入りペットボトルが押し潰されて使い物にならなくなったのでカウントしてないからです。

 でも、備蓄以外の食料・飲料は地震翌朝の時点で4日分以上ありました。
 地震の翌日からぐちゃぐちゃになった家財を片付けながら何日もかけて食料を発掘しており、無事な食料・飲料を見付ける度に備蓄に足して何日もつか数えていたら、結局一週間は大丈夫な量がありました。
 米だけでなく小麦粉やじゃがいももありましたし、給水場所も把握しましたし、14日には電気も復旧し卓上コンロも使える状態にできたので、やりようによっては三週間分以上の食料がありました。
 なので、飲食料に関しては「流通が途絶えても暫くは大丈夫」と伝えていました…が、親戚以外は信用せず心配する人ばかり。
 普段から自分はこうしているんだと言っておくのって大事ですねぇ。親戚くらいにしかまともに話してませんでしたよ。

 流通が回復するまでに消費したので備蓄はかなり減りましたが、そのうち落ち着いたら少しずつ買い揃えておきます。
 人様の迷惑にならないようにひとつずつ、少しずつ購入していきますわ。
 消耗品は入れ替えるのが面倒ですが、役立つことがあるのはわかったので備えておきますか。
コメント (0)

2011年3月9日からの連絡手段とその状況
2011年3月9日からの連絡手段とその状況

 ここに2011年3月9日から3月16日までにとった個人連絡の手段と状況を覚えていられるうちに書き出しておきます。
 後々、緊急時の連絡手段を考え直すときには忘れてそうなので今のうちに。
 事前に言っておきますが、大地震の時点では東北の内陸部に居た為、地震による被災状況は軽微で津波の被害は受けてません。

・3月9日昼 地震→携帯(docomoのFOMA端末)の音声通話○ IP電話○ iモード○
・3月10日朝 地震→携帯の音声通話○ IP電話○ iモード○
・3月11日14:46 地震直後→携帯の音声通話× iモード○ 留守電通知受信
・3月11日夕→携帯の音声通話× iモード△(数十分おきにメール受信できたが送信は不可)
・3月11日夜→携帯の音声通話× iモード△(メール送信エラー) spモード× インターネット○ twitterに生存報告
・3月12日朝→携帯の音声通話× iモード△(メール送信エラー) spモード△ インターネット○
・3月12日昼→携帯の音声通話× iモード△(アンテナが2本以上立つのは約一時間おき/メール送信エラー) 留守電通知受信 SNS・twitterに現状報告開始
・3月12日夜→携帯の音声通話× iモード△ インターネット○
・3月13日→携帯の音声通話△(一回だけ着信) IP電話○ iモード△ インターネット○ 留守電通知受信 FOMA端末は極力電源を落とした
・3月14日→携帯の音声通話× インターネット○ 留守電通知受信
・3月15日→携帯の音声通話× インターネット○ SNSに現状報告
・3月16日→携帯の音声通話× iモード○

 以下、上記箇条書きの中身を書き留めていきます。

 先ず、2011年3月9日11時45分ころに三陸沖を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生しました。
 そのニュースを見て、現在こちらが東北で仕事をしていることを把握している親戚や友人から安否確認の電話やメールを貰いました。
 この時点では、docomo携帯の音声通話もiモードも支障はなく、9日夕までには連絡をくれた方全てに返事ができました。
 翌日の3月10日 6時24分ころにも三陸沖を震源とするマグニチュード6.8の地震が発生しましたが、このときも9日と同様に全てのひとと連絡が取れました。

 3月11日14時46分ころ、東北地方から関東地方にかけて太平洋側でマグニチュード9.0の巨大地震が発生しました。
 棚が倒れ、壁に亀裂が入っていくのを見て、とりあえず背の高いものがない部屋に逃げました。(揺れが収まってから見ると危険物が床に散乱しなかったのはこの部屋だけでした。)
 手に携帯(FOMA端末1台とスマートフォン1台)を握り締めていたので、持っていた携帯(FOMA端末)で東北の近い範囲にいたひと1名に生存報告兼安否確認のメールを送りました。
 そのうち揺れが歩ける程度に小さくなってきたので建物外に退避しようとしたものの、室内はガラス片を含む様々なものが散乱しドアまでが塞がってました。
 散乱したものの中から軍手と室内履きを取り出して装着し、歩けるように物をどけてどけてどけて…ドアまで辿り着けたのは16時30分過ぎでした。
 このドアまで行こうとしている間に携帯電話に留守番電話通知が何回もきましたが、何度かけてもdocomoの留守番電話サービスに繋がりませんでした。(この時、既に通話が制限されていて繋がらなくなっていたようです。)
 留守電をくださった方々には、携帯の音声通話が繋がらず留守電の内容確認もできない現状を伝え、通話ができないのでメールでやり取りしてくださるようお願いするメールを携帯から送りました。
 docomoの留守番電話サービスは1件3分で20件まで保存され、保存時間は72時間です。このときいただいた留守電は結局聞けないままセンターから削除されてしまいました。

 屋外の土地が開けたところに出た後、近隣の同様に屋外に逃げた人たちと声を掛け合い情報交換をし、そこでdocomoを含む複数の携帯キャリアで音声通話の不通や携帯メールの遅滞が発生していることを教えていただきました。(このとき、この地震で関東も影響を受けていること、周辺の道路で走行不可能になっている箇所があることやJRが止まっていることも知り、中部に戻るのは落ち着いてからにすることに決めました。)
 屋外に退避後、携帯にきていた安否確認のメールに返信しようとしましたが送信エラーになり続けました。

 夜になり、余震はあるものの一度屋内に戻りました。
 情報を得ようとしましたが、TVは画面が割れて故障、ラジオは散乱した家財のどこか、携帯は圏外になってないもののiモードでもspモードでもメールが送れない状況でした。
 停電から復旧していたのを確認して、地震であちこちに飛んでたルータなどの通信機器を再設置。インターネットが生きていたのでいただいた安否確認メールにインターネット経由で可能な限り元気に返答し、東北や関東にいる親戚・友人に状況確認を兼ねて安否確認のメールを送りました。
(具体的には、インターネットに接続したスマートフォンからiモード.netにログインしてメールを送受信。)
 docomoの災害伝言板にて無事を伝えようとしたものの災害伝言板に繋がらずできませんでした。代わりに、GoogleのPerson Finder (消息情報)に登録しておきました。
 受け取ったメールで関西まで揺れたと知らされ動揺しましたが、なんとか眠る場所を作って就寝。

 12日朝、起きてからスマートフォンで地震情報を調べ出し、3時59分ころにあった地震は長野県北部を震源とするマグニチュード6.7の大きな地震であったと知り、慌てて中部地方に住む親戚・友人の安否確認をしました。
 ラジオやインターネットでは東日本の震災の情報ばかりで中部地方の被害の情報を得られなかったので、中部地方も酷い被害を受けているのではないかと焦りました。
 このとき、頻繁に圏外表示となり音声通話の発信はできず、iモードの電波が安定せず繋がり難かったので、連絡は全てスマートフォン+インターネット+iモード.netでしました。

 昼になっても携帯の音声通話は着信できないままでした。iモードはメールを送ろうとしてもエラーばかりで、アンテナ表示は圏外とアンテナ2本(アンテナ3本中)の間を行ったり来たりしてました。
 圏外からアンテナ1本になった途端に留守番電話通知をまた受け取ったもののセンターには繋がらず録音は聞けないまま。
 通知で留守電を入れてくれたひとはわかっているので、留守電を聞けないこととメールなら受け取れるのでメールでやりとりしていただけると助かる旨を相手の携帯メール宛に送るものの返信はいただけず、同じひとからの留守電通知が溜まるばかりでした。
 前日の時点で、メールを使えるひとは皆さん電話が通じないので連絡手段をメールに切り替えてくださってました。
 この時点で留守電を入れる一方でメールの返答がない人は、普段から携帯でもPCでもメールの使用に慣れていないひとばかりでした。
 仕方がないので、留守電を入れてくださったかたのうちメールに返答いただけなかったかたの近しいひとにインターネット経由でメールを送って、そのかたの安否確認をお願いするとともにこちらの音声通話ができない状態を伝えていただけるよう頼みました。
 余震が続くなか大量の安否確認メールが届くようになり返信が追いつかなかったので、スマートフォンからIDとパスワードを覚えている全てのSNSにログインして生存報告をしました。
 メールくれてるひとのうち何人かはtwitterを見てることを思い出したので、現状を簡潔にtwitterで報告し始めました。

 夜まで音声通話の着信はありませんでした。家屋から出られずに携帯で外部に連絡して救助を待っているひとがいるらしいと地域のネットコミュニティで知り、音声通話の発信とiモードの使用を控えてました。
 安否確認のメールばかりだったのが、原発の避難区域にいないか確認するメールが届くようになりました。圏外に度々なる為かiモード対応端末の電池消耗が激しく何度も充電が必要になったので、「メール選択受信」の設定をONにしてiモードメールは極力iモード対応してるFOMA端末では受け取らずスマートフォンからインターネット経由で送受信しました。
 iモード.net、SNS、twitterと、連絡手段はインターネット経由のものだけがまともに使えてました。

 3月13日になって、物資をこちら宛に宅配で送ろうかという申し出の連絡が増えてきました。被災地で物が足りてないことや流通が途絶えていることをTVニュースで伝えていたそうです…。どこの宅配サービスも震災後は東北地方への個人向け宅配は停止している状態でしたので受け取ることも送っていただくこともできない状態でした。申し出てくださったかたでそれを知るひとは居ませんでした。
 申し出をされた最初の数人には宅配便の状態を伝えて気まずくなってしまったので、SNSやtwitterに救援の志は気持ちだけ受け取らせていただく旨を書いて回りました。
 この日はTV報道を見て普段メールをしないひとから安否確認のメールが来るようになりましたが前日前々日よりはかなりその数は減り、原発の状態を案じるメールと震災対処アドバイスメールが多数届きました。
 twitterでもフォローしているひとが震災対処アドバイスのRTをしていました。いただいたどのアドバイスも活用できない状況だったのが残念です。
 この日も、これ以上心配をかけないように、いただいたメールには出来るだけ元気に返信してました。そのほうが安心してもらえますし、結果的には受け取るメールの量を減らすことになるから。いっぱいいっぱいだったので後で自分の送信したメールを見返すのが怖いです。

 この日になって携帯の音声通話をなんとか発信できたひともいましたが、「発信者番号非通知」や「公衆電話」からの着信を拒否しているひとが多く繋がらなかったそうです。災害時、被災地からの発信は折り返しを防ぐ為に非通知になることを知らないひとが多かったです。
 電池の減りがはやいので、FOMA端末の電源は落とすようになりました。
 夜になって親戚からの電話を着信しました。地震以降全く鳴らなかった携帯が鳴ることに驚いているうちに切れてしまい、慌てて電話をくれた親戚にかけ直したら繋がりました。
 この後、留守番電話センターにかけてみましたが繋がりませんでした。着信できたのは一回だけでした。
 ずっとiモードが不安定で災害伝言板に繋がらない状態でしたが、電話をもらってから根気強くiモード接続を試したら深夜になんとか災害伝言板に登録することができました。

 3月14日になって、一時停電したものの電気が戻ったらインターネットは繋がりました。
 原発に関するTV報道を見てか、東北から中部や関西に移動するよう強く勧める親戚・友人からのメールが急増しました。
 留守電通知がまた届いたので、受信したメールを表示して読むことはできるけど自分からはメールが打てないひとたちとやりとりをしようと、SkypeやWindows Liveメッセンジャーの利用をメールで勧めてみました。マイク付きイヤフォンを購入してこのソフトをこう導入して…と説明したもののメールへの反応は一切なかったので伝わらなかったのだと思います。
 IP電話なら繋がるのではと思い留守電をくれたひとへの発信を試してみましたが、発信はできても切断されるか受けてもらえないかのどちらかでした。自分のIP電話から別の自分のIP電話の番号にかけて繋がるのは確認したので、非通知になってるのか見慣れない番号だから出なかったかだと思います。IP電話をかけた相手にはメールで自分の状態と番号を伝えましたが、これも伝わらなかったようです。
 この日は音声通話の着信は一切なく、胃が痛んで眠れなかったので翌日の夜明けまで様々なネット上のコミュニティに生存報告を書き込んでました。

 3月15日になり、原発を理由に移動を勧めるメールや東北から中部(or関西)までの各種交通機関の運行状況を知らせるメールを多く受け取りました。
 大地震から3日以上経っても未だに安否確認メールが届くので、少しでも多くの知人に伝わるように再度複数のSNSに現状報告をして回りました。
 この日も音声通話は繋がりませんでした。

 3月16日の早朝、ストレスと体調悪化がピークに。病院に行く為にも、一時的に移動することに決めました。
 これまであれだけ不安定だったiモードがこの日は快適に繋がり、メールの送受信に全く支障がありませんでした。

 あとは、関東に向かい、途中の駅で無線LANに繋いでSNSやtwitterに現在地や移動の報告をして中部地方まで行きました。
 24日に仕事の為東北に戻った頃には、docomoの音声通話もiモードも使えるようになっていました。
コメント (0)

生存報告
 生きてます。
 生存確認は twitter.com/kakei まで。
コメント (0)

移動回線
 eo64エアのサービス移行or解約について、去年から迷っています。
 去年の10月にお知らせを貰った後から更にお知らせがきて、eo64エアの通信料従量制プチコース(基本料525円、上限4200円)と同様のプランやメールアドレスのみ継続できるプランも提示されたので、すっぱり解約しようかどうしようか迷い出してしまいました。

 継続する上でネックになっている点は以下。
・メールアドレスのみ続行の「eoメールアドレス」プランに移行する場合、現在使用しているeoの「MYホームページ」のサービスは引き継げないこと。
・接続時のIPアドレスがeoのものではないこと。
・「eoモバイル3G」を契約すると無料で利用できる「eoモバイル Wi-Fiスポット」は関西圏外にサービスエリアがなく、サービス自体も現在契約してる「WIRELESS GATE」で事足りること。

 解約を躊躇い出した継続の利点は以下。
・「eoメールアドレス」プランなら月額600円未満でプロバイダのメールアドレスとして扱われているドメインのメールアドレスを継続して利用できること。
・「eoモバイル3G 7.2Mコース」に移行する場合、契約事務手数料3,150円が無料になること。
・「eoモバイル3G 7.2Mコース」に移行する場合、通信端末(D36HW)9,980円が無料になること。
・「eoモバイル3G 7.2Mコース」に移行する場合、利用開始月とその翌月の二ヶ月が無料になること。
・「eoモバイル3G 7.2Mコース」に移行する場合、利用開始月から二年間月額料金が割引されて今の自分の利用具合だとeo64エアと同程度の料金になること。(定額プランだと2,980円/月、2段階定額プランだと500円/月~4,890円/月)

 使わない月は600円以下で使う月は5000円以下の定額となるので、「eoモバイル3G 7.2Mコース」に移行すれば二年間はeo64エアとほぼ同じ条件で利用できます。
 でも、二年過ぎたらイーモバイルの同程度のプランを契約するのと料金が変わらないのですよね…。二年は長いような短いような。

 まだ迷ってますが、取り敢えず解約してみる方向で検討しています。
 解約した結果、不便になるようだったらどこかのワイヤレスインターネット接続サービスを契約してみますか。
コメント (0)