2005年06月の記事


茅輪神事
 今日は夏越祓の日でした。正月からの半年の穢れを祓い、清める日です。
 まぁ、だから何、と言われたらそれまでなんですが。

 僕は何と無く夏越祓の儀式が好きです。
 茅の輪を潜るのが好きなのかも。
 潜り方一つとっても決まりきったやり方があるところが好きなのかも。
 いや、本当のところは、六月が終わりに近付いて茅の輪が神社に取り付けられだすのを見ると何だかほっとするのが好きなのかも知れません。

 やっと今日で六月が終わってくれると思うと少し気が落ち着くのです。
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吾非雷陳
 バーゲンセールに行って来ました。

 お嬢さんと待ち合わせをして、つらつらと見て回って…自分が繁華街の店や通りの位置や名前を全く覚えてない事を再認識しました。
 おかしいなぁ、何度も歩いた場所なのに。未だに僕は寺町と新京極の通りを間違えます。
 待ち合わせの場所を「小さい方の大丸で待ち合わせね。」と云われてもそれが藤井大丸の事なのか大丸の京都店の事なのか、もしくは寺町通りに面した大丸なのか四条通を挟んだ別の大丸なのか、もうさっぱりわかりません。

 今日も何処に何の店があるのか思い出せず、お嬢さんに案内して貰ってました。
 何度来ても河原町近辺の店の名前や位置を僕は忘れてしまうみたい。
 特に気に入っているコレクターグッズ店の名前と位置だけはちゃんと憶えて居るのだけど。他の店は何度買い物しようが次来た時にはもううろ覚え。

 これじゃいかんなぁ。
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被性騷擾
 僕の身近にハラスメントについて厳しい考えを持っているお嬢さんがいます。
 お嬢さんによれば、セクシャルハラスメントは言った方がそれはハラスメントだと思っていなくても、言われた方が「性的な嫌がらせを受けた」と感じた時点でハラスメントなんだそうですよ。
 可愛いお嬢さんに「胸の形が綺麗ですね」と言われてもハラスメントにはならないけど、脂ぎった中年オヤヂに「今日もいい天気やなぁ」と肩を撫でられたらハラスメントになるのだそうです。何だかオヤヂに厳しいな。

 昨日、まさに「セクハラオヤヂ」という感じの初老の男性に出くわしてしまいました。
 偶々拾ったタクシーの運転手さんだったのですが、乗ってる間その人が鬱陶しくて仕方なくて。その人が何か云うのを聞く度に、僕は相手を罵りたくなってしまって困りました。
 その運転手さんは僕の胸を見て何度も何度も「その胸を押し付けて男に迫ってきなさい」とか「男をとっかえひっかえ出来るのは今だけ」とか「胸とか触られても『セクハラ!』なんて怒らずに胸を自分から押し付けるぐらいにならんと」とか「裸で男に迫るくらいの度胸持たな」なんて言ってましたが…。つっこみどころ満載。
 ベラベラと口は動かすくせになかなか目的地についてくれない運転手さんでした。
 運転手さんが僕に話し掛ける度に後ろの僕の方を振り返るので、前方不注意で前の車にぶつけるんじゃないかと冷や冷やしましたよ。

 胸が大きい人はきっと頻繁にあんなオヤヂに遭遇してるんでしょうねぇ。
 ちなみに、僕の胸はでかくないです。標準以下です。昨日のオヤヂは僕の胸の何を見てたんだか。
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亡羊補牢
 実習が終わってから、勉強をする気力が削がれた侭ですよ。まぁ、元からやる気がなかったといえばそれまでなんですが。
 実習中に色々人に、主に僕と同じ立場の実習生に、言われた言葉を反芻し、僕の社交性と社会性の無さを見詰めなおして…直して多少なりとも其処から学ぼうと思っているのだけど見詰め直す度更に凹んでしまう。

 昨日は僕の親族の命日の一つでした。命日なのだけど、僕は毎年六月弐拾参日は亡くなった親族当人の墓には参らずに亡くなった親族に関係性の無い他人の墓ばかりを訪れています。
 今年は大谷本廟に行って来ました。
 黒い上下を身に着け、数珠を手に下げて、お年寄り達に紛れて知り合いのお墓に手を合わせてきました。
 命日当日、その日に亡くなった人に向き合う事から僕は逃げていました。

 「逃げたらあかん」と、実習中に励ましてくれた人がいたけれど。
 そりゃそうだ。逃げたら何の解決にもならない。
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自己主張
 僕らしさ、って何だろうねぇ。
 と、ぼへーっとオール明けの頭で今朝から考えてました。

 昨日は約11時間、同じ大学のお嬢さん方とカラオケで歌ってました。「流行歌は歌わず、歌うのはアニソンのみ!」と誘って下さったお嬢さんに感謝。
 睡眠時間が少ないと、頭が程よく鈍って考え事をしても考え過ぎずに済みます。

 「地味」「目立たない」「男っ気が無い」「流行遅れ」
 自分を客観的に見ると上記の四つのキーワードが直ぐ思い浮かびます。
 だけど、自分を主観的に見る事がなかなか出来ません。

 僕の中にある「僕らしさ」って何なのだろうか。
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嫉視反目
 他人が自分より幸せに見えるのって、きっと年齢を重ねると自分の思い込みだと気付くんでしょうねぇ。

 中学生の頃、僕には周囲の人達が皆羨ましくて、自分のおかれた状況が疎ましくて堪りませんでした。
 僕が頻繁にとる誤った態度の原因を学校の教師や一部の生徒は父が早くに亡くなった所為だと勘違いしていたのにも苛立っていました。
 自分の状況を医師に話しても診断書には反映されなくて、僕と同じ状況に陥っている僕の母の言葉を添えても医師の対応は変わらなくて。
 母のように僕と同様の事故に遭って同様の状況の陥った人には説明をすれば理解して貰えていたけれど、学校にはそんな人が一人も居ませんでした。

 最近、治らない病を抱えた家族と暮らす人に色々八つ当たりをされる機会がありました。
 「あなたみたいな幸せな人には私の悩みなんてわからないんでしょうけれど」なんて言ってるその人に、僕は全く同じ病を抱えた家族が僕にも居る事を言いそびれてしまいました。
 僕にとってはこういう事は二人目で、今回は何とか自分の気持ちと折り合いを付けようと心がけて残りの時間を大切にしています。
 でも、初めての時は、家族の病の進行状況を知ったばかりの時は、そうじゃなくて周囲に苛立ちをぶつけてしまってました。
 だから、苛立ちを僕にぶつけるそのお嬢さんに「どうして何も言い返さないの?」と言われて本当に困りました。
 今更同じような状況に僕も居る事を言ってお嬢さんに気を遣わせたくは無かったし、苛立ってるお嬢さんの気持ちがわからなくもなかったから。
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守秘義務
 三週間の実習が終わりました。
 何だか色々ありましたよ。
 守秘義務があるからというのもあるけれど、色々あり過ぎて僕の拙い語彙力では具体的に言い表せないぐらい色々ありました。

 三週間の間に僕の京都弁が少し上達しました。
 京都に着てから僕は似非関西弁か岐阜弁を話して過ごしてきたのですけれど、実習を経て僕の明らかに京都弁ではない訛りは若干京都弁ぽくなりました。
 実習先の、オトナは兎も角コドモ達は、発音の違いに敏感で、僕が何か京都弁ではないアクセントで話す度にいちいち指摘して京都弁に修正しようとしてくれました。

 僕が関東と関西が混じった土地柄で育った所為か、僕の発音は東も西もごっちゃ混ぜになっていて、僕が話すのを聞く度に笑い転げる人が少なからず居ましたよ。
 どんな発言でどう笑ったのか、僕は観察して勝手に面白がってました。

 僕の発音を面白がって笑う人。
 その笑う人を面白がって観察する僕。
 三週間、面白い体験が出来ました。
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學如不及
 学は及ばざるが如くす。
 学問は逃げるものを追い掛け、追い付けられないのを愁うような心掛けでするべきだという四字熟語があります。

 先月末から追い付こう追い付こうとしてるのに全然追い付きゃしませんよ。
 追い付きそうになる度に置いてきぼりをくらい、悔しくて悔しくて毎回涙が滲みます。
 もっと頑張らなくちゃ。

 どうでもいいけれど、「はげは母方から遺伝 独の研究チームが有力遺伝子発見」というタイトルの記事を朝日新聞のサイトで見掛けました。
 僕の母方は禿が多いのだけど若しかして…。

 危機感を感じています。
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