2006年01月の記事


梅干之種
 「梅は食うとも核食うな中に天神寝てござる」という諺があります。
 生梅の種には毒があるから食べてはいけないという教訓の諺です。
 「天神寝てござる」の「天神」は勿論菅原道真公のこと。梅を愛でた文人として有名です。
 
 小さい頃梅干しの種を割って中身を食べると、周囲の大人にこの諺を言われて叱られました。生じゃなくても食べて身体にいいものではないのだと。
 実際に梅の実の核にはアミグダリンという青酸配糖体が含まれていて大量に食べると中毒を起こします。
 でも、しっかり漬け込んである梅干しの胚って美味しいんですよねぇ。こっそり食べては叱られてました。
 
 祖母が亡くなり、母が更に多忙になり、僕の実家では梅干しを大量に漬けて僕に分けてくれる人が居なくなりました。
 スーパーで売られている梅干しは、僕が慣れ親しんだ祖母お手製の梅干しとは味が全く違っていて、甘くて酸味が強くて口に合いません。
 好みの問題だとは思うけど、僕は甘味や酸味が塩味より勝っている味の梅干しを不味く感じてしまうのです。
 僕の知ってる味に近い梅干しを買って食べたいのだけれど、今の処僕にとって完璧な味の梅干しには巡り合えておりません。
 
 鰹節を入れている低塩の梅干しや、大きな紀州梅を使用した甘酸っぱい梅干しはよくスーパーで見かけるのだけど、田舎のおばあちゃんが作るような塩味の強い梅干しってなかなか見かけません。
 需要がないんでしょうねぇ。
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鶏肋之技
 僕はニワトリじゃないけれど、三歩歩いたら自分が何を考えて居たのか忘れてしまう事があります。
 一生懸命ひとつのことだけ考えていれば忘れませんが、他の事に思考が移ると直ぐ忘れてしまいます。
 まぁ、僕じゃなくても集中力の無い人間はみんなそんなものなのでしょうが。
 
 約三ヶ月ぶりに自分のサイトのCSSを書き直そうとして、思い出せ無い点がいくつもあると気付きました。
 プロパティの綴りとかはリファレンスを見て何とかなるけど、バグの回避方法が一つだけどうしても思い出せなくてもやもやしてます。
 contentプロパティで日本語文字など2バイトの文字を直接使うとsafariで文字化けするから、それを文字を数値文字参照で指定する事で回避していた筈なんだけど、実体参照にしても文字化けした場合の回避方法は何だったかな?
 
 ただ単にエスケープして回避するんじゃなくてもっとスマートな回避方法があったと思うのだけど。
 何だったかなぁ。
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振袖撮影
 今日はお嬢さんと誘い合わせて振り袖の着付けと写真撮影をしてきました。
 僕が着付けと撮影を頼んだ写真屋さんは化粧は自前でするところだったらしく、それを知らずにろくに化粧道具も持たずに行ってしまって困ったことになりました。
 卒業式当日の分の着付けもその写真屋さんに頼んだので卒業式の時にはしっかり化粧をしておかなくては。

 振り袖に相応しい化粧なんてどんなものかよく判って無いし、そもそも自分で化粧がうまく出来ないのにどうしたらいいんでしょうねぇ。
 自分以外の誰かにやってもらうという手もあるけれど、着付けは朝六時台に出向かなくちゃならないから近くの美容院に頼む訳にもいかないし。
 卒業式は平日にあるから既に社会人になっている友人に休んでもらって早朝から化粧してなんて頼む訳にもいかないし。
 母親は式の最中に来るだろうから頼みたくても其の場に居ないだろうし。
 同じ大学の知人に頼みたくてもみんな自分のことで手一杯だろうし。
 
 こりゃ困りました。
 幸い今日撮影に付き合ってくれたお嬢さんに当日の朝一緒に化粧をする約束を取り付けたので僕が変な化粧をしていたらきっと彼女が教えてくれる筈。
 彼女も僕も普段薄化粧しかしてなくて厚化粧に不慣れなのが不安だけど、卒業式までに自分である程度は化粧出来る様に何とかしなくちゃ。
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必然偶然
 ドラマ「神はサイコロを振らない ~君を忘れない~」を見逃してしまいました。
 原作を読んだからドラマの流れや結末はわかってます。
 けど、原作どおりにドラマが作られているとは限らないですよねぇ。今日の放送分が気になります。
 
 小説のタイトルになっている、「神は、サイコロを振らない」という言葉は、元々は物理学者のアインシュタインがデンマークの物理学者ニールズ・ボーアの不確定性原理に反論して発言した有名な言葉です。
 量子力学の偶然性を否定した発言です。
 全ての現象は偶然ではなく必然の上に成り立っているという意味なのでしょう。
 
 神はサイコロを振らない。
 ならば、あのドラマのタイムスリップも十年の空白も其の後の消失も再会も何もかもが偶然ではないのでしょうねぇ。
 ドラマはどんな結末を迎えるのか気になります。
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 後で書きま。
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抜山蓋世
 去年から終わらせられずにいた課題の提出物は期限までに何とか仕上げて提出しました。
 提出物の一つ、博物館施設の見学レポートには一年以上掛けて僕が見て回ってきた博物館の中で僕が気に入っている博物館のレポートだけを書いて出しました。
 刃物を収集して展示している資料館やシロアリに喰われた材で建てられた館を持つ昆虫館など、気に入っているところのレポートは気楽に書けました。
 レポート対象には「登録博物館」か「博物館相当施設」が望ましかったのだけれど、好きなところばかりを書いていたら僕のレポートは水族館などの「博物館類似施設」ばかりを取り上げたものになってしまいましたよ。
 
 「博物館相当施設」や「博物館類似施設」というのは、博物館行政上は法律的に認められていない博物館のこと。
 法律上も博物館になるには法が定めた要件を満たした上で煩雑な審査を受けて都道府県教育委員会に登録する必要があって、登録はされていないけれど一定の要件を満たしていて文部科学大臣あるいは都道府県教育委員会の指定を受けた博物館が「博物館相当施設」。
 ちなみに博物館法で規定されている登録博物館になる要件は「博物館資料の存在」「学芸員その他の職員の存在」「必要な建物および土地の存在」「一年を通じて150日以上の開館」の四つ。
 そして「博物館類似施設」は博物館法で定められている博物館の事業と同種の事業を行うけれど博物館法の適用範囲の外にある博物館のことです。
 学芸員資格取得の為の講義でそう習いました。
 
 博物館法を学んでから、幼い頃誰かに「美術館も動物園も植物園も水族館も歴史資料館もみんな博物館なのよ。」と言われた意味が判りました。
 Scientia est potentia.知識は力である、というラテン語の格言があります。法を知ることも何かの力になるのでしょう。
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今日の体重
 今日の体重は44.6kg、体脂肪率は27.3%。

 ありゃ。
 前よりは減ったけど、脂肪率が多いような気がします。
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後で書きま。
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年賀欠礼
 新年になりましたね。
 
 新年になってから知人から来た年賀メールの対処にちょっと困ってます。
 昨年十二月に入ってから家族が亡くなりました。
 通夜、葬式、初七日とごたごたして年賀欠礼状を出す暇はなかったので、最近会ってない知人の多くは僕が喪中だとは知りません。
 何人かから年賀メールが届いたけれどどう返事したものかと思案してます。

 受け取ったのが年賀状であれば一月七日の松の内が過ぎてから賀状の礼と欠礼状を出せなかったお詫びを書き添えた寒中見舞を出せばいいのだろうけど、受け取ったのが年賀メールだった場合はどうなんでしょうねぇ。
 僕は今まで年賀欠礼状の葉書を送った事や貰った事はあっても、年賀欠礼状のメールを送った事も貰った事もありません。
 年賀葉書なら一月七日以降に寒中見舞を送って返事すればいいのだろうけど、年賀メールにも一月七日以降に寒中見舞メールを返信していいものなのでしょうか。
 一月七日よりももっと早く返信すべきなのか。それとも返事は寒中見舞にせずにこちらも年賀の挨拶をメールで返すべきなのか。
 
 僕の感触では、パソコンの方に送られたカード風の年賀メールには七日以降に寒中見舞で返信してもよさそうな雰囲気です。
 けど、携帯電話に届いた年賀メールには年賀にせよ寒中見舞にせよ直ぐ返事をしないと相手の機嫌を損なう雰囲気を感じます。
 人によってメールを手紙と全く同じ形式でやり取りすべきものだと捉えている人もいれば、メールをメッセンジャーのような簡単な連絡手段だと考えている人もいるので一概に如何とは言えませんけどね。
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